はてなキーワード: 動物園とは
絵とかではすげえ見るけど夕方に海行ったことない。そもそも海に全然行かない。眩しそう
ゲームやってるとかなりよく使うけど、西洋の真剣って生で見たことない
地味に人が死ぬとこ見たことない。祖父母の死体は葬式で見たけどあくまで死体だしノーカン
ブダペストの動物園でコモドオオトカゲ見たけど全然ドラゴン感なかった
月日が経つと忘れてしまうと思うので。
3月終わりの三連休以来、約2ヶ月に家族で週末に遊びに行った。
土曜日は近くの市立温水プールへ。入口にはデカデカと県内在住者のみ、マスク未着用の人は入館不可と書いてあった。従業員が1人立っていて入館者がマスクをつけてるかチェックしてるようだった。マスクから鼻が出てた子供は注意された。更衣室で水着に着替え終わるまでマスクは着け続けるように、と言われる。どうせプール入ったらみんな顔つけて息継ぎとかするのに?と思うが従う。結局受付にも更衣室にも人はおらず、接触したのは入り口に立ってた従業員だけだった。プール内にはいつもの半分くらいの人がいた。換気のため窓が全て開けられており、更に普段なら稼働しているジャグジーやサウナが使用不可になっていることもあって非常に寒かった。が、数ヶ月ぶりに泳ぐととても気持ちよくすぐに気にならなくなった。子供とゆっくり泳いだり水中ジャンケンをしたりして過ごす。1時間ほどで子供の唇が紫色になったのでプールからあがった。こんなことは初めてだった。来週も来ようねと約束する。
日曜日は天王寺動物園。10時半に到着、入場まで約二十分並ぶ。暑くて死にそう。屋台のかき氷を買って食べながら待つ。しばらく並んでると自分の少し後ろの方で「ここより後ろに並んでる人から入場規制がかかります、次に入れるのは1時からです。」と従業員が叫んだ。ギリギリ私たちは入れそうで良かったねと子供に言った。後ろから赤ちゃんが泣いてる声が聞こえてきて、かわいそうだね、と子供は言った。
ライオンやオオカミは気を抜いたように寝てた。夫にそっくりなゴリラがいて子供と笑った。ペンギンは歩くのは遅いけど泳ぐのは速いねと関心していた。うさぎや羊は感染対策のため居なかった。また今度来ようねと約束した。ゾウが亡くなっていたことを知って寂しい気持ちになった。暑すぎるので園内でもアイスを買って食べた。マスクは熱中症になりそうで外した。1時過ぎに動物園を出たら入り口付近で従業員が「本日は今からでは入場できません。」と叫んでいた。てんしば公園は動物園に入れなかった家族連れで見たことのない混み方だった。
可愛い女の子が目的でゲームをプレイする1人のオタクの答えとしては「否」である。
が、プロデューサー(アイドルマスターを嗜む人の呼称)(言ってしまえば内輪ネタ)の答えとしては「悪になりかねない」である。
(この文章内では「容姿、ないしは言動が好み」の意図で「可愛い」という単語を使用している。これは決して女の子はフリフリ可愛いものを着なくては、といった女の子らしさの強要ではない。
また、「絵アド」も担当イラストレーター等は関係なく、いかに描きこまれてるかのクオリティーに関するものとする)
アイドルマスターシンデレラガールズ(以下デレマスと略)、そして派生アプリであるスターライトステージ(以下デレステと略)をご存知だろうか。
モバマスはその名の通りモバゲーで展開されており(運営より更新縮小が告知されているが、新カードやイベントの更新は続いている。ガチャに関してはデレステからのカードが流用されていることも少なくない)、そこから「音ゲー」として開拓されたアプリゲームである。
アイドル総勢190人の3Dモデルが用意され、楽曲に合わせて踊らせたり個人のカードを育ててアイドルの一面を知ることができる。
元の「アイドルマスター(以下アイマスと略)」シリーズが有名なのもあって、いわゆる美少女動物園コンテンツの中でもかなり大きい部類だといっていい。
キャラクターを売りにした基本無料アプリゲームの宿命、ガチャシステムも勿論搭載している。
250個の石で1回、2500個の石で10回連続で回せる。10回連続で回せばSRというレアリティのカードが1枚確定。
しかし有償で購入した石ならば60個で1回回せる。(1日1回限定ではあるが)
そういったゲームでは最上級のレアリティSSRがだいたい必須になり、インストールしたユーザーのだいたいがリセマラ(目当てのカードが序盤で出るまでインストール⇔アンインストールを繰り返すこと)をする。
一般的に想像される「キャラクターがたくさん出てくるゲームのガチャ」だろう。
皆が求めるSSRにも実は分類がある。
そのうちの片割れ、恒常SSRは「いつでも出てくる」SSRだ。追加から数日間だいたいピックアップされ、その期間が終わると確率は他のSSRと同じになる。
上記の恒常と異なるのが限定SSRだ。追加から数日間ピックアップされるのは一緒だが、その後はガチャから出なくなる。とはいっても、一定期間経てば期間限定ガチャが再度設置&ピックアップされることが多い。
限定SSRが追加されるガチャは定期的に開催され、その度に対象となったキャラクターを好きなユーザーは喜んだり爆死(ガチャ用の石を使い切っても目当てのカードを引けない現象。基準は人それぞれだが一般的に有償石を購入→購入分をすべて投入するも出ない状態をさす)して涙で枕を濡らしたりするのだ。
たかがカードに、とアプリゲームや課金行為に思う人もいるかもしれないが、デレステのSSRは特定のアイドルの3Dモデルに特別なドレスを着せられるようになるのだ。デレステの醍醐味といってもいい。可愛い子のカードに、その子だけの可愛い服を着せて踊らせる。可愛い子が好きなオタクとしては垂涎ものだ。
とあるタイミングでスターライトステージのガチャ回数に上限が設置されてからは決定的な爆死もかなり緩和された。
さて、本題。
2020年のブライダルテーマガチャで、とあるキャラクター3人の新たな限定SSRが追加された。
メンバーは黒埼ちとせ、川島瑞樹、イヴ・サンタクロースの3人である。
限定ガチャは話題性が強く(人は期間限定という単語に弱い)、イラストに気合が入っていることも多い。季節モノであれば花びらが舞ったり、海が抜けるような青空を反射している。1枚の絵として見たときに「特定のシーン(季節と場所が組み合わさって特別感を演出している)」であることを連想させるものがほとんどだ。
ブライダルテーマである。「俺の嫁(古い表現にはなるが)」という観点でアイドルを愛するユーザーも少なくはない。むしろアイドルの中でPラブ勢(ユーザーの分身である作中のプロデューサーに想いを馳せているアイドル達のこと。もちろんあくまでビジネスパートナーとしての関係を望むアイドルも多くいる)が今か今かとチャンスを狙っているといってもいい。
そんなユーザーにとってもアイドルにとっても関心が集まりやすいブライダル限定ガチャのラインナップが物議を醸した。
メンバーのうちの1人、黒埼ちとせの絵アド(同じレアリティ、性能である場合かなりの確率で絵が上手いほうが好まれる。これはデレステに限らない話)が異常に高いのだ。
よくあるアプリゲームらしくカードにはイラストが2種類用意されており、デレステでは強化前を「特訓前」・強化後を「特訓後」と呼ぶ。
現在音ゲープレイ時の編成表示は特訓状態に依存している為、結果的に特訓後のイラストを見ることの方が多くなる。尚、アルバム機能以外ではアプリ内ホーム画面に固定して表示することもできる。
イラストは大事だ。自分が元々好きな子なら大体可愛く見えるというのも勿論あるが、せっかく新しいカードが発表されるのであれば純粋に可愛く描いてほしい。その子だけの表情で、その子だけの特徴を活かした綺麗な1枚がほしい。
そう、絵アドは大事なのである。絵アドが高いに越したことはない。まず好きな子の綺麗な絵が見られることが嬉しいし、好きな子が周りから「可愛い!」と褒められたらそうでしょうそうでしょう、この子とっても可愛いんですよと誇らしい気分になる人も多いだろう。
では今回一部で話題に"なってしまった"黒埼ちとせの絵アドも同じように捉えていいのか。
問題になってくるのがまさかの「デレマスというコンテンツのスタンス」そのものなのだ。
現在190人のアイドルを擁するこのコンテンツの売りであり異常でもある(自分はそう思っている)のが「誰もがシンデレラになれる」というテーマである。
どんなジャンルでも大抵「最推し」という文化があるものだが、デレマスはそれを越えた「シンデレラ」にすることをユーザーに委ねている。
ステージもアイドルもこちらで準備できています。あとはあなたがどの子に声をかけるか。そういうストーリーがまずプレイヤーに課せられるのだ。顔はもちろん体型も趣味も違うアイドルのうち、誰をシンデレラにしたいのか。ガラスの靴を履かせて、舞踏会で周りの人が皆見惚れてしまうぐらい輝かせたいのは誰なのか。
プレイヤー(プロデューサー)はそのうちから1人(場合によってはそれ以上も)の手を取り、ともに歩みだす。
同時期に同じ目的で作られたイラストを複数を並べたときに1人だけ異様に絵アドが高いというのは、定食屋のメニューみたいに「おすすめ」とか「人気」とかを公式自らつけているようなものだ。結果、「誰もがシンデレラになれるんですよ」というコンテンツの売りが死ぬ。
勿論大人の事情もあるだろう。たまたま特定のアイドルをおすすめしてしまうことになる可能性だってある。偶然が重なった結果なら仕方ない?
仕方ないとユーザーが擁護してしまった瞬間、皮肉にも守りたかったはずのコンテンツの売りが死ぬのだ。お金が関わるから、今が時期だから、太客がいるから…そういった擁護は「誰もがシンデレラになれる」と売るコンテンツに対してのある種の冒涜とも言える。
「誰もがシンデレラになれる」を売りにしている以上、そもそもユーザーに「キャラクターAに与えられたチャンスが他のキャラクターより優れている」と気付かせて(言わせて)はいけないのだ。「誰もがシンデレラ」ならユーザー(から選ばれたアイドル)に与えるチャンスそのものが等しくないと成り立たない。
もしコンテンツ側から「公式側の推しとお前の推しで殴り合うゲーム」と明言されていれば公式が特定のアイドルを優遇しても理論上は問題ない。道徳とかそういうものは問題ありそうだが。
だがデレマスならびにデレステはそんなことは言ってくれない。あくまで「誰もがシンデレラになれる」、希望に満ちた世界観なのである。これは一周回って残酷と捉えていいだろう。
さて、ここまで読んでくれた人は「同じ限定ガチャで1人だけ絵アドが高い」という現象について改めて考えてほしい。
公式やこの文章そのものに文句がある人もいるだろうし、渦中となった限定SSRの黒埼ちとせを擁護したい人もいるだろう。その行動が完全一致することよりも、言葉の行き先に意味はあるか(何の歪みが原因で騒ぎになったか自分なりに理解しているか)を重視する方が自分は大切だと思う。
オタクは毎日何人かでつるんでデレステやらバンドリやら荒野行動やら楽しそうなスマホゲームで遊んでいるようですし、
少し前には五等分の花嫁のヒロインの話で動物園のサル山の如く盛り上がっているのを見たことがあります。
淫夢語録はオタクどもの間でちょっと面白い定型句のコミュニケーションとして使われているようです。
かくいう俺もなんとかぼっちにならないように一部の連中と淫夢語録で会話したりもします。
最近のインターネット上では鬼滅の刃とかいう漫画アニメが人気らしいですね。
みんなが喜んでみているようなので俺は覗きすらしていませんが。
自分の高校の国語教師(四十代後半と思われる)がかまど丹次郎だかなんだか鬼滅の刃のキャラクターの名前を出してきたのには心底驚きました。
いつからクッセエ萌え豚アニメや淫夢はこんな日向の連中に浸透したんですかね。いつから”オタク”という存在がこれほどライトなものになってしまったんですかね。
どうしてこんな奴らのことをわざわざオタクと呼ばなければいけないんでしょうか。
こいつらのことをオタクと呼びたくありません。
中学生くらいのときはそういう奴らとつるんでたんでいっちょ前に「あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~」なんて言ってましたよ。喜んでわめいてましたけれども。
高校生になったらなったでこんなクソすれた逆張りウンコに成り下がって女児アニメ見てます。5年後の俺はこの俺を殺したいだろうな。
以上感情にまかせっきりで書いてましたが多少は理性的に書きます。
”オタク”というアイコンはすでに日陰者からウェイ系の連中に引き渡されました。
俺は若いのでよく知りませんが、90年代~00年代くらいまではオタク文化はある種のカウンターカルチャーだったんですよね。
筋骨隆々元気溌剌な連中から隠れて教室の隅っこに2~3人で集まって深夜アニメの話をするとか。
そんなものは現代の高校にはありません。少なくとも俺の高校にはない。
深夜アニメどころか明らかに社会道徳にもとっていてカウンターカルチャーになりそうな淫夢でさえライトオタク共の間にも普及しているし、
そういうライトオタク共はデカい顔して教室の真ん中で机を囲んで昼飯を食ったりしています。
俺のような教室内の2~3人の日陰者たちが共有できるカウンターカルチャーなどというものは現代には存在しません。俺はどうすればいいんですか。助けてください。
広い放飼場の周りをひとしきりウロウロして、「コビトカバってよくみるとデカいですわね」なんてゴミみたいな感想を抱いたあとふれあいコーナーに向かいますの
エントランスの内側からは開かない錆びた扉みたいなやつを開けて、消毒用アルコールを手に塗り込みながら気持ちを高めますの
ふれあいコーナーって言うから結構動物が寄ってくるのかなと思ってあらかじめ袖を上げてふれあう用意をしたりするのですが、入ってみると案外寄ってきませんの でも確かに家畜の空気を吸ってああ動物園に来たのですわよ!と改めて思うんですの
で、順路をゆったり回り始めますの ふれあいコーナーには大体注意書きが貼られていまして、飼育員さんが描かれた絵なんかが入っていることもありますの つっても”口元に指を出さないで”みたいなやつばかりでたいして見応えはないのですが、とは言えその辺で見られるものでもないのでしばらく見入ったりしてしまいますの
さすがに変な動物が多くて、いちいち足を止めて解説を読んでしまいますの 立食パーティなんかと比べると圧倒的に人出が少ないので少々立ち止まったところで罪悪感もありませんの 遠目に見てヘンな動物の近くに寄ってよく見てみるとさらにヘンなところが見つかったりして面白いですの
わたくしを威嚇する声を聞きながらいろんな動物を見て回るとずいぶん癒やされる感じがいたしますが、運動不足がたたって足は普通に疲れますのね ベンチに座ってみるとまた落ち着いて見られるのでちょっと趣が違う感じで楽しいですの
ふれあいコーナーが終わると、ちょっとヒンヤリした水道で手を洗いますの 水道の横にはポンプ容器に入ったこぢんまりとした感じのビオレu 薬用泡ハンドソープが並んでいますの これに関してはハッピーバースデーを二回歌ってよく洗います 普段衛生のことなんて気にしていませんが、不潔と言われれば確かに野山と同じ感じですわねなんて思いながらひとしきりゴシゴシして、外に出るとおさわりは終わりですの
放飼場はまだちょっと見てないところがありますがもう足も疲れましたし、逃げるようなことがあればニュースになるということで帰ることにいたしますの
一般はもちろん、オタク界隈でも大ブームになったとは言い難いはずだよな?
エロゲが一定の評価を受けたのはゼロ年代ネット空間における、評論においてではないか。
ここら辺のルーツはまず、西洋人を真似て芸術を評論してみようとした
浅田彰らの批評空間が、ベースにあるはずでそこの影響を受けて、大塚英志や東浩紀がオタク文化評論をしてる。
一方で別の文脈でオタキングや同人誌における作品評論もあって、
彼らはフロイトの精神分析や民俗学を用いて(解説書・新書レベルだが)、評論を行っているので近親交配のように
指摘しておきたいのは、上述の流れは偏差値65以上の人たちと50~65の人たちが合流しているのであって
50未満のオタクたちは、かなりのボリュームが存在しているであろうに取り残されている。
(こういった背景が、なおざりにされているので、質アニメvs美少女動物園という対立軸や
最近のオタクはルーツを探らない論に通じてしまっているのがあると思う)
で、重要なのは芸術の評論というのは、実は人文エリートの中でもトップクラスの作業領域で
実家が太くて、曾祖父の代やそれ以上から文化資本潤沢な、文化貴族のやるもんなんだよ。
西洋で言えば、フロイトやT.S.エリオット、W.H. オーデンみたいな人たちね。
こういう人らは学術用語ぶん回して評論するとかしなくて、すごいハイコンテクストで
「青、いいよね」をさらに嫌らしく発展させたような、言語ゲームをばりばり行う人たちなので
上述の浅田彰等々でもくらいつくのは、すごく難しい領域なんだな。
でも、一応は日本人としてもそれを真似してみたいという欲求はあるわけだ。
ここで登場するのが、大塚英志や東浩紀が薫陶を受けたポストモダン。
この哲学思想において、これまでメジャーとされた文学や価値観より
マイナーとされた文学、価値観も光るものがあるぞ!って流れが強く打ち出された。
ちょいと違和感が。バンクシーがパンク野郎だってことは伝聞で知ってる程度だけど、イギリスの公衆ゴミ箱はあんな形してないし、大衆を馬鹿にするのならなぜ子供がオーバーオール(もともとはブルーカラーの作業着)を着てるのかと。
まず履歴を見てみると、メッセージ自体はストレートなものが多い。特に動物園系には「飽き飽き」というキーワードが見られる。これって今作に変換すると、ただ単に子供じみたブルーカラー層は医療従事者以外の、本当に世界を支えてる人たちを見ていない、とも取れるわけ。もうちょっとひねりなく見ると、エスタブリッシュメントな人々ではなく、肉体労働者に焦点があたったという絵にも見える。そして深読みするなら、オーバーオールがペインターパンツという別称で派生が存在することも踏まえて、塗替え(主役の交代)とも取れるし、妊婦が愛用することから単純に看護婦賛美とも取れる。
ちなみにああいう人は概してひねくれものなので、当人から解釈がもたらされることはないんじゃなかろうか。
もう一つ追記。
子供の表情が楽しげじゃないんだよね。とても不満そうにしかたなく遊んでる。本来看護系が注目されなくても良い社会が正常だ、とでも言いたげな。
でっかくて常に清潔で寝心地が最高にいいベッドがある広々とした部屋
テーブルにあるタブレットで衣食住娯楽あらゆるものが注文できて、頼んだものは部屋の隅にあるリフトで下の階からすぐに送られてくる
よって外に出る必要は全くないが、出ようと思えば出ることもできる
部屋は地上50階以上にあってすごく見晴らしがいい 海が見える ちょっとした庭くらいの広さがあるバルコニーに加え、屋上にも好きに出ることができる
下階には特殊な器具がいるタイプのレストランやプライベートシネマなど様々な施設があり全部使い放題 建物の外に出れば博物館・水族館・運動場に動物園などレジャー施設も勢揃いしている
俺はそこでただずっとダラダラして暮らす サブカルチャーは人類の歴史の始まりから終わりまですべてのものが時空を超えて手に入る
未来の歴史書を読んだり、完結しないと思っていた漫画の最終巻を読んで感動したりする 遠未来の映画を見て文化の違いを感じてちょっと寂しくなったりする