はてなキーワード: トランスセクシャルとは
上のまとめはフェミニズムの定義や歴史などのキレイゴトだけを並べて「現実を無視」した話だけが述べられていて
はてぶのコメント欄にはアンチフェミの優れたコメント、ツッコミが多いのでまとめてみました。
上のまとめしか見ないで、はてぶを見ないで勘違いしてしまう人が多いと困りますからね。
(それでいて「待機児童で少子化がー!」って意見には共感してるんだから頭が悪すぎて話になりません)
自分たちが害悪だと気付いてない馬鹿女ほどフェミになるんだよね
「自分の主張の正しさはフェミニズムを勉強すれば分かる」という主張が意味ないということはわかった。多様なんだから。結局本人に尋ねるしかない。あなたのいうフェミニズムってなんですか? って
つまり自浄作用は期待出来ないという事か… 当事者が総括しきれない以上、周囲が手を貸すしか無いんだろうけど、やったらやったで発狂するんだろうなーとこしあん氏周辺を見てて感じる所なの。ぬーん…
こういう分類って外から見て何の意味もないのはこれ書いてる人もわかってるはず
他の思想を軽視しておきながら、思想統一の全体主義に怯える意味が分からない。
素人考えですが、男女の完全な区別撤廃がゴールでいいんじゃないかな。区別がなければトランスセクシャルでも全然困らないし男女差別のしようもない。女子サッカーも女子校も女子トイレも終わりでどうだろう
(男女の完全な区別撤廃) そうなったら一般的に知力体力精神力で圧倒的に劣る生まれつき弱者の女という肉体を持って生まれた時点で悲惨。対等扱いなら負け組決定でイジメ対象。先日の「障害児産んでつらい」と同じ
こんなんどうでもよくて社会のためならば思想信条と表現の自由を侵す事を是とする全体主義者と科学的根拠を軽視する人文系クズとキリスト教の道徳を押し付ける宗教キチガイは死ね以外の感想はとくにないよね
>フェミニストの固有名詞が一人も出てこないところがミソ・・・同意。特に日本の有名なフェミは女尊男卑で男憎しのキチ害婆ばかりだから。定義と歴史だけをゴリ押しして自己正当化に必死な※が現実を無視してる証拠
他のフェミニストが馴れ合いで「あれはフェミニズムではなくミサンドリー」と自浄しないからだろ。オウムと仏教、ISISとイスラム教の関係に同じ
「民主主義とは」って教科書の理想・理念と同じ。現実は理想からは遠く「衆愚政治」になっている。これは多くが認めるのにフェミが「衆愚フェミ」になってる現実は絶対に認めずに批判に逆切れしてる卑怯な人が目立つ
twitterにいるクソフェミがこの分類には見当たらないのだが…。
フェミは新興宗教のようなもの。新興宗教なんて一般人からみたらどれもキチ害と同様。「偏見を持つな!」と言われてもTOP級のフェミも女尊男卑のクズばかりで説得力ゼロ。女性からもアンチフェミが激増の現実を見ろ
>理想と現実が解離しすぎ・・・これですね。「フェミは共産主義に酷似している」と言われるが妄想上の理想を追求した共産主義は旧ソ連のように失敗するだけ。現実の男女差を無視してるから現実にそぐわないのは当然
はてなに限らず、2ch小町がるちゃんどこでもそうなんだけど女脳には「人それぞれ」という言い訳が標準装備されてんの?女脳の半分は言い訳成分でできてるよな。現実が見えてない。
一人一派と社会運動としてのフェミニズムは矛盾すると思うのだけどそのへんどうなの?
問題は理論を学んでいてもいなくてもフェミはキチガイが多い、ということ。根源が女性の感情から来てるからなのか?解決策は「人口子宮⇒女の人権の剥奪」しかない。一般女性まで薄いフェミで傲慢になりすぎ少子化
「偏見を持つな!」と言われてもTOP級のフェミも女尊男卑のクズばかりで説得力ゼロ。女性からもアンチフェミが激増の現実を見ることができない哀れなフェミ婆が多い
「私」と「全体」を切り離せるかだよなあ
>理想と現実が解離しすぎ・・・これですね。「フェミは共産主義に酷似している」と言われるが妄想上の理想を追求した共産主義は旧ソ連のように失敗するだけ。現実の男女差を無視してるから現実にそぐわないのは当然
大体あってると思う。問題はそれぞれの定義と「実際の運用と中の人のメンタル」はまた別物でアホみたいに細分化してるし本人が掲げる理屈にすら合ってない。はっきりしてるのは共闘とか言い出すだけ無駄って事
総じて『あぁ…「宗教」やなぁ…』という感じ。/まぁ、信仰するのはご自由に…としか言い様がないけど、それを普遍的な「正しさ」だとして迫ってくる場合がタチ悪い。
「不快」「実害」についてが気になるところかなあ。無視・コソコソ陰口系のいじめは目に見える「実害」はないので「気にするな」で済まされたりするよなー、とか。
日本国内における頭のおかしいキリスト教徒の文化侵略の隠れ蓑の話がない
ようは「女が不快に感じたものは攻撃されるべきだし規制されるべきである」ってことか
アフリカの何とか解放戦線もしばき隊もフェミニズムも全部「他人を支配下に置きたい」という強い欲求を持って行っている点では共通している。お題目が違っても行動が似るのは求めてる物が一緒だから
こいつらは「個人で生きろ」「自分自身を見つめろ」と言うが、そうした結果みんな何もできなくなっているのではないか。フェミニズムは男性を救わないし私はフェミニズムに協力しない。
現状のフェミニズムは自称フェニミストの自己中な願望を実現させようとするための手段でしかなくなってるのが非常に残念。
この内容に対して「オトコが悪い」のブコメ!集まる星!絶望しろ!これがはてなだ!
最近は「一人一派」と名乗ってゲリラ戦に勤しんでいるので、体系としての学問を放棄している模様
日本のフェミニズムはそのうち一般女性に矛先を向けて攻撃を始めそうな感じがある。
フェミニズムは学問ではなく左派政治運動であり、フェミニズム等の文化左翼は左翼の中でも最下層の吹きだまり。
フェミって学問としては表面上はキレイゴトで加工されてるから高学歴ブスはハマリやすいんだよね、はてな婆のようにw
問題は理論を学んでいてもいなくてもフェミはキチガイが多い、ということ。根源が女性の感情から来てるからなのか?解決策は「人口子宮⇒女の人権の剥奪」しかない。一般女性まで薄いフェミで傲慢になりすぎ少子化
日本は感情が先走るのでセックスとジェンダーを分けることができない。
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。…
一言で言ひ表せたが。といふ揚げ足取りはともかくコンパクトに概観をまとめてゐて好感が持てる。/ともあれ、フェミニズムは滅ぶべきと考へる次第である
落とし所はゾーニングかな「私が不快に思うからNG」じゃなくて条文に落とし込めるような共通認識と定義があれば議論は可能
こうして見ると一理あるみたいに思えるけどネットで見かける自称フェミが軒並み基地害なのはなぜなのか
M議員といえば、安保関連法に反対する学生団体SEALDSに対してTwitterに書いた内容が物議を醸し出し、また未公開株の不透明なやりとりが発覚して、所属していた自民党を離党した矢先だった。
私個人的なところで、M議員の政治家としての資質に対して懐疑的であり、感情的にも嫌いではあったけれど、しかし今回の暴露記事を目にした際には、そういう個人に対する評価や感情を越えて、胸につっかえる感覚を抱いていた。それで、ボヤっと1日考えていたわけだけど、それが何なのかが少しずつ溶解してきたので、書き留めておこうと思った。
今回の記事では、M議員は19歳の男性とゲイ向けの出会い系サイトで知り合い、金銭の受け渡しを伴う性的関係を複数回持ったということが、LINEのスクリーンショット画像と「売春」という言葉ともに公開されている。
日本の法律と照らしあわせてみていくと、先ず同性間において金銭や報酬の受け渡しをともなった性的関係を罰する法律はなく、これは売春にあたらない。
相手が19歳という年齢に関しても、18歳以上であるので法的に問題がない。
にも関わらず、「19歳の男性を“買春”していた」というセンセーショナルな言葉を使ったわけだ。
これはつまり法的には完全に無罪ではあるのに、M議員が「ゲイ」であること、そして男性と性的関係を持っていることをセンセーショナルに公にすること自体が目的の記事と言える。
個人のセクシャリティというのは、プライバシーでもあり、そしてとても繊細な情報でもある。
近年ではLGBTという言葉の認知も広がり、多様な性のあり方があるということが社会に浸透してきているとはいえ、まだまだ性的少数者に対する偏見や差別があるのは否めない状況下でもあり、ましてやプライバシーの侵害という点で、第三者が個人のセクシャリティを本人の断りもなく勝手に公開していいというのは余りにも身勝手で酷い話では無いのか。それがたとえ公人であるとしてもだ。
そして、この記事がSNSやニュースを通して大きな話題となった。
この記事がこのようにセンセーショナルに扱われるというところには、この社会の中にある性的少数者への眼差しや本音が現れ出ている。
記事を書く側が、受け手であるこの社会の少なからぬ人が、M議員が「ゲイ」であることに対して、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。
セクシャリティと世間の狭間にあるモノがここに露わになったのだ。
4月に電通ダイバーシティ・ラボが「LGBT調査 2015」を実施した。
http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2015041-0423%2B.pdf
それによると、国内のLGBT層に該当する人は 7.6%と算出された。人口でいうと約900万人前後といったところ。
もちろん、約900万人の全てがカミングアウトして生活しているわけではない。
偏見や差別を恐れ、自分のセクシャリティを隠しながら生きている人も多数存在している。
そういう社会の中で、M議員が、その”人”が、ゲイであることを晒したうえ、それをネタにして記事にしたのだ。
ゲイ=話題が取れるネタになるということを改めて世間に知らしめたのだ。
この社会を構成する人たちがその記事を見て、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。
自分のセクシャリティを隠しながら生きている人達はこの状況に何を感じたのだろう。
自分のセクシャリティと周囲との関係性に悩んでいる思春期の子たちは、この風潮に何を感じたのだろう。
自分のセクシャリティを公にしたとき得ることになる反応を、この記事の中に見ているのかもしれない。
実は、私も性的少数者の1人である。LGBTでいうなら、Tである。
性別を変えたのち、現在は変更後の性でノンカムのままフリーランスの仕事と大学講師を掛け持って暮らしている。
これまでの私の人生においても、過去を知る知人によって私がトランスセクシャルであると第三者に勝手に暴露されて、好奇の視線を浴び、侮蔑され、差別され、そんな悲しい思いをしたことは数知れない。
そのような経験を内に秘めて生きてきて、この記事を目の当たりにした。
今はただ、悲しく虚しい思いだけが記事を前にしてポツリと佇んでいる。
追記:
私の友人たち(大半はヘテロセクシャル)は、彼がゲイであることは切り離して、議員としての自覚や言動、資質について書いている人が多かったことは救いです。
でもって、指摘された部分は、確かに突っ込まれる隙だよね。筆者は言い訳してるけど、突っ込んでくる人が全て言い訳聞いてくれるとは限らないからね。
要は、リスクを背負ってでも守りたいと思えるほど面白い漫画じゃないしねって。
まあそれだけのことなんだよね。
ギャグも中途半端だし、メッセージにしては底が浅いし、筆者が何が隙で好きで何を読ませたいのかよく分からんね。展開も、なんかあきれるほどアリキタリだしね。
だって、そもそも論として、トランスセクシャルと、ホモセクシャルは、また違う話であって、この話が描いてるのは「男が好きだから女になって男と愛し合います」とか「男のときは意識してなかったけど女になったので意識してしまいます」という、極めて『健全な』異性愛者だけであって、同性愛者の痛みとか葛藤とか、そういうヒリヒリしたものは全然描けてないと思うんだ。それをコメディータッチでやられて、そんでオッケーとかやられても、そりゃ違和感あるなあ、という。
SFものとしても中途半端でね。現実問題として、身体的な性が変更可能になったら生じるであろう社会の大きな変化とか、人々の意識の変化、教育の変化などについて、余りにも適当(小学校の社会科でならった、とか)なんだよね。未成年でも性別変更が許されるんだとしたら、親が子どもの性を勝手に変更する→成長した子どもが再変更する、とかそういうのも想像できるし、天然物の性が別に特権化するんじゃないかとか(たとえば整形/非整形みたいな)、ips使った身体加工がもっとフリークスな方向(たとえば人工フタナリとか、副乳、三つ眼とか)へと向かう社会とか、そういうのも想像できるんだけど、どうなの、という。その結果、社会はもっと混乱してると思うのね。
まあ、そういうモロモロを無視してもいいと思えるだけのおもしろさがあれば、別にいいのよ。ハードSFじゃないんだから。でもね、言うほど面白くないしね。だから、細かい設定がいろいろ突っ込まれるわけで。
要はオモんないねんという。結論としては割と詰まらない感想なんだよね。まあ、折角炎上したから、救いの手をさしのべるところもあるかもしれないけど、個人的にはもっと漫画を面白くする方向で努力するか、もっと本当に書きたいことを突き詰めるかするべきだと思うね。今のままじゃ余りに中途半端だわ。たとえば、エロがやりたいならエロやれ、と。
以上。
私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つの理由。
それは『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギ)という作品が実のところ魔法少女ものではないせいだ。
もっとも制作はすべて承知の上だろう。だから問題は受け手の側にこそある。
あなたはもしかしてまだ本作を魔法少女ものとして思ってやしないだろうか。あるいはアンチ魔法少女ものと惑わされてはいないだろうか。
そんな素直なファンたちにこそ伝えたい。魔法少女が現実に我々の社会を照らす光なのだということを。
最近だが『Fate kaleid liner プリズマ☆イリヤ』というアニメを観る機会があった。
嫌がる少女を無理矢理魔法少女にしたてあげたり、立派な女子高生がその衣装を着ることを揶揄したりと、なんとも悪趣味なパロディ作品であった。
——このままでは近いうちに変格が本格を駆逐してしまうのではないか。
その日が来る前に、伝えておかなければいけない。
敢えてそう主張しよう。
それは何だろうか。
笑わないで聞いてほしい。
魔法少女とは時代や年代で移り変わる少女の価値観を切り取り、輝きをまとわせるものでなければならない。それこそが魔法少女の資格であり、約束事であり、存在意義なのだ。
いま魔法少女と呼べるのはせいぜいキュアハートとフラメンコガールくらいのものだろう。
ここで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(1982年)という作品を取り上げたい。
男性おたくを含め魅了した点で、本作の先駆けとも言える魔法少女ものの有名作品だ。
主人公は12歳の女の子。魔法の力で18歳に成長し、どんなプロフェッショナルにもなることができる。そうして「あなたの夢は私が守る」と視聴者に訴え続ける。
すると賢しい人はこんなことを言う。
「まどマギが正統派の魔法少女ものだなんて思っていないよ。あれはアンチ魔法少女ものなんだ」と。
……いいだろう。
そのテーマで私に論戦を張ろうというのなら受けて立とう。
アーキタイプとはC・G・ユングによる精神分析の用語で、世界中の神話や民話に繰り返し登場する人物像を抽象、統合したものをいう。物語分析においてはキャラクター類型論の礎として重用される。
この理論に則ると魔法少女は〈お姫さま〉のアーキタイプに還元される。
〈お姫さま〉は特別な生まれを持ち、国じゅうの人々の期待を受けている。社会の善性を表現し、人心を希望で満たすことが彼女の至上命題だ。
誰でも知っているように、すべての魔法少女はフェアリーテール(おとぎ話)の主人公なのである。
本稿は二つの作例を扱う。一つは『少女革命ウテナ』(1995年)。もう一つは『マルドゥック・スクランブル』(2003年。アニメ版は2010〜2012年)だ。
以降は『ウテナ』、『マルドゥック』と略記する。
知らない人は各自で Google にでも尋ねてほしい。
以下に読み解いてゆく。
『ウテナ』の真の主人公、姫宮アンシーのアーキタイプは〈娼婦〉である。〈娼婦〉は〈お姫さま〉の反対で、他人にへつらい、虐げられ、社会の悪性を負わされる犠牲のアイコンだ。
一方、表の主人公であるウテナは〈王子さま〉を目指す女の子というトランスセクシャルなキャラクター。
しかしこれは倒錯ではない。
洞察力を働かせればアンシー、ウテナのともどもが不在の〈お姫さま〉の鏡像であることに気づくだろう。
ちなみに敵対者である暁生は〈魔王〉。自らは何も生めず、他人を支配してその生産物を奪う男。暁生とアンシーの肌が黒く描かれるのはそのネガティブな心性が表出したためだ。
さらに続ければ枝織は〈悪女〉。力ある男に寄生してはダメにしてしまう中身のない女のアーキタイプ、となる。
閑話休題。
他方、『マルドゥック』の主人公バロットが〈娼婦〉であることに説明は不要だろう。
なのでもう一つアンシーと共通する特徴をあげよう。
未確認生物(サル?)のチュチュは典型的なダメ男の現身。人造ネズミのウフコックは使い手に依拠した万能の道具存在。そのいずれもが魔法少女の必須アイテムであるマスコットアニマルの成れの果てだ。
「学園の外の世界」だ。
そもそも「世界の殻を破る」というフレーズは二度目の誕生のメタファーである。
管理されたままでいるのも、管理する側にまわるのも結局は同じこと。
選んだのは未知に挑むという生き方。
〈王子さま〉でも〈お姫さま〉でもない。〈デュエリスト〉こそ『ウテナ』の提案するオルタナティブだ。
ではバロットはどうなっただろう。
彼女は当初こそ手にした力に溺れるものの、自分を裏切った男(野心の象徴)を殺すことはしない。逆に男を守ることで克つ。
さらに最後の敵(破壊の象徴)を相手に闘うときにも、バロットはひたすら耐え忍び、前のウフコックの相棒だったその男を止めることを考える。
運というものを理解したバロットにとってすでに暴力は勝利への要手ではないのだ。
どうだろう。
彼女は男性とは異なる価値観と武器を身につけたバトルヒロインとして成熟の階段を登っているのだ。
締めにふたたび『ミンキーモモ』の話をしよう。
この作品は途中、主人公が事故死するという衝撃の展開を迎える。これは現実への決定的な敗北であり、魔法少女というテーマに対する叛乱であるとさえ映る。しかし彼女はその後ふつうの人間として生まれ変わり、それからも夢を求め続けるのだ。
この出来事はいわば魔法少女という夢を現実に呼び込むための通過儀礼である。実のところ『ウテナ』で視聴者を騒がせたウテナの処女喪失シーンはこの発展ともいえる。
魔法少女とは何か、そしてアンチ魔法少女とはどういう所業なのか、理解されただろうか。
それではようやく『まどマギ』の話に移ろうと思う。
結論からいえば暁美ほむらはダークヒーローの女性版に過ぎない。
そして鹿目まどかの正体はヒロインへの変身を期待されながら最後はヒーローに変身するという、高次元のシェイプシフターであった。
結局、本編はまどかときゅうべえの二人がひとりよがりな正義に溺れたほむらにしっぺ返しを見舞う結末で幕を閉じる。
それに続く今作は——サブタイトルを信じるのなら——アンチヒーローとなったほむらがすでに叶えられたまどかのヒロイズムを覆そうとする物語となるはずだ。
実際、予告映像を観た後の私の予想は「どうせビューティフルドリーマーではじまってレイアース2で終わるんでしょ?」であった。
皆が『ファウスト』要素探しに忙しいようなので私が代わりに言うのだが、『まどマギ』の思想世界は『魔法騎士レイアース』のそれそのままである。
願いの力を世界の第一原理として位置づけ、その上で自己犠牲を否定するのなら、『レイアース2』の提示した可能性のいずれかに落ち着くのが妥当である。
ゆえに、いまの私に物語面に対する期待はない。
無論、映像・演出面のクオリティであればいくら期待してもよいのだろう。
しかし、だ。
『まどマギ』本編がやってみせたのは一見ヒロイズムの糾弾であるようで、その実勝つために既製の概念やルールを変える行為の全面肯定に他ならないのだ。
そんな作品である以上、魔法少女の外観は「釣り」以外の何物でもない。理解して食いつくのなら言い訳もできよう。舌に乗せたら甘美な味がする餌なのだろう。
しかし、我々は豚ではない。
食うためだけに生きるのも、食われるために生きるのも、どちらも御免被ると私は思う。
——部屋の灯りが落とされた。
そろそろこのノートパソコンを閉じなければいけない。これ以上の照光と打鍵音は周囲の観客の迷惑だ。
最後に。
これだけは言っておく。
少々長くなりますのでご了承ください。
新たなる代用語として充てられている感はあるが、
それでも依然として、
同性愛・性同一性障害・ニューハーフ・トランスジェンダー/トランスセクシャル・インターセックス(両性具有者)
といったセクシャルマイノリティと混同している人が目立つ。
各々の定義は、とりあえず現在はwikipediaに記載された定義が最もベターだと思う。
(実態と異なる部分も少なからずあるが、うまく区分けされまとめられているように思う)
ニューハーフという定義だけは曖昧で、厳密にはLGBTのセクシャルマイノリティには当てはまらず、
性自認が男であろうと、恋愛対象が女性であろうと、性ホルモンを投与してなかろうと女性の恰好や仕草をして
それを売りにして"水商売・風俗産業"に従事する者達を指す言葉なのだが、
近年は「将来的に女性として生きる事を目指していて、性ホルモンを投与していて見た目も女性らしく見える人」を指す言葉でもあるようなので、
広義的にLGBTのセクシャルマイノリティに分類しても良いかと思っている。
仕事のためや趣味だけでニューハーフをやっている者もいるので、LGBTに含まれないニューハーフがいるのも事実だが。
ここで、その「LGBT」とは?
セクシャルマイノリティの区分けを大別して国際的に以下のように区分される。
T・・・トランスジェンダー/トランスセクシャル (性別変更者)
※セクシャルをセクシュアルと呼ぶ事もあるが、
さて、現実世界で男の娘と定義されるようになったかつての女装子達。
一般理念としては、「身体の性別が男性で、性同一性障害ではなく性ホルモンも投与しておらず、
ただのファションの一環としてや性的嗜好により女性の服装を纏ったり化粧をする者」という定義だと思う。
しかし中には性同一性障害の人で、女性化の一歩として女装から入る人もいる。
まだ性ホルモン等もやっていないので周りから見れば女装にしか見えない。
本人に性自認を聞かない限り判断はできない。
そういう人は外観から見れば女装者だが、正しくは「性同一性障害のトランスジェンダー」という区分けになる。
性同一性障害であろうとなかろうと、性ホルモン投与を始めたり、
身体の手術を行えば、「ニューハーフ」という区分になる。
(ここで、ニューハーフとは水商売・風俗産業に従事する者という定義に当てはめれば、
性ホルモン投与を開始しても、一般職だったり学生だったり無職であればニューハーフではなく
「トランスジェンダー」という区分になる。広義的な意味ではニューハーフという区分でもいいかもしれない)
トランスジェンダーは、まだ完全に工事が終わってなく女性化の途中段階の人で
トランスセクシャルは性転換手術も完全に終えた人を指す。法律と性器の外観以外にこの2者に大きな違いはない。
(同じトランスジェンダーの中でも性ホルモン投与が始めたてで身体の肉付きがまだ女性的になっていない場合は見た目の違いは顕著な事も多い)
同性愛とは周りからの判断で決まるものではなく、本人の性自認によって委ねられる。
本人が「自分は男だ」と自認していて、かつ同性を好きになる事が同性愛。
本人が性同一性障害などで「私は女だ」と認識していて男性を好きになる行為は
本人にとっては「異性愛」。これらは「性的指向」と呼ばれるもので、
見た目や仕草に決まりがあるというわけではない。
冒頭で書いたように、女装を嗜んだり、女言葉を使ったりしていても
当事者が「自分は男だ」と自認した上で男性を好きになる事は同性愛であるし、
まだ見た目は男のままでも、性同一性障害であるなら異性愛という認識になる。
「幼い頃から自身を女性だと思っていて、それまで男として暮らしてきてもいずれ女性の恰好をして性ホルモンや性転換などの治療を受け、
なおかつ24時間女性として暮らす事を望む者」という事が精神医学のガイドラインで決まっていて、恋愛対象が男か女かは特に問われない。
実状としては性同一性障害にも関わらず親との関係や環境上の理由により、男の姿のまま一生を全うする者もいるので
一概にどうと言えない。
しかしそういった者の中で男性が恋愛対象の性同一性障害者は、周りからは「同性愛者の男性」であると思われても仕方のない部分もある。
また、中には性同一性障害ではないのにも関わらず、自己判断で性ホルモンを投与したりいずれ手術に望む者もいる。
そういう者もトランスジェンダー/トランスセクシャルに分別されるが、精神医学上では「異性化願望症」と判断される。
ちなみに、性同一性障害の当事者からは、そういった異性化願望症の当事者を嫌悪/排他する傾向にある。
元々は、「普通の男性なのだが見た目が美少女にしか見えない少年」
といった意味であるようなのだが、創作世界から現実世界に派生し、
一部では、綺麗で女性らしい見た目であれば
性自認も恋愛対象も関係なく一律に男の娘と呼ぶとする者もいるが、
いったいどこまでを定義していいのか、当事者達にとっても悩ましい問題である。
そもそも、創作世界においての萌えに限定しては混同してもいいのかもしれないが、
現実世界においてのセクシャルマイノリティや性的嗜好を一括りするのは禁忌であると思う。
なぜならば現実世界においてセクシャルマイノリティの分野はデリケートな問題であるからだ。
当事者間においては、趣味で女装を嗜むだけの者にとってはニューハーフと同一視されたくない、
ニューハーフや性同一性障害のトランスジェンダー/トランスセクシャル者にとっては、
趣味で女装をしているだけの者と同一視されたくないというデリケートな思いがあるからである。
近年においては、ニューハーフ職に属していないトランスジェンダーやトランスセクシャルも大勢いる。
そういったニューハーフに属していないトランスジェンダー/トランスセクシャルと女装少年を同一視して男の娘と区分してしまっている傾向はある。
はたから見れば、どちらも同じく男性に生まれ女性の恰好をしたり生活をしている者と見えてしまうのだが、
それでも性同一性障害などで性ホルモン投与をしたり女性として暮らしている当事者と、ファッションや趣味だけで女装を楽しんでいる者とは大きく異なる。例えこの両者が、見た目がすごく綺麗な女性である前提としても。
または現実世界でも「セクシャルマイノリティではないし女装もしてないが女性のような顔つきをした者」だけに限定して使う事が望ましい。
1歩譲って、女装を嗜む者も含んでもいいと思うが、現在、現実世界でメディアに男の娘と区分されている者の中に、
性同一性障害者や、性ホルモン投与者などがいるなら、男の娘という区分からは外して分けて考えるべきなのだ。
そういう者はトランスジェンダーであり、いくら綺麗でも女装を嗜むだけの者とは異なる。
困った事に、セクシャルマイノリティの当事者の中でも、綺麗な女装男子といっしょになって「自分は男の娘」だと呼称している者もいるということ。
見た目が綺麗で女性的だという褒め言葉的な称号の名の元には同じなのかもしれないが、
見方を変えれば、あなた方が性同一性障害で苦労しようが、性ホルモンや外科手術によって頑張ろうが、
世間にとってはいつまで経っても、ノンケだけどただ女装を嗜んでいる者達と同一視されてもしょうがないという事。
逆に言えば、ただファッションとして女装を楽しんでいる者も、セクシャルマイノリティの当事者といっしょになって男の娘だなんて言ってるうちは、
あなた方も、「男が好きなの?」「女として生きてくの?」「手術するの?」「性同一性障害なの?」と言われてもしょうがないという事。
元増です。
いい質問ですね、よくネット上でも違いが分からないとの意見を目にします。
実はセクシャルマイノリティの世界でも、人それぞれ定義や意識が違います。
(なので余計混乱を招くのでしょうが・・・)
私自身の認識と、wikipedhiaなどからの内容を元に大別してみます。
まず、性自認(自分がどの性だと思ってるか)と性指向(どの性別が恋愛対象か)は違うので
セクシャルマイノリティそのものの種類ですが、大別すると
性自認が男で、性指向も男が対象
性自認も性指向も人それぞれだが、ホルモン療法や外的手術などにより
生まれ持った戸籍と逆の性に体を近づけ、その性での人生を歩む者
しかし性同一性障害は手術やホルモン投与などで肉体に手を加えているか否かは関係ない。
外見は別で、生まれもった性と自身の性自認で差異があり、自分の性自認の性として生きたいと望む内面的なもの。
性自認が女で、性指向も女が対象
性自認は関係なく、性指向が男も女も対象に入る
生まれながらにして、男女両性の特徴を持った方(または両性の特徴を持たぬ者)。
特徴とは外性器であったり内性器であったり、性染色体(遺伝子)であったり。
これは性自認や性指向など関係なく先天的な肉体上の病気なので、
一般的に言われるセクシャルマイノリティとは異なる。
性自認も性指向も生まれ持ったままだが、
なのでセクシャルマイノリティには入らない。
大別すると以上のような感じですが、
質問されたような方々ですが、上のセクシャルマイノリティの方々でも
女装が好きで、女っぽい言葉遣いや生き方が好きなだけという人もいれば
ちなみに、ゲイの方はもれなくムキムキの人で
トランスセクシャル/ジェンダーの人はもれなく女以上に女らしく
言葉遣いも、性別関係なく人それぞれ異なるように
ゲイでもトランスセクシャルでも、しいては普通の男性や女性でも
オネエ言葉と言われてるような喋り方を好む人もいれば、使わない方もいます。
よって、外から見ただけじゃ判断できずに、
本人の口から言われないと正確に判断できない・・・というのが正解でしょう。
しかし、本人曰く「自分は性同一性障害で心は女です」と言っておきながら
体には手を加えたくないらしくホルモン療法も手術もするつもりもなく、
見た目はまるっきり男性なのに男性が好きでオネエ言葉も使う・・・なんて方もいたりするので
はたから見れば女言葉を使うゲイなのですが、ゲイは自身を男だと思っているので
例え見た目が男でも本人がそう思ってなければ性同一性障害なのでしょう。
ただしそういう方は体に手を加えておらず、そのつもりもないのでトランスセクシャル/ジェンダー、
いわゆるニューハーフとは呼びません。
難しいですね^^;