はてなキーワード: 死にたいとは
タイトルの通り。
高校に上がるまで殴られてました。
食事後に「皿を片付けなかった」という理由で腹を殴られたり、夜寝るときに「エアコンを付けたい」と言ったらうるさいと顔を殴られたり、他にも温度を上げたシャワーを頭から浴びせられたりと、こんな小学・中学生活を送ってきました。
この頃僕は学校でも虐められていて、正にどこにも逃げ場がない状態で、誰にも言えないので耐えるしかありませんでした。正確に言えば当時の担任には言いましたが、解決するどころかより陰湿になりました。
父親がこんなんでして、じゃあ母親はというと、父親の味方でした。何かあれば父親に電話や対面で報告し、僕が殴られる。父親は殴るだけですが、母親は殴る蹴るの両刀です。でも父親の方が圧倒的に畏怖の対象でした。アニメなんかの表現で、「自分が縮小、相手が拡大して画面一面を相手の存在が覆う」みたいなのあるじゃないですか。あれは「対面する相手との力の差が歴然となっている表れ」みたいなもんですけど、実際そんな風に見えました。まるで自分の存在がゴミ同然のような、そんな感じでした。
母親は父親と比べれば力もそうですし、今振り返れば精神年齢が当時の僕に近かった気がします。例えば売り言葉に買い言葉みたいな調子とか、子供の喧嘩特有(?)の「相手の言葉を真似して挑発する」行為とか。なので母親に関しては、機嫌を取っていればそこまで脅威ではありませんでした。振り返ってみれば、ですけどね。当時の僕にそんな器用なことはできませんでした。何が琴線に触れるのか分かりませんでしたし、正直今も分かりません。
小学生の頃に一度、家での暴力と学校の虐めがキツくて、つい「ストレスが溜まってる」ということを母親に言ってしまいました(虐めのことは両親は知りません[今は母親だけは知ってます。多分後述する]。言ったら殴られると思っていたので)。母親は「子供がそんなことを言うな」と怒りました。父親に電話して、そのことを伝えました。その電話を自分が受け取り、父親は「帰ったら殴る」ということを言いました。今でも覚えています。小学3年でした。僕はこの頃から死にたいと考えるようになりました。家の屋根から飛び降りれば死ねるかな、でも飛び降りて死ねなかったら痛いから嫌だなとか、そんなことを考えていました。
中学生になっても家では殴られて、学校での虐めはより陰湿になりました。この辺りから僕は、死にたいと思っても死ぬ勇気も気力もない自分について理解しました。小学生の時には虐めている"加害者"に反抗したりもしましたが、先生に言ってからその度合いが増したことから、無意味なんだと悟りました。耐えるしかありませんでした。親に関しては前述の通りの有り様なので言っていません。
学校での話に逸れたついでなのですが、配布物で「名刺くらいの大きさの、24時間相談できるような、電話番号が書かれたカード」みたいなやつ配られた事ありますか?なんちゃら相談室みたいなやつです。僕のところはそういうの配られていたんですよね。
これって使う人いるんですか?学校での虐めだけだったら使えるんですかね。僕は使えませんでした。
当時は
・自分が家にいる時は母が家にいる
・子機は使うと親機が「子機使用中」のような表示に光る
のため、バレずに電話することは不可能だと考えていました。「もし電話して親にバレたら」と考えると、どれだけ殴れるか、想像したくもないくらいでした。
僕は今生きています。バイクに乗るのが好きで、各地の観光地やグルメを楽しんでます。アニメやゲームや漫画が好きだし、音楽も好きだし、お酒も好きだし、新しいことを始めようと勉強もしています。仕事は楽しい…とは言えませんが、それでお金を稼ぐからこそ趣味に使える訳なので、別に不満はありません。
10年来の友人もいて、未だに1ヶ月に1度程度はあったり、リモート飲み会したりしてます。
これでも人間なので好きな人ができたりするんですけど、いざ告白しようとすると、「自分に恋人なんてできていいのだろうか。まして結婚でもしてしまったら、子供が産まれてしまったら手を出すんじゃ」という考えがよぎり、1歩踏み出せなかったり。
「『子を殴る親になりたくない』から結婚したくない」「結婚したくないので恋人はいらない」っていうと、「子どもは欲しくないって人と結婚すれば」って言うかもしれませんが、そういう人って果たして一生子どもは欲しくないって思っていてくれるでしょうか。
話が逸れてしまいました。
というわけで自分なりに楽しく過ごしていますが、未だに、寝る前に昔のことを思い出して泣くことがあります。「昔はあんなんだったけど、今楽しく生きてる!」ではなくて「今楽しくて忘れてた。僕はこういう人間だ」と、過去と現在の差があるほどに虚しくなります。いくら楽しいこと・嬉しいことがあっても、過去が纏わりついて全てを壊します。
子供の頃、両親のことは嫌いでした。当然です。
でも僕はちょろいので、会話の回数が多い母親のことは、好きかと言われれば言葉に詰まりますが、今は嫌いじゃありません。友好的だと思います。こうなってから、話の流れで母親には当時自分がいじめられていたことを話しました。
では父親はどうかというと、嫌いではありません。「他人」です。仕事で例えると「別部署にいる、存在だけは認知しているあの人」みたいな感じです。
じゃあ過去を無かったことにするくらいなのかと言われると、殺したいです。必ず殺します。
昔は自分が死ねば楽になると思っていましたし、まぁ今もそう思うことはありますが、「自分が死ぬ前にあいつは絶対に殺す」と考えてます。全く根拠も無い、ただの妄想なのですが、次口論になったら間違いなく殺すと思います。僕は「父親を殺した」という罪に関して、逮捕される覚悟はもうとっくにできています。むしろ、父親を殺せるなら自分が死刑になっても良いとさえ思っています。死にたいと思って、その勇気が無いまま人間として生きてしまった歪んだ存在なので、父親をこの手で殺せて、且つ自分を殺してくれるんだったら何も言うことはありません。
人を1人殺してそれでも生きるんだったら、まぁやりようはあります。
すいません、長々と書いてしまいました。何言ってるかわかりませんね。文章が変だったら申し訳ない。要はタイトルの通り父親を殺したいだけです。自分の生死についてはなんとも思いません。早く口論したいです。
口論の種はあります。祖父母は僕に結婚して欲しいと思っているので、それを父親がいる場面で僕に聞いてくれればそれを否定して、理由も言って、なんやかんやあって口論になって殺す。こんなうまくいくとは思いませんが、楽しみですね。
すごく神経質で攻撃的ですが,表向きはいつもニコニコ過ごしていました。
○月○日 妙に色々食べてしまう時あり おなかすいてないのに食べてしまう
○月○日 腹痛あり ここのところ腹緩し
○月○日 胸が痛い 腹痛
○月○日 ひどい腹痛と下痢 腹痛による嘔吐 冷や汗 悪寒が止まらず 下痢終了と共に痛みは治まる 寒気 以降しばらくスープしか飲めず
○月○日 ヨーグルトしか食べられない 胸が痛い そういえば誕生日だった 夫からのメールで知る まめで優しい男だ
○月○日 おなかは問題なし 胸が痛い 腹がつる 眠気。情緒不安定 育児へ対する不安,仕事への不安 家に帰り家事するが,いったん外出する。
買い物して駅前で座ったまま,死にたくなる。ベンチで人波を眺めながら泣く。お腹にもう一人生きている人がいると思うと死ねない。でも死にたい。「死にたい」という言葉でしか自分の辛さを表現できない。
そして「このまま死ねばひとりぼっちじゃないまま死ねる」という言葉がこの世に存在することについて考え泣く。家に帰り,夫を心配させたことを知る。すまない。
○月○日 腹痛 腹がつる 眠気
○月○日 腹痛 背中 腰が痛む しかし時折。生理痛に似た痛み。旧姓使用について職場で揉めて疲弊する。また死にたくなる。
母から誕生日プレゼントが送られてきた。ありがたい。夫に愚痴って少し回復する。肉を食べる。
○月○日 旧姓使用について職場で渋られて最悪の気分 引き続き乳痛し
数日前久しぶりに固形のものを食べたため,腸の痛みなのか妊娠初期症状なのかいまいち判別がつかない。
早く寝たため終日わりと元気。ものが沢山食べられず,食べるとすぐ満腹になる。胃が変
○月○日 引き続き乳は痛い すぐおなかいっぱいになる
昼にタイカレーはぺろっと食べてしまったが,夕飯時に何か食べると気持ち悪くなるのは変わらず タイカレー以外しょうもないものしか食べられない
流産に関する記事ばかり読んで不安になる。夫に相談するが得に良い効果なし。嫌な気分になってしくしく泣く。
そうなったら責められるのは私なのだ。
買った小さな靴下や哺乳瓶、かわいい小さなおもちゃを処分するのも私なのだ。
流産したら自殺する事に決める。そうすれば流産した時のことを心配しなくて済む。
遺書を書いた。
○月○日 目が覚めたら多少まともな頭になってきたが,体全体がだるく熱っぽい。
腹はぼちぼち痛むが弱いもの。頭がふらふらして重い。大丈夫なのか?
○月○日 終日しんどいがいくらか家事をする 夫に風呂を沸かしてもらうが,ぜんぜんちゃんと風呂釜が洗えてない
姑か私は。
散々私をなじった姑は、息子に家事も教えなかったんだろうか
デカい息子のようで本当に世話が焼ける
○月○日 立っても座ってもつらい。電車もつらい 母に電話してすこしおちつく 互いの夫の悪口を言いあってすっきりした。
すっきりしたところで夫が帰ってくると罪悪感からかよい人に見えた。事実良い人なのだろう。
夫に尻をポリポリかかれてそのまま寝てしまった。カピバラと同じレベル。
○月○日 通勤つらい だるい 熱っぽい ここ最近ずっと黄色い鼻水が出る
なんとか仕事は進んだのでよしとする。早く帰りたい。貰ったぶどうがおいしかった。でも帰ってぶどうを吐いた
○月○日 妊娠出産は漫画にしようと決意 今日から先輩主催のラジオ体操休むことにした しんどい
○月○日 昨日の怒りのせいかあまりつわり感じず,収まったかと思いきや結局ゲロしそうになる。
頭が重い。しかしつわりが止まると途端に不安になるからこれはこれで安心。
ボスと女性社員にしか妊娠を告げてなかったので,そろそろ男性社員に妊娠を話す。元気なのでラジオ体操した。
○月○日 検診2回目 順調。 母子手帳をもらうこと、産院をはやく決めるようにと指導があった
○月○日 新しい仕事をベテラン上司に教えてもらうも途中で座っているにも関わらず貧血起こして座っていられなくなる。
動悸,眩暈,立ち眩み,ひどい吐気。しかしベテラン上司がまるで気づかないし,独身のオッサンには言い出しづらくて仕事は続行。
トイレと言って抜け出し,ゲロして少しマシになる。おそらく空腹のせい。こんな無理する必要ないのに,休みたいと言えない。
○月○日 このままでは電車通勤時に倒れてしまうと思い、実家へ帰る。
暖かく清潔な家で清潔な風呂に入りふかふかのふとんで寝る。
不潔な家に住み,訳の分からない料理を食べているであろう夫へ罪悪感を感じる。
○月○日 また吐く 実家からだと通勤が非常に楽になった。座れること、混んでいないことが本当にありがたい。
お腹が痛く、便秘気味 倦怠感はあいかわらず夕方風邪のような症状 絶対に風邪なんかひきたくない
咳やくしゃみしてる奴全員殺人未遂者に見える。私も風邪を押して仕事していた時にばら撒いた菌が誰かを殺したことがあるのかもしれない。業が深い。
近くを自転車や車がすれすれで通り過ぎたりするのも怖い
これでぶつかって流産したら…流産したら死ぬことに決めてたんだった。
自殺の方法を調べると、相談窓口がでてくる。無視して調べると睡眠薬と首吊がよさそうだ。
○月○日 今日も吐いた 最近よく吐く 過敏性腸症候群なのか、便秘なのに下痢のような腹痛がある。
お腹がつっぱるような痛み 倦怠感がつよく、夕方はへろへろになってしまう
夜は将来と夫のことが不安だったが、母に話を聞いてもらって楽になる
○月○日 気持ち悪い 最近は電車からおりるたびにすぐ駅のトイレでえづいたり吐いたりしている。
気持ち悪いがご飯は気持ち悪いなりに食べたほうがいいようだ。それでも立っててもすわっててもしんどい
○月○日 育休がとれないとの連絡がくる。想定内の出来事だったにも関わらず,世界中の悪意を背負い込んだようなダメージを受ける。
今まで他人に対して行って来た善行が全て無駄だったように感じてくる。
○月○日 朝から昨日の「育休とれないメール」のことがあたまからはなれない。
部屋でびーびー泣いて夫に電話する,夫は明るく励ましてくれたが、通話を終えると更にしんどくなる。
泣きつかれて夕方まで死んだように眠る。起きてまた泣く。どうしようもない。
母に少し憂鬱だと話し,考えすぎだと言われて多少楽になる。
育休は産休直後にとれないものの,育休取得可能日まで休職することにする。
それでもだめなら辞めればいい話だ。
○月○日 比較的元気に過ごす 10週に入ってつわりが少し楽になったか?
○月○日 連休最終日 朝元気 後に激しい腹痛と下痢 貧血 寒気がとまらない ひどい眠気
実家に夫が来たので将来の不安について語る 母の助言で多少楽になる
夫が地元の祭りに行こうというのでついていくも,具合がひどくてすぐに座りたくなる。
○月○日 疲労感 引き続き腹痛を伴った排便 朝吐いて,通勤中に買ったポカリも吐く
吐いて少し食べて,多少よくなる。しかし食べるとしばらくしておなかが痛くなって排便することになるので苦痛
○月○日 午後は早退して妊婦検診へ。11週。5cm。順調とのこと。
この日初めておなかの外から超音波を当てられた。何の説明もなかったので少し驚く。
職場から実家ではなく久しぶりに自宅へ帰るとひどい有様だった。実家がきれいな分余計つらい。
トイレットペーパーの芯がいくつも置いてある。居間は髪の毛と埃だらけで万年床が設置されていた。
怒りが頂点に達し,掃除する
まるで食欲はないけれど夫のために飯を作っておく。部屋の小物を片付け,シンクが汚いので磨く。
この時点でだいぶぐったり。多少マシになった部屋で休憩する。
ごはんを食べずに待っていると余計具合いが悪くなってきた。
お菓子をつまんだが,嘔吐。夫の帰りを諦めて先に食事をとるが,あまりおいしく感じない。
空腹の時間が長すぎたせいと,鼻炎のせいもある。なんとか胃に押し込んだ。
こたつでぐったりしていると8時に夫帰宅。家がきれいになっている事に喜ぶ夫。
家の不潔さに抗議するが,効果はない。彼は汚い部屋部屋への耐性が強い。
その後何度か吐いた。一日で計10回吐いた。
今までで一番吐いたかもしれない。
○月○日 土曜日 朝,夫を起こすも起きない。仕方なく先に食事をとる。
何を食べても美味しく感じない。起きた夫がしなびたトマトと豆腐のサラダを作ってくれた。
どんな顔をして食べればいいのかわからないが、感謝して食べる。気持ちが大事。
いつ変えたかわからないキッチンと洗面所のタオルを取り換えて洗濯機を回す。
夫に干させる。夫に掃除機をかけさせ,その後を床ぶきした。ほこりがひどい。
トイレの床も気になったので床を拭きに行き,そのまま便器も掃除した。吐きそうだ。
掃除の後,掃除したての便所で吐く。洗面所も掃除する。ひどい匂いだ。また吐いた。
風呂場からもひどいカビの匂いがする。日当たりが悪いせいで,おそらくこの賃貸は掃除してもしてもカビと縁は切れない。
次回徹底的に掃除することに決める。
今回は無理だ。
掃除すると多少マシになった。疲れて寝てしまう。夕方起きて,夫に買い物へ連れて行ってもらう。
しかし吐き気と倦怠感がひどい。すぐにでも吐けそうだ。トイレの消臭元とそのほか食材を買って帰る。帰り次第すぐ吐いた。晩御飯に煮込みうどんを作ってもらう。作り方がわからないというので教えた。
作るのが遅すぎて空腹でまた吐いてしまう。味付けのみ私がやった。あまりおいしいと感じない。
夫は喜んで山盛り食べた。将来の不安について話すと,今考えてもしょうがないと言われる。
正論である。正論だが,実際考えなければならない場面になっても結局私が解決しなければならないと思うと腹が立つ。
お皿は言わなくても洗ってくれた。
○月○日 日曜日 帰る気力がないので月曜まで自宅にいることにする。
今思えば土曜日に帰ればよかった。終日具合いが悪い。最悪の気分だ。
何を食べても気持ち悪さが治らず,便秘が再発して大腸が痛む 夫は友人と遊びに行った。
でも友人との出先でゲロ連発して座り込むのも悪くてできない。
みじめ。
吐く回数が多すぎるので,洗面器にゴミ袋をかぶせて居間に設置し,都度吐く。これならトイレに逐一行かなくて済む。
夜遅くに夫が帰宅する。頼んでいたアイスを買ってきてくれたが,起き上がって話を聞く気力もない。
何もしてやれない。夫が吐いたものを捨ててくれたようだ。優しい男だ。自分が情けない。
自分で自分の体調不良に疲れた。9月からもう2ヵ月ほど体調不良が続いている。
○月○日 最悪の体調。終日気持ち悪く,頭痛がひどい。なんとか仕事して実家へと帰る。
夫に家の掃除をまともにやるようにメールをする。あながち八つ当たりでもない。あの家は不潔すぎる。
以前私も不潔にしていたが,週末は必ず掃除していたのでなんとか大丈夫だったが今はそれがないのでひどい有様だ。
○月○日 昨日よりだいぶ良くなったものの相変わらず朝からゲロ。職場についてもゲロ。
自分にもしもお嫁さんがいたらしてほしいことと,今の自分にそんな体力はそもそもない事がせめぎ合って,結局無理して家事をしてしまったようだ。
ろくなことがない。
○月○日 体が重すぎる 午前中丸々休み、明日以降通勤緩和で出勤時間を遅れさせてもらうことにした。
午前中は比較的よかった。通勤中吐き気と倦怠感がひどいが、CCレモンでドーピングする。
職場へ行くと別の部署のおじさんがハイビスカスをくれた。素直に嬉しい。おばちゃんがカレー缶をくれる。人の親切が染みる。
でも七回ほど吐く。最近食べてもつわりがよくならない。おにぎりをたべると多少マシになる。
しかしあまり美味しくは感じない。つわりが収まっている一時的な元気を使ってマフラーを買う。
土曜日の散髪を決める。元気だったら行きたい。さすがに美容室でゲロしたくない。
○月○日 今日から通勤緩和 ゆっくり行けるのは精神的にも楽だ。実家にはすっかり甘え通しである。
なぜ夫には感謝する気が起きないのかわからない。たぶんこのつわりの半分は夫のせいなので、
何をしてもマイナスがゼロに近づくだけだからだろう。私は夫に期待しすぎている。彼には酷かもしれない。
事務の人に,調べもののお礼を言うと案外体調を心配してくれた。依然に感じた孤独感とか疎外感とか,
感じてた悪意とかがほぼ勘違いだったことに気づく。でも育休ぐらいそのまま採らせろよ。4年は働いてるハズだろ
○月○日 朝は元気 でも食後2時間で具合いが悪くなるのは変わらない。
昨日今日と,昼休みに少し眠れるのがありがたい。先輩のおばちゃんが出張でいないためである。
先輩おばちゃんは寝ている私を「大丈夫?」という声のもと起こすので,無理やり覚醒して低血圧で具合が最悪になる。
おばちゃんがいないとこんなにも楽だったのかと,初めて今までだいぶ気を使っていたことに気づく。
少しゲロの回数が減った気がする。しかし今度はおなかが痛い。明日のおでかけまでにはまた便秘になってほしい。
○月○日 池袋で散髪する 散髪中下痢もゲロしなくて本当によかった さっぱりした 切ってくれたお姉さんが世間話で普通に3.11の話出してきたけど,あの地震と津波で身近な人を亡くしたり,危険な目にあったPTSDの人もいるので安易に話題にしない方がいいのではないかと思ったが黙っておいた。他人に変化を望むのはあまり得意ではない。つまり冷淡だということだ。
○月○日 金曜日 職場から自宅に帰る 前と違って無理に夫と一緒に食事をとるのをやめて,先に食べることにするとだいぶつわりが改善された。以前より夫も色々と家事をしてくれているようで嬉しい。でも日曜日に帰る。
○月○日 新しい派遣の人が来るらしい。私の母親ほどの年齢の新人だ。もう既に気が重い。
○月○日 わりと元気。朝はだいたい元気。問題は魔の10時と夕方。いつもゲロ吐きたくなる時間だ。
吐けばまだ楽。職場ではまさかの大掃除。けっこうきつい。無理するんじゃなかった。
定時になってもへとへとで家に帰る気力がない。一時間ほどデスクで休んでやっと帰る決心がつく。
しかし気持ち悪い。駅につくなりゲロ,歩いて帰れそうにないのでついにタクシーに乗る。
タクシーで吐きそうになり,家についてもゲロ。 またゲロ生活に戻ってしまうのか。
○月○日 朝から体調不良 ずっと寝ていたい 目は覚めたものの起き上がれない
えずくが何も出ない。珍しい。いつもは吐く。 昨日の大掃除のダメージがきつい。
あまり食欲がない。けど食べなければならない。昨日の仕事。ミスしてたことに気づく。
エジプトで捕まったことのある先輩に相談しなんとかレスキューする処理をした。うまくいっていることを祈る。
朝食べたはずなのに気持ち悪い。10時に間食がとれなかったせいだ。
あわててバナナを食べるも,食べながら気持ち悪くてオエっとなる。
無理やり飲み込んだが,吐気は収まらない。表情が虚ろすぎて先輩に心配されてしまう。
普段はどんなにゲロ吐いても元気はつらつなふりして仕事してるけど今回ばかりは無理。
適当に休んですぐ作業再開。 昼ごはんを食べたら少しマシになる。しかし気力がない。
誰もやらないので明日来る派遣社員のために掃除しておいてあげる。私っていいやつだな…
○月○日 寝坊したのでリンゴとヨーグルトしか食べられなかった。仕方なく駅で飲み物とカロリーメイトを食べるが時すでに遅し
駅から職場に向かう途中で吐く しかし吐いたものを出すところもない 仕方なく呑み込んだ。
本格的に吐いたゲロを飲んだのは初めてかもしれない。若いと色々初めてのことがあるものだ。
折角掃除しておいたのに派遣の人は来なかった。上司の連絡ミスである。よくあること。
エジプトで捕まった先輩に「つわりがあともう少しで完全に終わりそうだ」と話すと、「楽でよかったね」と言われる。
楽で良かった
楽で良かった…
ゲロ吐きまくってついには吐いたゲロ飲み込んだ女に向かって言うにはピッタリな言葉ですね。
この男に妊婦への気遣いなんて求めたところで,人間に対して「肉眼で紫外線を察知しろ」と言うようなもの。
この程度の発言驚くに値しない。
若くて明るいお姉さんが来てくれると,たとえ日本語が通じなくても嬉しいものだった。
けっこう会話できたのがうれしかった。さみしい。
みんな子供の名前候補を滅茶苦茶に挙げてくる。応援がうれしい。
○月○日 新しい派遣社員の柔軟剤の匂いがきつい。吐きそうだ。席替えしたい。
彼女は見た目が…ディズニーの王様の剣の…マダムミムという魔女に似ている。
夕方くたくたで、帰る気力が出ない。
就業後帰るまですこしデスクで休んだ何がつらいって,私の具合が悪いことを職場では誰も知らないということだ。
でも具合が悪い時毎回申告してたら朝から晩まで具合が悪いといっていることになる。
ゲロ吐くたびにさっきゲロしましたと申告するわけにもいかない。弱音を吐いて何になる?
私だけつらいわけじゃない。みんな疲れている。
しかしながらどんなに平気そうにしていても,唯一ボスは声をかけてくれる。あの人は本当にいい人だ。
そういう時は私もボスの体調を聞くことにしている。そして大抵,お互い具合が悪いことを確認し合う。
○月○日 多少倦怠感が薄れただけで無理して夕方になると風邪のような症状
月曜から少しずつ体力を消耗していき、金曜で体力ゼロになってしまう生活
しかし妊娠初期からずっっっっと悩まれていた謎の黄色い鼻水が止まって何よりだ。
つづく
人生の転機が来てるみたいで、どこに運ばれてくかわかんないし、死にたいような気持ちに襲われる夜もある。
だけど客観的にみたらいいこともある。
今日は英語オンリーの同僚とランチを一緒してずっこけながらでも沈黙なしで一時間過ごせた。
Be動詞とDoの使い分けも満足にできないほぼ0からのオンライン英会話オンリーの2年でこれならかなり偉大な成果だと思う。
追記 /
まだ読みきれてない。
めっちゃ嬉しい。仕事終わったらコメがダーって増えてて、みんな暖かくてみててニヤけてしまった。
みんなが良いことを思い出して、それをみた他の人もあったかい気分になれるのだったら、こんなことを問いかけた自分を少し誇れる。
俺も死にたくない
厳密には死にたいと思ったことは何度もあって、その度に適当に電車やロードバイクに乗ってあてもなく遠くへ出かけて死に場所を探した
一番死を身近に感じたのは、10年以上前にロードバイクで通った2月末の青梅街道
奥多摩湖から大菩薩峠の脇を抜けて甲府市内に入るまで、雪がまばらに積もる道を車にも人にも動物にも一切遭遇しないまま走り抜けた
野宿の覚悟は出来てたつもりだったし、それまでも色んなところで野宿してきたけど、この道のどこかで野宿したら真面目に死ぬなと思った
その後も懲りずに事故後の福島第一原発の近くに行ってみたりした
何回もそういうことを繰り返して、一生懸命死に場所を探してる時点で死にたがってないじゃんってことに気づくまでにずいぶん時間がかかった
死ぬのは怖い、無に帰るのは怖い
死にたいと言われたらもちろん止めていい。むしろ、止めるべき。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000130956.html
<気づき>
家族や仲間の変化に気づいて、声をかける
<傾聴>
<つなぎ>
<見守り>
温かく寄り添いながら、じっくりと見守る
気づきはもう終わってるから、あとは話を聞いて、病院や役所の相談窓口等に繋げ、見守る。
ここも参考に。
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/chusou/joho/jisatsu/taiou.html
「ゲートキーパーとは?」
人にされたら嫌なことは人にしないように生きてきたつもりだったけど、結婚してから夫婦間でそれをすることのメリットがなさすぎて、妻にされた嫌なことと同じことをしてしまう。
具体的には、「細かいことをネチネチ言う」「怒られそうになったらメンヘラムーブをする」というようなこと。
どっちも妻にやられてすごい嫌で、しばらくはやめてほしいと伝えつつ、自分はしないようにしていた。
しかし、結局それは性格なのでなかなか治らなくて、最初は「あなたもこうされたら嫌でしょ?だからやめてね」という意趣返しのつもりだった。
それでやめてくれるならよかったのだが、結局お互いに「そっちもやってるよね?」みたいな形になり、お互い殴り合うのは痛いからやめよう、という方向ではなく、お互い殴ってくるから殴り合うしかないような…いや、向こうは殴ってるという自覚はないのかもしれないが。
とにかく、妻がしていた嫌なことを、どんどん自分も妻にするようになってしまう自分が嫌だ。
結局、一方的にやられるのは嫌だからやり返すという自分の器が小さいだけなのだが。
こういう場合、よく「冷静に話し合え」みたいなコメントを見かけるけど、冷静な話し合いができる相手ばかりじゃない。
まぁ、「怒られそうになったらメンヘラムーブ」という時点で冷静な話し合いができないなんてことはわかると思うが。
しかし実際、「怒られそうになったらメンヘラムーブ」をやってみると、一方的に被害者になれるから非常に楽だということはわかった。
自分に非があろうとなかろうと、責められるとつらい、死にたいと連呼すれば相手を悪にできるので。
しかし、お互いにそれをやりだすと地獄になるので、おすすめはできない。
はっきり言って卑怯だと思ってるが、卑怯には卑怯で対抗するしかできない自分がいる。
だって卑怯だからやめてね、と言っても、卑怯だなんて傷ついた、酷い、死にたい、という話になってしまうのだから。
あーしんど。
国葬反対派が焼身自殺未遂起こしてたけれど、あれ右も左もみんなマジでノーリアクションだったな
個人主義が浸透していて、自由意志で勝手に死にたいなら勝手にどうぞって感じになってるんだと思う。死ぬなとも死ねとも思わず。死んだから主張する内容を聞くわけでもなく
ちょっと戸惑ってしまって気持ちをどう整理したら良いか分からない。
間男はだいぶ年上の独身で、妻はその男に入れ込んでいる。ぼくらには小学生低学年の子供がおり、いくらなんでもすぐに別れるのは可哀想すぎる。ということで、一緒に暮らすが書類上は別れ、ぼくが出勤している間元妻は間男と昼間デートに出かける、という不思議な生活が始まった。
子どもは事態を分かっておらず、元妻にパパ以外の好きな人がいる状態を普通に受け入れている。ママが幸せそうならそれで良いそうだ。ぼくはだいぶまいっていたが、元妻は言い出したら聞かない人。なので、子どもがもう少し大きくなるまではこのままでも我慢する気でいた。せめて子供の前では仲良くいようと。大きくなったらきちんと話して離れよう、そう思っていた。
二週間ほどまえ子どもが寝た後、間男との関係をつい聞いてしまった。体の関係があるのか、と...
あえて聞かないようにしていた。考えないように、慎重に避けていた。が、聞きてしまった。答えはもちろんイエスだ。
もうだめだな、と思った。完全に折れた。そりゃそうだろう。ぼくはばかだな。
翌日、この関係はきちんと精算するよう話し合った。ぼくが出ていくか元妻が出ていくか決めよう。準備にも時間かかるだろうから少し待つ。その男とは結婚した方が良い。好きな人同士なんだから。ぼくが出ていった場合でも子どもの親であることは変わらない。養育費は法律に沿った額きちんと払う、元妻が出ていった場合でも育て切る覚悟だ、と。
そして今日。つまり、関係解消の話し合いをして二週間ほど経って。元妻が夜、泣いていた。死にたいと言って、過呼吸気味だ。なんとか落ち着かせて訳を聞いてみると男と別れたらしい。相手は二股かけていて、もう一方の方を取ったんだと。
なんじゃそれはと呆れ返ったが、元妻はまだそいつのことをまだ好きらしい。本気だったのだ。愛していたのだ、心から。ひどい話だと口にだしたら、男のことは悪く言うな悪いのは自分だ、という。なんとも言えない気分になったが、過呼吸を落ち着かせ、なだめるのに必至になった。
ようやく落ち着いて寝てくれた。で、ぼくはリビングで増田を書いている。
なんなんだろう。つまり、こういうことだ。ぼくと同様に、元妻は選ばれなかったのだ。
何かに怒りをぶつけてもよいのだろうが、なんの感情もわかない。心が死んでしまったのだろうか。なだめていたとき、ざまーみろと思えたらスッキリしたんだろうか。それとも同情すればよかったのか、もう分からない。
両親から与えられた資質と環境から考えられる、ごく普通の幸せな人生を実現してきた。
地方都市に生まれ地元の公立小中高を卒業し、親元から若干離れた駅弁大学を出て東京で就職した。20代後半には伴侶となる異性と出会い30前に結婚、そこから5年の間に2人の子を授かった。共働きでの育児は大変ではあったが、夫婦それぞれにおおよそ年代別平均程度の年収があること、義実家が近く手厚いサポートを受けられることなどを活かして生活を組み立ててきた。子どもらは突出した資質こそ持ち合わせている様子はないが、健やかに朗らかに育っている。今後の教育費や老後の資金についても結婚時から続けている貯蓄と運用で十分まかなえる見込みだ。
偏差値50の幸せ、と自負していた。私にとってだけでなく家族にとっても、おそらくはそうだろう。代々受け継がれてきた幸せのバトンを、次の代にも受け渡しつつある。
だがもうだめだ。
20代中頃から発症していた鬱病が年々悪化し、今年自殺未遂を犯すまでになった。入退院を繰り返して心をすり減らし、ついに治療のための努力はおろか生活すべてに対するモチベーションを失ってしまった。もう何もできない。何も考えられない。次の自殺にむけてAmazonで買った首吊りロープはまだダンボールの中にあるし、もやい結びは動画を見ても理解できない。会社への休職手続きは途中で止まっている。社会のどことも関われず無気力に一日中布団で過ごす私は、配偶者から見るともはや子どもの教育に悪い存在らしい。家族と会話する気力もなく、ひきこもりのような生活になっていった。一人でいる時間、何を考えているのか自分でも整理がつかない。生きたいのか死にたいのかの選択、どのようにその選択を実現していくのか、支離滅裂に考えが錯綜している。
今、いつもより少しだけ頭が冴えているのでこの文章を書き殴った。合理的に考えれば生きるにせよ死ぬにせよ他にやることはある。ただ、少しだけ誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。