はてなキーワード: 小学校とは
全ての依頼に締め切りがある、それはわかる
スケジュール立てなければならないのも当然
スケジュール立てている間に締め切りが来る手遅れになる
やっているうちにどんどんわからないことが出る
やり直す
見直しても気付けない
上司は懇切丁寧に教えてくれようとするが最近もうやっておくからと言うようにもなった
他の部門から要件あって班に訪ねてくるが自分には訪ねてこない聞かれてもわからない
ただ有能な上司のお陰で関わりのない部門からは何故か優秀だと思われているらしい
よく関わらない人からは褒められる
頑張っているねと言われるが成果はない
他の人は適当に資料作って通っているのにレイアウトから文言まで懇切丁寧に教えられる 修正する
ありがたいと思っている 自身の為だろうなと思う
締め切りが守れないことを叱られる
「変なこといっているか」「泣いたら俺が虐めているみたいじゃないか」
指導してくださりありがとうございます感謝していますと本心から言っていた
行動で示さなければ当然だろうと思った
感謝していますと言わなくなった 多分言っても言わなくなっても苛ついていると思う
逆の立場なら少なくてもそう
隣班の定年間際でやってきた人から指さされて笑われる
話を遮られる
いや聞いてくれある人がいても自分で話すうちに支離滅裂になって訳わからなくなる
雑談ができない
なにもしらない
アニメも元々見ていないし流行り物見ようとしても気力が続かない事多い
とりあえずニコニコを流している
シンクは洗い物たまっている
最近太ってきた
精神科は調べてみたがどこも遠い
正直食べられるし眠れるし起きられるし仕事皆勤している 精神病ではないだろう
1日空いただけで話題について行けなくなるのが怖かった
中学までは成績も優秀ないい子だった
大学は成績優秀な人と過去問を集めてくる人望厚い人と近くにいたおかげで成績優秀になり就職有利な研究室には入った
8月くらいで根本的なミスに気が付いて3ヵ月の研究を無駄にした
クラス替えするとそれきりだった
友人はいる
ネット上 数年前にDV恋人から自分が救った形になってから慕われている
なんだかとても尊敬してきている
もうよくわからない 何をみているのだろう
その友人自体は色々な人に囲まれて優しくて気配りのできる人 知識も深い
その人がいるから「自分が死んだらあの人が悲しむかも」とは思う
でも死んだらその人は沢山悲しんで、他の人に慰められて立ち直っていくのだろう
自分は好き
こうやって書く間にも仕事のスケジュール立てたり風呂入ったりすればいいのに
そういうところなんだよ結局
気軽に生きろとか言うけれど
こんな真面目にやっているつもりなのに抜け多くだらけていて無気力で消極的なもの向けの言葉ではない
真面目系クズと聞いたな
ろくに文章もかけない
どうすればいい どうすれば
母校は小学校では、自分の親ぐらいの世代(昭和の終わり頃)にプールで溺死事故があったそうでプールサイドに小さい慰霊碑があった
毎年プール開きと同時に六年生が参加して、近所の神社の神主が来て慰霊祭が行われていた
小学校の怪談話の定番にプールネタは鉄板だけど、流石に子供も不謹慎だと思うのかプールの怪談話は聞かなかった(二宮金次郎が動くとかトーテムポールの目が光るとかはあった)
むかし重曹のこと、「タンサン」って言ってなかったっけ?商品名かアレ
ざっくりYou Tubeにて「タンサンせんべい」のことを話していて「なんでタンサンって言うんだろう」って疑問に対し、「製造過程で炭酸水を入れるから」と出ていた
ふくらし粉としてベーキングパウダーではなく重曹使う場合があったと記憶していたので、てっきり煎餅の方も重曹使用だと思っていたわ
ややこしやー
(調べたら「ベーキングパウダー」は縦に膨らむ「重曹」は横に膨らむ。だそうで。和菓子だと重曹使うことが多いみたい
炭酸水は炭酸ナトリウムで重曹は炭酸水素ナトリウム。炭酸水でも同じ様に膨らますことが出来るんだね)
二酸化炭素を水に溶かす…んだが
先ず二酸化炭素を作らにゃならん
障害のある子供の親御さんたち、教育委員会や先生たちの薦めを無視して無理矢理普通の公立校、普通の学級に入れるのはやめろ。
発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。
朝は最寄駅のトイレ、昼休みには職場にほど近い商業施設のトイレ、夕方にはまた最寄駅のトイレで用を足す。だが私が物心ついた時から、トイレを流した記憶はほとんど無い。
親からも小学校に上がるまでは特に何も言われることは無かったのだが、小学校に上がった途端、流していないトイレを見るなり烈火のごとく怒る様になった。小学校でも同級生にトイレを流していないことがバレて、壮絶ないじめを受けた。仕方ないので私は家の裏にある林や、通学路から少し外れた誰にも見られない茂みで用を足すようになった。
トイレを流さなかったり、トイレ以外の場所で用を足すことに私がここまで拘るのは、自分の体の一部だったものを自分の手で消すという行為にとてつもない嫌悪感を抱いているからだと思う。(自分が手を下さなくとも、消えていく光景を見るのが耐えられないので、センサーで自動的に流れるトイレには入れない)
中学校に上がるころに生理が始まると、この気持ちは更に大きくなった。捨てられずに自分の部屋にため込んだ生理用品が親に見つかって怒られたことも何度かあった。(現在、ミレーナで生理は抑えている)
家から歩いてすぐのコンビニはもう出禁になってる。職場近くの商業施設のトイレを使っているのも、自動で流れるトイレではないからなのだが、ここもいつ出禁になるかわからない。
家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。
でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生で中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶だからだ。
先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。
でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。
小学四年生のわたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。
そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから、放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。
小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。
同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。
そして小学六年生になった。
受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強、息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。
でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。
そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。
それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつの光景を死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間、公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。
そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験の総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。
そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根と屋根のあいだから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分の意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。
ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。
名前欄に自分の名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたしは名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分の意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき、母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。
この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全なものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたしが100%自分自身の意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。
中高時代のわたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分の意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき。図鑑や百科事典を読むのが楽しかったこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたしも勉強が好きだった。
文学部を卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身の選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたしの仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたしの選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だから、わたしはこれで良かった。中学受験が苦しかったことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由な選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全なもので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分に子どもができたとしたら、わたしは子どもに中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分の意思で中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。
中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生、幸せだから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験の記憶から救われるには、いまのわたしが幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしはわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくまで空想でしかないけれど。わたしは小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かに悲しかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから。
藤子が関わってる出版社やアニメの制作会社で、誰かおかしいと指摘してくれる人はいなかったのかな。
まだ修学前の今なら笑ってられるだろうけれど、小学校に入ったらそんな事は言ってられない
増田はそんな子供の気持ちは一切考えず、自分や妻のお気持ちばかり。
親ってのは気楽なもんだよ
私は小学校で一目惚れした妻に小学校でも中学でも高校でもアプローチし続けた。高校時代に「医者と結婚したいから医学部に受かったら付き合ってあげる」といわれ、猛勉強して私立だが地元の医学部に受かりようやく付き合えた。
大学生になり付き合い始めてすぐに「〇〇が初めての相手になるのは絶対嫌だ」と言われ、妻は高校時代に好きだった部活の先輩で処女を捨ててから俺とセックスした。
性病を移されたこともあったし、妻が私の大学の友人を私の目の前で誘惑したり、旅行を直前ですっぽかされて前述の先輩と旅行に行かれていたこともあった。
プロポーズした時だって「結局この歳まで〇〇以外の男からは真剣に付き合ってもらえなかった。自分が嫌になる」と赤坂のレストランで大泣きされた。
その後結婚しても妻の遊び癖はなくならず医局の先輩や男性看護師と浮気したせいで医局にいられなくなった。今では散財癖もついてしまい、両親に「あなた達には育てられない」と妻との間に生まれた息子を引き取られ絶縁状態になってしまったがそれでも俺は妻を心から愛してる。
愛だ。
私は小学校で一目惚れした妻に小学校でも中学でも高校でもアプローチし続けた。高校時代に「医者と結婚したいから医学部に受かったら付き合ってあげる」といわれ、猛勉強して私立だが地元の医学部に受かりようやく付き合えた。
大学生になり付き合い始めてすぐに「〇〇が初めての相手になるのは絶対嫌だ」と言われ、妻は高校時代に好きだった部活の先輩で処女を捨ててから俺とセックスした。
性病を移されたこともあったし、妻が私の大学の友人を私の目の前で誘惑したり、旅行を直前ですっぽかされて前述の先輩と旅行に行かれていたこともあった。
プロポーズした時だって「結局この歳まで〇〇以外の男からは真剣に付き合ってもらえなかった。自分が嫌になる」と赤坂のレストランで大泣きされた。
その後結婚しても妻の遊び癖はなくならず医局の先輩や男性看護師と浮気したせいで医局にいられなくなった。今では散財癖もついてしまい、両親に「あなた達には育てられない」と妻との間に生まれた息子を引き取られ絶縁状態になってしまったがそれでも俺は妻を心から愛してる。
ピアノが得意で、バスケ部のPG兼キャプテンで、小学生の頃から服装と髪型がオシャレで、成績もいつもトップ層で、女子ファンが多くて私も密かに憧れていた小中高の同級生がいる。
離婚して、娘が小学校卒業した3月に実家に帰ってきて、役場行った時に町章のついた車から降りてきた彼に声かけられた。
最初気がつかなかった。太ってて髪も薄くなって、昔の面影が殆どなかった。大学を卒業した後親のそばにいるため役場に入りずっと地元で暮らしているらしい。
娘は4月から私も通ってた地元の中学校に入学した。そこで同じクラスの男子に一目惚れしたらしい。ピアノが得意で、一年なのにバスケ部のレギュラーで、成績も良くて、何よりとてもイケメンで優しいとのこと。名前を聞いたら私が憧れていた同級生と同じ苗字。
この前娘が「勉強を教えてもらう」という口実でその子を家に連れてきたんだけど、昔の同級生と完全一致で懐かしさと時の流れの残酷さを感じた。
モリーッス
本日は世界海洋デー、世界脳腫瘍啓発デー、日本においては学校の安全確保安全管理の日、大鳴門橋開通記念日、ヴァイキングの日、成層圏発見の日、ガパオの日、ロハスの日となっております。
学校の安全確保安全管理の日ですが、池田小学校の事件が発生した日に由来しております。
子供が犠牲になる事件は書いててちょっと暗い気持ちになりますが、何が起こるかわからないのが世の中です。
調べてみると現場等に不審者が入ってきた時の対応にも役立つかもしれません。
ということで本日は【緊急時の対応よいか】でいきたいと思います。
流山おおたかの森でマンション7000万とか8000万とかしてるんだけど、これ共働きじゃないと買えない値段だよね…。
でもこんな遠くに住んだら共働き困難だろうし、そう考えると1馬力で買ってるのかな。
そうだとしても、1馬力で7000万8000万のマンション買える人がわざわざこんなところに住むのか…とも思う。
どういう層が買ってるんだろう。
子供が5歳になるまで住んで子育て関連サービスを享受して、小学校入学と同時に売却益稼いで出ていく想定とか?
それもババ抜きに過ぎないけど…。
小学校に入る前から「結婚しないし子供は産まない」と思っていた。
成長するにつれて理由は増えていったが、そもそも自分が結婚して子供を産んで育てる人生を歩むという発想がない。これに尽きる。
その後素敵なご夫婦やご家族との出会いを経て、「いい人がいれば結婚や同居はするかもしれない」と考えが変わったものの、「子供は産まない」は頑として揺らぐことがなかった。
一方それとは別軸で、10代後半〜20代前半くらいで、恋愛感情というものが他者に比べてうっっっっっすいらしいということもわかってきた。
誰かと恋人になりたいとかあの人を独占したいとかセックスしたいとかをまるで思わない。
少ないながら交際経験もセックスの経験もあるが、それらを経験した上で、自分の人生には必要ない要素だなと思っている。
自分の場合、上述の通りほぼAセクシャル(非性愛、詳しくは調べて)だから、「子供を産まない」選択との間になんら矛盾が起きていない。
Aセクだから子供を産まない選択をしたわけではなく、まず「子供は産まない」が第一義的にあって、後からAセクとわかってきたので、そこにねじれがうまれなくてよかったなと思う。
もし「誰かと恋愛・結婚したいけど子供は産みたくない」「子供は産みたいけど恋愛・結婚・セックスはしたくない」だったら、その苦労はいかばかりかと思う。
前者は相手(特に男性)が子供を欲しがっていたら意見が対立するだろうし。
元増田が「お前らは公園の隣に住んでるわけじゃないだろ」ってんで実際公園の隣に住んでる俺が来ましたよ。
それもめちゃくちゃ利用されてる公園の隣。とにかくずっとうるせえ公園の隣。
朝早くから年寄りがラジオ体操の音楽をガンガンかける。その後は犬がやたら散歩しに来てワンワン吠える。それが終わると乳児連れの奥様の社交場と化す。近くの保育園からカートに乗った園児も参入。小学校が終われば一番うるせえ時間だ。なんせ遊具が豪華だから小学生に大人気。あいつら毎日毎日はしゃいで泣いて絶叫する。遅くなったら増田の悩みのトリガーになった十代のガキどもがたまる。一時期はバイクの連中が溜まってブンブンいわして、それは流石に通報されたみたいで、警察が来て今は収まってるけどな、今でも夜中までガキどもはいるよ。
でも俺がイライラしてどうしようもなかったのはバイクだけ。夜中に静かにしてくれりゃいいのよ。
俺は心の広い人間じゃない。虫の居所が悪いと些細なことで腹を立てる。でも公園の音には、夜中のバイク以外でイラついたことはない。どいつもこいつも楽しそうで何よりだと思う。年寄りは体操して健康でいろ、犬はよく散歩さしてもらえ、子どもは遊んででかくなれ、悪ガキはほどほどに青春しとけ。珍走団は失せろ。
なあ元増田、あんた何かもの凄い我慢してることあるんじゃないか。公園の騒音の他に。
俺の身内でやっぱり子どもの声がうるさいってんでクレーマーになったのがいる。あと会社の知り合いに一人。
そいつらの近所はうちよりどう考えても静かなんだ。身内のほうなんか小学校が近くにあるだけなんだぜ。
その身内は三十過ぎからやたらイライラするようになって四十路になるころにはすっかり性格変わった感じなんだよ。これは偏見かもだけど、独身女でずっと不倫してて自分はそれでいいって言い張ってたんだけどよくはなかったんじゃないかと俺は思ってる。もう一人は細かいこと知らんけど会社でも難癖つけるんで有名で、役所へのクレームは武勇伝的に喋ってたらしい。こいつは男で、突然怒鳴ったりするんで評判悪い。
この二人は独身だ。で、独身だからクレーマーになったわけじゃないと思う。人生が上手くいかなくて、何かもの凄い我慢してて、それが解決する見通しが立たなくなった時、公園の騒音がダメになったんだと思う。神経ってそういう具合にできてんじゃないかと俺は思う。
俺だって人生バラ色じゃない。どっちかっていうと灰色。でも少なくとも俺は自分の不満を誤魔化さなかった。「自分はこれでいいんだ、これを望んでいるんだ」とか言わなかった。だから俺の耳は公園の騒音を聞き流すんじゃないか。
なあ、元増田。俺はお前より上等な人間ではまったくない。お前のほうがきっと優しくていい奴だ。だから他人のために何か飲み込んで自分の気持ちを誤魔化してることないか。そいつがお前の耳に悪さしてることないか。