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はてなキーワード: 小学校とは

2022-11-16

保育園足りない問題がなんの解決もしてないのに、子どもを何人も作るのかがわからない。

兄弟みんな別々の保育園に預けるのしんどいってツイートみて思ったんだけどさ。

子ども作る時って「仕事もあるし保育園入れないとね、けどいま待機児童の話もあるね。難しいかな?」みたいな話しないの?

ひとりならまだわかるけど、ひとり目がまだ登園期間なのに、ふたり目作るのなんで?保育園通園ではしごする未来予測できなかったの??

政府対策を進めて、欲しいのに産めない状態から抜け出すのが、最重要なのはそりゃそう。けどさ、いまの状況でできる最善の選択するのが大事なんじゃないのか?違うの?ひとり目が小学校あがるまで待てないの?ふたりめ作るの。

一人称アップデートに失敗した

多くの男性幼稚園から小学校にあがる間に一人称を「僕」から「俺」にアップデートすると思う。

しかし、世間の潮流に刃向かい「僕」のまま通してしまった結果、一人称を見失ってしまった。

成人が人前で「僕」を使うのはなんだか気持ち悪く女々しい印象もあるし、

「俺」を使うにしても、自分自身はそんな強気性格でもない。困ったなあ。

ロリコンから欲望のはけ口を奪わないで

小学校でも中学校でも、青春時代も、いつでも

孤独だった

彼女はおろか、女性と手を繋いだこともない

だけど、女がクラスにいた時代は、生活が明るかった

彼女たちの笑顔が輝いていた

大人の女は、いつでも他人距離感にいる

お互いを尊重できる距離

から何も感じない

二次元ロリけが救いだった

アルバムの続きの世界線が、絵の向こうに広がっていた

オレは

異性に焦がれるのを運命づけられてるのに

愛があり得ない

恋もあり得ない

その上、性欲さえも剥ぎ取られるのか

乾いた砂の海に沈められていく

2022-11-15

anond:20221115235328

幼稚園とか小学校とかで招いて話聞く機会なかったの?

自分の子供の頃が知的障碍者レベルでヤバかった気がする

なんか記憶に残ってるんだけど

 

小学校低学年か幼稚園児かのとき

外で遊んで帰ってきた後に母親

「ねぇ~これ見て~😁 汚れちゃったー」

って手に付いたものを見せてるんだけど

それ、猫かなんかのウンコ💩なんだよな。

母親ドン引きした顔をなんとなく覚えている。

当時の俺はうんこだってことは気づいてなくて、なんかねっちょりした土汚れみたいな気持ちで見せてたと思う。

でもやべー奴だよな。

母親のことは毒親だと思ってて縁切ってるけど、でも俺も悪かったかもしれんわ。すまんな。

私とぎょう虫物語

子どもの頃、尻の穴にぎょう虫を飼っていた。飼っていたというか、気付いたらそこにいた。

気付いたきっかけは何だったかお腹の弱い子どもだったのでよく粘液便が出ていた。おそらく粘液便を拭いたティッシュに一緒に付いていたのだろう。何となくイメージが頭に残っているのでよくある組み合わせだったはずだ。それはうねうねと動く、細い白い何かだった。最初は驚いたはず。だけどなぜか親に言えなかった。言えば良くないことが起こる気がしたのだろう。

ああ、段々と思い出してきた。そう、最初はペーパーに元々ついていたのか?と思ったのだった。壁付きのホルダーにセットされているトイレットペーパーを手にとって確認するがもちろんこんな生き物はついていない。今までの何千回ものトイレでも見たことはない。もしかしてまさか…尻に付いていたのか?ティッシュに付いた白い2匹のそれをギュッと挟み潰して、新しいペーパーを取ってもう一度尻の穴を拭う。いない。そういえば尻の穴が痒い。私は何を思ったかティッシュを尻の穴の中に突っ込んだ。グリグリ入口近くを拭う。

そこにいたのだ。どうしたどうしたと驚いたかのように、その場でうねうねと動く、やつらだった。

それからというもの、家でトイレに行くたびに尻の穴を拭うのが私の新しい習慣になった。大体いつも2〜3匹は取れる。

自分でもなぜそんなことをしたのかわからないし皆さんも信じられないだろうけれど、私は毎回それを指先に取って挟んでプチプチッと潰していた。潰すと弾けるような、プチッとした感触と独特の生臭さのような匂いがあった。

最初は取ればいなくなると思ったのかもしれない。だけどいなくなることはなく、私も慣れてしまってどことなく毎度の楽しみのようにもなっていた。

今書いていても当時の自分がなぜこれを続けていたのかわからない。衛生的にも信じられない。子どもの恐ろしさよ。

誰にも言えなかったし、体内に変なものがいる怖さより親にバレるほうが怖かった。それにこれが尻にいるのが普通なのか、そうでないのかも分からなかったのだ。

そんな日々がしばらく続いたある日、私は尻の穴から取り出した一匹を身ぎれいにさせてから人差し指の先に乗せ、トイレから出て母親に見せた。「これなあに?」と。

ずっと疑問だったのだろう。

それを見た母親は血相を変えて「これはどうしたんだ」「どこにいたんだ」とわたしの腕を掴んで問い詰めてきた。その勢いが恐ろしかった私は瞬時に見せたことをとてつもなく後悔しながら「外にいた」「庭にいた」と嘘をついた。「嘘をつくな」「そんな訳はない」といったことを言われたと思うが、その後はスッと何も言わなくなり怒られもしなかった。その後のことは覚えていない。薬を飲まされたのだろうか??でも調べたところによるとぎょう虫は家族内で感染やすいために一家で薬を飲む必要があるそうだ。姉に当時のことを聞いてみたのだが覚えていないようだった。親には怖くて聞けない…。

ただ、私の記憶ではその後もぎょう虫は変わらず私と一緒に暮らしていて、年一回?のぎょう虫検査にはかからなかった、と思う。検査結果は学校から渡されていたはずだけどそのまま親に渡していたから実際はどうだったのかわからない。

ぎょう虫検査は途中からなくなったと思ったのだけど、今調べると小学校低学年までにしか実施されていなかったらしい。一度は自覚があるのに検査を受けた記憶があるのであれは小学校2〜3年くらいの出来事だったのだろう。

これには後日談がある。

親にぎょう虫がバレて、薬を飲まされたのか飲まされていないのか…私の記憶ではしばらくは飼っていたはずだけれども、いつしかぎょう虫はいなくなり、かつて共生していたことも忘れて生活していたある日のことだ。

ふんばって出した便に白い寄生虫らしきものがまとわりついて?いたのだ。それはぎょう虫の何十倍も大きく、便器の中で動いているのを立っていても視認できた。便から何匹も?頭を出してふよふよと水の中を漂っていた。しばらくぶりの寄生虫との邂逅に驚いた私はそれを「ぎょう虫の親玉だ!」と思ってしまった。そしてしばらく迷ったもののまた親にぎょう虫がいたことを伝える勇気を持つことができずそのまま流してしまった。それ以来、私の尻の穴にはぎょう虫は完全にいなくなった。

今思えばあれはうどんだったのかもしれない。ぎょう虫に親玉はいないし、あのサイズ親玉ならそれは別の寄生虫だったのだろう。それはそれで恐ろしいが。

以上が私のぎょう虫物語である

ここから学ぶことは、子どもは怒られそうなことは親には言わないということである普段から子ども心理的安全性を築いていけるよう努力したい。

追記

30代半ば

四国田舎育ち

ぎょう虫時代ペットなし、再会時は犬を飼っていた。家庭菜園コンポスト有り

爪を噛む癖があったので感染経路はそこだと思う。みんなも気をつけて(?)

私と親との心理的安全性はまだ築けてないです…

2022-11-14

anond:20221114123119

両親は勉強できない。記憶力なさすぎて小学校社会科とか漢字テストは0点ばっか取ってた。遺伝的に低身長で顔もイケメンというわけではなくついでにアスペコミュ障だった俺は努力と諦めの悪さでダラダラ積み上げて旧帝院卒で年収は周りの金融とかコンサル連中よりはかなり低いがまあ1100万くらいでやってる。

この歳まで生きてきて思うのは、才能だけでやっていくなら20代でぶっちぎって人生アガらないと難しいだろうということだな。それ以降はなんだかんだ継続性が効いてくるフェーズになる。

anond:20221114224444

赤ちゃん時代からいきなりタワマン80階ぐらいで都会の空気に慣れると良さそう

附属小学校放課後はタワマンSAPIXの間を有楽町線でウロチョロしよう

諺は慣用句に過ぎず「人生TIPS集」ではない

って小学校で教わってない人って結構多いのかな。

俺は小学校の時に教員が3回変わったけど3人とも「まあこんなのは使いやす表現ってだけだ。これが正しいってわけじゃねえよ。馬鹿が休むに似たりだからって考えるの辞めたらそこでもう人生終わりだから最後まで頭使えよ」みたいな話をしていたように思う。

でもそうじゃない人って結構いるみたいなんだよな。

「こういう諺にもある通り、つまりはそういうことなのだよ」みたいな言い方をする人が。

まり彼らが言うには「諺にもなるぐらい昔からよく合ったこなのだから、今だってまずそうなんだ」ということらしい。

いやそうでもないだろ。

人生万事塞翁が馬と言えるような転がり方をすることなんて珍しいし、七転八倒はしなければいけないって意味じゃない。

転んでもただでは起きないってのは性格の話であって、無理して利益を得ようとする人間の方がかえって痛い目を見たりする。

そういう感覚を持たず、「こういう名言があるらしい。つまり正しいようだ」という短絡的な思考でずっと生きている人がいる。

これぞまさに「休むに似たりだからと割り切って考えることを辞めてしまった馬鹿」という奴なんだろうかなと思う。

実際どうなんでしょうね。

結構いるんですかねそういう歪んだ教育を受けた人が。

空気読めずにめちゃくちゃアプローチしてきた職場アラフォー男、今思うと発達障害とかだったんだろうな

こちらは好きでもないのに、職場飲み会始まる前に「今から増田ちゃんが好きってみんなの前で言うわー」とか、言ったらさぞ私が喜ぶと思ってる顔で私に宣言してきたり

毎日デスクに好きとか書いた置き手紙してったり、迷惑だったしよくそんな小学校低学年みたいな汚い字を恥ずかしげもなく好きな相手に見せられるなって感じだった

最悪だったな

anond:20221113175915

こういう管理人さん的な仕事ぶりのやつがゴロゴロいてうんざりする。

ルールは守ってくださいねー」

マナー違反ダメですよー」

そうじゃねえだろ。

お前のやってるのはビジネスなんだから、成果を出せよ。

客が払うと言うなら、可能な限り多くの労働時間をつけさせて会社従業員利益に貢献しろ

払うと言わないなら、払うと言うようにアウトプットクオリティを上げろ。

クオリティが上がらないなら、無能のケツを蹴り飛ばせ。

「あの子がズルしてるー」

小学校学級委員長かよ。

そんなことはどうでもいいんだよ。

仕事しろ仕事を。

小学校の後半か中学ぐらいに租税教室ってあって、税務署の方から人が来て

「君たちが学校に通うために、エー、ひとりあたり年間百万円ぐらいの税金が使われているのです・・・

「ここまでで質問ありませんか」

僕「学校通えなくていいので、毎年僕に百万ください」

そのあと学校中の教師に引っ叩かれました。ウソですけど。

三十路女の恋愛遍歴

「女の恋は上書き保存」などと言われるが、私はこれまで好きになった人たちの誕生日すら忘れていない。

30年間で12人。片思い失恋ほとんどだが全て良い思い出だ。

今更誰かに話せるようなものでもないが、自分の中だけに留めておくのも勿体無いのでここに放流しておく。

1人目 K.D.くん

幼稚園年中〜年長のころ

幼稚園で同じ組の子

一人称が「オレ」なのがかっこよくて好きだった。

小学校に上がる際、親の転勤でどこかへ行ってしまい、好きと伝えることはなかった。

2人目 K.Y.くん①

小学校1年生〜4年生のころ

同じクラスの子

顔がかっこよくてスポーツ万能で、いわゆるカースト上位の男の子だった。

小学校2年生の頃に仲良しの女の子に彼のことが好きだと内緒の恋バナをしたところ、翌日には本人にバラされてしまいとても嫌だった思い出がある。

そのときは「もう好きじゃない」などと言って誤魔化したが、結局クラス替えで離れるまでずっと好きだった

3人目 K.Y.くん②

小学校5年生のころ

同じクラスの子

小柄で顔立ちが整っている、可愛い男の子だった。

クラスで1番可愛い女の子も彼のことが好きで、どうやら両思いのようだったのでそのまま好きでいることがつらかった。

このころ、自作ホームページに彼をキャラクター化した絵を載せていた黒歴史がある。

4人目 I.M.くん

小学校6年生のころ

同じクラスの子

ガキ大将タイプで少し粗暴な、学内カーストトップ男の子だった。

小学生なのに「女子」ではなく「女の子」と言うところが好きだった。

このクラスではくじ引き席替えをしていたのだが、先生のくじの作り方のクセを見抜き毎回必ず隣の席か同じ班になるようにしていた。しかしそれで仲が深まるということは特になかった。

高校生の頃、風の噂で彼が薬物か何かで少年鑑別所に入ったことを知り、少し切ない気持ちになった。

5人目 M.T.くん

中学1年生〜2年生のころ

隣のクラスの子

背が高く文武両道で人気者の男の子だった。

ある日廊下あくびをしている姿を見かけた時にキュンと来て好きになった。人生で唯一の一目惚れだった。

とにかく人望があり良い話ばかりを耳にするので、その度にどんどん好きになっていったが、ほとんど会話をすることもできないまま「憧れの人」で終わった。

6人目 T.N.先生

高校1年生〜3年生のころ

担任先生

同級生とは違う大人の落ち着きや優しさに惹かれて好きになった。

先生に気に入られたい一心毎日勉強をして、定期テスト模試は常に学年トップだった。

勿論この恋が成就することはなかったが、たいして進学校でもないのに難関大学合格することができたので、人生を変えてくれた恩人だと思っている。

7人目 F.T.くん

大学1年生〜4年生のころ

サークルの同期。

とにかく話が面白く、顔が筋肉痛になるほどずっと笑わせてくれる人だった。

趣味も合いとても仲が良かったが、友達以上になる方法が分からず、彼氏がいる期間を除いてぼんやりとずっと片思いをしていた。

大学4年生の頃、クリスマスバレンタインを二人で過ごせたにも関わらず何もすることが出来ずに終わり、ようやく諦めがついた。

8人目 H.S.くん

大学2年生のころ

ネットで知り合った8つ上の社会人

はじめてできた彼氏だった。

付き合って4回目のデートTシャツから胸毛と背毛がはみ出ているのを見て、さーっと冷めてしまい別れた。

当時は「未成年女子大生を狙う社会人男なんて気持ち悪いし別れてよかったよね!」などと思い体毛ごときで冷めた自分正当化していたものの、4回デートしてもキスすらしなかったのでそれなりに誠実な人だったんだろうなと今となっては思う。

9人目 T.J.くん

大学2年生〜3年生のころ

ネットで知り合った1つ下の大学生。

この人には私がいないとダメだ、と思わせるようなところが好きだった。

1年間付き合ったものの、色々なことがうまく噛み合わずお互いに疲れてしまい別れることになった。

納得して別れたつもりだったが、かなり引きずった。食事ほとんど喉を通らず、風呂も入らず、歯も磨かず、毎日泣いていた記憶がある。半年ほどで落ち着いたが、未だにほんのり未練がある。

今ならもう少し上手く付き合えただろうなあなどと思ってしまう日がたまにある。

10人目 H.K.くん

社会人1年目のころ

会社の同僚。

かなり変わった人だったので告白をされてから少し悩んだものの、見た目が良かったのと猛アタックしてくれるのが嬉しくて付き合った。

愛情表現をたくさんしてくれるので私も出来る限り尽くしていたものの、日々重くなる愛に辟易し1年と経たずに別れた。

その後少ししてからメンタルを病んでしまったらしく、長期休職後に退職していた。私も原因のひとつだったのかもしれないと思いやや責任を感じている。

11人目 M.U.くん

社会人1年目〜3年目のころ

会社の同僚。

頭が良く明るいので会話が楽しく、一緒にいて居心地が良かったので好きになった。

付き合ってから徐々に相手気持ちが離れていくのを感じ、それを繋ぎ止めるのに必死だった。

結局1年ちょっとで振られたものの諦めがつかず、その後も1年ほどセフレの座に甘んじていた。

本気で婚活をしようと思い立ったタイミングでようやく断つことができた。

12人目 夫

社会人4年目〜今

婚活パーティーで知り合った。今の夫。

婚活を始めてからは「恋愛」よりも「結婚のための条件」に重きを置いて出会いを求めていたが、結局好きになってしまったのでふつう恋愛をした。

同棲するとなったときにお互いの個人情報を共有したところ、仮に「結婚のための条件」だけで相手を選んだ場合でもきっと夫を選んでいただろうと思うくらいの人だと分かった。大好きな人オマケで好条件までついてきて、私は大変運が良かったと思う。

夫との恋愛最後にすると誓ったので私の恋は12人で終わり。

ここからもう増えることはないと思う。

2022-11-13

小中の同級生にインスタのフォローを外されていた話

先に断っておくと、彼女とは親しくはない。中学卒業して以来、きちんと会話をしたことはない。フォローを外されていたのを確認して私も彼女フォローをすぐに外した。その程度の関係性だ。



彼女と私は同じ日に生まれた。私たちは同じ町内に実家があった。にもかかわらず全く違う人生を歩んでいることが面白かった。もしかすると見下している気持ちもあったのかもしれない。だからフォロー許可したし、こちらもフォローしていた。


彼女は生まれからずっとこの土地にいた。小学校には保育園からの幼馴染がたくさんいた。父親仕事は詳しく知らないが、母親歯科で働いていると聞いたことがある。近所では有名なヤンキー両親だった。彼女の親は自分の親の家の敷地内に家を建てており(彼女は積○ハウスで家を建てたと自慢していた)、祖父母、おじおば、いとこたちに囲まれ生活していた。

一方の私は転勤族小学校に上がると同時にこの土地引っ越してきた。幼馴染などはおらず、親戚も県内はいなかった。父はブルーカラーホワイトカラーの間のような仕事をしていて(一応大企業の子会社で働いていた)、母は専業主婦だった。


私は小学校あいだ、標準語であったこと、母親が働いていなかったことを理由いじめられた。喋り方が気持ち悪いと言われた。祖父母百貨店で買ってもらったランドセル足跡をつけられ、水をかけられた。ピンポンダッシュをされた。遊ぶときはいつもみんなに置いて行かれた。

同じ誕生日彼女の方がこの土地ではスタンダードだった。彼女の周りには人がたくさんいて、私はひとりだった。近所に住んでいたため、下校のときは本当に惨めだった。みんなで楽しそうに学童に向かう中、私はひとりで家に帰っていた。


中学校に入ってから転機が訪れた。私は定期考査で学年1位を取りまくった。部活動でも表彰された。学級委員生徒会も推薦された。先生からも生徒からも期待され、信頼されていたのを実感できた。常に私は同級生に、私の親は同級生の親に羨ましがられた。認められた、シンプルいじめられなくなった。

一方彼女は成績が芳しくなく、態度も良くなかったため、常に先生たちから怒られていた記憶がある。部活動にも入っていなかったため、小学生のころほど大きなグループ形成できていなかった。

最終的に私は地元で最も偏差値が高かった私立高校に成績優秀者の奨学金で進学した(公立はみんなが行くから嫌だった)。彼女偏差値が30くらいの私立高校に専願で行った。


高校時代の話は割愛しよう。私はうつ病を拗らせたが無事に卒業して、地元大学に進学した。彼女がこの間どうしていたのかは知らない。


大学に入って少しした頃、彼女からインスタグラムフォローされた。

彼女は当時キャバ嬢をしていて、ヤンキーたちとつるんでいる生活毎日投稿されていた。金髪だった。しばらくすると彼氏と付き合い始め、1ヶ月記念、2ヶ月記念、3ヶ月記念……と刻み始めた。

私もちょうど同じ頃、初めて彼氏ができたが、記念日など投稿しなかった(この彼氏とは3年目で別れた)。彼女は何ヶ月記念かに入籍して、数ヶ月後に出産した(子供妊娠週数?も細かく刻んで投稿していた)。

ちなみに成人式ときにはボテ腹振袖を着ていて、やはり妊婦であることを自慢げに投稿していた。私は成人式には行かなかった。

出産後も子供月齢ごとに投稿していた(ストーリー毎日)。この頃から飽きてきて特に注視していなかった。


フォローを外されたことに気がつく数ヶ月前、私は就活で使い終わったリクルートスーツを近所のクリーニング店に出しに行った。そこにいたのだ、彼女が。店員として働いていた。着いてきていた私の母が先に気がついた。

「あら○○ちゃん?」

私は言われるまで気がつかなかった。ふくよかになっていておばさんかと思ったのだ。

かたやパートで働く主婦、かたや結婚どころか彼氏もいない、就活ストレスガリガリに痩せた学生ニート

てっきり結婚して違う地域に住んでいるかと思ったが、親子三世代ここに住み続けていることにも驚いた。

私は地元ではそこそこの企業総合職として内定をもらったので、バリバリ働くつもりではいる。結婚は……できる気がしないので、子供部屋おばさんまっしぐらである

同じ誕生日、同じ地域に住み、同じ空気感の中生きてきた人間人生がここまで違うのか。

私は彼女と目を合わせた。お互い話すことはなかった。私は母に物を託して先に家に帰った。


それから数ヶ月後、インスタグラムフォローを外されていたことに気がついた。いつから外されていたのかは分からない。クリーニング屋の一件の前かもしれない。私はそのまま彼女フォローを外した。たぶんもう互いの人生が交わることはない。

anond:20221113173841

これって成績紐付けよりも出身校紐付けしたいんじゃないか

名門小学校とか出てないと

ホワイト企業に入れなくなるやつだ。

多分そう。

指定席を奪われるケースもある

https://togetter.com/li/1972115

俺が小学校高学年だった30年ぐらい前、母と二人で新幹線指定席に座っていると、

5、6歳ぐらいの男の子を連れた母子車両に入って来た。

その母親が言うには、息子は足が悪く、自由席が空いていないので席を譲ってほしいとのこと。

俺の母が「どうする?譲ってあげる?」と聞いてきたので、俺は間髪入れずに

「なんでだよ!指定席を買ってないくせに卑怯だよ!何考えてんだよ!絶対に譲っちゃ駄目!!」

と捲し立てて母を説得した。その後、ある中年夫婦が席を譲ると申し出て車両を出て行った。

自由席は埋まっているわけだから、乗降スペースで立って過ごすのだろう。

 

大人になって振り返ってみると、あの母子の服は貧乏臭いものだったし、

席を譲ってもいいぐらいの境遇の人たちだったのかもしれない。

一方で、もしかしたら指定席乞食常習犯ではないかとも思っている。

anond:20221113090750

いやうちの地域ガチで信じてる子(あるいは信じてるという演技してる子?)だらけだよ

幼稚園保育園小学校先生は演技し通すし親も同様

サンタなんかいねえよと言う無粋な親もそもそもプレゼントさな虐待親もいないみたいだし

子もサンタは親なんだよとか他の子に言われた事全くないみたい

自分も周りの環境がそうだったか小学校低学年まで素で信じてたし友達も皆そうだった

の子と歳離れてる子とかなら知ってる子もいそうだけど、親が上の子に口止めしてて上の子も敢えて下に言わないのかもしれない

2022-11-12

anond:20221112170341

小学校の時点でスパルタ的に叩き込むので

語学はある程度鬼になってやらないとダメ

2022-11-11

anond:20221111000313

小学校高学年の男ガキも凶悪で糞

あいつらも「スピード出せる俺」に酔ってるわベルを人どかすためのものと思ってるわで

生きる凶器だし責任も問えないっていう最悪

うちの周りのガキ共異様に自転車マナーいいんだよな

一時停止は止まんなきゃだめなんだよーとか言い合いながら走ってる

地域によって指導が違うんかなアレ

anond:20221110191218

小学校高学年の男ガキも凶悪で糞

あいつらも「スピード出せる俺」に酔ってるわベルを人どかすためのものと思ってるわで

生きる凶器だし責任も問えないっていう最悪

絶対車道に出ないしな

2022-11-10

小学校女子が股開いて座ってたおかげで机の下に雪原が広がっていたのが人生ピークだった

anond:20221110073358

「人の嫌がることはすすんでやりましょう」を徹底してるだけやで

小学校の頃に教えられることやで

学校先生お母さん問題

風呂に入りながら、小学校の低学年時分の失敗をふと思い出してしまった。自分担任先生をたびたびお母さんと呼んでしまっていた。

間の悪いことに、こういう言い間違いは同級生の前でこそ言ってしまうもんで、子どもながらに結構はずかしい思いをしたことを覚えてる。

少し話は変わるけど、ちょっと前にNHKヒューマニエンスって番組文字特集をやっていた。

小さい子供は脳が未熟なせいで、鏡文字をよくよく書いてしまうのだそうだ。脳のさまざまな部位を連動させるような、複雑な行動処理が上手くいかないんだって

これだって風呂上りに思い至ったわけですよ。

当時の自分も、脳が発達しきってなかったから、学校先生お母さん問題を起こしてしまっていたのだ、ってね。たぶん。

本題はここから

子どもの頃、自分がお母さん呼ばわりしてしまった先生女性で、幼いころに相手する大人の女性代表格と言えばお母さんだから、脳がバグったんじゃないかって考えてる。

んでもって疑問なのが、当時の先生男性だったのならどうだったのだろうってこと。自分はお父さん呼ばわりしていたのかな、なんて居心地悪く想像しちゃってる。

脳がバグった経緯を考えれば、当然お父さん呼ばわりしてしまいそうなんだけれど、あんまりそんなふうになってないような気がするんだよね。

なんて言うか、学校先生はお母さんと呼ばれる割合の方が多い気がするんだ。

ここからは考えが飛躍しちゃうけど、もしかして小学校低学年の先生女性担当することが多かったりするのかしらん。

あるいは自分の思い違いで、男性先生だったらお父さん呼ばわりしてしまものなのかなあ。

はたまた、男性先生であってもお母さん呼ばわりしてしまったりして。

どうなんだろう。ちょっと気になる。

2022-11-09

なあ弊社

ベンチャーと言いつつもうウン十ウン年、中途採用もしてるから社内の平均年齢も大分上がってしまったね。

なぁ弊社、高卒採用しようぜ。

通常業務高校以降の知識なんか1ミリも使わないか高卒でも大丈夫だよ。なんなら小学校通ったことある?って言語レベルの人もよくいるし、そのレベルを受け入れる土壌もあるよ弊社。

無理に他社と争って新卒採らなくても、若くて活きのいい高卒採った方が良くない?

他人容姿馬鹿にしてはいけない

俺の家族は揃って露悪的だった。

フィギュアスケート家族で見ていて、テレビ鈴木明子選手が映ると、母さんは「デメキンが出てきたよ」と言った。

それを見て俺や兄弟デメキンと呼んでいた。愛称というよりも蔑みが入っていた。

フィギュアスケートシーズンになると何度も見ていた。鈴木明子は毎回出ていた。

もう分別がついていたはずの俺も、家族に交じってデメキンと呼んで馬鹿にしていた。最悪な冬だった。

-

冬は別の意味でも最悪だった。

当時の俺は中学校いじめられていた。

小学校からずっといじめられていたが、中学になっていじめはより苛烈になった。

田舎学校で、スマホも出る前で、娯楽なんてものテレビしかなかった。

学校という小さな社会の中で、出ることも許されない俺は耐えるしかなかった。

俺の荷物が捨てられたり、鼻をかんだティッシュを机の上に置かれたり、

俺がどこのトイレでシコっただの意味不明な噂を流されて、そこのトイレネームトイレになった。

ある年の冬に、露悪的な連中が俺の暴行事件でっち上げて、先生に呼び出されたこともあった。

俺が反論すると、先生は「火のない所に煙は立たない」とか「どっちもどっち」とか言っていた。

そういう冬だった。

-

家でフィギュアを見て、鈴木明子容姿をなじることで、鬱屈とした気持ちを晴らそうとしたのかもしれない。

俺は家で気持ちよくなっていた。母さんや兄弟もそうだったかもしれない。

インキャな俺は人の容姿をあげつらうためのボキャブラリーを持っていなかったが、

目がでかい人に向けて言う「デメキン」だけは備えていた。

これが唯一の武器だった。

この冬に学校女子に絡まれた。

俺のことを気持ちわるがって関わろうとしない女子たちが、

俺にしかできないことを頼みに俺のところへ来た。

お願いする立場でありながら、全員が俺のことを小馬鹿にしていた。

頼みを断れば何をされるか分からない俺は怯えていた。

結局俺は頼みを聞いたのだが、聞いた瞬間に棟梁格の女から信じられないことを言われた。

「○○が出来るからって調子乗んなよ」

まわりも「そうだ」と言わんばかりで俺を見てくる。

その中に、ひときわ目の大きい女がいた。

俺はその女をあまり認知していなかったが、

その女も周りと一緒になって、ツンケンした態度で俺を見ていた。

棟梁格の女がそのまま引っ込むと、周囲の女も散らばりはじめたが、

目の大きい女は最後まで残された。

俺は何を思ったのか、あるいはやり返したい一心で「デメキンがよ」と言った。

女は泣き出した。散った女たちが戻ってくる。

女たちがデメキンを慰める。理由を聞くまでもなく女たちは俺を睨みつける。

女の誰かが先生を呼びに行った。俺は先生連行された。

この件は10:0で俺が悪いことになった。俺は中学校に行かなくなった。

-

俺は個別塾で勉強して、知り合いが誰も来ないような遠くの高校受験した。

家は裕福ではなかったが、同情した親が頑張って働いてくれた。

高校人間関係リセットする最良の場所だった。

背伸びをして交友関係を広げた。すんなり輪に入ることができた。

なぜ中学あんなにいじめられたのかがよく分からなくなった。

いじめはされる側も原因があるとよく言われるが、俺に過失があったとはどうしても思えない。

高校でたくさん遊んで、髪を染めて、モリモリ勉強した。

俺は都心の、まあまあ自慢できるくらいの大学に入ることができた。

-

大学では遊んでいるほうだった。

不埒サークルに入って、不埒人間関係を築いた。

悪い先輩についていって、大人の遊び方をいくつか覚えた。

女のいなし方も覚えた。実践を重ねて身に着けた。

なんとなく付き合って、なんとなく別れることを繰り返した。

セフレ複数人抱えたり、女を泣かせたりもした。

こんなところに出てくる中学同級生は、どれだけいただろうか。

俺は悪い優越感に浸っていた。風の噂だと、そのころに中学の連中はポコポコ結婚していた。

こんな早く結婚するのは田舎者のすることだと思って馬鹿にした。

-

大学で、いろいろな界隈に首を突っ込んでいたときに、

ある女性と知り合うことになった。

かわいい声、タイプの背丈、服やメイクもいい感じ。

音楽趣味も合うので、たくさん喋った。

この人の目は少し出っ張っていた。

でもそんなことが気にならないくらいの速度で、この人を好きになっていた。

仲良くなりたい。お話したい。

俺はこの人がいる、若干アカデミックな界隈に顔を出す頻度が高くなった。

恰好もおとなしい感じに寄って行った。

チャラいのを経由して落ち着いた男はモテるとよく言うが、実際ちょっとモテた。

俺は調子に乗っていた。このまま行けばこの人は落とせると思った。

でも俺がモジモジしている間に、この人には素敵な彼氏が出来た。

-

少しして、また俺はオラつくようになった。

オラついた界隈で遊び相手を作った。

そこで別の女と知り合い、仲良くなった。

さっきの女と雰囲気が似ていた。俺のタイプはこういう感じになっていた。

目が飛び出ていて素敵だった。

俺がモジモジしていたら、女は俺の友達イチャイチャしはじめた。

あとから聞いた話だと、このころからセフレとも恋人とも言えない関係になっていたらしい。

俺はただ遊びでイチャイチャしているだけだと思ってそれを眺めていた。

眺めながらいつ突撃するかモジモジしていた。

そんなときにほかの女が俺に近づいてきた。

俺はその女を抱きながら、先の女を想像していた。

毎回果てる時は、大体その女が脳裏にあった。

-

俺は大学卒業して、かなり人に自慢できる会社に入った。

俺は俺の経歴に満足している。

麻布競馬場や窓際三等兵がネタで擦りまくってるような経歴だ。

仕事は忙しいが、複数の女と遊ぶくらいの余裕はある。

たまに合コンとまではいかないくらいの、男女混合の食事会に呼ばれる。

港区女子みたいなやつと婚活女子みたいなやつが混じっている。

事故みたいなフリをして体を触ったり触られたりしている。

触られるほうが多いかもしれない。

こんなことで喜んでいる、底の浅い人間として天寿を無駄にしている。

そしてこの集まりとある回で、俺は美しい女と出会った。

ウェーブがかった綺麗な髪、赤くてキッとした唇、

そして一際大きな、宝石のような瞳。

結婚したい。俺のものにしたい。

真面目なお付き合いをしたい。

何も真面目なお付き合いを知らない俺ではない。今回はこの人としたい。

そう思って近づいて、仲良くなってすぐに、

つのまにか二人でホテルにいた。

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彼女と何回か合っているうちに、俺は何となく察した。

この女には別に本命がいる。

俺は容姿や経歴でピックアップされた、誰かのスペア。誰かの人生バーター

俺に抱かれているときでも、違う男の夢を見ているようで、

俺がどれだけ言い寄っても、もの悲しさをごまかすような顔をしていた。

そして数か月後に、彼女は返信をしなくなった。

本命クンとうまくいっているのか、俺よりマシなスペアを見つけたのか、分からない。

けれども、それでも、と二週間くらい我慢してから、俺は泣いた。

ヤリ部屋みたいな自室に洗濯物が散らばり始めて、

その中心に座り込んだ時に、突然涙が込み上げてきた。

俺に涙を止める力はなかった。

冬の寒い日だった。

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いま、人生の岐路に立たされている。

素敵な女性と付き合っている。お互いに腰を落ち着けたい感じがある。

このままパワーカップルとしてタワマンに住んで、子供を何人か持つのが、最適な人生だとも思う。

でも彼女は目が出ていない。

このまま彼女結婚して、そのあとに目の出た女性に押されたら、俺はどうする。

不誠実な自分を思って胸がキッとなる。

胸がキッとなるのはこう逡巡するときだけではない。

俺は何人もの、目の出た女性を逃がしてきたが、

毎回反省しても大体同じ結論にたどり着く。

俺は俺がかつて罵った容姿に近い女性を前にして、毎回尻込みしてしまう。

俺は俺がかつて罵った属性相手の横にいる資格があるのか?

俺は俺がかつて罵った時の感情を一生涯一度も相手に向けずにいられるのか?

俺は俺がかつて罵った相手と似た人の近くに居座ろうとする自分を許せるのか?

しかしたらほんの小さい問いかもしれない。

でも俺には前科がある。

テレビの前で無邪気に無辜スポーツ選手を罵り、

自衛としていじめに加わったであろう加害性の低い女を泣かせた。

小さい問いを否定させないだけの説得力がある、前科がある。

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俺はずっとトラウマを抱えている。

帰責性のない女たちへ向けた悪感情が、今の俺にぶっ刺さって苦しめている。

トラウマが原因で尻込みしている節は大いにある。

たとえ男女の出会いは時の運だとしても、そのすべての持ち駒を俺は棄ててしまう自信がある。

それくらい自分に自信がない。

そして今、新しいトラウマとして、

「好みのタイプ女性を一度も自分のものにできなかった」という事実が、

俺に、俺が、植え付けようとしている。

この脆弱性を突かれることがあったときに、

目の出た女性から思わせぶりな態度で来られたときに、

俺は結婚するかもしれないこの女性を、そして生まれてくるかもしれない子供たちを、

幸せにできる自信がない。

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俺は結婚するべきじゃないかもしれない。

結婚する資格もないかもしれない。

ヤフーニュースを見ていたら、イスラエルスケート指導をする鈴木明子記事があった。

写真を見てため息が出た。美しい。

次に涙が出た。俺はこんなに素敵な女性を罵っていたのか。

選手時代写真を食い入るように見た。

涙がポタポタと出た。少し熱っぽくなるのを感じた。

俺は自分が何をしてしまったのかをようやく理解した。

俺があの時に呪ったのは俺自身だったのだ。

そして俺は自分への自信をすっかり失ってしまった。

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他人容姿馬鹿にしてはいけない。

容姿の出来についてその人に責任は全くない。

すべての人間が素敵なものをもって生まれてきている。

他人をブスだと思うなら、間違っているのはその感性のほうだ。

必ずだ。

デメキン」の四文字が、俺を磔にしている。

俺はどういうジジイになるんだろう。

グループホームで目の出た女性を罵りながら死ぬのか、

目の出た女性に許しを請いながら死ぬのか、

普通にそのへんで野垂れ死ぬのか、

からない。

藤子F不二雄の「ノスタル爺」のジジイみたいな、

キショい説教を唱えながら、煙たがられながら死ぬのかもしれない。

何でもいい。何でもいいけど、

俺みたいな過ちを、だれもおかさないようになればいい。

そういう呪いを込めながら、ひとりパソコンに向かっている。

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