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2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.1

オウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、平成20年大学生へ向けて書いた手紙忠告)をまとめました。

目次はこちら

【vol.1「カルトに係わる契機」】

【vol.2「宗教的経験(前半)」】

【vol.3「宗教的経験(後半)」】

【vol.4「恐怖心の喚起」】

【vol.5「規範意識を変容させる集団」】

【vol.6「まとめ」】

初めに

Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET

上記事は1995年に書かれたそうですが、非常に面白かったです。特に、この宗教界からオウム真理教へのAnswerの一つとして

若者たちの超常的ニーズに応えたオウム真理教ナウい教化法

が挙げられていましたね。同様に

若者宗教志向性は今後どのように展開するのか、それにたいして教義・教学はどう対応するのか。こうしたけっして容易でない問題への組織的取り組みこそが、いま教団内で強く求められているのではないでしょうか。

と前述のエントリで書かれていますが、一般人である私たちこそ(まさに自分も学ぶべきだと)理解すべき項目は全く逆で、特定の宗教比較した“教義や教化法の差”ではなく、それを信じてしま人間側の“信仰生成過程不可思議さ”でしょう。何故なら人は何かを“信じる”ことなしに、決して生きられず、常にオウムのような組織や教化法と隣合わせに生活しているからです。一度信仰を持った人にとって、その世界観は絶対であり、いくら一般的な通念に反した教義だとしても、自分の方が正しい生き方を貫いていると固辞してしまます

では頑な信仰は、一体どのように形成されていくのでしょうか?そして今の時代を生きる若者宗教志向性は、時代によって変化しているのでしょうか?

この問いの核心に迫り、私が最近読んで非常に共感した文章があります。それがオウム信者であり、地下鉄サリン事件実行犯、広瀬健一氏の獄中手記です。

ところで、この文章を執筆している私ですが、昭和平成のちょうど狭間くらいに生まれました。“地下鉄サリン事件”は、平成7年1995年)に起こり、当時から今でも語り継がれている重大な事件です。ただ、私が育って物心がちょうど付いた頃くらいから“オウム真理教”や“松本智津夫被告”という言葉TVから流れており、事件の顛末は当事者としてあまり覚えておらず、どちらかと言うと阪神淡路大震災TVニュースの方が記憶に残っていますしかし、私と宗教との関わりは、大学生活が始まってから急速に近づきました。端的に言えば、一般的に「カルト」と呼ばれる宗教団体出会い(当初は、そんな様子を見せずに近づいてきた)、教えを受け、それを忠実に守る人生を送るところだったからです。途中で教えている内容に懐疑を持ち、ネット検索して団体の性質を知り、自ら関わりを絶って忠実な信徒になることを避けられました。ただ、まさか自分カルトにハマるとは思っておらず、今考えるとかなり勉強不足、世間知らずの人間でした。それから自分でも宗教人間信仰・思考に関する本を読み漁っており、つい半年程前に広瀬氏の文章に出会いました。

『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)

※綺麗な字ですね。ちなみにvol.6の最後に、関係するリンク先を全て記載しています

この文章は獄中に居る広瀬氏が平成20年執筆した文章で、総量はA4で59枚、約3万文字もあります。この手記自体はフェリス女学院大学学生に向けてカルト予防のための講義を行うに当たり、藤田庄市という方がその資料として広瀬氏に執筆をお願いし実現したそうです。昭和63年頃、まだオウム無名の団体だった頃。自らが、“オウム真理教ナウい教化法”にハマり、染まり、ついには地下鉄サリン事件の実行犯になってしまった広瀬氏。オウムと係わる中で、どんな心理状況に陥ったのか。広瀬氏は本や研究論文も参考にしながら自身の宗教経験に言及しています。(実際に読みたい方のために、各項目できる限りAmazonや記事のリンクも記載しました。)オウムと禅の比較や、カルト組織の特徴、スピリチュアルにも言及されており、非常に貴重で興味深い内容です。最近オセロ中島氏と占い師との共依存関係が話題になり、洗脳マインドコントロールの話も耳にするようになりましたね。この文章は長いので、時間がある際にじっくり読んでもらい、もう一度カルト存在洗脳信仰に対する認知を深めてもらいたいです。

そしてできるなら、FacebookTwitterでこの記事をシェアしてもらえないでしょうか?大学に入ったばかりの新入生は、カルト存在にリアリティを感じられないはず。サークルの勧誘期間中は、カルト教団の一番活動し易い時期だからこそ、この警告を全国の大学生にも読んでもらいたいのです。本当に、私の二の舞になって欲しくありません。また、原文を忠実にテキスト化していますが、他人の文章のため間違っている箇所があればぜひ指摘して下さい。(何箇所か英文もテキスト化できていません。どなたかテキストにしてもらえませんか?追記致します。)

最後に、地下鉄サリン事件を通じて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、オウム真理教、並びに全国のカルト教団を通じて被害を被った方々の苦痛が、一刻も早く和らぐよう祈っています

学生の皆様へ

 「生きる意味は何か」―皆様は、この問いが心に浮かんだことはありますか。

 この質問から私が始めた理由は、それが皆様の年ごろの人たちが抱きがちな問題であり、また、若者が「カルト」に係わる契機ともなるからです。

 オウム真理教による事件以降も、「カルト」に対する警戒の呼びかけにもかかわらず、その被害が跡を絶たないようです。そのために、「カルト」に関する講座が貴公に開設されたのでしょう。そして、講師の方からカルトへの入会を防止するための手紙」を皆さま宛に書くようお話がありましたので、引き受けさせていただきました。それが私の責務と思われたからです。

 私は地下鉄サリン事件の実行犯として、被害関係者の皆さまを筆舌に尽くし難い惨苦にあわせてしまいました。そのことは心から申し訳なく思い、謝罪の言葉も見つかりません。また、社会の皆さまにも多大なご迷惑をおかけ致しました。その贖罪は、私がいかなる刑に服そうとかなわないと存じております。せめて、このような悲惨な事件の再発を防止するための一助になることを願い、私の経験を述べさせていただきたく思います

カルトに係わる契機

 前述のように、「カルトへの入会を防止するための手紙」を依頼されたのですが、いわゆるカルトメンバーとしては、私はオウム真理教信徒経験しかありませんので、主にオウム真理教(以下、オウムまた教団)の話になります

カルトは多様なことがらを提示して入会の勧誘をするそうです。オウムもその唯一の目的である解脱悟りだけでなく、ヨガによる健康法や能力開発の方向からも勧誘するよう私どもに指示していました。そのため、信徒の入信理由は様ざまでした。

 しかし、信徒の入信理由の特徴は、たとえば「生きる意味」に対する問いのような、解決が極めて困難な問題に関係があったことではないでしょうか。ただし、この「生きる意味」は、仕事に対する生きがいなどの日常的なことではありません。たとえば、「生まれてきた目的」に係わるような、形而上的ともいえることです。それゆえ、この問題はこの世における解決が困難です。仕事に対して生きがいが感じられないならば、適当仕事を探せばよいのですが、「生まれてきた目的」などはその存在自体問題になることでしょう。

 ところが、オウムは「超越的世界観」を有し、この類の問題を解決する機能がありました。これは、日常を超えたオウム世界観においては、「生きる意味」や「生まれてきた目的」の解答が与えられており、信徒がその世界観を受容すると問題が解決するということです。他方、この世界観は非現実であるために、それを受容した信徒は一般的社会における生活に適応しにくくなり、家族学校会社から離れて出家していきました。さらに、教団で集団生活をしているうちに、規範意識まで非現実的な教義に沿うものになり、ついに違法行為をするまでに至りました。

 このように、「生きる意味」に対する問いはカルトに係わる契機にもなるので、その心理状態への適切な対処を考える受容があると思います。そのためにまず、その具体例をお話します。

 私自身は、高校三年生とき、「生きる意味」の問題を明確に意識するようになりました。そのきっかけは、家電商店で値引処分された商品を見たことでした。商品価値がたちまち失われる光景を観て、むなしさを感じたのです。ところが、それ以来、私はこの「むなしさの風情」を通して世界を見るようになってしまったのです。事あるごとに、物事の価値が気にかかりました。結局は、宇宙論のいうように、すべては無に帰してしまうだけではないのか…との思いが浮かぶこともありました。そして私は「生きる意味」―絶対的な価値に関心を持つようになったのです。そのときは、それまでは大仰に思えた、「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」と述べた孔子の気持ちがわかるような気がしました。

 このような心情に関しては、文献を調べますと、古今東西、類似の経験をした人が多数存在するようです。

 スピノザは著書『知性改善論』の冒頭で次のように述べています

 一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った時、私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるような或るもの存在しないかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるような或るもの存在しないかどうかを探求してみようと。

スピノザ『知性改善論』畠中尚志 訳 岩波文庫

 トルストイもその一人です。当時五十歳だった彼は、外面的には申し分なく幸福な状況でしたが、価値観崩壊から「生きる意味」の模索を始めています。そのときの心情を、彼は著書『懺悔』に記しています

 何やらひどく、奇妙な状態が、時おり私の内部に起こるようになってきた。いかに生くべきか、何をなすべきか、まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、生活の運行が停止してしまうような瞬間が、私の上にやってくるようになったのである。そこで私は度を失い、憂苦の底に沈むのであった。が、こうした状態はまもなくすぎさり、私はふたたび従前のような生活を続けていた。と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、一層頻繁に、いつも同一の形をとって、反復されるようになって来た。生活の運行が停止してしまったようなこの状態においては、いつも「何のために?」「で、それから先は?」という同一の疑問が湧き起るのであった。

 この時分に最も私の心をとらえていた農事に関する考察の間に、突然、つぎのような疑問が起こってくるのだった。

 「よろしい、お前はサマーラ県に六千デシャチーナの土地と、三百頭の馬を持っている。が、それでどうしたというんだ?……」そして私はしどろもどろになってしまって、それからさき何を考えてよいのか、わからなくなるのだ。またある時は、子供自分はどういう具合に教育しているかということを考えているうちに、「何のために?」こう自分に言うのであった。それからさらに、どんなにしたら民衆幸福を獲得させることができるだろうということを考察しているうちに、「だが俺にそれが何のかかわりがある?」突然こう自問せざるを得なくなった。また、私の著作が私にもたらす名声について考える時には、こう自分に向って反問せざるを得なくなった。「よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピアや、モリエールや、その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかもしれない。が、それがどうしたというんだ?……」これに対して私は何一つ答えることができなかった。この疑問は悠々と答えを待ってなどいない。すぐに解答しなければならぬ。答えがなければ、生きて行くことができないのだ。しかも答えはないのだった。

 自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして立つべき何物もないような気持ちがした。今まで生きてきた生活の根底が、もはやなくなってしまったような気持ちがした。今や自分には、生きていくべき何物もないような気持ちがした。

トルストイ『懺悔』原久一朗 訳 岩波文庫

 以上の記述は、当時の私の心情に共通する点が多々あり、この種の心理状態の特徴をよく表現していると思います特に自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして、立つべき何者もないような気持ちがした。」という表現には共感を覚えます。それゆえに、絶対的な価値を求める心理になるのではないでしょうか。

 その後、私は哲学書や宗教書を渉猟したり、宗教実践者の話を聞いたりしました。高校三年生ですと、大学受験の時期ですが、私は大学付属高校に通っており、いわゆるエスカレーター式に学部に進学する予定でしたから、時間はふんだんに使えたのです。

 哲学については、話は論理的に進行しているのですが、その根本の部分―数学でいえば公理―は哲学者個人の感性によって「真理」とみなしているように思えたので、私にはなじめませんでした。宗教についても、私に反射的に生じる反応は、「真偽をどのように確かめるのか」という抵抗でした。教義の核心が非現実的に思われ、根拠なしにはそれを受容できませんでした。

 こうして、私の「生きる意味」の探求は行き詰まってしまったのです。そもそも、絶対的な価値を求めることが、ないものねだりであることは半ばわかっていました。しかし、宗教界をはじめとして、それを体得したという人が存在する限りは、自分で確かめざるを得ない心境だったのです。

 結局私は、むなしさを感じなくして済む、実行可能な「生きる意味」を定めることによって、心のバランスをとるようにしました。私は理系の分野に関心があったので、将来の職業はその方面以外考えられませんでした。ですから私は、物理法則を応用して、基礎的な技術を開発する研究を目指すことにしました。理想なのは半導体素子の発明のような研究だと思いました。このような仕事ならすぐに価値がなくなることはなく、また、それなりに世の中の役にも立つとの考えでした。それより先のことについては、これを考えると何もできなくなるので、目をつむるしかありませんでした。

 このように、何年かの間、私は「生きる意味」の問いを棚上げして過ごしていました。しかし、のちに、その問いの影響によって宗教経験が起き、オウムに入信することになりました。その契機については後述致します。

 次に、「生きる意味」の問いが起こる原因についてですが、以下のように、この種の問いは生理的不安定に起因することもあるようです。

 思春期から十代後半(ときには二十代始めに入る)まで、成長しつつある人は重大な生理的不安定(すなわちストレス)を示す。ストレスホルモンは、後の成人時代の安定期に比較して有意に増加する。青年期に典型的な大きな気分の揺れは、この不安定さに結びついている。若者は取るに足らない欲求不満があると、多幸福のある熱狂から自暴自棄的に落ち込むかもしれない

 人生のこの期間に問われる典型的な問いは次のものである。“それが一体何になるのか”“人生より何か重要なことがあるのではないか”このもどかしい衝動自己認識の危機の問いで極まる。“私は一体何か”“何が現実か”

引用英語で分からず。)

 また、心理学者ウイリアム・ジェイムズも、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われていく「憂うつ」状態から、心休まることのない問いに駆り立てられ、人が宗教哲学に向かうことを指摘していますウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相上』桝田啓三郎 訳 岩波文庫

 「生きる意味」に対する問いが純粋知的ものならば、それは当人に健全精神の成長をもたらすかもしれません。しかし、以上のような要因のものならば、無意味なことなので、自覚してそれに巻き込まれない必要があると思います。そのような心理に関する知識があるだけでも、ある程度の予防になるかもしれません。場合によっては、専門家相談する必要もあるでしょう。特に、その問いにこだわりや煩わしさを感じるならば、注意すべきです。性急な解決を図りがちになり、それだけカルトに接近する危険があるからです。

 それでも、「生きる意味」の問い―あるいは、ほかの問題―の解決を、宗教をはじめとするある思想に求めるならば、その選択には細心の注意を払うべきです。前述のように、その解決は「超絶的世界観」に訴えざるを得ないので、その現実生活への影響が懸念されるからです。

 ある伝統宗教などはそうだと思いますが、その安全性、有益性が歴史によって検証されている場合は問題ないでしょう。しかし、以下の要素を含むものについては避けるべきと思います


【vol.2「宗教的経験(前半)」】へ続く。

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ

村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。

靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。

私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」

シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」

終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。

1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)

1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)

近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」

オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。

オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」

はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。

バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。

「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」

その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。

アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」

地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である

「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」

執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。

この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。

そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。

走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。

数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。

蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

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2011-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20110916125410

同意。95年とか最高だよな。確かWindowsは出るわ、エアマックスは出るわ、J-POPも新時代に突入するわ、地下鉄サリン事件は起きるわで。あの頃と比べると今のしょぼさはひどい。

2011-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20110713023012

元増田です

メルトダウン隠蔽説」についてはこういうことです

全電源喪失が発生してから東電炉心溶融を(可能性があるではなく、ほぼ間違いないという形で)認めたのが5/12だったが、3/11の夜の時点でわかっていたはずではないかという話です。私は、分かっていたと思いますね。

はあ…、さよでっか。素人さんの考えはることは難しおますな。私にはようわかりまへんわ(エセ京都弁)。

余りに脱力したんで関西弁のまま書かせてもらうけど、そんなん当たり前ですやん。よろしいか3月12日保安院原子力安全・保安院は、福島第一原発1号機で炉心溶融が進んでいる可能性が高いと発表してます。んで、5月12日だかその時の発表は、水位計を直して、それで水位がぜんぜんあかんいうことも確認できたから「これはメルトダウンや」いうて断定したわけですやんか。要するに「裏付け」が取れたから断定したわけやし、逆にそれまで断定してへんかったんは「裏付け」が取れてへんかったからやし。

そない言うんやったら、古い例で申し訳ないけど、地下鉄サリン事件かて、犯人オウムなんは強制捜査始まった当日か翌日に化学薬品が大量に見つかった時点でもうほぼ真っ黒やろ。せやけど警察が「犯人オウムや」いうて断定したんはもうちょっと経ってからや。あれも警察が「隠蔽」しとったんか、いうことになるわね。はっきり言うたら「いちゃもんですわ、そんなもん。

もちろん原発人間の作った代物ですから「絶対安全」など求めていませんが、普通の「安全」ですらないですよ。

そんなん推進派に聞いたら、「死者の数数えてごらん」言われるんがオチやで。「安全」の一番大事な基準が「死者の数」やいうのは異論ないよね?あかんの?それやったら「原発推進派は命を軽視しとる」とか言いなさんなよ。

ナイーブ系反原発派のあかんところはそうやってダブスタ使い分けて常に原発に一番不利な基準を持ち出すところや。あるいはトンデモ論持ち出して健康被害を水増しするところや。だから説得力ない、いうことを理解せんとね。

推進派が嘘をつきましたか?否。と言いきるのは極端ですよ。地元民を前にして「絶対安全」と言った人もなかにはいるんじゃないでしょうか。

「おるんやないか」ってそらあんたの憶測やんか。「あいつらの中に悪い奴おるんちゃうか、だからあいつら悪い奴や」なんて、相手がショッカーやったらそら言うてもええかもわからんけど、生身の人間相手にそういうこと言う奴って信用できんわ。

私は、「ナイーブ」に「原子力というもの人間には制御しきれないしろもの」と思っていますが、

畑違いとはいえ、俺が技術屋として一番嫌いなんがこの手のナイーブ議論や。火付けたら吹っ飛ぶような危ないもんを燃料にした乗り物が道を埋め尽くしてて、実際それで毎年何千人と人が死んでても絶対「ガソリンなんて人間には扱えへん」なんて絶対言わんくせに。要は「ようわからんもんは怖い」だけやろうに。

理系」の頭のいい方たちがこれまでやってきた原子力発電が、いざ事故が起きて、建屋が吹き飛んでからは、ああ、果たしてどういうアイデアでこの事態を収拾してくれるんだろうね、文系のオレには想像もつかないやと思いきや、ヘリから海水ぶっかけるだの、おがくずと新聞氏と水溶性ポリマーで汚染水を止めるだの(これは海外ネットユーザから、かぶと虫でも飼うつもりか、髪の毛でも入れて詰まらせたらどうだと揶揄されましたね)もう次から次へとアホくさくみえる案を繰りだしてくるんでガックリきたわけで。なんだ。口ほどにもない奴らだな。そんな程度の技術力で火遊びやっていたのか。もう玩具ぜーんぶ取り上げだ。という気分でしょうかね。

あんたに限らず「理系」いうところにやたらと噛みついてくれる人がようさんいてるけど、「理系」の何が気に食わんのよ、ほんま。理系はあんたの親の敵かいな?

言うたやん、この事故は「理系」いうか技術屋のせいやない、いうて。実際、福島第二とかと同じようにしてりゃ防げたんやから地震が来たらどないなるか、いう予測も「原子力村」の技術屋はやっとったがな。その対策をやらせへんかったんは東電経営やら保安院やら、要するに文系人間ばっかりやないか技術屋がこしらえた事故処理用ロボットも電力会社と政治家の天下り団体がよってたかってお蔵入りにしてしもた

そうやって両手を縛られとって、技術的に鮮やかに解決なんてできるわけないやろ。科学技術魔法とちゃう。きちんと準備と研究開発を積み重ねてれば多少のことはできるかもわからんけど、咄嗟になんか起こったところにあり合わせのものでどないかせえ言われたらローテクでなんとかせなしゃあないやないか。一刻も早く汚染水止めたいならおがくずだろうが新聞紙だろうがダメモトであるもん流してみなしゃあないやないか。それにヘリで水かけえ言うたんは確か文系政治家やぞ。なんで全部技術屋のせいになんねん。

文系」の人間のやることって大抵そうや。そうやって「理系」の人間の両手を縛っておいて、いざとなったら「理系」を最前線に送り込んで責任おしつける。何様なんあんたら?何が「その程度の技術力」や。何が「火遊び」や。何が「玩具」や。無能経営者役人のケツ拭かせといてどんな上から目線や。なめるんもほどほどにしときや。

広瀬隆の著作を読むと、事実部分と創作部分との境界が一目瞭然なので、だまされようがありません。

よう言うわ。ネットぐぐってみい。騙されとるアホがなんぼでもおるわ。それに広瀬温暖化陰謀論だのユダヤ陰謀論だのも書いとるがあれはええんか?特にユダヤ陰謀論。「だまされようがありません」「問題ありません」いうてサイモン・ヴィーゼンタールセンター行って言うてみいや。言えるもんなら。

最近では、原発に関する書籍もかなりたくさん出揃ってきましたので、それらも新聞テレビネットとはまた違った情報が得られて面白いですよ。

専門書でも買わん限りろくな本殆どあれへんがな。大抵の本には「デマ」と間違いだらけの「知識」しか書いてへんがな。有益な「情報」なんぞどこにもない。あんなん読むんは単なる時間無駄や。

2011-04-03

95年との相似点。

以下、相似点

未曾有の大災害

政権

 自社さ≒民主

円高最高値更新

大きな損失を出す金融機関

95年はBarings Bankのニック・リーソンが日経先物オプションで大損失。

詳しくは http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

映画、ローグトレーダーを。

今回は、三菱モルスタの__さんと言う日本苗字を持った人が、ヴァニラスワップション(報道では流動性が低いと言ってたのでおそらくヴェガエリア?)で800億円の損失。

http://www.asahi.com/business/update/0401/TKY201104010460.html

Baringsのばあい

>損失は約8.6億ポンド(約1,380億円)、当時ベアリングス銀行自己資本金を超過する莫大な額に膨れ上がっていた

だったが三菱さんは銀行もってるから預金持ってる人がいるからそっからなんとかなるでしょ。

さて、金融はいいとして、問題点

95年はこのあと、さらに地下鉄サリン事件と言うテロが発生し、いろいろな方が被害に会われた。

今回はそんな事にならないと祈っているが、日本にいる方は、気を付けるに越したことはないと重います。

2011-03-20

今年もまた「地下鉄サリン事件」の日がやってきたな・・

ずっとオウムを擁護し続け、ついに破防法適用阻止に成功した村山総理の、あのドヤ顔

忘れられない

2010-09-08

あなたにも出来る、唯一にして絶対やってはいけない最強の円高防衛


Q, 外国人日本円を買いたくなくさせる、あなたにも出来てしまう、唯一にして絶対やってはいけない最強の円高防衛行動とは何でしょう?

A, 答えはテロです。

だけど犯罪ですのでやってはいけませんよ。


重要金融機関、たとえば日銀東証などを狙ってテロが起きれば、リスクを嫌う投機家は嫌でも日本円から引き揚げます。

投機家は取引が出来ない事を最も嫌います。

日本円を一時的にでも取引出来なくしてしまえばよいのです。

現在日本円は明らかに過大評価なうえに、大抵の投機家の日本円ポジションは十分に利が乗っている状態ですので、売りも殺到する事でしょう。

施設選定の際の重要ポイントは「金融絡み」です。

そこらの役所、例えば文科省テロが起きても為替への影響は軽微で意味がありません。

日銀東証と書いたのは、まさに重要拠点だからです。

大手銀行本店を狙う場合も効果はあるでしょうが、大手数行を同時に狙わねば影響が限定的になってしまうでしょう。

でもこれはあくまでシミュレーションなので、テロは絶対にやってはいけませんよ。


困ったことに、毒ガスや爆弾の作り方はインターネットで幾らでも検索をかけて見つけることができます。

しかし絶対に作ってはいけませんよ。


テロ副作用として、株式市場も混乱します。

しかし、円高是正は輸出企業の業績を上向かせ、中長期では経営環境好転するのは間違いありません。

けれどテロ犯罪ですので絶対にやってはいけませんよ。


テロと円高は実は過去に関連があるのです。

1995年3月20日地下鉄サリン事件の一ヶ月後、1995年4月19日東京外国為替市場は1ドル=79.75円の史上最高値をつけ、その後に円高は沈静化するのでした。

一見するとテロが起きても直後は円高になるじゃん!ですが、長い目で見ればこのあたりが転換点となったのは間違いありません。

まさか・・・テロ起きずして円安なし?

うーん、今の政治家官僚がやってる限りはそうかもしれません。

といってもテロ犯罪ですので絶対にやってはいけませんよ。

とりあえず、今円高で苦しんでいる人たちは・・・えっと、我慢してください(笑)

決してテロなど起こさぬよう。

民主党政治家の皆さんは政権を取ってから今までの行動で見せてくれたように、嘘をつかない機動性にあふれた優秀な人達(笑)なので、きっと断固たる行動(笑)をしてくれると思いますよ。

会社がつぶれそうな人も、とりあえず座して落ち着いて傍観するのが良いでしょう(笑)

繰り返しますが、決してこれしか手段が無いからといって、テロなど起こさないで下さい。

2010-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20100811153253

地域共同体は発達していないと思う

とすると、「幇」はどのように解釈すればよいのでしょうか?

国体という言葉定義

デジタル大辞泉だと、

国家の状態。くにがら。

2 国のあり方。国家根本体制。「―を護持する」

3 主権の所在によって区別される国家形態君主制共和制など。

4 「国民体育大会」の略。


下手な言葉遊び挙句に、

法治国家としての機能性を失うということを言いたいのだろうがそれは、別の話。

とか、したり顔で湾曲しないでいただきたい。

日本国内で他者を圧倒できる軍事力を持つこと

日本赤軍とかセクトとかいくらでもその芽はあったと思いますが。

地下鉄サリン事件とか、オウム真理教はヘリまで買い付けてたし。

海外から金引っ張ってこれる組織があれば、国内の残金だけで戦わなきゃいけない自衛隊は疲弊する一方でそのうち負けるでしょ。

日本において、天皇を圧倒することはありえない。

勝手天皇持ち出すなよ。

武士階級が実権持って以降、象徴以外に表向き天皇が実力を行使した事なんぞ無い。

豪族間の奪い合いの駒になるだけじゃねーか。

それに、結局今上陛下政権奪取したら、法治国家に戻るじゃないか。

2010-03-20

地下鉄サリン事件を忘れない

地下鉄サリン事件オウムかばい、破防法を適用しなかった村山(大分県民)。

阪神淡路で6000人殺し、「温泉街w」と笑った村山と筑紫(大分県民)。

経済をどん底に落とし込んだ御手洗(大分県民)。

Google日本を波に乗せられず潰しかけた村上(大分県民)。

キムチ臭いトリニータ(大分県)。

ん? 別に、タイトル以外に特に言いたいことなんてないさ。

2009-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20090711153146

自分の身の破滅は、まだ世界の破滅とリンクしていた

いや90年代だってリンクしてたという事はないと思うが。

ゲイネタ蔓延し、フェミニズムが台頭し、オタク達は三次元の女は気持ち悪いと言って、めがねっことか絶対領域とか、過度に記号化されたフェチズムを局所的に消費する。

これはゼロ年代よりもっと前からだったはず。

>生きることは自己責任であり、生活ができなくなっても、誰にもその痛みは共有されずに死んでいく

90年代も老人の孤独死とかはよく話題になった。自殺も急増氏らのは90年代後半。

地下鉄サリン事件秋葉原の事件を比べればよくわかる 結局秋葉原若者若者を殺しただけだった

そういう通り魔90年代もいた。にもかかわらず秋葉原の事件ばかりクローズアップしてしまうのはネットのおかげでサイバーカスケードになってるから自分が重大視してる事件はみんなも共有してると思い込んでるという事だろう。90年代と同様に絶望すら多くの人が共有できる(と思い込んでる)時代。90年代テレビ情報真実と思い込んでるだけで実際は共有されていなかったのかもしれない。

00年代絶望

エヴァンゲリオンの新しいやつ見てきた

なんとなく思ったんだけどさ、90年代って絶望すら多くの人が共有できていた時代だったんだと思った

自分の身の破滅は、まだ世界の破滅とリンクしていた

それに比べると、00年代というのは平和になったような気がする

でもそれは平和になったのではなくて、単に共有されなくなっただけ

自分の身が破滅しても、世界は破滅しない ただそれだけのことなんだよね

ゲイネタ蔓延し、フェミニズムが台頭し、

オタク達は三次元の女は気持ち悪いと言って、めがねっことか絶対領域とか、過度に記号化されたフェチズムを局所的に消費する。

オリコン価値が無くなり、100万人が買うCDではなく、千人や1万人が見る動画が消費される。

この社会には理解できないものが大量にあり、気持ち悪い物もあるかもしれないけど、そんななかでもやっていくしか仕方なくて、

生きることは自己責任であり、生活ができなくなっても、誰にもその痛みは共有されずに死んでいく

地下鉄サリン事件秋葉原の事件を比べればよくわかる 結局秋葉原若者若者を殺しただけだった

明日は都議選だけど、20代が全員投票しても総投票数の14%だとさ。いつのまにか純然たる少数派だったんだね

絶望したって社会に何の影響も与えられない これが00年代絶望なのかもしれないとちょっと思った

2009-06-26

地下鉄サリン事件

松本サリン事件の方もそれそれでいろいろ考えるところがあるんだけど、地下鉄サリン事件の方がある意味インパクトが強い。というのも、同級生がとんでもない一言を発したから。

大阪でも起きないかな?

私が通っていた高校は、大阪の中心部から30分程度の位置にあるということで、大阪から通う生徒も多かった。なので、あのような事態になれば多くの生徒が登校不能になり、学校休校となるのは確かだ。実際、地下鉄サリン事件の2ヶ月に起きた阪神淡路大震災では、JRをはじめ多くの交通機関がストップしたこともあって休校となっていた。

しかしだ。あれだけ苦しむ人がテレビ報道されているというのに、それを望む神経が理解できなかった。そこに同級生も巻き込まれるかもしれないというのに。自分関係ないから安心だ、という態度の同級生に驚いた。阪神淡路大震災で被害に遭ったクラスメイトがいるというのに、だ。

こんな体験をしているので、想像力の弱い人間は、ゆとり教育とか関係なく、どの年代にもある一定の割合でいると私は信じている。

2009-01-22

結局地下鉄サリン事件ってなんだったんだ?

なぜ一カルト集団があそこまでの大規模テロを行えたんだろうか。

バックに何者かの関与はなかったんだろうか。

毒ガスの中でもサリンを選んだところは素人くさいが。

事件から来年で15年。そろそろ検証に入るべきころじゃなかろか

2008-07-24

猟奇犯罪オタが非オタ彼女猟奇犯罪世界を軽く紹介するための10人


まあ、どのくらいの数の猟奇犯罪オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「異常快楽殺人者ではまったくないんだが、しかし自分の猟奇趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない猟奇犯罪世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、猟奇犯罪のことを紹介するために見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女猟奇犯罪布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う日本語資料がない人物は避けたい。できれば邦訳が多い人物にとどめたい。

あと、いくら猟奇犯罪的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

猟奇犯罪好きが『ジル・ド・レイ』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

猟奇犯罪知識はいわゆる「FBI心理分析官」的なものを除けば、ワイドショー程度は見ている

ミネソタ多面人格目録も正常群に入っているが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

エドワードゲインアメリカ 1906-1984 )

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エド・ゲイン以前」を濃縮しきっていて、「エド・ゲイン以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。知名度もバッファロービルだし。

ただ、ここでネクロフィリアトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。この情報過多な人物について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

テッド・バンディ(アメリカ 1947-1989 )、ジョン・ウェイン・ゲーシー(アメリカ 1942-1994 )

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな猟奇犯罪者(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

猟奇犯罪オタとしてはこの二人は“人間”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

アルバートフィッシュアメリカ 1870-1936 )

ある種の猟奇犯罪オタが持ってる食人への憧憬と、フィッシュのオタ的な子供へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも異常な

童貞的なださカッコよさ」を体現する「満月狂人」という二つ名

童貞的に好みデービス船長の友人」を体現する「この子を食べてみよう」

の二つをはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

ヘンリー・リー・ルーカスアメリカ 1936-2001 )

たぶんこれを見た彼女は「レクター博士だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。この系譜の犯罪者がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、アメリカなら実写シネマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

チャールズ・ホイットマンアメリカ 1941-1966 )

「やっぱり、犯罪は大量殺人だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「コロンバイン高校銃乱射事件」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この事件にかける海兵隊の思いが好きだから。

断腸の思いで撃ちに撃ってそれでも31名、っていう人数が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「撃つ」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。チャールズ射殺までの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが宮崎や宅間だったらきっちりあっという間につかまってしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて31名を殺傷してしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえホイットマンがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。事件自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

津山三十人殺し津山 昭和13年)

今の若年層で津山三十人殺し見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。宮崎勉よりも前の段階で、日本猟奇とか大量殺人とかはこの事件で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの事件が津山であの時代にあったんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく猟奇犯罪好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆる「バモイドオキ神」でしか日本を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

チャールズ・マンソンアメリカ 1934- )

マンソンの「カリスマ」あるいは「カルト性」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。「終わらないカルト教団組織を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ『オウム真理教』の最後は地下鉄サリン事件以外ではあり得なかったとも思う。

カルト化した組織を生きる」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「カルトの気分」の源はマンソンにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

ジェフリー・ダーマー(アメリカ 1960-1994 )

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。こういうジュベナイル小説風味の猟奇犯罪をこういうかたちで事件化して、それが非オタに受け入れられるかカニバリズムを誘発するか、というのを見てみたい。

涼宮ハルヒSOS団

9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。エド・ゲインから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。

「駄目だこの道化師ポゴは。俺がちゃんと縊り殺してやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

追記

b:id:wideangle オチの「ハルヒ」を存分に使えるという意味では「ラノベ世界を」よりも有効であり、元増田の「ハルヒ」という選択はここに来てすばらしかったと言わざるを得ない。

だからハルヒじゃない10人目、いいものあったら教えてくださいと書いたわけで。ペーター・キュルテンはどうしても「切り裂きジャック」という枠があるので、先入観のないものを。別に猟奇犯罪でなくとも、寿司ネタでもなんでもいいと思います。今回はたまたま猟奇犯罪だと。

b:id:hal-e しっかしみんな(元増田も含めて)よく考えるよなーとジョジョネタで書いてみようとして挫折した自分は素直に感心する

普通好奇心が強いだけなんだけどな。それだけの話だよ。

b:id:repose マンソンが入っているのがいい感じですね。

あれこそ正に「読んで驚愕する」ための事件だし。だからここに入ってるんだし、興味なさそうならまだ生きてるって言えばいいだけ

b:id:steinroseミネソタ多面人格目録も正常群に入っているが、頭はけっこう良い」「この二人は“人間”としていい」「各所に頭下げて迷惑かけて31名を殺傷」面白フレーズがいっぱい

そりゃそうです。だから「元増田言語感覚」でしかあり得ないし、「他の人の面白フレーズ」が知りたいです。そして、女の子犯罪者の事件で大きな男の子感情移入できるものって、かえって多いような気がしています。そこの議論こそ、大切ですよね。

b:id:anigoka 誤記が多いのが惜しい 特にこーゆー分野はね

全くです。返す言葉もありません。そこでそういう誤記を面白がることのできる人もいるだろうけど、それがどういう面白がり方かと考えてみると、あんまりいい結果になりませんよね。だから、こっそりわかる範囲で誤記訂正してしまってもいいんです。

b:id:n-styles 猟奇犯罪オタではないが、ほとんどの人を知ってたぐらいだから、これは入門編として非常にいいチョイスではないかと思う。それにしても、10人目が秀逸すぎる。

まあ、猟奇踏み込む必要はないしね。後半はそれこそ「ありがとう」だよな。

b:id:masima そーいや「マーダーケースブック」全巻揃えたっけなぁ。引越しのときに全部捨てたけど。/おすすめ(?)→http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/m.htm

そう言いたくなる気分はわかる。けど、私はそれが欲しかった。可能か不可能かはこの際おく。欲しいと思ってるから書いた。

b:id:kaerudayo バランスがいい人選。彼女の嗜好がわかるといいね♪

これってまさにその嗜好を確認をするための作業なんですよね。もしそこで「カニバリズムがある」と思いこんでしゃべったら、たぶん破局一直線だろうし。むしろ、猟奇性がないことを認めてこそ、オタと非オタが相互にプロファイリングしあってうまくやっていけるんじゃないかとそういう期待はあるんですけどね。

b:id:pbh 地雷ダーマーなのが微妙に納得いかないが( ´ー`)

お気持ちはよくわかります。私の書き方が悪かったですね。ここで紹介しているのは所詮は全て地雷に過ぎません。そこに期待してもいいだろう、程度のもので、それを得ようという強固な目的意識まではない。

b:id:pQrs せっかく日本人だし大米龍雲とかも知っておきたいよネ

日本人猟奇犯罪者を捨てるわけじゃない。けれどそれは俺個人のもので、彼女にそれを知ってもらったりまして共有してもらう必要もないだろ。けれど、彼女がそういう俺の存在を許容してくれるなら、彼女に理解できる範囲で、俺という人間を紹介するのと同義で、猟奇犯罪者を知ってもらいたいということ。

b:id:hashkin 地雷ユナボマーなんてどうだろうか

そこであえて「こいつって有名な爆弾魔だけど、爆弾にはロマンがないっていうか猟奇的な生々しさを感じないっていうか」と前置きして贈るってのはどういうもんなんだろうなと。

http://anond.hatelabo.jp/20080724190714 チカチーロはどう?

アンドレイ・チカチロはインポテンツで女にモテなくなって自分より弱い少女を犯して殺して食べちゃうっていうエピソードがお前らの日ごろの妄想そっくりなので、それよりは正統的な多角的倒錯者のアルバートフィッシュを。それよりも女性犯罪者猟奇事件はいいと思うんですね。メアリーベルは最終候補に残しましたし、グレアム・ヤング模倣した少女も日米との比較という点で、長くなければぜひ入れてみたかった。

(10本目からメアリーベルを外したのは、テレビアニメで一番非オタにとっても見応えのある『花の魔法使いリーベル』に語感が似ていると思うがゆえに、心情的にここに入れなくてもいいかなという理由で)

http://anond.hatelabo.jp/20080724190714 お前のせいでマーダーケースブック欲しい熱が蘇ったじゃないか! どうしてくれる!

ヤフオクには「マーダーケースブック」全巻がありましたよ。「法外な値段」なものでしたけど。

2008-06-21

ある1982-83年生まれが語る半生

半生というには人生短く見積もりすぎか。しかし「四半生」なんて単語もないだろうからこのタイトルで行こう。

基本的にはとてもparticularな話ではあるんだけど、この世代がみな避けられなかった共通体験的なものも入っているはずだから、そこは誰かのなんかの役に立つかもと期待して筆を進める。

幼稚園時代、声が大きかったという理由で劇の主役に抜擢され、市民会館のホールで大声で叫んでたことが真っ先に思い出される。

(親から言わせると元気さだけがとりえで役者としては・・・だったらしい)

家から歩いて3分のその幼稚園仏教系だったので、春になるとお釈迦様の誕生日を盛大に祝ったりしてたが、そもそも「お釈迦様」が誰なのかその頃はわからなかったし、ほとんど毎日あった正座がつらかった。

年長の最後の頃に、天皇が死んだということで園児全員を集めて黙祷だかなんだかやっていたけれど、その意味もあまりわからなかった。

小学校に入ると、学区の端だったので、40分近く歩くことになり、慣れるのに苦労した。そもそも通学路が遠回りのルートだったので、よく「通学路破り(つうやぶと呼んでいた)」をしたものだった。

その小学校クラス替えが2年ごとだった。最初の2年間一緒のクラスだったSは問題児で、いつも喧嘩を仕掛け、何度か巻き込まれたし、ある時には彫刻刀を向けてきたりもした。漏れ聞くところによると彼の家庭状況は悲惨だったらしい。ただ担任の女性教師は毎回教室全体に響き渡るような声で彼を叱りつけていた。ある時彼女が「これがストレス発散の方法なの」と漏らしたとき、小学生ありがちな先生への絶対的な信仰を打ち捨てるに至った。結局彼は3年の途中でいなくなり、その後の消息は知らない。

ドラクエ4は初めてリアルタイムの発売日に買えたドラクエで、喜びのあまりお腹が痛くなって、市民病院に担ぎ込まれるほどだった。

だけどやってみると「3のがおもしろかったかな」とか思った。

3,4年の頃の記憶はあまりない。そもそもその頃年子の妹ができて、母の代わりに家事やらなにやらを手伝わなければならず、てんてこ舞いだったことくらいしか覚えていない。

小学校最終学年、それも年が明けてから。夜中に大きい地震があった。部屋に飾っていたガンプラが何体か自殺した。当初は兵庫県淡路地震とか呼ばれていた気がする。朝テレビ家族注視していたが、「箪笥が倒れてきて老人が怪我をした」とか微笑ましい(と言っては不謹慎か)レベルの被害しか聞こえてこなかったので、それほどひどくなかったのだと安心していた。しかし時間が経つに連れて死者数は増え、瓦礫の映像や崩れた高速道路映像を見るにつけ、その深刻さに目を覆うしかなかった。

そして卒業式の頃に、地下鉄サリン事件が起こる。鳥山明の似顔絵みたいな人たちがたくさんいるのを見て、逆になんだか現実味を感じなかった。

でもって中学。またも学区の端だったが、今度はさらに遠くて、多分4kmくらいあったと思う。だけど中学は念願のチャリ通で、ヘルメットが蒸れる以外は快適だった。

クラブ活動上下関係はかなり理不尽で、しかもスポーツが苦手なほうだったから、かなり耐えがたかった。夏暑いし。3年間で褒められたのが「お前はパスうまい」だけっていうのも今思えばどうかと思う。「○○君ってやさしいよねー」くらいの意味だろう。

中3のとき、サカキバラ事件。犯人中年の男だとか医師じゃないか(殺害方法から)とか、南京錠の謎だとか、収拾が付かない方向へ向かっていた。

だけど声明文の「SHOOL KILL」のスペルを見て父は「仮にも医学部へ行った奴がこんなミスはしないだろう。中学生高校生じゃないか」と言ったが、まさか自分と同学年とは思わなかった。同じ年にてるくはのる事件というのもあったんだけど、こちらは警察のヘマで犯人浪人生)に自殺されてしまったので今では誰も知らない。当時は暗号解読とかで話題になったんだけどね。

政治の話は前に新聞スクラップの話とか書いたので割愛する。

高校は学区トップ校へ。加藤君と一緒ですねー。まあでも国際科に落ちてスライド普通科に通ったから屈折してると言えば屈折してるんだけど。

そういえばこの高校最近やたら進学実績伸ばしてて、進路指導のN先生はホクホク顔だと思うんだけど、驚いたことに今年のT大合格者十数名全員が国際科だった。

なんつーか、重点的に資源配分してるのかねー。あからさまなのは嫌なんだけど。

最初のテストで下から少し数えたらたどりつく順位をとって、ショックだった。しかも成績上位者を張り出すとかどんな嫌がらせ

そう言えば毎回1位をとっていたY君は地元の帝大に行ったんだけど、進路指導的には痛恨事だっただろうなあと思う。(だけどそのエピソードに自分の受験校をちゃんと自己決定できるリベラルさが凝縮されてると思う。2番手校以下は結構介入が激しかったらしい)

懲りずに運動部に入るけど、かわいがってくれた先輩がいなくなったら居づらくなって辞めた。友達に誘われて別の部に入るけど、マネージャーが××だったのと手が小さくてボールがつかめないのを気に病んで辞めた。やることないので生徒会長立候補したけど落選した。

しかし帰宅部ではあまりにもアレすぎるので友人たちと会合を何回か開いてそれを同好会に昇格させた。

会長から一人では手が足りないと請われたので予算委員長代理として予算折衝やイベントの運営に当たった。

次の期で会長になったけどやりたいことはあまりできなかった。むしろ黒幕のときのほうが好き放題できた気がする。

豊川主婦殺人とかネオむぎ茶とかみんな同学年だった。「キレる17歳」と連日言われて、ナイフ事件とかが全国各地で多発してた。

大学受験したけど結局一つも受からなかった。仕方がないので代ゼミに通った。

代ゼミではほとんど友達ができず、言葉をしゃべるのも忘れそうになった。おまけに衛星授業で黒板端の文字見えないし。

唯一できた友達がS価高校出身の子。

「やっぱりS価高校の人って全員S価信じてるの?」

「いや、そういうわけじゃないよ」

どんな会話だ。

そういえば代ゼミ私立中高に通っていた小学校時代の友人に再会したが、彼の言うことが支離滅裂で面白かった。

「俺は株でもうけて大金持ちになるんだ」

「じゃあなんで医学部行くんだよ」

「元手を稼ぐためだよ」

とか、

東京屈指のターミナル駅にある国立大学に行くつもりだ」

「そんな大学あったっけ?」

医科歯科大だよ」

「(お前絶対御茶ノ水行ったことないだろ・・・)」

テレビ見てたらビル飛行機が突っ込んで、「世界は核の炎に包まれた」ってなるのかと心配した。

で、再度の受験。なんかセンター試験でいい点が取れてしまってセンター利用でおもしろいくらい合格が出た。

話したこともないのにルックスだけでぼんぼこ告白されるようなそんな感じ。

「中身見なくて大丈夫なんですか?」と皮肉の一つも言いたくなる。

続く・・かも。(でもその世代の雰囲気は伝わるでしょ)

インスピレーション元:

http://anond.hatelabo.jp/20080620191355

2008-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20080306152400

それにしても、被害者にもいろいろと事情ってもんがあるんだから、最終的には自己防衛できないのも悪いって言うんじゃあまりにも可哀想だよ。

それに、最低限の自己防衛という線引きだって、人によって違うんだから。

本当に防衛してる人は昼間出歩くときでさえ、スタンガンとかスプレー一式持ってるよ。それでもって、持ち歩いていない人全てに「自己防衛の意識が足りない」とか言わないだろ。

かつて、地下鉄サリン事件ってのもあったけど、地下鉄乗るときにガスマスクを常備する奴なんて、多くはいないだろ?

2008-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20080206101013

日本人の実行部隊を作るのがまず大変だからだと思ってた。

アラブ系の人は街を歩いているだけでそれなりに目立っちゃうから。

あるいは警察が超優秀でスキがないとか。

地下鉄サリン事件ですごい鍛えられて、対テロメソッドが非常に進んでいる!みたいな。(そりゃないか、ないな)

2007-03-11

すっきりしないから書きに来たよ増田

なんで実際に迷惑なものに、迷惑だから消えろと言っちゃいかんのだろう。少なくともあの場に一緒にいる者として、対等にものを言う権利はあるんだから良いじゃん。あそこで一個の発言に実効力なんかないんだし、そういう意見があるってことだけ受け止めてくれれば良いのに、なんで意見に対する反論をされるんじゃなくて、そういった発言をすること自体を最初から咎められなきゃならないのか。そのまま行けば自分に不利な流れができるのがわかってて、それを抑止したいだけなんじゃないの。周りも周りで、迷惑だって気持ちを訴え続ける割には、妙に賢ぶった発言をして歯切れが悪い。許容するメリットがあるならわからんでもないけど、公益性といえるもの無しで、むしろ真に公益のあるものに対して実害を及ぼしてるじゃん。そんなもん半端に擁護して何になるのよ。あれだけ盗人猛々しい相手に対して、懐柔策と言うにしてもばからしい気がしてならない。あれか、地下鉄サリン事件とか見ても宗教の多様な考え方は尊重すべきとか言っちゃうやつか。議論するなら事を進めたいんだから、場違い予防線張って、うやむやにしようとしてくれるな。いや、そもそも彼らは議論なんかしようとしてないのか。じゃあ私の一人相撲か。ごめん。

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