はてなキーワード: 数字とは
資料作りを頼まれたが、過去の資料だけボンッと渡されても意味が分からず
この数字はどうするんですか?と訊ねたら「予算に『対して』120%ぐらいの数値でいい」と言うからその通りにした
しかし、先月の実績はどう見ても予算の90%を下回る実績だったので、本当にいいんですか?と訊ねたらその数字でやれと言う
そこまで言うなら、と思って言う通りに作ったら上司の上司から案の定指摘が入る
自分は言われた通りに作りました、と素直に言ったところ、まさかの「予算と実績の数値があまりにも乖離している場合は実績を用いています」と
突然の梯子外しをされて大怪我。なぜか自分が悪い、指示を聞き間違えてることになった
100歩譲って自分が悪いとしても
感染者数は連日発表される。重症者数も、死亡者数も発表される。
でも、重症者のうちどれだけの人が未接種か、というデータにアクセスするのがとても難しい。
自分自身、ワクチン接種ゼロ回なんだけど、その数字によって今後の接種を決めようと思っている。
だから一生懸命にその数字を探すのだけど、なかなか見つけられない。
「接種済みの感染者が1000人います。そのうち50人が入院しました。
未接種の感染者が1000人います。そのうち100人が入院しました。」
例えばそんなデータを見せられたら、ワクチンを打とうかなという気になる。
もし未接種の自分が感染すれば、接種済みの場合とくらべて高い確率で重症化するというのが怖いから。
さらに「うちの病院ではICUの患者のうち多くが未接種です」と言われれば、
病院側も未接種の重症者を、予防を怠った患者として冷たい目で見るだろうと思う。
費用対効果とかほら完全にヤラれちゃってる…高付加価値産業に直接貢献する必要はないし理系と文系で奪い合いをさせる必要もまったくない「くにのしゃっきん」なんて無いのだから。数字の話ですよ?
論争の種になりそうでちょっと怖いし、散々答えてきた質問かもしれないけど、純粋に疑問なので簡単に教えてほしい
数年前に、切り抜きのサムネでにじさんじの配信者を見て 「ボーイッシュな女の子の見た目いいなぁ」 と思い動画を再生したら、話し方や雑談内容が笑えたので、
元動画や生放送なども視聴するようになり、芋づる式に他のにじさんじも見るようになった。
元々Twitch系ストリーマーのリスナーなので、今ではにじさんじの男性配信者を見ることが多いが、コラボした時や気になるゲームを遊んでいる時やおもしろそうな企画をやっている時は女性配信者を見ることも少なくない。
にじさんじ全体でやっている大会企画なども応援してると熱くなれるし、ドラマが生まれたりするのを見て、よくできたエンターテイメントだなぁと感心する事もある。
おもしろい事をやろうとしていて、結果エンタメ性が高いものが出来ている。(箱全体でなく各配信者レベルで見ても、常におもしろい事を言おうとしていて、結果見どころが生まれる場面が多いように思える)
そこで、よく比較にあがるホロライブの配信者はどういう人たちなのか気になり、月イチ程度で目についた切り抜きを再生したりはするんだけど、イマイチおもしろさが分からない。
女の子らしい仕草が可愛いと評価されたり、ゲラ笑いや下ネタがおもしろいと評価されてる切り抜きばかりな気がする。
Vのガワはクオリティが高いし、ライブも大きいお金が掛かってそうなのも見てて凄いなぁとは思うけど……
おもしろい事をやろうとしていないように見えてしまい、エンタメ性が高いと言えるのだろうかと疑問に思う。
それでも数字で見るとホロライブの方が圧倒的に獲得している、これはなぜなのか。
ここまで書いたのを見て、月イチで切り抜きを見る程度じゃホロライブを1ミリも知らない事がよく分かるし、笑いのツボが違うんだろうなとも思うし、自分の狭い了見じゃ分かり得ないエンタメ性があるのだろうと思う。
だから教えてほしい。
みんなはどういう部分をおもしろいと思ってホロライブを見ているの?
多くはありませんが、色々な意見が聞けて興味深かったです
意見を聞いた上で改めて、自分には分からない人気があるのだなぁと再認識しました。
話のタネとして初めににじさんじを引き合いに出しましたが、こちらを上げてあちらを下げるような対立の意図はなく、そういったものに過敏な界隈であることも理解しました。
以前からコンプライアンスに欠けた炎上が目立つ箱だけど、そういった所に目を瞑ってまで応援し続ける事ができるファン層というのもなかなかに信じがたい。
"彼女らは美少女動物園アニメというファンタジーである"というからには、Vtuberとしてのロールプレイにかなり重きを置いておくべきだと思うが、
裏では実写で生配信をしていたりと、こういう所から見てもエンタメ性を軽視していたり、素人意識がいつまでも抜け出ない集団としか見られないが、やはり盲目的なファンが多いのだろうか…。
なんていうか話を聞いた感じまだ単体でマネタイズできてるわけでなくてサービス自体は開始してるけど恐らく無料で配って知名度上げているっていうフェーズっぽい。
資金調達額は結構凄いっぽくて恐らくそれだけで回している状態だと思う。
なんていうか社長から与沢翼の匂いを感じるんだよね、なんか肩書は凄そうなんだけどさ。
「○兆円規模の市場」とか「○○分野では一日に○十億円売り上げが出ている」とか「○千万円プレイヤーの社員」とか
なんか社長のツイッターとか求人情報見るとやたらでかい数字使ってるのがすげー気になる、いや「売り上げ○億円」ならわかるんだけど、その何兆円だとかはお前の功績でもなんでもないだろっていう。
大体でかい数字を使いたがる奴は胡散臭いっていう法則あるじゃん
これが孫正義だったりトヨタの社長が言ってるならまだわかるよ、名刺配ってる段階で口に出せる数字じゃないだろ
給料は割と高くて、でも逆に使われている技術スタックやドメインロジックの複雑さ以上に高いって感じだから、これ自体がなんか胡散臭く感じてきた。
とりあえず生きてるよ
慶應落ちて首吊りそうになったのが懐かしい。慶應経済には箸にも棒にもかからず滑り止めに入学して、全然楽しくない学生生活だったけど、大学出てからが楽しいから希望を捨てないで欲しい。
関西の会社で体壊す寸前まで働いて、ある日フッと楽になって手を抜いても数字取れるようになるから。年の2/3くらい出張で日本中飛び回って、あちこちに知り合いができて、好きな街ができて、出張手当を節約するためにやっすい宿に泊まりまくってるから。浮いた金で美味しいもの食べたり好きなもの買ったりして、狭い独身寮で映画館開いて会社の人たちと楽しく過ごしてるから。
そのうち変な女と出会って結婚して、25で父親になって、学歴考えたら信じられないような会社でゴリゴリ働いて、気づいたらアメリカ駐在になってるから。日本を遠く離れて遥か彼方、アメリカ人に囲まれて何故か筋トレを始めて、仕事もそこそこに異様に身体がデカくなるから。オハイオの広い空の下で、よくわからないけど幸せだから。だから慶應落ちたくらいで自殺しちゃダメだ。
【参考】
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
モニタリング項目
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/monitoring
ここを見ると、
たとえば2月2日時点での
陽性率の7日間移動平均は37.5%、
検査数の平均に陽性率の平均を掛けると
……9663人。
……あれ?
ここ2日間は2万人超え、
感覚的に陽性率37.5%は変だなあ……と思い、
日別の数字を見てみると……
「発表される陽性者数」と
「検査陽性者数」が全く一致しない。
たとえば2月2日は陽性者数として
21576人が発表されているが、
「抗原検査陽性者数」は2428となっていて、
合計は8875。
「計上されるまで時差があるのでは」と思い、
それ以外の日を調べてみると、
2月2日のように倍以上違う日がある一方で、
(発表される陽性者数のほうが多く)、
また基本的にかなりの大差なので、
陽性率は時差で上がっているわけではなく、
「発表される陽性者数から算出する陽性率」より
「モニタリング項目としての陽性率」のほうが
(確認した限り)ずっと低いままになっている。
この「発表される陽性者数」と
「陽性率算出に使われる検査陽性者数」の
違いがどこにあるのか、
詳しい人、教えてくれたらありがたいです。
【追記】追記編と初手編、日常用語編、国際編、人物編、二眼の説明を加えた。
anond:20220131231934にインスパイアされてやってみた。
省力のために一部wikipediaからの引用も交えながら独自の解説を記した。
一手で隅をほぼ専有できてしまう反面、中央から遠く発展力やスピードに欠ける。
江戸時代以前の古くから打たれている手であり三々よりは中央に近く、星よりは地に近いバランスの取れた手。
隅を占めるのに二手かかるのが欠点。
4・4の地点で碁盤の目印のある部分のこと。
後述の昭和の新布石時代からよく打たれるようになった手。それ以前は置碁くらいでしかあまり見られなかった。
地に甘いというのは、相手に三々に入られるとほとんど地を奪われてしまうためである。
碁盤において、この地点がもっとも高い地点であり、端は地面という概念となっている。
後述の厚みが確定地ではない未来への投資であるのに対し、序盤から陣地になる可能性が高い場所を実利という。
実利をとれば厚みを作られ、厚みを作ると実利をとられるという表裏一体な関係にある。
盤上において影響力を及ぼすことのできる、しっかりと連絡して眼形の心配もない強力な石の集団である。
「厚み」は「薄み」に対する対義語である。囲碁で「薄い」というのは連絡が十分取れていない形、眼に不安がある石のことであり、相手に攻撃される可能性を持っている状態を指す。
これに対して強力な「厚み」は相手からの攻撃を受ける可能性が低く、周囲に近づいた敵の石に対して攻撃するための基盤となる。また、相手が近づいてこなければ大きな模様や地を形成する拠点となる。
大きな地になりうる可能性のある勢力圏のことを指す。多くの場合、隅から辺、中央へ広がるものを呼ぶ。
手の順番や形を変え、定石等と比べることで本来の形に対して余計な石があることなどを評価し、効かし効かされを判断する。
1933年(昭和8年)に呉清源と木谷實が発表した、中央・速度を重視する新しい囲碁の布石のスタイル。それまでの小目を中心とした位の低い布石に対し、星・三々で隅を一手で済ませて辺や中央への展開速度を重視し、中央に雄大な模様を構築することを主眼とする。その斬新なスタイルと、これを駆使した呉・木谷の活躍により社会現象とも言えるブームを巻き起こした。
またAlphaGoの台頭以後、新布石時代に負けるとも劣らない布石の変化が囲碁界を席巻している。
例えば星への三々入りを序盤に行うの「ダイレクト三々」は相手に厚みを与えるため不利と言われていたがそれが平然と行われるようになった。
隣り合った隅・辺・隅の星を占める布石である。辺を打たず、隣り合った隅の星を占めるのは二連星と呼ばれる。中央に大きな模様を張ることを主眼としたスタイルで、武宮正樹が有名な使い手である。
安永流ともよばれる。星・小目・辺の星脇を組み合わせた配置である。
小目からシマリを省略して星脇へヒラく手法は、江戸時代初期に本因坊道策が使用している。
本格的な中国流の開祖は安永一とされ、中国には陳祖徳が広めたとされる。1965年の日中囲碁交流の際に非常に注目され、日本に逆輸入された。
右上空き隅、小目、相手の星へのカカリから星脇へのヒラキまでの一連の配置を指す。下図下辺の黒の配置がミニ中国流である。右上隅の着点は必ずしも決まってはいないが、星との組み合わせが最もよく打たれる。平成期に流行した構えだが、すでに400年ほど前に本因坊道策が試みていた。このため道策流とも呼ばれる。
序盤早々、周囲にまだ石がない段階で、相手の星に対して直接に三々に打ち込んでいく手段を指す。かつては全く考えられていなかった戦法だが、AlphaGoなどの人工知能がこの手を打つことから注目され、人間の棋士の間でも広く採用されるようになった。ダイレクト三々の名称は、2018年5月から河野臨によって週刊碁の連載のタイトルに使われ、定着した。
囲碁の基本的な手筋のひとつである。アタリの連続で、逃げる側は盤がある限りは逃げることができるのだが、盤の端まで到達してしまうとどうにもできず、石を取られてしまう状態をいう。逃げきれるつもりでこの手順に入ると非常に大きな被害を受けること、シチョウアタリという攻守が全く逆転する危険な変化があることから、「シチョウ知らずに碁を打つな」という格言もある。
シチョウの追いかける先に相手の味方の石がある場合シチョウが成立しないので、この手を選ぶことが多い。
相手の石にフタをするように斜めに置き動きを封じる。
一旦相手のふところに石を打ち、一度は取られてしまうが取った後の姿がアタリになっていてすぐに相手の石を取り返すことができる。
漢字表記では「追い落とし」となる。 ツグ手を打っても引き続きアタリになり、取られてしまう状態をいう。別名をトントン、ツギオトシ、バタバタとも。
相手の石にも自分の石にも触れないような位置に、文字通り「置く」ように打つ手のこと。動詞では「置く」となる。多くの場合一線や二線など辺の低い位置の、敵陣の急所に打つケースを指す。
相手の二団以上の石を同時にアタリにし、二眼を確保する手段。文字通り相手を押しつぶすイメージであることからつけられた。着手禁止点を利用して生きる手筋である。
相手の石をアタリにし、自分の石を相手に取らせた上でもう一度相手をアタリにする一連の打ち方を指す。途中、さらに捨て石なども交えることもある。多くの場合、相手を凝り形にし、自分が形を整える目的で打たれる。また、攻め合いの場面で相手の手数を詰め、攻め合い勝ちに導く手筋としても用いられる。また、あまり効果のないシボリを「西洋シボリ」と称することがある(前田陳爾の造語)。
ある石のダメが詰まることで、各種の不都合が生じる状態を指す。「ダメの詰まりは身の詰まり」という囲碁格言があるように、不必要にダメを詰めてしまうことは身の破滅につながり、碁において戒められる事柄のひとつである。
駄目については後述。追記編を参照。
ヨセ(終盤のこと)において相手の陣地を侵食するための鮮やかな手筋。
一見繋がってないようなところに打つのだが、見事に繋がっていて相手の地をかなり減らすことができる。
盤上にある石の一団は二眼(空間が2つ)ないとゆくゆくは駄目(呼吸点)が詰まり必ず取られてしまう運命にある。
これはルールとして定められているというよりは、石は呼吸点を有してないと取られる、着手禁止点には打てないという2つのルールから導かれる定理のようなものである。
2つ眼があると、駄目が最低でも2つある状態と着手禁止点が2つある状態が存在するため、着手禁止点を同時に2つ塞ぐことはルール上できないので必ず取られない最強の存在となるのである。
この取られない石の状態のことを「生きている」と言い、この「生きている石」の内側の領域が陣地となる。
この石の生き死にさえ理解できれば、初心者の、どっちがどっちを囲んでるのか、これは内側も外側も囲んでると言えるのではないか、という疑問は消えるだろう。
相手にそこを継がれると眼となる部分に先行して打って欠け目にすること。
「打って欠く」(打ち欠く、あるいは内欠く)の意
相手にそこに打たれると完全な二眼ができてしまう部分に先行して打てなくする、相手の石の一団を殺す必殺の手。
隅に打った既存の石から陣地を確保するためにもう一手かけて領域の守りを固める手
ふたつ隙間を空けて打つ手
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自分の石の斜めひとつ空けた場所に置くこと。●から見て★の手のこと。
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相手の石の隣にくっつけて置くこと
相手の石を挟むように置くこと
相手の石の斜めに置くこと
相手の石のつながりを断つように斜めに打つこと
相手の石がそれ以上侵入してこないようにせき止める位置に置く石
相手の石を押すように平行に打たれる石
目外しへのカカリから発生する定石を指す。派生する変化型が多く、複雑な戦いになることから、大斜百変、大斜千変とも呼ばれる、難解定石の代表的なもの。天保頃より特に研究が進み、現代でも多くの変化が生まれ続けている。
小目への一間高ガカリに下ツケする形から発生する定石を指す。最初から接触戦となり、また変化型が多い難解定石の代表の一つ。石が接触しながら戦いになっていく様を「ナダレ」と形容された
小目への一間高ガカリに二間高バサミして生ずる一連の変化を指す。難解で未解明部分も多く、また変化型が多いために誤ると自らも傷を負うところから、村正にちなんでこの名が付いた。大斜、大ナダレとともに三大難解定石とされる。
竹の節のような並び。
一間空けて2:2で平行に並んだ形で、その間をどちらかを相手に打たれたらもう片方で繋がれるので絶対に切られることがない。
仏教用語ではひとつの宇宙が始まって終わるまでの途方も無い長い時間のこと。
囲碁においては、どちらかが譲らない限り永遠に循環してしまう特別な形があり、その形をコウと呼ぶ。
コウの形で石を取られた側はコウをすぐに取り返してはならず、一手別の場所へ打つ必要がある。
通常、白石はハマグリのくり抜きによってできているがそれが語源か。しらんけど
冒頭で説明。
限られた局面、特に序盤においてある程度決まった一連の手の応酬のこと。
定石は手練の碁打ちの長い研鑽、研究により成り立つもので、お互いに必然の手を打ち、双方ほぼ互角のワカレとなるのが定石の前提である
どちらの陣地にもならないどうでもいい地点の事を指すことから日常用語に転じた。
または、石から出ている呼吸点(全部塞がれると相手に取られてしまう)のこと。
囲碁において死活問題とは、相手の石を殺す、あるいは自分の石を活かすための問題(クイズ)のことである。
現代では上手(うわて)が白を持つが平安時代期には強いほうが黒を持っていた。
そのため
と転じたと言われている。
自分が第三者となった視点で戦いを見ると手がよく見える、あるいはそう錯覚すること。
一目は一子(石ひとつ)の意。
囲碁においては強さに差がある場合、相手より多く先に石を置いた状態で始めることから、相手の実力を認め敬意を示す意味に使われるようになった。
手を省くこと。
力を抜くことではなく、相手の打った手に付き合わず、その場所よりも価値の高い場所へ向かうことを言う。
囲碁にはいくつかルールがあり、基本的には江戸期~昭和期まで囲碁の第一人者であり、世界に囲碁を広めた日本のルールが用いられている。
日本ルールは盤上の囲った陣地(目)のみをポイントとするのに対し、中国ルールではそれを含め置いた石の数もポイントになる。
この2つの大きな違いは、日本ルールが自分の陣地に自分の石を置くことがマイナスとなるのに対し、中国ルールではマイナスにならない点である。
このことが死活に関わる局面や終盤の局面での手入れ、手抜きにおいて大きな違いを生む。
日本ルールでは曲がり四目と呼ばれる形が出現した場合、手を入れるのがマイナスになるためそれが死であることの証明を用いないと議論が生じる。
そのため中国ルールのほうが初心者に優しく、コンピューターにも優しい。
他には日本ルールでも中国ルールでも禁止されている自殺手がOK!というルールもある。
碁打衆を保護、「御城碁」の基盤を築く。近世囲碁の発展、振興に絶大な貢献。(日本棋院表彰ページより引用)
永禄2年(1559年) - 元和9年5月16日(1623年6月13日)
江戸幕府における囲碁の最高位だけにとどまらず、将棋の最高位も得た二刀流。
大橋宗桂との将棋対局は将棋の現存する最古の棋譜でもあり将棋界においても重要な人物の一人。
正保2年(1645年) - 元禄15年3月26日(1702年4月22日)
手割りや布石など、数々の発明を生んだ天才棋士。史上最強という呼び声も高い。
文政12年5月5日〈1829年6月6日〉 - 文久2年8月10日〈1862年9月3日〉
ヒカルの碁で著名。
1874年(明治7年)6月24日- 1940年(昭和15年)1月18日
またタイトルとなる前の、「名人は一世に一人」の終身名人制時代の最後の名人でもある。
引退後に本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、選手権制の本因坊戦創設に導いた。2008年囲碁殿堂入り。
「オマ●コ」発言など、昭和の棋士らしい数々の破天荒なエピソードが有名。
棋聖 6期 (1977-82)
名人 2期 (1962・70)
天元 1期 (1975)
――毎年20億円の売り上げを生む企業を、もともとの経営メンバーは3000万円で売ろうとしていました。その理由は毎月発生する2000万円の赤字と、14億円という負債が大きかったのだと思います。数字の大きさから、普通は「手を出すのをやめよう」と思いますが、田中社長はなぜ再生させようと思ったのですか?
特に理由はないですね。当時OWNDAYSの再生案件がなかったとしても、何か他の案件を手掛けていたと思います。OWNDAYSの再生案件がなかったら、どこかの会社で自分が会社員をやっているとは思えません。僕は20代からビジネスをやっていて、いつか社会にインパクトを与えたいと思っていました。
OWNDAYSがなかったら、もっと負債の大きい会社を買っていたかもしれないし、自分が当時やっていた会社でもっと大きな負債を負っていたかもしれないです。
――かなりアグレッシブですね。OWNDAYSを買ったときから考えて、現在の自分に対して思うことはありますか?
そうですね。正直なところ、いまの自分の状態がとても不満です。40歳のときには航空会社を買っている予定でしたから(笑)。20代の自分が考えていたスケール感と比べてしまうと、現在の自分のスケール感の小ささには不満というかジレンマがあります。
メガネ店を買っちゃったからかなぁ……。それこそ、ゲーム会社をやっておけばよかったなぁとか。こんなに苦労して、こんなもんかぁって思うときもある。自分を卑下して考えてしまうときも多くあります。でも、40歳を過ぎて、人生がいろいろ分かってきて、仮にゲーム会社やIT企業を経営していても、そんなにいまの規模感と変わらなかったのかなぁとも思います。「あのときにこうしていれば、こうだったかもしれない」っていうシミュレーションには意味がないのかもしれないですね。
よく考えたらメガネの販売だけじゃなくて製造もしてる、製造業なのね
BethesdaやActivision BlizzardをXboxが買収した件に続き、規模は少し小さいがBungieをPlaystationが買収した。
もちろん巷で言われているようにXboxやPlaystationというビジネスの強化ももちろん大きな目的ではあるだろうが、
個人的には過去10年近く続いてきた「開発費という賭場のレートを無理矢理引き上げて対戦相手をギブアップさせる」という
大手パブリッシャーのゲーム市場における戦術の末路という感じがしている。
半導体不足がそもそもの賭場の拡大を阻害しているという想定外のトラブルも大きな原因ではあるだろうが
自分たちで上げてきた博打のレートがいよいよ自分たちの首を絞め始めて悲鳴を上げていた博徒が賭場を仕切っていた組に囲われている状況に見える。
Bethesdaは正にそれで、インフォグラフィックスで華々しい数字を掲げたところで、TESシリーズにしろStarfieldにしろ莫大な金がかかるのに
外したら会社ごと傾くような状況だったわけで懐を支えてくれるパトロンは必須だっただろう。
Activision Blizzardは普通であれば特に囲われる程苦しい状況に居たわけではないだろうが、
セクハラ問題という爆弾が弾けたことで屋台骨が揺らいだところを上手くxboxに攫われたというのが正しい感じか。
Bungieについては、MSから飛び出してActivision Blizzardを頼ってDestinyリリースしたけどそこからも飛び出して、結局Playstationに囲われた。
正直、開発中のタイトルはあるだろうが、表に出たのがDestinyシリーズしかないBungieに4100億の価値があるかというと微妙だと思うが、
「xboxの屋台骨であるHaloブランドを立ち上げたスタジオをPlaystationが買収」というニュースには価値があるのは確かなのでその辺も加味されたうえでの買収額かな、とは思う。
ただまぁ、Bungieも賭場のレートを引き上げる施策にずっと噛んできたスタジオで、いろんなパトロンから逃れ続けてきたところなので
自分たちが上げてきた賭場のレートに苦しんでいたにも関わらず頼れる先があまりないという状況ではあっただろうから、Playstation傘下に入るのは自然な流れだとは思う。
他に行く先なんかそう多くないしね。
賭場のレートが上がることで儲けていた賭場を仕切る組が、結局自分たちの身銭を切って賭場の保全に乗り出さざるを得ない状況になってきている。
これから先もっと博徒が囲われるのか、半導体不足が解消され賭場拡大が再度加速できればまたレートが上がっていくのか、そうなったときに他の博徒はどうなるのか?