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はてなキーワード: 広辞苑とは

2020-09-21

anond:20200921074535

グーグル合同会社(Google日本法人) はしてませんが

 

いつもの増田はてなフェミニストってよく見るからなんだろうってググったらこんなのが出てきた

       1.女権拡張論者。

       2.女に甘い男。

 ↓

英語フェミニストググると違う結果になるぞ

その結果は日本辞書を参考にしてるからだ (たしか広辞苑。そして広辞苑も多少マシな表現に直したはず)

日本自称フェミニスト出羽守Google日本辞書に 甘いと言われても仕方ないのでは?

なお、グーグル合同会社(Google日本法人) のレベルについてはノーコメント

 

英語でググった場合グーグルさんの答え

Dictionary

 

fem·i·nist

femənəst/

 

adjective: feminist

relating to or supporting feminism.

Dictionary

 

fem·i·nism

feməˌnizəm/

 

the advocacy of women's rights on the basis of the equality of the sexes.

 

2020-09-20

anond:20200920150521

圧力があったものだけ見ると

人工知能学会

ブレンディCM

志摩市キャラ

のうりんキャラ

うな子

資生堂CM

駅乃みちか

東急電鉄

環境省君野ミライ

ちふれCM

ユニ・チャーム

VOCE記事

宮城県壇蜜

サントリーCM

ゆらぎ荘

岩波書店広辞苑

池袋マルイ写真

キリン午後ティー

ワコール

ヤフー

花王

ワーナー

などなど、「価値観が変わった」ではなく、「圧力をかけた」ケースなので。

枚挙にいとまがない。

この手の圧力をかけて撤回させたケースを認めるのならば、間違いなく右派系も同じことをやりだすし実際やりだしてる。

2020-09-12

きょう‐よう【教養】ケウヤ

学問芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。

(広辞苑第六版)

2020-08-16

スゴい良いこと思い付いたんだけど!

辞書広辞苑って、電子書籍で出せば軽くて便利なんじゃない?

2020-08-10

それは日本だけなので anond:20200810213905

英語ググると違う結果になるぞ

その結果は日本辞書を参考にしてるからだ(たしか広辞苑。そして広辞苑も多少マシな表現に直したはず)

日本自称フェミニスト出羽守Google日本辞書に 甘いと言われても仕方ないのでは?

なお、グーグル合同会社(Google日本法人) のレベルについてはノーコメント

 

英語でググった場合グーグルさんの答え

Dictionary

 

fem·i·nism

feməˌnizəm/

 

the advocacy of women's rights on the basis of the equality of the sexes.

2020-08-06

あのー少なくとも 百万円規模ではないプロジェクトの大切なやくわりだった気もしなくもないのですが

接待を伴う飲食店という言葉最近マスコミに多く

登場するようになりました。

広辞苑という単語も気になり始め

営業とは何かについて1度意識泡絵をしませんか?

2020-07-30

実家の方では、本を手裏剣のように投げて遊ぶ習慣があった

本を水平にして、本が開く側の角に近い位置を持つ。

手首で強くスピンをかけて、手裏剣のごとく、水平方向に回転させながら投げるのだ。

野球ボールのように手首を縦に振ってスピンをつけるのは、手首の構造上、わりと楽だが、本の場合は横に振ることになるので難しい。

そのためには持ち方が重要で、手を添えるように持つのではなく、指先だけで摘まんで持つのだとよく指導された。

なるべく本の角に近い位置を持てと言われたのも、今考えれば、手首から距離を稼いでモーメントを大きくするためだったんだろう。

本の角を摘まむなんて行動は日常に無く、そのたびに指が吊りそうになるわけだが、練習すると痛みにも慣れてきた。

やがてスピンは良くかかるようになり、本の飛距離も伸びて嬉しかった。

あと、物体は上側45度方向に投げた場合が一番飛ぶと言われているが、本の場合、それだとバサッと空中で開いて落ちてしまう。

そのため、本を投げる場合は、水切りの石のように、水平に投げる方が良く飛ぶとも言われた。

から、河に行って水切りの練習もした。

徒然でなく、目的意識を持って水切りしたのは、後にも先にもあの頃だけだ。

指を吊ってまで本を投げるのに比べたら、それは授業で眠りにつくくらい、無意識簡単だった。

それゆえ、河幅はそこまで狭くなかったが、石はたびたび対岸まで跳ねてしまう。

対岸に人が居ると練習ができず、シュッシュッと口に出しながら、手首を何回も「素振り」して練習に勤しんだ。

当然、薄くて大判な本ほど、空気抵抗が弱く、回転力が増すため飛びやすい。

すると、遊びの目的はいかに厚手で小さい本を飛ばすかに移ってくる。

小さいのでいかに手早くスピンをかけるかが勝負なのだが、それにもまして、厚手になるその重量に手首が負けてしまう。

スピンでの痛みは捻るような感じなので、捻れが戻るようにそのうち消えてしまうのだが、重量による痛みはグキッと来る致命的な痛みだった。

さすがにまずいと思って重量にこだわるのはすぐ辞めたが、一度だけ、広辞苑学校体育館の向こうの壁まで飛ばしときはとても嬉しかった。

今なら、鳥人間コンテストで対岸まで届いた人を見た気分とでも言うのだろうか。。

まあ、利き手利き手首?)は1週間くらい使い物にならなくなって、ノート左手で書いたり散々だったが。

もしくは飛距離を競うこともある。

こちちは手首への負担という点では、それほど問題ないのだが、費用的な問題が壁となる。

長く飛ばしたいとなると、体育館倉庫でも借りない限り、飛ばす場所は野外になる。

(ちなみに、学校廊下は長さ的に十分だったが、他の生徒にぶつかる、蛍光灯を割るなどのイベントを経て当然禁止されていた。)

すると、本は飛ばすたびに土や泥で汚れてしまう。

ある程度の汚れだと、本のページとページがくっつくので、逆に飛距離が伸びることもある。

それを「本が締まる」と呼んだりしたわけだが、それでも表紙面に付着する泥が多くなると、真っ直ぐ飛ばなくなる。

それゆえ、本には定期的な買い替え需要が発生する。

いや、野外で飛ばす人でなくても、少しでも飛ばしやすい本を求めて本を買い漁ったりする地域性なのだ

紙飛行機感覚で本を飛ばそうとする地域性なのだ

当然、古本屋もそういう需要を見越していて、価値はわからないが、とにかく薄くて大判な本を多めに扱っていた。

それは、ブックオフで100円なのにいつまでもまれている価値薄い本とでも言えばわかってもらえるだろうか。

そういえば、古本屋でいつまで経っても同じ本が積まれているというのも、大学入学で家を出るまで知らない現象だった。

そういうわけで、飛ばして遊ぶだけの内容がわからない本が、家にはいっぱい置いてあった。

から子供の頃は、どんな家でも2種類の本棚があると思っていた。

読む用と飛ばす用と。

後者は家の外に置いておくのが普通だったが、大人になってからは、そんな習慣は世の中に無いのだと聞いて、

逆に、汚れた本まで家に持ち込むの?家の中がドロドロになるのに気にしないの?と勘違い勘違いを重ねたこともあった。

あと、地元以外の家だと、壁に本をぶつけた傷が無いことも新鮮だったな。

あれ、窓を割らないように投げるもんだから、窓と反対側の壁によく付けちゃうんだよ。

花瓶や壁掛けの絵画なんかも、実物は大人になってから初めて見た。本を投げて壊すかもしれないから、実家には無かった。

そして図書館は、飛ばすための「道具」が揃う夢の場所だったが、当然そのような行為禁止されていた。

「本を飛ばして遊ばないでください」なんて掲示が貼られていたのは、うちの地域ぐらいのものだろう。

図書館においてだけ、本は本来存在意義を保つことができたのだ。

それでも、貸出を受ければ誰も見ていない。

図書館には必ずと言っていいほど、変なページで曲がり、ホコリや泥の付いた本があった。

図書館の本がこんなにキレイ管理されてる!と知ったのは、やはり実家を出てからのこと。

そういえば、実家近くの狭い公園にも同じ掲示が貼ってあったな。

野球ボールじゃなくて、本で近所の家のガラス割るっていう経験も、子供にはよくある経験だと思っていた。

うそう、良い子は真似しないでね。

2020-07-25

植松人間非人間の線引きの意識があり、第三者同意なく(意思表示できなければ)殺して良いとする優生思想だが、

大久保山本は腐っても医師なので「全ての医療行為患者同意がいる」としており、終末医療の在り方と医療経済学的な問題意識だと思う。

欧米合法化されている終末期の安楽死尊厳死は、"命の選別"とか"優生思想"ではないのだが

マスメディア政治家がその辺りを混同してるのは意図的なのかバカなのか。

優生学(ゆうせいがく、英: eugenics)は、応用科学に分類される学問一種で、一般に「生物遺伝構造を改良する事で人類進歩を促そうとする科学社会改良運動」と定義される[2]。

 優生学とは,「人類遺伝的素質を改善することを目的とし,悪質の遺伝的形質を淘汰し,優良なものを保存することを研究する学問である(『広辞苑 第6版』岩波書店,2008)。

2020-07-02

広辞苑かな? 依頼 とは 頼んで任せること

まり 権利主でないと 任せられないので これは私の著作物なので 修正せよ 等の場合に 依頼する そうでない場合は 願い出る とおもっていたけど 辞書によってちがうのかもな

謙譲語とか尊敬語とおなじで 言葉遣い立場所有権を表すといわれると 難しいな 日本語

考え方が違うサークルなんだろうな

迷惑かけちゃった

2020-02-10

「一転攻勢」「ガバガバ

この辺完全に人口膾炙した感ある

後者はまあもともとある表現だけど、絶対アレなしに今の使われ方にはなってない

この前それなりにちゃんとした感じのネットメディアかなんかで一転攻勢みて度肝を抜かれたんだよな そのうち広辞苑に載ったりして…

2019-12-18

anond:20191218060256

男性セクハラを嫌だと思っている」という声がなかなか上がってないのが問題だよね・・・

上げてる人が少ないから上げづらいだけだと思うんで、アナウンスメント大事だな、と。

「お前朝立ちしてんの」「クリスマス彼女とお楽しみか?」みたいなコミュニケーションが実にうざい。

後者ゲスすぎて広辞苑キンタマなぐったろか、と思った。

それやると会社クビになるのがこっちなのが面倒だ。

喋ることがなくなると下ネタにはしるやつって、中身空っぽなんだろうな、と。

それが同性であっても人を不快にさせることがなく、素で面白い話だと思ってるからするんだろうな、と。

自分で何も人と会話する内容がないから、やたらこっちを掘ってくるのも理解できてきた。

周囲にそう思われてないだけでコミュ障なんだろう。

下ネタしか喋らないコミュ障って悲惨すぎるけどな。

2019-12-07

わりとまえに「空の青さを知る人よ」をみてきた

まゆげ最高。まゆげダイブマスクに変身して大怪獣シャーク・ズレーと戦うクライマックスシーンは涙無くしてみられなかった。

あの日見た花の名前はあおいというのだわたしは知っているぞって感じの映画だった。主人公からしたら、え、私が花だったの!? って感じかもしれんが。もともと幸せだったお姉ちゃんさら幸せになる話なので、陰鬱な見た目に反してめちゃめちゃハッピーにあふれている。

マリ作品、だいたいいつもしあわせのかたちが花に仮託して語られる。失って初めて気づく過去幸せ時間あの日見たまだ名前を知らない花だし、孤児たちが夢見る幸せの形は決して枯れない鉄の華だし、ともに過ごした日々が幸せであったとこれからもずっと覚えていようと約束するのはさよならの朝に贈られる約束の花だった。その上で空青はタイトルの時点で既に私にとって花はあおいであると知っていると高らかに宣言している。あおいこそは私の幸せなんだと。

これは幸せを求める人の話ではなく、すでにそこにある幸せを大切にして生きている人の話だ。

さよ朝が子供を育てる子供の話だとすると、空青はその反対の、子供に育てられた子供の話で、さよ朝が子育ての話なら、空青は子育てのあとの話。そう考えると、マリワールドの「子供」はオルフェンズで子を生んで、さよ朝で育てて、空青で子育てが一段落して、ようやく恋愛をする余裕が出てきた。

相生は、広辞苑曰く「二つのものがともどもに生え育つこと」だって

姉妹の話だとわかると相生という名字からして既にエモい

ここさけが横瀬の方の話だったんで、今回はその反対のミューズパークの方の話。あの花は市の中心部の話だったんで、同じ秩父とはいえ実は毎回微妙舞台が違ってる。

個人的な話だけど、秩父相生町(主人公の住んでるとことはまた別の地域じんたんとかの住んでるあたりに近いかも)に親戚がいるので、なんかそれだけで親近感が湧く。あとわりと年上の独身の超美人重要)の従姉妹とかもいるので、そのへんの親戚と相生姉妹が重なって見えて、これは私のための映画だって勝手に感極まってた。

2019-11-19

anond:20191118225700

英語の fast food に対する日本語は「ファーストフード」(ローマ字表記: fāsutofūdo)というカタカナ表記発音が主に浸透した。日本放送協会 (NHK) が2002年度(平成14年度)に行った調査では、「ファーストフード」と言う国民が72%と、多くを占めた。広辞苑(第6版)、明鏡国語辞典(第2版)、ジーニアス和英辞典(第2版)などの見出し語も「ファーストフード」が用いられている。

問題無いというレベルか?これ。

2019-10-13

語るに落ちる− 逆引き広辞苑

抹殺されるのは間違いないだろう

2019-08-23

電磁波攻撃を見くびっている奴は愚か

広辞苑よりも分厚い、それこそ何百倍何千倍何万倍という情報電波が体中を行き交ってるんだぞ

影響ないと盲目的に信じられる奴こそが愚かで愚鈍で狂ってるよ

2019-08-07

後夜祭

‪後夜祭という学園祭の最終日内部向けイベント名前だけど、新語感ある。いつから使われ始めたのだろう。広辞苑でも掲載されているが、学園祭体育祭限定した言葉といって良いから、神道や、仏教関連では使わなそう。

2019-08-02

恋愛」の定義

広辞苑』第6版では「男女が互いに相手こいしたうこと。また、その感情。こい」と簡潔に記し、さらに「恋い慕う」は「恋しく思って追い従おうとする。恋慕する」と記す。その「恋しい」は「1 離れている人がどうしようもなく慕わしくて、せつないほどに心ひかれるさま」「2 (場所事物などが)慕わしい。なつかしい」と歴史的用法を踏まえて説明する。

(出典:日本語版wikipedia-恋愛

>離れている人がどうしようもなく慕わしくて、せつないほどに心ひかれるさま

美しい

2019-07-02

創価学会葬式に出た

少し前の出来事だ。ここ10年くらいの間である

後々調べると友人葬というものだった。

増田の身内なので増田は全儀式に付き合うことになった。

自宅で行われたそれは途中までは基本の葬式の形と同じだと思っていた。

しかし坊さんがこない。増田はああい宗教通夜に出るのは初めてだったので戸惑った。

司会は儀典長というスーツの人がとりしきった。地区ごとに割り振られているらしい。

その人は故人が亡くなった日から通夜葬儀までちょいちょい顔を見せに来ていた。

池田大作電報を持って来たりもしていた。

そのたびに故人の家族お茶を出したりお相手をする。

増田は故人家族とは距離を置いていたので、少し離れたところからその様子を見守った。

故人のことをよく知ら無さそうな人が死んだばかりの顔を見に来る。

故人の兄が、その人から守るように故人の側にずっといた。

増田は故人が学会員ということも知らなかったのだが、どうやら故人は結婚してしばらくたってから嫁家に学会員にさせられたらしい。

熱心なのは嫁ということになる。家の中には池田の本がずらりとそろっている。本屋に売っているようなものでは無いぞ。広辞苑みたいにな分厚さだ。

そんな嫁主催通夜の始まった。

どこぞの誰か分からない人たちが家の中に押し寄せる。

流れは普通葬儀と同じだが、儀典長おっさん)が坊さんがすることをする。

勿論お坊さんと比べればお粗末なものである正座で足がしびれていたくらいだ。

しかし始まってから、決定的に違うことが起きる。儀典長のお経読みが始まってすぐのことだ。

「なんみょーほーれんげーきょー!なんみょーほーれんげーきょー!!」

地響きがするように大きな声でほぼ全員が読経しはじめたのだ。しかも暗唱だ。

10分くらいだと思うのだが1時間くらいにも思えたその時間増田パニックだった。

増田の周りに宇宙人が居る気がした。知っている親戚たちじゃなかった。

増田は、彼らのことを何も知らなかった。

思えば父親に守られて遠ざけられていたのだろう。

どちらかといえば無神論者増田は、故人の写真を見つめながら「どうしてこうなったんだ故人」と語りかけた。

勿論返事は返ってこない。気付けば泣いていた。怖さよりも、悲しさが優っていた。

儀典長正座でしびれた足をほぐして立ち上がり、池田大作の生死論を語る。

そして贈られていた盾の話と、「創価学会名誉本部長」の称号を与えることを伝えてきた。

なんだそれは。わからない。理解したくない。

ぐったり疲れたのだが、ここでさっきまで居た親戚たちのパートナーが式自体に参列していないことに気付いた。

逃げたのだ。それは正しい選択だった。しかしきっと自分たちも故人のようにされてしまうかもしれない。

今は逃げていても、もし死ぬと分かった時、彼、彼女たちは果たして学会から逃げることができるのだろうか…。

まぁ…そこでなぜあの一家が揃いも揃って離婚再婚を繰り返しているのか納得いったのだが…。

翌日行われた葬儀もほぼ同じメンツだった。違うのは南無妙法蓮華経を暗唱する子供たちが居たくらいか

相変わらず弔問に来る人たちは故人を知っているわけではない。

それもそのはずだ。故人が弱っていくときに無理やり嫁が引っ越したのだ。

故人が生まれ過ごした場所では無かったのだ。

地元なら、どれだけ多くの人が来てくれたのだろうと言う話を後々した。可哀想でたまらなかった。

さな家では足りなかっただろう。大きな会場を借りて、みんなが知っている人で、惜しまれてもらうことができたのではないか

良い人だったから。口をそろえて言う。優しい人だったと。

増田も故人が好きだった。好きだったけど、もう故人の事が分からない。

故人は死ぬ前にお金を故人の両親から持ち逃げしていたようだ。

どこにお金が行ったのかと考えたが、お金お金とうるさかった嫁が絡んでいるとしか思えない。とすると、そのお金はどこへ消えたのか…?

考えるだけで頭が痛い。

入った墓は、生まれ住んだ土地でも死した土地でも無い。縁もゆかりもない遠く離れた学会員が入る専用の墓地だ。

2019-06-30

anond:20190630011243

おやおや、ガイジなんて広辞苑にはのってなかったなあ

KKOのことも「児」よばわりなんて日本語が乱れてるねえイヒヒ

2019-05-30

現役校正者が書く校正フローとかの話(追記しました)

現役の校正者です。出版社校閲所属ではありませんので、多くの出版社とお付き合いさせていただいてます

幻冬舎見城徹社長インタビューhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12205_1.php)と、そのブコメ拝読していて、いろいろと解説できることもあるかもしれないな、と思いましたので、一般的校正フローがどういうものか、ということについて、増田で書いてみようかなと思います

注意書き


校正フロー全体の流れ(一般文芸小説などの場合

初校ゲラを作る
  1. 原稿が書き上がる
  2. 書きあがった原稿デザイナー(あるいはDTPオペレーター)に渡される
  3. デザイナーによって組版が行われる(よく「流し込み」と言います
  4. 初校ゲラの完成
初校チェック
  1. 流し込みされた原稿ゲラが、関係各所に渡される
  2. 時間をかけて読む
  3. 校正者、ステークホルダの初校戻しを編集者が受け取る
再校ゲラを作る
  1. 編集者が、それらの指摘&自身からの指摘を整頓してまとめ、著者に渡す
    • この段階で、一部の校正指摘は却下されます。一例としては、「誤解による指摘」「著者が過度に傷つきそうな指摘の表現をやんわりしたものに書き換える」などがありえます。誤解なんてないに越したことはないのですが、「意図的な仕込みだとは思うが、ミスだとまずいので念のため伝えておく」というような、杞憂に近い指摘も出てきうるので。
  2. 指摘の一覧を受け取った著者が、「指摘を採用する/しない」の判断をし、自分修正したい部分も書き加え、編集者に戻す
  3. 著者からの戻しを受けて、編集者&著者が最終判断をする
  4. 修正指示=初校赤字校が確定し、デザイナーに渡される
  5. デザイナー修正作業をする
  6. 修正されたゲラ=再校ゲラの完成
再校チェック
  1. 再校ゲラが、関係各所にまた渡される
  2. 時間をかけて読む
  3. 校正者、ステークホルダの再校戻しを編集者が受け取る
完成原稿
  1. 編集者が、校正者・ステークホルダの指摘&自身からの指摘を整頓してまとめ、著者に渡す
  2. 指摘の一覧を受け取った著者が、「指摘を採用する/しない」の判断をし、自分修正したい部分も書き加え、編集者に戻す
  3. 著者からの戻しを受けて、編集者&著者が最終判断をする
  4. 修正指示=再校赤字校が確定し、デザイナーに渡される
  5. デザイナー修正完了する

この段階で、完成原稿扱い(を目指す)というのが一般的です。なお、上記説明では「完成」の判定を誰が責任を持つのか、デザイナーDTPオペレーターの職分の厳密さ、あたりがすっぽ抜けているんですが、そこの解説は省略させてください。パターンがいろいろありますし、枝葉の話かと思いますので。

とても高い正確性が求められる書籍(例えば辞書)の場合や、再校での修正量が想定以上に多かった場合は、さらに「修正指示が反映されているか」「もう一回読み直し」とサイクルを予定している/追加していく場合もありますが、だいたい多くの書籍では「初校・再校」の合計2回まででまとめていると思います

日本国紀』はあのあり方、ページ数などからみて、三校、四校まで実施しているかもしれません。遠くから眺める限り、いろいろと大物な予感がしますので、ちょっと再校まででは済まない印象がします。単なる勘ですけど。そういう意味では、インタビュー内の「通常の3倍以上」というのは、六校、七校まで実施した、という意味かもしれないな、と思っていたりします8-)

剽窃チェックについて

校正作業を行うにあたっては、「リスク認識した場合、そのリスククリアするためのチェックフローを追加する」というスタイルがよく採用されます。実務に沿って言い換えると、まずは「編集者からの依頼としてチェック項目のリストが渡され、それを元に読み進める。そして、実際に校正作業を進めてみて新たに発見されたリスクについては、適宜、リスクに応じたチェックを追加する」という形です。言葉にすると当たり前なように聞こえるかと思います8-)

これを剽窃チェックにあてはめると、「この原稿にはWikipediaコピペが含まれていそうだ」と判断した場合に、「Wikipediaコピペを検知するための確認作業を追加する」ということになります

Twitterで、小池みきさんが「社内校正ときに「ウィキコピペをしてないかチェックする」って作業があった」とお話されていました(https://twitter.com/monokirk/status/1133240351123099648)が、これは、続きの「ネットに詳しくないおじいちゃん郷土史家とかはけっこうやってしまうので」というのが重要ポイントで、リスクが高い状態がすでに認識されていたからこそ、コピペチェックが定型フローに含まれていた、ということだと思います

なので、「『日本国紀』はWikipediaコピペのチェックもしていないのか?」という問いに関しては、「百田尚樹先生文章について、なんらかの剽窃リスクが高く見積もられていなかったならば編集者から提示された最初校正依頼の項目に『コピペチェック』が含まれていなかったとしても、特別おかしいとまでは言えないと思う」という回答です。

そもそもとして、剽窃絶対にしてはいけない・出版倫理にもとる、というのが大前提なので、「著述家として実績を積み重ねた方であれば、剽窃不適切引用はしていないはず」という認識を基本とするのはわりとベーシックです。例えば飲食店において「お客様は全員きっと食い逃げするに違いない」という強いリスク感を持つのがさほどノーマルではない、みたいなことで、「剽窃あるかもしれない」とは考えますが、「剽窃あるはずだ」と強く疑ってチェックを重ねるのはコストが嵩みすぎる、という判断します。「存在する可能性が高いものを探すコストをかける」のと、「存在しない可能性が高い(と考えられる)ものを探すコストをかける」のは現実的には違うのです。校正作業にも締め切りや予算がありますから

ですから、多くの校正作業においては、「この原稿コピペが入ってるのでは? 剽窃かも?」というリスクをどこかではっきり認識したら、その時点からコピペチェックを追加します。「おそらくあるはずだ」に頭を切り替えるからです。「私の場合は」という但し書きはつきますが、おそらく多くの校正者がそうしているでしょう。

では、「最初偶発的に発見するしかないの?」という問いに関しては、「はい。ある程度は偶然に頼ります」というアンサーです。ですが、ベーシックファクトチェック実施していれば、どのみち辞書インターネット・専門書等を駆使して大半の単語記述を見比べながら読むこととなり、「剽窃不適切引用が多数存在した場合、そのうちのどれかひとつ発見する」という可能性はそこまで低くないと思います特にWikipediaからコピペ発見は多少は期待できます。実際、私自身も何度もそのような経緯でコピペ事例を発見したことがあります検索さまさまです8-)

一方で、参考文献のリストそもそも共有されていなかったり、それが不完全だったりすれば、「どこから引っ張ってきたのか」の見当をつけることさえできないので、かなり発見が難しくなります

日本国紀』で校正フロー機能してない問題全体の話

校正作業チェックリストの項目)は追加すれば追加するほど期間と金コストがかかるし、無限時間をかければ当然ペイしなくなってしまます。なので、特に校正フロー最初においては、クリティカルな点や、質への貢献が高い項目を重点的に校正する、というのが多くの場合の実情です。

作品固有の事情として、『日本国紀』がどういう売り方で、どれくらいの期間、どれくらいの利益企画していたか、ということは外側からではわからないので、「通史で全部のファクトを細かくチェックしていけば、校正だけで5年はかかります」というコメントから、「じゃあ5年かけろよ」とだけ言って終わらせてしまうのは、理想的ではあるものの、現実的可能かどうかはわかりません。

2019/05/31追記:「通史で」というところもポイントなんですよね。そもそも日本国紀』を通史相当とみなすのか否かから検討されなくてはならない。一般文芸書と学術書では求められるレベル感が違いますもの

金銭時間が膨大にかかる理想をすべての書籍に一律に求めることはできない実情は既にあるので、「『日本国紀』という作品については、どれくらい理想を突き詰められたのか、突き詰めるべきだったか」という評価判断と合わせての評価のほうが、現場にとっては建設的であろうと考えます。これは単に「校正現場にとっては」という話であって、思想云々、歴史云々の話は学術芸術的観点を含むため、また別枠だと思います。今回の増田でそのあたりを取り扱うつもりはありません。校正作業の話だけをします。

最初お断りしたとおり、私は『日本国紀』をまだ手にとっていないので、どれぐらいの校正コストが支払われるべき作品だったのかについて、特に言えることがないです。もしもこの増田に反応が多ければ、その時は目を通してみようと思っています。その場合見積もりのために数日ください;)

現に剽窃事実誤認誤記と見られる(らしい)記述存在したそうですから、「『日本国紀』において校正フロー全体は正しく機能していなかった」は正しいと言えるとして、ではその原因は何か?については妥当な推測ができません。例えば期間や予算がなかった、あるいは校正者の実力自体の不足で、(作品としての理想、読者の皆様からの期待の両面から)求められる成果にそもそも達していなかった可能性はもちろんあります。また、あるいは部分的に達せられていたとしても、編集の方、著者の方にご確認いただく過程で、指摘が却下されている可能性もゼロではありません。

校正者」という個人さらにその校正力にだけ、校正フロー機能不全の責が向かうとすれば、必ずしもそうとは限らないですよ、ということぐらいは言わせてください。

修正一覧を公開すべき論について

私は見たいです。勉強にもなりますし。

……という感想はさておき、インタビュー内の「版を重ねて修正するのはどの本でも当たり前のようにある」は事実です。また、特段の事情がない場合サイレント修正するのもよくあります

ただ、ごく短い期間で版が何度も更新され、さらに刷りを重ねているとなれば、最新の版以外を「古いもの≒正確でないもの」と認識した上で取り扱ってもらえるのが望ましいでしょうし、その必要性の度合は文芸小説等よりは高いと思います広辞苑記者ハンドブックなどを使用する際に「第◯版を使った」というのが重要視されるように、『日本国紀』第◯版読んだよ、みたいな感じで。

長くなってごめんなさい

増田でこんなに長くていいのかって思いながら書きました。すいません。

2019-05-12

筋肉哲学 自信と自尊心

外敵から身を守る必要のない現代において生命維持の面で(健康はさておき)筋トレ必要性は薄れている。

そんななか自分はなぜ筋トレをするのか、理由を考えてたらこんな問いが生まれた。

自信と自尊心って何が違うんだろうか。

自信・・・自分能力価値確信すること(広辞苑

あったほうがいいって言うけど、かといって在り方次第では嫌悪されるのはよくあること。嫌悪されるのは他者から見て能力が伴っていない時か?

自尊心・・・自分尊厳意識・主張して他人干渉を受けないで品位を保とうとする態度。(広辞苑

英訳するとself-esteem でありprideとは全く違う印象を受けるなぁ。

言葉を代えると自信は条件付きで自尊心は無条件と区別できるかな。(恋と愛の議論でもよくみかける...)

それに従えば筋肉が高めるのは自尊心ではなく自信となるけど、

ファッション自尊心を高めるというと疑問に思うけど筋肉自尊心を高めると言われたら前者ほど違和感がないのは自分だけか...?

大元の問いに戻ると自信がつくのも筋トレをしている理由の一つな気がする。

ファッションでもいいけど先天的な体格に左右されるし、評価する他者必要だし、コスパも悪い。

筋肉健康にもいいし、物理的な力は数値化できるからね。どういう風につければ美しいかは要勉強だな。

次は自信はなぜあったほうがいいのか考えてみるか。

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