2008-06-20

1984年生まれの見た世界

幼稚園年長(1990年度)

記憶にある時事ニュースで最も古いものは幼稚園児代。

先生砂場で遊んでる自分たちに向かって

「海の向こうでは今『せんそう』(湾岸戦争)が起こってます。

なんで人は殺し合うんでしょうね・・・」

というようなことを言ったのがそれで、その時はとにかく

「遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるんだ・・・。」

くらいにしか感じなかった。

あの先生がそうつぶやいた日の空は澄み渡ったきれいな青空で、

平和そのものの天気」と「遠くにあるおそろしいもの」がひどく対照的で違和感を感じた。

小学校低学年(1991-1992年度)

父はある日「すごいお土産だぞ」と、

灰色でかわいくて格好いい形をした機械を持ってきた。

パイロットウイングス

あの頃、飛行機を巧く操縦できる奴は神だと思った。

機体を傾け、緑の輪をくぐる。静かな着地。

教官のきつい言葉に、甘やかされていた俺はたじろいだ。

当然ながら一緒に買ったマリオばかりプレイしていた。

少し経ち、マリオカートぷよぷよを持った友達の家に皆が遊びに行くようになる。

スト2はみんな持ってた。↓R↑LYBXA。

子供らしく野球だの公園遊具だので遊ぶこともあったが、

おれらはもっぱら「ファミコン」。

プールや川で波動拳ソニックブームしたり春麗で興奮したり。

もう、昔何やってたなんてそのくらいしか思い出せない。

信号機を自在に操れる熊の親父とか。

小学校中学年(1993-1994年度)

クラスで元気のいい女子が「スナックがかっこいい」だの同級生を

ヤマタク」なんて略して呼んだりするのが流行ってた頃、

テレビでは米不足米不足うるさかった。

小3か小4の頃。そーりだいじんは

「名前の読みにくい徳川家康の子孫」や「眉毛ぼーぼーの爺さん」で、

なんとなく面白く感じていた気がする。

暗闇の中、ベッドから飛び起きて「何事か」と

あわてふためいてる映像ばかりテレビに映っていた頃、

向こうから一時的に「疎開」のような形で来た転校生

関西弁ペラペラ」なだけで人気者だった。

この頃の記憶は割とある。

バブルが・・・」「バブルのせいで・・・」と大人がよく言っていた。

バブルというのは何か「イベント」か「夢」か、

なんか今苦しんでる(ように大人が見える)原因のようなものなのかなあ、

漠然とした理解しかなかった。

バブルなんかよりも目先のジーンダイバーとか恐竜惑星の方が重要だった。

フルハウスとかアルフの方が大切だった。

横取り40万とか嘘つき四択とかヤングチームとかNGワードとかの方が

小学校中学年の俺らにとっては刺激的だった。

小6(1996年度)

自分で自分を褒めたいアトランタオリンピックはよくわからんまま終わった。

男子は全員ポケモン。「ミュウの出し方分かった・・・!!!」と、

どこかで聞いた情報を興奮気味に話す奴とか。

そんなものに皆が夢中の中、クラスの「最先端野郎」は

ペラペラキャラがラップするゲームをやっていてすごくおしゃれに見えた。

6年時、その「機械」を持っていること自体がある種のステータスだった。

田舎だったから特に。

余談だが、「1984年度」生まれは1991年=小1、1992年=小2、

と一の位が学年なので西暦を言われると何年生だったかがすぐ分かって便利。

中1(1997年度)

そして俺たちは人生の中で最もださく恥ずかしい時代を迎えた。

例のあれの時は「赤い実はじけた」中1だったが

「あんたと年が近いのにあんな残酷なことするなんてねえ・・・怖い時代だねえ」

なんてよく大人から言われた。一方おれらは、

ナイフで生きた屍を切り裂いたり脳天をショットガンで撃ち抜くことに夢中だった。

気が付けばクラス男子のほとんどがあの「うすっぺらでCDを入れて遊ぶ機械」を持っていた。

一時期、どこでも買えなくてイライラしていた。

中1の冬は原田笑顔にしびれた。彼らは本当に格好良かった。

中2(1998年度)

ドラエモン」が流行した。

一番強かった奴(モンスター系統図の完全な情報を持っている奴)は

「あいつんち、『インターネット』ができるらしいね」

と言われていて羨ましかった。学校では出来なかった。

ていうか誰もパソコンなんて持ってなかった。

グレイとかラルクとか、「なんとなく格好いい」ものが増えてきた。

中3(1999年度)

あの日までカウントダウンしておびえていた。

結局あの日(月)はなにもなかった。

地域振興券使わしてくれ使わしてくれとずっと言っていた。

卒業間近、学校で「インターネットPC)」の学習をするための教室が出来た。

OSは2000Proでメモリ256MB。

家のボロパソがメモリ64MBだったからか「超」最先端に感じた。

数回しかなった情報の授業中、

好きなバンドを検索すると掲示板のようなものが結果の上位に出てきたのでクリックした。

口汚く罵倒されていて身が震えて泣きそうになった。

ハンドルネームを誰もいれていないのが非常に不気味だった。

・・・社会的経済的な用語とはいえ、

ここまでの人生を「失われた10年」なんて言われた。

俺たちは何かを得たし、間違いなく楽しく生きていた。

高1(2000年度)

ミレニアムミレニアムうるさくなった。

高校は、全教室にネットの使えるパソコンが設置された。

部活が楽しすぎてゲームはほとんどやらなくなった。

進化を遂げた機械」は発売日に買ったが大学2年まで

ファンタビジョンしか持ってなかったのはいい思い出だ。

DVDプレイヤー代わりだったもん。

ミレニアムだの新世紀だので盛り上がっていたころからだ。

どこに行ってもカチカチやってる奴が増えたのは。

最初、ちらほらと増えていく「カチカチ病」に違和感を持っていたが

自分が感染するのに時間は掛からなかった。

田舎なのに、7??8割は所持していた様に思う。

auじゃないやつが心底羨ましかった。

小遣いが多かったのか料金親持ちだったのか知らんが、

docomoってだけで「裕福な家庭死ね」なんて思ったものだ。

高2(2001年度)

音楽家のような髪型のおっさんが総理大臣になっていて笑えた。

高2の運動会前日。遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるようだった。

開会式でも全くふれなかったのが今思うと印象的だった。

CDを小さいデータに変換してパソコンにたくさん詰めこんで、

それをMDプレイヤーより小さい機械にたくさん詰めこめる」

ということを説明するのは当時、骨が折れた(今もあまり変わってない気がするが・・・w)。

マッキントッシュを作っている会社が白色でかわいくて格好いい形をした機械を世に出した。

全く流行らなかったし、説明しても誰も興味を持ってくれなかった。

MDの方が格好いい」「“えむぴーさん”だっけ?オタクくさいね」

なんて言われたり。俺は流行らないと思った。

パソコン音楽を取り込む」こと自体が一般人にとって非常に抵抗のある行為だという感覚は理解出来たから。

高3(2002年度)

W杯休み時間の談話室(テレビがある部屋)の盛り上がりがすごかった。

高校卒業してからゆとりだのなんだの言われ始めた。

その頃「ゆとり」という言葉は非常に美しく感じられた。

複素数を知らないこどもたち」

大1-大3(2003-2005年度)

大学文系学部だったが

常時接続が安く使える時代突入」+「工学部情報系学科の知人との出会い」で、

高校リア充だった自分が一気に地に落ちることとなった。

その知人は「本名出して私生活を晒しまくる」ウェブサービスを教えてくれた。

本名顔写真・所属している(していた)集団と私生活全部暴露。

変態か?」これが最初見たときの素直な感想

今でこそ「知人以外には非公開」が多いけど、

当時はとにかく誰も彼も晒しまくり。俺は使うのに気が引けた。

携帯さえあれば、とりあえずコミュニケーションには事欠かない。

そのころ「文中にやたらと下線が引いてあるブログ

を目にすることが多いのに気付いた(それまで気付いてなかっただけかもしれんが)。

シンプルで、どことなくおしゃれなデザインだが書いている内容は気持ち悪いものが多い気がした。

冴えない青年は綺麗な女性を助けて本になって皆に読まれた。

その頃大学内で「それっぽい」奴は「萌えってどういう意味?w」だの

「お前の時代来たぞw」とかからかわれていた。

そして街に、キャンパス内に、増えていく白い機械

ホリエモンだの球団再編だの買収だのヒルズだのセレブだの勝ち組だの負け組だの格差だの、

なんとなくカオス

いつの間に「無職」の状態を「ニートやってるんでw」なんて明るく言えるようになったんだろうか。

大4(2006年度)

就活は、売り手市場なんて実感はなかったが内定先は大手メーカー

ブラックを避ける」という消去法で選んだ。

社1(2007年度)

街はパカパカ開け閉めする機械であふれた。

家ではリモコンで遊ぶ奴が急増。

ファミ通の売上チャートを見て(10年前から毎週見てるが)頭がくらくらした。

他はサブプライムローンがどうこう、原油高がどうこう、環境が、民主党が、

安倍さんが、携帯小説が、もう、断片。

・・・食品会社に行った知人はえらくストレスを抱えている様子だった。

社2(2008年度)

最近中国あたりが色んな意味でアツイ。

相変わらずの原油高は鬱陶しい。台湾もなんか変。

そう言えばちょっと前は、遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こっていたようだ。

傍観していた人がその動画を撮ってアップしたりそれが罵倒されたり。派遣がどうこう。

さいごに

俺はこんな感じだが、他の俺「たち」はどうか知らない。

俺は約150万人いる「1984年生まれ」の中の一人に過ぎない。

高校携帯を持ち、家ではPCを夜11時からネット繋ぎ

大学ではADSLになってブログだのmixiだのでどうでもいい自分語りをしていた人間だ。

そして今は匿名ブログはまっている

それだけだ。

トラックバック - http://anond.hatelabo.jp/20080620191355
  • 「自称人間」を離脱しよう。「人間」であることを諦めよう。その方が「楽」だ。

    社会は「人間」を相手にしていない。社会が注目するのは「動物」である。したがって、社会生活において「人間」としての希望を持とうとする「自称人間」は、残念なことではあるが、...

  • http://anond.hatelabo.jp/20080620213840

    http://anond.hatelabo.jp/20080620191355 早生まれの1984年生まれなので、元増田とは学年が1つずれるんだけど、ほとんど同じ世界を見ているはずなんだけど、1点だけ違和感。ポケモンやってるやつ...

    • http://anond.hatelabo.jp/20080620213840

      学年一つの違いというより、小6と中1の違いが大きいのでは。 中学生になると「小学生が好きなもの=ガキっぽくって恥ずかしい」と言う認識が生まれると思う。

  • 1984年生まれの見た世界

    4年制の大学を出て、今現在23歳・社会人2年目。 記憶にある時事ニュースで最も古いものは幼稚園児代。先生が砂場で遊んでる自分たちに向かって「海の向こうでは今『せんそう』(湾岸...

  • 追記

    自ブログからコピペした。 増田には「増田でブクマ数を稼ぐ文章はひょっとしたら転載かも」と思っている人間がいるのか? あと、ブクマ米で「震災に言及してない」て言われてるけ...

    • http://anond.hatelabo.jp/20080620233112

      ブクマ数とは関係なく、周囲と浮いている文章はコピペを疑うけど これは気付かなかったなー しかし細かい所までよく覚えてるね。

  • 細かいけど指摘

    http://anond.hatelabo.jp/20080620191355 高校卒業してからゆとりだのなんだの言われ始めた。 その頃「ゆとり」という言葉は非常に美しく感じられた。 「複素数を知らないこどもたち」 複素数...

    • http://anond.hatelabo.jp/20080621090754

      つか、複素数平面はもっと上の世代の方が習ってないよな。 ちょっと調べたら、高校のカリキュラムに入っていたのは1997年-2004年だそうな。

    • http://anond.hatelabo.jp/20080621090754

      増田だけど、書き方が悪かったようだ。 「複素数を知らないこどもたち(がいるなんて信じられない)」 というニュアンスで書いた。 しっかり習った。 「とりあえず“i”としておいて...

      • http://anond.hatelabo.jp/20080621181019

        俺、理系だけど 「とりあえず“i”としておいていろいろやってみよう」 て考え方自体がすごい面白い。 そうだよな。斬新だ。 学問って元来面白いもんだと思うんだけどなー。 興味...

  • ある1982-83年生まれが語る半生

    半生というには人生短く見積もりすぎか。しかし「四半生」なんて単語もないだろうからこのタイトルで行こう。 基本的にはとてもparticularな話ではあるんだけど、この世代がみな避けら...

  • 湾岸戦争の記憶はないなぁ

    http://anond.hatelabo.jp/20080620191355 親がゲームやることにいい顔しなかったので、小学生時代はさほどゲームしてなかった。 ファミコンはうちになくて、SFCがはじめてかったゲームだった。 (...

  • 湾岸戦争の記憶はないなぁ

    http://anond.hatelabo.jp/20080620191355 親がゲームやることにいい顔しなかったので、小学生時代はさほどゲームしてなかった。 ファミコンはうちになくて、SFCがはじめてかったゲームだった。 (...

  • [ネット]1984年に生まれて

    ◆1984年生まれの見た世界 淡々とした文章だけど、自分と重なる部分も多く妙に共感してしまった。 まさにこの世代は、文化的なアナログとデジタルの過渡期に青春を過ごしてきた訳で...

  • 定期テストの前日、テレビを点けたら飛行機がビルに突っ込んでいた

    気になる増田。 1984年生まれの見た世界 1984年12月生まれの私。 シルバニアファミリーやジェニーちゃんで遊んだ。お母さんがジェニーちゃんのために小さな枕や布団を作ってくれた。 1...

  • http://anond.hatelabo.jp/20080625153809

    1984年生まれの見た世界 http://anond.hatelabo.jp/20080620191355 同学年だけど見えてる世界は全然違うんだな。 そういえば、小さい頃はどんなオトナになることを想像していたんだろうか。って事...

  • もうそろそろ24のおっさんです

    1984年生まれの見た世界 なんか色々思い出した。伊達に24年経っているわけではないんだね。

  • 1984年生まれの見た「パソコン」「ニフティ」「インターネット」

    小5(1995年度)「我が家にパソコンがやってきた」 確か、PC9821-V7だった。メモリ64MBでCPUは133MHzだった気がするがいまいち覚えていない。伊藤忠の倉庫番とかWin95付属のソリティア(今で...

  • 1984年生まれの自分は障害者になってしまった

    http://anond.hatelabo.jp/20080620191355 小学校低学年(1991-1992年度) ばーちゃんにファミコン買ってもらう。今はボケてもう僕のことはわからない。 モテ期。チョコレート5個ぐらいもらった。...

記事への反応(ブックマークコメント)