「ヲタ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ヲタとは

2013-04-30

青二才の人はどうすれば精神リストカットをやめられるのか

真夜中に眠れないほど精神的にめいってしまたから書いた。久方振りに「どうしようもない」ほどの体調不良経験してるが…涙も治そうという気力も出ないことに危機感を感じてる。本音しか書けなくなってしまったよ

TMくん( @tm2501 )のはてブや発言を読んでいると痛々しいと思うんだが、いわゆる「イタイ人」ではないんだよなーと思ってて、色々考えた結果「精神リストカッター」というあたりで腑に落ちた。彼の魂はどうすると救われるかなと思ったりする。

一応、振られたから返しておきます。「精神リストカッター」ってなんぞですか?

あ、言葉自体は私の造語なので…。「肉体ではなく精神ココロ)に対し自傷行為を繰り返す人」くらいの解釈でおねがいします。ちなみにTMくんに自覚があるかどうかは関係ない。外野から見てそう見えるって話なので。

小学校でたときには少なからず、自覚があったので否定はしません。(詳しくは今日の朝に投稿した記事で)それは歪んだ家庭環境ゆえに仕方ないものだと思ってます。気がついたときに僕が病まずに努力し続ける精神を獲得するためにはこれ以外の方法が当時はなかったと

あ、その行為自体は否定するつもりはないのです。あんまりいい意味に使われない言葉ではあるので申し訳ない。…どっちかというと、今のTMくんがどういう方向に進みたいのか、永遠にリスカし続けることをよしとするのかみたいなのが見えてこないなーと思って。

そこで望みが叶えば、ある種真人間になれるチャンスはあると思うのですが…自分の現状から言えば、劣化有村悠みたいな末路しか見えないのは認めますね。彼よかコミュ力社会性はあるが、才能も知識もない。行くも引くも地獄になるのは確かに目に見える話ですね

真人間じゃないとという考えが、凝り固まってるなあと思いますバイリンガルを目指せばいいだけなんだけどね、これって。別にどれか1つのコミュ世界だけじゃないわけだし。それに、才能や知識なんかなくたって、生きていける世界は多々あるんですよ。

言われてみると、昼と夜の顔(公私)を両方ともをちゃんと作ろうとすると、どうしてもひとつの顔につながるようなルートを求めてしまうのがダメなのかもしれませんね。才能や知識のいらぬ世界で大多数の人は生きていくはずだが、それを説明する言葉を僕はもってない

なんとなくだけどオンリーワンNo.1以外は全部ダメ!思考が見え隠れしてるなあと思います。合わせ技で1本!もありなんだよとかそういう風に考えられるといいかなあと。あと、公私は無理に1つにしなくていいと思う、というのが私自身の経験則

オンリーワンNo.1以外は全部ダメ!思考」真に戦うべきはこの思考なんですよねぇ…。これのおかげでたった一人でブログを大きく出来たけど、これのせいで二つの道を緩やかに成立させることが手抜きに感じてしまう。どちらか一本をすごく真面目にしてしま

青二才の敵は青二才自身の自意識。 ここに気付いたのはエライ。 あと一歩だ。頑張ろう。


オタクコミュニケーションは手軽に深いコミュニケーション体験を得られて、麻薬的な快感を味わえてしまうんですよね。それをうっかり10代前半とか半ばに覚えると、なまじ味わってしまっただけに、この感覚を味合わえないコミュニケーションを異様に軽視しだすと思いますオタクコミュ障の原点は多分ここなんだと思う。、刺激が強いコミュニケーションを求め続けた結果がそれかも……という事で次なる仮説を考えておりますwそれぞれ味わいは違うけどおいしい、って理解ができればなんとかなるとも思うんですが、ジャンキーヲタコミュにハマると難しいかもですねぇ。

無分別にオタクな用語をバラまいた結果、それまで築けていた間柄が傷つき、ボロボロになっていく過程こそが、コミュ障への過程のものなのではないか。まさにどこかのヤマアラシジレンマではないか。さて。この段階で分別があり、それまで使ってたコミュニケーションも手放さなければ、おそらくコミュ障の症状は軽度で済むと思う。問題は「闇に呑まれよ」ではないが、なんとかしてこのジャンキー快感を味わえるコミュ方を駆使したい誘惑に抗えなかった人だ。当人は、ただ刺激の強いコミュニケーションをしたいだけなんだけど、周囲から見たら突然コミュニケーションプロトコルが変わった人は一般的に「奇人」と言われる。親や友人に奇人扱いされるようになったら、いよいよオタクコミュニティしか場所がなくなる。距離感おかしくなるのは、自分通信プロトコルが変わった自覚なしに、相手に通じない、刺激的なプロトコルを発し続けた結果なのか。通じればコミュが成立するけど、通じないコミュニケーションはひたすらノイズでうるさいだけだ。けど 「ぼくのかんがえたさいきょうのプロトコル」 が通じないことは二重の苛立ちを生む(素晴らしい物が認められない苛立ちと、通じないことそのものへの苛立ち)けど、自分プロトコルに酔ってるから捨てられず被害が収束しないのか。本来はバカバカしいし投げ捨てるべき物なんだけど。あと、ここまで来ると多分、通常の汎用的なプロトコルが下に見えてしょうがない。だからこれを採択する気はないし、おそらくこれを使ってる連中を見下してる。とすると余計に殻に籠もって、自分だけの歪なプロトコルに益々酔いしれていくのか。うわあ。本来は相手に通じてナンボのプロトコルなのに、どんどん自分しか使えない役に立たないプロトコルに入れ込んでいくアンビヴァレンツ。しか翻訳すら許さない(翻訳はこの役に立たないゴミにあるはずのない品位を貶めることになるため)からゴミ加減が益々kskするだけなのに余計に…うわあ。あとはこのサイクルが行くところまで行って煮詰まれば、どこに出しても恥ずかしいコミュ障がいっちょ上がってしまうのか。ぐへえ。やばい。開ける気の無かったパンドラの箱無用に開けた気分だ。しか希望がないorz

この話の元は、まぁ案の定実体験なんですが、10代前半のオタ成り立て(罹患したて)の頃が案の定一番酷くて、「自分日常会話が全てマンガアニメセリフで成立できてる」って信じ切ってた頃があったんですよ。だからプロトコルに酔うというのは実体験なんです。オタク人生25年、もっと早く気付こうよ。ヒントはいっぱいあったし、多分この話は20年前ぐらいの自分でも理解できるよきっと。

自覚があるので読ませてもらいました。私自身汎用的なプロトコルとの上下関係を明確に定義したことはありません。ただ、私の中でこれで勝たなきゃ本当に母親に幼いときから押されていた「そんなこともできない奴」の烙印で一生涯潰され続ける。その絶望と戦ってたら、こうなりました

多分ここに明確な上下関係を見出す人は少ないと思います快楽に支配されると、快感にならないもの意識すらしないからです。ただ、使い方によっては確かに武器にも杖にもなると思いますが、頼りすぎると自分に跳ね返ってくるだけです。

そこなんですよね。承認欲求が強すぎる状態を僕の基準地点にしてるから話がずれたり、煽り耐性が落ちてしまったりしてる。問題だとは思うのですが、オタク界隈の悩みゆえ明確な言語化・相談ができにくい内容。ゆえにバランスのいい状態でかつ僕の自己同一性が守られる形をもってない。そういう意味じゃ少し違うのかなぁ…と思うのです。まがいなりにも自分の頭と目で作ってきたモノに評価を受け、オタク的な人だけではなく幅広い層からの支持から得た自信なので、それゆえに過信しすぎていた部分が強かった。(成功体験認識してしまうとそれを修正するのは難しい)

なるほど。あの鋭い舌鋒の台所を垣間見た気分です。でもこれを明確にコントロールできる人はやはりそういないですよ。タイミングの調節だけなら簡単にできるけど、威力とかキレ味のコントロールは強めることにしか大概の人は興味ないでしょうから、強さだけを求めてしまうと思います成功体験と結びつくと尚更修正は辛いと思います自分でつかみ取ったもので構築したとなったらなおさらですわ。壊す必要はないけど、見つめ直すことはオススメします。

くそのとおりです。昔に比べて、「一般的な思考」よりも、先にエッジの効いた青二才節が先に思いつくようになったため、知らぬ間に相手から失言扱いされるケースが増えました。演じ分けとまで言わなくても、「一般的な思考」と並列できる程度には戻したいですねぇ…。最近、悩んでいるのはその力加減なのです。オタクブロガーのままリア充真人間になるという路線でここ数箇月書いてきていたが、これがどちらからも不評であり、僕自身が疲れはててしまう事に最近気づいてしまったため、力加減の変えどころが分からず、思案していますね。正しい変化とか、更生とかそういう枠組みに入りたいとは思わないが…自分のやっていること、考えていることに無理や限界があるというのはわかる。そういう時の選択肢が欲しいねぇ…自分で作りこんでしまった自我ゆえに、一般的な処方箋を頭ごなしに押し付けられるのは御免だ。適切なモノを選ばないと

炎上以外成功してないから、他のEXITを見つけられないから困っている」というところまで自覚があるならもう少し。炎上以外の方法で注目を集められる実力を身につけよう

個人的にはオタクのままリア充になって、自分がいる場所視野を広げてしまいたいなぁ…と最近は考えるようになりました。それゆえ、オタク同士の座談会にわざと女性ナース親子)を呼んで、ホモソーシャル的な議論にしないような事をしました。

と思ってたら、どうしてこういう小手先に頼ろうとするかな。 その程度の工夫でなんとかなるような悩みならそんなにひねくれたりしないでしょう。 強がらないでもっと自分の抱えてる悩みを真剣に見つめよう

本人がまとめててワロタwww   http://togetter.com/li/485119

2013-04-29

エウシュリーはもうRTS作るなよ

それとてめえらのせいで折笠愛さんがヲタバッシングされてるから謝っとけ

2013-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20130427103024

id:y_arimid:hokusyuみたいな、糞ヲタかつサヨというパタ―ンの説明がつかない

2013-04-24

AKBくわれまくりやん・・・

もうなんかAKBヲタが哀れになってきたわ・・・

2013-04-23

これだからヲタじゃない奴は

http://anond.hatelabo.jp/20130423230358

オタクじゃない奴って、どうして他人を観察する癖があるんだろーな?

つーか、他人の目つきとか、わざわざ観察するほど見るなよ。

2013-04-22

アニメ版進撃の巨人』のミカサキャラデザ違和感について

やっぱりミカサが女っぽすぎる 何あのケバケバしいまつ毛と唇。

エレンとミカサ関係性って限りなくやおいに近い何かだと思うのだけれど。

女性としてエレンに恋する気持ちは匂わせてる程度で、基本的には性愛でも家族愛でもない『何か』で結ばれてるんじゃないかと思う。

俺はミカエレのそういうところに萌えてた。腐女子でも何でもないけれど、男ヲタだってそういう関係性に惹かれてしまうのは同じだよね。

実際あんな人間関係リアルじゃ存在しないからね。

からまりにもミカサの見た目が『女』すぎるとこの先の色んなシーンがちょっとね……。

『女』として性の赴くままに奔走してる感じがするじゃないですか。正直そういうの見るのヤなんですよ。

1話は『これはすごいな』って思って感動したけれど、2話3話とどんどん幻滅してきたなー。残念。

2013-04-20

ももクロ天下取ったな。安倍総理長期政権まちがいなしだし。ももクロ長期政権まちがいなし。

はてな界隈ではなぜかももクロ安倍総理が人気ないみたいだが、そろそろももクロ安倍総理凄さを語れないとまどマギを語れないぐらいやばくなってきてるということは自覚した方がいい。

今のウェブを語る上で欠かせないキーワードアベノミクスももクロ、そしてまどマギ

これらを語れない奴は文化人じゃない。ヲタ特有の屈折的態度を取るにしろ、これらを基本的に支持できない奴らは賢者ではない。

全ては絶望からまり、やがて希望へと辿り着くのだ。

2013-03-20

イタイIDシリーズ#005

id:sekiryo

レイシストネトウヨ化した感じっぽいクズブログヲタ話が多いようだがまだよく観察してないのでこんな腐れもいるんだという見本として。

2013-03-12

ホワイトデー萌えフィギュアを貰った三十女

自分のことなんだけど。

くれたのは同い年の恋人。重度の萌え好きヲタで、部屋には抱き枕なんかがいっぱいある。そこでセックスとかする。

だけど決して非モテではなく、女性付き合いには慣れているそうだ。

実際前の彼女にはアクセサリーとか贈っていたようで。

で、私にはAmazon経由で萌えフィギュア

確かに私もヲタだけど、さすがに三十にもなってこういう時これはどうなのと抗議したら、めちゃくちゃ怒り出して、

  • 自分が前ほしいって言ってたの忘れたのか!(言ったかもしれないが、それ以後に「ホワイトデーにはこういうものがほしい」と申告した筈)
  • ○○円払ったのに!(そんな高価なものをくれとは言っていない)
  • 喜んでもらえると思ったのに……もういい……少しは人の気持ち考えろ

最後メール打ち切られた。

まあわたしも羊水間近だし、贅沢は言っていられないのは分かるが、どうすればよかったんだろうか。

嘘でも「きゃーうれしい」って言っておけば良かったんだろうか。

ヲタに理解がある彼女ができて嬉しかったのかな、とは思うが、だったら余所にもいるし、いちいち見えない敵と戦っているのが気になる。

2013-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20130225113005

AKBヲタが似たようなことを言ってた。

「型にはめられてお人形のように振る舞うことを強制され目指しながら、どうしてもはみ出してしまう部分があって、そこに惹かれる」って。

2013年1月アニメ

http://anond.hatelabo.jp/20130225081613

主観的)萌え度基準

高 = ヲタからしても萌えアニメであることは否定できない

中 = ヲタからすると萌え控えめだが非ヲタからすると萌えアニメ

低 = 非ヲタから見ても萌えアニメには見えない(と思われる)

たまこまーけっと

萌え度:中

原作オリジナル

ビビッドレッド・オペレーション

萌え度:高

原作オリジナル

ラブライブ! School idol project」

萌え度:高

原作メディアミックス企画

ささみさん@がんばらない

萌え度:中

原作ライトノベルガガガ文庫

俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる

萌え度:高

原作ライトノベルGA文庫

ちはやふる2

萌え度:低〜中

原作漫画BE・LOVE

まおゆう魔王勇者

萌え度:中

原作ライトノベルWeb小説

僕は友達が少ないNEXT

萌え度:高

原作ライトノベルMF文庫J

問題児たちが異世界から来るそうですよ?」

萌え度:中

原作ライトノベル角川スニーカー文庫

閃乱カグラ

萌え度:高

原作ゲーム

キューティクル探偵因幡

萌え度:中

原作漫画月刊Gファンタジー

D.C.IIIダ・カーポIII~」

萌え度:高

原作ゲームエロゲ

琴浦さん

萌え度:中〜高

原作漫画Web漫画

みなみけ ただいま

萌え度:中〜高

原作漫画(週刊ヤングマガジン

AKB0048 next stage

萌え度:高

原作アイドル

「THE UNLIMITED -兵部京介- :絶対可憐チルドレン

萌え度:低〜中

原作漫画週刊少年サンデー

ドキドキ!プリキュア

萌え度:低〜高

原作オリジナル

AMNESIA

萌え度:高

原作ゲーム乙女ゲー

八犬伝―東方八犬異聞―

萌え度:中

原作漫画CIEL


幕末義人伝 浪漫

萌え度:低

原作パチンコ

GJ部

萌え度:高

原作ライトノベルガガガ文庫

生徒会の一存 Lv.2

萌え度:高

原作ライトノベル富士見ファンタジア文庫

gdgd妖精s

萌え度:中

原作オリジナル

ヘタリア The Beautiful World

萌え度:高

原作漫画Web漫画

ビーストサーガ

萌え度:低

原作おもちゃ

バクマン。3」

萌え度:低

原作漫画週刊少年ジャンプ

ROBOTICS;NOTES ロボティクス・ノーツ

萌え度:中

原作ゲーム

PSYCHO-PASS サイコパス

萌え度:低

原作オリジナル

さくら荘のペットな彼女

萌え度:中

原作ライトノベル電撃文庫

イクシオンサーガDT

萌え度:中

原作ゲーム

ジョジョの奇妙な冒険

萌え度:低

原作漫画週刊少年ジャンプ

新世界より

萌え度:中

原作:一般文芸

リトルバスターズ!

萌え度:高

原作ゲームギャルゲエロゲ

絶園のテンペスト

萌え度:中

原作漫画月刊少年ガンガン

「マギ」

萌え度:低

原作漫画週刊少年サンデー

銀魂

萌え度:低

原作漫画週刊少年ジャンプ

付け加えると、

萌え度が低いアニメだって、その中でキャラ萌えはされるし、

萌え度が高いアニメでも、キャラ萌えだけでなくシナリオや演出が評価されているものはある。

2013-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20130221105329

俺自身は声優ヲタじゃないからあまり詳しくないけど、

ユーザー参加で架空アイドルグループを作るところからスタートした企画なので、

歌唱力優先で新人とか非声優とか起用しているそうな。

その代わり、アニメでは「うまい棒」とか言われてるけど。

2013-02-08

同人誌」「同人活動」はなんのために行うのだろうか?

同人誌」「同人活動」はなんのために行うのだろうか?


「人に見せるためだ」


 これが僕の中での、正解の半分だ

ハイ結論おわり

そういう話になった過程が気になった人は以下↓)


同人活動は本来、自分創作意志の充足のために行うものであって

過度に第三者から評価される、注目されることを目的とした同人活動

不純である


 その意見は半分正しいし半分間違っています

なぜならば


 同人誌というものが、「俺得」であり続けることができなくなっているからです

同人活動インターネットや各種SNSデジタルデータ流通の網に

分かちがたく捉えられた現代では

嫌も応もなく「第三者の視点」を意識せざるを得ない

 第三者の視点があるというそのことだけで

創作意欲は大きく影響を受けるもの

 たとえ目的が「自己創作意欲の充足」が第一義だとしても

このインターネット時代に自身の作品が否応なく

第三者の目にさらされるリスク

付加されたのなら

誰が好き好んで、自分を代償のない道化師の位置に置きたいと思うだろうか?

いやない(反語)


 具体例をあげるなら

この前、かなり特殊な嗜好をメインにした同人創作ゲームを作ったサークル

アフィブログにそのゲームネタにされ

「こんな○○ゲーム見つけたwwww」的なエントリ

本人がおそらくけして望んでいないであろう形で

ネット上の晒し者にされた事例があったでしょう

あったんです

(胸糞悪かったんでブクマはしてないんで

興味があったらソース勝手に探せ)


 ネットの発達で、同人活動クローズな「俺得」であり続けることが

できなくなっている…



 同人活動が、ネットとはコネクションしていないクローズな活動であっても

「第三者の視点」を望むと望まざるにかかわらず

意識せざるを得ない状況になっているし、また

その第三者視点を好意的なものに変えられなければ

不相応とも言えるくらいの悪意の視線さらされるリスクがあると

そういう部分は確かにあるのです


 だから

同人活動

自分が嫌な思いをしないためにも

「人に見せるため」にやるもの


 消極的な側面からはまず↑

積極的な側面からは↓




 この前さぁ(唐突変調

深夜のフジテレビで「ガンプラ世界選手権」のドキュメンタリーをやってたんですよね

そこに出てくる応募者の一人(PN・ざく太郎氏)にカメラは焦点を当ててたんですが

ざく太郎氏の作風は、

子供の頃の、自分の(理想の)ガンプラ体験をそのまま充足させた」

みたいな作風で、

多分、作ってる時は心底ご自身の中で

充足感に満ち満ちた創作活動されてたと思ったんですけど

案の定二次審査突破はならず…!

という結果だったんですけど~

 二次審査会場で他の作者の模型作例を見たざく太郎氏が 

「(こういう場で、他の応募者の作例を見ると)自分の作風が

今のトレンドから外れていることを強く実感する」


 「大会に出る人の心構えとして、『まず自分が好きなものを作る』…

出発点はそこからなんですけど

(その先に進んでいくには)どうしても人の目を気にしたものを作らなきゃならない

それはケレン味であるとか…(シーンのトレンドであるとか)

いくら『これが好きだ!』って声を大にして言っても

他人から見た時に、人に伝わらないものであったら、

(受賞等のステージに行くには)難しい…」

 的なことを言っていて

あぁ…趣味を深化させていくということは

必然的に、「お客様オーディエンス的な意味で)」と

向き合わざるを得なくなるということなんだ…

という思いが、そのドキュメンタリー見てて、ヲタとして

すごくずっしりと響いてきた感じなんですね

(この後知る人ぞ知る川口名人が出てきて

さすがにガンプラ名人だけあって、

ガンプラ製作自己充足的ダイナミズム」と

ガンプラシーンのトレンドを踏まえ、なおかつ第三者に見られたときの印象」を

次元で両立させていて

「さすがはプロだ…違うなぁ」という気持ちになったんですけど)


自分の中で

いつか趣味

自分スタイル自分の作風を頑として守り続け、自己充足のために行う」

ステージから

「人に見せる(ことを第一義にして活動する)」

ことに移行するステージに移るタイミング

必ずやってくる

 その時自分

オリるのか?

それとも意識を切り替えて

「どうやったら第三者にもっと見てもらえるんだろう?」

そういう部分をモチベーションに、心底できるのか?

 実のところその辺迷い始めてから

自分のキレキレ具合が悪くなってきてる気がするんで

迷ってる場合か!と思ったので描いてスッキリたかったので

こういう文章書いたわけなのでした☆

http://anond.hatelabo.jp/20130208121909

実際萌えで売ってるものを「萌えで売ってる」と書くだけでヲタ発狂するように、

キャラで売ってるものを「キャラで売ってる」と書くと信者が怒り狂うということはままあるものなので、「反論がくる」ということだけではさほど重要な基準にならない。

反論の内容を見てみないことには。

2013-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20130207164542

え~っと、釣り

いきなり不快にさせる言葉ぶつけるけど、なんでかというと全部を全部「オタク」の一言で十把一絡げにしてるからね。

ドルヲタででんぱ組inc.の子たちを「オタク迎合させるような歌うたわせるのやめてよ」なんて言うのは一人もいない。断言できる。

アニヲタとか声豚とかがこういうことを言い出すのならよくわかる。

あのね、オタク現実に傷つけられまくったの。だからオタクになるんだけど、そこで現実をすべて憎むとアニヲタになって、ぎりぎりのところでアイドルという現実にひっかかるとドルヲタになる。

アニヲタは一切自信を着飾らず、いわゆるキモい格好で外に出るけど、ドルヲタアイドル現場に行くときアイドルグッズの法被とかTシャツとかで着飾るでしょ?あれはあなたの言う防衛する気持ちなんだ。

なお、声豚はアニヲタドルヲタの真似事をしているもの。だからドルヲタと声豚は絶対に分かり合えないよ。

よかったら全部を全部「オタク」の一言でまとめるのはやめてね。

あ、AKBヲタだけは別。というかあそこがアニヲタに近い連中を全部引き取ってくれているから、今のドルヲタ文化が形成されたところがあるんだけど。

(全部ではない。この文化下地キャンディーズの全キャン時代からあるものから

2013-02-01

AKBヲタガチAKB処女性を信じているの?

http://anond.hatelabo.jp/20130131230732

AKBヲタは「処女性」っていう「ネタ」に乗っかっているだけで、ガチ処女性を信じてるとは思ってなかった。

もちろんネタに乗っかっている以上、おおっぴらにネタを潰すような事態が起きたら反発するだろうし、

運営もネタ提供してる側だから建前上ネタを守ろうとするだろうけど、実際は処女性がネタである、という共通の認識があると思っていた。

から、指原がファンを喰った件でも左遷お茶を濁して、逆に前より露出が増えたというオチが付いた。

でも、今回は峯岸(か運営)が「ヲタガチ処女性を信じてる」と思ってなければ、あんなことするはずがない。

ネタであることが暗黙の了解なら、数ヶ月謹慎するか支店に移籍して、形式的に反省して話題が風化するのを待てばいいだけだから

ヲタ幻想を守りたいだけなのか、ガチ処女性を信じてて裏切りは絶対に許せないのか、今回の件でわからなくなってきた。

ただ単に峯岸がガチだと勘違いしてただけなのか、本気でヲタガチだったのか、どっちなんだ?

2013-01-31

AKB峯岸 丸刈り謝罪&降格、と秋元康

散々書かれているところアレなんだけど、・・・坊主になったらなにか変わるわけ(笑)?え?気持ちが変わる?

体罰と一緒じゃん。

事実上パワハラとなんら変わりないじゃん。


AKB48というブランドに縋る少女たちは、その強大な権力の前では成す術もなく従うのみ、っていうか。

見捨てないでください、AKB48なしじゃ生きていけないんです、どうにかなりませんか、と・・・そこまで信仰しているわけじゃあるまい。

峯岸さんって名前は聞いたことあるし、テレビでも見たことあるんだからAKB48から脱退したってやっていけるでしょう。なんのコネもないなんてことはないよね?

坊主にしてくれ、って随分とおかしな話ですよ。坊主にしたら、なにか解決するんですか。

このタイミング秋元康もよく許したよね。ほんと、見ている側は気持ちよくないよ。


それに秋元康相談して決めたことです、ではなくて私が独断で決めましたと言っているあたり、秋元康鬼畜さが見えるよね。

責任は、峯岸にある、と。

彼女が決めたことなので、他の誰にも責任なんかねーよ、知ったこっちゃねーよ、と。

けれど、彼女の決めたことであるとかどうこう以前に、これって見せしめじゃん。

苦しくて、苦しくて、精神削られてしまうよ。


とかなんとか言いながら。


これって秋元康と峯岸さんが世間もっと体罰問題を考えて欲しくて、放り込んだニュースじゃないかなーとか思った。

どうにもAKB48スキャンダルっていうのは、こう・・・数か月前から計画されていたことのようにしか思えないんだよね。

だって、このタイミング坊主って、あまりにも酷すぎじゃない?AKB48ヲタじゃない人も快くないよ?

たぶんAKB48グループとしての梃入れの為にいくつかスキャンダル記事を常に用意していて、その時代、その時期に応じた方法で罰を与えているんだと個人的には思っているので。

今回は、「体罰問題をより多くの若者に考えてもらうためにひと肌脱いでもらえないか」と秋元康が峯岸さんに頼んでやったことじゃないかな、と。

たぶん、世の中にいる多くの人が、この制裁の受け方について疑問を抱いたと思う。考えることになると思う。それっておかしいじゃん!って声を上げることになると思う。

若い人たちが、より問題を身近に捉える事が、問題を風化させないことにつながるし、意識化することになる。

社会問題アイドルで捉える、なんて。

・・・ま、こうやって秋元康を美化したくないから、都合のいい想像はこれぐらいにしとくけど。

2013-01-26

テニプリフェスタ問題点要望

テニプリフェスタ2013の告知があった。

より良くなって欲しいという強く純粋な思いがあるので、ファンの目線から考えてみる。

勝手ながら厳しい意見記述しているが、自分は間違ってもアンチではないと断っておく。

※「女性向けジャンル」の中の一作品という観点で書いているので違和感がある人にはお薦めしません。

 長文ですみません

まず自分立ち位置について書く。

現在は熱狂的であった頃より落ち着いて応援している

100曲マラソン有明武道館、全て参加

・贔屓の学校キャラキャスト等は特に無く、全体のファン

ラジプリリスナーのため、付随してキャラソンもほぼ把握

・他作品も好きで声ヲタ声優イベントもたまに参加。個人ライブに行くほどではない

・ミュは行ける時に行く。ミュヲタと言えるほど詳しくない

Ⅰ.「テニプリ」ファンの多様性

テニスの王子様という作品については、その概要について語るまでもないだろう。

今更「本来は少年誌スポーツ漫画で~」なんて野暮過ぎるので、ここでは女性向け巨大ジャンルとして扱う。

参考:Wikipediaテニスの王子様

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%AD%90%E6%A7%98#.E6.A6.82.E8.A6.81

自分がファンの現場において実際に交流していて思うのは、メディアミックス二次創作ブームにより同じ「テニプリ」ファンでもその実態があまりに異なることである

(もちろんそれは人の数だけ存在するわけだが)原作を読むだけのファン、声優から入るファン、ドキサバ等乙女ゲームから入るファン、友達に誘われミュージカルに行くだけのファン、ニコ動等でネタから入ったもののうっかり萌えしまったファン…など、その裾野は驚くほど広い。

ただ共通点は皆「キャラクターのファン」であることだ。

誰のファンであるか尋ねると、数や深度はそれぞれだが大体は明確な返答がある。

それに付随して好きな「学校」も明確であることが多い。

まさにアイドルのチームや組分け、推しメン担当イメージカラー等と同じ仕掛けになっている。昨今の女性向け作品のそれらのように最初から意図されていたかは解らないが、キャラクターの単純数や魅力に加え、設定に十分な糊代があることや入りやすさ等、多くのファンが形成される理由には事欠かない。


Ⅱ.アニメでのキャスティングキャラクターソング展開

キャスティングについて

ご存知の通り、テニプリキャスティングネルケプランニングに一任している。

よく知らないという人は、ネルケプランニングについての記事について一度、目を通すことを勧めたい。

参考:Wikipediaネルケプランニング

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

業界関係者ではないのでこの記事の真意は解りかねるが、「ネルケ声優」と聞いて思い浮ぶ名前がこの作品には揃っているため、当時何も事情を知り得なかった自分でさえ「変わった声優キャスティングしている」ことは感じていた。

これについてはやはり賛否両論である。これは自分見解だが、役に合っていて芝居が上手ければ何も問題は無いと思っている。ギャラや組合のことは外側の人間には解らない事なので想像の域を超えないが、これだけ大人数の登場キャラクターが居るのであれば、当然予算の問題もあるだろう。

しかしその結果、他人気作品ではあまり見かけない顔ぶれが揃うこととなる。(もちろんこれをきっかけにブレイクしていったキャストも多いのだが)それはファンにとっては良い点も悪い点もある。

例えば良い点について。キャストの一体感である

その理由を考察すると―結果論に過ぎないのだが、キャストの「作品への思い入れ」が大きいかであるように思う。

異業種からキャスティングされた者は「アニメ声優」としての参加作品が少ないため、その一作品(一キャラ)あたりの思い入れが大きくなる。

この一体感はその「思い入れ」による熱量に由来しているように見えるのだ。

そして元々は異業種であった面々が集まったことで化学反応を起こし独特の交友関係を築き上げている。

プロとしてどの作品に対しても平等に取り組むようにすべきであろうが、作品ファンとしては嬉しいものなのでここでは良いこととして進める。)

一番の例は河村隆役の川本成さんだろう。

彼のテニプリキャスト)愛は様々な場面で表現されている。

参考:「川本成blog'n坊や」(旧ブログ

http://blog.excite.co.jp/naru-kawamoto/14801511

彼は一般的にはお笑い芸人として有名だが、その活動は多岐に渡っている。舞台俳優パーソナリティ音楽活動、そして声優など。

彼が立ち上げた「時速246億」の舞台にはテニプリ関連キャストゲスト出演することが多い。

タレント声優をやる」ことについて負のイメージを持つ者も多いと思うが彼の活動を見ていると双方の活動に良い出力が出来ているのではないかと考えさせられる。

現在声優」という職業仕事の幅は広く、役者的側面だけでなくナレーション音楽活動なども含めるため一概に括れず、本人たちも「声のお仕事」と表記することが多い。線引き自体が不毛である

川本さんはそういった区別や括りに良い意味でこだわらなかったため、現在の活動はテニプリ関連の交友関係による影響が大きいように見える。「タレント声優をやる」という枠組みでは語れないほどの様々な表現活動を行っているのである

これはほんの一例で、他にもテニプリきっかけとして舞台イベントなどでキャスト同士が共演しあっているシーンも多く見られる。

(余談になるがネルケプランニング野上祥子さんという方がその関係作りに大きく影響を与えているように思う。「のがしょの結婚式青学全員揃った」と以前語られていて、その深い交友関係が伺える。イベント舞台裏映像などで学校ごとに点呼とってるのが本人かと思われる。)

しかし、この「作品への思い入れ」については問題点もある。それは後述するとして、このキャスティングがもたらした状況をCD展開と合わせて考察する。


キャラクターソング展開について

参考:Wikipedia「ティー ワイ エンタテインメント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC_%E3%83%AF%E3%82%A4_%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

こちらもご存知の通りだが、テニプリではアニメキャストミュージカルキャストキャラクターとして歌う、所謂キャラソンが大量にリリースされている。

その数驚くことに300タイトルを超えているのである

この展開については、明確な仕掛け人がいる。「松井P」と呼ばれる「松井伸太郎」氏である

イベントMCをつとめたり顔出しを含め表に出ることが多いため、ファンの間では有名な存在だ。

最近ではどの作品でもアニメゲームに合わせてキャラソンを出すことはもはや定番の流れであるが、松井氏の手がける作品の印象は、有名アーティスト楽曲を依頼したり、キャラクターキャストの人気を判断してから出すのではなく、とにかく「面白そうな企画であれば気軽にリリースする」という感じだ。

もちろん素人目に見てだが、テニプリについては正直「これ採算がとれるのだろうか」と心配してしまうような企画のCDでも次々にリリースしている。

松井氏はキャスト自身に作詞をするよう提案する。中の人ファンはもちろん喜ぶし、確かに全く作品に関わっていない第三者に依頼するよりは、そのキャラクターを自ら演じたことのあるキャストに依頼した方がキャラクターソングとしての深みが増すということだろう。もしかしたらコスト面でも有利なのかもしれない。

しかしその「やってみないか」は作詞のみならず作曲コント台本等にまで及ぶこととなった。

キャストに意欲と時間があればリリースする。その結果、出来上がったものを見ると明らかな偏りが出来てしまった。

事情を知らない者からすると「何故このキャラでこんなにたくさんCD出てるの?」といった具合である

内容も原作からは少しずつ遠ざかり、ほとんど二次創作のような…俗に言う「キャラ崩壊」の状態のものリリースされることとなる。

極端な言い方になってしまうが「テニプリ」という作品を一つのきっかけにして役者クリエーターの発表の場にもしているように感じる。

これは「キャラ私物化」とも言えるのではないだろうか。

これ自体が悪いことであると伝えたい訳ではない。

通常の漫画原作アニメ作品だと、アニメ原作の終了とともにその人気は落ち着いていくものだが、テニプリミュージカルを始めラジオゲーム・グッズ・CDリリースなどメディアミックスが根気よく盛り上げ続けていたおかげで現在の人気に繋がっているとも言えるからだ。


自分ラジプリリスナーということもあり、テニプリ新譜は全体的に把握しているのだがそういうファンは稀であり、ほとんどは好きなキャラの曲や気になった作品のみを購入して聴いている。

製作側もそのつもりで、気になったものだけ買ってくれということだろう。商業であることについて嫌悪感がある者は買わなければ良いという話なのだ

繰り返すが、これ自体が問題点ではない。

この「キャラ私物化」がイベントに反映されることに問題を感じているのである



Ⅲ.テニプリフェスタ問題点要望

長々と書いてきたが、改めてここで言いたいことはタイトル通り「テニプリフェスタ問題点」と「要望である

ここで言うテニプリフェスタとは、「アニメテニスの王子様が開催・DVD化している一連のライブイベント総称として扱う。

http://www.tenipuri.jp/festa2011/archive/archive.html

これまでに以下3回行われており、すべて映像化されているものだ。

2008年パシフィコ横浜100曲マラソン

2009年有明コロシアムテニプリフェスタ2009」

2010年日本武道館テニプリフェスタ2011」

すべて2回以上の公演があり、規模は年ごとに拡大している。

アニメが盛り上がっている時期または開始前にキャストのトークや歌のライブを行う作品も今では珍しくないが、テニプリアニメ放映期間が2001年2005年ということを考えると開催のタイミングとしては遅すぎるように感じる。

なぜ人気絶頂の時期に開催しなかったのかは解りかねるが、現在でも毎回チケット完売・満員となる人気公演である

初回の100曲マラソンは、その名の通り多くのキャストマラソンのように次々と交代しながら100曲歌い切るという公演であった。

キャラソンが大量に出ており人気作品であったにも関わらず、全体のライブイベントが開催されていなかったので、まさに満を持してという言葉が相応しい熱いライブであった。

選曲もファンの間では有名な全盛期の楽曲を中心に、楽曲人気投票の結果を反映させたセットリストとなっていた。

しかしⅡで述べた通り、アニメテニスの王子様楽曲は偏りがある。

当然ファーストライブと全く同じセットリストで進めるわけにはいかないため、2回目以降はキャラクターの2枚目以降の曲やアルバム曲・最新曲など、言うなれば「しっかりとキャラソン情報を追っているようなファン」でないと聴きなじみの無い楽曲も見られるようになる。

それでもキャラクター色の強い楽曲であればテニプリファンとして盛り上がることが出来るが、先述の通り事情を知らないと解らないような内輪ノリの楽曲も多いのでここでどうしても盛り上がりに欠けてしまう。

そしてⅠに述べた「テニプリファンの多様性」が問題となるのだ。

毎日テニプリ」や「テニプリキャラ」のことを考えている「テニプリファン」は、「テニプリフェスタ」と聞けば当然の感覚として参加を希望する。

しかし実際に歌われるのは、ほとんど「キャラソン」というものから遠ざかっている楽曲ばかりである

期待していたイメージとは少し違うということも多々あるだろう。

(ここからは大変失礼な自分見解であるが)更にその出演者は他人気作品ではあまり見かけないキャストも多く、また10年以上続く作品とあって出演者の年齢層も高めになっている。またこれはテニプリに限ったことではないが、キャスト全ての歌唱力がその会場の規模に見合っているとも限らない。

テニプリファンの層は10代~30代女性が圧倒的に多く、その多くが「アイドル的に」キャラクターはまっていることを考えると、そのギャップは何とも言いがたい「違和感」として残る。

この感覚こそが今回記事を書かせてもらう一番の動機となった部分である

実際、原作アニメも初期から好きで、歴代のテニプリフェスタにも参加してきた友人ですら「テニフェスは今後も行くかどうかは解らない…」というような発言をしている。既に付いていけなくなっているのだ。


さて、文句ばかり述べているのではただのアンチと変わらない。

これを踏まえて「要望」を書いていきたい。

ただ、もちろんイベントの企画やプロデュースなど全く携わったことの無い素人なのであくまで「ファンとして」「こうだったら楽しめるのではないか」と思えるものを考えてみた。

①作品共通のテーマソングを作る

アニメテニプリではしばしば記念となるCDリリースしている。

その中でも特に作者の許斐先生作詞をしているものについては、ライブのオープニングやアンコールなど、そのイベントの最大の見せ場に歌われる。

Dear Princeテニスの王子様達へ~」「テニプリっていいな」「Love Festival」などがそうであり、どれも名曲ばかりである

(余談になるが、原作者作詞作曲から歌唱まで参加することについて賛否両論ある。自分ステージで歌われると流石にちょっと笑ってしまう一人なのだ(笑)先生歌詞は一貫して「テニスの王子様」のストーリーの軸や「ファンに楽しんでもらいたい」という姿勢を崩していない点においてもとても評価できる。

先生のこの姿勢ライブDVDの特典映像舞台裏などで見ることが出来る。

ライブ直後にキャストにかけた言葉が「(ファンの)みんなも楽しんでくれたと思います」であった。キャストを労うよりも先にまずそちらを意識するところが原作者でありリーダーらしいと思う。)

しかし実際こういった曲でさえ、やはり「しっかりとキャラソン情報を追っているようなファン」でないと知らないことが多い。

そこで、こういった作品全体がテーマとなっている曲を、ミュージカルゲームなどと共通して使用してみることは出来ないだろうか。

ファンの現場からすると、例えばテニミュファンとカラオケに行った時にお互いの曲を知らないということが多々あり、もどかしい思いをするのである

もっとキャラクターを前面に押し出す

ライブに参加し実感したのは、「キャラクター映像として映し出された瞬間」に会場が一番沸くということである

あくまでここに来ているファンの多くは「キャラクターのファン」であってキャスト声優ミュージカルキャスト)のファンではない。(もちろん付随してそちらのファンになるわけだが。)

アフレコや思い出のシーン紹介などはとても良い企画だと思う。ライブ部分にもう少し「キャラクターのもの」を登場させて欲しいのだ。

映像だけでなく台詞などでももう少し「キャラクターのもの」が登場する割合は増やせるのではないか

あくまでキャストキャラクターなのだ

王道の曲をやる

なかなか全ての楽曲を把握している者は少ないと思うが、それでも多くのファンが知っている有名な曲というのは存在する。

例え既に披露されていたり10年前の曲だったとしても、年に1回(か、それ以下)しか行われないライブであるので、やはりファンは「待ってました」と思い喜ぶのではないだろうか。

また、キャラクターソングということを抜きにしてもこの作品には隠れた名曲が多い。

完全にランキングリクエストセットリスト作成するなど、ファンの希望に沿ったライブもアリなのではないか

ライブという形態を変えてみる

ちょっと離れ業のような意見だが、例えば「ジャンプフェスタ」のように、展示と物販・フードなども交えたキャラクターイベントにしてしまうのはどうだろうか。

流石にブースごとのステージは難しいと思うが、そこは別ホールへ入替制にし、内容もライブパートとトークパートに分けても良いかもしれない。

展示やフードは学校ごとのブースを作ったり、ナンジャタウンのようなゲームコーナーを設けるのも良さそうである

ライトファンを含めれば、テニプリは単独でこれくらいのイベントを開いても問題がないくらい関心のあるファンが多いと思っている。

------------

【まとめ】

気づいたら異様な長文になっていた。ここまで目を通してくれている人がいたら本当に感謝したい。

述べたいことをまとめると

Ⅰ「テニプリ」ファンは想像以上に裾野が広く、そのはまり方は実に多様である

Ⅱそれに対してキャラクターソング展開は偏りがあり、全体的に内輪ノリである

Ⅲその状態でテニプリフェスタを開催するとギャップが生じ、せっかくのファンが遠のいてしまう。

 それぞれのメディア展開同士で歩み寄りを見せてはどうだろうか。

ということである


最後に、個人的にはテニプリ自体は言うまでもなく、キャストの一体感とそのテニプリ愛が大好きである

武道館での涙は本当に感動した。思わず自然と一緒に泣いてしまっていた。

少しでも長く、彼らの活動を見ていたい。だからこそ、やはり二次元原作である「作品」に立ち返って欲しいのである

これを機会にこのライブについて皆で一緒に考えて欲しいというのが、今回の期待であり自分の願いである。


長々とお邪魔してすみませんでした。

以上です。

2013-01-25

ラノベについてそのような評価を出せるぐらい大量のラノベを読んでいる→お前自身ラノベヲタだろきめえ

少数のラノベを読んだだけor1冊も読んだことないのにラノベ全体についてイメージで評価→「定性評価」ではなくて「偏見」と言います

http://anond.hatelabo.jp/20130125115309

黄昏流星群弘兼憲史)はこの場合、どっちにはいるんだ?

オタクキモイのほうなのか、非ヲタキモくないのか。

その辺にヒントがある気がする。

2013-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20130116154048

2005年より古ければ何でもいいんだから、1980-90年代なら十分では?

もともと上杉謙信女性説は、ヲタ業界では謙信ちゃん結構有名だからな。

 

織田信長でもパクったとか、そういうことではないと思うけど。あまりにも、織田信奈と近すぎる。もうちょっと離せなかったのかと。そんだけじゃね。

2012-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20121230054706

無断転載禁止を叫んでる連中とか、サムゲ荘を攻撃してる連中とか、上祐のインタビュー本を攻撃してる連中とかさ。

総じて言える事なんだけど、判り易い悪役を持ってきて、「ボクハコノワルイヤツダケヲタタイテイルンダ」って言うのは、何でなんかね。


そんなこと(不特定多数を撃つ弾丸だけど、僕は腕が良いから悪い奴しか撃たないよ)が言えてしまうなら、表現規制バンバンやればいいじゃん。

きっと、警察司法は「上手く」運用してくれるよ。

2012-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20121216150223

左翼側の方が、はるかに信頼出来ないからだろ。「我はリベラルで御座い」なんて言いながら、保守並みにヲタ犯罪者予備軍として扱ってきたのが左翼。口先だけって印象が強い。

それと左翼は「自民表現規制の賛成派」ってのを言って批判してるが、左翼はこれまで、拳法九条を改正しようといっただけで「殺人鬼」「軍国主義者」「ヒットラー」と口汚く罵ってきたわけで、表現の面でも良くて自民とドッコイドッコイだよ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん