はてなキーワード: 独り言とは
背景が真っ黒だったり、自撮り(ゆえにめちゃくちゃ顔面アップ)な方がいるのですが
アレは何故なんでしょう・・・。
自撮りは
という感じに思うのですが、
背景真っ黒な方はなぜ闇から生まれた様な写真をプロフィールに選んだのか・・・。
素朴な疑問です。(いや、眺めてると何名かいるんですよ)
ちなみに、いわゆる顔面がイケてる方はそういった写真じゃないです。100%スタジオ写真。
というかスタジオ写真なだけで「場に対する常識ある。TPOちゃんとしてそう。」って思えます。
お見合い申し込まれても、そういう謎のプロフィール写真で引いてしまうことあります。
という、なかなか周りに吐き出しにくい独り言でした。
婚活難航してるしてる方いたら、一緒にがんばりましょうね。
「昔の私をぶん殴ってやりたい」という言い回しを見るにつけ、
「知らないおじさん・おばさんがいきなり殴りかかってきた」事件には未来の自分によるタイムスリップが含まれてるのではないか
おお…。腑に落ちた。
逆案件で「知らないおじさん、おばさんが『もういいんだよ。頑張ったね…がんばったね…!大丈夫だからね…』等と
泣きながら抱きついてきた」は…。 「それをやったら不審者だ!」という事も判らないのが、
ツイッターなんて 「道端でブツブツ独り言呟いてる変態の中から
たまにそれに合いの手を入れる変態になれる機能」 っていうもののだけなはずなのに
「みんなと同じことをやっておけば安心」みたいな発想って、
つまり「みんなと同じことをやっておけば、なにか失敗したときにその責任を社会に押し付けられるし、
じぶんが恥ずかしい思いをしなくて済む、なぜならじぶんが選んだことではないから」というロジックから出てきてるものだと
勝手に思ってる、
「着たい服がある」
という漫画を読んだ。
着りゃあ良いと思う。
もっと社会が成熟してそんな問いかけは成立しなくなればいいと思う。
個人が着たい服を着てもいいし
まー、じっさい身近に居たら
(「なるべく接触しない」と
「いじめ・無視」の境界はよくよくデリケートにあつかわねばならないが)
みんな最初から好きな服を着ている状態で遭遇したら、互いに避けやすい。
機能性とか悪そうだし
通気性も悪そう
事故とか多そう。
服で自分の個性を表現せねばならないほどの人は、なにかをある種の不安を抱えていそうな気がする。
(すまない。書き手も人間だから、どうしても偏った見方からは脱却できない。自覚はあるから増田に書くわけだ)
「ちょっと知人の友だち」ぐらいなら一緒に接することができるだろうけど
それより身近な距離感に入ってしまうと…無用の争いが生じそうだ。
(「なるべく接触しない」と
「いじめ・無視」の境界はよくよくデリケートにあつかわねばならないが。二度目。)
おたがいなるべく寛容でいたいから
気が合わないのが最初からわかっているならば、遠ざかっていたほうがよい。
自分はサイレントマジョリティみたいだ。
誰か個人に向いたりしていない。
やあ○○(←ここに任意のインターネットコミュニティを入れろ)で○○(←ここに任意のクラスタや主義主張民族宗派などを入れよう)をしているバカども!
インターネットの狭い世界でリアルで言えないことを言いまくって強くなった自分を演じる気分はどうだい?
TLやコメント欄にはそりゃ同調意見か真逆の反対意見しか流れてこないよ、お互い暇人なんだから
でもな?お前らは社会全体から見れば路上でぶつくさ言ってる痴呆老人と同レベルだ
だってそうだろ?無意味で無影響な意見の羅列をブツブツネットに垂れ流してるだけなんだもん
特にツイッターのフェミ、ネトウヨ、クソオタク、クソサヨク、こいつらはほんとにね・・・・本当に救いようがない
俺達は違うって思ってるならそう思った時点でテメーら同類だいい加減にしろ
もしリアルの知り合いがハマってたら優しく諭してあげてね、それでもダメなら放置して目を覚ますのを見守るしかねえ
インターネットはテメーらの公開オナニー会場じゃないんだわ、勘弁してくれチラシの裏にでも書いててくれ
インターネットに来てまでなんで痴呆老人の独り言レベルの醜聞を見せつけられなきゃならんので
勘弁してくれよ・・
どうでもいいことつぶやく度に、いいね!してくる人が3人ぐらいいる
正直なんだかわからないけど面倒。
フォロワーなんてリアルで会う人しか居ないし人数的にも300人も居ないのに、そのうちの3人ぐらいが毎回毎回「お腹空いた~」とつぶやこうが「眠い」とつぶやこうがなんだろうが必ずいいね!してくる。
別にいいんだけど、「みたよ!」の印なら別にせんでいいしスルーしてくれと思う。
共感したよ!的なのとかよかったね!の意味合いならいんだけど。
もしかして「お前のつぶやき多いよ!」だったりする?それは流石に凹むぞ?
こう思ってるんだけど、これをTwitterに書けない悲しみ。
長年やってるけどこんな事気にしてしまう私は多分Twitter向いてないんだと思う。
でも独り言を言わないですむし、人に話したいけど一方的でいい意見とかいらん、って事を人形相手に喋らずに済むので好きなんだけどな
鍵付きで一個つぶやくようのアカウント作りゃいいのかもしれないけど、流石にそれするぐらいなら人形にしゃべる。
人形買うか。
どんな風に表現したら伝わるんだろう?
文章が不得手なので、私が今強く思っていることが正しく伝わるかどうか自信がない。
でもとりあえず書いてみることにする。
言いたいことはタイトルの通りだ。
例を挙げると、私は以下のような状況に対して非常な抵抗をおぼえる。
・職場に、職場に関係している人以外の自分の知り合いが来ること
・何らかの知り合いと職場で一緒に働くこと(私より前か後かは関係なく)
・知り合いと一緒にいるところを、共通ではない別の知り合いに見られること
どうして嫌悪感をおぼえるのか、あるとき考えてみたことがある。
その結果、
自分が、自分の家以外のあらゆる場所で演技をしていて、しかもその振る舞いが場所によって違うので、他の場所の人に見られると都合が悪いからなのだと気が付いた。
職場の中では、あまり感情を出しすぎない、口答えしない、落ち着いたキャラクターで通している。
家族の中では、私の兄が昔からいつもちょっとしたことですぐ不機嫌になりがちで空気が悪くなることが多かったので、その空気をやわらげようとピエロのようにおどけるキャラクターで通している。
友達の前では、お笑いのボケ役みたいな感じのキャラクターで、中二病ポエム的なことをうっかり言ってしまう(中二病ポエムはわざとではないのだが)。学校でもそんな感じだった。
好きな人の前では、おっとりしていて優しいキャラクターで、恥ずかしがりやでモジモジしがちである(これは好きな人のことがすごく好きだからなのだが)。
一人暮らしの自分の家では、たぶん本当に素でいられて、ムカつく人間を罵りながら酒を煽ったり、いきなり性的欲求に襲われてそれを即座に一人で解消したり、xvideosを観たり、本を読みながら独り言を言ったりしている。
小学生の頃くらいから、友達を実家に連れていったことがない。何かにつけて断っていた。
過去の恋人を実家に連れてきたことはないし、恋人を友達と引き合わせたこともない。
一人暮らしの家には人が来たことはあるが、本当はいつもあまりいい気持ちではない。
世の中には、気軽に友達を家に連れてきたり、
私もそういう風になりたい。
私は自分の知り合いのことを恥ずかしく感じているわけでは決してないのに、
こうやって別々にしておきたいと強く思って、彼らが混ざりあうような状況を全力で避けようとしてしまう。
敏感で繊細な人は、私のこうした考えに気付いて、ひそかに傷ついているのかもしれないと思うといたたまれない気持ちになる。
私自身は、自分の知り合いの職場に行きたいとか、家族とか友達とか恋人とか学校の人に自分のことを紹介してほしいと思ったことがない。
でも、周りにいる人もまた私と同じように思っているわけではないということもわかっている。
知り合いが混ざりこむ状況が我慢できなくて死にそうになってそれを避けてしまうのは、結局自分が一番大切で、本当は心から変えたいと思っていないのだろうか。
自分は、人を嫌いません。というと、周りからよく疑いの目を向けられます。いい子ぶっているのではないか、実際は人を嫌っているのに、自分で自分を否定しているのではないか、嫌いと言う言葉の定義を知らないのではないか。
自分からしては、なんで周りの人は人を嫌うのだろう、と逆に疑問を感じます。人を嫌っても、何もいいことなんてありません。人を嫌ったところで、自分の人生はバラ色に変わるわけではありません。嫌いな人が苦しんでいることに喜びを感じる方も多いかもしれませんが、そのことが自分の役に立つわけではありません。その人がなにかみんなのためになにか貢献して、失敗している場合、むしろ自分への影響はマイナスです。
人を嫌うことにメリットを感じないように思うのは自分だけでしょうか?むしろ、嫌いな人が回りにいる、ということで自分の心が灰色になるのではないのでしょうか?人を嫌っていないのでよくわかりませんが。自分は高校生ですが、嫌いな人と高校生活ずっといっしょに過ごすというのは、少し地獄じみている気がします。
毎日嫌いなものが食卓に並んでいたら、誰だって嫌ですよね?嫌いな食べ物を捨てるよりは、その食べ物を好きになったほうがいいのではないでしょうか。
また、嫌いな人のことをみんなで話すといったことをしている集団もいますが、その行為に意味あるのでしょうか?みんなで話すのは楽しいことですが、嫌いな人のことをみんなで話しても、より憎しみが増幅されて終わりなのではないでしょうか。
そもそも、人を嫌いになるほどのエネルギーを皆さんは持て余しているのでしょうか?周りの人を嫌って、そんなことに時間を費やしている暇があったら、勉強するなりしたほうが良いと思うのです。
人を嫌うことで得るものは、ストレスぐらいではないでしょうか。
人を嫌わない、それは難しいことかもしれません。人生経験の少ない高校生からみても、社会は広く、いろいろな人がいます。日常的に人を殴ってくる人、常に独り言を喋っている人、周りの人を巻き込んで現実逃避する人、例を上げればきりがありません。自分でもそういった人のことを苦手に思うことはよくあります。ですが、それが人を嫌いになる理由になるかと言われたら、ならないと思います。
自分は彼らによって迷惑を被ったのは事実ですが、自分も同じく他人に迷惑をかけていますし、迷惑をかけられたから恨んでいるようでは、迷惑で得たストレスを増幅していくただのドMになってしまうと思うのです。
それにむしろ、自分が彼らから良い経験を頂いたのも事実です。明らかに通常は得ることのできない経験をさせていただきました。その得た経験は、直接なにかの役に立つわけではありませんが、きっといつか人生を振り返ったときに、思い出として残るでしょう。
せっかくの80年ぐらいの短い人生(もしかしたらもっと短いかもしれない)なのですから、できるだけ珍しい経験をして死にたいと思うのは、ふつうのことではないでしょうか?折角の短い経験で得たものなのですから、悪い思い出よりは良い思い出のほうがいいでしょう。
でも、その人を嫌わないということに、違和感を覚える自分もいるのです。
人を嫌わないということに、その裏に隠れた事実を覆い隠していしまっているのではないかと。その人が本来やっていたよろしくないことすらも、すべて肯定してしまっているのではないかと。何もかも肯定して世界から目を背けて生きているのではないかと。
これは自分に対しても言えることです。自分は、人を嫌わないということで、何か自分に対して言い訳をしているのではないかと。
昨日も、ある人から言われました。「無理して嫌わないようにしているみたいで、キモい。」その場ではごまかしましたが、確かにその言葉は正鵠を得ていました。
自分は人を嫌わないということを言い訳に、歪んだ人間関係を構築してしまっているのです。常に人を馬鹿にして(もちろん自分では冗談のつもりです)、常に人を貶めて、それだけでしか自分と相手との会話を構築できない、歪んだ人間関係を。最悪です。基本的に何かあれば人を馬鹿にして、会話に困ったら人を馬鹿にして、ただのコミュ症を汚い言葉で覆い隠しただけの、最低の自分がそこにはいました。
周りの人が普通の会話(なんでしょうね?)をしているのを見て、どこか羨望を感じているのも事実です。人を嫌わないのを言い訳に、何も改善のための努力をしていないのに。
人を嫌っていないから、人の悪口をいくら言ってもOK。少し前まで自分はそんなふうに考えて行動していました。自分は自分に甘えすぎていたのです。
同時に人を嫌わないために、少し苦労しているのも事実です。自分のことを常にからかってくる人が、自分のことを常に見下している人が、失敗しているとき、苦しんでいるときに、良くないと思いつつ、やめないといけないと思いつつ、心の奥に、かすかな喜びを感じている自分がいました。
その気持ちは自分から生じたものであるが故に、嘘ではないことは確かです。しかし、それを認めることによって、自分の信念である、人を嫌わないが壊れてしまうのではないかと恐れ、その気持ちを否定してきました。
でも、同時に、そこまで自分に嘘をついていきたいのか、と思う自分もいました。自分に嘘をついて、自分に嘘をついた自分を自分と認めてもよいのか、と。嘘にまみれた自分は、もはや自分とは言えません。その2つの考えに挟まれて、どうしてもどうすればいいのかと悩んでしまいます。
また、自分は人を嫌わないということで自己満足に陥ってまっているのです。
人を嫌っていない自分ってすごい。人を嫌っていない自分って優しい。人を嫌わない、その自分の信念みたいなものを笠に着て、裏側で自己満足している。最低です。これなら人を嫌ったほうがマシかもしれない。そう思うことも多々あります。 そして、人を嫌わないことの裏側で、自分は人を無意識にでも道具として扱ってしまっているのです。人を嫌わない、そのためだけに人と腹を割って話していない気もしますし、人を嫌いになりそうな場面に出くわしたら、そっと目を閉じている。もはやなんのために人を嫌わないのかわかりません。本末転倒です。
そもそも、そんなことをしてまで人を嫌いにならない必要はないのではないかと、最近思うようになりました。あまりにも、人を嫌いにならないことによる違和感が大きくなりすぎて。でも、未だに人を嫌いにならないことをやめていません。
自分は、嫌われるのが怖いのです。陰でコソコソと悪口を言われるが。自分が知らないところで、自分が嫌われるのが。自分を知らない人が、自分と合わずに自分を悪い人だと思うのが。自分は、人からの評価に過剰すぎるのです。自意識過剰。自分は、自意識過剰の極みのようなものでした。
それゆえに、自分が嫌われるのが怖いから、人を嫌わないのです。「自分が嫌なことを人にしてはいけません。」自分は、小学校で教わったことを、未だに信じ続けているのです。自分が嫌われるのが怖くて。周りの人が嫌われるのが怖くて。自分は浅はかにもこんなことを始めたのでした。
ですが、今はその目的はあまり原型をとどめていません。今の自分はどちらかといえば自己満足の意味合いのほうが強いのです。
きっと、この世界に理想は存在しないのでしょう。優しい世界は存在しないのでしょう。だから自分は、優しい世界を作りたかった。
でも、自分は優しくはなかった。利己主義と自意識に満ち溢れたただの高校生だった。
この優しくない世界で、自分はどう生きるべきなのでしょう。答えがないが故に、自分は答えを探して、今日も自分は答えのない日常を彷徨っています。
要は「不機嫌になった時に(いい年した大人なら)人に頼らず自分で機嫌が良い状態に戻せ」ってこと
自分は悪いことしてないのに何故こんな仕打ちを受けなければならないのか納得がいかない
(※1 他人のミス、自分のミス、他人や自然からの理不尽な攻撃 を含む)
2. 機嫌が悪い自分に対して自分でどのように機嫌をとったのか
→でも過去を振り返ってみると、俺ってそんな不運続きだったわけじゃないよな?
忘れがちだけど、ラッキーなこともけっこうあったな
つらい病気で苦しんでいる人も沢山居るなか
それこそ「買いたかった商品が売り切れてなかった」ぐらいのレベルまで落とせば
そんなことを考えている(※2)うちに気分が上向いてくる
(※2 短期的に見れば不運寄りだった自分の中の幸運/不運ゲージが、長期的に見ればかなり幸運に寄ってることを再確認する)
3. 自分ではなく他の人に機嫌をとってもらった場合はどういう感じになるのか
→周囲の人間に「自分は不機嫌です」ということが丸わかりの態度(※3)をとって、周囲が気を使って優しくしてくれるのを期待する
そして優しくされたら、自分の中の帳尻が合った気分になって機嫌が治る
(※3 険しい表情、乱暴な受け答え、舌打ち、独り言で悪態、八つ当たり とか)
余談だけど他人に機嫌をとってもらう以上にやっちゃいけないこととしては
「運試し」的な行動があると思う
続いている不運を、幸運で取りもどそうとして、あえてリスクのある雑な行動(※4)をとってしまうという奴
そりゃ博打に勝てば一気に不運は取り戻せるんだけど、サイコロはそうそう都合よく回ってはくれないので
大抵はどツボにハマる
機嫌が悪いと物事がことごとく上手くいかないのは大体このパターン
(※4 ゴミをゴミ箱に投げ入れてみるとか、普段は通らない近道を通ってみるとか、生け垣を飛び越えてみるとか、昇竜拳をブッパしてみるとか)
スカイプちゃんねるとは、出会い系の掲示板みたいなもんで、スカイプのIDを掲載して見知らぬ人と通話を楽しむというもの。やはり、出会いたい男性が圧倒的多数で、寂しがりやのメンヘラ女性と、謎の「会議・グループ通話やりたがる人たち」と、オンラインでゲームやろうの人が残りの内訳だろう。
あそこはヤベーやつの温床だ。
普通に暮らしてたら出会えないような人に遭遇する。厳密に言えば、"出会えない"のではなく、"出会いたくない人々"だ。要するに、近くにいても知り合いになりたくないタイプの人種ばかりなのだ。いろんなタイプの品性下劣がめちゃくちゃいる。
だから使ってると、ムカつくことが大半だ。が、ごく稀に出会える紳士にさっきの人こんな人だったと話すと笑ってもらえるので、ストレスは消化できる。ネタにもなるのだ。
出会える人は、クズ、クズ、クズ、つまんないけど普通、クズ、クズ、いい人、クズ、クズ……みたいな感じだ。クズの方が圧倒的に多い。しかも個性豊か。
若くて女性で、週末の夜に掲載すれば、数秒ほどでスカイプに複数のコンタクトとメッセージが来る。
メッセージの内容はもちろんだが、まずサムネイルである程度どんな人か判断できる。サムネイル=その人の美意識・センスなのである。
・寒いやつは、パズドラ的なスマホゲームの画面のスクショ、メンヘラチックなアニメの絵(しかも似顔絵。こいつらはこぞって大学生で、大概受け身)。話すのは無駄。
・ヤベーやつも普通な人もいるのは、オシャレにスタイリングできました的な後頭部、白黒で顔がはっきり判断できないがオシャレですよ服装気にしてますよの雰囲気プンプンの写真。 コミュ力は高め。
・判断しにくいのは、特徴のない写真、サムネイル自体つけてない人。なんでもない風景のサムネも多いが、これも判断しにくい。
・幾何学模様や、なんらかのデザインの模様の場合は、根暗・メンヘラ率高め。バンドやってるか、RADWIMPS好き。会話はできるが、口調がキモい人が多い。癖が強い。
・地雷率が最も高いのは、初回メッセージでタメ口の人(年齢問わず)。自分がどう思われるか客観的に見られないヤツが多い。20後半でこれはお察し。
・次に、タメ口関西弁野郎。この種は本当に自己中が多い。あと声質が高く、押し付けるような口調が特徴。聞いていて不愉快。趣味も考え方も何かダサいヤツが多い。勘弁してほしい。
・おじさん。40代ですけどいいですか という決まり文句がある。加齢臭漂う文章だが、紳士も多い。が、おじさんと話してんのか……と思うと結構萎える。
・短文の挨拶、性別年齢の人。プレーン。これも判断しにくい。でも普通の人も多い。普通だからといっても、会話のキャッチボールができるとは限らない。超受け身の人もいる。男としてどうなんだと言いたくなるような、会話本当面白くないねボーイも結構いる。
私が優先するのは、とにかくプレーンな人だ。私は特殊な会話がしたいのではなく、ごく普通の会話のキャッチボールがしたい。しかしスカちゃんにおいてはそれが最も難しいのである。プレーンな人といっても、スカちゃんを使うような人に真っ当な人がいるわけがない。8割が、エロいやりとりがしたい、俺の話を聞けよ、話題が一切広がらない受け身の貝野郎なのだから、基本は諦めだ。
ということで本題。
・失恋の相談で、「相談のります!」と連絡をくれるも、通話してみたら、24才で1人も彼女なしの童貞人だと発覚。勿論、相談など乗れるはずもなく、最終的には「僕の人生この後どうなるんでしょう」と、童貞の行く末を嘆いていた。その後「前を向いて歩いて行かなきゃダメだよ。もう戻ってきちゃダメだよ」的なメッセージが何通もきた。セックスしてから言えと思った。
・高圧的な態度で、自分が大学院生だというのを自慢。適当に受け流していたのだが、主従関係ができたと勘違いした院生君が興奮し始めてエロイプし始めようとする。人の性癖って本当人の数だけありますね。
・プロゲーマーウメハラの名前を使う男。アケコンのデザインをしてると吹聴。多分、スカちゃんで名前を検索すれば出てくる。プロゲーマーガチくんのアケコンをデザインしたというのを自慢する。こちらがウメハラかっこいい!とかいうと、そお?俺は別に……みたいな態度をしてくる。「格ゲーなら俺プロは無理だけど、セミプロならいけるかもな〜」というのを、聞いてないのに繰り返し独り言で呟いてた。聞こえてるよ。返事しなかっただけだよ。可哀想に。しかもそれで30代後半というお粗末さ。多分、ゲームだけは本当にやってて他の話は嘘だと思う。スカイプの中では誰でもシンデレラボーイ(東京都・30代後半)。
・出だしから「ちーっす」。有休消化だから毎日寝まくってて〜 旅行行きまくったりして飽きたんだよね〜 今日これから昼飯食って〜 などダラダラ一方的に自分の生活の話をし続ける。喋り方が小汚い。イメージは、コンビニとかで商品金額ちょうどの小銭を雑に店員に放り投げていくタイプの、だらしない体型&服装、安そうなヘアカラー、車の中は駄菓子みたいな甘い匂いさせておけばオシャレだと思ってる低学歴野郎。極め付けは「今日オレの見た夢聞く?パズドラがもっかい流行る夢!」。多分実物も、イメージ通りだと思う。
以上です。
マナーを守って、コミュニケーションを大切にしながら楽しく利用してほしいが、そんなこと彼らには関係ないのである。自分さえよければ良いというのを隠さずやっている。
スカイプちゃんねるとは、出会い系の掲示板みたいなもんで、スカイプのIDを掲載して見知らぬ人と通話を楽しむというもの。やはり、出会いたい男性が圧倒的多数で、寂しがりやのメンヘラ女性と、謎の「会議・グループ通話やりたがる人たち」と、オンラインでゲームやろうの人が残りの内訳だろう。
あそこはヤベーやつの温床だ。
普通に暮らしてたら出会えないような人に遭遇する。なぜ出会えないかというと、出会えないのではなく、出会いたくない人々だから。要するに、近くにいても知り合いになりたくないタイプの人種ばかりなのだ。いろんなタイプの品性下劣がめちゃくちゃいる。
だから使ってると、ムカつくことが大半だ。が、ごく稀に出会える紳士にさっきの人こんな人だったと話すと笑ってもらえるので、ストレスは消化できる。ネタにもなるのだ。
出会える人は、クズ、クズ、クズ、つまんないけど普通、クズ、クズ、いい人、クズ、クズ……みたいな感じだ。クズの方が圧倒的に多い。しかも個性豊か。
若くて女性で、週末の夜に掲載すれば、数秒ほどでスカイプに複数のコンタクトとメッセージが来る。
メッセージの内容はもちろんだが、まずサムネイルである程度どんな人か判断できる。サムネイル=その人の美意識・センスなのである。
・寒いやつは、パズドラ的なスマホゲームの画面のスクショ、メンヘラチックなアニメの絵(しかも似顔絵。こいつらはこぞって大学生で、大概受け身)。話すのは無駄。
・ヤベーやつも普通な人もいるのは、オシャレにスタイリングできました的な後頭部、白黒で顔がはっきり判断できないがオシャレですよ服装気にしてますよの雰囲気プンプンの写真。 コミュ力は高め。
・判断しにくいのは、特徴のない写真、サムネイル自体つけてない人。なんでもない風景のサムネも多いが、これも判断しにくい。
・幾何学模様や、なんらかのデザインの模様の場合は、根暗・メンヘラ率高め。バンドやってるか、RADWIMPS好き。会話はできるが、口調がキモい人が多い。癖が強い。
・地雷率が最も高いのは、初回メッセージでタメ口の人(年齢問わず)。自分がどう思われるか客観的に見られないヤツが多い。20後半でこれはお察し。
・次に、タメ口関西弁野郎。この種は本当に自己中が多い。あと声質が高く、押し付けるような口調が特徴。聞いていて不愉快。趣味も考え方も何かダサいヤツが多い。勘弁してほしい。
・おじさん。40代ですけどいいですか という決まり文句がある。加齢臭漂う文章だが、紳士も多い。が、おじさんと話してんのか……と思うと結構萎える。
・短文の挨拶、性別年齢の人。プレーン。これも判断しにくい。でも普通の人も多い。普通だからといっても、会話のキャッチボールができるとは限らない。超受け身の人もいる。男としてどうなんだと言いたくなるような、会話本当面白くないねボーイも結構いる。
私が優先するのは、とにかくプレーンな人だ。私は特殊な会話がしたいのではなく、ごく普通の会話のキャッチボールがしたい。しかしスカちゃんにおいてはそれが最も難しいのである。プレーンな人といっても、スカちゃんを使うような人に真っ当な人がいるわけがない。8割が、エロいやりとりがしたい、俺の話を聞けよ、話題が一切広がらない受け身の貝野郎なのだから、基本は諦めだ。
ということで本題。
・失恋の相談で、「相談のります!」と連絡をくれるも、通話してみたら、24才で1人も彼女なしの童貞人だと発覚。勿論、相談など乗れるはずもなく、最終的には「僕の人生この後どうなるんでしょう」と、童貞の行く末を嘆いていた。その後「前を向いて歩いて行かなきゃダメだよ。もう戻ってきちゃダメだよ」的なメッセージが何通もきた。セックスしてから言えと思った。
・高圧的な態度で、自分が大学院生だというのを自慢。適当に受け流していたのだが、主従関係ができたと勘違いした院生君が興奮し始めてエロイプし始めようとする。人の性癖って本当人の数だけありますね。
・プロゲーマーウメハラの名前を使う男。アケコンのデザインをしてると吹聴。多分、スカちゃんで名前を検索すれば出てくる。プロゲーマーガチくんのアケコンをデザインしたというのを自慢する。こちらがウメハラかっこいい!とかいうと、そお?俺は別に……みたいな態度をしてくる。「格ゲーなら俺プロは無理だけど、セミプロならいけるかもな〜」というのを、聞いてないのに繰り返し独り言で呟いてた。聞こえてるよ。返事しなかっただけだよ。可哀想に。しかもそれで30代後半というお粗末さ。多分、ゲームだけは本当にやってて他の話は嘘だと思う。スカイプの中では誰でもシンデレラボーイ(東京都・30代後半)。
・出だしから「ちーっす」。有休消化だから毎日寝まくってて〜 旅行行きまくったりして飽きたんだよね〜 今日これから昼飯食って〜 などダラダラ一方的に自分の生活の話をし続ける。喋り方が小汚い。イメージは、コンビニとかで商品金額ちょうどの小銭を雑に店員に放り投げていくタイプの、だらしない体型&服装、安そうなヘアカラー、車の中は駄菓子みたいな甘い匂いさせておけばオシャレだと思ってる低学歴野郎。極め付けは「今日オレの見た夢聞く?パズドラがもっかい流行る夢!」。多分実物も、イメージ通りだと思う。
以上です。
マナーを守って、コミュニケーションを大切にしながら楽しく利用してほしいが、そんなこと彼らには関係ないのである。自分さえよければ良いというのを隠さずやっている。
腐女子、女オタクも長くなると、ジャンルが変わっても付き合う友人が何人かいるんじゃないだろうか。
私が今回話すのはそのうちの一人の話だ。
Aさんは26歳、そして私は29歳。twitterでの絡みはそこそこ。
会うのは数カ月~半年に1度とかその程度で、もう8年位の付き合いがある。
今はメインジャンルもCPも違うが、好きだったアニメの映画化やイベント等をきっかけに
飲み食いやカラオケ等もする、リア友に半分つっこみかけている存在だ。
それはあるイベントに同行したアフターでの事。
「○○さんて、今年で29だよね?」
「そうだよ~」
そう何気なく言った私に彼女は顔をニヤリと笑い、こう言い放った
そしてこれ以降、他のオタ友の前でも事あるごとに
年齢弄りと結婚弄りなどのプライベートな話に突っ込む話をしてくるようになった。
彼女と同世代かそれ以下の人がいる時には必ず、バカにしたように言ってくるのだ。
まず思ったのは
「何故【こんな所でまで】そんなこといわれなきゃならんのだ」ということ。
会社や親戚…リアルの人に言われる分には、(なんかもう)いいのだ。
言われる度に、適当に乗りあしらっていく。
ある種の諦めの感情を持ちながら。
好きなことを語り、楽しむ友人である。
何故そんな楽しい場で下らない、下世話にも過ぎる話ができるのだろうか。
私のオタ友の中には、勿論私よりも年上の人もいる。
だが、それが何なのだろうか。
私は彼らと話すとき、彼らのリアル事情の一切を気にしないのである。
年齢も性別も職業もバラバラで、普通の人生ではまず出会うことのなかった人たち。
それがリアルの垣根を取り払い
「好きなもの」を通じ出来た、素敵な繋がりだと思っている。
年下年上問わず、好きなものに触れて楽しそうに生きている人は大好きである。
ましてや「ババア」「ジジイ」「ガキ」呼ばわりなんて失礼にも程があるとおもうのだ。
(ババアとジジイは普通に使われる分には蔑称だと思っているのですが違うのでしょうか?)
そして同時に「彼女はどうして数年先の自分に対して呪いをかけているんだろう」と思う。
縁を切るかどうかは未定だが
彼女には、次に言われたら注意しようと思っている。
あまりにも長々と語り過ぎたので
先ほどリアルで言われる分にはいいといったが、ごめん、嘘です!!!!