はてなキーワード: ネクロフィリアとは
まず、「定義的におかしくなる」という指摘は、クィアという概念の範囲とその含意についての議論に基づいています。この議論は、クィアという用語が本来指す範囲が広義であること、つまり「正常」とされない性的指向を包括するため、ペドフィリア、ズーフィリア、ネクロフィリアなども含むべきであるという論点に関わるものです。ここで焦点となるのは、社会的に「正常」とされるか否かであり、性的同意の問題とは異なる概念です。
性的同意の有無は重要な倫理的かつ法的な要素ですが、この文脈において議論されているのは、性的同意とは無関係に「クィア」という言葉の適用範囲がどこまで広がるべきかという問題です。「定義的におかしくなる」という主張は、性的同意の有無ではなく、クィアという概念が本来持つ意味の一貫性や範囲についての議論であり、これに対して反論するためには、その意味論的な広がりとその正当性についての理解が重要です。
したがって、この文脈では「性的同意があるかどうか」という要素は、本来の議論の焦点ではなく、クィアという概念の定義やその社会的・文化的な適用範囲を巡る議論が主題となっているため、性的同意の話に持ち込むこと自体が議論をすり替えるものであると言えるでしょう。
ブーンブーンブーングルグルグルグルブーンブーンブーンブーン
「単調やなあ」
最初に突っ込んで感じたのはそれだった。
初めてオナホを使ったときに感じた吸引力への感動を人生でもう一度味わえると思ったが、その期待は裏切られた。
シコシコしなくていいから手が疲れないと思っていたが、実際には重さ数kgで取手もない大筒を構えることのほうが、数百gのシリコンを上下に動かすよりもずっと手の負担になることもすぐに分かった。
クッションの上に寝かせておけば両手が自由になるかと思い試してみるも、振動によって倒れ込んだ時にチンコがグルっと捻り取られそうになったのでこの方法は危険だ。
電動と言っても要するにオナホをグルグル回したり振動させたりしているだけであり、こんなのは普通のオナホを自分の手の中でグルグルと回したり握ったりして用意に再現できるものだ。
「電動オナホ」という言葉が持つ夢のある概念に皆が期待するものは電動オナホでは得られない。
電動オナホを買うぐらいなら2万円ぐらいの尻型オナホを買った方がいい。
尻型のオナホだったら机の上に固定して打ち付けるという普通のオナホでは絶対に出来ないことが可能だ。
冷たいのだ。
普通のオナホは手の中で握って性器とこすり合わせるうちに摩擦の影響もあり最終的には程よい温度になる。
だが尻型のオナホは違う。
内側はそれなりに温まるかも知れないが外は違う。
冷たいのだ。
ネクロフィリアの人間からすればこれ以上になく上質な性玩具なのだろうが、そうでない人間からすれば本能的な違和感が拭えない代物だ。
戯れに鍋で尻を煮込んでみたことがあるが、結果としては鍋底に当たった部分を焦がすだけに終わった。
低温調理器具につっこんでジックリと温めることも出来るのだろうが、行為中に冷めていくのだろう。
たとえば使っているオカズが「強盗に入った家の相手を思わず刺してしまい、ここまできたならばと犯していたら相手の体がドンドン冷えていき、この女の命は既に失われているということを肌で感じることとなった」といったものであるならばそれでも良かろうが、大抵の場合はそうではない。
こっちの体温ばかり上がっているのに尻の方は冷えていくというのはどうにもおかしい話だ。
私は全人類が性や指向に振り回されず幸せになってほしいと心の底から願っています。
その為、現状人間なので全人類の中に含まれているけど実際は守るべきではない異常な性的指向を持つ人たちが早く人類扱いされなくなる必要があると考えています。
これだけだと酷いヘイトスピーチ、唾棄すべき差別主義者のように見えますが、この場合全人類に含むべきではないのは「LGBTQ+」などの市民権獲得の為の運動を後押しする声が多く上がり始めているセクシュアルマイノリティではなく、「近親愛者」「ネクロフィリア」「ズーフィリア」「ペド」「極度のサディスト」などの性犯罪者予備軍を指しています。
以降、これら唾棄されるべき属性を「P(ペドフィリア)、Z(ズーフィリア)、N(ネクロフィリア)、+(近親、加害性愛等)」とします。
ちょっと前、「LGBTPZN」という言葉が物議を醸しました。
簡単に言うと「LGBTを認めるとペドフィリア、ネクロフィリア、ズーフィリアも認められるようになるぞ」=「だからLGBTは認めちゃいけない!」という極めて偏り、間違った論調をぶち上げるためにレイシストたちが用いた言葉です。
当然この許しがたく、LGBT当事者たちの人権を脅かす行いは批判を浴び、この言葉を紹介したメディアは謝罪文を出しました。
こういった事柄や、これを参考にせずともマトモな人なら考えればわかるように、近親愛やら加害性愛、PやZやNが侮辱の表現として用いられてしかるべき属性であることは明白です。
他にもPZN+が差別される理由なんて、何万字単位で並べられると思いますが、
一旦は下記2点を上げましょう。
・その欲求の主な対象者に、法的に発言できるという意味の人権はないから
が、正直「気持ち悪いから」だけで十分だと思います。私も気持ち悪いし倫理的に許されないなぁと思います。まともな倫理観を持つ人ならば10人中9人は気持ち悪いと判断するでしょう。(残り一人は人に対して気持ち悪いと思う意思を表明する弱みを作りたくない人であり、賛成しているわけではないので理解者だと思って近づいてはいけない)
これらと正しきセクマイが一緒にされるなんてあってはならないことです。
話が飛びますが、LGBT理解促進法について、理解のないレイシストがSNSで論理の破綻した批判を浴びせていますね。
もちろん私たち良識ある人間はLGBTやトランス当事者が全員犯罪を起こさないわけではないことを知っています。しかしそんなことはそれ以外のマジョリティの方たちと特別違うことではありません。
ゲイの方が道行く男性に興奮して犯罪を起こす例は探せば存在しますが、全体でみれば多少の割合でしかないことを理解しています。
レズビアンやトランス女性が女湯に入ってきても、そこにある他人の体に触れる事件などは現状数例しかないのも分かっています。
当たり前でしょう、そんなこと別にしたくないし、万が一そういう欲求が心の奥底にあったとしてもそんなことをしたら犯罪なんだから。そんなことやりたいわけがない。それをやった犯罪者が同じ属性だったからと言って、その一例をあげつらって何も悪いことをしていないし獣みたいにむやみに興奮なんてしない良識あるセクマイ全体が差別を受けるのは許しがたいことです。
しかしやはりそういうセクマイの方と違って現実に存在するPは登下校してる小学生に加害したいと思ってるしNは人身事故の現場に遭遇したくて不法侵入するしZは牧場に忍び込んでヤギを虐待したくてしょうがない犯罪者しかいない異常属性に違いないので全員発覚次第精神科か泌尿器科に行って治療をお願いするべきですね。
PZN+はたとえ今何もしてないとしてもいつか我慢できず銭湯にいる子供や近くの牧場の家畜や誰かの遺体にむやみに興奮して何かやらかしそうで怖いから差別してもいいものです。
「ちょっと~wロリコンだからって小学校の卒アルとかで興奮しないでよ~w」
「えっそうなんだ!じゃあこれとかZのヒト的にどう?興奮する?」(牧場の写真を見せる)
「俺そういうの気にしないし変な奴好きだし大丈夫!今までの話とか聞かせてよ!」
とかのマジョリティの方からの歩み寄りがあった場合、両手を広げて受け入れるべきでしょう。
まぁ大抵の性犯罪者予備軍たちは常識的に考えて飲み会で友達だと思ってた人に打ち明けて勇気を裏切られたりもしないんですが。言いませんよ。異常者は気持ち悪くて存在してほしくないものっていう「常識」をきちんとわかっているので、むやみに人に打ち明けてもその方に不愉快な思いをさせてしまいますから。
私は私のような人間が、現在の環境のまま「LGBTQ+などの受けるべきでない差別を受けていて、その現状に立ち向かっている美しい性的少数者」とは「土俵に並べて考えることすら烏滸がましく、LGBTQ+への侮辱にすらなる異常な性犯罪者予備軍」として扱われ続けることを心の底から願っています。
LGBTの批判にPZN+を使いたいだけのレイシストではない、PZN+の当事者が「これは差別だ!」なんて今より強く言い出してこれ以上気持ち悪くならなかったらいいなと思います。
多分元から勘定に入れられてないとはわかっていますが性に関する差別を解消したいとき「全ての差別の根絶を」とか「性指向で苦しむ人の救済を」とかあまり言わないようにしてもらえたらマイクロアグレッションだと私が身勝手にも感じていることが減って嬉しいです。
LGBTQ当事者の方たちはセクマイに含まれない生まれつき汚い欲求を持った犯罪者予備軍たちが同じ土俵に立とうとか考えようものなら侮辱と感じ憤るなら、せめて綺麗な言葉の裏に(ただしお前らは除く)を隠さずちゃんと最初から差別してください。
このままみんなの意識が改革されて、LGBTQ+やそれ以外の現在いわれなき差別を受けている方々が今より幸せになりますように!
まず大前提として、小児性愛者がその性的欲望を「実際の」小児に対して実行するということは、現代においては大多数の国で刑法上の犯罪でもあり、社会通念上も許されない行為とされている、ということは踏まえた上で。
小児性愛者向けの非実在表現によるポルノグラフィの供給・流通については、そもそも「小児性愛」という性的欲望のかたちをどうとらえるか、という根本的な立場の違いによって、2つの異なる考え方が生まれてくる気がする。
要は、小児性愛という欲望自体が病理なのか、そうではないのか、ということだ。行為は犯罪でも欲望そのものは病理でないとするのなら、欲望自体に介入する根拠は乏しい。病理であるのなら「当事者のメンタルヘルスのためにも」(パターナリスティックな)介入が可能になる。
そして、そうした心理的傾向---特に、特定の対象に対する選好・執着・嗜癖・依存など---が病理かどうかを決めるのは、究極的には医療専門家集団ではなく社会的なコンセンサスだ。たとえばADHDは昔は「不注意」という傾向だったが、いまは労働現場における時間管理やタスク処理に対する要請水準が厳しくなったことで、立派な「障害」になった。アメリカの福音派や保守派教会は、昔は同性愛行為を宗教上の罪としていたが、90年代以後はゲイ男性の性的傾向を障害とみなして「治療」する修復療法(reparative therapy)を盛んに行っている(あまり効果はない)。我々が今後、それらと同じような手つきで小児性愛と当事者を扱うかどうかということだ(これは、シロクマ先生がお好きな医療化という論点とも深く関わってくる)。
小児性愛の実践が「犯罪」であり「悪」であるということについては、現代社会では一定のコンセンサスが確立したといっていいけど、「現実世界に被害者がいない形で解消される小児性愛という欲望のありかた」自体を病理とみなすべきかどうかについては、どこかに絶対の正解があるわけではない。今のDSMやICDやMSDマニュアルにどう書いてあろうと、それは私達の社会の観念の反映であり、相互作用的に規定されているのだから。これは我々自身が考え、議論し続けなければならない問題だ。「小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィの流通」の是非も、その結論しだいで変わってくる。
一級市民扱いされるようになれば「上がり」と思ってる人も、そうでない人もいるわけだ。
前者には他のセクシュアリティなんぞ知ったことかって感じのもいるし
(特に若い世代のゲイは先人の権利闘争とか知らんから運動をバカにしがち)、
何がフェアかは視点によって違うわけだが、割と広く受け入れられている基準は
そのセクシュアリティが不可避に、または高い確率で他者を傷つけたり、
ズーフィリアは、「聖なるズー」みたいな本が受け入れられるようになったことを考えても
「なんでタブー視してるんだっけ?」という問い直しの機運は生まれつつあると思う。
ペドフィリアは、少なくとも現代の西欧社会は、絶対悪ということにした。
どこからがペドフィリアなのかは文化や時代によって伸縮するが、少なくとも
タブーにした年齢以下の子どもの性的自己決定権は合意があっても制限しますよ、
ということになっている。
性病や出産や性的搾取といった重大な帰結につながる余地がある性行為について
まだリスクを適切にとらえたり、嫌なときにノーと言う判断能力・責任能力を
充分に備えていないから、というのが理由だ。おれはこれは適切な線引きだと思う。
セックスを抜きにしても、法律上はどこの国でも未成年は制限行為能力者という
扱いになるからな。
性愛とは別のタブーを乗り越えない限り、線引きの内側に入れられることは
ないだろう。
世間の無理解のせいでひどいめに遭う」という筋に落とし込むために
ペドフィリアを絶対悪にする、というまさかまさかの落としどころを選んだ。
「正しい性」と「間違った性」の線引きを批判してる話のはずなのに、
著者自身も「間違った性」という線引きをそのまま使ってしまったわけで
大失敗というほかない。
モヨコに運動させられるポッコリお腹の監督くんだったわけだけど、
失礼ながら、監督くんが若返って、モヨコが老けて見えたんだけど、
やはりみやむーに告ってふられたショックから立ち直らせてくれたのがモヨコであって、
未見だが、そのモヨコへの感謝の気持を劇場アニメにしたかったということなのではないだろうか
KKOの自分だって幸せな結婚して、今日はキミへの感謝の気持を映像にして映画館も貸し切りしたんだ(キラーン
みたいに言ってみたい気もしたけど、自分はペドフィリアだから無理なのだった
なんか成人女性に性的興味を完全に抱かないペドフィリアは人類の5%らしいのだけど、
多くは成人女性に性的対象として見られない、興味を持たれない、とかがあって、
成人女性の代替として未成年とか初潮前の女性に性的興味の対象としての方向性が変わるというものらしいのだけど、
中学生のときに公民館の図書館で沢渡朔の「少女アリス」を観たのが最初なのかなあ
今の御時世では写ってはいけないものも写ってたわけだけど、自分の中学時代はネットもない時代だったから、
なんというかショックではあったんだよなあ
ペドフィリアだってカミングアウトしたら、近寄るな、氏ね、うちには子供もいるし関わりたくない、怖い、
みたいに言われたり殴られたりするんだろうけど、
それってゲイがカミングアウトしたら、同性の男性に引かれたり、俺には興味持つなよ、みたいに言われたり、
逆にそれが切っ掛けで殴られたり蹴られたりするようになるのと同じなんではないか、
と思ったりもするのだけど、ゲイやレズビアンは結婚とか成就するけど、ペドフィリアやネクロフィリアは成就しないからなあ
シュタゲの比屋定みたいな人に告ったこともあったけど、振られてしまったしなあ
俺もみやむーからその反動で正反対のモヨコに走った庵野氏を見習って、
自分のモヨコ氏を探すべきなんだろうか
でも、そんな人いないし、いたとしてもバレたら○されかねないだろうなあ
まあでも、岡田斗司夫は自分の娘のおむつを替えていて勃起したようなことを語ってたけど、
自分の場合、それは絶対ないと思う、そこだけは自信があるんだよなあ
自分の血を受け継いでいると考えるだけで、仮に性的なものを感じても一瞬で冷めてしまうというか
親戚同士で結婚する人もいるけど、どうなんだろうなあ
正直言えば、子供の頃、小学生の低学年の頃ぐらいか、性的対象として好き?な親戚の女性はいたんだよなあ
リアル姉とかリアル妹がいると、ファンタジーしか知らん奴に小一時間問い詰めたいぐらいなんだよなあ
そういえばウスターソースも切らしていたのだった
まずはじめに、このエントリーで性的マイノリティを差別するつもりはない。
でも、自分自身の偏見にはびっくりするほど気付けないものなので、嫌な予感がする人は読まない方がいいと思う。
性的マイノリティって、身も蓋も配慮もなくぶっちゃけてしまえば、生物学的には非合理的な存在だ。だって繫殖ができないからね。
だけど、じゃあ野生動物には同姓愛者やトランスジェンダーはいないんだろうか?
と、ふと思った春休みの昼下がり。
例えば同姓愛で言うと、オスだけの環境で飼育するとゲイになる個体がいる。大学で飼っているオスヤギはもうヤる気満々でマウントを取って腰を振っていた。物凄く気まずかったのを覚えている。あなたはヤギの陰茎の形を知っているか……
他にもオス猫が同居のオス猫にマウントをとる事例もある。YouTubeで検索したら結構あるんじゃないだろうか?
メスだけの環境でオス化する個体もあるようだ。先々週あたりの「ダーウィンが来た!」でオス化したカブトムシの話があったと思う。
この辺りで増田は「ネクロフィリアかつゲイのカモ」の話を思い出した。
詳細がわからなかったのでググってみた。
世にも奇妙な検索履歴の爆誕である。面白いのでこのままにしておこうと思う。
調べによると「ガラスに激突死したオスのマガモに別のオスが75分間に渡って性行為を試みていた」という研究でイグ・ノーベル賞を受賞している。なるほど、何となく知っていたのはこのとき話題になったからだと思う。75分も頑張っていた謎のマガモくんには感心するが、話が飛んで行ってしまうので自重する。
気になった人は「カモ 死姦」で検索してほしい。一緒にトンデモ検索履歴を保持しようぜ。
じゃあトランスジェンダーも野生にいるのか? と言うと、いるんだけども話がちょっとややこしくなる。主に当事者への配慮的に。
どういうことかと言うと、トランスジェンダーになる原因がわかっているからだ。
この話をしてヒトのトランスジェンダーにも原因があるとか、治せる病気なんじゃないかとか、そういう雰囲気になるのは困る。困るので、完全に学術的な話だと思って聞いてほしい。本当に他意はない。
実は、ラットは人為的にトランスジェンダーを作ることができる。出典はこちら。https://www.brh.co.jp/publication/journal/024/ss_3.html
実験動物や家畜では「脳の性分化」が報告されている。身体の性とは別に、脳が性ホルモンによってオス化・メス化する現象だ。マウス・ラット・ハムスターのほか、ヒツジでも確認されていて、普通は脳と身体の性は一致する。
で、一般的にはこの「脳の性分化」は胎児期に起きる。ところがラットだけは生まれてからも性分化の期間が続いていて、オスの子ラットに女性ホルモンを、メスの子ラットに男性ホルモンを注射すると、脳の性別は身体の性別とは逆になるらしい。
メス化したオスはメスに求愛をしなくなる。逆にオス化したメスはメスに求愛をするし、オスにマウントを取られても交尾姿勢を取らなくなる。
もちろん、これらの事例を前提にして性的マイノリティに言及するのはリスキーだし、配慮に欠ける。
ヒトでそういう研究があるとは聞いたことがないし、まさか赤ちゃんに性ホルモンぶち込んでみるわけにもいかない。当事者だって、あなたに遺伝的異常やホルモン異常があるかもしれないから調べさせてくださいね、などと言われたら不快だろう。
そういうことがあるのかもしれないと知ってわくわくするのは、それこそマイノリティな派閥だろう。
邪な意味ではほんとにないんだけど、学術的に興味があるだけなんだけど、いやほんとにすみません。このエントリー全部わくわくしながら書いてるけど、そういうつもりではないです本当に。
このままだと性的マイノリティ当事者に会ったときに以上のような話をしかねなかったので、匿名の場所を借りて発散したかったのだ。ああすっきりした。
性的マイノリティがいるのはヒトだけじゃないんだし(マイノリティを迫害する社会構造を持っているのは人間くらいかもしれないが)、いくら生物学的には非合理的だったとしても、やっぱり多様性のひとつとして認識できるような人間でありたいよね。
ヒトなんて非合理的に生きていく生き物なんだし。ていうか完全に合理的に生きられるなら日本は超少子高齢化に苦しまなくて済んでるし。払った年金ってどうなるのかなあ……
そういえば、高級スポーツカー乗り回してパトカーに追われて暴走して人轢き殺したジャンキー女って何だったんだろうな
市営住宅の母子家庭?で裕福とは言えない家庭だったみたいだけど、成績は優秀な方で、明治大学の法学部に折角受かったのに大学デビューを間違えたんだろうか
司法試験を目指すわけでもなく、大学時代からヤクにハマって、住んでる市営住宅でも近所と揉め事や警察沙汰起こしたり、
流石の自分もああいう何のメリットもないことをやる人間の気持ちがまったく理解できない
ネクロフィリアとか特殊な性癖でなくても死体をバラバラにすることは普通にある
旦那のDVに耐えかねて殺してしまったセレブ妻も遺体をなんとか隠そうと思ったが、旅行のスーツケースに旦那が入らなかったため遺体をバラしていた
キモいとかグロいとかそれ以前に、屠殺なども同じだが、バラすというのは非常に体力、労力、精神力を消耗する作業だ
座間の犯人が自慢気に、人間の死体はバラすと臭いので食えないと言っていたが、それは他の動物でも同じではないだろうか
週刊誌の記者との面会から感じる、彼のその自慢気な態度が個人的にはどことなく気に入らないのだが、
最近は流石に変わってきているだろうが、被差別部落と呼ばれるような人や在日朝鮮人が普通の仕事に就けないため屠殺をしていたのはそういうことを含んでいる
座間の犯人は筋トレが趣味だと言っていたが、かなりの体力バカではあるのだろう
どんな殺人犯であれ、猟奇的連続殺人犯であれ、死体の分解にはかなりの体力を消耗するはずである
つまり、その体力消耗というコストと、当然警察に逮捕される社会的ダメージを受けるなどのリスクと、リターンとしての金銭などが釣り合う必要がある
そうでなければ犯罪に手を染めようという気にならない
シャブもギッハブの陰謀とか言ってる歌手から考えると自分にはメリットがないように思える
ヤクの売人は基本的に自分の売り物であるヤクはやらないものである
商売の基本であろう
白石はもう死刑でいいですとか一見いさぎいいことを言っているように思えるが、
なんとなく思うのは、実際は話してない別の事実があるのではないか、ということだ
つまり、それを話すぐらいなら死刑の方がマシ、と考えているのではないか
死ぬことでバックレちゃえばそれでOK!と考えているのではないか
だから、白石にとっては裁判が長引いて真実を語らざるを得なくなる方が怖いのではないだろうか
なんか色々強気なことを面会の記者に喋ってはお金をせびってたみたいだけど、
肝心のことは死んでも言わない、言いたくない、
そう考えてるように思える
なんかそういう後ろめたさを隠して自信満々というかドヤァな人間を見ると、(イ○○ヤとか
個人的には寧ろ裁判伸ばして、白石の無駄に高いプライドを傷つけるなりしてもらいたいけど、
まあ、彼が言うようにサクッと死刑になって終わるんだろうなあ
なんかこう俺は賢いんですアピールが白石はウザいんで嫌いなタイプなんだよな
高卒で失敗したとか言ってるけど、そもそもあんたん家、大金持ちやん
言い訳にしかならんというか、能力がないなら高卒は仕方ないし、
後々嘆くほど成人男性としてみっともないことはない
でも、パチンコ産業はいつか斜陽になるだろうし、息子にはまともな職に就いてほしいと思ったわけだ
学歴が低いから社会的に成功できなかったは、あんまり理由にならないというか関係ない気がする
彼がホストになってから死体遺棄を手伝わされたりみたいな話は自分もホスト経験者から聞いているので違和感はないけど
俺は人生は消去法だと思って生きてきたので、
白石が本当に行き詰まってたんだとしたら、もう過去は全部忘れて次やろうぜ、としか助言できない
本当にネクロフィリアだったんだろうか
ネクロフィリアが嘘だと仮定すると、被害者を絞殺した状態で別の客を呼び、死姦させてお金を取っていたとかそういう可能性もある