2018-03-21

小説技法書を馬鹿にするな

以下3文絵小説漫画音楽作詞ボカロPCサークル参加者以上全部アマチュア創作家の長ったらしい愚痴

先日、インターネット小説添削し合う会! みたいなもんに参加しました。

ウェブ投稿された小説を下読みして、集団スカイプでよりよいものにするために話し合ったり感想言ったりしよう! という企画でした。

参加者は、年齢幅は若い人が多めだけど中年の人もいる感じの年齢層で、アマチュア小説を書いているけど、なろう(小説家になろう)とかに投稿してるよ!(つまり小説家になって! って声がかかればなることも吝かではないということ、という人も中にはいるということ。) という人も多く、顔ぶれは様々でしたん。

そんで、

「これ読んで下さい!」

って提出された文章は、長さ様々ですが、大小様々に10くらいかな。知らんけど。長さの規定なかったし。

とりあえず、主催さんから指定されたURLに飛びました。

そんで、まず一作品目を見ましたん。

オッ! 手書きゥーーーーーー!! 紙(原稿用紙ではない)に手書き原稿ゥー!!!

いや圧が凄いのは確かだった。禍々しかった。

でも、ビッツツツツツツしりと書かれた、手描きでシャーペン?! シャーペンかぁこれぇ?! って感じの丸い文字

どうも頑張ってスキャンしてくれたらしい。努力凄い。

しばらく苦笑いした後に、読みました。

長い(20枚)

終わらない

まりどういうこと?

なに、え? 誰? なんでこの人達エスパーなの?

タイトル回収どこ? ここ?

なんやかんやあって)

作品の後半まで来る頃には、アンタの小説牛丼かよと。

「安い!」「早い!」「うまい!」

ならぬ

「長い!」「辛い!」「読めなくはない!」

牛丼屋さんに失礼だいい加減にしろ

しかも、ここに「読ませる気がない!」が加わってて完璧じゃないですかあー! やだー!! 小説デスクトロフォルマッ

で、その後も同じような欠点がある小説を読み、スカイプ当日になり、スカイプに全員が集まりました。

アドバイスを言い合う段になって、皆結構辛口な選評を届けるなか、ワイもその件の手書きの人にアドバイス求められたんです。

相手「じゃあ、ワイさんどうでしたか?」

ワイ「皆さんに言えることだと思いますが、小説の書き方の指南書を読んで実践してみるといいと思います

相手「え……? 嫌ですけどなんでですか(半ギレ)」

ワイ「え?」

相手「なんで小説技法(笑)なんか読まなアカンのですか(苦笑)読まなきゃアカンのはワイさんでは」

ワイ「はいぃ?」

そこへ主催の方が言います

主催「ワイさん、ちょっと言いすぎだと思います……」

ワイ「言い過ぎって何が言いすぎなんですか?」

主催「いや、あの……相手さんは書ける人ですよ、それに、相手さんは毎日お話をたくさん書いてますし量もこなしてますよ? ちゃん小説としての体裁をとってると思うし、なによりそんな、小説技法書を読んで実践してみろなんてよくそんなひどいこと言えますね、ほんと読まなきゃいけないのはワイさんでは……? 何より、そんなの実践したら個性消えますよ」

相手そもそも、 こ れ 趣 味 で す」

はいクソ~~~~~~(熱いフォロー外し)

(知り合いの誘いでも)二度と乗らんわこんなクソ会

……ハァー(もういちどキーボードに手を伸ばす)

そうだ。物語というものをみんな「紙と鉛筆、またはインターネット環境があれば誰でも簡単に書けるもの」だと思っているのだ。

ワイはそれを忘れていたのだ。だから時折こういう奴が存在する! ものを書く、いや、創作するということ全般をナメてるやつ!

文字単語を並べて、内容もクソもない文章を作って はい小説です! って出してそれが はいベストセラーです!! ってなったら世の中にワナビはいない

下手で洗練されてない、思想もない、絵を並べて はい漫画です! 絵です! って出してそれが はい名画です! ってなれば 世の中に画家とか漫画なんて職業存在しないし、やっぱりワナビも居ない

最初から曲を作れる人がたくさんいたら、この世にDTM挫折する人なんて居ないの!! だからワナビも居ない!

だがそういう人たちは言うのだ「でも普通にデビュー作でヒットかましてる人もいるじゃん!」

ワイは、そういう事を言われるたびに自分血圧心配になる。

「みんな創作する人たちは(本当は言いたくて仕方ないけど地道に)努力してるんだよ!!」と言いたくなります

ワイらのようなパンピーは、普通のまんまでは

いい感じの喫茶店とかスタバコーヒー片手に小説らしき文章を書きながらほくそ笑んでるだけじゃ良い小説は書けません。

机にかじりついて、ウッギィイィィィィィィ!! 書いてやるウゥゥゥゥゥゥ!!!!!!!!!

って呪詛のように鈍い文句に満ち溢れた私怨に満ちた文章を綴っているだけでは良い小説は書けません。

まあ「人に読ませることを想定していない文章」は出来ると思いますが。

先程の会話劇の話に戻ります

この会話の参加者たちは、特に小説技法書を馬鹿にしていて、ワイはそれが許せなかった。

以下許せない理由を列挙します。

なんで馬鹿にしているのか。それは、彼らが既成観念に囚われているからに他ならない。

小説技法書なんて小説素人の読むものだと思っている

自分小説を書けると思ってる

毎日量をこなしてるから大丈夫だと思ってる

小説としての体裁をとってるなら全部小説だろうと思ってる

小説技法書を真似したら個性が消えると思ってる

趣味からいいだろと言いつつなろうに投稿し「声がかかったら小説家になるのもやぶさかではない」気でいる(そういう人もいる)

ぅうーーーーー

小説しかいたことがない人には、絵やDTMのたとえはピンと来ないかもですが、

絵を描く際は何よりも「基礎画力」と「応用力」と「資料」を大事します(この3つの言い方は様々あり、足りない人はまとめてデッサンしろとか言われたりします)

基礎画力と応用力と資料は、3つバランスが取れてなきゃいけないんです。

基礎画力が足りなくて、応用力と資料だけあっても、ぐちゃぐちゃが出来るだけですし、資料があってもそれを応用できないとなんじゃこりゃ? ってなぐあいです。

DTMに関してもそうでしょう。音楽の「基礎知識」と、楽曲に応用する「応用力」と、音楽に関する「資料

全部なきゃいかんのか? いかんだろ!!

小説技法書なんて小説書き素人が読むものだと思ってる って人は

小説を書けると思ってる から下のくだりつながっていくんだよ!!

全部思ってるってだけなんですよね。

量をこなしてても(基礎画力・基礎知識)、応用力と資料がないと意味ないです。

それはただ、「資料も基礎知識もなく、ただなんとなく書いてたらできた小説」です。

あ、でも中にはね、

小説としての体裁をとってるなら全部小説だろうと思ってる

って人もめっちゃおる

しか小説って名前つければ全世界の全ては小説じゃい。じゃあ小説でええやろ!?って?

でも、そういうプロ作家さんの「トリッキーな動き」を真似するには、相当な覚悟努力必要なんじゃないでしょうか?

体操教室に通わず連続バック中したら大体の人は(相当若くて運動神経もよくない限り)骨折ますよ。

絵なら、リアル骨折れてるって指摘されますよ。DTMなら、聞くに堪えない騒音が聞こえますよ。

そういうのを越えて連続バック中ができるのは、ごくごく一部の天才だけです。

からワイは言ったんです

小説技法書を読んで実践しましょう」

小説技法書は、大変よいものです。

なぜって、基礎と応用する力をまとめて叩き込んでくれるんだから

3冊も読んで、一冊ずつ実践していけば十分なんじゃないでしょうか?

そんで資料を集めれば、ようやっとスタート地点でしょう。

でもねここまで書いたけど、中には

小説技法書を真似したら個性が消えると思ってる

っていう人もいますよね。でもそれはまったく間違いで。

くそういうことを創作者さんは言われますが、「消える程度なら個性じゃない」です。

個性とは、身の内面からにじみ出てくるものです。書いても書いても決して失われないものです。

意識せずに作り上げて何が個性か。そんな作り上げる個性、よっぽど凄くない限り、骨を折って終わりです。

最後に長々と愚痴ってきたけどこれだけは言わせて

趣味からいいだろ! と言い訳しつつ小説家になろうに投稿しているが、小説家になって! って声がかかればなることも吝かではない。わかって♥

わかんない♥ 甘えるな

以上

(じゃあここまで愚痴っといてお前の立場アマチュアだろ偉そうなこつ言うな! って言われると思うけど

 ワイは確かに趣味ですけん、だが趣味範囲でホンキで取り組んでるからこそ「先人の苦労や知恵の結晶」が馬鹿にされるのが単に許せねーっす)

  • 事の賛否はともかくワイさんの文も相当読みにくいです

  • 途中から読みにくくて読んでないんだけど 三行でまとめ直して

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