はてなキーワード: ネオむぎ茶とは
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
トレーナー共はサイレンススズカの誕生日で湧きだっているが、こちとらアイルトン・セナの死亡日なんだゾ?
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
時折、「昔のネットの世界はおおらかで平和だった」という感想がTwitter等で流れてくることがある。
これに対して「そんなことはなかった」という反応が来るのももはやテンプレだが、一見相反するように見える2つの意見はある意味間違っていないのではないかと思う。
まず「昔のネット」というのもかなり曖昧なので、ここではいわゆる「ネオむぎ茶事件」が起きた2000年前後の2ちゃんねるというものを基準にしておこう。
はっきり言って当時の(まぁ今でもかもしれないが)2ちゃんねるはほとんど無法地帯だった。匿名掲示板であるというアングラな特性上罵詈雑言やらなんやらもあった(気がする)。
ただアングラであることを理解していたユーザーも多く、インターネットに接続する人間が今より少なかったこともあってある程度の自治はなされていたように思う。
ここで重要なのはこれがあくまで無法地帯に設けられた自治であるということである。だからこそ自治の管轄外の行為に関しては寛容だったし、そもそもそれに不寛容な人間は入ってこなかった。
これが「昔のネットはおおらか」でありつつ「無法地帯だった」という理屈である。
例えるならば戦後以後の混乱期、身分証などなくても飛び込みで働くことは今よりも簡単だっただろう。そんなものはなくとも働く人員でさえあればよかったからだ。
しかし現代ではそうはいかない。そんな身元の怪しい人間ができることはかなり限られている。
一方で、当時と今とでは治安や医療、娯楽の水準などは比べるべくもない。社会はどんどん発展し安全になっている。「昔に戻りたい」という人も、このギャップには耐えがたいだろう。
つまりは、社会が成熟していくうちに安全やセキュリティとトレードオフにおおらかでファジーなものが失われていくのは常であり、それはインターネット上の社会においても例外ではなかったという話である。
自分はこのどちらがいいというつもりはない。ただ過去を懐かしむ人を否定するべきではないし、かといって社会が進歩することを拒否するべきでもないという、あまりにも腑抜けた意見をふと、言ってみたくなった。
最近は減ってきたけど、犯罪予告に関して思うことがあるんだよね。
わざわざ、過剰反応しなくてもいいと思う。
テロなんかも分からなくはないけど、今程犯罪予告が厳しくなったのって秋葉原通り魔事件以来からだよ(西鉄バスジャック事件からだ、という人もいるが、ネオむぎ茶は具体的な犯罪予告をしていなかった。当日書き込まれたのはヒヒヒヒヒだけだし)。
あれに便乗して書き込んだのが摘発されたわけ。
元々2chには悪ノリするとか、不謹慎やっちまおう、みたいな風潮があってだな(昔のビートたけしみたいだ)。
http://mimizun.com/log/2ch/news/1216196513/
>>108 : 強生(アラバマ州):2008/07/16(水) 17:26:32.84 ID:2X4VRbdJ0
109 : 丘比(東京都):2008/07/16(水) 17:26:35.55 ID:XztoITWK0
110 : 佳得楽(東京都):2008/07/16(水) 17:26:37.34 ID:Tdt/wKZX0
通報を呼びかけたりするのも、スラックティビズムの変種だと思う。
>>スラックティビズム(英: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。労力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。<<
通報は、労力や負担を負わず、ボタン一つで出来てしまい、社会に貢献した気になる。
だからこそ厄介だ。
誤解しないでほしいんだけど、私は「個人が特定でき、かつ嫌がらせや脅迫の意図が強い(ここで言ってるのは本人が強く感じた場合かな、とかいろいろ考えたけど、難しい)」物は対処をすべきと思う。
半生というには人生短く見積もりすぎか。しかし「四半生」なんて単語もないだろうからこのタイトルで行こう。
基本的にはとてもparticularな話ではあるんだけど、この世代がみな避けられなかった共通体験的なものも入っているはずだから、そこは誰かのなんかの役に立つかもと期待して筆を進める。
幼稚園時代、声が大きかったという理由で劇の主役に抜擢され、市民会館のホールで大声で叫んでたことが真っ先に思い出される。
(親から言わせると元気さだけがとりえで役者としては・・・だったらしい)
家から歩いて3分のその幼稚園は仏教系だったので、春になるとお釈迦様の誕生日を盛大に祝ったりしてたが、そもそも「お釈迦様」が誰なのかその頃はわからなかったし、ほとんど毎日あった正座がつらかった。
年長の最後の頃に、天皇が死んだということで園児全員を集めて黙祷だかなんだかやっていたけれど、その意味もあまりわからなかった。
小学校に入ると、学区の端だったので、40分近く歩くことになり、慣れるのに苦労した。そもそも通学路が遠回りのルートだったので、よく「通学路破り(つうやぶと呼んでいた)」をしたものだった。
その小学校はクラス替えが2年ごとだった。最初の2年間一緒のクラスだったSは問題児で、いつも喧嘩を仕掛け、何度か巻き込まれたし、ある時には彫刻刀を向けてきたりもした。漏れ聞くところによると彼の家庭状況は悲惨だったらしい。ただ担任の女性教師は毎回教室全体に響き渡るような声で彼を叱りつけていた。ある時彼女が「これがストレス発散の方法なの」と漏らしたとき、小学生にありがちな先生への絶対的な信仰を打ち捨てるに至った。結局彼は3年の途中でいなくなり、その後の消息は知らない。
ドラクエ4は初めてリアルタイムの発売日に買えたドラクエで、喜びのあまりお腹が痛くなって、市民病院に担ぎ込まれるほどだった。
だけどやってみると「3のがおもしろかったかな」とか思った。
3,4年の頃の記憶はあまりない。そもそもその頃年子の妹ができて、母の代わりに家事やらなにやらを手伝わなければならず、てんてこ舞いだったことくらいしか覚えていない。
小学校最終学年、それも年が明けてから。夜中に大きい地震があった。部屋に飾っていたガンプラが何体か自殺した。当初は兵庫県淡路地震とか呼ばれていた気がする。朝テレビを家族で注視していたが、「箪笥が倒れてきて老人が怪我をした」とか微笑ましい(と言っては不謹慎か)レベルの被害しか聞こえてこなかったので、それほどひどくなかったのだと安心していた。しかし時間が経つに連れて死者数は増え、瓦礫の映像や崩れた高速道路の映像を見るにつけ、その深刻さに目を覆うしかなかった。
そして卒業式の頃に、地下鉄サリン事件が起こる。鳥山明の似顔絵みたいな人たちがたくさんいるのを見て、逆になんだか現実味を感じなかった。
でもって中学。またも学区の端だったが、今度はさらに遠くて、多分4kmくらいあったと思う。だけど中学は念願のチャリ通で、ヘルメットが蒸れる以外は快適だった。
クラブ活動の上下関係はかなり理不尽で、しかもスポーツが苦手なほうだったから、かなり耐えがたかった。夏暑いし。3年間で褒められたのが「お前はパスがうまい」だけっていうのも今思えばどうかと思う。「○○君ってやさしいよねー」くらいの意味だろう。
中3のとき、サカキバラ事件。犯人は中年の男だとか医師じゃないか(殺害方法から)とか、南京錠の謎だとか、収拾が付かない方向へ向かっていた。
だけど声明文の「SHOOL KILL」のスペルを見て父は「仮にも医学部へ行った奴がこんなミスはしないだろう。中学生か高校生じゃないか」と言ったが、まさか自分と同学年とは思わなかった。同じ年にてるくはのる事件というのもあったんだけど、こちらは警察のヘマで犯人(浪人生)に自殺されてしまったので今では誰も知らない。当時は暗号解読とかで話題になったんだけどね。
高校は学区トップ校へ。加藤君と一緒ですねー。まあでも国際科に落ちてスライドで普通科に通ったから屈折してると言えば屈折してるんだけど。
そういえばこの高校、最近やたら進学実績伸ばしてて、進路指導のN先生はホクホク顔だと思うんだけど、驚いたことに今年のT大合格者十数名全員が国際科だった。
なんつーか、重点的に資源配分してるのかねー。あからさまなのは嫌なんだけど。
最初のテストで下から少し数えたらたどりつく順位をとって、ショックだった。しかも成績上位者を張り出すとかどんな嫌がらせ。
そう言えば毎回1位をとっていたY君は地元の帝大に行ったんだけど、進路指導的には痛恨事だっただろうなあと思う。(だけどそのエピソードに自分の受験校をちゃんと自己決定できるリベラルさが凝縮されてると思う。2番手校以下は結構介入が激しかったらしい)
懲りずに運動部に入るけど、かわいがってくれた先輩がいなくなったら居づらくなって辞めた。友達に誘われて別の部に入るけど、マネージャーが××だったのと手が小さくてボールがつかめないのを気に病んで辞めた。やることないので生徒会長に立候補したけど落選した。
しかし帰宅部ではあまりにもアレすぎるので友人たちと会合を何回か開いてそれを同好会に昇格させた。
会長から一人では手が足りないと請われたので予算委員長代理として予算折衝やイベントの運営に当たった。
次の期で会長になったけどやりたいことはあまりできなかった。むしろ黒幕のときのほうが好き放題できた気がする。
豊川主婦殺人とかネオむぎ茶とかみんな同学年だった。「キレる17歳」と連日言われて、ナイフ事件とかが全国各地で多発してた。
大学受験したけど結局一つも受からなかった。仕方がないので代ゼミに通った。
代ゼミではほとんど友達ができず、言葉をしゃべるのも忘れそうになった。おまけに衛星授業で黒板端の文字見えないし。
唯一できた友達がS価高校出身の子。
「やっぱりS価高校の人って全員S価信じてるの?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
どんな会話だ。
そういえば代ゼミで私立中高に通っていた小学校時代の友人に再会したが、彼の言うことが支離滅裂で面白かった。
「俺は株でもうけて大金持ちになるんだ」
「じゃあなんで医学部行くんだよ」
「元手を稼ぐためだよ」
とか、
「そんな大学あったっけ?」
「医科歯科大だよ」
「(お前絶対御茶ノ水行ったことないだろ・・・)」
テレビ見てたらビルに飛行機が突っ込んで、「世界は核の炎に包まれた」ってなるのかと心配した。
で、再度の受験。なんかセンター試験でいい点が取れてしまってセンター利用でおもしろいくらい合格が出た。
話したこともないのにルックスだけでぼんぼこ告白されるようなそんな感じ。
「中身見なくて大丈夫なんですか?」と皮肉の一つも言いたくなる。
続く・・かも。(でもその世代の雰囲気は伝わるでしょ)
すぐ怒るとか自己中とかいった精神的なキャパシティの小ささは、
単純に性格が悪いとかいう話じゃなくて、先天的な脳機能の欠損(自閉症)だという例が意外に多い。
自閉症でも、専門家なら普通の生活ができるように教育することは可能だが、普通の親や友人にはとても無理。
なにしろすぐ怒るのだから手に負えない。
そして放置、孤立化、暴発。
報道されてる犯人の言動をみるかぎり、モロにこれ。宅間とかネオむぎ茶とかもこれでしょう。
しかし客観的に言って、こういう事件を起こすリスクが先天的に高い人達というのがいるのだ。
となると、凶行の原因を犯人の性格、親の育てかた、周囲の環境に求めても、解決にはならない。
毎度毎度、周りの人が「死にたいなら一人で死ね」「親が責任を取れ」とか言って気を晴らし、
必要なのは、普通の教育では普通に育たない人間が存在することの理解。
そして、彼らも専門家の教育によって普通の生活ができるようになることの理解。
みんな一緒くたに学校行かせといて、協調性がないから社会の爪弾き・・・これでは、永遠に同じことが起きる。
でも、自閉症がどうのなんて言ったら、近視眼な連中から差別主義者扱いされるだろうから、誰も言えない。
適切な教育を受けさせないことの方が、本人にとっても周りにとっても不幸なのに。