はてなキーワード: 魔女裁判とは
人心が荒廃している。
舞台は今をときめくウマ娘だ。噂と嘘が蔓延し、人は疑心と暗鬼に陥っている。
競馬好きと擬人化オタク。彼らは必ずこれからもぶつかり争うだろう。
だったらアレをやるしかない。
悪意をばらまく魔女を見つけなければならない。
競馬好きが?オタクか?違う。彼らを不幸にした人間がいるはずだ。
力がある者が魔女だ。人の心を惑わすことで生きながらえる存在が魔女だ。
それを焼くべきだろう。そうすれば平和になるのだ。
彼らはただ、あるがままに生きる羊であって、生贄なのだ。
違う。
俺が魔女を指し示す。
クリエイターだ。
生きる世界が違う人と人はわかりあえない。
幼稚なオタクは、大人の世界では生きていけない。感動できない。
だが、二つの世界を同時に理解できる者がいる。それが魔女の正体であり、つまりはクリエイターである。
競馬はただ昔から競馬としてあっただけなのに、突然翻訳されその世界を晒された。
この世には鬼や呪いなんていないのに、それに立ち向かう人の話に感動させる。詐欺だ。
とっくに死んだ馬を人にして、まるで彼ら彼女らが楽しそうに生きているように見せる。
そもそも表現というものは、人間の共感能力なる欠点を利用した詐欺である。
価値なきものに価値を錯誤し、繋がるべきでなかった人と人を繋ぐ。
人は人の思いを知ることなどできないのに、それを出来るかのように錯覚させる。
魔女は焼かねばならない。クリエイターなるものは全て焼かねばならない。
本を燃やせ。フィルムを燃やせ。歌を殺せ。それらを支える組織を焼き討て。
笑ってはいけない。泣いてはいけない。人に何かを伝えることは悪になりうるのだから。
出来ないな。
全て焼かねばならぬ日がくるとわかるだろう。
だから、まず手始めに、俺を吊るすと良いのだろう。
どこの界隈もこういった話で盛り上がっている昨今、果たしてハリー・ポッターはこのまま逃げ切れるのだろうか?
あの世界には「魔法使いとマグル」が存在し、マグルは魔法使いから蔑まれている。
ヒロインの1人であるハーマイオニーがマグルの両親を持つことを理由に、様々な差別的発言・扱いを受けているのは一作目しか見ていない人でもよく知っているだろう。
ハリー・ポッターシリーズ全体の文脈に置いてマグルが否定されることこそなかったが、マグルを追い出すべきであるというある種の純血主義を奨励するキャラクターはいくらでも登場している。
「人種差別描写≒発禁」というムーブメントがこのまま大きくなればハリー・ポッターシリーズが世論によって魔女裁判にかけられるのは避けがたいだろう。
その時、最も注目が集まるのはよりにもよってつい最近炎上したばかりのJKローリングその人だ。
もしも貴方がハリー・ポッターシリーズが好きならば、まずすることは一つだ。
擁護の準備ではない。
保存の準備だ。
ハリー・ポッターシリーズに関するあらゆるものが存在そのものを歴史から消されうる危機に瀕している。
その前提で動いていく必要があるだろう。
最初に。私は規制派でも擁護派でもない。単にこの青識亜論と名乗るネット論客と呼ばれるらしい人の書いたと思しきこの記事を批判するだけである。鬱陶しいくらいにツイッタータイムラインに流れてくるのだけど、これを流す人をフォローしてしまっているのだから仕方ない(※じゃぁ青識亜論をブロックすればいいじゃないかとの意見があったが、既にそうしている。以前はあまり気にならなかっただけだ。急に他人の引用リツイートをRTしまくりやがったからそいつもフォロー外した)。
「性犯罪者の九割がポルノグラフィを読んでいた」は、「九割がパンを食べていた」と同じぐらい何の意味もない数字だ(今どきは大概の人間がポルノぐらい見たり読んだりするだろう)。
先ず、この人は自分で引用した記事を読んでいるのだろうか? 斎藤氏の記事はこうだ。
「また、当院のデータでは加害経験がある者のほぼ100%がなんらかの児童ポルノを見ているという事実があります」
斎藤氏は100%だと言っているのである。この時点で既に不適切な例示だと言い得る。さらに言えば、関連性があると考えても不自然ではない「児童ポルノ」や「幼児ドール」と同様に、全く無関係でその相関を考えるのは頭がおかしいとしか思えないレベルの「パン」を対置して何が言いたいのであろうか(これは実はとある地方自治体議員のツイートからの流用であることは知っているが)。その上「ポルノ」は見たとしても、この記事で問うているのは児童性犯罪であって児童ポルノであり、「児童ポルノ」は大概の人が見るとは常識的には言えない。要するに反論が適当すぎるのである。斎藤氏は臨床現場で実際に加害経験者と関わってきたという直接的な経験から児童ポルノと児童性犯罪の関連性はあると言っているのであるから、このような駄論で反論になっていると思うのは低レベルに過ぎる。
性犯罪の「引き金を引いた」というのも、大仰に書いてあるが、逆に言えば単に引き金となっただけであり、ポルノが無ければ別のものが引き金を引いた可能性もあるし、マクロでポルノが性犯罪を増やしているかどうかについては何の論証にもなっていないのである。
論証になっていないと評価するのは自由だが、斎藤氏の臨床体験から引き出されたエビデンスであり論拠にはなっているわけで、軽々に無視して良いものではない。なおこの引用部分についても斎藤氏はきちんと触れていて「児童ポルノに出合わなくとも、なんらかのきっかけで彼らが子どもへの性的関心を抱くようになった可能性はあります。けれど児童ポルノに出合わなければ、それが強化され認知が歪むプロセスをどこかで食い止められた可能性は無視できません」と書いているわけで、この人は記事を適当に斜め読みしかしていないことがよく分かる。以上、これでは全く反論になっていないと言わざるを得ない。但し、私は反論になっていないと批判しているだけであって、反論された論理をが正しいと言っているのではない。そうではなく、これに対するより正しい反論は、児童ポルノが性犯罪に影響するとは言えないという別のエビデンスを示すことであって、屁理屈でねじ伏せても無意味だと言いたいだけである。
もしも、犯罪を防ぐために関連しそうなあらゆるものを規制しても良いというのであれば、テロを防ぐためにある種の宗教や思想を規制したり、安全保障のために特定人種を閉じ込めてしまえという発想を容易に合理化する。
これも雑すぎるだろう。破防法だって実際にあるわけだし、児童性犯罪経験者の再販を防止するために情報公開やGPSタグによる監視など、ある程度の人権制限をする主張はしばしばなされている。余りに親が子供を叱る叱責の怒鳴り声が頻繁に聞こえるようであれば、実際の虐待が確認できなくとも児相に通報することは現代では常識の範疇ですらある。
こうした主張はかつてのオウム真理教もやっていた記憶があるのだけれど、多くの残虐事件を実際に引き起こし取り返しがつかない事態になったことは言うまでもあるまい。そう言えば拉致問題で北朝鮮側か社民党が似たような主張を……、はどうでも良いとして、たしかに実際に規制するには危険性をもう少しきちんと示すべきではあろうけれど、現状で危険性が示されていないからと言って、危険ではないという話にはならない。また、それを言うならば危険性はない=安全だということを主張する側が十全に挙証責任を、あるいは製造者が製造物責任として安全であると保証義務を貸すべきだとすら言い得るだろう。以上、これもまた反論になっていないと評するしかない。
これは、「犯罪をしてはいけない」という強い規範の裏返しなのであって、本物の少女をレイプせよと勧めるようなメッセージ性は全く込められていない。
よくもまぁこんなありきたりのつまらない詭弁を弄するものだと呆れる。じゃぁ何故「レイプ」ではなく「レ◯プ」だったのか。当然レイプがいけないことだと認識していたからの表現であるからに他ならない。だからはっきりレイプとは書けなかったのである。ゾーニングされているアダルトショップ内ですらも、だ。レイプが倫理的に不味いからと認識していなければ伏せ字表現はありえない。従って、あの表現は単に「いやーお客さん、生物の少女をレイプするのは犯罪になりますから、こちらの少女に似せた人形ならば合法ですよ」とレイプという不道徳で危ない表現を用いて商品コピーにしているだけである。何が「強い規範」なものか。尤もそうしたメッセージ性など込められていないのは当たり前、但しそうした願望が存在していることは認めている表現である。それ以外に「合法」とわざわざ表現することへの意味の取りようがない。扇動はしていないかも知れないがそれに極めて近い表現である。少女レイプ願望それ自体は肯定しているのだから。従って、反論としては不十分である。
現実には、黒人のイメージ写真を商品画像に付したパンチングダミー人形は販売されているし、特に倫理的な問題が存在するとも思えない。
この人がほんとにアホだなと思ったのはこれである。そもそもじょいたま氏の理屈に対応していない。ボクシングはそもそも相手を殴るスポーツだし、この広告はその相手をイメージさせるだけのためにボクサーのような人物写真を用いているだけである。しかしじょいたま氏が言っているのは「「黒人を合法的に殴れる♪」という触れ込みで黒人を模した人形を販売すること」である。全然目的が異なるものを示して反論になるなどと、アホとしか思えない。反論するならば、「あくまでも人形だから良いということで売っているだけで本物の幼女をレイプしていいというメッセージ性はない」と前項でこの人自身が言った理屈で済むだけの話。
子どもが見ないようにゾーニングをし、アダルトショップ等で販売しているのであり、通常、児童がアクセスすることはできない。すでに十分に抑制された状況の下で販売されているのであって、これも詭弁である。
やっつけで反論しているとしか思えないくらい穴だらけの、詭弁はお前だと言いたくなる。割と最近、エロ萌え絵のだきまくらを、それを買って自宅においていた父親が、その自室に子供に入られてしまってその抱き枕に子供が抱きついていた写真を、そのバカ親父はあろうことか自慢気にTwitterにアップし、はてなブックマークでで「児童虐待だ」と叩かれまくっていたのは記憶に新しい。ゾーニングされてたって、売られたらそこから出てしまうのだから、斯様に子供に抱きつかれるに至ることすらあるのだ。個人的な話だけど、少々性的な興味を抱き始めていた小6の頃、親の洋ダンスの中に超リアルな電動こけしを見つけて、めちゃくちゃショックで確かに一時期トラウマになり、親の顔を見られなくなったことはある。あんな真面目そうな親が、と。だから、トラウマになること自体はあり得るので、対論者に反論することは難しい。ただ、こうは言える、だから何なんだ? と。子供時代に様々な事柄について知っていく上でショックを受けることは他にいくらでもあるのだから。何れにしても、この人の反論はいわゆる「すり替え」であり、ゾーニングの問題ではない。
めんどくさくなったのでここまでとする。何れにしても安直な反論ばかりで話にならないくらい低レベルだとしか思えないのだが。
追記;なお、誰かこの増田記事をTwitterで拡散してくれたらなと願う。反論を欲しがっている人が結構いるようだ。私自身はフォロワーとか少ないし、ツイッター上の立場が少々特殊なのでやりたくない。我がままですまん。
各国の対応の違いは関心を持って見ているが、「制圧」とはどのような基準で使用されている言葉なのかと疑問に思う。
このウィルスの「無症状・軽症の多さ」「特徴的な症状の無さ」から、一時的に新規感染者を押さえ込んだとしても、社会にウィルスが残っている可能性は極めて高い。
本気で制圧するというのなら、全ての人々を殺菌した個室に閉じ込め、社会のありとあらゆるものを殺菌し、その後わずかなウィルスも検出する完璧な検査キットで人々を検査し、陰性の人間だけに社会生活を許す、といった非現実的な話になるのではないか。(もちろん感染源と考えられる野生動物は皆殺しになる)
感染者や環境に残存するウィルスをゼロにできない限り、武漢で最初の発症者が確認されてから検査により大量の感染者が見つかった流れを、また繰り返すだけではないのかと思う。
(無症状・軽症が多いウィルスで、発症者が確認されるということは、その時点で感染者はたくさんいる)
では、様々な国が「制圧」「収束」を目指し、ことさらにアピールするのはなぜか。
こういった対策をしてもまた再燃するはずの感染の流行を「だれか」のせいにする流れができることは明白で、その対象とされたくないという意識があるのではないかと思う。
要するに、見せかけの「制圧」行動をした国で再流行したウィルスは、残存したものではなく制圧をしていない国から持ち込まれるものだという見方である。魔女裁判のように・・・だれかを血祭りに上げなければ納得しない社会への生贄が必要になるのではないか。
これにより、人種差別・国交上の優劣が生まれるおそれは充分にあると思う。
実際には、「制圧」「収束」をアピールしたとしても、その後は感染の発生を注意深く監視し、感染者が発生すればそれをたどり対処する、そしてワクチンや特効薬の開発と集団免疫の獲得をじっと待つ、という現在日本がとっている対処と概ね変わらない対応をせざるをえないのでは、と思える。
こいつ魔女裁判で女殺してそう
会社に入って3ヵ月くらいしたころ、新人研修がありました。「きっと、業界の歴史だとか、社会人としてのマナーだとかやるんだろうなぁ」と思ってたら、大きく裏切られました。待っていたのは「ランドマークエ〇ュケーションという自己啓発セミナーに3日間参加してこい」という指示。ちなみにこの集団、外国ではカルト教団認定されてるらしいです。調べてみると、「洗脳」やら「勧誘」やら「マルチ」やら、怪しい言葉が続々と出てきます。
初日のセミナー。日光も当たらない、外界と完全に隔離された部屋に誘導されます。「ここでこれから3日間過ごすのか……」と思うと、ちょっと憂鬱でした。まあよく考えると、この部屋に隔離して精神力・判断力をすり減らす策略なんですけどね。参加者は200人ほど。最終的には200人が同じ行動をし、同じ思いを持ち、わ~~っと盛り上がることを強制されるので、劇場かのような錯覚を覚えるんでしょうね。普通に過ぎた初日でしたが、「ん?」と思うこともありました。昼食は向こうが勝手に用意したクソ高い弁当を買わされたり、休憩中には経験者が一心不乱に話しかけてきて、「私はこのセミナーでこんなに変われたのよ!」と力説してきたり。一日の終わりには、「大切に思う5人に、それぞれ500文字ずつ手紙を書く」という面倒な課題を出されたり。この手紙も巧妙で、睡眠時間を削るとともに、後に行う「知り合いへの勧誘」の際に、この文章を利用して勧誘を行うので、あらかじめ文章を作ることでサッと勧誘の言葉が出てくるといった寸法です。
2日目以降に人格破壊が始まります。講師の指示で、過去のトラウマを発表させられます。僕にはそんなトラウマがないんであれなんですけど、自発的に高いお金を払って参加している人たちには何かしらの過去があるようで、皆さんトラウマをみんなの前で告白します。地獄か。
トラウマを発表したら、周りの人間は無条件でそれを受け入れます。講師が口を開きます。「あなたのそれは、"story"です」と。"story"というのは、作り話ってことなんですけど、例を挙げれば、「他人を殴ってきたら怒ってきた。ただ、他人の感情なんて分からないし、『怒ってきた』というのも、自分が勝手に相手の感情を考えただけで、相手は別に怒っていないかもしれない。自分は、相手の感情を『作り話』として作ってしまった」という感じです。無敵の論理ですね。
講師が「それはあなたの"story"です」を連発し、告白したトラウマを次々と片付けていきます。「あなたが今まで悩んでたことはしょうもない。無意味」「作り話に感情を支配されるな」と、個人が持っている悩みをどんどん矮小化していき、"story"の1単語で片付けていきます。ただ、もうこの時点で洗脳されちゃう人もいるんですよね。最終的には、受講生全員で、「人生は空っぽで意味なし!」と何度も大声で唱えさせられます。「人生は空っぽで意味なし!「意味なし!」「意味な~~~し!」と、泣きながら叫ぶ声も聞こえてきます。まあ3日間も極限の状況に押し込められて、心が弱い人は洗脳もされちゃいますよね。
後は、「非合理な行動」「ええかっこしい」「エンロール」「ペテン」なんかも、このセミナーでよく使われる単語でした。上の話も含めて、全部が勧誘につながっていくんですよね。
「非合理な行動」ってのは、そのままです。自分が非合理な行動を起こしたときに、そんな自分にもついてきてくれる友達が本当の友達だ、って論理です。セミナー中、定期的に「では今から30分時間を取るので、知り合い5人にこのセミナーのすばらしさを電話してきてください」みたいな時間が入ります。最初は参加者も抵抗するんですが、講師が「これは非合理な行動です。勧誘をして、離れていくような友達は本当の友達ではありません」と大声で叫びます。
「ええかっこしい」ってのもそのままですね。「人間はええかっこしいだから、勧誘なんて行動はなかなかとれない。ただ、感情なんて"story"なんだから、ええかっこしなくても別にいいじゃん」って論理ですね。受講者が、「ちょっと勧誘にはこういう理由で抵抗があります……」という話をすると、講師が「あなた!それはええかっこしいですよ!」と急に怒鳴り始めます。気持ち悪いのは、周りの洗脳済み参加者たちも、次第に講師と同じように、抵抗ある参加者を攻め立てます。魔女裁判かな?
「エンロール」ってのもそのまま「巻き込む」ってことなんですが、勧誘活動をこの言葉に置き換えています。「勧誘しよう!」はあからさまなので、「エンロールしよう!」に言い換えている感じですかね。このセミナーで得たものを「分かち合い」し、「エンロール」することは美徳とされるので、洗脳された人はどんどん宣伝と勧誘を行います。
「ペテン」ってのは「ペテン師」の「ペテン」です。自分に沸き起こる感情のことですね。勧誘をするときにも、「嫌だな……」って思いが沸き起こると思うんですが、それは「ペテン」です。似非の感情であり、気にしちゃダメな感情です。さっきの「ええかっこしい」と合わせて、ランドマーク〇デュケーションの勧誘を行わない人間は、「ええかっこしい」で、感情が「ペテン」に支配されている扱いになります。ファシズムかな?
以上の言葉を使った論理で、参加者を巧みに誘導し、勧誘活動をさせますちなみに、3日目の夕方には、参加者に対して「次のセミナーに参加しませんか?」という勧誘行為が行われます。何故かこれには90分ほどのたっぷりとした時間が割かれています。いくらかは忘れましたが、うん十万円する次のセミナーの申し込みを、その場で直ぐに行うことができます。確か分割も可能です。悪魔かな?
僕はそんなものに申し込むつもりはさらさらなかったので、その時間は椅子に座ってひたすらジッと待っていました。そんな僕にセミナーの人がめちゃくちゃ話しかけてきます。怖い。「あなたは素晴らしい人間だから、私もこんなに期待して話しかけてるんですよ!」「このセミナーはまだまだ不完全なところもあって、次のステップに進むことで完全な学びができるんですよ!」と、ありとあらゆる方法で語りかけてきます。セミナーの人と電話番号を交換するという時間があります。こんな奴らに電話番号を渡したくないので、適当に番号を教えたんですが、「確認しますね!」と言ってその場でその番号に電話をかけ始めました。もちろん通じません。「あれ?繋がりませんよ?もう一度教えてください」「電話番号はこうやったら表示できるので、表示して私に見せてください」と責めてきます。とうとう本当の電話番号を明け渡すことになってしまいました。死亡。ちなみに、翌日直ぐ電話が来たので、着信拒否しました。
セミナーの最後は、このセミナーに参加した人が、セミナーを紹介してくれた人を呼んで、「こんな素晴らしいセミナーを教えてくれてありがとう!」と感謝の意を伝えながらハグをする、という気持ち悪いイベントがあります。振り返ってみると、後ろにうちの会社の人たちが。気持ち悪いので、無言で無視していました。
希望者は4日目も参加できるんですが、僕はもう嫌悪感しか湧いていなかったので、強い意志で断りました。そんな感じで終わったんですが、細かいことを挙げればまだまだ気持ち悪いエピソードがあります。さすがに長すぎるので書きませんが。