はてなキーワード: 女児とは
「理解の出来ない他者」としての親、そして「愛情」という名の甘やかな「支配」について
他者論という観点から見れば、「誰にも否定されない絶対的な真理」を作り出すことは不可能である。一方で「他者」は、単に真理への到達を妨害する忌むべき存在というわけではなく、「私」を自己完結の孤独から救い出す、「無限の可能性」でもある。いかなる哲学、科学、数学を作り出しても、必ずその外部から「違う」と叫び叩き潰してくる、理解不能で残酷な「他者」が現れる。「他者」が現れるからこそ、自己は自己完 結して停滞することなく、無限に問いかけ続けることができる。
レヴィナスによると、「他者」は「理解されえない、言い換えれば包括されることが不可能なものである」とされ、「所有を、私のさまざまな権能を拒む」とされている。すなわち「他者」は、「私」(自己)の内面を切り崩し、空にし、「私」として安住することを辞めさせ、「私」を超えたものを求めざるを得なくさせる。
最後に、くり返しになってしまうがまとめておこう。他者はいつでも私にとっては「理解できぬ不気味な存在」でありえる。その不気味さが同じチームのなかで突然浮かび上がることがあるし、理解という手法でそれを解決することはできない。むしろ、その「理解できなさ」こそが、一種の救いなのだ。他人の心に踏み込んでいったり、他人と自分を同じ存在だと思ってしまったりすると、正常な距離は失われることになってしまう。
だから、互いに「理解できない不気味な他者」として関わり、そしてそれゆえに「共にいる」こと。わたしたちはそうした関係に満足しているべきだし、そうした関係にこそ価値がある。
――ティッシュ専用ゴミ箱2 「女児向けアニメで描かれる「他者の理解できなさ」について。あるいは、女児向けアニメは家族の問題とどのように向き合ってきたか。-『プリティーリズム』『プリパラ』を一例にして」
友田は、折々に「ブライアン氏」が「真空」、すなわち、独りの状態になる必要があると言及していることに着目しました。対するセラピストは、その度に、中立または否定的に、これに応じています。セラピストは理論上は、非指示的であり続けましたが、一般の西欧のセラピストと同様、孤独な状態もしくは真空の状態の治療効果について非常に熱心だったわけではないようです。
友田の見解では、「人間というものの真の飛躍もしくは成長は、完全に一人ぼっちであるときに生起する。個人の飛躍もしくは成長を確かなものにするのは、何らかの人間関係においてか、もしくは現実の世の中においてである。がしかし、真の成長がおこるのは、現実の人間関係においてでもなければ現実の世の中においてでもない」
友田はさらに、「このことはまた、禅の真理である。(中略)カウンセリングに関して言えば、ロジャーズ派の技術の真義は、それらの技術がクライエントを援けて完全に一人ぼっちである状態になるようにすることである。」と続けます。
―中略―
母性的尽力的配慮は相手を甘やかしたり、子ども扱いするものですし、父性的訓育的配慮は相手を支配したり、奴隷化するものでしかないわけです。第三自我形成期(第三反抗期)を超えてレベルⅢの人格に到達することは、本人にとっても周りの人々にとっても、大変難しい困難なことでもあります。
理不尽な強制としてこの世に生を受けた幼子は、若者となり、己の意志でもう一度生誕を決意する。
自分が何者であるかを胸に刻み、望んでこの世界に生まれた二度目の赤子として自分自身の人生を歩み出すのだ。それは神聖なる契約であり、人はそうして連なってきた。それが人をいままで繋いできた。
にゃん太はそれを守るためならば、我が身を灰にしても構わないと思った。ロンダークがそれを知ってくれるのならば、どんなことでもしてやりたいと思った。
世界、つまり親による絶対的かつ暴力的な侮辱によって、人は育っていく
愛情という名の「自己犠牲」、それと表裏一体の過干渉という、そのさらに裏にある「自己憐憫・自己満足」は人を根腐れさせる
あなたと私は違う
だから、あなたは世界からの期待に応えなくても良いし、応えても善い
あなたの両の目が見て、耳で聞いて、触れ、脳内で像を結んだものだけが「世界」に過ぎない
それ故に、あなたが何と対峙するかすらもあなた自身の問題である
@Gesu_Masuda
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/iidaichishi/20191110-00150292/
学校でやったアンケートだから『先生ウケが良さそうなもの』を書く子が多そう
(漫画よりは図書館にあるような本、単なる娯楽本よりは学習本の類を書く子が多そう、って意味で)って考えても妥当だし、
むしろ「それでも男女とも上位なコナンすげえ」って話なんだがこれ。
あとズッコケはとっくに死んでるよ…今の小学生ほぼ知らんよ…完結して15年経ってるし…
あとゾロリなんかと違ってリアル日本が舞台でファンタジー成分も薄めな分、描写も古いだろうしなあ。
逆にゾロリは30年経った今でも人気あるんだよね。最近の売上は同出版社類似ジャンルのおしりたんていに負けてるけど
(まあゾロリはほぼ男児向けだけどおしりたんていは女児人気も高い、って違いはあるんだけど。
ゾロリとよく一緒くたにされるが、実はあんま下品じゃないんだよなおしりたんてい)
テーマカラーは白と黒、女児向けなのに殴り合いのガチバトル、をやってそれがウケたからシリーズ化されたのに
今は結局カラフルでセンターがピンクで殴らず魔法のようなもので戦う、保守的な魔法少女ものの枠に収まってしまった、
(製作者側もそれ分かってるから、他の所でやたらジェンダーに気を使ってますよ描写やってそれを必死で宣伝してるんだが)
アンパンマンのアンパンチも先日話題になったし、あれは「直接殴るシーンは描かない」「殴ってるのはばいきんまんじゃなくて乗ってるマシンの方」だし
とらじろうじゃなくてしまじろうも、「『女らしい』大人しめの女キャラしかいない」「母親が全員専業主婦」は問題だとして
「運動が得意でしっかりもののお姉さんキャラ、母親は働くシングルマザー」なにゃっきいを新たに加えたりしてる。
(子供におもちゃ売るのが目的なホビーアニメと違ってベネッセは「親に教育教材を売る」企業なせいかその辺の意識は結構高い。
だから最近(と言ってももう10年以上だよな)のディズニーのプリンセスものはそういうの避けてるってのも散々言われてるだろうが。
古いディズニープリンセスもプリンセスだけをまとめ売りが定着して、最早対になる王子様が誰なのか分からない子供の方が多いくらいだ
(キャラクターとしてのディズニープリンセスは知っていても、元となった映画は見た事ない子の方が多いわけだし)
増田がそういうの知らないだけだろ。
低年齢向けの方が親の顔色伺ってその辺敏感だよ。小学生以上向けの方が酷い。
出演者はノンケなのに腐女子にホモもいけると勘違いされるのかわいそう
巨乳ポスターがキモイからって炎上してるけど、ホモも巨乳も一緒に規制しちゃえよ、キモイから
てか増田はぶっちゃけロリコンだから巨乳キャラは消えてくれた方がうれしいね
ツイフェミはロリコンの味方だね、どんどん巨乳を叩いてくれていいよ
だいだい第二次性徴で胸が膨らむってことはセックスするための体の変化だからね、キモイよ
そこを強調した巨乳キャラなんて男根を求めるビッチな内面を体で表現してるわけだからホント汚らしい
女性キャラはやっぱセックスとは無縁の第二次性徴前の少女じゃなきゃダメだよね
そういう意味で女児アニメは素晴らしいよ、清らかな少女たちが毎回頑張る姿は美しいし、
それを見てる女の子たちもまさかロリコンが下半身丸出しで毎週同じアニメ見てるとはこれっぽっちも思ってないだろうね
同じアニメ見てる女の子にそのことを教えたらどんな顔するか想像すると自分でも信じられないくらい興奮するから毎週アニメ見ながら射精しちゃう
なお女児に人気な模様
みんなのかんそう
弟くん登場でとんでもないことに!?そんな過去が.....!
最近ドはまりの四つ子暮らし?続きが楽しみすぎて!!角川つばさ文庫神!!!!
大好きな本ありすぎて...✨✨
三風が可愛い( ☆∀☆)
めっちゃ感動〜!
ヤバかった!
すっごく感動した!次も楽しみにしてます!
萌え絵を一種の様式であるとするなら、オタクどうこうではなく純粋に影響関係があって絵柄が似通ってれば萌え絵と判定していいと思うが。
萌え絵の典型をもえたんハルヒらきすた辺りに求めるとして、その典型から離れた絵柄なら萌え絵じゃないと言うなら、これ萌え絵じゃなくね? ってオタクコンテンツは絶対出てくるし、いやあれもこれも萌え絵でしょ、と言うなら、必然的にそこにはいわゆるオタクコンテンツじゃない女児向けアニメや子供向け絵本の絵も含まれてくるよねという。
だって、宇崎ちゃんと艦これとToHeartを含むけどプリキュアと氷菓を含まない「萌え絵」の定義なんてどうやって作るのさ。無理でしょ。氷菓はOKとか擁護してた人もいたけどあれも萌え絵だよ……
というか、連中の「萌え絵」の定義どこか狂ってるよな。エロいアニメ絵を「萌え絵」と呼んでるように思える。エロければ「アニメ絵だけど萌え絵ではないでしょ」みたいなのも積極的に萌え絵と呼んでエロさがなくて女子向けっぽく思えればいくら萌え絵に近い絵柄でも「萌え絵じゃない!」って言い張ってるみたいな印象。
フェミニストの「萌え絵」語りを聞いてると、いや、それはおっさんオタクからすると萌え絵ではないのだが……そしてあなたが萌え絵ではないと必死に擁護しているそれはどう見ても萌え絵なのだが……みたいな違和感がどうしても付きまとって離れない。
あれだなお前らもえたんとか知らないな?
いや別に知らんなら知らんでいいんだけどだったら絵の様式とかについて話をする資格が微塵もなくないか? っていう。
萌え絵の厳密な定義を作ろうとするなら「いや宇崎ちゃんは萌え絵じゃないです」になるか「そうです、あれもこれも、そしてあなたが好きなそのコンテンツも萌え絵なのです」になるしかないから、露出率とか肌色の割合とかのもうちょっと客観的な点で是非を論じた方がいいと思うんだけどねえ……
逆にフェチ要素のない女児アニメ・マンガ風の人物絵が萌えとされることもあるし
ただ多くの場合、女児アニメ・マンガ的なデフォルメ(目がデカイ/幼い)とフェチ要素の2要素を満たすものが萌え絵とされると思うけど
または
女児向けコミックなどに多く見られる kawaii (目が大きい、きらきら、幼い)を盛り込んだデフォルメ調の人物画あるいは亜人画。
kawaii のみであれば近年歓迎される風潮にあるが、
まず、当増田は
・女性で成人している。
・服薬しておりおそらく一生服薬する必要があるので献血はできない。注射がマジで嫌いで怖いのでこれまでもしたことはない。予防接種だけでたくさんだ。毎年インフル打ってるし麻疹風疹もこの前打ち直したんだぞ。
・「宇崎ちゃん」について侃侃諤諤の記事もブコメしか見てない。何なら火付け役になったという弁護士?さんの話も見てない。
・たぶん誰かと意見かぶってるし、「その話はもう決着してる」みたいなアレを繰り返してる可能性ある。
タイトルに関する結論から言うと、「二頭身キャラの無難路線かリアリティ追求型のドラマ仕立てにするとかしてほしい。エロキャラとか露骨に下ネタを連想させるものはやめてほしい」。となる。
ポスターはツイッターが話題になるより先に見た。新宿西口んとこの献血センターの前に出てた。
一番最近見たときは、確かAKBだか他の誰だか知らんけどそういうアイドル?の集合写真的なのになってた。あれもちょっとキモいなと思ってる。
ジャニーズとか韓流アイドルとか男性主人公もののアニメあるいはソシャゲとかでもキモいと感じるとは思う。
まず宇崎ちゃんはイヤだな流石に。あの巨乳強調ぷりのファンタジックな過剰さがイヤだ。宇崎ちゃん本人の無防備さが余計にイヤだ。
宇崎ちゃんに限らず、どころかオタク向けにさえ限らず、男女どちら向けであるかも問わず、あの「無防備にエロくある瞬間のエロさ」を狙って描いてる感じが最高にイヤだ。freeee!(だっけ?すいませんeの数よくわかりません)とか刀剣乱舞の裸体(なんかズタボロになると脱ぐみたいなヤツとだけ知ってる)とかもすげえイヤ。女児の逆上がりのパンツを盗撮する人間に対する嫌悪感に近い。
「見えた」は仕方がない。「見えて、エロいと思った」も仕方がない。その「エロいと思った」もののエロスを人と共有せんとして表現するなら場は弁えてくれ、という感じだ。
「無防備のエロス」をああいう風に肯定的に提示されてると「そう見られたくないならば自衛しなければならない」という警戒感を嫌でも喚起するし、献血という一定時間他人に身を任せてじっとしてなきゃならない場所&行為でまでなんでそんな警戒せなあかんのやという疲労感がやばい。医療なんて患者に不信抱かせたら終わりみたいなところあるのに本当よく起用したよなー。
話が飛ぶけど去年の夏だったか今年の夏だったか、FGOの菓子で、夏の限定のイラスト?かなんかのプリントのがあったろ?なんかすごいハイレグというかもはや尻だろくらいのやつ。昼ごはんのあとのデザートがわりに駄菓子漁ってるとあれが目に入ってマジで萎えてた。メシ食いたいときに性欲喚起狙ったもの出されても不潔感しか残らないんだけど、みたいな。そういうTPOマジわきまえてほしい。なんであの主人公の女の子さんが美味しそうにスイーツ食ってるとかの絵にしないのか本当謎。美男美女のでも昼時の空腹時に乳尻太もも見たくねえだろ普通。特に尻は。どんな美尻でもうんこが出てくるところだぞ。
さらに話はズレるが、大和証券のルパン三世の広告、駅で見かけるけどアレもやめてほしい。キモくはないけど不快。「ルパン一味に資産運用の兆し!」とかいう煽り文句が寒すぎて笑える。連中は資産運用してる奴らからかっぱらう側だろうが。そういうコンテンツとして精度が低いものはもう広告としても下の下で終わってるっていうの、いい加減偉い人は気がつかないのかね。
閑話休題、前述したように私は献血には行けないし行かない。輸血する機会もこれまでなかったし、予定としては今後もない。
自然、通勤の関係で毎日のように通る道で「無防備にエロくある瞬間のエロさを強調したファンタジー絵」を目に入れるという不快さだけ残ることになる。
良いんじゃないでしょうか、法制化。表現規制。ゾーニング。という気持ちだけが募る。わたくしもちゃんと性欲はあるし程度によるが加害的な性的コンテンツも好む日もあるので、そういうときはちゃんとおうちで一人で楽しめるようにはなってほしい。
でもブコメにあるみたいに、「女体大好きでもいいじゃん。男体も大好きだし。どっちもオーケーにしていこうよ」みたいなのはマジでイヤ。四六時中いつもどこでもセクシャルなものを見せられるのは嫌。脱・セクシャルな空間が欲しいし、公共の場はそうあってほしい。
故に、サンリオのキティちゃんさんとかポケモンみたいな二頭身系か、もっとガチの社会派ドラマ仕立てのオリジナルショートムービーとか作って献血業界(?)独自のコンテンツとして育てていくとかするのがいいと思う。
少なくともあのポスターはダメだし、「法律に従えばダメじゃありません」ということなら法制化に手を貸すよね、みたいな話。
あと献血ができない・したくない人を煽るのもやめろって話。
少なくとも免許持ってない人間がやったらお縄を頂戴するような行為なんだぞ他人に針刺して血を抜くというのは。恐怖感があって当然だ。やらない人間を「怖いんスかwww」とおちょくるのなんて最悪だ。そういう思いやりのない言動を血を抜く側が提示しちゃダメだろ。もはや心理的安全性が非業の死を遂げてまうし、いわゆる「男のジェンダー」を強化するという点でもクソすぎるセリフでしかない。そんなセリフしかつかない絵柄ならポスターに起用してんじゃねえよ。
製作者のフェチ または 女児向けコミックなどに多く見られる kawaii (目が大きい、きらきら、幼い)を盛り込んだデフォルメ調の人物画あるいは亜人画。
kawaii のみであれば近年歓迎される風潮にあるが、フェチを盛り込んだ(胸やボディラインの強調)人物画は、高まるコンプライアンス意識により、しばし炎上の元となっている。
また、フェチを盛り込んだ萌え絵に対する嫌悪感から、フェチ要素のないkawaii萌え絵が謂れのない非難の対象となることがしばしある。
だが、萌え絵を厳しい立場に置いている要因は、フェチ要素がなくkawaiiのみで構成された萌え絵を用いてポルノコミックスが量産され、
未成年者やポルノを望まない人間にも容易にインターネットで目に入ることにある。
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プリキュアの絵の人のやつは、あれを嫌がる老害世代と若い世代の絵柄の好みの違いが根本的な理由と思う。
で、”今風の絵” の中に “その時代での主流の萌え絵” や “女児の好む絵” や “ユニセックスなアニメの垢抜けた絵” や “ライトノベルのアニメ系表紙” なんかがある。あまり影響受けてなさそうな少年誌でさえ、流行の絵の影響は受けてる。
だから、同じ時代であれば女児の好む絵と萌え絵に共通点あるのはおかしくない。根本的にその時代の流行の表現というベースが同じだから。
女児だって流行に敏感だからね。そういう流行をちゃんと考えてプリキュアのキャラデザとか行われてる。
これをわからんで、ぜんぶ萌え絵みたいにレッテル貼りたがるのは、自分のわからない文化の些細な違いがわからない、外国人の顔の違いがわからないみたいなもので、そういうわからん奴にはみんな同じに見えてるのよ。だから絵本を萌え絵だとかラノベの表紙をエロ漫画だとかいう。
ここからは俺個人の曲がりなりにも絵を描いているものとしての意見だが、基本的に萌え絵ですと言って一番問題ないのはその描き手くらいだと思う。どんな絵柄だとしても描いた本人が萌え絵です、っていったら萌えを狙うために描いたんだなって意味になるしそこには貴賤はないっていうか。それで実際に萌えるかどうかは受け手の好みの問題だから俺は萌えねーってのは当然ある。
次にあり得そうなのは、イラストの依頼とかで「〜風の萌え絵系の絵柄でお願いします」みたいなジャンルの提示として使われる場合かな。ただこの場合でも萌え絵の定義ってかなり曖昧だし流行の変化激しいから、もっと具体的な方がいいよね。
三番目にまぁ譲ってありかなって思うのは受け手が「これは俺にとって萌え絵だー」ってケースかな。そう思うのはみんな個人の自由だしそれで作者やほかのファンに迷惑かけないなら何で萌えようがおかずにしようがいいと思う。
これらのどれにも当てはまらない、作者でも企画者でも受け手でもない第三者が横から萌え絵だ!って定義するのは一番わけわかんないよね。絶対ややこしくなるやつだしろくでもないと思う。
僕を含めた世間の愚衆には理解出来ない対象を嗜好しているにも関わらず、ずば抜けた熱意と説得力を以ってそれを納得させてしまう変態がいる。
最近見かけた中では「子供用パジャマのカタログ写真で抜く」という変態の文章が極めて秀逸だった。8歳くらいがいい、男児と女児ならどちらかと言えば男児、外国人ではなく日本人、且つパジャマ。パジャマでなければ駄目。僕の拙い文章では再現出来ないが、画面越しにフリックする手が火傷しそうになるほど彼は熱く語っていた。ペドでもなくパジャマにも興味のない僕も、つい近所の西○屋に行ってチラシを貰って来たくなった。
好きな対象を熱く熱く熱苦しく語る変態はただでさえ素晴らしい。表現力が合わされば最高だ。そんな人々に出会うために僕は生きている。
いい変態は好きな物に対してまっすぐだ。まっすぐ故に人を傷付けたり犯罪行為に走るのは言語道断だが、そうでないまっすぐな変態からは美しさすら感じられる。
変態を誇りたがる連中のほとんどは自分にキャラ付けをしたいだけのエセ変態だ。偽者共は他者と張り合うために変態と名乗り、表立って下品な言葉を口にしたり自分がいかに変わった物を好きであるかを喧しく語りたがる。僕も下品な物言いこそ嫌いだが、増田にこんなことを書いてしまっている辺り、きっとエセ変態の一人なのだろう。
僕が本物だと感じた変態は、大抵少し後ろめたそうな雰囲気を纏っている。あるいは自分が変態という自覚をほとんど持っていない。後者はとても貴重な存在だ。世間の目に流されないまま、気付きすらしないまま、自然に、直向きに、魅力を感じた物を愛している。もしも周りにそんな変態がいたら、どうかそっとしておいて欲しい。少なくとも彼らの心を常識でへし折りに行くような真似だけはしないで欲しい。