はてなキーワード: 少年漫画とは
鮎川は中学校3年の時の同じクラスの女子だった。身長が高くて小顔。すっと通った鼻筋が印象的な美人だった。
校則で禁止されているのに、少し明るい色に髪を染めていて生活指導によく目をつけられていた。
当時はアムラー全盛期。クラスの女子はみんなルーズソックスくらいは履いていて、ギャルっぽい格好が普通だった。
その中でも彼女は少しヤンキーっぽくもあり、大人びた雰囲気もあり、いつも気怠そうな感じで「圧」があった。
休み時間に仲良くする友達も少なかったので、漫画の模写ばかりをして昼休みを過ごしていた。
無論、下手くそな絵を見られるのが嫌だったので、音楽室の隣の空き教室にいつも忍び込んでいた。
うちの中学校では3年生が町内10キロを走るマラソンが1番の目玉だったが、
そんな時「大看板を描いて、当日応援すればマラソン免除」という体育祭実行委員の役職は、
あまりに魅力的で、すぐに飛びついた。立候補したのは、俺と鮎川、鮎川と仲の良いギャルの3人だった。
例年、体育祭の看板は、ナウシカや紅の豚などのジブリ作品が描かれることが多く、
ついでドラゴンボールやエヴァなどの少年漫画がモチーフとされた。
自分は特に描きたいものもなかった(というか、模写してる絵は萌え絵ばかりだった)ので、
二人の話の成り行きを見守っていたところ、鮎川が「今日から俺は!!」を描きたい。と言ってきた。
当時サンデーを読んでいなかったこともあるのだが、ギャルがオタクの自分が知らない作品を挙げたことにびっくりした。
話を聞いてみると、高校生のお兄ちゃんがいるらしく、兄の影響で読み始めたがめちゃめちゃ面白いので、
その絵を描きたいという。俺は漫画の内容を全く確認せずにOKした。
翌日、鮎川が「今日から俺は!!」の漫画を10冊ほど持ってきた。とりあえず、読んで欲しいと。
ごりっごりのヤンキー漫画であった。特攻の拓や湘南純愛組!のようなヴァイオレンス&コメディー。
中学校の体育祭の看板にヤンキー描いて大丈夫か?という不安がよぎった。
しかし、鮎川に意見できるわけもなく、主人公の三橋と伊藤の絵を描くことになった。
製作が始まると、友達のギャルはなんだかんだ理由を言って、すぐに来なくなった。
しょうがないので二人で作ることになった。鮎川は複数のコマから
「このコマの三橋と、この表紙絵の伊藤を組み合わせた、殴りかかるような絵」にしたいと、
細かく指定してきた。彼女のこだわりはよくわからなかったが、俺はオーダーに応えた。
「増田、超絵うまいじゃん!漫画家なれるよ!!」と謎に褒めてくれた。
1週間も一緒に作業していると、ポツポツと話をするようになった。
4つ離れた兄と2つ歳上の兄がいること、浜ちゃん(友達のギャル)は最近塾忙しいから、
手伝うの難しいのわかってて無理に誘ったこと。
自分は商業高校行こうと思ってるから勉強しなくても余裕だということ。
目の前にいるのは気怠そうな怖いギャルではなくて、ただの普通の可愛らしい女子だなと思った。
女の子からそんな身内話を聞くのは初めてで、俺は多分恋に落ちていた。
提出日の前日、19時過ぎ。仕上げ剤が乾燥するのにもう1〜2時間ほどかかった。
家の遠い鮎川があんまり遅くなるのは良くないかと思い、先に帰した。
先生にもう少し居残る旨を職員室に伝えに行き、戻ってきたら1枚のメモ書きが残っていた。
体育祭は無事に終わり、懸念していたヤンキー絵ということで教師から怒られることも無かった。
クラスは受験一色に雰囲気が変わり、鮎川とはまた話す機会もなくなった。
それから数年後。成人式の時、久しぶりに中学校時代の同級生と再会した。
特に仲の良い友達もいなかったが、飲みに行くというのでついていった。
鮎川は来ていなかったが、思い出話の中で彼女の名前が出てきた。
彼女のお兄ちゃんは有名なチーマーのヘッドでめちゃくちゃ怖かったこと。
そして、お兄ちゃんの友達と当時付き合っていたらしいということ。
数年前、池袋を派手な格好で男性と歩いてるのが最後の目撃談だったこと。
俺が見えてた世界と、彼女が見えてた世界は同じ場面でもきっと全然違ってたんだろう。
でも黙々と絵を描いている彼女の横顔は綺麗で、今でも覚えている。
腐女子だけど男女カプも好き
個人的には日常生活にはなかなかない大きすぎる感情を向け合う人間同士が好きなだけだから少年漫画では男同士になりがちなだけ
ただ公式のカップル引き裂く腐女子もいるからそこは理解できないしする気もない
例に上げてる双子も血縁関係なかったらハマってたなーと思いながら読んでた。まぁ弟女作るし全部私には合わなかった
同じ作品のBLにハマってるけど推しカプはどっちもフリーで大きすぎる感情があるから個人的には満足で血縁関係もない
モテない女が腐をこじらせると男女カプには厳しくなりがちだなとは思うけど、逆に捏造ノマおばさんもいるから世の中って難しいよね。
腐女子だけど男女カプも好き
個人的には日常生活にはなかなかない大きすぎる感情を向け合う人間同士が好きなだけだから少年漫画では男同士になりがちなだけ
ただ公式のカップル引き裂く腐女子もいるからそこは理解できないしする気もない
例に上げてる双子も血縁関係なかったらハマってたなーと思いながら読んでた。まぁ弟女作るし全部私には合わなかった
同じ作品のBLにハマってるけど推しカプはどっちもフリーで大きすぎる感情があるから個人的には満足で血縁関係もない
モテない女が腐をこじらせると男女カプには厳しくなりがちだなとは思うけど、逆に捏造ノマおばさんもいるから世の中って難しいよね。
彼女らは必ずしも「同性愛の恋愛ドラマ」が好きとは限らないと思う
黒子のバスケにしろ弱虫ペダルにしろ、古くは聖闘士星矢だのキャプテン翼だの
ふつうの少年漫画がほとんどで、劇中本編に直接、男性同士の同性愛描写はない
つまり、たとえばチームメイト、戦友、主従、先輩後輩、ライバル等々の
「『男同士の関係性のドラマ』を過剰に深読みすること」が好きなのだろう
実際、おっさんずラブみたいとかに、最初から主要登場人物がゲイであることが前提
「空想の余地がない」から盛り上がれないと述べる腐女子は実在する
・
・
・
俺は男なんだけど、以上に気づくのに20年ぐらい掛かったw
2000年年代の東方二次創作でストーリー性の高い百合同人誌の傾向が
だいたい男女をひっくり返して同じような感じだったから
・
ではなぜ、腐女子は「(同性間の)関係性のドラマ」が好きなのかといえば
男女間だと関係の形が性的役割分担に回収されるのが面白くないという説がある
そらなあ、女性が強くてかっこよくて金のある男とくっついて救われるとか
・
普通のヘテロ恋愛を描いた作品よりBLだの百合だのを好む奴というのは
トラバにもブコメにも「何で腐女子だけがこんなに文句を言われるんだよ?」と怒る腐女子らしき書き込みがある。
何で腐女子だけが文句を言われるかというか腐女子に対して文句を言う人が居るのかというと、答えは考えるまでもない。
文句を言ってる人の好きな作品で腐女子が目立ちすぎて文句を言ってる人が気になるような事をしたんだろう。
女性向けの乙女ゲーやBLゲームをわざわざプレイして文句を言う人が極めて少ないから接点は無いと思うかもしれない。
ところが腐女子というのは少年漫画に出てくる男キャラ同士のやり取りを妄想の燃料にする訳だから、腐女子を見たくなくても見てしまう人も多数現れてしまう。
何故こんな風に腐女子だけがいつも文句を言われるのか?それはいつでも腐女子が腐女子じゃない人の目の届くところで何かをしているからだよ。
:主に少年漫画
ワンピース 97巻
キングダム 59巻
ハンターハンター 36巻
NARUTO 72巻
銀魂 77巻
MAJOR 78巻
バキ シリーズ 135巻
進撃の巨人 32巻
この時点で842冊
内容覚えて人と話せる程度に記憶に定着させるのに最低2周必要だとして
1日4時間で70日
・流行り物
鬼滅の刃 22巻
ハイキュー 44巻
ワンパンマン 22巻
・少女漫画 3選
ガラスの仮面 49巻
・ほぼ必修の過去の大ヒット名作 3選
ドラゴンボール 42巻
・オタクらしい名著 3選
げんしけん 21巻
・渋めの名作 3選
島耕作シリーズ 78巻
横山光輝三国志 60巻
こち亀 200巻
・読まなくてもなんとなく概要知ってると便利
キン肉マン 72巻
北斗の拳 27巻
幽遊白書 19巻
きまぐれオレンジロード 18巻
シティハンター 35巻
うる星やつら 34巻
らんま1/2 38巻
弱虫ペダル 69巻
イニシャルD 48巻
湾岸ミッドナイト 42巻
ベルセルク 40巻
鋼の錬金術師 27巻
ちはやふる 45巻
GIANT KILLING 56巻
あの最終決戦って色々批判されてるけど、一番はこれまで散々勧善懲悪、勧善懲悪って言われてた癖に鬼舞辻に対してだけ勧善懲悪じゃない所でしょ。
勧善懲悪って「悪を懲らしめて善を勧める」って書いて勧善懲悪なのに鬼舞辻にちっとも「善を勧めて」ないじゃん。
それどころか心優しい主人公で、海のように広い心を持ってるはずの炭治郎ですら、鬼舞辻の言い分どころか存在まで全否定してぶっ殺してんじゃん。
せめて、鬼治郎が人間に戻ってる最中、引っ付いてくる鬼舞辻を足蹴にしつつ
「地獄に落ちて罪を償え!!!何千年、何万年、何億年かかってもな!!!」
「…それで…少しは良い奴に生まれ変われ…!」
ぐらいは言っても良かったと思う。
>追記
>作者の自由だろ
鬼滅の刃は人に売り物として出されている作品であり、言わば商品である。品質がちゃんとしていなかったら文句言われんのは当たり前。
>それよりも転生後の現代の方がひでえ、鬼舞辻以外全員は転生してたら良かったのに
あれは確かに酷いが、酷いのはそこではない。鬼の中には人の時に悪い事をしないで鬼舞辻に無理矢理鬼にされた人(珠世や浅草の青年など)もいるが、殆どが己の選択で鬼の道、要は悪の道に進み、人を食っているので全員とは思わない。たとえどんな状況であっても、人殺しや悪事をしない、あるいは最小限に留めて、鬼にならずにあの世に行った人の方がずっと真人間に近い。
みんながみんな復讐に染まるのはどちらかと言えば、青年向けやもっとヘビーな層向けの漫画雑誌でやるべき事じゃないか?いずれにしろ少年漫画、しかも天下のジャンプの子供人気がある作品でやるべき事じゃないだろう。また、単純にコンセプトが変わったにしても、炭治郎のキャラがブレていい理由にはならない。
記事内で批判している点については同意する。カナヲのような味方側でも外道寄りの考えをするキャラや自爆特攻をするキャラは一人二人居ても良いと思うが、みんながみんなそのようになるのは倫理的に偏りを感じる。批判・否定する立場のキャラを作るべきなのは確か。
>勧善懲悪を誤解している。勧善懲悪の本当の意味は「善いことをしよう!悪いことをすると罰があるぞ」である
これは私の考えが少し早り過ぎていたのと単純に説明不足であった。謹んでお詫び申す。
というわけで補足を書いた。(補足の方が長くなってしまった)
何故、私は炭治郎に対してここまで優しさを求めるかと言うと、単にキャラがブレているのが気になるからだけではない。
悪人だったら死んでもいいし殺しても良いし何をしてもいいという考えは、デスノートの主人公夜神月と全く一緒だ。
この考えが行き過ぎると最悪の場合、鬼舞辻と同レベルの悪人にまで落ちる事になる。
確かに鬼舞辻は最低なヤツだし死んでもいいのは私個人の価値観として否定しない。
だが、それでも無限列車編でウユニ塩湖ように広い心を持っていた炭治郎であれば、例に挙げたようなほんの少しの慈悲を見せても良かったのでは無いだろうか。炭治郎の言う優しさというのはその程度のものだったのだろうか?
また、炭治郎は作品の主人公であり、言わば顔でもある。そんな最重要な子供の見本になるべき立ち位置にいるキャラが己の信条である『優しさ』を通さずに何を通せるというのか。正義を通すなんて以ての外である。それも話の終着点、最終局面という一番の重要場面で。終わりよければ全て良しって言葉もあるぐらいなのに、その逆であれば作品は全部だめだ。それでは折角積み上げてきた素晴らしい話が台無しである。
何も殺さずに許せなんて言うつもりは全く無い。大事なのは罪をひたすら責めることよりも、償って善人になるよう促す事の方だと思う。人間は誰しも間違えるのだから、間違いや罪を認めて更生や改心を促す事の方が大事だ。それをキチンと描写して子供に学ばせるべきだと私は思った。
がこれは特殊漫画枠で、大流行とかそういう枠ではないと思う。大流行してくれたら嬉しいが、読んでる人は特殊な漫画だというのは重々承知している。
少なくとも面白いと言っている同志ではメチャクチャ盛り上がれるが、未見の人にチェンソーマンおすすめだぜ!という感じではない。
10人読んだら5、6人は気に入ってくれるかなーと思うけど。
内容的にはこの漫画はデビルマンとキン肉マンと初代仮面ライダーを混ぜて合体事故起こしたイレギュラー的作品で、読んできた少年漫画の経験値が多いほど面白い見たことのないインパクトのある漫画になる。
見る側に少年漫画に対するリテラシーを実は要求してて、少年漫画の見方を知らない人にはインパクトが強すぎて珍紛漢紛頓珍漢摩訶不思議というスパイスが効きすぎて味が分からない作品になるんじゃないかと思っている。
例えると、ドンパッチを大量投入したクレイジーなカレーライスみたいな料理だと思ってくれたほうがいい。当然食べると口の中がパチパチし放題だ。
よくわからんなー。
メジャータイトルじゃないのは理解できるけど、オタク/サブカル/ジャンプ向けというよりマガジン系の少年誌読者向けというか。
荻野真(孔雀王)や荒俣宏(帝都大戦:これ、タイトル意識してる?)とか知ってるおっさん受けもある程度はあるかもしれない。
昔はゴッドサイダーとかオカルト志向のものは結構あったんだけど、今はすべてが暴かれた時代なので、そもそもジャンルとして出てこないんだよね。少なくともメジャーどころでオカルトなものは少ない。
ただ、リーマンショックからの延々と続くデフレ経済、津波、コロナと続いてオカルトが注目される下地はできているので、そこでキュレーションされた結果出てきたものなんだろう。
構造としては特殊体質の天才型主人公、プロフェッショナルな師匠型の人物、バトルの仕組みという少年漫画的な要素は網羅していて、学園物が入って連載が続けやすいようにする工夫(という名のバッドノウハウ)が見られる。
ジャンプにはジャンプ漫画家に課せられたそれこそ呪いってものがあって、ジャンプ漫画家は王道となったものを履修させられる。だからDBが流行ったらトーナメントが常態化し、ワンピが流行ったら友情を組み入れることを意識させられる。ヒロアカで学園が出てきたら学園を入れたほうが良いとなる。葛藤して真っ向から打ち勝つという古びた概念も入れなければならない。
がんじがらめの伝統芸能の中でジャンプらしくない、と言われるのはさぞ作家にとてはプレッシャーだろう。それこそ藤本タツキのようなナチュラルな天才レベルでなければ(※)ジャンプ評価軸に入ってしまう。
せいぜいTwitterで消費される層をそんなふうに呼んだのだろうか?
作品そのもののことを言えばこの手のものにあるグロさが足りんかなとは思う。味方の人間が半分取り込まれて意識があるのに真っ二つにする胸糞系のエピソードとか(原作にはあんのか?)。
※藤本タツキは厳密に言えば天才というより映画を見すぎたオタク作家だと思っている。つまり天才というより天才に近い秀才という印象がある。このタイプは理論に凝り固まって小島秀夫みたいなガチガチに固められた世界観を構築するか、ウィットに富んだ世界観を構築するかに分かれる。見たものも影響してて、藤本は明らかにタランティーノのファン(というかそんなこと言ってた気がする)。
どっちもおどろおどろしいところがあってオタク向けでわかりにくいところがとこどこあるって部分では同じだと思う。でも呪術のわかりにくい部分は流してもOKなのに対しチェンソーはわからないことそのものを楽しめないと長くストーリー追うのは難しい。
さっき映画を見てきたいちファンだけれども、同調できる部分は多々ある。
同時に、増田の分析はかなり正確だが、結論がズレている(悪い意味ではない)理由もわかる…ような気がする。気がするだけ。
鬼滅は元増田が感情移入しきれていない部分が刺さる人たちに刺さっている、今までの人気少年漫画と世界観(没入するところ)が違う作品だと思う。
思うに、雑誌という枠を超えた大ヒットを飛ばせる作者というのはおそらくだが自分の中で確固たる哲学を持っている。
その哲学の毛色は、今までのジャンプ発ヒット作はかなり似通っていたと思う。鬼滅はかなり違う。
語弊を恐れず言えば、今までのヒット作で人気を博した要素はかなり男性ウケする価値観ではないだろうか。
戦って勝つ、その紆余曲折で高められる勝利の快感、高度な戦術戦にハラハラわくわくする、頭脳戦に感心する、
ひらたくいうと「強いオスに心酔する、感情移入するときにはその強いオス、苦戦しても最後に「俺は勝つ!」自分ツエー感+おまけでほぼ必ず自分より戦闘能力で劣る仲間との絆でちゃんとぼっち描写回避の群れのボス感を出す」である。
こういう作品の面白さには物語の複雑さ(よく練られたプロットや上手に張られた伏線が知性を刺激する面白さ)も含まれる。
増田も言っている
>強くなりたい理由なんて「この星で一等賞になりてーの!オレは!」
の通りだ。
既存のヒット作品の多くは強くなることが目的であり、鬼滅では「強くなる過程」は主題ではない。
これは私の極めて個人的な、つまり根拠のない感覚だが、「鬼滅の刃、あれ自分には何が面白いのかさっぱりなんだよね。」という人間は、おそらく男性のほうが多いと思う。
作品を読んだときに「この要素に感情が動く」という要素にはおそらく性差がある。
男女では女性のほうが鬼滅に入れ込む率が高いように思われるが、これらはおそらく「強いオスが闘って勝ちました」以外にも心が動く人間に刺さる物語なのだ。
主人公は最強ではない。(ある意味最強クラスの活躍はしてるけど…)
繰り返し、主人公が敵(人間を食料としか思っていない害獣)に対しても優しさや思いやりを投げかけ、家族をどれだけ大切に思っているかが描かれる。
人間が普遍的に(本当に古今東西人類なら同じように感じるかは知らん)きれいな感情と大切にしたがる感情を恥ずかしげもなく臆面もなく描いてくる。
たとえば作中最強の登場人物は神の域に到達している。
いや本当に。物理法則…以外のありとあらゆる法則を無視してくるからね。
人間の神経の伝達速度は速くても0.1秒、あなたその間に何回数キロの鉄の塊である刀を振れますか?1回?2回振れたら十分に居合の伝説の存在になれるよね多分。
鬼滅の刃のこの最強人物は1500回振れる…おかしいでしょ!!人間はモリハナシャコガイではない!!しかも「標的は1800個あった」って視認してるのおかしいでしょ!!
さて、これが既存の「最強オスであるオレ」作品ならこの最強キャラは世界を征服済みの魔王=倒すべき強大な敵として思うがまま暴虐を振るっているはずだが、
鬼滅の世界ではこの人物が望んだのは「家族と平穏に暮らす幸せ」である。強さ関係ない。
鬼滅の世界には強さ比べがない。鬼退治ものというバトル漫画だけど、ある意味バトル漫画ではない。強いオスの価値観が入り込む隙間がない。
・回想多すぎ
常に「敵を倒しました→こんな過去を持っていました…」が語られるのを、ファンですら多いよねと言っている人が一定数いるのを知っている。
ただ、回想はキャラクターそれぞれ違うところがこの鬼滅の大事なところなんだと思う。
典型的な男性物語はキャラクターをそこまで掘り下げない。キャラクターに役割を振れるほど識別性があればそれで「キャラが立っている」範疇である。
心情が語られるとしても多くの場合、戦いに参加する心構えに終始する。
他人の感情にそこまで頓着しない人間なら、鬼滅の繰り返し語られる個人的な話はうっとうしいだけだろう。
ただ、鬼滅ではこの「実はこんな人間でした」を繰り返し語ることで、人間それぞれの尊さ、愛おしさを描いている。
ヒトという形でだけ見るなら何十億もいる存在の、それぞれを内面で深く知って抱く愛情のような気持ち。
これなんて言えば伝わるのかな。
その共感と愛着を、せりふ回しが生み出す非常に強い没入感をもって読ませるのがヒットした要因の一つだと思う。
3行まとめ:私が思うに、増田は鬼滅世界が訴えかける感情を受け取る必要性を感じていない人。だから分析は正確なのに「こういうのが最近は求められているのかな」と着地点がズレるのだと思う。昔からコレを求めていた人はいたはず。鬼滅の人を引き付ける要素は、既存の人気作品とかなり違うのだと思う。
ネウロの犯人の中に、「他人の脳を揺らす」スキルで世界的な人気を博したキャラがいる。
大多数ではない。でも、そのスキルを使うと確実にスキルで脳が揺れる人々がいる。少数でも世界中で見ると何億なので…といった説明があったと思う。
一過性でもいいよ。
取り敢えず鬼滅のイラストのせて物が売れるんなら、景気のいい事じゃん。
市松模様、麻模様・・・。とりあえず貼り付けてじゃんじゃん売ってじゃんじゃん買おうぜ。
鬼滅面白いし、俺好きだし。
この人達が、女の子とまともにキスをするという過程を描けずにラッキースケベとして人工呼吸を玩具(ズリネタ)として消化してきたのが悪いんでしょ。
ゆうてBLだって医者の治療行為をエロネタにする腐った風潮が合って、俺はこういうのが本当大嫌いなんで何とかして欲しい。
保健室でこっそりセックスするまでなら許すが、救命行為や医療はラッキースケベの舞台じゃねえから。
つうかな、死にかけの状況はとにかく生きるのに忙しいから恥ずかしいとか恋愛とか考えてる余裕ねえんだよ。
10歳から引きこもって外の世界に一歩も出ずに人生終えてるような漫画家やオタクは知らねえだろうけど、職場で人死に繋がるヒヤリハットが起きたときの空気ってのはマジで凍ってるんだ。
それが一段落してから、その反動でやたらほんわかムードで危機感ゼロのふざけ合いが始まるがな、それが起きた瞬間ってのはマジで余裕がねえからな。
そういや女性がパンツ履くようになった起源は火災現場っていうクソ見てーなガセもあるけどよお。
実際に火事にあって飛び降りたことがないやつのゴミ見て絵な妄想だよなあありゃあ。
逆に、火災現場にも人死にも立ち会ってる俺の人生なんなの?って話だわな。
呪われてんのか?