はてなキーワード: 独り言とは
ツー…ツー…ツー……
名前すら名乗らない彼は一体何者だったんだろうか。
彼は一体何に了解したんだろうか。
そして、彼はそうして了解したことをこちらに伝えて何がしたかったんだろうか。
電話先を間違えたことに気づいたのなら、それを謝るかせめて伝えるべきではないだろうか。
自分さえ納得できればよく、それを相手にも伝えるために「了解」という言葉を選んだのだろうか。
それとも、この電話番号が増田商事であることを確かめたくて、それを確かめることが出来たことを伝えたかったのだろうか。
私がお昼ごろにかかってきた間違い電話の事を今なお気にかけているのは、その言い方が独り言ではなく、私に「了解」をはっきりと伝える口調であったことだ。
私が増田商事の打須摩であることに「了解した」と彼が私に伝えることには、きっと彼の中では大きな意味があり、それさえ伝えれば失礼しますも言わずに電話を切ることにも何の問題も無かったのであろう事がその声色から読み取れたのだ。
非常に気になる。
もしかしたら、彼は未来の私だったのではないだろうか、それとも死神……。
この物語にはどんな結末が待っているのか、きっとなんの結末も待っていないのだろう。
ただ単に私に電話をした人がひどく自己中心的で、「俺が電話先を間違えたことに、俺が納得できたなら、それでお前も満足だよな?」と考えるジャイアン人間だったのだろう。
こんなにも頭を悩ませてたどり着いた結論が、クソ野郎のクソみたいな間違い電話について半日の間悶々としていたいというクソのような現実だったとは。
N氏が羨ましい。
彼の人生にはもういくばくかのセンス・オブ・ワンダーが込められている。
私の人生にあるのは、人間の薄汚さや他人に対してかける思いやりの無さ、そしてそんな事に対してすらこんなにも繊細になるほどの余裕の無さばかり。
辛い。
この人生が辛い。
ただの間違え電話1つですらこんなにも揺れ動いてしまうような器の狭い人間として生きていく事にもういい加減疲れた。
死にたい。
……やはり彼は、死神だったのだろうか。
好きなんだけど
乙ひよりさんとか雨隠ギドさんとか紺野キタさんとか他にもすてきな作家さんすてきな物語いっぱいあるんだけど、
でも全体的に絵柄がキラキラしててかわいい学生ものが多いのかなーって思う
なんていうか動物のお医者さん(7巻以降)とか海がきこえるみたいな
ああいうちょっと古いんだけど普遍性のある感じでそんなにエロティックでない絵柄の百合マンガってあるのかな
海外のめっちゃエロい絵柄の等身高い大人百合もそれはそれでいいんだけど
でも自分が読みたいのとはちょっと違ってた いやすごくいいんだけど
単なる消費者の立場でうるせーこと言うなって言われそうだけどそういう感じのあったらめちゃくちゃに読みたい
キラキラしてない絵の昔の少女漫画っぽい大人百合が読めたら最高だな~って思う
【1/18 追記】
トラバやブコメで色々教えてくれた方どうもありがとうございます 独り言のつもりだったから反応があって驚いた
> 志村貴子さん
大好きで読んでます!
「くうのむところにたべるとこ」は読みました
あと「裸で外には出られない」に入ってる「縞々々」はめちゃくちゃグッときた百合でした
「愛すべき娘たち」方面ではなくて「きのうなに食べた?」の方のよしながふみならまさにそう!って思ってたら
ブコメで「きのう何食べた?の百合バージョンみたいな感じかな?」と書かれててまさにまさに!ってなりました
恋愛関係や感情の縺れそのものよりもっと生活の細かい側面に寄ったっていうか、カップルという前提はあっても二人でいる事に時間が経って
そんなに波風が多くは立たなくなった淡々としたただの日常が読みたいんだなあって思いました
「海辺のカイン」はすごく面白そう リンク先の「貝とオルタナロック」もすごく気になるのであれこれ読んでみますありがとう
そもそも私は80~90年代頃の少女漫画コレクターで、「百合的なもの」への目覚めって多分
佐々木倫子の「林檎でダイエット」(かわいいので読んでほしい)という短編集や
篠有紀子(「アルトの声の少女」「ナルシスの息」が大傑作古典百合 近著でも百合を描いてる)作品だと思うので、
ああいうタイプの少女まんがの延長としてどうやら百合を読んでるのかもしれなくて
本当になんにも起こらない感じのカップルものや感情の正体がわからないまま終わるような百合漫画があったらそれが読みたいんだなあと
40代や50代の女性カップルが白髪が増えてきたねえ、今度何色で染めようかな?みたいな会話するだけみたいなやつも読みたいんだなと
絵柄と書いたけれどそこだけの問題ではない気がしてきたしもういっそ自分で描いたり書いたりすればいいのかもしれない
あと宮部サチさんの「満腹百合」が表現としてはかなり近いなあってあとから思いだした
ドロドロなリアリティを込めてきそうで警戒したりしない?さらっとヤリマンだったり…
確かに苦手なのでそういうのに当たらないの難しそうだなあと思うというか実際難しい
あともうキラキラした絵でもそういうのいっぱいあるので…
もしかして私のようなタイプの好みの方も広いネット世界にはいるかもしれないので
・静か
・ほどよく空いてる
・本を読む人のスペースと、勉強する人のスペースが分かれている
・汚い、古い、埃っぽい
・本棚の前で寝転がって本を読むジジイ、ガキンチョが居る。家でやれ。
・自習する学生(カバンと自分で2席占拠)、昼寝するジジイ、パソコン広げたノマドワーカー(エンターキーを強打)で席が埋まってる。
・独り言のヤベー奴が居る
「あ、タケモトさん」
タケモトさんは、俺たちマスダ家の隣に住んでいる人だ。
「ここで働いているんですね」
「んー、ちょっと待ってくださいよ」
タケモトさんは気だるそうにパソコンをいじり出した。
職業斡旋所に送られてくる求人情報はそのパソコンに詰まっており、大抵の仕事は見つけられるようになっている。
「パートタイムで、ある程度の融通が利く……かつ奥さんで出来そうなものかあ……」
タケモトさんの独り言は声が大きく、そして端々から不機嫌さがにじみ出ている。
強いて理由を挙げるならば、その日は少し忙しかったからなのだろう。
『仕事が嫌だったら、職場に顔だけ出して給料だけ貰えばいいんだよ。或いはストに使うエネルギーを副業にでも回せばいい』
以前、どこかでタケモトさんはそうボヤいていた。
労働に対する考えや臨み方は人それぞれであるが、タケモトさんの場合はその情熱がまるでないようだ。
タケモトさんの仕事は、相談する人間の数や質に比例して忙しくなる。
給料が欲しいから働いているだけのタケモトさんにとって、内容や是非に関わらず忙しいこと自体が気に入らないのである。
それでも、やるべきことは最低限やるだけ上等な方なのかもしれないが。
「うーん……ある、っちゃあ、あるっぽい、です、ねえ」
パソコンをいじり続けて数十秒後、どうやら条件に合うものを見つけたらしい。
しかし依然、歯切れが悪い。
「どんな仕事なんです?」
「要は機械の操作ですが、資格が必要ないようなんで、そこまで難しいものではないかと」
「ああ、いいですね。私はサイボーグですから、その分野はそれなりに詳しいですし。ここに決めます!」
タケモトさんの機微を意にも介さず、出てきた求人情報に母はやる気を見せる。
「えぇ……近所のよしみで忠告しますが、もう少し慎重になったほうがよいかと」
母のそのリアクションでさすがに心配になったらしく、タケモトさんは説明を始めた。
「この会社は『256』っていう機械メーカーなんですがね。かなり最近できたところのようで、成長も著しい企業らしいです」
昔、母が事件に巻き込まれて重症を負ったとき、その会社のおかげで一命を取り留めたらしい。
だからなのか、同じ機械メーカーである『256』に興味が湧いたようだ。
「へえ、すごいじゃないですか」
だけどタケモトさんは違う。
「人間と同じで、健全な成長というものは緩やかなもんです。その摂理を無視して大きくなるってことは、不健全な成長である可能性が高い」
「どういうことでしょう?」
「キナ臭い……オレが言えるのはせいぜいその程度ですかね。確信のある何かを知ってるってわけじゃないんで。憶測に憶測を重ねるのはデマと一緒になりますから」
この時、どうしてタケモトさんはそんなことを言ったのか、母には理解できなかった。
私には年子の姉がいた。
正確に言うと、姉はこの世に生まれて来れなかった。姉が亡くなった直後に私が妊娠したため、親や親戚からは「姉の生まれ変わり」「姉と一心同体」と言われここまで生きてきた。
姉のことは20数年間生きてきて1度も見たことがないし、声も聞いたことがない。
でも、姉の存在を感じることは多々あった。
小学校2年の頃、学校の廊下を歩いていたら後ろから頭を突かれた。でも振り返ると誰もいない。
当時ビビリだった私だが、何故か怖くなかった。
これが姉との出会いだった。
姉は、私が弱っていると助けにきてくれていた。
本当になんども助けられた。
私は親から「姉の分まで幸せに生きないとね」なんてことを20数年間ずっと言われてきたので、「ふたりで生きていこう」と思っていた。
どうしようもないぐらい辛くて、死にたくなった時、いつも姉は助けにきてくれていた。
大学に入り、ちょっとメンヘラでお姫様気質の彼女に振り回されて死を覚悟した時だった。
この頃になると、寝る前に真っ暗な部屋の中で泣きながら姉を呼び「こんなことがあってしんどい。助けて。」なんて訴える日もあった。しっかりと声に出して。
側から見たら「独り言を言うやべー奴」だが、私はしっかりと姉の存在を感じながら話していた。
その夜も訴えた。泣きながら「死にたい」と言ったところで意識が途絶えた。
夢の中で姉と会った。
もちろん顔は覚えてない。何を話したかも覚えてない。
でも、姉は私に会いにきてくれたのだ。
そのことだけは衝撃的すぎて忘れられない。
姉のために「永遠の幸せ」を求めて生きてきたけど、そんなものがないってのを教えてくれたのも姉。
幸せではないし、むしろ今すごく辛いけど、姉がいるから私は生きていける。
ふと文章にしたくなったので書いてみた次第。
姉ちゃん、見てくれるかな。
私はアイドルマスターSideMのプロデューサーをしています。
プロデューサー歴は4年ちょっと、その間触ったり触らなかったりしていましたが、ここ半年は課金も解禁し楽しくプレイしていました。
約1年前、ゲームをプレイするだけじゃ満足できず、ほかのプロデューサーさんと繋がりたいと思うようになりSideM用のツイッターアカウントを取得しました。TLに流れてくるのはSideMの情報や雑談ばかりで、みんなでSideMについて話せることがとても嬉しかったです。
ですが、最近になってTLが不穏な空気になってきました。原因はLIVE ON STAGEでした。エムステは恒常SSRの実装が間に合っていない中、WTシリーズでSSRを始めたりメモリーズシリーズでSSRを始めたりしていて、それがプロデューサー内で反感を買っているようでした。
そして今回、ソロ楽曲が追加される際にまた別のSSRが期間限定ガシャで実装されることになり、私のTLは大荒れしました。
一部のキャラはイベントSRすらほとんど来てない上に恒常SSRもまだなのに…とか、ただ課金させたいだけの運営…とか。
私はある時期から極端に悪口を嫌うようになりました。自分が悪口や文句を言うことはもちろん、他人が他人の悪口を言ってるのも耐えられませんでした。
そして私は好きなことに対して全肯定をするタイプで、少しでも嫌なことがあるとそれがすぐに膨れ上がってしまい、好きなことを好きでいられなくなってしまいます。
私がSideMをメインでやり始めたのも、前メインでやっていたジャンルが大荒れしたことがきっかけでした。フォロワーさんのネガティブツイートを見ることも、それに噛み付く人も、見ているのがとても辛くなり、ジャンル移動を決意したのでした。
ここまでで分かると思いますが、私は今SideMで起こっているこの現状に耐えられなくなりそうです。
文句や運営の悪口を言う人を否定するつもりはありません。そもそもツイッターは独り言ツールですし、不満に思ってしまうこともあると思うからです。
でもそのことを正当化されるのは本当に嫌です。
ちゃんと論理的に文章を組み立てて意見として運営に送っているのならまだしも、感情のままのツイートや公式アカウントへのリプライを「してもいいこと」とする雰囲気が耐えられません。
また、それらに噛み付いて「じゃあやめればいいじゃん」とか言う全肯定タイプの人にも嫌気がさしています。
(私も「辞めれば」とは言いませんが、文句を言いながらやってる人は何が楽しくてやってるんだろうと疑問に思ってしまいますが…)
私は本当に争いごとや文句・悪口を言うことが苦手なので今まで口出しをせずにいましたが、そろそろ本当に辞めたくなりそうで辛いです。どうしてどのジャンルも争いごとばかりなんでしょうね…。
辞めたくなった、とは言ったものの辞める気はまだありません。SideMが、担当が、大好きだからです。
また、常に文句を言っているような人が続けていられるのにどうしてその人たちのせいで私が辞めたくならなきゃいけないんだろう…と勝手にモヤモヤしている部分もあります。
私みたいな公式に対して意見のない全肯定タイプはきっとジャンルが成長することに対して良くない人間なんだと思います。
でも全否定する人間がいるのであれば私はその分全肯定する人間でありたいと思っています。
この文は、普段愚痴を言わないオタクが久しぶりに感情のまま書き殴った文章なので、不快な表現等ありましたら申し訳ありません。
1.自分が学生の頃、2.教師になって初めての学校、対照的な2つの学校文化を取り上げる。
生徒の学力を伸ばすために、ひいては生徒がより幸福になるために、どちらがより優れたシステムなのか、
そして今教師である自分はどちらの学校文化の方がより幸福になるのか、意見を貰えると嬉しい。
あまり賢くない学校だったこともあって宿題を課せられることはほとんど無かった。
授業も基本的に誰も聞いていない。教師の独り言ワンマンショー。
生徒はマンガを読んでいるか、持ち始めたケータイをイジる時間。
そのくせ受験勉強はかなりしっかりやった。高校3年生になる頃には受験するクラスでは結構な人数が人格が変わる。
本気で取り組むようになる。本人なりに、ではあるが。
受験しない人の多いクラスも、受験する人たちの邪魔はしない。これはまあ学年とかにもよるかもしれないが。
自分も授業は聞いていなかったがその時間に寝たりはせずにBGMとして、ひたすら問題を解いていた。
同程度に賢くない学校ではあるが、時代が違うのと地方が違う(数百km離れている)ためか、学校文化が大きく異なる。
授業中に机の上にスマホや漫画を置いている生徒は間違いなくいない。
机の下でごそごそ…なんてことも基本的には無いだろう。
バイブ恩が聞こえることは1学期に1回くらいはあるが、せいぜいその程度。
もちろん持ってきているだろうけどカバンの底に入れているっぽい。
学校や学年の方針もあるので、私の授業でも宿題はそれなりに課している。
毎日のようにチェックして、場合によっては叱責したり放課後に指導することになる。
自分自身は高校時代に長期休みを除いて宿題をしたことが無いため、そのへんはすべて自分のことは棚上げ。
一方、高3の受験に対する追い込みはあんまり大したことは無い。
そのためか、受験をあんまりしないクラスの子たちは、受験生たちへの配慮がすごく足りない。
初任校以外は条件が少し異なるので取り上げない。
取り上げたどちらの学校も偏差値・進学実績は大して変わらない。
授業や宿題に時間をかけても大して学力や幸福感に寄与しないのであれば、
今キツイ仕事は一気に減って全くブラックでなくなるのでは?というか楽すぎね?
でもそもそも、授業も適当で良いならモチベーションは本当に持続するのか?
率直なところ、これだけ手をかけているおかげで自分の母校と同程度の水準に持ってくることが出来ている、とは信じ切れない。
実はどっちでも大して変わらないんじゃ…
LITTLEってラッパーの「聖者が街にやってくる」って曲があるんだけど
サビで「来たぜ!この街に!」って言っててすっげーだせーなーと思ってたんだけど
これ原曲の"When the Saints Go Marching in"を日本語読みしてたんだな
15年経ってやっと気づいたよ
最近だとDA PUMPのU.S.Aも原曲で"Cheek to Cheek"つってるところを「地球人」ってのがあるらしいね
独り言です。
自分が外食好きなのもあり、普段から割と外食していて、季節の物事はパーっとしたいタイプ。
毎年正月は共通の友人を招いてパーティなどしてきたが、今年はちょっとめんどくさかったこともあり、2人でのんびり過ごすことに決めた。
今日に至っては、昼は自分で料理して1人で食べた。(妻は昨日夜中までゲームしていて起きてこなかった)
晩はそろそろどこかに行こうかという気持ちもあったが、妻があまり体調が良くないというのもあり、家で何か食べることになった。(なお昨日も一昨日も夕食は自分が主に作った)
結局今日は冷蔵庫の厚揚げの賞味期限が近いとかで、厚揚げの炒めたものと味噌汁とご飯というなんの変哲も無い夕食になった。
自分は明日からもう半分仕事なので、三が日くらいは正月気分というか、スペシャル感というか、を味わいたかったのだが、、