はてなキーワード: 戦士とは
これから地元でショーとトークのイベントってことは、俳優が参加するファイナルライブツアーかな?
元増田が何に参加するのかわからないけど、個人的な意見書いとくね。ちなみにイベントに来る大人の大半は女性だよ。
1.概要
・スーパーとか遊園地とかでやる、いわゆる普通に想像されるヒーローショー。多くの場合、無料公演
2.内容
・変身後のみ。俳優は登場しない。
・オリジナル脚本なのでキャラぶれしてることもあるが、公演によっては主人公がメインではなく、好きなキャラが深掘りされることがある
・スーツアクターはイベント会社が用意するので、アクションや演技、声当てはそこまでレベルが高くない
・公演後に握手会をすることが多い
3.観客
・完全に子供向けなので、大人の肩身は正直狭いが、スルースキルを身につければ参加自体は問題ない
●●屋内有料ヒーローショー(通常公演)●●
1.概要
Gロッソやアドベンチャーホールなどで行なっている、スーツアクターによる有料のヒーローショー
2.内容
・アクターや声当てはプロが務める。ワイヤーアクションやSEもきちんと存在し、脚本もそこまでぶれない
・公演後に有料握手会を行う
・会場により撮影は可、不可が分かれる。可の場合は一眼ガチ勢もいる。不可でも握手会や撮影会は写真OK
3.観客
・通常の公演は半分以上が親子連れ。ただし大人やソロ参加も多くいる。ちなみに大人だけの参加は多くが女性。きちんとした座席もあり(Gロッソは座席指定)、チケット代を払っているため、気負うことなく参加できる
1.概要
・Gロッソで秋〜冬の特定期間にだけ行われる、テレビシリーズの俳優が出演するヒーローショー。通称素顔の戦士
2.内容
・通常のヒーローショーの脚本の一部に俳優が登場する。日に何公演もある
3.観客
・半分親子連れ、半分大人。最後の方の公演になると、大人の参加の方が多くなる。大人の大半は女性だが、今シリーズはハロオタがいるためか男性の参加も多い
・シリーズの人気度にもよるが、初日や楽日のチケットは取りづらい。人気シリーズはそれ以外も取りづらくなる。今年は非常に取りづらい
・ペンラやうちわなどは禁止。あくまでヒーローショーなので、キャラではなく俳優に対する声がけは推奨されない
1.概要
・俳優が参加するトークなどのテレ朝で行う夏のイベント。ライダーシリーズと交代で俳優がステージに立つ
2.内容
・短いヒーローショーに、俳優によるトークがある。日によってステージに立つ俳優が異なる。平日にも行うため、推しのスケジュール次第では地獄
・整理券が存在し、無料で参加もできるが、有料パスを買うといい番号がもらえる
3.観客
・親子連れ半分、大人半分。大人の比率はほとんど女性。女性の中には俳優オタも多い
・キッズゾーンがあり、大人はその周りから見るため、かえって気負うことなく見やすい
●●英雄祭●●
1.概要
2.内容
・前半がヒーローショー、後半がトーク、ライブという、色々詰まったお祭り的な内容
・最近はTTFCやその他サービスで配信もしている。後日DVDとなる
・物販が毎年クソ
3.観客
・体感的には親子連れが4割、大人が6割。女性と男性の比率は半々くらい
・後半のトークパートに子供が飽きてることが多い。ライブパートは昔の曲も多く歌うため、知らない曲には乗れないという人は事前学習が必須。うちわは確かダメ。
1.概要
・戦隊シリーズの放映後に俳優が全国を回り、トークやライブなどを行う有料のツアー
2.内容
・前半がヒーローショー、後半がトーク、ライブ。キャラソンを出しているシリーズは俳優が歌うこともある
・戦隊シリーズの集大成的なイベントのため、見届けたい人は参加を推奨。DVDにもなる
・地方で行うため、チケットは比較的取りやすい。ただ今年はハロオタもいるため、正直読めない
3.観客
・シリーズの人気具合にもよるが、静岡など最初の地方は半分強は親子連れ。最終地方は大人だけが多い。大人の男女比率は女性が高め。ソロ参加も多い。
・ライブもあるためペンラ推奨。今年の公演の詳細は出てないが、個人的にはやはり作品のショーなので、うちわは持ってこない方がいい
こんな感じです。
上にも書いたけど、あくまで個人的な意見なので参考程度にしてください。
無料イベント以外は大抵座席指定なので、子供を押しのける、といったことはないので安心してください。主催側も、昔の曲をやったりなど大きいお友達の参加を想定して企画してます。
ただ、あくまで作品のイベントなので、俳優の名前を叫んだり、うちわや布を持っていくのはどうなのかなと個人的には思ってます。子供にはその俳優はヒーローなので。
傍から見ればキチガイの一部なんですわ。嫌いなやつからすれば良識的なファンとか関係なく、総じてキチガイ。
たとえば機動が戦士してガンがダムがvsするゲームとか、境界をぶっ壊すゲームとか動物園だの何だの言われてるから、一部良心的ファンが「そんなことないよ!楽しいし、マトモな人のほうが多いよ!」なんて必死に宣伝してるけど。
どうでもいいやつ、叩きたいやつ、嫌いなやつからしたら、オリの中のチンパンジーが人間様アピールを必死にウキウキ叫んでる様にしか見えない。俺もそうとしか見えない。
戦士また来たの?もう辞めるっていってたじゃんしつこっ
その特定増田、文章のクセが強いだろ? 俺は自由の戦士を思い出すな。
同一人物かどうか知らないが、同一人物なら自由の戦士のころから変わらない特徴
「自分が気持ちよくなるための論理しか組み立てられないし、新聞に載るような情報さえろくに調べてない」ので
結局ガンジー派のKKOさんに後ろ足で砂かけまくってる
こういうの昔は「虎の威を借る狐」っていってたんだよなー。
中世ヨーロッパ風だとか戦国時代風のRPG・アクションゲームを初めてプレイした時、
「人間でかっ!」
博物館で戦国時代日本や中世ヨーロッパの実寸大の甲冑(デカくても150~160センチ程度)を見ながらヨダレを垂らして、
平然と現代人の平均(170センチ)の体格の人間が中世風の街並みを闊歩している光景を
「その辺を歩いている町の人」の体格なのだ。
戦士となると平気で180~190センチ、2メートル越えのキャラクターも現れる。
日本だとまだいい方で、
どいつもこいつも胸板がデカすぎて、
甲冑の胸部装甲がもはや平たいエプロンみたいに引き伸ばされている惨状を呈している。
パパッとGoogleの検索で過去までさかのぼってネット上の書き込みを調べたところ、
どうも「文明に囲まれた現代人はひ弱で、昔の人は強かった」という思い込みと
「昔の騎士や武士はあんな重そうな甲冑を着て戦っていたのだから、さぞマッチョに違いない」という思い込みが
合体したことによって生まれたのが「騎士やサムライはマッチョ」というゲーム界隈のミームらしい。
さらに、このミームは進化して「騎士やサムライはマッチョじゃないとリアルじゃない」にまでなってしまった。
そして、ファンタジー世界の人間は際限を知らずにマッチョになっていった。
もし誰か一人でも博物館に行って、実物の甲冑を見たら考えを改めたのかもしれないが……
このミームの出所がアメリカだとしたら、「博物館で本物の甲冑を見ろ」というのは酷かもしれない。
白人がアメリカ大陸を開拓した時代には彼らはもう甲冑なんて着けていなかったのだから。
アメリカで本物の甲冑を見られる博物館なんて数少ないだろう(たぶん)。
実際には前述の通り、(昔といっても広いが概ね)昔の騎士やら武士やらは
160センチあればもう「長身」の世界。現代日本人の高校生がタイムスリップしたらもう「大男」で、
現代人のボディビルダー体形の人間が中世ヨーロッパにタイムスリップすればもはや「巨人」だ。
これは歴史学的には常識で、「たまたま例外的にデカい人間もいた」というだけで、
特に「中世の人は全体的にデカかったんだ!」という異論もあんまりない。
いや、「異論が無い」というか、実物を見れば誰でも一発でわかる。
当時の甲冑を博物館で見れば、どう見ても「昔の人は小さい」という結論以外は出せないだろう。
もし見たことが無いという人はぜひ博物館に行ってみてほしい(宣伝)。
(大量生産なんて当時はもちろん無かったので、全身鎧はオーダーメイド。
なので実物の甲冑の体格=当時の「戦う人」たちの実際の体格といえる)
他にも中世ヨーロッパの家具の実物、当時の人々が使っていた家の寸法……
あらゆる事実が昔の人は小さい、というか「現代人はデカい」という結論を示している。
毎日安定的にたんぱく質を摂取してる現代人の方が昔の人よりデカいのは栄養学的に当たり前だ。
しかし、
「人間の筋肉はたんぱく質をちゃんと摂取しないと成長しない」という保健体育の知識と
「畜産技術や輸送技術が未熟だった昔は今と違って肉を安定的に供給することはできなかった」という世界史・日本史の知識を合わせれば、
「昔の人の体格は小さかった」という合理的な結論がすぐわかりそうなものだが……
教科と教科がまたがっているので、
よくある話だ。
数々の希望の話を見ながら、ぼくは輝かしいと思うと同時に、いつも少しだけ、
ほんの少しだけ恐怖していた。
ぼくは希望が持てない
優しい父と母に守られ、愛されてきた。
幼少期は少しいじめられたりもしたものの、人との関わり方を覚え、そのいじめっ子とも仲良くなれたほどだった。
というのも、ぼくがいじめられたと思っていたことも、その子に言わせてみればじゃれ合いの範疇だったことがのちにわかったからだ。
そんな幸せな世界にいながら、ぼくはどうしてもフィクションの世界の彼らのように、希望を持って生きることができなかった。
そんな時、いつもぼくの心に表れるのは
羨望の念だった。
きっと延命治療なんてしない。
できるだけ少ない苦痛の中で、放置していたゲームをやり切り、行きたい観光スポットに赴き、美味しいご飯を食べて、半年後に満足して死ぬ。
皆が家族の元で最期のときを過ごそうとして、人がいなくなった渋谷のスクランブル交差点に、堂々と大量のチョークを携えて立ち、地球最後の落書きをしよう。
描き終わったら、地面に描いたでっかい落書きの中央に寝転んで、そこから落ちてくる隕石を眺めながら昼寝でもしよう。
きっと最高に楽しい眠りにつけるだろう。
「終わり」について考えたときのぼくの中にあるのはいつだって喜びだ。
きっとなんの脈絡もなく交通事故で死んだところで、明日の部屋の掃除をしなくても良くなることを喜ぶ自分がいるのだ。
明日が来ないこと、それこそが僕の救いだ。
だらだらと毎日が続いてしまったら、きっと放置していたゲームをやり切ることなく、行きたい観光スポットにも一生行かず、独り暮らしの節約だけを考えた特に美味しくもないご飯を食べる生活が続く。
人の迷惑を一番に考え、スクランブル交差点で地面に落書きなんて絶対にできない。
「終わり」を考えると恐ろしいと、友人は言った。
隕石で、地震で、地球温暖化で、何かしらの大きな力で、無慈悲に人の今までの営みが消されていくのが恐ろしいと。
話を聞きながら、そうだねと相槌を打ちながら、人の営みが消されることに恐怖を覚えると言うことを、どうしても理解できずにいた。
人間は高度な文明を持ちすぎたせいで、自分が地球上に生まれた動物のひとつだということを忘れがちである。
「動物」と「人」を分け、動物を無意識に見下し下等生物だと思っている節がある。しかし、人間はただの動物に過ぎないと、神《ここでは生物が支配できない天候、運命等を言う》になることはできないのだと、ぼくは常々思う。
むしろ動物を超えてしまった何かになっていたのだとしたら、ぼくは僕の心臓が動いていることすら恐ろしく感じる。
たくさんの動物がこれまで絶滅してきた。隕石で、地震で、地球温暖化で。
人間がそれらの神の力によって死に絶えることが出来るなら、ぼくは人間が地上に存在して良い生き物であったと、やっと安心することができるだろう。
ぼくはきっと、希望の戦士から見たら倒すべき思想を持っている人間だろう。
きっと倒されて光の力に圧倒され、希望を持てるようにされるのだろう。
でも僕は、希望を持つことが何よりも恐ろしいのだ。
希望を持った人が、その希望が続くと信じて、その希望が失われた時、その先にあるのは深い悲しみと絶望だろう。
でも、希望に触れた人が、いずれこの希望は消えると思っていたら、いざ本当に消えてしまったとき、たしかに悲しいけれど、心の準備ができていた分苦しまずに済む。
後ろ向きなことを言っていることは百も承知だ。
でも、これはぼくなりの心の防衛術なのだ。期待せず、希望を持たず、諦める。
もちろん100%後ろ向きな訳ではないが、心のどこかで諦観を持っておく。
希望を持つということは体が浮いてしまうような漠然とした恐ろしさを感じる。
諦観を持っておくことで心に重石ができて、地に足を付けることができる。
「死」は、「終わり」は、僕にとってはエンドではなくフィニッシュだ。
終わりではなく完成なのだ。
どうせならヨボヨボの状態でなく、現在の最高点でフィニッシュさせてしまいたい。
忘れじの 行く末までは 難ければ
今日を限りの 命ともがな
(「忘れない」と言ったあなたの言葉が最後まで変わらないのは難しいだろうから、私はその言葉を聞けた今日死んでしまいたい)
この和歌を歌ったのは儀同三司母という人であり、この歌は恋のうたであるが、ぼくはこの人の気持ちがよくわかる。
きっとこの人も、この幸福な状態のまま自分の人生を完成させてしまいたいと思ったのだろう。
希望を持つことは素晴らしい。それは同感だ。
ぼくも希望に憧れるし希望に向かって進む姿はかっこいいと思う。
しかし、ぼくがそれをやれと言われたら、きっと迷子の子どものように前に進むことができず立ち尽くしてしまうに違いない。
フィクションの世界の悪役のように、人々を絶望に染めてやろうとは思わない。
でも、ぼくにとってぼくのネガティブ思考は、長年連れ添った相棒であり、ぼくの心を守ってくれた騎士でもある。
ぼくはきっと一生こいつを手放すことができない。
繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達の自分語りを増田に聞いてほしい。
性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。
両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。
クリスマス、誕生日プレゼントはバンダイのおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマ、お菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。
勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。
休日に家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。
休み時間の過ごし方というと、同年代の女の子とプリキュアごっこ。彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子とプリキュアごっこに興じるのが常だった。
プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。
美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。
酷いいじめ、外見と理想のギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。
熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。
中学校は、行くのをやめた。
行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。
学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立のFラン大に自己推薦で入った。
今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。
地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。
HUGプリは面白い。間違いなく。
若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。
契機は19話だ。
池の平ホテルの「男の子は仮面ライダー、女の子はプリキュア」というCMが放送後に炎上したのも記憶に新しいが……
その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。
らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえ、ブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。
人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。
そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。
僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?
分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!
俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!
彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。
翻って、俺はどうだ。
プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。
ひどい人生だ。
俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。
そして昨日の42話だ。
増田のプリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。
お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組は殆ど見た。
「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」
そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児のなす列に並び、プリパラのED差し替えでニチャニチャ笑い、ネットで陰湿に笑いを共有しようとする徒である。まとめサイトのコメント欄とかでね。
原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴低収入の類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。
彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。
そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望だけが残った。
そのキュアゴリラが、若宮アンリがプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。
男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?
ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?
プリキュアシリーズに共通するテーマである、個性と志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ
しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。
俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?
誰か教えてくれ。
前々回のバイトでは数ヵ月ぶり二度目にプロアルバイター氏とのシフトだった。
一度でもプロアルバイター氏と仕事をするとプロアルバイター氏の事を皆すごく嫌いになるらしい。どうしてかというと、プロアルバイター氏がマルチタスクを極度に苦手としている事と、生真面目すぎる性格であるかららしい。そういうところが口ばっかり偉そうで動かない人と受け取られてしまうっぽい。
というプロアルバイター氏だったが、いざ一緒に仕事をしてみたら、ものすごくバリバリ働いていた。
とか言って、人の仕事まで奪う勢いでなんか働きまくっていた。
何故かっていうと、プロアルバイター氏は先日、オーナーから「君にはとても期待している」と皆の前で誉められたから。『オーナーはアイツはクビだと言っている』という噂がまことしやかに囁かれている状況からのベタ誉め激アゲが、プロアルバイター氏のやる気スイッチを押した↑↑↑
でもってその日は私が初めて準夜勤(22時から0時)に入ったのだけど、店長が「とりあえず増田さんはレジだけやればいいからー。あとはプロアルバイター君に任せるよ」と言ったので、プロアルバイター氏は増田さんは何も出来ないから俺がしっかりしないと!!!と思ったらしい。
「了解です」
暇な時にプロアルバイター氏と話していたら、準夜勤はすごく人手不足なのは、働ける人員が女子ばかりなのに規則では二人のうち一人は男性じゃないといけないから、という話になった。
「そうなんですよねぇ、やはり安全面からいうと女性だけだと危ないので……」
と、プロアルバイター氏は言いながら、なんか雷に撃たれたような顔をして、
と、箒持って外へ飛び出して行った。夜中に女に外の掃除をさせたらいかんと思ったらしい。
という、前々回の話を前回のバイトで相棒に言ったら爆笑していた。「あの子結構単純ねぇ」と。
私はすっかり、新人ちゃんから完全に軽んじていい人認定されている。相棒にはへりくだるけど私には露骨にゴミを見るような目をするのがしんどい。私が何をした訳でもないが。交代で入るだけなので何のしようもないし。
後任者がレジの仮点検をしたら前任者は上がりの時間までちょっと雑用をしてから帰るんだけど、仮点検をしたあともレジに立ち続けていた新人ちゃん。仕方がないので袋詰め手伝ってたら、新人ちゃんは丁度上がりの時間になった瞬間、商品とチェッカーをまじでポイッと投げ出して
「あとお願いします。あたし上がるんで」
とつんけんした態度で去って行った。
お客様の前だよ。いくら私の事が気に入らないからってそれはないだろ。あれか、私が率先して「替わります」って横から割って入れって事なのか。レジは一度打ち始めたら最後まで打つものだけど。
イラッとしたけど、どうせ私が何言っても私を見下してる新人ちゃんには響かないし、他の人に愚痴ったところでどうせ増田さんが何かやったんでしょ?とか言われるだけだから、諦めた。
何もやらかさなくても成果出しても真面目に勤務してても見た目だけでダメ人間認定されるのが私の人生なので、もういいです。
イケメン正社員氏と久しぶりに話した。私はイケメン正社員とは向こうが話しかけて来ない限りは話さないと決めていたりする。イケメン正社員氏の事が気に入らないとかそういう訳ではないのだけど、一応自衛の為である。
というのも、以前の職場を辞めた時の苦い経験からそうした方があんぜんだろうと思ったのだった。前職を辞めた原因っていうのが、上司と不倫をしているという事実無根の噂をばら蒔かれた事だった。それ以外にも色々嫌がらせをされたけれど、夫の親戚が重役として勤めている会社だったから、不倫の噂は私には強烈に効いたのである。狭い田舎でそんな噂流されたら社会的に死ぬ。
虫も殺せぬような顔をして、既婚者の癖に
喪女喪女しい空気感が抜けないくせに、上司とあんな事やそんな事を平気でしている!という噂は、前の職場の暇人達には大層ウケていた。それで私は仕事といっしょに家庭まで破壊されないうちに逃げざるを得なかったのだ。
そんな事があったので、みんなに人気者で、私よりずっと年下だけど一応立場的には上司のイケメン正社員氏にはあまり関わらないでおこうと思った。
イケメン氏はとても人気者だから、だれでも会えば氏をかまうのが普通なので、あんまりスルーするのもおかしいのかもしれないとも思う。本人も自分が人気者であることを心得ているらしくて、基本的に待ちの態勢でいる。そういうとこに関わりづらさを感じてしまう。