はてなキーワード: クラブ活動とは
部屋には私だけだ
つける気は起きなかった。その頃、我が家は貧乏でゲーム機なんか無かったし暇を潰す様なおもちゃもあんまり無かった。仕方なく天井を眺めていると、誰かがこちらを見てるような気がして
目を逸らした。目を逸らして気がついた
その静けさに
そうだ、ここには私しかいない
台所で水が垂れた音が自分に近づいてくるみたいで震えてしまった
どうしよう、どうしようと自分のにおいがする
毛布を引っ張ってきてその中に身を隠した
だけど変わらず周りは静かで
静かで
静かすぎて不安だった
もう寝ようと思ったけど、こんな時にねむれない
目をつぶっても誰かが私を襲ってくるんじゃないか知らない内にとそう思うとねむれない
そうだ、テレビをつけて気を紛らわそうと
毛布を出ようとしたが、誰もいない部屋と目が合ってやっぱり出られなかった
すきま風が私を凍らせようとしていた
毛布の中は冷えていくばかりで
涙が止まらなかった
気づいたら母親が帰ってきていて
毛布の上に掛け布団がかかっていた
それでもまだ涙が出てくるので
しばらく毛布に隠れていた私である
docomoの配信サービスで配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。
そんな番組に出会ってしまったことをきっかけに、自分の人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。
両親のことは大好きだ。
奨学金なんて必要ないくらいの収入があった父親に専業主婦で毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。
中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。
親ガチャとかいう言葉だって必要ないほど恵まれた環境で育った。
根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。
少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後は毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。
それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。
身バレしたらしたで仕方ない。
ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。
今から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望みだってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。
物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器を演奏したりするのが大好きだった。
私の通っていた郊外の幼稚園にはたしか必須のクラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆の書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。
クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。
幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉が先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。
n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分の習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。
ピアノやバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。
小学校に上がるタイミングで関東の割と都会な地域に引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値な私立の中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。
n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校の宿題とは別で、毎日のノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。
小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日のプリントのおかげか、成績は相当良かった。
あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元の中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。
地域のお祭りに行った時にステージで見た、小学生のダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。
お風呂でオリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分がカリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。
小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校(中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校に演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。
4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学。県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。
塾自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。
常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。
今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数は強敵だった。ほんとうに難しかった。
わからなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。
受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。
小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口や友達のグループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。
塾に行くようになったことで、授業中の発言や普段の言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。
自分に問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまり話さない子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。
5,6年生のときはクラスの3分の1が中学受験をしている子たちだった。
学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任は中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題が毎日出た。
大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校の宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。
周りの受験生も学校の宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。
クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様と揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。
泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。
そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。
中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。
頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。
怒られない日の方が珍しかった。
自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。
当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。
親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験で競争率が高い中やることだから、中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分の意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。
地元の中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言と暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。
後日優しい口調の親に丸め込まれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。
結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学はそもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学に入学することになった。
B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。
中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系の部活に入った。
チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系のダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶で女子の集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。
毎日の練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。
最初は地頭で乗り切っていた定期試験もだんだん順位が落ちていき、高校に上がってからは留年スレスレを彷徨うこととなった。
中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。
内向的になりかけていた自分の性格がさらに内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。
順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験を経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。
中高一貫校の性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。
進学校の勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活の時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。
家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。
流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないものの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。
結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベルの中学に入学したし、私は大学受験の勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立の大学のよくわからない学部に現役で合格した。
私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。
姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。
申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家は中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。
半年に一回くらい、ボイストレーニングの無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストのオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。
そして今、私は大学生をしている。
持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルやミュージカルサークルの所属してステージに立ってみたこともあった。
お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。
そして、とある前世持ち練習生の存在をきっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組の配信に辿りついた。
が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。
大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。
私もそっちに行きたいって。
アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージで表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。
私の好きなアイドルは10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。
その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。
私は音楽が好きで、自分で何かを表現したかったという気持ちは絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?
中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかったことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか。
小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組のステージに立てたのではないか。
私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強を自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。
今考えたらあの習い事もクラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強は自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。
中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。
元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。
家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。
私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元の中学でもよかった。
やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。
それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立の学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。
それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミングで部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ
docomoの配信サービスで配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。
そんな番組に出会ってしまったことをきっかけに、自分の人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。
両親のことは大好きだ。
奨学金なんて必要ないくらいの収入があった父親に専業主婦で毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。
中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。
親ガチャとかいう言葉だって必要ないほど恵まれた環境で育った。
根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。
少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後は毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。
それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。
身バレしたらしたで仕方ない。
ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。
今から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望みだってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。
物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器を演奏したりするのが大好きだった。
私の通っていた郊外の幼稚園にはたしか必須のクラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆の書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。
クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。
幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉が先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。
n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分の習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。
ピアノやバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。
小学校に上がるタイミングで関東の割と都会な地域に引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値な私立の中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。
n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校の宿題とは別で、毎日のノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。
小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日のプリントのおかげか、成績は相当良かった。
あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元の中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。
地域のお祭りに行った時にステージで見た、小学生のダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。
お風呂でオリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分がカリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。
小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校(中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校に演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。
4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学。県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。
塾自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。
常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。
今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数は強敵だった。ほんとうに難しかった。
わからなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。
受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。
小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口や友達のグループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。
塾に行くようになったことで、授業中の発言や普段の言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。
自分に問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまり話さない子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。
5,6年生のときはクラスの3分の1が中学受験をしている子たちだった。
学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任は中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題が毎日出た。
大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校の宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。
周りの受験生も学校の宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。
クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様と揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。
泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。
そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。
中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。
頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。
怒られない日の方が珍しかった。
自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。
当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。
親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験で競争率が高い中やることだから、中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分の意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。
地元の中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言と暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。
後日優しい口調の親に丸め込まれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。
結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学はそもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学に入学することになった。
B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。
中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系の部活に入った。
チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系のダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶で女子の集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。
毎日の練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。
最初は地頭で乗り切っていた定期試験もだんだん順位が落ちていき、高校に上がってからは留年スレスレを彷徨うこととなった。
中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。
内向的になりかけていた自分の性格がさらに内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。
順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験を経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。
中高一貫校の性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。
進学校の勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活の時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。
家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。
流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないものの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。
結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベルの中学に入学したし、私は大学受験の勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立の大学のよくわからない学部に現役で合格した。
私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。
姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。
申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家は中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。
半年に一回くらい、ボイストレーニングの無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストのオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。
そして今、私は大学生をしている。
持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルやミュージカルサークルの所属してステージに立ってみたこともあった。
お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。
そして、とある前世持ち練習生の存在をきっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組の配信に辿りついた。
が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。
大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。
私もそっちに行きたいって。
アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージで表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。
私の好きなアイドルは10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。
その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。
私は音楽が好きで、自分で何かを表現したかったという気持ちは絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?
中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかったことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか。
小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組のステージに立てたのではないか。
私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強を自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。
今考えたらあの習い事もクラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強は自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。
中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。
元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。
家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。
私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元の中学でもよかった。
やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。
それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立の学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。
それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミングで部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ
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あらゆる年齢層が同じクラブに集められる
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「同じクラブのメンバー」という理由で合法的に大人が子供と接触する機会が増える
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クラブ活動は地域の表立った活動から私的な活動としての色合いを強めていく
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私的なクラブの中で何が起きているのかを外から知ることが難しくなる
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児童性愛者やそこに鼻薬を嗅がされた人間達で管理権限が固められたクラブが誕生したら???
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俺は怖いよ。
四谷大塚みたいなことが起きる機会が今後何倍にもなる。
スポーツ系のクラブ活動となれば当然のようにどこかで着替えをすることになる。
恐ろしいことだよ。
不特定多数の人間が代わりばんこに使う施設でやってたら犯人の特定も簡単じゃないだろうな。
管理責任を問うにしても誰をどう責めれば良いのかも分からないから曖昧になるだろう。
すぐそこに来てる。
https://www.kyobun.co.jp/article/2023101106
この記事のブコメがとんちんかん過ぎたので、記事に少し補足します。
■3行で
・財務省は文科省の予算を下げる、コストカットするとは一言も言ってない
・財務省は、文科省の案通りにしてきた(拡充すべき点は予算増加させた)のでしっかり効果出せ、と言っている
https://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/index.htm
・10月11日に開かれた財政制度等審議会(財務相の諮問機関):財務省のコメント
まずは上記見てみてください。前提として文科省が予算案を出してきたので、それに対して財務省がコメントした構図(それが記事になってる)
近年出している文科省の予算案は、案の通り成立したと文科省から出ています。コロナ影響等の補正予算も成立しています。
今回も案通り成立すると思われます。
(会社で事業計画立てたことある人はわかると思うが、事前に両省庁でしっかりネゴってる。そうしないと期間内に予算案→成立までいかない。国ならなおさら。)
元記事の教育新聞は文科省寄りだと思うので、そのような書き方になっているが、よく読んだらどこにもコストカット等の記載はありません。(無料で読める範囲)
さらに今回の財務省が出したコメントにもそのような記載は一切ありません。
「数に頼らない学校運営を~」の部分も、文科省の要求通り人と予算をこれまで拡大してきたが、効果が見られないので工夫(配置や活用)しろと言っている。
財務省としては、予算は出してるから文科省は仕事しろ/結果ちゃんと出せ、という感じです。
今回の財務省のコメント読んだら印象全然違うと思うので、一度読んでみてほしいです。
・少子化の進展による児童生徒数の減少に比べ、教職員定数(「量」)は減少していない。他方、教員の採用倍率は低下しており、(定年延長や退職者の減少により一定の改善が見込まれるものの、)「質」の確保は引き続き課題。
・そのため、予算面においても、教員業務支援員等の外部人材を大幅に拡充する等により、勤務環境の改善を図ってきたが、教員の労働時間はそれほど減少していない。
・このような中、教員の給与の在り方を検討する際は、「働き方改革」等による負担軽減を徹底した上で、既存の手当の見直しとあわせ、特定の主任業務につくなど負担の大きい者が報われるようなメリハリある体系とすべき。
・むしろ、日本の労働力人口の減少や厳しい財政事情を踏まえれば、「ヒト」も「カネ」も「モノ」もではなく、いかに持続的・効率的に学校運営を図っていくかを検討すべき。
■ブコメ
まず隗より始めよと言うので、とりあえず財務省の人員を半減してから議論を始めると良いと思う。数に頼らない財務省運営をお願いしたい。
これまで増やしてきたのに効果出てないので、文科省はちゃんと仕事しろ、という流れです。
「GDPに占める教育機関への公的支出の割合が日本は2.8%で、OECD37ヶ国中36位」という現実に真っ向から反対する財務省。教育は国の基礎だと思うが。
割合を増やしたいなら、文科省がそのような案を説得力のある形で出すべきです。
文科省が結果/案を出せてないだけで、財務省は現実に真っ向から反対していません。
大量採用した中の若手教員が産休を取得することが教員不足の一因とされているが、採用数は一定を維持するし、定年延長により退職者の増加も緩やかになるから、改善されると言っている。
財務省は、若手教員が産休取ったとしても大丈夫、と言っている立場です。
文科省の方が怪しいです。
足らぬ足らぬ…やはり出ていたか。日本て進歩しないなぁ。小銭をケチって大銭を失うのが日本のエライ人の特技。コストカットが財務省の身上なんだからいっそ部活廃止でも打ち上げれば面白いのに。
まさに…なコメントです。
「これまで教員業務支援員等の外部人材の人数・予算を大幅に拡充してきたにもかかわらず、十分な効果が出ているとは言い難く、より効果的な配置や活用を図る必要もあるのではないか。」
「働き方改革の本質は、「業務の削減」による本来業務やプライベートの充実。文科省は、「学校・教師が担う業務に係る3分類」(平成31年)について「対応策の例」を公表(本年8月)したが、こうした取組を文科省・教育委員会・学校がそれぞれトップダウンで実行すべき。」
財務省は教員の負担軽減のために予算を文科省の案通り拡大したが、全然効果見られないのでちゃんとそれぞれの役割で改善していけ、と言ってますね。
部活動忌み嫌う人が多いですが、その改善ができてないのは文科相です。財務省は予算は出してます。
財務省は必要に対し金かけてそれ以上の価値を生み出す、という視点が決定的に欠けている/あと必要な人員を満たすような予算措置していてそれをオーバーした要求がある時にはじめて言っていいセリフだなそれは
ここまで読んでどうですか?
この人に限らず、いかに思い込みだけでコメントしてるかがわかりますね。
なんでもコストとして削減することしか考えてない。結果的にコストとともに国力も減衰させる。財務省の役割的には仕方ない部分もあるが、財務省はそう言う組織と言う前提で提言を真に受けず聞き流すくらいが丁度良い
お財布担当としてむしろ真っ当な提言をしているので、「文科省仕事しろ」が僕たちの意見になると思っています。
サービスでやらせているクラブ活動指導などの人件費に予算つけるべし。教員の職務規定に入ってない事をやらせるのは労基法違反じゃないですかね。
文科省の案通りにこれまで予算案が成立してきて、もし現状も改善されてないのであれば、どこに問題があるのでしょう?
こういうことです。どちらもバチバチにやってほしい。
■余談
「文科省仕事しろ」とか書いてますが、仕事してないとは全く思ってないです。
結果も簡単には出ないことは理解しているので、これからも頑張って欲しいです。
ブコメがあまりにも財務省タタキで気持ちよくなってるのを見て、ゲボが出そうになっただけです。
https://rongkk.com/nanikore-2019-4-7-6/
あとこの映画で始業式の様子が写ってる。
中学校は生徒が1人だが、学校には校長、教頭、担任、副担任、養護助教諭の5人の先生がいて、給食は新くんのお母さんが作っている。島に同世代の子どもがおらず、新くんは放課後 毎日のようにお父さんと海釣りをし、釣った魚を自分でさばいて夕食に食べる生活をおくっている。学校生活では、定期的に本土の運動会やクラブ活動に参加して本土の生徒と交流もしており、時には本土の友達が島に遊びに来ることもある。島では、新くんが淋しくないように島民の方々が学校の行事に積極的に参加、島の住民みんあと多くの時間を一緒に過ごしてくらしてきた。
主人公達が大人になった姿をみせるオトナプリキュアもいいんだけど、俺がみたい20周年作品を妄想して置いとく。(ちなみにプリキュアはあんまり見たことない。初代とアラモードくらい)
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近所にすむ幼馴染の4人。 5年生3人と4年生が1人。親同士の付き合いもあり、家族みたいな関係だ。
ある日、小学校帰りの4人は犬に食べられそうになっているボロボロで動けなくなっている妖精みたいな謎の生物を助ける。
「なんか死にそうだったから助けたの。うちに置いてあげていい?」
「……。うーん、それじゃーちゃんとお世話するのよ?」
「はーい」
謎の生物に地域の平和を守って欲しいとお願いされ、学区内の平和を守るクラブ活動をはじめる4人。心配性の口煩い親にバレると面倒なのでこの活動は親にも内緒だ。
地域の平和を守る活動は小学生のおままごとみたいなものから、少しずつ奇怪な出来事に巻き込まれるようになる。そして色んな結果の果てにそれぞれプリキュアになる4人。
ある日、数々の謎な事件を解決したり怪物達を倒してきてこの内緒のクラブ活動が楽しくなってきた4人は、気が緩んでちょっとしたミスから絶体絶命のピンチに!
変身も解け意識を失う4人。
「こんなにボロボロになって……」
「……よく頑張ったね」
ふたりは古めかしい時代遅れの携帯電話のようなものを手に持ち、お互いの手を握り合うとあたりが光に包まれる。
そして光がはれると黒と白のバトルドレスを身につけた中学生くらいの少女たちがいた。
「闇の力のしもべ達よ!」
「とっととお家に帰りなさい!」
「気づいたら早く帰ってきてね」
「好物のチョコとクリームのショートケーキつくって待ってるわ」
あの子達には内緒にしてね、と妖精に言い残して帰路につくふたり。
帰りしなに気を失っている4人を優しく見つめてつぶやく
「悔いのないよう頑張れ」
「楽しむ事を忘れずにね」
仲良く喋りながら歩くふたりの大人の姿は、20年前から変わらない。
次の日からも内緒のクラブ活動に勤しむ子供たち。一度失敗したかもしれないけれど、そんなものは成功の下準備でしかない。
挫けず、めげず、そして楽しくクラブ活動を続ける4人の顔は今日も笑顔だった。
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みたいなー。
激しさ増す教員奪い合い、副校長が土日返上で400人以上に電話…担任4人交代のクラスも(読売新聞オンライン)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
のニュースとブコメを見て何年か前に非教職・非正規として小学校に勤務するようになった自分が思ったことを書いてみる。勘違いしてる所もあるかもしれないので怪情報ぐらいで読んでくれ。
まず、授業だけならYoutubeでいいっていう意見。学校は教科を教える場だけでなく、以下みたいなことも教える場になっている(ちなみにこれは高等教育でひっかかったが、教科だけでないというサンプルとして)
1 人間として相互に尊重し合い,友情を深めるとともに,集団の規律を遵守し,責任を重んじ,協力して共同生活の充実発展に尽くす態度を養う。
2 広く考え,公正に判断し,誠実に実践する態度を養うとともに,公民としての資質,特に社会連帯の精神と自治的な能力の伸長を図る。
3 心身の健康を増進し,個性を伸長するとともに,人間としての望ましい生き方を自覚させ,将来の生活において自己を実現する能力を育てる。
つまり運動会とか修学旅行とかクラブ活動とか地域との連携とか委員会活動とかまで含めての総合教育の場になってるんだよ。
一人の個人として社会の中でうまくやっていけるように十分な知識とコミュ力まで育てるみたいな感じ。
だから学校なんかいらない、動画だけ見て覚えればいいじゃないかというのはそもそもの学校教育の趣旨と異なる。だから先生の業務が膨大化してしまう。
あとなんで副校長が非正規の募集で電話かけまくっているのかということについて。
自分の見た限りだと基本、学校の方針は校長からのトップダウンになってる。だから校長が変わると学校としてのやり方がかなり変わったりする。校長と副校長二人で決めてあと事務員さんが実際に発注とかして学校運営を担ってる感じで。
だけど担任を持つ先生たちは普段は個々に独立してるみたいな感じ。個人に委ねられる権限と裁量がとても大きい。
クラスのことは担任の先生にだいたい全部委ねられる。問題が起きたら校長副校長に相談はしてるけれど、クラスのことは基本担任が一人で対応してる感じ。
現場で見ていると副校長はとにかく校長に言われたことや手続き的なこと、学校運営の調整、問題が起きた時の現場対応、その他ありとあらゆることを千本ノックみたいな感じでこなしていってる。
この記事の場合はだから、副校長が電話かけまくってるけど、校長が電話かけまくってる場合もある。
非正規しか募集できないのは単純に予算がないから。予算はどこから出るのかというのが問題。
教育委員会助けてやれよという意見があったが、教育委員会←→教職 みたいな感じで教育委員会に勤務してる人が教師でくることもあるし逆もまた然り。
仕事はお互いに協力という感じではない。現場のことは現場のことでなんとかしろ、現場の中では担当者が一人で全部対応しろみたいなのが教育現場。だから重責の業務担当になるとまじで労働時間とかやばそう。
現場は本当に人が足りない。子どもがいる人は自分の子どもやその友達が40人になって、そのクラスを一人でみなきゃいけない状況を想像してみてほしい。
中には外国語しか話せない人、いじめ、スマホのトラブル、不登校、モンペ、そんなのがいて束になって問題を投げつけてくる。
その上に研修活動とか展示とか自治体のなんとか委員会の担当とかそんな業務もある。毎日12時間ぐらいの労働時間。どう考えてもやばい。
だから病む人も多い。見てるとまじめで優しい人は病んでしまう確率が高い。
すごくいい先生が泥の中の蓮の花のように咲いていて生き残っていたりもするけど、人間的にどう考えてもやばい教師も点在する。
あと新人もいきなりクラス担任をまかされたりして、すごくかわいそう。研修期間みたいなものをしっかりとれればいいのにと思うが、そんな余裕がない現場。
見ました、いやーおもしろかった。
グリッドマンのときも思ったけど円谷プロはアニメに出てきても最高ですね!
最高ではあったんだけど、結構説明が不足してるなーと思ったところもあるからそのあたり適当に書いていくね。
みんなはどう思ったのかとか公式から答えが出てるよとかあったら教えてほしい。
なんだか、みんな物凄くフワッとした理由で戦っているように見える。
みんな現実生活に不満を持っていて、それを忘れられるクラブ活動のようなノリなんだろうか?
オープニングで人の手からポロポロ落とされてたけど、あれは誰だ?
10話で怪獣使いが死ぬシーンが描画されているけど、シズムだけはそこに登場していない。
彼は何処にいったんだ?
だれだよ?
そういう話が出てきてたけど、確証はないよね。
怪獣使いの力が弱まっている理由って何処かで説明されていたかな?
そもそも、本当に3つ目があったかどうかは怪しいのだけど姫が言っていたというセリフがあるので記憶が鮮明なら3つ目は何だったんだろう?
よく大事なことが〜というセリフを言うけれど、当の本人にそれに基づいた行動はあった?
もしかして、それほど重要な意味はなくて姫に言われたのをうろ覚えしていて適当に言っていただけなのかもしれない。
そうすれば3つ目が最後まで聞けなかったのも納得出来る。
しかしなんで正社員の雇用が守られすぎているという話になると、一足飛びに解雇規制の緩和を持ち出す人達ばかりなんだろう
私は現状の日本型雇用における正社員制度の問題点って、解雇が難しいところではなくて雇用継続中の待遇が良すぎる事の方にあると思うんだよね
事務職派遣で大企業いくつかに行ったけれど、本当にどこも環境の良さにびっくりした
立派な自社ビルに豪華な社員食堂や休憩室、社員が利用出来る診療所もあり
スポーツなどの各種クラブ活動も盛んで留学支援や資格取得補助制度もあり
勿論給与も良いんだろう
現状では
となっているけれど
私は
地域クラブということは、一般の吹奏楽団とほぼ同じような団体になるので、一般楽団を複数経験している増田が「お金」の面を試算してみたよ。
練習場所の費用、楽器保管場所の費用、楽器保管場所から練習場所やコンクールなどの本番演奏の場所まで楽器を運搬するための費用、外部講師の費用、個人保有が難しい楽器や設備(主に打楽器、ハモデレなど)の維持管理費用、譜面購入費などだ。
・地域は首都圏のベッドタウンレベル。今話題の柏市クラスとする。
・練習は週3回(平日2回、土日どちらか1回)、1日あたり3時間とする。一般楽団は初心者を断っていることもあり週1回の練習がほとんどだが、学生を対象とした地域クラブの場合は初心者教育も行わないといけないため、週3回とする。
・練習準備と後片付けにかかる時間はそれぞれ1時間とする。つまり練習場所の確保は5時間必要。
・外部講師は毎回の練習に来てもらう常任指揮者1名と、土日練習で管楽器や打楽器などを見てもらう講師2名が居るものとする。
・練習場所は公民館のホールレベル、保管場所は8帖のレンタルボックス、楽器運搬に使うのは2tトラックのレンタカーとする。楽器運搬に使うレンタカーの運転は団員の親が持ち回りで担当するものとする。
・本番は吹奏楽コンクール2回(県大会、地区大会)、定期演奏会1回とする。→これは学校の部活と同じ条件なので、費用試算では考慮しない。
・大型楽器や打楽器のラインナップは地区大会まで出られるレベルの吹奏楽部と同等とする。ティンパニ4台、鍵盤楽器一式、ピアノなどを保有。また、楽器購入費は考慮しない。
練習場所の公民館は5時間利用だとだいたい5000円くらい。意外と安い。これが年間150回になるので75万円。
講師の費用は、まともな人(何処かのプロ楽団に常任メンバーとして属しているクラスの人)なら1人あたり3時間で2万円くらいが今の相場だ。常任指揮者には2万円×150回=300万円、講師2名は2万円×50回×2名=200万円。合計500万円。
保管場所は、8帖のレンタルボックスは1か月あたり3万円~4万円が相場。3.5万円とすると、年間42万円。2階建てのレンタルボックスの2階だともう少し安くなるが、レンタルボックスの2階は楽器の保管には使えない。階段の傾斜が急すぎて大型楽器の出し入れが物理的に不可能だからだ。
練習場所への運搬費用は、レンタカー費用が1回当たり1.5万円なので、150回を掛けると225万円だ。
合計すると、862万円。
この中で学校の部活動だとかからない(学校側が負担してくれる)費用は「練習場所費用」「常任指揮者の費用(顧問が担うため)」「保管場所費用」「練習場所への運搬費用」であり、それらを差し引くと300万円。
これは大雑把な試算だが、部活動を地域クラブ化することで、かかる費用、つまりクラブ活動の参加者が負担するお金は2倍以上になると言うことは覚えておくとよいだろう。もちろん団としてのレベルを下げて、ティンパニは保有しない(ティンパニを使う曲を一切やらない)で4帖のレンタルボックスで間に合うようにする、練習回数を減らして楽器運搬もミニバンで間に合わせるようにするなどしたらかかるお金はもっと減るが、それは吹奏楽団の「質」とトレードオフになる事も覚える必要がある。
そりゃネットが発達したこの時代、世界のどこにだって「愛好家」にカテゴライズされる物好きとかマニアのたぐいはいるだろうよ。
だから「必ずしも無名ではない」かもしれないが、それだけで有名というには流石に無理がある。
まあフェスが開催できて、メーカーに依る開発が続く程度にシェアを持つ規模まで行く楽器は限られるけど、それだってオーケストラや軍楽隊含む吹奏楽で世界的に広く普及している楽器とは比較にもならないだろう。
アマチュアという裾野の広さが大きく違う時点で、プロ奏者の数・楽器の生産数といった規模も全然違うし、そうした違いもあって、知名度も比較にならないくらい違うんじゃねーの?
そうなるとギネスにおける楽器の難易度という議論の俎上に乗る可能性は限りなく低いし、それはディスでもなんでもないというか、勝手にディスったことにされても困る。
文字通り「問題にする人が限られる」知名度なんで、多くの人にとって「そんなの知らん」で終わって当然。
虚無僧が世界中の街角で尺八を吹くという冗談を理解できないのであれば、世界中の学校のマーチングのクラブ活動でホルンが登場するのと同じか、町のピアノ教室と同じくらい、尺八の教室が世界的に珍しくなくなってからまたおいで、と言っておこうか。
琵琶と尺八がオケをBGMにチャンバラする曲という、色々と前代未聞の発想で、世界の武満の名を不動にした傑作だし。
尺八の首振り三年は有名だけど、それって西洋の木管楽器のベンド奏法の延長という時点で、取り立てて言うことか?
だからフルート吹いてた流れで尺八に手を出す人もいるし、実際兼任可能なくらいの違いってことでしょ。
少なくとも弦楽器と管楽器ほどは違わないだろうし、要は程度問題。
もちろん、首を振らなきゃ音を変えられない楽器はなかなかないと思うので、フルートや日本の横笛系(龍笛とか篠笛とか)から乗り換えて、すぐに尺八らしい音になるかといったらならないだろうけど。
加えて、下に書いたように西洋楽器と和楽器で求めるものが違う部分も無視できないが、上に書いたフルートからの乗り換え・兼任が不可能じゃないこともまた無視できない。
指穴が5個しかない?そんなこと言ったらフラウト・トラヴェルソも7つくらいしか音孔ないんですが。
あと一番引っかかるのは、西洋楽器と和楽器に求められる音の違いを無視しているかのような
私が言いたいのは、どちらの楽器も構造上不完全な特徴があるからこそ、唯一無二の音色が出せる、という側面もあるということです。
例外は色々あれど、和楽器はノイズも音の美学としていて、むしろ故意にノイジーな音を増やすために改良した楽器もあるときく(楽琵琶から薩摩琵琶への変化とか?)。
一方で西洋楽器は倍音以外を排除し、またそれを実現させるためというのも理由の一つとして、操作性の向上にも力を入れてきた。
要は求められる音が違うので、言ってしまえば「不完全」が示す意味も違ってくるんじゃねーの?
だからその意味で、本来はホルンでもなんでも西洋の旋律楽器で音が外れやすいなんて普通にダメだし、そんなミストーンが頻発する楽器はもっと改良されるか淘汰されて当たり前。
というか西洋音楽の伝統と作法が大きく変わらない限り、ホルンはもっと改良されるべき。
尺八は今の状態で不完全だとは思わないどころか、むしろフルートや龍笛から出せないノイジーさは凄いと思うけどね。
あとは、まともに旋律が吹けない(そういうふうに意図的に作られた)能管の、割れまくった高音もやユラユラした中低音も、和楽器ならではの魅力だろう。
それとブクマカが謝っているけど、こういう話題でトラバに尺八を楽器以外の意味で使うやつとそれに便乗するやつは、マジで寒すぎるので勘弁。てかキモい。
冗談なのか煽りなのか知らないが、非表示にできる機能がほしいところ。
なんか物凄い否定的な反応ばっかりで草。
本当に、冗談抜きでこのトラバはディスじゃなくリスペクトを主題に書いたつもりだけど、今読み返してみたら随分嫌味ったらしいと思ったわ。
書き方が悪ければというか、文章は書き手の意図に関係なく書いた通りにしか伝わらないもんなので、誤解とか言うつもりはないし、むしろ多くの読者に不快感を与えたのは申し訳ない。降参する。