はてなキーワード: 逃げ恥とは
「逃げるは恥だが役に立つ」(ドラマ版)で強姦事件が発生した場合に起こると思われる被害者叩き
(被害者加害者が一般人の事件が詳細に報道されることはないだろうし世間から関心を集めることもないだろうが、まぁその辺は言いっこなし)
・個人間で契約するのは軽率。きちんとした会社を間に挟むべき。
・通いの家政婦というのは表向きで裏メニューがあるらしい
・個人間で契約するのは軽率。きちんとした会社を間に挟むべき。
・結婚しているのに他の男の家に通うなんてありえない。不倫がばれ夫へ言い訳するために警察沙汰にした。
・通いの家政婦というのは表向きで裏メニューがあるらしい
・その年で騒ぐのがおかしい。むしろ相手にされて喜ぶべき。(風見のファンクラブ発足)
・被害者と加害者は付き合っていて被害者は結婚するつもりだったのに加害者にその気がなく揉めて警察を呼んだだけ。
・美魔女の怪しすぎる恋愛遍歴とか適当な想像話が流布。出世のためなら平気で上司と寝ていたとか言われる。
・被害者は過去にイケメン部下(成田凌)にセクハラ発言をして社内で問題となっていたと会社関係者が証言。今回も被害者から誘ったのではと話題に。
あのドラマ世界は常に女性の「強姦されるリスクを取った上での勇敢な行動」もしくは「常識のない軽率な行動」もしくは「襲われたらそんときゃ示談金毟りとったるでーという打算」によって成り立っていたのでした。おしまい。
たったいま、痴漢に遭った。
近所の女友達とこの時間まで2人で飲んでて、お互い徒歩で家に帰れる距離だから、飲み終わって「おやすみ〜」といつものように解散。
家まであと3分位の距離。歩いてたのはトラックも車もひっきりなしに走る大通り。飛び出したら死ぬなっていうくらい、猛スピードでみんな走ってる。
この時間だから人はほとんど歩いてなくて、油断してた私がいけなかった。
後ろからきた自転車を避けようと、歩道の端にそれた瞬間、ブレーキ音とともに「ガシッ!」とお尻を鷲掴みにされた。男の指が尻の割れ目に食い込んだ感覚がした。気持ち悪かった。
痴漢に遭った人の体験談で「怖くて声も出なかった」というけど私はとっさに声が出た。なぜか「Fu*k you!!!!!!!」と道路中に響き渡るバカでかい声で叫んだ。
自転車痴漢野郎はシャーーーッと車輪音をたてて立ちこぎで逃げ去って追いかけるのは無理だったけど、曲がった角めがけて走った。
角に着いても自転車痴漢野郎の姿はとっくに見えなかった。どんだけこぐの速いんだよ。つーか、逃げ去るくらい弱気から痴漢なんかするんじゃねえよ。次あったらまじでこ●す。玉という玉を握りつぶす。
五臓六腑が煮えくり返りそうな怒りがわいてきたんだけど、冷静になったらいきなり虚しくなった。
これだけ怒っても逃げたやつの顔も分からなければ、痴漢された証拠すらない。
大声で叫んでやったと思ったけど、聞こえた人は誰もいない。
これから先の人生、痴漢に遭った事実を知っているのは世界で私と、クソ自転車痴漢野郎の2人だけ。
悔しい。悔しくてたまらない。行き場のない怒りと虚しさと物悲しさで体が震える。いまでも震えてる。なんであんなやつのために私の貴重な細胞が震えなければならないのだ。
じゃあどうすれば良いのか。
警察に電話する?不審者情報として流してもらう?たしかにパトロールはしてくれるかもしれないし、自転車痴漢野郎がその情報を見ていたとしたら危機感じて他の人にはしなくなるかもしれない。
でも、通報したところで「そんな時間に女1人で歩いてたあなたが悪いです」と言われるのは目に見えてる。そりゃあ悪いよ。でも露出度は極めて低い、身体のラインなんて一切わかりそうもない服装だった。それでも痴漢に遭ったあなたが悪いですと言われるのかもしれない。
気弱なクソ自転車痴漢野郎。逃げたお前は恥そのものだが、結果としてそれはお前の勝ちだった。無意味に叫ぶこと意外、なにもできずにこうして匿名ダイアリーに書き捨てるしかない私の負け。
清く正しく真面目に生きていたところで、卑しくも逃げて生き延びて得する人がいる。
明日からの私の人生には、夜中に自転車痴漢に遭ったという汚点だけが人知れず残る。
一方でお前は「姉ちゃんのケツ触れてうまく逃げられたぜラッキー」とか大したことない幸運を感じて明日からの人生送るんだな。
自分は女だけど独身時代に単に遊ぶ(付き合うとかじゃなくて一緒にご飯行く、会話する)なら経験豊富な男がいいけど、
交際・結婚するなら童貞〜経験がかなり少ない男がいいなーとは思ってた。初々しいのが可愛いし誠実だし元カノの話したりしないし
寧ろ沢山元カノがいたり、元カノと濃厚な付き合いをしてたらはげしく嫉妬しそう
実際結婚した夫は詳しくは聞いてないけど経験値的に性経験は童貞に限りなく近い感じの人。
自分も経験はかなり浅い(短期間しか付き合わず痛くて途中までしかしてない)方な事もあってちょうどいいと思った
てかホラ、逃げ恥のヒラマサさんとか童貞だけど人気あったじゃん?
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の原作者として
さまざまなインタビューで語られる通り
ここにきて過去の作品が見直され、知る人ぞ知る作品ではなくなっていることを
今回の復刊版の帯には「恋と多様性を描き続けて30年」のコピーがついた。
実際、この『回転銀河』はある高校を主な舞台としたオムニバス作品で、
一巻に収録されているのは、
姉と弟の恋に始まり、男子から男子への感情、女子から女子への感情…などなどさまざまだ。
その「多様性」という言葉の重さに、私個人は少し圧倒されてしまいそうになる。
姉と弟の恋、みたいな題材を扱っても、
なんとなく、いつも、地味だ。
姉と弟の恋のエピソードは、読者のおたより欄で
「そういうことはあるよなあ」と思ったところから始まったという。
そして「なんか地味」な原因でもあると思う。
姉から弟への想いも、
彼等はみんな、「私とは違うそういう人たち」として描かれない。
「そういうこと、あるよね」
そういう視点のまま進められる。
それは「多様性を描いている」といえば確かにそうかもしれないのだが、
「あなたと私は違う、そして認めあおう」という描きかたというよりは、
「私はたまたまそうじゃなかったけどさ、そういう感じになるの、あるよね」
という、まるで友達と雑談しているみたいな、とてもニュートラルな肯定だと思う。
多様性を祝ぐような派手さはない。
地味に、私たちの生活の地続きとして、また私自身のある選択肢として「多様性」はある。
そこに単純にある。
そういう描きかたをする作家だと思う。
そして、それこそが海野つなみという作家の稀有な美点であると思う。
(余談なのだが、2話目の主人公であるイズミという底抜けにいいやつな男子がいる。
めちゃくちゃ落ち込んで半泣きで家に帰って部屋に閉じ籠ってるのに、「にいちゃん!俺のじゃがりこ食べただろ!」と弟にキレられたりする。
そのごく短い家での場面で、隅っこの目立たないところに「ママは後妻」って書かれてある。
彼の家庭環境はそれ以降ぜんぜん話に絡んでこない。
けど、あ、わかる、と少し思った。
イズミという少年の優しさや性格の奥行きが育まれた背景があるんだ、とふと思わされる。
家庭環境が複雑な子は優しい、とか言うステレオタイプな話でなく、ただ、そこに地続きの「多様性」を思わされる)
あるじゃん、こういうこと、という感じで描く。
立ち向かうべき悪習としてでもなく、
陰惨ないじめとしてでもなく、
ただ、あるよね、こういうこと、として描かれる。
「美しき悪魔のような双子」という全然地味じゃないキャラクターが出てくる。
成績優秀冷静沈着、自分達以外に価値を認めない、少女漫画の萌えキャラ煮詰めたみたいなやつらだ。
けれど、彼等も結局この海野ワールドのなかの住人だなーと思ったのは、
彼らの行動はこのスクールカーストにえらく縛られているのだ。
それをしなければ、彼等は自分達の生活を守れないと感じている。
海野つなみはスクールカーストを「そんなのくだらない」と喝破したりしない。
あるよね、そしてそうやって自分を守る人もいるよね。
そこで繰り広げられるのは確かに主人公とヒーローの恋愛なのだけど、
いつもその片隅に、学校という生活のままならなさ、人が人と関わりながら生きていることを描いてきた人だと思う。
恋がすべてにはならないし、恋がうまくいけば生活すべてがうまく回りだしたりもしない。
そういう、どこか突き放したような距離感で描写してきた人だ(だから地味なのだが)(そして地味だから好きなのだが)。
それはたまたま彼女の描いてきたものにそういうメッセージを読み取ることもできたというだけだと思っている。
(めっちゃ細かいところではそれっぽいのあるけど、炊飯器をAmazonで買わないくだりとか)
するっとごくさりげなく描くことができる。
近視眼的ではなく一歩引いた距離で描くことができるだけなんだとおもう。
そこにはスクールカーストがあるし、
同性愛者もいるけど「同性愛ににている名前のつかない感情」もあるし、
男女の間にも恋に似ている恋ではない感情がある。
だって、いるのだ。そういう人は。いるじゃん。
ただ、いるよね、って描く。
それはわかる(『回転銀河』はアナログ時代の作画と思われるため、『逃げ恥』とはすこし感じが違うと思うが)。
けれど、もし海野つなみの絵が恐ろしく緻密な書き込みであったり、生々しく柔らかい描線であったら、
きっと「いるよね、こんな人」のようなある種心地のよい距離感はなかったと思う。
あのどこか生硬な絵柄だからこそ、すっと受け入れられるのだと私は思っている。
そして、あの絵柄だからこそ、時々ぎゅっと心を掴まれるような清潔でうつくしいコマがあることを言い添えたい。
【追記】
ごw本w人wにw見られたwwwww
(センセーショナルに、ことさらお話のために感情を煽り立てたりしない、地に足の着いた視点で描かれている、というようなことを伝えたかったのです)
kissの事情とロマンスのたまごと学園宝島と西園寺さんと山田くんとゴールデンデリシャスアップルシャーベットと豚飼い王子と小煌女が好きです…
遅田だけど、例の増田を読んでから色々観てみた。ただ地上波でアニメを観ないので、配信を待ってたら20日になってしまった。元田は格付けしてたのでそれっぽく並べたものの、どうあがいてもアニメ同士の優劣はつけることができなかった。容赦してくれ。利用した配信サイトはd'アニメストア、ニコニコ動画、AbemaTV、アマプラ、ネトフリ。基本コメントは見ないが、2回3回見るときはコメント付きで観たりした。
非常に中毒性の高い作品。音楽繋がりで「けものフレンズ」に近いものを感じる。全体の緩急、音楽、ギャグのテンポ等観ていて飽きないというか、1話1話が一つのMVのようになっていて、アニメを観ているというより音楽を聴いている感覚に近い。とりあえず「ヤマノススメ」ではなかった。
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
一人で見てはいけないアニメ。最新話は必ずニコ生かabemaTVのコメント付きか、ツイッター実況付きで視聴する必要がある。プロデューサーの須藤孝太郎が何を考えてるのかよくわからないけれど、恐らく本作は「話題性」極振りの作品として作られていて、ある種のお祭り状態にすることが目的だと思われる。2話の青い鳥に餌をまくネタからも分かるとおり、実況するツイッター民等を含めて「ポプテピピック」なのだろう。そういう意味では伝説のアニメと言える。なおここで言う伝説は「めっちゃすごい」という意味ではなくて、「伝え聞くところの」とかそういう意味。例えば10年後、今の賑わいを知らない人からすればこのアニメは「当時このアニメは本当にすごかった」という伝聞でしかその魅力を推し量る事ができないわけで。
公式ラジオ番組で高木さんの中の人が言っていたが、「高木さんにからかわれて狼狽する西方を愛でるアニメ」だった。10分アニメでもいいからいつまでもずっと続かないかな、と思ってしまうのは制作がシンエイ動画だからだろうか。このアニメを観ているときは終始ニヤケ顔になってしまうので、人と一緒に見るのが困難な点が惜しい。高木さん可愛すぎかよ。
アマプラのみ。かなりガチの方のSFアニメ。アンドロイドと人間の物語。「イヴの時間」寄り?どっちかというと攻殻機動隊を思い出した。全身義体になった個人のアイデンティティとゴーストの存在についての話と地続きだったりするのかな。日常と非日常にそれぞれ描かれるSF描写がとてもそそられる。
アマプラのみ。主人公が感情を表に出さない、能面みたいな女の子なのだけれど、そんな彼女の心情をあらゆる方法(背景、音楽等)で演出している作品。シナリオについて、原作と見比べると「主人公が友達と楽しそうにだべってるシーン」が意図的に削られているのはそういう意図なのかなぁ、と思った。ずっと観ていたい。
前回の続き。原作既読勢によると2は結構駆け足のようなので、ニコ動のコメント等外部記憶を頼りにして観ていきたい。
ネトフリのみ。アニメーション技術の見本市みたいな作品。何から何まで凄いことになってる。特にびびったのはタイムラプス風演出。あんなの初めて観たし、どうやって作られているのか想像もできない。
https://kids.yahoo.co.jp/games/sports/013.html
百合は百合でもガチの百合。コミック百合姫は女性向けの雑誌らしく、本作もそっち寄り。公式ラジオでも言っていたけれど、エロシーンにおける作画の熱量が非常に高く、思わず「はえ^~すっごい・・・///」ってなっちゃう。コレも背景が草薙なので結構凄い。
アマプラのみ。動く方の絵本。草薙の背景だけでごはん3杯はイケる。音楽のノスタルジックみがすごく、特に1話ラストの労働歌がめっちゃ良過ぎてヤバイ。
アマプラのみ。時間の止まった世界を中心としたSFアニメ。今期のアニメの中では最もやさしさが少ないアニメなので、メンタルタフネスに自信のある人向け。主人公が成人の女性であったり、子どもの役を実際に子どもが演じている等TVドラマに近い雰囲気がある。なんかの番宣番組でプロデューサーが言ってたのは「時の止まっている空間をどう表現するか」をこだわってるそうなので、そっちの非日常がメインになりそう。1話ではクソみたいな日常から非日常に転落する話だけれど、日常パートは日常パートで暗い話なのだろう。背景も音楽も音響も良い。
「デスマーチから始まる」=「昔々あるところに」「今は昔」「Long long ago」。本当はあらすじだけで十分だと思うのだけれど、あんまり「デスマーチ」が世間に浸透していないがゆえにAパートが必要だったのかなぁ、と思った。「主人公がデスマーチって言っちゃうのかよ」という感想が出るのも仕方ないね。
Aパート、ゲーム初期のレベルデザインについてのやり取りを観れば、オンゲープレイヤーはみんな心がざわつくはず。案の定Bパートで「レベル1で高レベルの敵に囲まれる」「何の武装もない」「りゅうせいぐんがいきなり使える」「りゅうせいぐん使ってもエフェクトがない」「りゅうせいぐんをリキャスト無しで連射できる」「高レベルの敵がりゅうせいぐんで全滅」「一気にレベルが上がりすぎ」「ステータスがカンストする」等、所謂クソゲーであることが分かるので、本作は「クソゲー探訪モノ」という位置づけかと思われる。私はSteamで買ったゲームをMODで魔改造するのが好きなので、ゲームバランスの崩壊してる異世界冒険譚は結構楽しみ。そういう意味では、栄華を極めたゲームのサービス終了と同時に始まる異世界冒険譚ことオバロ2とは違う魅力があるんだろうか。
戦記モノ。ただ本作は剣と魔法の世界なので、「前近代風ファンタジー冒険譚」みたいな作品として観ることもできそう。あと戦記モノとしては圧倒的に流血表現が少ないので、なんか爽やか。最近は戦記モノがあんまり流行らないらしいので、どの辺の層をターゲットにしてるのか気になる。上記の特徴から、戦記モノが好きな大人よりも、そういうのを見たことのない若い世代がターゲットなのかな。あと同時展開してるTRPG既プレイ勢的ニヤニヤ要素どれくらいあるんだろうか。個人的には岩浪美和の作る音がめっちゃ好きで、1話だと「敵対した領主と剣を交えたときの金属音」がめちゃくちゃ凄いので聞いて欲しい。
諸事情で制作会社が変わったので実質1期。「たくのみ。」とセットにした理由が分かる気がする。12分を駆け抜けるテンポすこ
むしろこっちのほうが「ヤマノススメ」みを感じる。だがしかし2と2本立てのアニメ。12分でまとまったお話(脚本:高山カツヒコ)が心地よく、あらゆる苦悩をビールで忘れる幸せよ。仕事から疲れて帰った時、ビールのお供はやっぱり「簡単に作れて美味いヤツ」に限る。登場するお酒は全部日本のメーカーのやつなんだろうか。
博多の日常を描いたアニメ。全体的にBGMが心地よい。博多だけどあんまりラーメン枠ではない。BLACK LAGOONっぽい骨太な内容なので、お酒飲みながら観るといいかも。
上野のあの感じ×クソガキ×クソガキ×クソガキ。私も兄弟が3人いるので、小学生が3人集まったときの全能感をよく知っている。テンポ感からもクソガキ達の疾走感がよく演出されている。そういうクソガキたちを優しく見守る作品。観ててとても温かい気持ちになる。上野を中心とした背景美術が凄まじいことになっている。
私は前作のアニメをリアタイで観た人なのだけれど、CCさくらファンだった当時小学生の姉が観ていたからというだけでファンというわけではなかった。今はもう内容覚えてないし、自ら触れることはもう無いと思ってた。そんな私でさえ1話冒頭を観ただけで「イ゙ェアアアア!!」ってなったので、ファンの人は無事では済まないのだろう。マジで奇跡のような作品。
どうなんだろう、この作品を観た人はどこらへんで興奮したのだろうか。やっぱりロボットが真の姿を表したところ?1話の時点で明確な死が描かれているのは1羽の小鳥ちゃんだけなので、敢えてハードな展開になるのを抑えてるんだろうか。あんまり王道ロボットアニメを観たことがないので「メインロボット来た!これで勝つる!」といった高揚感を感じることができなかったのが残念。
TBS FREE、Tver、GYAO!などで最新話のみ無料。子どもと観る方の鉄道xロボットアニメ。子供向けにチューンナップされているからと言って大人が楽しめないわけではないんやな、って。一般人ではわからないレベルの専門用語が飛び交う程度には鉄道好きに寄り添っている。ロボットアニメとしてもかなりアツいので、最終話が放送される頃には「シンカリオンがんばえー」ってなってるかも。しかもコレ、フィクションらしい。
「迷い猫オーバーラン!」の松智洋 原案アニメ。同氏が2016年に亡くなったため、別のライター達によって引き継がれた作品。あらすじを読むだけで分かるくらい、中二病全開の作品。作中のBGMといい、とってもメルヘンチックに仕上がっている。気になったのが主人公の年齢。メルヘンチックな魔法少女モノだと大抵主人公は小~中学生が多い印象なのだけれど、なぜか本作の主人公は高校生である。1話を見る限りでは中学生でも成立しそうに感じる。OP.EDがエロい、監督の上田繁が閃乱カグラOVAの監督を務めた人らへんから察するに、主人公にエロいことをしたいのでちょっと大人にした、と言う感じなのだろうか。
ごちうさのスタッフによる日常アニメ。ごちうさだと思った?ごちうさの大ヒットが影響して大きな予算がついたのか、キャラクターの動きがめっちゃヌルヌルしている。ただしごちうさほどおとぎの国のお話でもなく、特に決定的なのは1話Cパート。よく考えたら脚本の井上美緒はハートフルボッコ系の人でもあるので、かなり胡椒のきいた日常アニメみたい。視聴者の心の、ささくれだっている部分をガンガン逆なでしてくるのでざわざわが止まらない。あとスタジオ風雅の背景がとても良い。A-1 Pictures×スタジオ風雅って去年の「亜人ちゃんは語りたい」以来?
逆ハーレムモノは「桜蘭高校ホスト部」しか観たことがないのだけれど、この作品はどの系譜なのだろう。ヒロインの声が矢作紗友里の時点で「乙女ゲーのツッコミ役かな?」となるわけだが、実際そうである。声優さん達の高い技術も相まってテンポよく進むギャグアニメなので観ていて楽しい。的確なツッコミが出来て、しかも可愛いヒロインって良いね。「月刊少女野崎くん」のパラスちゃんとか。あっちのヒロインはみこりんだけど。
1話だけ観た感想書いても意味が無いので割愛。
「いやそれ労基法どうなってんだよ」「実質奴隷じゃねえか」「何のための保育士資格だよ」「いや中学生一人にそれ任せたら誰か死んじゃうから!」などあらゆる不安を「やさしいせかい」という魔法で一掃し、安心して幼児の可愛さを楽しむ事ができるエンターテイメント。アニメーションしている幼児の可愛さは想像以上で、特に自己紹介のシーンは破壊力が凄まじい。脚本も良いので多分飽きることはないと思う。
色んなラーメンと小泉さん達のメシの顔を楽しむアニメ。惜しむらくは、日本各地のラーメンを食べて回った学生時代ほどラーメンが好きじゃなくなったせいで、観れば観るほど胃もたれしちゃう事。淡々と話が進むので低いモチベーションでも観れるアニメ。OPEDの中毒性が高め。
人外との非言語コミュニケーションを楽しむ作品。やさしいせかい。プロデューサーの那須田淳は逃げ恥のプロデューサーを務めた人なので、EDのダンスは恋ダンスのリスペクトだと思われる。ということは、本作は逃げ恥のファンくらいの年齢層(主に女性?)をターゲットにしてるのだろうか。ミーくんかわいいからね、仕方ないね。
将棋界にはユニークな人が多いらしい。将棋アニメとしては「3月のライオン」があるけれど、とっつきやすい方はこちらかも。同じ原作者のアニメ化作品「のうりん」は農業要素が申し訳程度だったのに対して、こっちはガッツリ将棋を描く方にウェイトを置いているようだ。友情/努力/勝利のサイクルを回すスポ根アニメかな?
「戦士に選ばれた女の子」「スマホゲーも展開」「Studio五組」=ゆゆゆ ではない。説明抜きでおっぱじめるあたり、詳しくはスマホゲーをプレイしてね!ってことなんだろうか。少なくともゆゆゆのようなハートフルボッコではなさそう。チャンバラ目当てに観るのが良いのかも。剣豪シリーズやってたので、いろんな構えが出てくるのが楽しい。あとどの子も使ってる鞘の柄がかわいい。
ホラー寄り。唯一無二かつ普遍的な面白さのある作品なので、いつ観ても面白いのが良い。基本的に短編集なので、リアルタイムじゃなくて観たいときに観るほうが楽しめそう。
あとかなりコミカルだった。
アマプラのみ。何かの番宣番組で聞いたのは「アニメでプロレスをやる」がテーマらしく、超人たちがリングの上で殺し合いバトルをするアニメ。超人たちの身体的特徴は元の動物になぞらえてあり、「むぅ・・・この動きは・・・」「し 知っているのか、雷電!」みたいな実況が入る辺りプロレスっぽい。バトルシーンだけならエログロキン肉マンみたいな感じ?結構アツい。
時代劇バトルアクション。アクションシーンは全体的にふわふわしていて「うおー!すげー!」とは感じなかった。国盗り合戦特有の血生臭さがあるのが良い。原作未読勢は外部記憶を頼りにしないと良くわからないと思う(未読勢並感)。原作ファンにどれくらい寄り添っている作品なのか気になった。
AbemaTVのみ。原作を手元においた上で視聴するのが良いと思った。原作のうちアニメ映えするシーンのオムニバス形式みたいなので、「あのシーンあるかなーwktk」というテンションで観るのがいんじゃないかな、音楽と背景が良いので。
今期で最もゆるいアニメ。
高校生男子の成長物語。サンリオのキャラクター達とのファンタジーではなく、サンリオのキャラクターが好きな男子達の日常アニメ。程よいBL描写のある作品で、今期のBLアニメってコレくらいかも(gdメン?知らん)。ただ、幾つかのシーンについて全く意図がわからない演出があって、「この作品は一体何を描きたいのだろう」と思った。それらが伏線として回収されるなら良いのだけれど、どうなんだろう。
特になし。
全体的にクオリティが高い印象を受けた。例えば背景だと、ハイクオリティでおなじみの草薙が携わっている作品だけでも「よりもい」「ハクミコ」「citrus」と複数あったりする。またアマプラのみネトフリのみ配信のアニメも沢山あり、全体として高予算高クオリティ化の傾向があるのかもしれない。どこぞのプロデューサーが言っていた、どんどん高いクオリティを求められる一方で人手不足になっている話を思い出した。
作品の内容について、アマプラのみ等限定配信のアニメはきびしいせかいが多く、一般配信してるアニメはやさしいせかいが多い、という傾向があるようだ。なんでだろうね。なので、気楽にアニメを観るならd'アニメストアとかで十分かも。
新作1話全部視聴はおすすめできない。観れば観るほど続きが気になる作品が際限なく増えてしまうし、途中までは楽しかったのがそのうち苦痛に変わっていくので逆にアニメが嫌いになる。後半は新しいアニメを観るためのモチベを稼ぐために好きなアニメやゲーム、音楽に触れてリフレッシュしないとやってられなかった。コレはアニメが悪いのではなく、アニメを沢山観るのは体力がいる、ということなのだろう。そんなわけで、アニメ視聴は程々にしよう。ちなみに上の様子見っていうのは「時間と心身に余裕があれば」という事なので、アニメの今後の展開がどうのではない。そういう意味でも、新作1話全部視聴はおすすめできない。本当に疲れた。
https://twitter.com/nhk_nehorin/status/951099083074056202
最後の腐女子用語辞典【解釈違い】キャラの受け取り方が自分と違うこと。イライラすることもある。例)「番組に出てた腐女子の話に納得いかない。完全に解釈違い!でもしょうがないよね、100人いたら100通りの腐女子がいるんだから・・・」ご視聴ありがとうございました🐽 #ねほりんぱほりん https://t.co/1sVh0dQNWf
マッッジで。
「男って~~だよね」「女には~~な傾向があるから」みたいな語り口で腐女子を語ろうものなら大炎上が約束される。
誰もが(この言い方も怖い)、「あなたはそうでも私は違う」を持っている。例え他者から見れば誤差の範囲だろうが、一人一人自分の腐女子としての輪郭をはっきりと持っていて、その差違をないがしろにされることを嫌う。
なんでだろうな、「男」「女」なんてカテゴリよりずっと狭いのに。
でも、もしかしたら、本来人をカテゴリで語るなんてのはこんくらいめんどくさくて然るべきなのかもしれないが。
なんで男同士に萌えるの?
と問われたとき、私にとって一番原点に近い表現をしてるのは下記の動画だ。
ここで言われているのは、端的に言って、
ホモが嫌いな女子なんていません!という平成も浅い頃の暴言があるが、
少なくとも女子の多くは、おっさん同士が無邪気になかよしだとわけもなく嬉しい。と、思う。
ヒロエさんは男性なので男性にもある程度は通じる感覚なのかもしれない。
でもまあ、人と人が仲良くしているな、と見てとれるとき、その多くは喜ばしい。
にこにこと仲良く戯れていたら、やっぱり微笑ましいしなんだかうれしい。
でも男女だと、そこに性の香りが漂うと、感想の種類はぐっとかわる。
終電前の改札前でいちゃいちゃしてる男女はまあまあ見苦しい。優しい気持ちにはならない。
でも、たとえおっさんのいちゃいちゃに喜ぶ人が世の中の何割であろうと、みんなが腐なわけではもちろんない。
だってみんなチームナックスを見ても彼らのセックスを連想しない。
(腐女子が全員セックスを連想しているかというとそうも言い切れないが…ここはややこしいがとりあえず話を進める)
そもそも前述の通り、人と人が仲良くしてるのは微笑ましくても、性的な要素は多くの人にとって微笑ましくない。
腐女子は微笑ましいものにわざわざ性の要素を見いだそうとする。
ようやくねほりんぱほりんの話をするが、あの30分間で一番私の心に刺さったのはこの言葉だった。
この、能天気な、使い古されたみたいな言い回しは、けれども「腐」というものの一面をとらえてるんじゃないかと私は思う。
そうなのだ。腐の世界は、すべての感情を、行動を、あるいは状態を、愛によるものだと意図的に読み違えることで成り立っているのだ。
だから、友情にもコンビにも兄弟にも愛を見いだすし、天井と壁にも愛を見いだす。
(ここでいう「愛」は「恋」である必要はないのだが、その辺は後述する)
そして、ここが重要なのだが、性欲とは愛に対して従であると、腐は思っている。
終電前の改札でいちゃいちゃしているカップルはあんまり微笑ましくないと書いた。
見知らぬ人たちが、泊まるか泊まらないかやるかやらないかの駆け引きをしているのを見るのは、何ならちょっと不快だ。
でも、それは、通りすがりの私の目には彼らの性欲しか見えないからだ。
彼らが「心から愛し合っているのだ」と認識したとき、その感想は変わる。
「逃げ恥」のじれじれしたベッド回りのあれこれを見たとき、あれを不愉快に思う人は多くなかったのではないか。
そこに愛を認識できれば、他者のものであっても性欲は不快なものではなくなる。
私もそう思う。
腐の妄想世界のなかでは、人は酸素を吸うように愛を吸っている。
話すのも食べるのも、笑うのも泣くのも、生きるのも、死ぬのも、すべて愛のためだ。
もちろん現実はそんなわきゃない。人は嫌うし憎むし見下すし嫉む。
でも、妄想世界のなかで、それらもみんな愛だと誤認する。意図的にする。
そこまでしてはじめて、恋について語れるし、性欲について語れる。
恋と性が大好きなわけではない。むしろ恋も性も汚い側面を有していることをよく知っている。
だからこそ、「この世のすべての感情は愛」な妄想世界にトリップしてやっとようやく、恋と性について語れるのではないか。
なんでだろうね。
天井と床の間に、唐揚げとレモンの間に、電車と駅の間に愛を見いだすとして、
どうして男女でもなく女同士でもなく男同士にたとえてしまうんだろう。
少なくとも私は、腐以外でこの手の「愛を見いだす遊び」をしている人たちを知らない。
「私とは違うなにか」でありかつ「同質に並び立つ二人(ふたつ)」が重要なのかもしれない。
私という現実の人間は愛じゃなくて酸素吸って生きてるので私に近い要素は必要なく、
彼岸の愛の世界で生きている人たちは同じ愛を吸う同じ種類の生き物だと思うのかもしれない。
やっぱ苦しいな。単にちんこすきなだけ!っていう清々しい腐のみなさんが一定数いることは書き添えておく。
ねほりんぱほりんでは、一人の出演者が男性にしつこく付きまとわれた過去を話した。
それがマジとか嘘とかマウンティングとか違うとかはどーーでもよいのだが、
ただ、そうなのだ。腐という趣味はその人の性的経験としばしば関連付けて語られる。
本人も、「私はなぜ腐女子なのか」と考えるとき、自身と男性との関係性について考えてしまう。
では、愛でくるまなければ恋も性も語れないというこの増田は、一体男性にどんなトラウマがあるというのか…!????
私は、そんなの聞かれなくていいし考えなくていいと思っている。
なぜ好きなのか?を考えて、趣味と過去の経験を結びつける必要はないのだ。ましてネガティブなものとなんてぜんぜんいらない。
何が好きなのか、どんなところが好きなのか、そんなことを考える方がずっといい。
でもなーーしちゃうんだよな!なんでだろうな!!
ねほりんぱほりんの三人の腐女子たちが自分はどんな人間かを語っているとき、私にとって目新しい言葉はひとつもなかった。
彼女たちの自己分析は、ネットに転がっている腐女子「たち」の語りの集大成のようだった。
どっかで見たことばっかだった。
腐女子は、「100人いれば100通り」であるにも関わらず、どこかで「私たち腐女子」という自意識を持っている気がする。
誰かの自己分析は私の自己分析で、自分について語る言葉は際限もなく膨れ上がる。
「私たち」は常に語らなければならないと思っている。
養老孟司が「いわゆるオカマの人は頭をよく使う」ということを言っていた。
マツコは「そうかもしれない」と応じた。「だってアタシ、トイレ入るときだって、自分はどっちなのか考えるもの。」
「私は何者なのか?」を考えてしまうのがマイノリティなんだと思う。
人はじぶんがマイノリティの側であると思ったとき、「私はなぜこうであるのか?」を考えずにはいられない。
腐女子もそうなんだと思う。「私はなぜこうであるのか?」それを語るために、「私たち」は「私たち」を語る言葉を溜めていく。
100人いれば100通りのはずの私たちは、似たような言葉を使って自分を語り、共感し、それでいていっしょくたにされることを嫌う。
私は何者であるのか。
私について私が語るとき、私は自分が女であることより、30代であることより、会社員であることより、腐女子であることを語るだろう。
「私たち」は問われ続けるし語りつづける。でもいつか、自分のネガティブな経験と腐を繋げて語る人がいなくなるかもしれない、と思う。