はてなキーワード: ソーラーパネルとは
https://twitter.com/tukunosuke/status/1034651018628198400
実家は山の中にあるのですが、数年後に周辺一帯の木を切りソーラーパネルを設置するらしい。身内は近所に発電所ができると喜んでいるが、私は引っ越してよかったと思ったしそんな光景を見るくらいなら二度と実家に帰らない。あそこには希少生物の生息ポイントもあるのだけれど、もうどうでもいいや。
そんな素敵な場所に、自分自身が住んでいないのはどういうことなのだろう。
結局は、そんなところは、講演に移動するにも、情報にアクセスするにも、情報を公開するにも、「不便な場所」だから引っ越したのではないか。
自分達は利便さを味わいつつ、田舎には不便さがあるということを押し付けて自然が残ることを求める。
単純に、不便であるから不便を強いられ、だから今の今まで自然が開発されないママだっただけでしかない。
ただ見捨てられてきただけでしかない。
自然を保存して誰が金をくれるのか、誰が便利な生活を提供してくれるのか。
誰もしてくれない。
誰もしてはくれない。
にもかかわらず、開発すれば、人々は口をそろえて非難する。
@tadataru
田舎へ行くほどソーラーパネルの被害に遭っとるねん。山の斜面や池の上にパネルがズラーッと並べてあるねん。景観破壊なんてもんじゃない。これ全部補助金ビジネスやぞ。危険かつキモい。どうなっとんねん世の中。平成最後の大愚行やで。
@tadataru
お前らのせいで地方の自然や景観がどんどん醜く破壊されている。
@CDP2017
原発再稼働の方針を明記 エネルギー基本計画を閣議決定:「(政府は)原発を『重要なベースロード電源』として再稼働させる方針を明記。核燃料サイクルを維持し、原発輸出も進めるなど、原発を推進する従来の方針を踏襲した。
@tadataru
地元経済を疲弊させ職を奪い不便な生活を強要して「ヤッター景観が守られたー」「命が守られター」とか言い腐る都会人のエゴ。どうしょうもないクズだね。
@tadataru
だからデカいから捨てただけでしょ。デカくなきゃ取っとくに決まってるんだから。東京の事情ですよこれ。別に文化ガーとか言わねえから、お前らも地方の開発に対して「自然ガー景観ガー」言うなよ。
今夜から3泊4日で妻の実家に滞在する。ストレートに言ってしまえば義父との会話が苦痛なので、私の考え方や振る舞い方を変えるアドバイスを頂きたい。
義父は義父なりに私とコミュニケーションをとってくれようとしている。それはもちろん分かるのだが、他人から聞きかじった誤った情報や自分の信念をベースに話をする。極端に言えば、自身が正しいと思ったことが正しい、と考えるタイプ。水素水に手を出してしまうような人物だ。
これは私の想像だが、そういう人物は自尊心が強い。なので、話してる内容が明らかに誤りの場合でも、指摘すること自体が相手の自尊心を傷付けかねないと思い、「そうなんですねぇ~」と受け止めてしまう。
(もちろん妻実家に経済的なダメージが想定される場合は別だ、例えばソーラーパネル設置などはやんわりと止めた。)
ただ、そういう私の態度が良い印象を与えないらしい。「本音で語ってくれていない」、「心を開いてくれていない」、そう映るようだ。
正しいか間違ってるかで言うと、結構おやじさん間違ってること多いから指摘しちゃうじゃん?
関係性悪くなっちゃうっしょ。。妻の手前それは避けたいわー。。
多分、私のコミュニケーションの捉え方に難がある可能性は理解している。「増田、そういう場合はもっとこうすれば良いぞ」というご助言賜りたい。
つくばに街灯が少なくて、路上わいせつが頻発しているのは、20世紀から言われ続けているわけ。それが嫌で筑波を出て行った人もいるわけ。でも、街灯を増やし過ぎると市の財政を圧迫すると言ってきたわけ。
電気を引かなくて済むソーラーパネル付きの防犯灯は通常の5~10倍の値段で、設置工事にも費用がかかる。一カ所にお金をかけるわけにもいかず、申し訳ないが設置は厳しい(つくば市危機管理課)。
筑波大学新聞 https://www.tsukuba.ac.jp/public/newspaper/pdf-pr/312.pdf
大通り、研究所や大学の境界に面した歩道・自転車道は、通勤者や通学者の利用が多いにもかかわらず、街灯が少なく、夜になると真っ暗となり危険である。街灯の整備の必要性は、ここ数十年来指摘されているが、改善は一部分にとどまっている。
設置は300億ではなくて、数千万円だよね?電気代も、総合運動公園の数億円の維持費より優先度が高いと思うんだけど。
あと、大通りのデコボコ歩道を放置し続けるの、なんとかしてくれ。
なので、山に捨てませんか?
北陸辺りの山にさくをつくって、「米、味噌、風邪薬、丈夫な布、野菜の種(育てる用)、油、鶏程度」を定期的に支給。
クズっていっても彼らはこちらから見たらクズなわけで、そういう生活には強いでしょう。
で、だいたいそういうのって、男ばっかです。娯楽にネットを与えとけばいいでしょう。
それで自治させる。
5000人ぐらい底辺層を送り込みましょう。
家賃と水道は不要なわけで、電気はソーラーパネルを数台貸し出して、シェアさせましょう。
食費を自炊させれば、1食100円で何とかなるでしょうから、月に3万ぐらいでしょうか。
3万円×5000人で月間1億5000万円かかります。
でも考えてみてください。月1億5000万円で、害人が排除できるわけです。
これ、募集かければ、社会不適合って自覚してる害人が応募してくれるのではとおもっています。
刑務所より安いです。どちみち、こいつらは刑務所か生活保護にお世話になるのです。税金が5倍、10倍とかかります。
それであれば、フィールドワーク!とか、若者活性!の名の下に、「居場所」を提供してはどうかと、インターネッ党としては思うのです。
貴重な労働力とか、そんなんにはならないわけです。そいつらはどうせ。
なら、放り込んではどうか、と。
下手にゴミ人間に社会復帰して働け、とかいっても無理だと思うんですよね。一定数遺伝子的に発生する、不適合者、だとおもうので。
なら、クズ捨て山で好きなだけニートライフを送ってもらえば、とおもうんです。
刑務所は管理コストかかるし、生活保護も審査や使途の管理などしなくてはならず、大変です。
どうでしょうか。年間1億5000万円×12で、18億年間でかかりますが、そいつらは社会に存在したときの悪影響を金銭換算すれば、余裕でその10倍、20倍をこすわけです。
死ね、とはいえません。クズ捨て山にほりこめばいい。殺処分予定の猫もそこに大量に送り込めば良い。癒しにもなるだろうし、クズどもが食べるか食べないかでもめたりしながら更正するかもしれません。
例えばアフリカに多額のODAをぶちまければ、そこの政府権力者は日本になびくようにはなるかもしれない。それで、資源や利権を買い取るわけだ。札束でほっぺたしばきに行ったということだ。
当該国の政府権力者からすれば、開発が進み、また現地の産業が進んで、支配体制を正当化するかっこうの口実になる。
だが、それではたして、当該国の格差は縮まるのだろうか。民主化は進むのだろうか。むしろ、ODAをぶちまけることは、当該国の格差を容認することを意味するのではなかろうか。
プラントを建てるのにしても、紅茶やコーヒーをプラントするのと同じように、権力者が多額の収益を得て、労働者は搾取される。その構造は中東の産油国を見てもわかるだろう。
実際にいままでも日本は多額のODAをばらまいてきた。だが、それで例えばアフリカは豊かになったのだろうか。
むしろ、ODAは費用対効果が低く、日本企業が居て道路でも敷いている間はいいが、いなくなった途端にボコボコになってムダになる。例えばソーラーパネルを設置しても、壊れたら放置される。
端的に言ってしまえば、多額のODAをつぎこんで道路を敷いたりプラントを建てたりするのは、ゼネコンなどの日本企業に対する公共事業を海外に輸出するということだ。国内で費用対効果の低い公共事業をやると「ムダだ」といって速攻非難されるのに。
いわゆる「バラマキ」の典型で、しかも一般庶民に対してゆきとどかない、格差是認型のバラマキだ。ばらまいたカネは、一部の者たちにしか還流しない。当該国の権力者は、カネをくれるスポンサーになびいて、自国の市民をかえりみなくなる。
それでも、札束で外国をしばいて、いいカッコして、そりゃあさぞかし気分のよいことでしょう、自己肯定感の足りない卑屈な「愛国心」が満たされることなのでしょう。
両親と夕食を囲んでいて、隣のお宅の話題になった。
そのときの話を書こうと思う。
いつの間にか沖縄の梅雨が明けたというけれど、私の住む西日本の県はこのところめちゃめちゃ渇いている。
梅雨だというのに2週間も降らない。
庭の木を見れば、ただでさえ薄い葉の端々が、潤いが足りないと言わんばかりに茶色くなってしまった。近所の山の松なんかも、もともと生育が良くないのに加えてますます立ち枯れてきた。
やっと降ったと思った翌日にはもう、忘れたかのようにカンカン照りだ。
もー、夏ってことでいいですかね?
西日もあんまり強いしで、父に頼んで、「すだれ」を買ってきてもらった。
窓に吊るして日差しを遮るアレだ。父の部屋も二階でめちゃめちゃ暑いので、自分の所にも付けたという。
それで午前中に作業をしていたら、隣家のMさん(主婦)がその様子を見かけ、父に声を掛けてきたそうだ。
「うちにも付けられたらなぁー」
父は「すだれを付ける作業は難しいことじゃないし、忙しいのかいな」くらいに思って、軽く受け流したそうなのだが、話を聞いた母が、食卓のかつおのたたきをつつきながら言った。
「あの家はどうにもならんじゃろうねー」
そういえば今日、父が私の部屋の窓を開けてホイホイと引っ掛けていたのを思い出す。
うちの家は祖父が建てた日本家屋だが、土木屋をやっていた祖父がかなり手を掛けて基礎から作り、家屋はこだわりの材木・土なんかで出来ている。
床が桜の木で出来ていて、塗りの知識がなかった祖父はリビングをペンキ塗りしてしまい、大失敗したのだけど、キッチンの床は色は塗らずにニスみたいなつや仕上げがうまく出来ていて、素足が気持ち良い。
建って35年経つが、水場の壁に几帳面に埋め込まれた四角いタイルは、一枚もひび割れずに整然と壁を飾っている。
風呂などは当初ソーラーパネルで沸かせるように作ったが、作って10年くらいでパネルが壊れてしまい、今は灯油のタンクを入れて、ボイラーで沸かしている。
屋根瓦はときどき割れるが、日本瓦なので、吹きつけなどのメンテナンスをしなくて良い。割れたら、予備と交換するだけだ。
細かいところをいろいろ言えば不便もあるが、なにせ神経質な祖父がすみずみまで目を光らせて作った家なので、やっぱり良くできている気がする。
祖父が死んでから、わたし達家族は祖母の一人住むこの家に移り住んだ。しばらくして、庭の一部を潰して増築した。
増築した別棟はあまりお金をかけずに作ったので、母屋よりは少しグレードの低い感じに仕上がった。
具体的に何で安かったのかは、当時中学生だったのでよくわからない。
母屋に比べて、というだけで、十分にいい建物だと思っていたし、都内のマンションやアパートを数件移り住んで大人になった今も、ひどく安い建物だとは思わない。
ただし、なぜか床下が白アリに食われてメンテが必要になったこともあるし、
帰省した時にいつの間にか一階の内壁に洒落た木材が貼られていたので、北欧気分で内装を変えただけかと思っていたら、カビが生えたのだということだった。
建って4年目の夏のことだ。
このとき初めて、裸の木材が湿度を調節することを知った。靴箱に活性炭を置くのと同じ要領だ。
別棟をお願いした土建屋さんは祖父の古い知り合いなのだが、仕事は毎度きっちりやっていたと思うし、手を抜いたからトラブルが起きた、というわけでもないと思う。
ただ、白アリ対策を施したはずの木材に運悪く入り込むスキがあったのだろうし、締め切った部屋の角にカビが生えるほど、断熱材やサッシの性能が良すぎたのだろうし、風通しの問題でもある、という風に家族はその件を受け止めている。
そういえば、母屋はめちゃくちゃ窓が多い。ほとんど四方にあるか、ない面は、どことなく気が遣われていて意外と通気が良い。
一軒家は窓が多くて戸締りが大変だ、なんて言うけれど、だからといって窓を少なくしないのは、やはり理由があるということかしら。
わたしの部屋はその増築したほうの二階にある。夏は当然暑いのだが、西日の入る窓に軒(のき)があるので、そこに、どうにかしてうまいこと掛けてもらった。
父は梯子も使わずに窓の外に乗り出して、手を伸ばしてフックを掛けたりしていたので、まだ若いもんだと思った。
さて、Mさんのお宅は某有名ハウスメーカーで作られた注文住宅だ。
数年前に越してくると同時に建てられ、2人の可愛らしいおにゃのこが砂場や自転車でよく遊んでいる。
道路に面した一階に大きなリビングがあり、ときどき食器の音や、子どもの無邪気な声が聞こえてきたりする。
庭というか、地面はコンクリートでまっさらに固められており、道路に向かってゆるやかなカーブを描く駐車場になっている。
パーキングブロックも置くつもりはないようで、あまりにいさぎよい面っぷりに、竹を割ったような感じ?と住人の性格を勝手に想像してしまったりしていた。
夏は照り返しが暑そうだな、と思ったこともある。
そのリビングがとても暑いのだそうで、窓を開け放すとリビングが丸見えになってしまうこともあり、毎年毎年、何とかしたいと思いつつ、実際何もできないのだそうだ。
母が言うにはどうも、リビングの窓にはすだれをかける軒がないので、よしず(縦に立てかけるすだれのようなもの)を考えるだろうけど、よしずを立てかけると風が吹いた時などに地面のカーブで倒れる具合になってしまうし、たぶん無理だと。
グリーンカーテンを作るには、やはり上方にネットを留めるところがない。
サッシに付ける金具とかで何とかなればよし、無理なら家の内側に屏風的なものを立てるか、ブラインドを付けるか…。
物干し台みたいなセットを建てるのも、安くあがるかもしれない。
毎年のことだから、きちんとやるなら外のコンクリートに穴を開けて、柱を刺し、棒を渡すしかないのでは、といった意見に落ち着いた。
家の壁に穴をあけると不都合を招きまくるので、壁改造はやはり話題にも上がらない。
もちろん、これはぜんぶ他人の勝手な意見であって、Mさんを交えた会話ではない。
昔、システム屋に勤めていた時、会社の上司が自宅を新築するということで、確かその某ハウスメーカーに発注していて、既製のユニットを組み合わせて半注文住宅に出来るんだ、それがSIerの提案のやりかたと似ていてとても参考になるんだ、と言っていたのを思い出した。
何か出来るように機能を考慮すると、料金も持ち上がる、積み木のようなシステムだと言っていた。
これはこれでコストダウンとのバランスを取った、とても革新的なビジネスアイデアだと思う。
メタボリズムって考え方は好きだし、建築の側から考えると、とてもワクワクするものを持ってるとも思う。
ただし、閉じやすい、完成された(建築家側にだけ開けた)性格を持っているので、居住者(ふぜい)がどうにかできる隙がまったくないケースもあるということだろう。
注文住宅に比べて日本家屋がとても優れている、なんてつまらないことを言いたいわけではないけれど、ハウスメーカーの提案するユニット式は、気を遣って作らなければいけないんだな、みたいなことを思った。
原子力発電に安全神話があるように、太陽光発電にも安全神話がある。安全安心でメンテナンスフリーという神話である。
普通の一軒家に設置するような光発電システムは、10年も使っていると5軒に1軒ぐらいはパワーコンディショナが修理か交換になってしまう。7軒に1軒ぐらいは、ソーラーパネルも1枚以上交換している。果たして、投資の一環としてはじめた屋根借りるタイプのにわか太陽光発電業者や、元が取れると家主に設備を買わせようとする施工業者は、利益率の計算にその費用をちゃんと入れているのだろうか…?
ソーラーパネルの製造元は、10年保証や25年保証と言った長期保証をつけるから大丈夫だ、と思うかもしれない。ところが、システムが完全にダメになる前に、出力が落ちている、というのに気づくのは困難なのだ。
太陽光発電は設置したら終わり、と思われている。だから、ほとんどの場合、点検は太陽光発電システムのオーナーが自腹で点検をよばないとしてもらえないのだ。しかも、点検項目はパネルがしっかりと設置されていてゆるみがないか、配線はしっかりしているか、などであり、パワーコンディショナやパネルの性能チェックや故障チェックをする項目がないのだ。これでは、長期保証がついていても交換してくれとメーカーに言うことすらできない。だって、気づいていないのだから。
一つ一つのソーラーセルは、半導体製造装置からそのまま出てくる代物で、確かにそれだけならかなりメンテナンスフリーである。ただ、ひとつ0.6Vぐらいしか電圧がないので、かなりの数を直列に接続してモジュールにしたてないといけない。ここに、壊れる要因が潜んでいる。それぞれのセルを表・裏・表・裏とつないでいく配線にたいへんな電流が流れるので、長年使っていると弱いところから発熱に負けてハンダづけしたところが外れたりして断線が起こってしまうのだ。一箇所切れると、切れなかった配線に電流が集中し、発熱し、また一番弱いところが切れていく。それが全部切れると、パネル1枚無効になってバイパスダイオードに他のパネルで発電した電流が通る。それを長年続けると、バイパスダイオードが切れて、パネルの残りに電流が流れていく…
パネル全体が急にダメになれば、普段から出力をこまめに知っていれば普段と違うのでわかる。一部ダメになっているのは、なんと屋根から1枚ずつはがして検査しないと、メーカーでもわからない…
ハンダが溶けて外れるぐらいの熱を出している、壊れたソーラーパネルが屋根にのっていたり、屋根に組み込んであったりしても、安全なのだろうか?
まあ当然、まったくもって安全ではない。家ごと燃えることもある。国内事例だと消費者庁のサイトに一件だけ公表されているのがあるそうな。欧米では結構ばんばん燃えているらしい。日中燃えると、水をかけることができないので燃えっぱなしになるそうだ。消防士感電しちゃうからね。
家が燃えている時、水をかけたいから発電を止めたい、と思っても太陽光発電はとまらない。光が当たると絶対に電気が出てしまうのだ。原子力発電とは違った意味で、太陽光発電も人間の都合では止まらない。ほったらかした太陽光発電は、安全でも安心でもないのだ。
点検をしよう。モジュールの劣化に気づくような点検をしようよ。
発熱からの火災が怖いんで、調子悪いところはもともと発熱しているわけだし、温度を調べればいい。かといって屋根全体を温度計くっつけてまわるわけにもいかないから、ここは赤外線カメラ、サーモグラフィの出番だ。まあ、安いのでも20万円以上、高いのはコンパクトカーの新車ぐらいと、ちょっとしゃれにならない金額なんですけどね…
こまめに温度を測って点検することで、異常に早く気づいて対処することができるようになる。パネルの一部に影が落ちたり、汚れがあったりするだけでパネルの温度は均等ではなくなって部分発熱したりするようだから、素人が撮影して「うわー発熱してるー火事だー故障だー」っていうのはまずいらしいけど、点検できる人材を一定量確保して、定期点検するように、公共としてはしないと火事がヤバイと思うよ。
ブコメで指摘する人が出たので。そう、元ネタは産総研の加藤和彦先生の講演。
みんな、俺の文章なんて読んでいないで加藤先生の本「太陽光発電システムの不具合事例ファイル」を買うんだ。
http://www.enecho.meti.go.jp/saiene/renewable/solar/index.html
感電の証拠ね。言うと思ったんだ。ぐぐるぐらいしかできないし間接なんだけど。
http://www.enecho.meti.go.jp/energy/jutaku/hyoujun/hyoujun1/yousi22-1.pdf
http://www.zaimu.metro.tokyo.jp/syukei1/zaisei/23jigyouhyouka1/02_jiritu/23jiritu104.pdf
http://www.fdma.go.jp/neuter/topics/houdou/h24/2403/240327_1houdou/01_houdoushiryou.pdf
まあ、本当の根拠をとうとうと回答できるのは加藤先生な。最近、講演でひっぱりだこだそうよ。
あっ
http://anond.hatelabo.jp/20111001100318
これにインスパイアされた。
ソーラーパネル取り付けからプラント設計、工場設備保守まで幅広く仕事をした。出向も経験。
もちろん海外にも駐在。その間にエネルギー管理士の資格を取得。
海外生活に飽きたというか、老親の面倒をみないといけなくなったので、親の近くで仕事ができる企業を中心に転職活動。
あれよあれよと運良く○年前に電力会社に中途採用枠で転職した。
給料はもちろんアップ。むしろ、親の介護の関係で休みがとりやすくなったのがよかった。
仕事は面白い。資格をいかした省エネ診断から提案まで、大きな仕事をさせてもらった。
業務が一変。電力逼迫でオール電化どころじゃない。
もちろん省エネ対策は必要だけれども、社内の体制は戦時体制へ。
息子は父が電力会社の社員というだけでいじめにあっているようで、登校拒否になってしまった。
幸せとは何なのか 自問している。
エネコンの仕事は開店休業。お先真っ暗な会社なので転職活動中。
ただ、この年になると求人はグっと減る。厳しい。
電力会社なんて入らなければ良かった。
やべえ、マジやばい。
日本の電気料金値上げしたい。原発停止で火力の燃料がヤバイって事で電気料金値上げしてえ。
しかし、しかしだ、電気料金を値上げしてしまうと、そこらの成金連中が作った電気に鞍替えする所が出てきやがる。
そして、そいつらが売ってくる電気も高く買わなきゃいけなくなる。
それだけならまだしも、ソーラーパネル設置した乞食共の家からの電気も高く買わなきゃいけなくなる。やべえ。どうすんべ。
ソーラーパネルで、電気自動車充電して、走られるともっとやべえ。
電気は売れねえし、買い取らなきゃいけなくなるし、ガソリンで税金は取れねえし、計画停電で脅しも効かねえ。
やべえマジやべえ。
様々な新エネルギーへの投資を日本国内では妨害しまくって来た。
だからスマートグリッドだって、地熱だって、太陽光だって、日本メーカーですら、日本に投資できなかった。
しかし、福島がぶっとんじまったから、国内に向かってきやがった!!!
全世界の自動車がプリウスにかっさらわれたように、このままじゃ、自然再生エネルギーも日本にかっさらわれる!!!