はてなキーワード: 小学校とは
どうも、上京中の増田です、おばんですいや中身はオジン()ですが
…泊めて頂いてる部屋の、リネン類の匂いが、むかーし昔は小学校のころ、粗暴で苦手だったクラスメイトんちとその服の匂いで、、、><
ふつーの公立小学校だったけどなぜか先進的でパソコンルームがあったなあ
magic flightってやつで魔女のタイピングゲームでクリアできたらなんかあげるって先生がいったけど、ガキがまともにタイピングできるわけもなく。。。
そのあと家でパソコンかったときはふじつーのゲームパックのらみいのだいぼうけんとエアホッケー、デフォゲームだとアリーナっていうrpgをやってたなあ
https://digital.asahi.com/articles/ASQ6Y5FYCQ55POMB008.html
貧しさにあえぎ、親戚に誘われ、知らずに密入国
1959年に韓国の全羅南道で生まれた。兄姉7人の中の五男。父は早くに亡くなり記憶はない。母も小学生の時に亡くなった。兄弟を頼ってソウルに移ったが貧しい生活だった。小学校に通いながら、映画館でアイスキャンディーを売った。それでも貧しさから通えなくなった。
先の見えない中、親戚に日本行きを誘われた。「ガラス工場で、『運び』(材料を釜まで運ぶ仕事)をしないか」
「日本に行けば、技術を身につけて帰れるかもしれない」。そう期待してうなずいた。
だが、日本行きの道は想像もしなかった方法だった。パスポートも持たずに集められ、夜中、隠れるように小舟に乗った。言われるまま停泊していた中型貨物船に乗り込むと、窓もない船底に数人と押し込められた。入り口には釘が打たれた。1日2食。ごはんにみそ汁をかけたものが出された。「どうなるのか、悪いことではないのか」。頭は疑問でいっぱいだった。
小中のうちは耐えてほしいわ
あの人はビッチに童貞捧げて弄ばれた末にその子がビッチで他の奴とヤってることに耐えられなかったっぽいのよね
今思えば高校生のうちにビッチとヤれて絶望して自殺とか30過ぎた俺よりよほど性に関しては濃い人生送ってたわ
俺はブサメンだからビッチの毒牙にはかからなかったけど友達としてはビッチとそれなりに仲良かったわ
あの子も小学校高学年の時にネットで出会った変なおっさんに処女捧げて高校生に至ってもおっさんと関係持ってるとかいうのだったわ
普通に犯罪だしその子の親もおっさんのこと知ってたけど、反対はしても通報とかはしてなかったみたい
小学生の時からおっさんと交際して、変に開発されて、その関係を妨げるものがいなかったせいでビッチはビッチになったし、先輩は死んじゃった
まあビッチ関係以外にも家庭の悩みとかあったのかもしれないけど
無料でヤれてラッキーってなれる人ではなく、好きになった女が真面目に交際して愛してくれる人じゃないことが性格的に辛かったんだと思う
先輩とはそれほど深い絡みはなかったが大人しい陰があるイケメンだった
なんか俺が先輩とあと何人かで喋ってた時にビッチがきて、雑談してたらビッチが急に先輩の口の中に自分の指突っ込んで、先輩が困惑しながら指をしゃぶっていた
なにをしてるんだ??と無垢な高校生の俺はその瞬間はよくわからなかった
あの時点でもう二人は関係を持っていて、先輩も毒牙にかけたったでドヤッと釣果報告を周囲にしたかったのかな
ヤジ要らないよねってエントリーのブコメが人の話を聞かないヤジだらけでさ、じゃあやっぱり要らないんじゃねってなった。
安倍がどうのなんて一言も言ってないのに特定の人には(ただし安倍は除く)みたいな文言でも見えてんの?それ妄想だよ。
異論は辞さないなんてのもまっっったく書いてないよね。何で独裁がどうのとか言ってるの?何を勝手に見て勝手に憤ってるの?
その人の話をちゃんと咀嚼しないで返してくる思い込み、早とちり、あのエントリーの趣旨はそれが要らないって話だよ!
なるほどーヤジはNGだけど公権力による排除はOKってことか。小学校は真面目に通ったけど中学校には行ってないとこういう思考になるんだな。義務教育大事。
話も聞かず短絡的な文句つけてこいつ小卒って決めつけるのが義務教育の賜物なのか?ついでに言えば義務教育には中学校も入ってるわけで、イキるなら最低限の整合性を付けてくれ。
これに星つけた人、何を思ってつけたの?こんなヤジ、逆に恥ずかしくないのか?
こんな気に食わないやつに言ってやったぜみたいな唯の罵倒が支持されて、ちゃんと話を捉えて答えてくれてる生産性ある問答が埋もれてしまうのとかさ、正にヤジ要らないの実証なんだよね。
ヤジが要らない、というのはその通り。ただその考え方から、「公権力が排除して良い」までの間には越えるべきハードルがいくつかあるはず。ここのバッファは大事だと思う。
これはそうだし、だから追記で公権力の排除はダメと書いたんだよね。
解釈改憲とかは要らないよ。公権力が動くなら法での明記が大前提だし、裁判で判決が下った通り、公権力によるヤジの排除はアウトだろう。
でも、私は公権力による排除がどうのなんて話はしてないんだ。そればかりか全く政治に寄った話でもない。
そこは趣旨じゃないんだ。
「ヤジの要不要」と「ヤジった人を公権力が排除することの是非」を切り分けないまま論じているのでぐちゃぐちゃになっている。子供にどんな社会を残したいかという話なら、ヤジの自由が容認されている社会一択では
あのエントリーでどうしてその点を論じてるように捉えられたのかわからない。
つまり貴方の子供は貴方含め人の話を好き勝手茶化したり遮ったりして聞かなくても良いってことかな。
“異論が許される社会”と言う意味でそう言われてるなら私も異論はあって然るべしとしてるので、よく読んでください。
演説においてあまりにふざけた事言ってたらヤジることもありだと思うけど、集団でシュプレヒコールよろしく大合唱し始めたら選挙妨害よ。聴く側の権利もある。
よく聞いて、理解して、返す。もちろん返すのは意見として対立してても良い。
ただ話し合いとしてのキャッチボールは成り立たせたい。
安倍とか自分は散々国会でヤジってるのにヤジられたら公権力を使って排除するのはおかしい。自分がやられたら嫌なことを人にやってはいけない。
そうね。私もヤジ嫌いだからさ、与党だろうが野党だろうが安倍だろうがしょうもないヤジ許してないよ。
話聞いてくれ。
吉田茂に、コートを脱げっと言うヤジが飛んだ時に、「これが本当の外套演説」と言ったエピソードが良い。なんかそのレベルの大物感のある政治家がいなくてつまらない。
へー。昔は良かったんだね。
一見して不要なものをあえて権利として保護しなければいけない理由は、不要でないものまで不要とみなされて排除される危険があるからだ。恣意的な統制に利用される場合もあるし、巻き込まれて排除される場合もある。
ヤジって話の妨害じゃん。会話とかじゃなく暴力行為の類だよ。如何なる人の話においてもそれは要らないでしょ。
ついでに言えば不要とされ排除されてきたものは社会にたくさんあるのでは?犯罪行為なんてその成れの果てでしょ。
ヤジは民主主義にとって非常に重要。プーチンに、「いよっ!負け戦!」ってヤジを飛ばせないから、戦争がだらだら続いてるわけで。民主主義のほぼ唯一の長所とは、誰もが失笑する政策を潰せることである。
ヤジの過大評価がキツ過ぎる。ヤジは世界を救うって論文書いてヤジでノーベル平和賞でも狙う気なのか?
ヤジを飛ばせない云々じゃなくて独裁だから批判できないだけでしょあれ。
やじ・る【野次る/弥次る】
読み方:やじる
[動ラ五(四)]《名詞「野次」の動詞化》他人の言動に、大声で非難やひやかしの言葉を浴びせかける。「演説者を口ぎたなく—・る」
自分に必要なくとも「禁止せよ」には反対するのが権利というものだけど、嫌悪感で頭が埋め尽くされると突然記憶喪失になって「正しい選別」「子供に見せられるのか」とか言い出すやつどの分野にもいるんだよな
異論や対立なども含めた話し合いを円滑に行う事を基軸に、コミュニケーションにおいてただ妨害に当たるヤジは要らないんじゃないかと言ってるだけであって、そこのところちゃんと理解して貰えてんのかな?と思う。
大の大人が話も聞かずに喚き散らかす、怒鳴り散らす、話を逸らすって、そりゃ子供に見せるの恥ずかしいでしょ。そんなのOKしながら子供には『話を聞きなさい』なんて口が裂けても言えなくなるぞ。
大学の卒業式の袴いい加減頼まないとな〜ってことで近くの着物屋(そこそこ大手のチェーン)に行って色々見てきたんだけど、
なんか黄色のグラデーションでちっちゃいピンクの桜の柄が入ったババアみたいな着物薦められた。
マジで誰が頼むん???って感じの芋臭い色。小学校のおばちゃん先生が着るやつじゃない???
それでうーん、って感じで流したら、今度は薄紫のグラデーション無地+えんじ色の袴のセット持ってこられて
(演歌歌手みたいなやつ)
なんか、「お前はこれでも着てろwwwほいwww」って言われた気分になった というか暗にそう言ってたのかも
そんな芋臭い着物でも着付けとセットで頼んだら5万とかするからなんかお金勿体無いなって思って
何も頼まず家にトボトボ帰ってきた
ハサミでって言わないなら常にレザーカット
行って座ったら何も言わんでもいい感じにしてくれて助かってたのに
潰れたところに新しく美容室ができてたけど
カットのみ4000円で草
誰が行くねん
子供がクラスのAは運動が出来る、Bは友達が多い、Cは本が好きで国語が凄い、Dは運動も勉強もクラスで一番出来て性格も優しい凄い奴、そして僕は遊びを考える発想が凄いし走るのが得意、等々クラス全員と自分の良いところを教えてくれた。
私はクラスメイト全員の名前も一年では覚えられないくらい人に興味が薄いけど、人から良い所を認められたら好きになる性格をしていて、興味の薄さは困ることも多く悪い所だと思っているので、クラス全員の美点だけ把握してる子供の性格が素晴らしく感じられた。
なので、私の親に会った時に子供がこんなに素晴らしいんだよと自慢したら「お前は小学校で虐められたからね、当時は先生も虐めの認識が無くて大変だった」と返された。
自慢したかったんだけど、ひょっとして虐められてない人には、クラスメイトをよく見て名前と美点覚えてるのってわりと普通だったりするの?
小学校低学年の時に道端で喧嘩したことを4年ぐらい経って笑いのネタにしたブス
タミフルを雑に飲ませる親戚
道端で二度私に向かって石を投げたブス
本当に私はろくな女と関わってない
多分合コンとかも無理だろうね
思い出せる限りの問題行動が
糞便を壁に塗りたくる(幼少期)
親戚の葬式で発狂して今後全ての冠婚葬祭に呼ばれなくなる(幼少期)
同じ年齢の子が描いた母親の似顔絵をクレヨンでぐしゃぐしゃに塗りたくる(幼少期)
熱中症で搬送された病院で発狂して医者に「虐待で自閉症になったのでは」と疑われる(小学校)
飲食店に押し入り、オーダーメイドの壁紙を破壊し尽くす(小学校)
今から30年ほど前、ど田舎の小学生だった頃、小学校から500メートルくらいのところにある公民館に人力餅つきを見学しに行くという校外学習があった。
小学校は30段ほどの階段の上にあり、秋になると階段両脇の土手が彼岸花で真っ赤になった。小学校の隣(下)には農協、真向かいに倉庫と野菜直売所、公民館と農協の間は水田という具合で、通学の際にはいつも田んぼと道路の境目の50センチくらいの土手の上に駆け登って平均台の様にして通るのが好きだった。
餅つきの話に戻るが、地元の年寄が臼と杵で餅をつき、まとまったのを手で素早くちぎり取って丸め、餅とり粉を敷いた木の四角いお盆?箱?にぽんぽんと置いていくのを皆で見学していたのだが、臼の底にぺちょっと餅の塊が残っているのが食べれそうだなーと思って「その残ったのはどうするの?」と作業していたおばあちゃんに聞いたら、おばあちゃんはニコッとして無言でその残りを掬い取り、私の手を取り掌を上にさせ、そこにぺとっ!と乗せてくれた。ありがとう!とおばあちゃんに言っていると、周囲の同級生達がちょうだい!ちょうだい!と、わっ!と手を伸ばして手の上にある餅を少しずつ摘んでぱくぱくと食べた。私も慌てて残りを口に運んだ。つきたての餅はあたたかくやわらかく、何も付けなくても餅米の風味がしてとてもおいしかったように思う。先生がいいよとか駄目だよとか言う暇もないくらいのあっという間のことで、叱られも咎められもしなかった。
いい思い出ばかりではない小学校だったが、その記憶は懐かしい良い思い出として今も覚えている。
これは30年前の話で、食品衛生管理等誰も気にしなかった頃の事なのでそのあたりは緩めに見て欲しい。人によっては不衛生で不潔で有り得ない、となるとは思うが。自分にとっては、のんきでおおらかでのどかないい時代だった。
バブル景気を経験し、団塊世代は比較的順調な経済成長の中にいた。その結果その子供世代である団塊Jr.の世代は団塊世代と比較してもかなり高い率で大学に進学した。就職して3年が目安だった結婚適齢期は大幅に後ろにずれ込み、この世代は30歳で結婚しないことが珍しくなくなった。また高等教育を受け、海外の文化に触れたりすることにより、伝統的価値観に縛られない自由(リベラル)を大切にする価値観が主に高学歴の層に芽生えていた。
1990sはCDの全盛期でカラオケもブームであった。この頃すでに女性の社会進出は始まっており男女共働きが増えてきていたが、ここにきて平松愛理が「部屋とワイシャツと私」でコテコテの昭和の価値観の曲を歌い流行。その結果、団塊ジュニア女性の専業主婦志向が強まる。ちょうどこの頃、大黒摩季も「あなただけ見つめてる」で男に尽くす昭和的な女性像を、「ら・ら・ら」で結婚を前に一生を見つめて戸惑いつつ妥協交じりの結婚を考える女性を歌っており、当時においても昭和的な価値観の歌はヒットしていた。一方で、中島みゆきは「ファイト!」で辛い境遇の中でもがく女性を叱咤しつつ応援しており、この頃に適齢期の男女の中でも、女性は依存しながら男性を立てるといった昭和的な価値観から女性も自立して活躍する価値観にシフトしつつあった。しかしながら地方では依然として男が働き女が家を守るという考えが根強いところもあった。
小泉内閣のせいにされることが多いがこの頃から非正規は増えていた。バブル期に入社した世代は右肩上がりに給与を上げ、そのとばっちりを受ける形で新卒採用が減り労働力市場で供給過多となった。非正規が増えた影響が顕在化するのがITバブルの崩壊とリーマンショックだがその爆弾はすでにこの頃に日本に埋まっていた。
Windows95が発表され大学が主戦場だったインターネットは一気に広まった。パソコンは当たり前となりADSLやケーブルテレビでの高速通信が普及した結果、インターネットブームがさらに加速され動画コンテンツが増えるようになった。この頃、東風荘やYahooでゲームに興じるインドア派が増える。娯楽の充実は恋人と過ごすことに競合する余暇の過ごし方として今後も存在感を増していく。
DVDやCDではエロ動画が視聴できていたが、ブロードバンド+dmmでエロコンテンツへのハードルが下がる。男は金、女は体という暗黙の結婚の武器のうち、女性側の武器が弱体化され恋人の役割を右手が肩代わりすることになる。不景気も相まって女優のレベルが高く男の性欲を満たすには十分すぎるほどであった。さらにXVIDEOSやPornhubなどの無修正、高画質のVRとおかずの進化はとどまることを知らない。
さらにニコニコ動画のブームにより、市民権のなかったオタクに市民権が付与される。ブロードバンドは田舎にも浸透していたため、インターネット上の娯楽の充実は都会、田舎関係なく訪れた。その結果、恋人がいなくても夜の退屈さがなくなり、社会全体としてデートのニーズが相対的に弱まった。
永久就職とかつて呼ばれた結婚について、配偶者を探す活動を就活になぞらえて婚活と呼んで始まったが、相手があっての結婚ではなく目的化した結婚になった結果、その前段階である出会いにステータスが入り込み、逆に恋愛のハードルを上げてしまった。テレビ朝日ワイド!スクランブルに出演した玉の輿にのるために38万円の高額婚活会社を利用するR子さんの「年収400万円では化粧品も買えない」は当時派手にバズり、完全なATM扱いに適齢期男性がドン引き。この人が悪いわけではないが2005年の女性専用車両のネットミームも背景にこの頃から男女に分断が生まれ始めた。
団塊ジュニアが続々結婚し始めた頃、Facebookの流行で学歴や経歴をオープンにする機会が増え、ステータスが可視化された。その結果夫の収入でマウントを取る女性が続出し女性側のカーストにもつながった。配偶者のステータスでマウントをとること自体は昭和の時代からあった女性にありがちな行動だが、SNSによってそれが町内という小さなコミュニティから同級生や会社単位に拡大され、妥協して結婚するよりも高めを狙う傾向が顕著に。さらに、この頃すでに子供がいる世帯ではキャラ弁の写真をアップする主婦が現れる。賛否両論あり否が優勢のまま終息したが、時間のかけられる専業主婦が共働き主婦の普通の弁当にマウントを取る形で「共働き=負け組」を印象付けた。この世代は家庭科の必修が小学校のみなので女性が働いていても女性に家事が押し付けられることが多かった。ちょうどこの頃、負け組としてコンプレックスを抱いていた男により、秋葉原で大量の通り魔事件が発生する。
サブプライム住宅ローンに端を発した金融危機はリーマン・ブラザーズHDの破綻を招きそこから連鎖的に世界金融危機が発生した。これにより多くの非正規の雇止めが発生し、特に女性において非正規社員と結婚しようというインセンティブが大幅に下がった。
食洗機、ロボット掃除機、ドラム式洗濯乾燥機といった時短家電(いわゆる新三種の神器)が普及した。これにより、独身でも仕事をしながら掃除、洗濯、食事に概ね困らなくなり、家事の分担需要が相対的に低下した。
団塊Jr.世代(1970~1980生)は高学歴化によって結婚の年齢が4年~6年程度その親の世代よりも遅くなり、30歳で結婚していないのは珍しくなくなっていた。ちょうどその世代の適齢期となる00年代は娯楽が充実、進化をして男女ペアにならなくても楽しめるエンターテインメントが爆増したこと、価値観のアップデートができないまま専業主婦として高収入を望む女性と、その視界に入らない男性、娯楽の充実で配偶者を必要としなくなった男女といった形のニーズのミスマッチが発生。金さえ配ればなんとかなる的な政治家の思いとは裏腹に決定的な解決策が見つからないままタイムアップを迎えた。
5歳くらいの頃の記憶。
母方の祖父母宅で祖父に服を脱がされて体を触られたことがある。
ただ、幼い頃の記憶故にこれが本当にあったことなのか夢なのかが幼少期から確信が持てずモヤモヤしている。
祖父は若い頃から性欲の塊のような人で、中学生の頃の母に対し嫌悪されるような何かをしたという話を母から聞かされたこと。
幼い頃、帰省中の母の腕を撫でようとして激しく拒絶されているのを目撃したこと。
一方で小学校低学年の頃に父に遊びで体をくすぐられ、思わず性的な快感を感じてしまったことを指摘され恥をかいた自分自身の体験と混同しているのかもしれない。
確信も無いのに気軽に人に話して祖父に冤罪を着せたくないという思いもあって、ずっとこのことを誰にも話せずにいる。
以上の経験からか、昔から自分は肌を露出するのに抵抗があり、特に脚を出すのが嫌で服のことで何度も母と喧嘩した。
小中学生のときは水着と体操服をどうしても着たくなくて何度も体育をズル休みしたし、修学旅行の入浴も体調不良を装って入浴の時間をずらしてもらったり、高校はプールがないかどうかで選ぶくらいだったので病的だったと思う。