はてなキーワード: 打ち切りとは
結局のところは「作者の匙加減でいくらでも調整できるハードルの先に置かれたトロフィーを手に入れるまでの茶番」もしくは「一部読者にとってポルノ的な効果があるシーンをひたすら繰り返すだけのワンパターン」でにしかならないんだよね。
「破局復活系」
「失恋系」
の4系統があるんだけど、このうち前半3つが上で上げた「作者匙加減トロフィーゲット系」で、最後のヤオイが「惰性型ポルノ連発系」に該当する。
「トロフィーゲット系」の物語は「相手との恋愛関係」「最高の思い出」のどちらかを主人公が手にするまでの物語を描いているのだが、その物語は究極的には1話で終わらせられる話を延々と引き伸ばしてるだけの薄めきったカルピスにほかならない。
「恋愛成就系」であれば「付き合ってください」「OK👌」で終わる物語を延々と先送りにしているだけ。
「破局復活系」であれば「ヨリを戻そうぜ」「OK👌」を引き伸ばしてるだけ。
「失恋系」であれば「でも楽しかったよ」で主人公が笑い泣きしておけばいつだって切り上げられる物語である。
まれに打ち切りだったり作者がぶっ壊れた果ての逆張りで凄い終わり方もするが、それは単にカルピスを薄め続けている間に誤ってコップを倒しただけであり、やっていたことがカルピスの無限水割りであることに変わりはない。
これらの物語は結局のところ、作者が登場人物の行動をひたすら阻害しているだけであり、登場人物が正しいアクションを取れば物語は本当に一瞬で終わるはずなのだ。
言ってしまえば「トイレに行きたいけど無理して我慢してる小学生の様子を延々と描写している」ようなものだ。
ただ主人公が「やっぱトイレ行ったほうがいいぜ!」でトイレに行けば開始1ページで物語は終わる。
しかし作者の都合により話は引き伸ばされ「プルプルしてるのを友人に指摘される」「すかしっぺでガス抜きに成功し誤魔化して一時的に復活する」「勢い余って少し漏れたことで急激に自体が悪化する」といったイベントが飛び込み差も物語は劇的であるかのように振る舞う。
しかしそれらは結局は主人公が「やっぱトイレ行かないと何も解決しないぜ!」でトイレに行けばその瞬間に終わる物語であるはずなのだ。
そうしているうちに収集がつかなくなったとき、突然主人公が「やっぱトイレ行くぜ!」といきなり宣言するか、破綻した物語に相応しい終わりとして盛大に漏らしてしまうのだ。
やっとトイレに行った主人公や漏らした主人公がやけにスッキリした顔を描いて作者は「やりきったぜ!」となるし、読者によっては「よかったね!よかったね!」と喝采を浴びせるのである。
しかしそれでやっているのは「1ページ目でトイレ行っておけよ」でしかないのだ。
恋愛漫画にはもう一つパターンがあり、成就した恋愛をダラダラと描き続けるタイプが有る。
これらの漫画はただひたすらに恋愛が成功して幸せに暮らす様子が描かれるが、そこに物語としての起伏はもはや存在しない。
主人公カップルたちのデートシーンを見て「羨ましい~~~」と読者が楽しむだけである。
やっていることはグルメ番組でシズル感ある映像を見ながら「まいう~~~」とタレントが感想を述べるのを見ているのと同じ状態である。
コンテンツのあり方としてこれは実にくだらない。
三大欲求の一つである性欲を間接的に刺激するような延々と続く前前前戯のシーンを見てココロのチンコマンコを読者がクリクリしてオナニーするためだけにこれらの作品は存在する。
読者にとって恋愛対象となるキャラクター達が恋愛をしている様子を見て、ピーピングトムとしての快楽に浸っているのである。
恋愛作品はときにはセックスを直接描写するが、それはまさにこのピーピングトム向けのご褒美なのだ。
だがその内容がセックスでなくても、性欲依存の覗き趣味を満足させるための作品なのは変わらない。
銭湯で盗撮をする行為をしたからといって相手にレイプのような傷を残すことがなくても、結局それを見て性的興奮を覚えるのと同じく、程度が違うだけでしかないのだ。
それが恋愛モノであり、それが最も顕著なジャンルがヤオイである。
これらの要素は作中人物たちの恋愛観がホモであろうがヘテロであろうが異種族間であろうが変わることはない。
各々の読者が自分なりに納得の行くオカズを求めてそれらの作品を選ぶのだから、結局それらは性欲に基づいた茶番の覗き見でしかないわけだ。
実に気持ち悪くい。
そして程度が低い。
それがどんなジャンルであったとしてもだ。
たとえば君達も映画で盛り上がっている時に急にラブシーンが始まると興ざめすることがあるだろう?
あれは結局のところ、性欲が高ぶっているわけでもない時にポルノムービーを見ているの同じ状態だからだ。
本当に中身があって面白いコンテンツであれば、そういった本能的な満足感さえ超えて圧倒的な力でこちらの感性をこじ開ける。
だが恋愛物が提供するのはどこまでも性欲の延長線上にあるものだけだ。
実に低レベルだ。
私生活では、2013年度後期放送のNHK連続テレビ小説『ごちそうさん』で共演した女優の杏と、2015年元日に連名のFAXで結婚を正式発表[8]。2015年1月1日に埼玉県内の市役所に婚姻届を提出した[9]。同年10月4日に東京・港区の愛宕神社で結婚式を行った[10]。ちなみに杏との最初の出会いはドラマではなく、東出と杏がモデル時代の2006年にパリコレに出演した際、パリの路上で東出から声をかけたという[11]。2016年1月13日に妻の杏が所属事務所のFAXで双子の第1子、第2子妊娠を発表[12]、双子の女児の誕生が5月16日に公表された[13]。2017年3月31日に妻の杏が所属事務所のFAXで第3子妊娠を発表[14]、同年11月上旬に第3子となる男児が誕生した事を11月7日に発表した[15]。
2020年1月23日、映画『寝ても覚めても』で共演した女優・唐田えりかとの不倫を報じた週刊誌報道により、出演CMが打ち切りになった[16]。同年8月1日、所属事務所を通じて杏との離婚を発表した[17][18]。
四天王みたいな人と一通り対戦?したしなんか遊戯王のカードスロットみたいなのも付けたし多分クリアーしたと思う
でもまだ謎解きとかがわからんのよねー。初期の小屋の中でのカードの配置とか
第2ステージ?での墓所の中の棺のやつとか、P30戦での墓所エリアの鍵とか、わからんのが結構のこってるんだよなー
しかしなんだろう、やれどもやれどもゲームのルールが際限なく変わっていって、ゲームのルール把握できたかなーって思ったタイミングで
盤面をひっくり返さえて、カードを奪われて、むちゃくちゃすんじゃねーー!っていう気分になる
カードゲームプレーヤーはこういう公式のアナウンスに延々と付き合ってるのか?そういうことを再現してるのかな?みたいな気分になった
ただこのゲーム作るのめちゃくちゃたいへんだろうなーっていう、ほとんどの戦闘に専用演出みたいなのが組み込まれてて、8割ボス戦っていう感覚
アドベンチャーゲムに近いんだろうけど、なんていう作り込みなんだろうか、ここまでゲームのシステムを作り込んでてそれを平気で壊すような演出まであるし、
なんかすげーゲームしたっていう気分。多分 UNDERTALE の影響もバチクソ受けてるんだろうけど、私はこの作品のほうが好みです。
寒いギャグが無いのがいいですね。あと役者の人の演技がめっちゃうまいので好印象です
しかしなんだ。むちゃくちゃなゲームだな。なんだろうやってもやってもこのゲームのそこが見えない感じは。いいゲームだけど、なんだろう、これゲームなのかな?
ゲームっぽいことはやってたしルールも成立してるから、ちゃんとゲームとしてもっと対戦したかったなーっていう感じはする。なんか打ち切り漫画のど等のラストスパートみたいでもったいない。でもまぁ実際これだけのボリュームのゲームを作り続けるのはシンドいだろうししゃーないのかな
あとおばちゃんとモリゾーみたいな魔道士ともちゃんと戦いたかったな。エンディングは別の選択肢もあったのかな?よくわからん。とりあえずクリアーしたしネタバレ解禁ということで攻略記事でも見てこようかなー
まぁ面白かったかな?面白くなくはないかな。ちょっと意地悪な戦闘に辟易するところもあったけど、
って!再起動したらまだなんかあるみたいだな。もう少し続けるか
「足して二で割ったような」という言い回しがある
これに対し「足して二で割らない」という亜種の言い回しがされることもある
AとBを足して二で割ったような、と言うときはAとBの両方の要素を併せ持つという意味合いだろう
このとき二で割っているからAとBそれぞれの要素が半分に減っているという数学的連想がなされるのかも
だからこそ足して二で割らないという言い方は、AとBの両方の要素を併せ持つがそれぞれの要素は強く残ったままというのを強調した言い方なのだろう
しかし、足して二で割ろうが割らなかろうが濃度という観点では結局等しいんだよな
足して二で割らないというのは要素の絶対量を重視した言い回しと言える
この前ゆる言語学ラジオで「1の多義性」という話題でトークがされていたのを思い出す
数量としての1と割合の総量としての1の二種類があるという話だった
足して二で割らないという表現は、強調表現として言いたいことはわかるが割合の総量としての1をわかってない言い回しだなと思った
小学生が算数を学ぶとき、割合の総量としての1でつまづきやすいという話もされていた
人間という生物の脳が直感的に判断できる数の認知の限界を感じさせる
書いてから思ったが、足されるものそれぞれの量が同じという前提で考えていた
必ずしもそうではないという気もしてきたな
であれば話が変わってくるか
AとBを足して二で割ったような、というときAとBはだいたい同じレベルのものなのではないか
ドラゴンボールとデスノートを足して二で割ったような漫画という言い方には違和感はそんなにないはず
ドラゴンボールと(なんらかの10週打ち切り漫画)を足して二で割ったような漫画という言い方はあんまりしないか?ちょっとこれは自信無いが
悟空とベジータを足して二で割ったようなキャラは言い回しとして違和感ない
フリーザと戦闘力5のおっさんを足して二で割ったようなキャラは……そういうふうには言わんわな
しかしここで気付く
この言い回しは、足して二で割った結果何かを算出しているのではない
算出されたとされる何かがまずあって、比喩として足して二で割っている
この気づきに何らかのヒントがあるか
大きなものは次の2つだろうか。
他にもあるかもしれないが、ここではこの2つの両派、つまり4つの派閥について、今こそ力を合わせるときだと言いたい。
何についてかというと、もちろん反・統一教会だ。
まずは、右翼へ。
あなたたちが守りたいのは、本当に「統一教会シンパを含めた自民党」なのか?
多分そうではないだろう。
左翼との対抗上、自陣営を弱くしたくないという気持ちはあるだろうし、それについては理解する。
というのは、今回の選挙でも明らかになった通り、左翼(立民・共産)は息も絶え絶え、自民が多少弱くなったところでとても政権を取れるような状態ではない。
汚い自民よりきれいな自民のほうが、支持するにしてもやりがいがあるんじゃないか?
亡き安倍氏の顔に泥を塗りたくないという気持ちもあるだろうか。
それについては、中国の「四人組」というものについて調べてほしい。
毛沢東が存命の間に権勢を振るい、毛沢東の死後すぐに逮捕され刑に処された。
安倍氏についても、統一教会は切断処理をして、「利用された」ということにすればいい。
いや、本当に利用されていたのかもしれない。
そして、左翼へ。
左翼のみんなにとっては、弱者から金をむしり取る統一教会が、そしてそんな統一教会と癒着している自民党が、好ましく思えるわけがないだろう。
だが、病巣を抱えているからといって、自民党を政権から引きずり下ろして立民や共産が政権を取ったりすることは無理だというのは、よっぽど頭がお花畑じゃなかったらわかるだろう。
今は、自民党の病巣だけを叩く方向でまとまってほしい。
そしてまた大事なのは、安倍氏の人格を叩く方向にはあまり行かないでほしいということ。
人格否定ではなく、冷静に安倍氏と統一教会のつながりを事実として指摘するだけで十分だろう。
上で書いたように、安倍氏は利用されたということにしてもいい。
#自民党に投票すると統一教会の思う壺 とか #安倍晋三の国葬に反対します みたいな分断を煽るハッシュタグもやめてくれ。
今は「悪と戦う私かっこいい」してる場合じゃないんだよ。
左翼と対立する右翼にしても、ネットにいるような右翼の大部分は統一教会シンパではないはずだ。
彼らと力を合わせてくれ!
表現の自由派へ。
なっていないだろう。
ここで力を出さないで、統一教会の問題が有耶無耶になっていくに任せたとして、そんな「真の表現の自由」がない国で、どんな顔してスカートの影がどうしたとかいったどうでもいいことでフェミと仲良く喧嘩するつもりだ?
これまで表現の自由派がエロ案件にフォーカスを当ててきたことについて不満があるかもしれない。
しかし、そのことで表現の自由派に嫌味を言ったりしないでほしい。
これまでの日本はそんなことしか話題にならないぐらい平和だったんだ。
いや正確には平和だったわけじゃないが… カルト集団と政権が癒着しているという異常な状態だったのだが… これまではそこに誰も手をつけられなかったんだ。
いま、暗殺という手段によってではあるが、安倍氏の死をきっかけとして、そこにわずかな裂け目ができた。
この裂け目は、みんなが力を合わせなければ、すぐにまた塞がってしまうだろう。
このタイミングで、過去のことについて嫌味を言ったりしている場合じゃない。
表現の自由派を信じて、彼らと力を合わせてくれ!
力を合わせて何をするか?
保育園を増やすことは自民党の集票力に影響したりはしないし、むしろ実行したら票になるぐらいだ。
しかし、統一教会に逆らったら、自民党の集票力は確実に落ちる。
自民党から統一教会という膿を排除するなんて、本当にできるのか?
わからない。
でもやるんだよ!!
ひとまずの目標は、はてなのみんなが統一教会について、自民党と統一教会の関係について知っているようなことを、主な情報源が新聞やテレビという人にも同様に知らせることだ。
しかし、日本の主要メディアが正常に機能していないということは、今まさにみんなが目にしている通りだ。
どうやったらこの目標が達成できるかは、みんなで力を合わせて考えてほしい。
ジャンプ+はジャンプ本誌より優れているのか主観で考えてみる。ただ作品の質とかは好みの問題が大きいので置いておく。(最近はどちらも面白い漫画が増えてきた印象。個人的に好きなのは、ジャンプ+だとハイパーインフレーションとか全部ぶっ壊す、本誌だとPPPPPPとかすごいスマホ)
ジャンプ+はやっぱり無料なのが本誌との一番の違い(広告表示はあるが)。無料ということは手が出しやすいし、他人にも勧めやすい。だいぶ前からだけど初回無料になったことで最新話に追いつくこともできるようになった。こうなると単行本派、本誌派といった垣根も無くなる。
あとは雑誌として流通することがないから、早バレも無い。ワンピースや呪術廻戦といった人気作だと無関係なところでも早バレが流れてくる可能性がある問題があるが、ジャンプ+はそれもない(代わりに更新時間にアクセス過多で開けなくなることはあるが)。
さらにページ数やカラーページの限界もないので、作者の好きなようにやれるし、多種多様な作品や読み切りをガンガン載せられる。打ち切りも少ない(と思う)。また、休載に関しても週間はもちろん、隔週連載や単行本作業で休載するなどかなり自由な印象がある(本誌も以前より何が何でも載せようとせず休載することは増えたが、アニメ化するような人気作のみ)。
ジャンプ本誌は当然だが紙でも読めるのが利点。まだまだ紙で読んでる人はいるだろう。まあ俺は電子版で読んでるけど。あとはたまに付録がついてくることがある(有名なのは昔だけど遊戯王カードとか、最近はクリアファイルとか?)。電子版はそういうのはない…と見せかけて定期購読だとカラーにされた連載作品や人気作家の昔の読み切り読める特典があったりする。
あとは利点といっていいのかわからんが、読者アンケートはジャンプ+にない強み…かな?雑誌を購入してさらにアンケートを出すという手間をかけているからいいジャン!よりも相対的に中身がこもった読者の評価だろう。読者としても能動的かつ定量的に作品を応援できる。(まあいいジャン!の価値がないというわけではなく、あくまで相対的な話。ジャンプ+は実際のコメントの内容とか閲覧数とか他にもなんの漫画が人気か分析はできるだろうけど)
結局のところどっちが優れているか?というとジャンプ+のほうが柔軟な対応ができて読者にも作者にも優しい。個人的にはジャンプ+のほうが優れている。十年後にはジャンプ本誌が無くなってるということはあるかもしれん。
「アクタージュ打ち切りは表現の自由問題」と掲げた集まりに赤松が出席したというのはデマ
↑これこそがデマだと発覚した途端急に騒いでた奴らが引いてった
2020年の集まりに出てなかったら2021年の集まりについては不問ですってどういう理屈だよ
アクタージュの打ち切りが決まってから一年たち事件の概要もより詳しくなってからも宇崎ちゃん問題と並べて表現の自由問題扱いしてた方がむしろヤバイ
↓
同時期に山田太郎がアクタージュを「表現の自由にまつわる事件」として表にしてフォーラムで取り上げる
その回は赤松未出席
↓
2021年の赤松と山田が出席するフォーラムでアクタージュが「表現の自由にまつわる事件」として再び取り上げられる
https://twitter.com/goodsun0000/status/1436990994315051014
↓
信者「打ち切りと同時期で情報が錯綜としている時期に取り上げるのは仕方ない」
どうすんのこれ
一年経って事件の詳細な経緯がわかってもそれでも「宇崎ちゃん問題と同列の表現規制問題」として捉えてたんだろ山田と赤松は
「赤松が関係してると言うのはデマ」って言ってた奴らは赤松のこと大好きなんだからフォーラムへの出席知らなかったわけないだろ
ほな「赤松健」を叩いとるツイートってどれやねんって話になるやん
少なくとも「アクタージュ 表現の自由 min_retweets:100」でツイート検索して出てくるなかには無いで。
「表現の自由にまつわる事件」の中にアクタージュが入ってんの何なの。 — Lhasa (@AtTheBlackLodge) July 2, 2022
アクタージュガチ勢として、あの事件を「表現の自由にまつわる事件」と捉えることには大いに疑問を抱くし批判したい。アクタージュは“規制”されて打ち切りになったのではない。あくまで作画担当と出版社の協議検討のもと、被害者への“配慮”として自主的に連載を終了したのである。 — りおて (@ri_o30coin) July 3, 2022
アクタージュの原作作者が女子中学生への性加害(痴漢)で捕まって、連載中止になったのは「表現の自由にまつわる事件」ではありません。
被害者の一人である作画の方も「アクタージュで、痴漢被害者の方が性加害をフラッシュバックしないように」って大人として子どもを守る当然の対処しただけです— まさかなぜねこ (@gumioisi) July 3, 2022
これは山田太郎による「我々は作者が性犯罪を起こした結果として編集部と作画担当者が自主的に連載を終了させた『アクタージュ』も表現の自由の侵害だと思っている」という明確な意思表明であり、「私達は作者による性犯罪を軽視しています」と彼らがミソジニーとはっきり結びついてることを示してるな — つりがねむし💙💛 (@Tsurigane_mushi) July 3, 2022
作者が重大犯罪やって、作画担当者が「打ち切りは仕方ない」とまで仰ったアクタージュが「表現の自由にまつわる事件」扱いされるというのは認知の歪みってレベルじゃない。— ストルガツカヤ (@Laika_1995) July 3, 2022
キャンセルカルチャーとかをどう考えるのかの文脈でなら、わからんでもないがまあタイトルは雑だったな程度の感想だわ
結果は、この作品は被害者感情や社会的影響を考慮すべきとして関係者が協議して打ち切りになりました。規制された訳でもありません。
一方「作品に罪はない」、作者や演者等が犯罪を犯した場合、その人の作品取り扱いはどうあるべきかという議論も当時され様々な意見がありました(私は原作者が性犯罪で逮捕されるのは当然で出版者や作画者が判断し作品が打ち切りを行った結果も被害者保護の観点から個人法益を重視し支持する考えです)