はてなキーワード: 騒音とは
保育士が不足、保育園が不足、と東京では話題だが地方都市の地元ではそんなことはない
周囲に大きな駐車場も完備。そして、「近所の方は、保育園の送迎以外にも一時的に止めるだけならご自由に使ってください」と告知
周囲の住人も「あそこにとめていいよ」という駐車場が近くに出来たので、知人を呼びやすく助かるので、文句を言えない
ママさんたちは、子供を保育園に預けて仕事に復帰でき、寺に感謝する
寺は、税金対策にやっているため、儲かる必要がないので、保育士を高級で雇うこともでき、保育園に子供を入れた親たちが檀家になることもありお得感
寺の好感度も上がり満足
保育士さんは高いお金で働けるので、どんどんやってくるため、保育士さんも潤う
私の彼女が勤務地の関係で、都内で一人暮らしすることになった。
事前にわかっている転勤だったので、1月辺りから勤務地周辺の駅でいくつか物件を内見した(私も付き合った)。最終的に、セコムのついた新築のアパートに決めて、防犯の面で心配していた私も一安心だった。
先週末、引っ越しを手伝い、そのまま日曜の晩に泊めてもらった。
明け方、男性の話し声で目が覚めた。最初は外かと思ったが、どうやら隣から聞こえてくるようだ。
話す口調から、あまり品のいい感じはしなかった。いわゆる、輩といった感じだ。そして、そもそも月曜の明け方から騒いでいるという時点で、かなり非常識な人なんだと思う。うるさかったが、私は彼女に仕返しが来るのが怖いから、黙ってやり過ごすことにした。
このまま、黙って耐えているだけで済めばよいが、あの騒音具合では、遅かれ早かれ下の階などから苦情が出てもおかしくない。アパートでは、管理会社がまず初めに匿名の近隣住民からという体で苦情を伝えると言う。その苦情で、隣の住人が勝手に私の彼女を逆恨みしてしまったら怖い。
また、彼女がいくら防犯に気をつけていても、隣の住人であれば、スキを見て暴行などを働く可能性も捨てきれない。
そんなことを考えていたら、眠れなくなってしまった。
最悪、彼女には引っ越してもらおうと思うが(もちろん私が引っ越し費用を出してもいい)、とりあえず当面の間は、何も起こらないことを祈るしかない。
私は男性なので、これまでアパート選びで防犯について特に気をつけることはなかったが、女性はかなり大変だ。女性専用にすると、かえって変態を呼び寄せてしまうというし、何かいい方法はないのだろうか。
タイトルの通り。
<メリット>
・初期費用が抑えられる
家具家電付きなので、テレビ、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機を買わずにそのまま入居できる。これはありがたかった。その代わり、家電の古さや新しさは自分では選べないのでここはややデメリットかな?とも思う。わたしは気になるところではなかった。
・収納が多い
1番ベーシックなタイプの部屋に住んだのだけれど、とても収納が多くて助かった。備え付けのベットスペースの下は大きな収納スペースになっているし、テレビの下やクローゼットも大きかった。
・案外隣の音が聞こえない
レオパレスといえば壁が薄くて、三軒隣のくしゃみすら聞こえるなんて話もあるぐらい。だけど、両隣に人がいてもほとんど騒音らしいものには遭遇しなかった。たまに隣の人のいびきが聞こえるくらい。それでもかすかにだし、わたしは全く気にならなかった。
<デメリット>
・キッチンが狭い
IHとシンクの間がほぼ無く、ものを切ったりするスペースがないのが残念だった。具材を切るときは、スイッチを入れる前に全て切ってからでないと鍋やフライパンが使えない。シンクもすごく小さい。
・ネットが遅い
ネットが遅く、夜になるとうまく繋がらなくなる。動画を見ていても止まることもしばしば。これはうちのアパートの回線が弱いという可能性もあるけれど、住んでてこれはデメリットだった。
・お風呂のお湯の調節が難しい
よくある42℃なんかで固定されてお湯が出てくるわけでは無く、お湯と水をひねって自分で温度を作るタイプのシャワーだった。だからうまい塩梅だったとしても、途端に冷たい水になったり、熱いお湯になったりとその時々での差が激しかったのが難点。追焚きなんかもないので、いちいち張っては抜き、張っては抜きなのがもったいない。
こんな感じ。よく言われている壁の薄さは本当に気にならなかった。いびきだって、4年のうち聞こえたのは数日だし、それ以外で隣の部屋の声や音が気になったことは一度もなかった。単にわたしの住んでいた環境が良かっただけかもしれないが、想像とは大きく違った点であると思う。
そんなこんなでこれから新社会人になるけど、新社会人になってもレオパレスに住みます。
これからもよろしく。
以下3文絵小説漫画音楽作詞ボカロPCサークル参加者以上全部アマチュアの創作家の長ったらしい愚痴。
先日、インターネット小説を添削し合う会! みたいなもんに参加しました。
ウェブに投稿された小説を下読みして、集団スカイプでよりよいものにするために話し合ったり感想言ったりしよう! という企画でした。
参加者は、年齢幅は若い人が多めだけど中年の人もいる感じの年齢層で、アマチュアで小説を書いているけど、なろう(小説家になろう)とかに投稿してるよ!(つまり、小説家になって! って声がかかればなることも吝かではないということ、という人も中にはいるということ。) という人も多く、顔ぶれは様々でしたん。
そんで、
「これ読んで下さい!」
って提出された文章は、長さ様々ですが、大小様々に10くらいかな。知らんけど。長さの規定なかったし。
そんで、まず一作品目を見ましたん。
オッ! 手書きゥーーーーーー!! 紙(原稿用紙ではない)に手書き原稿ゥー!!!
いや圧が凄いのは確かだった。禍々しかった。
でも、ビッツツツツツツしりと書かれた、手描きでシャーペン?! シャーペンかぁこれぇ?! って感じの丸い文字。
しばらく苦笑いした後に、読みました。
長い(20枚)
終わらない
つまりどういうこと?
タイトル回収どこ? ここ?
(なんやかんやあって)
「安い!」「早い!」「うまい!」
ならぬ
「長い!」「辛い!」「読めなくはない!」
しかも、ここに「読ませる気がない!」が加わってて完璧じゃないですかあー! やだー!! 小説のデスクワトロフォルマッ
で、その後も同じような欠点がある小説を読み、スカイプ当日になり、スカイプに全員が集まりました。
アドバイスを言い合う段になって、皆結構辛口な選評を届けるなか、ワイもその件の手書きの人にアドバイス求められたんです。
ワイ「皆さんに言えることだと思いますが、小説の書き方の指南書を読んで実践してみるといいと思います」
相手「え……? 嫌ですけどなんでですか(半ギレ)」
ワイ「え?」
相手「なんで小説の技法書(笑)なんか読まなアカンのですか(苦笑)読まなきゃアカンのはワイさんでは」
ワイ「はいぃ?」
ワイ「言い過ぎって何が言いすぎなんですか?」
主催「いや、あの……相手さんは書ける人ですよ、それに、相手さんは毎日お話をたくさん書いてますし量もこなしてますよ? ちゃんと小説としての体裁をとってると思うし、なによりそんな、小説の技法書を読んで実践してみろなんてよくそんなひどいこと言えますね、ほんと読まなきゃいけないのはワイさんでは……? 何より、そんなの実践したら個性消えますよ」
(知り合いの誘いでも)二度と乗らんわこんなクソ会
……ハァー(もういちどキーボードに手を伸ばす)
そうだ。物語というものをみんな「紙と鉛筆、またはインターネット環境があれば誰でも簡単に書けるもの」だと思っているのだ。
ワイはそれを忘れていたのだ。だから時折こういう奴が存在する! ものを書く、いや、創作するということ全般をナメてるやつ!
文字単語を並べて、内容もクソもない文章を作って はい小説です! って出してそれが はいベストセラーです!! ってなったら世の中にワナビはいない
下手で洗練されてない、思想もない、絵を並べて はい漫画です! 絵です! って出してそれが はい名画です! ってなれば 世の中に画家とか漫画なんて職業は存在しないし、やっぱりワナビも居ない
最初から曲を作れる人がたくさんいたら、この世にDTMで挫折する人なんて居ないの!! だからワナビも居ない!
だがそういう人たちは言うのだ「でも普通にデビュー作でヒットかましてる人もいるじゃん!」
「みんな創作する人たちは(本当は言いたくて仕方ないけど地道に)努力してるんだよ!!」と言いたくなります。
いい感じの喫茶店とかスタバでコーヒー片手に小説らしき文章を書きながらほくそ笑んでるだけじゃ良い小説は書けません。
机にかじりついて、ウッギィイィィィィィィ!! 書いてやるウゥゥゥゥゥゥ!!!!!!!!!
って呪詛のように鈍い文句に満ち溢れた私怨に満ちた文章を綴っているだけでは良い小説は書けません。
まあ「人に読ませることを想定していない文章」は出来ると思いますが。
先程の会話劇の話に戻ります。
この会話の参加者たちは、特に小説の技法書を馬鹿にしていて、ワイはそれが許せなかった。
なんで馬鹿にしているのか。それは、彼らが既成観念に囚われているからに他ならない。
・趣味だからいいだろと言いつつなろうに投稿し「声がかかったら小説家になるのもやぶさかではない」気でいる(そういう人もいる)
ぅうーーーーー
小説しか書いたことがない人には、絵やDTMのたとえはピンと来ないかもですが、
絵を描く際は何よりも「基礎画力」と「応用力」と「資料」を大事にします(この3つの言い方は様々あり、足りない人はまとめてデッサンしろとか言われたりします)
基礎画力と応用力と資料は、3つバランスが取れてなきゃいけないんです。
基礎画力が足りなくて、応用力と資料だけあっても、ぐちゃぐちゃが出来るだけですし、資料があってもそれを応用できないとなんじゃこりゃ? ってなぐあいです。
DTMに関してもそうでしょう。音楽の「基礎知識」と、楽曲に応用する「応用力」と、音楽に関する「資料」
・小説の技法書なんて小説書き素人が読むものだと思ってる って人は
・小説を書けると思ってる から下のくだりつながっていくんだよ!!
全部思ってるってだけなんですよね。
量をこなしてても(基礎画力・基礎知識)、応用力と資料がないと意味ないです。
それはただ、「資料も基礎知識もなく、ただなんとなく書いてたらできた小説」です。
あ、でも中にはね、
って人もめっちゃおる
たしかに小説って名前つければ全世界の全ては小説じゃい。じゃあ小説でええやろ!?って?
でも、そういうプロ作家さんの「トリッキーな動き」を真似するには、相当な覚悟と努力が必要なんじゃないでしょうか?
体操教室に通わずに連続バック中したら大体の人は(相当若くて運動神経もよくない限り)骨折りますよ。
絵なら、リアルに骨折れてるって指摘されますよ。DTMなら、聞くに堪えない騒音が聞こえますよ。
そういうのを越えて連続バック中ができるのは、ごくごく一部の天才だけです。
だからワイは言ったんです
なぜって、基礎と応用する力をまとめて叩き込んでくれるんだから。
3冊も読んで、一冊ずつ実践していけば十分なんじゃないでしょうか?
でもねここまで書いたけど、中には
っていう人もいますよね。でもそれはまったく間違いで。
よくそういうことを創作者さんは言われますが、「消える程度なら個性じゃない」です。
個性とは、身の内面からにじみ出てくるものです。書いても書いても決して失われないものです。
意識せずに作り上げて何が個性か。そんな作り上げる個性、よっぽど凄くない限り、骨を折って終わりです。
・趣味だからいいだろ! と言い訳しつつ小説家になろうに投稿しているが、小説家になって! って声がかかればなることも吝かではない。わかって♥
わかんない♥ 甘えるな♥
以上
(じゃあここまで愚痴っといてお前の立場はアマチュアだろ偉そうなこつ言うな! って言われると思うけど
ワイは確かに趣味ですけん、だが趣味の範囲でホンキで取り組んでるからこそ「先人の苦労や知恵の結晶」が馬鹿にされるのが単に許せねーっす)
いやー、思ったより良かった。
テレビで放送されるものをわざわざ映画館に見に行くのはどうよ?って思ったけど、テレビ放送では気付けないことも気付けた。
まず、予告編がなくて、定刻でいきなり本編上映始まるのが驚いた。
いままでの映画経験から、CMとノーモア映画泥棒が挟まれるのかと思ってた。
純粋に本編だけを楽しめるって、没入感が高い。
細かいところまで見えて、どんだけ画面作りにこだわってんのかと。
瞳に映る反射光の揺らぎも見えるし、ぼかした背景も細かく描かれてるのがわかる。
ガヤも適当なガヤじゃなくてちゃんと街の騒音になってたり、軍の基地を意識してガヤってるのが分かる。
風景音もすごいこだわってる。
暗い館内のいたるところからグスグス聞こえてきて、「花粉症かな?」と思ったら、みんなガチ泣きしてんのね。
自分は「ほーん、そうきたか」って感じで、まあ感動したけども。
3話連続で見る意味あんのかなと思ったけど、お母さんの手紙まで一気見して8~9話と10話が対比になってるのがわかった。
感謝祭でヴァイオレットちゃんの首筋の傷を見て目をそらしたのは変な性癖じゃなかったんだね。
終わった後、エンドロールまで誰も立ち上がらないの、お行儀良いなあと思った。
全部が流れた後に、拍手が沸くのもなんかすげえなみんな。
年齢層も比較的高かった気がする。
先日、3階建て賃貸マンションの2階に引越した。私はすぐに両隣と下の部屋に挨拶に行ったのに、上の階の幼児持ち夫婦がいつまで経ってもうちに挨拶に来ない。
普通、幼児のいる家だったら、下の階の部屋に住人が入ったらすぐに菓子折持って挨拶に来ない??
ブラジル人が多いとこに住んでるけど、あまり騒音トラブルは聞いた事ないな。たぶんこちらだとブラジル人は社宅や日本人が住みたがらない様なボロい団地に固まって住んでたり、仕事が夜勤の人が多いからかもしれない。
相手が社宅住まいのブラジル人ならたぶんそこの会社に言えばいいんじゃないかと思う。
あとブラジル人と一緒に仕事してた事あるけど、彼らにはリーダーがいて公私とも仲間の面倒を見ているので、リーダーを通して話をつけるのもいいんじゃないだろうか。ま、そのリーダーというのも勤め先でないとつかまらないけど。
直接騒いでるとこへ凸するのは危ないからやめといた方がいいと思うよ。基本フレンドリーな人達だけど、職場や学校やらで日本人から理不尽な目に遭わされて鬱憤溜めてたりするので、無防備に喧嘩売りにいけばここぞとばかりに反撃して来るというのもあり得るので。まあ暴力事件にまでは発展しないとは思いたいけど、いや~な感じに受け流されたりとか流暢な日本語で(普段は喋れないフリしてるだけの人もいるのである)嫌味浴びせられるくらいはあると思うよ。人を見て態度変えるし。
お昼に返信しようと思ったけどページ見つからないとか言われて寂しいけど返信するね
ぞんのあまの履歴はとんでもないことになりましたが、確か消せたはず!
チャリかっとばしてドンキに買いにいくほうが私にはハードルが高いです!やるなあ!
枝分かれタイプは生々しいんだけど、逆にそこに興奮してきたところもあるよ。
恐怖パワーをエロに変える能力いらなくない?子孫の生産性ないのにどうしてこんなに許容範囲だけ広がっていくのか?
3本目をかったときに気づいたんだけども、やっぱり電池の数がものをいうと思う!
実際部屋で試運転しないと音がわからないのは本当に不便だよね。
ときどき股関節にガンガン振動響いてるときあるけど、あのときの音がどれくらいなのかはかってほしいよね。
赤ちゃんロードだけ外付け内蔵みたいなオプション感あるよね、別の生き物。
エロしょの3本もはいった!とかあるけど、裂けるわアホか、自販機のおつり排出口じゃねーんだよってキレたわな。
ベッドで使うときはタオルひいて、ディルドの方にたらしたほうがいいのかな?使ったことがないのでわかりません! オナカツがんばろうね!
これ逆に楽でな
都市部において保育園の新設が地域住民の反対によって中々進められていないニュースがある。
反対派の主張としては、子供たちの声の騒音被害を気にしているから、ということになっている。
それだけ聞けばもっともらしい理由になりそうだけど、実際には別の明確な理由があるんだよね。
表題にも書いてあるけど、女が育児や家事よりも仕事を優先すること自体が受け入れられないという思想信条ではないのか。
そんな本当の理由を言う訳にはいかないから、騒音問題という別の理由にすり替えて反対しているだけ。
女が働くこと「自体」に反対している人達から見れば、保育園なんて異教徒の聖地みたいなものなんだろう。
当てはまるものがなくても、やっぱり観察を続けて、観察日記に新しい結果を書き加えるだけ。
焦って自分を変えようとしないこと。
ただ、今自分はこういう状態なんだ、こういう考え方をしているんだと眺めるだけでいい。
その状態や考え方が、自分にとって不快で耐え難く、どうしても変えたいものなら、無理なく自然に変わっていく。
自然な変化に身を任せる。
でも、変化の途上は痛みと苦労に充ちる。
けどそれは、失敗と成功という評価の軸から得ていたものとはずれた、一個の個人的体感として感じられる。
観察すれば、傾向がわかる。
傾向がわかれば、付き合い方も考えられる。
男はそこそこの年齢までに身を固め、女は25歳までに結婚して寿退社、あとは育児に専念が当たり前な昭和の頃ならありだと思う。
その時代なら、それなりの年齢の人は家に子供がいるから、子供になれていて、子供の声を聞いてもなんとも思わない。
昭和の時代、親が仕事をしている横で子供が遊んでることもあったと思う。
今はそういう時代ではないから、会社に子供を連れてきていい日以外は連れてこないものだと思う。
子育て経験が無いと、0ヶ月の赤ちゃんの泣き声ですら仕事ができないレベルの騒音だね。
まして、妊活していると、しばらくは仕事が手につかないレベルの精神攻撃だよ。
自重して欲しい。
横綱日馬富士が引退 暴行問題で
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24022990Z21C17A1CC0000/
上の記事を読んだ。なんとまあビール瓶で殴られると痛いから責任を取るため引退するそうだ。
もちろん私は一定の格闘技に関しては異議を唱えるつもりはない。テレビでボクシングの試合を見た時はあまりの迫力に熱狂した経験もあるし。
しかし、今回の暴行による責任追及や、居酒屋含む飲食店全面暴行禁止の流れはあまりに常軌を逸していると感じる。
「人に殴られないようにする権利」ばかりを尊重しすぎて、「人を殴る権利」を脅かしていないかということだ。
「人に殴られないようにする権利」に正当性をもたせるのは簡単である。「痛くて嫌だ」と主張すれば済む。さらに一般の人が受動殴打として害になるか検証されていない、体についた血液や体液に含まれる有害物質についても、免疫力の低い人の被害を引き合いに出せば、被害者を簡単に創出することが出来る。
しかしながら「人を殴る権利」の方は、「人を殴りたい!」といった子供じみた権利の主張以外に何が出来るというのだろうか。結局非暴力者の支持をとにかく得にくい構造になっているのである。
こうして「被害を受けない権利」だけが尊重され、「する権利」は衰退していく。
この構造は、現在日本のあらゆる場所で表出していないだろうか?
保育園では子供の金切り声による騒音を避けるため、園児たちは二重サッシで仕切られた室内でこじんまりと遊ばされている。
海岸での花火は近隣住民の迷惑になるので禁止。
路上駐輪は景観が損なわれるので即撤去。
風俗店は即摘発。
こういった流れが進行しているのも、活動的で主体となりやすい子供や若年層が減少し、一方で客体となりやすい高齢者が増えたのと無関係ではないだろう。
どんどんと窮屈になる日本。他人の多少の迷惑を許容する代わりに、「する自由」に満ちた社会のほうがずっと心地よいと思うのだが。 >
「演奏中45分間」も大学構内に立入禁止 北陸先端大が全面禁バグパイプに踏み切った理由
https://www.excite.co.jp/News/smadan/Z1509591737132/
上の記事を読んだ。なんとまあバグパイプ演奏中は呼気から有害音波が検出されるから受動騒音防止のため立入禁止なのだそうだ。
もちろん私は一定の分バグパイプに関しては異議を唱えるつもりはない。ネカフェで喫バグパイプブースに泊まることになった時はあまりの音に辟易した経験もあるし。
しかし、今回のJaist全面禁バグパイプや、居酒屋含む飲食店全面禁バグパイプの流れはあまりに常軌を逸していると感じる。
「バグパイプの音を聞かないでいられる権利」ばかりを尊重しすぎて、「バグパイプを嗜む権利」を脅かしていないかということだ。
「バグパイプの音を聞かないでいられる権利」に正当性をもたせるのは簡単である。「うるさくて嫌だ」と主張すれば済む。さらに一般の人が受動騒音として害になるか検証されていない、服についた音の微粒子やら呼気に含まれる有害音波についても、騒音過敏症の人の被害を引き合いに出せば、被害者を簡単に創出することが出来る。
しかしながら「バグパイプを嗜む権利」の方は、「バグパイプを奏でたい!」といった子供じみた権利の主張以外に何が出来るというのだろうか。結局非喫バグパイプ者の支持をとにかく得にくい構造になっているのである。
こうして「被害を受けない権利」だけが尊重され、「する権利」は衰退していく。
この構造は、現在日本のあらゆる場所で表出していないだろうか?
保育園では子供の金切り声による騒音を避けるため、園児たちは二重サッシで仕切られた室内でこじんまりと遊ばされている。
こういった流れが進行しているのも、活動的で主体となりやすい子供や若年層が減少し、一方で客体となりやすい高齢者が増えたのと無関係ではないだろう。
どんどんと窮屈になる日本。他人の多少の迷惑を許容する代わりに、「する自由」に満ちた社会のほうがずっと心地よいと思うのだが。