はてなキーワード: 宣戦布告とは
意外に共感を得て驚いた。蟹が大好きな方からすれば許せない意見だろうが、同じような理由で大嫌いな人もいるという発見は新鮮だった。
コメントをつけてくださった方がいるので、一部ではあるがお礼方々お返事をさせていただきたい。長々とした駄文をお読みいただき、コメントやトラバまでいただいたことに感謝したい。
ありがとう。ぜひ蟹カマで実践してみることにする。プラス醤油のアレンジなど夢が広がる。
あなたのような理解のある方にリアルで出会えないことは僕にとっても悲劇だな。賞など僭越至極だが、せめてあたたかく見守ってほしい。
私のことを知っている人物なのかと思うほど的確なレコメンドに驚嘆した。ちなみにマグロの兜焼きやカレイの煮付けは手が汚れないのでギリギリだが、アウトっちゃアウトだ。
確かに。勉強になりました。
星座は手が汚れないから嫌いじゃないが、興味もなかったし、蟹座の皆さんの気持ちまでは考えが回ってなかった。申し訳ない。戦争は手が汚れるので勘弁願いたい。
見事な洞察力に驚嘆する。嫌いではないが、手間をかけてまでは食べないな。
言うまでもなく、蟹とカロリーメイトなら、カロリーメイト一択だ。だが、カロリーメイト「だけ」は困るので、手が汚れなくてパッと食べられるいろんなものを食べていきたい。プリンとか。
なぜ缶詰まで取り寄せて蟹を食わなければならないのかが分からないな。蟹は稀少な資源であり、高価な食材だ。嫌いな者が食べなくなれば、わずかではあるがその分蟹好きに回るわけだから、誰も損をしないのではないかと考えている。
「フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である」
のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団が一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています。
平民(第三身分)は、農民や都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わずに家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワと民衆との境界層です)。しかしブルジョワと民衆は意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。
ブルジョワと民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります。
普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオンが総裁政府を軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます。
しかしその当時フランスの社会構造がどのようなものでフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります。
わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきます。ブルジョワと民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた
などを読んでみてください。
があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。
(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分の強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)
1789年5月5日にヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分が強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。
しかし7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民は政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵を組織します。
7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆が殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まり、バスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます。
新たに組織されたパリ市政当局とブルジョワの民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります。
一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります。
自由主義貴族だけでなくブルジョワの議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます。
8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます。
これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます。
しかし王は特権廃止の法令も人権宣言も批准せず、9月末には治安維持の名目でヴェルサイユに軍隊を集結させます。
10月5日に食糧危機を訴えるパリ民衆がヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令と人権宣言を批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会もパリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内の政治分裂も本格化していきます。
(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)
議会がパリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較的平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます。
1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます。
また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命か反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります。
さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こります。カトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるもののフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります。
91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります。
これを受けて、外国に支援された亡命貴族が攻めてくる、外国の侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制もしかれます。
7月には主要な政治組織であるジャコバン・クラブが、王の廃位と共和制を要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。
8月にオーストリアとプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族の陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます。
そうしたなか9月3日に立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。
(インフレや物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます。国内の多数が開戦を支持するなかオーストリアに宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります。軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆の恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位が要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会は王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会の召集を決議します)
憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員のほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派のフイヤン派が議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます。
なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党は存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥の議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります。
また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります。
議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義をあくまで守るのか、民衆の要求を受け入れるのかも問題になっていきます)
これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治のイニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉で対外戦争をあおります。民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。
92年3月、フイヤン派の大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリアに宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争はナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。
しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆が政治的に組織化されていきます。
そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件は偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。
ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会の召集を決議します。これでフランスが共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります。
(戦争はフランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土を占領します。93年1月には国民公会の裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土の占領や国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争に突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります。議会ではジロンド派と山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派が民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派は逮捕、議会から追放されます)
8月10日に王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命、裏切り者を排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者が逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり、義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。
そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースがパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。
この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります。
一方、この事件は国外からの印象を非常に悪いものにします。宥和政策を取っていた隣国スペインの首相も宥和政策を撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命に好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます。
戦況にも変化が生じます。フランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』)。
普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められています。フイヤン派は出馬していないので議会におらず、共和制穏健派のジロンド派と共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派がジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)
ジロンド派は経済的・政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則をあくまで重視し、山岳派は革命の推進と防衛のためには民衆の要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。
……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。
93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派の一党独裁(ただし基盤の脆弱な独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります。
ちなみに自民党の作ったQ&Aでも9条1項の変更の意味をちゃんと解説してある
現状の文言だと集団的自衛権までも禁じてると解釈出来るからそこをちゃんと直したってことね。
それと、自民案の9条1項では武力による「制裁」は合憲としたところ。
なのに安倍ちゃんによると「変えてない」だそうで…
Q7「日本国憲法改正草案」では、9 条 1 項の戦争の放棄についてどのように考えているのですか?
どのように考えているのですか?
現行憲法 9 条 1 項については、1929 年に発効したパリ不戦条約 1 条を翻案
して規定されたものであり、党内議論の中で「もっと分かりやすい表現にすべ
きである。」という意見もありましたが、日本国憲法の三大原則の一つである
平和主義を定めた規定であることから、基本的には変更しないこととしています。
ただし、文章の整理として、「放棄する」は戦争のみに掛け、「国際紛争を解決する手
段として」は戦争に至らない「武力による威嚇」及び「武力の行使」にのみに掛ける形
としました。19 世紀的な宣戦布告をして行われる「戦争」は国際法上既に一般的に「違
法」とされていることを踏まえた上で、法文の意味をより明確にするという趣旨から行っ
た整理です。
このような文章の整理を行っても、9 条 1 項の基本的な意味は、従来と変わりません。
新たな 9 条 1 項で全面的に放棄するとしている「戦争」は、国際法上一般的に「違法」
とされているところです。また、「戦争」以外の「武力の行使」や「武力による威嚇」
が行われるのは、
の 3 つの場合に類型化できますが、9 条 1 項で禁止されているのは、飽くまでも「国際
紛争を解決する手段として」の武力行使等に限られます。この意味を①の「侵略目的の
場合」に限定する解釈は、パリ不戦条約以来確立しているところです。
したがって、9 条 1 項で禁止されるのは「戦争」及び侵略目的による武力行使(上記①)
http://anond.hatelabo.jp/20130410221911
ものいいがネトウヨと同じになってますよwww。ブサヨ=ネトウヨ説の真実味が一段と増しましたねwww
290 ソーゾー君 [] 2013/03/27(水) 18:17:40 ID:mzEGg3j2 Be:
ABCD包囲網をされても文句を言うなと言うのかね?
1、何で日本はABCD包囲網を仕掛けられたんですか?何か悪いことをしたんですか?
2、誰がABCD包囲網を謀=企てて何の為に仕掛けたんですか?
誰が何の為にこんな事をしたのか具体的に教えてくださいオナシャス。
3、何で北朝鮮は経済制裁を仕掛けられたんですか?何か悪いことをしたんですか?
290 ソーゾー君 [] 2013/03/27(水) 18:17:40 ID:mzEGg3j2 Be:
ABCD包囲網をされても文句を言うなと言うのかね?
1、何で日本はABCD包囲網を仕掛けられたんですか?何か悪いことをしたんですか?
2、誰がABCD包囲網を謀=企てて何の為に仕掛けたんですか?
誰が何の為にこんな事をしたのか具体的に教えてくださいオナシャス。
3、何で北朝鮮は経済制裁を仕掛けられたんですか?何か悪いことをしたんですか?
4、北朝鮮に経済制裁を仕掛けられてますが誰が何の為にこんな事をしてるんですか?
5、経済制裁=宣戦布告=実力行使とパール判事は仰っていましたが懐疑先生はパール判事のこの発言を支持しますか?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
もう誰か言ってるかもしれないけど
尖閣を台湾に返すって言う、っていう手はないのですか?法的にどう見ても日本の領土だと外務省が考えているなら(そうだと思うけど)、割譲という形でもいい。
もちろん李登輝が日本の領土って言ってくれてるのは知ってるけど。でもそれも含めて、台湾は津波で100億も支援してくれた国でもあるし、いいじゃん。
中国は当然反発するだろうが、すでに充分反発されてるしどっちも一緒でしょ。それに公式の立場として日本は中華人民共和国による一つの中国を支持してるんだから、台湾に渡したって最終的には中国に渡ると考えているって言えばいいじゃん。ただ安全保障上の問題からあまりに台湾に近いのでとりえあず台湾の行政管理下においてもらうとかさ。
というふうな日本国としての方向性を定める。でも実は本気じゃなくて。
多分中国が強く反発し収まらないことになるので、そこで安全保障上の観点からアメリカの意向も踏まえて(他の常任理事国にも種まいといて)、当面は日本が管理する、統一中国の成立後に割譲しましょう、と。朝鮮もそうだけど、中国の分裂もそこに大日本帝国の責任を見出す奴が山ほど出てくる。朝鮮以上に中国の分裂は日本あんま関係ないとは思うんだけどね。でも絶対出てくる。それで統一の際の金銭的負担の一部を日本に負担させろっていうのがきっと出てくる。その際に賠償金だなんだというときに尖閣をボーナスとして与えるというのは気持ちを落ち着けさせる意味でありではないかと。
簡単な問題じゃないだろうけどこの線でなんとかするなら、日本国としての正義を保てると思う。これ大事だと思うんだよな〜。ここで正義を貫く方向を見せれば、さらにチベットとウイグルで中国をつつくことだってできるじゃん。尖閣は日本の戦時侵略の謝罪としての意味を持つ割譲であり、南沙、西沙については中国についての謝罪責任がベトナムとかにあるわけではないんだから、全面的にベトナムのほうを支援するという方向に舵を切って、ついでに新幹線買ってもらうとか。
どうなん?つうか尖閣どうこうより日本の産業なんとかするほうに力を割いたほうがよくない?
今の中国の方向をナチス・ドイツのズデーデン進駐に見立て、弱腰の日本をチェンバレンのイギリスに見立てているコメントを見た。それは優れた洞察だと思う。でも、だからといってそれはズデーデン進駐時にイギリスが宣戦布告していたらその後の歴史上最大規模の戦争が起こっていなかったということを意味するわけじゃない。むしろ今の日本がイギリスに似ているというなら、最終勝利は日本に転がり込むだろうという予想にもつながろう。
今回の暴動が明らかにしたことは、中国は未だに日本より何世代か、文化的に劣った民族だということだ。日本は先進国として、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求しなければならないわけです。そのためになすことは好戦的な愛国的主張ではなかろう。たかだか戦前日本レベルにいたったばかりの中国とまともにやり合おうなんて言うのは情けない。
ついでに竹島も、南北統一後に主権の主張を放棄する方向でまとめてはどうかな〜と言おうとしたけど国際司法裁判所とかに訴え始めちゃうとなかなかそうもいかなくなってきたかな。
それはその通りですね。経営者の評価より、同僚の評判の方が大事でした。今思うと。
それで、経営上の「しきたり」なんですがね。
言語化してくれれば、対応するわけですよ。ぶっちゃけ多少は儲け出てるし、譲歩する準備はあるわけですよ。
実際、譲れるところは譲りますのでイジメないでください、って頭下げにいったわけで。細かいイヤがらせにもうんざりしてたし。
ところが、その道ン十年っていう古株経営者の場合、「しきたり」すら狭い村の中で共有していて、
何がどう問題なのか、よーわからない。とにかく、あいつは生意気だ、調和を乱すと叩かれてることしか情報が入ってこないわけですよ。
古株クラブに入れてくれ、とは言わないけれど。どんな問題意識をわたしに対して抱いているのか、教えていただけませんか?
ただ、敵対するものは全部叩き潰すってのも合わない。
会社のときも、結局上司は鬱になって退職しちゃったんですよ。明らかに俺のせいですこれ。
そうなのかもしれないとは思うんですよ。
最初とか、まずあっという間に嫌われる。シゴト教えて貰えなくなる。
だから、必死こいて勉強するじゃないですか。すると、まぁ三年もやればそれなりに出来るようになる。
俺が辞めたら仕事まわんねーぞオラ、くらいになるじゃないですか。
そのころには後輩もついてるわけじゃないですか。覚えるのに苦労した分、後輩にはどんどん仕事教えてやるわけじゃないですか。
その結果、段々と組織がピキピキ割れていく。俺としては、俺が嫌われるのは恐らく俺の性格に原因があるから、
シゴトを教えて貰えなかったことを恨みに思ってるわけじゃない。でも、俺が新しいマニュアル作ってみたり、
業務手順書を後輩に配ったりするのが、どーも先輩の皆さんは気に入らないようで。
でも、経営側の評価はそれなりに芳しい。すると、自分を中心にどんどん軋轢が生まれていく。
職場が二つに割れちゃうわけですよ。部活もサークルも大体こんな感じ。自分を中心に「先輩」と「後輩」が
パカっと二つに割れちゃう。人生この繰り返しだったんですよね。どーしたものか。
今もそうなんですよね。同業他社の若い会社っていうか、同格レベルの会社「新しいことやろーぜ」って会社とは
かなり仲良くやれる。でも、同業の古株の会社にはやたらと批判されるんですよね、「しきたりがわかってない」みたいな感じで。
それは商売の上でアレだから、誤解を解いておこうって意味で会合とか顔を出すわけじゃないですか。
すると、そこでもまた同じようなことがおきつつあるんですよね。どーしろと。俺の何が悪いねん。
ご挨拶とご機嫌伺いに行ったら「あいつが宣戦布告しに来た」とか影で言われちゃうわけですよ。こちとら、あんたのシェア荒らす気なんか無いってのに。
766 ソーゾー君 [] 2012/03/24(土) 22:44:24 ID:1Au0tKLUO Be:
その後、難癖を付けて戦争止む無しに追い込む。
「ハルノート」に「48時間か?以内にフセインは政権の座から降りろ!」に
「国内で暴れているアルカイダは民間決起と言うことになってるから
……こんな事言われたらそりゃモナコやルクセンブルグも戟を取るだろうな…
北朝鮮・イラン・シリア・ベネズエラにはなんて難癖付けるのかな?
明らかに被害者だわな…日本人なのに…過去にやられたのに…何で同じ過ちを繰り返すんだ?
やられた被害者がなぜ同じ過ちを繰り返すんだ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/
765 ソーゾー君 [] 2012/03/24(土) 22:35:56 ID:1Au0tKLUO Be:
日本が世界経済回して世界を支えているのに日本に攻め込む自殺願望者は居ないよ…
北朝鮮が報復の為に日本にミサイル撃つのは米国が宣戦布告をした後だよ…
経済制裁=宣戦布告と言う意味は「経済制裁をされた国が無断で攻撃をしても非はないよ?」って意味だよ…
「国連がまともな機関なら戦後の裁判でそのような判決を下す」と言ってるだけ…
だが現実は違うわな…経済制裁された国は知ってるから戦う準備をして
どんな戦争も先に手を出すのは欧米だ…だが戦後の裁判では国連が対象国が手を出したとでっちあげ判決を下す。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/
舞台は、童貞以外の男たちが凶暴化し、下半身丸出しで見境なく女たちに襲い掛かるゾンビが蔓延る現代日本。
これを政府は毒男化現象と呼び、毒男に襲われ最後まで果たされた女性は即死してしまう。日本だけでなく毒男化現象は世界にも及び、北朝鮮は「毒男化は日本のグロ映画嗜好とAVが原因!」と宣戦布告し、テポドンを都心に打ち込む事態に。神社に立てこもった彼女たち4人は、この難局を乗り越えることができるのか?
性欲を感じた瞬間に顔面血まみれになり、男たちは毒男と化すのだが、ズボンを下げ、下半身丸出しで街を徘徊する姿は間抜けかつインパクト大。会話でのコミュニケーションが不可能という部分はゾンビと同じだが、毒男の場合は女たちを喰うのではなく犯す。退治方法は頭部破壊ではなく、陰茎切断もしくは睾丸破壊という"笑撃"設定まである。
http://www.youtube.com/watch?v=E1HqvWYYyhw&feature=player_embedded
今の若い人達は「日本は悪い事をしたと教えられた」と言っているが、自分(現在30代前半)のときはそうでもなかった
自分の頃にやったのは
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⇒「数年後、日中戦争開始。辞めどころがなくズブズブに。」
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ってな感じだけど、今見返しても別に間違っていないと思う。
教科書にだってハルノートは書かれていたし、高校受験でも範囲内だった。
確かに近代史の頃には学年末で殆ど飛ばされた感はあったけど、今の歴史の授業ではこの辺もごっそり抜けちゃってるんでしょうか?
それとも歴史を勉強してなかった人達が「俺達は学ばなかった」と言っているのでしょうか?
閉鎖性のある内輪の場所で遊んでいたら、土足で入り込んできて
「お前等のおもちゃは俺等も好きなように使わせてもらう。今後もそこら中の他人のモノは俺等のモノだかからよろしく」
と言い出す輩が現れた。
住民がそんなことやめて謝罪して取り下げろって抗議しても横文字のアート論をならべてまともな返答をしないし
「体力のないコミュニティが潰れても仕方ない」と普通に考えたら宣戦布告としかとれない発言までしてきたんだよ。
その過程で同人との差違やウォーホルだの著作権・商標権だので2ヶ月の間、散々議論されてきたけど
ここ数週間はカオスラウンジの面々はほぼ完全無視を決め込んでいた。
おそらくPixiv騒動が無ければカオスラウンジは今回の騒動を無かったことにしていたと思う。
理解しろとは言わないけれど、今回の件に言及するなら調べた上で行ってほしい。