習字→一応段持ちだが字は汚い
スイミング→サボり気味で泳げないまま挫折
公文→飽きて課題を貯め挫折
モダンダンス→これだけ続けられた40歳で引退
やりたいってやらせてくれた親に感謝
]]>両親はなんかデキ婚みたいな感じだったらしく、彼氏が小さい頃は離婚寸前みたいな喧嘩の仕方をしていたそうだ。
母が専業で、父が2回転職して、経済的にもゴタついて、両親二人ともメンタルが安定しておらず空気が荒廃していたと。
弟が生まれて弟の物心がつく頃には、父親の仕事が安定していて、母親もパートをしていて、経済的に安定し始めたし喧嘩もしなくなっていたと。
しかし弟から見ると、自分は保育園で兄は幼稚園だったと。そして兄の頃には家にカネが無かったにもかかわらず習い事をピアノと空手と公文といくつかやらされていると。
そして兄の時は父が若かったから運動会に父が出るコーナーで無双したのが伝説になっていると。しかもまだ父が瘦せていたと。
兄弟の父は今は太っている(会ったことある)。でも彼氏が小学生で運動会に参加したころには瘦せていて、
顔がかっこよくて背も高いしほかの父親たちと比べて若いのでものすごく目立ったし、活躍して英雄だったと。それを聞かされて羨ましかったと。
あと兄のお下がりが多かった、兄の写真のほうが残ってる、などなど弟から怒涛の不満が出てきた。
なんか彼氏のほうの不満(親が若くてメンタルが不安定で余裕がなかった)についても、弟のほうの不満(手を抜かれた感じがする)についても、
言ってることはわかるし、つまり完璧な時期って無いんじゃねえかな…?って気がしてくる。
私としてはまあ…着床した彼氏を堕ろして別れるってことになってたら彼氏が存在してなかったから、まあデキ婚してくれてよかったし、
彼氏が小さい頃の大喧嘩が激化して離婚してたら彼氏の弟も存在してなかったから、まあ関係が改善されるまで保ってくれてよかったなというか…。
人間の存在って儚いなあ。いわゆる痴話喧嘩とか、そういうあれこれで存在したかしなかったかが決まっているわけで。私自身の存在もそんなもんなんだろう。
]]>楽しい思い出しか無い。
どうせ母親に任せっきりなんだろう?
8割は俺が担った自負がある。
オシメ交換は9割俺がやった
土日の終日95%俺が面倒見てる。
幼稚園の迎え(送りはママ)や公園遊びの99%は俺
家の中でも子供の相手は俺、
離乳食はほぼ和光堂とキューピに頼ったが粥くらいは作った
米をごま油で炒めチキンスープで煮込む、わりと手間がかかる
まぁ俺が好きだから作っただけで8割が俺が消費していたが、まぁ作った
子どもたちが集う公園には精神ギリ暴発寸前のヤツれた母親を大勢見かける、ブチギレシーンを何度も目撃した
ウチ一度もねぇのよ
そりゃもちろんダダをこねることもあるがせいぜい3歳まで、ほぼ記憶が無い
公園から帰りたくないとか玩具買って、地面に転がって手足バタバタは1度あったが、我が子にもとうとうこの時期が来たかと嬉しくなりビデオ撮影した。
アングルが悪いからもう一度やってくれと頼んだら断られた。
その後、次こそ最高の映像を残してやると待ち構えていたがついぞやらずに4歳、5歳を経過。
もうやらんだろう
イヤイヤ期も無かった、健全な成長に必要な時期だと本に書いてあったのでイヤイヤ期をやれと命じたことがあるが、拒否られた
泣きじゃくる、癇癪を起こすことも稀にあったが、数えるほどしか覚えてない
人間含めた哺乳類は抱きしめて胸の圧迫と皮膚刺激を与えると落ち着く。リッキンギ、グルーミング。
海馬の糖質コルチコイド受容体、視床下部からの副腎皮膚刺激ホルモン分泌に対するネガティブフィードバック機構に作用する、しろ、さぁ交感神経活動の正常化、カテコールアミンの分泌を抑制せよ、とか考えながら30秒も抱きしめていれば落ち着く、チョロイ。
その後はタイムアウト、我が家では反省タイムと呼んでいる
これも4,5回しかやった記憶が無い
押さえつけてるだけだろ?
好き放題させている
公園で遊びたい、帰りたくない、真っ暗の砂場で飽きるまで待ってやったのは10回20回では無い
面倒な説得やら交渉やら説諭するくらいなら俺は俺でスマホでネットでもやってりゃいい。
目を離した隙に砂を食ってたりしたこともあったが、腸内フローラの多様性、幼年病原体とのエンカウントはむしろ有益であるとの論文もある、どんどん食え。
タブレットやスマホも専用機を与え自由に使わせており、一応は制限時間を儲けているが時間でロックかかると
「パパ延長して」で延長してしまうので形骸化している
目が悪くなるかもしれんが、なぁに彼が大きくなることにはips細胞とかでちゃちゃっと直せるようになるのではなかろうか、しらんけど。メガネかけりゃいい。
玩具買ってくれ、買いますとも、せいぜい数百円、数千円、数万円のものだ
一時期Nゲージにはまったときは焦ったが
ウチは貧乏だから、との説得をそれとなくしたらあまり無茶は言わなくなった、値札を見て「これならどう?」みたいな、挙げ句に「ウチは貧乏だから我慢する、お金持ちになったら買ってね、っていうか俺が自分で買うわ」とか言い出した
念のため、悲壮感はゼロだからね、子供は笑いながら冗談半分に言うてる。
なんというか、部屋にゴミ増えるのうぜぇっ等々大人の諸事情的なこともざっくり包括的に理解してくれてる感じ、天使か、
出かける時は服も着させる、自分でやらない、パパやって
無理にやらせようとしても遊んでいるだけで逆に面倒くさい、ならばさっさと俺が着せたほうが早い
まさか10歳二十歳になって、パパ靴下捌かせととは言わんだろ、そのうち勝手に自分でやりだす。
というか幼稚園では全部自分でやってるのだ。
甘えてるだけ
甘えが悪いとは思わん、5歳なんて「生きるの楽しい」って記憶だけ刷り込めば十分だと思ってる。
「今日は運が良かったね、楽しかったね」子供の口癖、俺がよく言ってやるのを真似た。
なにか少しでも楽しいことや新しいものに出会えたらそうやってフラグを打つ、記憶する
そうそう、そう言えばトイトレも楽だった。
幼稚園に入る前に終わらせなければと少々焦ったが、入園数週間前に秒で終わった
おねしょは1度だけだった。ちょろい
だがいまだにトイレに付き合わされてチンコを持たされる
幼稚園では自分でできるのに家では俺を呼ぶ
はいはいやりますとも、持ちますよ
まさか30歳40歳にもなって以下略
先日、公園で遊ばせていると「パパ来て」、公園では勝手に遊ばせる、
友達がいれば友達と遊んでいるし、誰も居なければ適当に同年の子供を見つけて友達になって遊んでる。楽でいい。なんか知らんが走り回ってる、何が楽しいのかねぇ
そんな息子が満面の笑顔で「雲梯最後まで行けた見てくれ」と、アレをしろこれをしろという指導や誘導は一切しないが勝手に雲梯の練習を初めて、しばらく2,3ステップまでしか進めなかったがようやく最後まで渡り切れたようだ。
雲梯で脳が活性し利口になることは知っている、頑張ってやってくれ
ご披露、行けた、凄い凄い、拍手はしてやった
自転車は4歳でストライダーを足蹴りからペダルに変えた
補助輪をつけるのが面倒くさかったのでそのままやらせていたら小一時間で習得。
ビュンビュンと走り始めた、とにかく楽で良い
公文だのピアノ、絵画、水泳、皆さんいろいろされているが一切無し
風呂場にスピーカーをつけて好きな音楽を流せるようにしているが、元気に鬼滅とポケモンを歌っている。そんなんでいいんちゃうの?一応俺はピアノが弾けるが
先日、図書館で3歳まで公園でよく一緒に遊んでいた母子と再会した
突然来なくなったのだが習い事全部入りなのは知っていた、育児マニュアル信奉親、公園では裸足で遊ばせてた
その子を見て、正直勝ったと思った、いや勝ち負けとか言うちゃダメなのは百も承知、二百も合点なんだが、感じてしまったものはしょうがない
彼は生命力と覇気がスポイルされた目をしていた、可哀想に、だがそれも親の愛だ
アホだと思うが。どうにもできん。頑張れ
スポーツクラブに通う彼の筋力、体幹は明らかに俺の息子に劣っている、事実だから仕方がない
俺の息子はひらがなを一つも書けないが、彼はカタカナも書けるだろう
なぁに文字なんて小学生になってから嫌でも習う、60にもなってひらがなが書けない以下略
就学してから、こんなの全部やってるもーん、よゆー、から教育が始まるのと
え?俺全然できない、みんなできるの?ヤベ、勉強頑張らないと不味くね?
からスタートしたほうが良いと思ってる
息子は超絶負けず嫌い、そこで折れない諦めないフォローと自尊心や自己肯定感を養ってやれば良い
俺だって一応子供を育てるにあたってマニュアルも参照した
スポック博士の育児書の初版本を図書館で書庫請求して取り寄せてもらった(平成元年の三版しか残ってなかった)
つまり、まー、こんな知見はどれほどの支持、権威や科学やデータだと言うても、ほらみてみ、変わるのよ、間違えてるのよ
というのを我が目で再確認しておきたかったからだ
ようするにマニュアル本を否定するために読んだ
だがあの本はぶっちゃけ役に立った、「いろいろ書くが、子供なんて頑丈だから簡単には死なない、自信持って自分のやり方で育てなさい」だってさ
そのまんまやんけw
とにかく、子育ては楽しい
コメントいっぱい貰った、ありがとね
少子化のニュースを見た、「「自己責任」が重すぎる」って記事
子育てしると暴発ママ(パパ)に遭遇することもあるじゃん
俺も何度かある、それ子供悪くないよね?叱るところじゃないよね?その叱り方じゃないよね?
人様の事だから口出しはしないが、正直見てて切なくなる。
精神的にギリなのもわかる
だからさ間違っててもいいんだよ、子供は育つ、育てやすい子、そうでない子、色々なのもわかるが、もう少し肩の力を抜いて子供を育てない?
正しい子育てなんてなくね?マニュアル頼りの子育て、測りすぎの育児を少しだけ見直す
書きたかったのはそういう事です。
ポケGOの人?→YES正解
]]>中高時代もそこまで勉強した記憶なくて、特に高3に上がるまでは定期テスト2週間前以外はほぼ勉強なんてしてなかった。ちな親ど田舎出身専門卒。従兄弟中卒。ワイようやっとる。
]]>四人以上だと途端にだめ。
この人はこう言ってるけど、こっちの人はどう思うだろ、と考えてしまってニコニコするしかなくなる。
発表したりするのはにがてじゃないけど、ママ友との多人数雑談が特にだめ。
例えばこんな会話。
Aさん(育休中医者):子ども(小学3年生、2歳から英会話スクールに週3通ってる)が英検に興味持ち始めたからさ〜、英会話スクールの先生に確認してみたんだけど英検やると日本語英語なるって言われちゃった!怖いよね〜
Bさん(開業医の奥さん):そうなんだ、ありがとううちの子(小1、保育園はオールイングリッシュのとこに入れてた)も気をつけようー
Cさん(子どもの幼稚園の為に辞めた元医者):そうなんだ〜にこにこ(子どもが小4で、先月英検3級受けに行った)
私:にこにこ(えーCさんの子どもさん公文で英検対策めっちゃしたっていってたよな、気まず〜)
あとこんなんもあった
Dさん(地主):こないだ新しくできたレストラン行ってきたよ、5000円のランチでさ、美味しいけどちょっと高いかも。あと少ししょっぱすぎたから子ども連れてはもう行かないかな〜
Eさん(お金持ち):しょっぱいと子どもにはちょっとねー
Fさん(お金持ち一族):苦笑い
私:にこにこ(その店Fさんのお兄さんがオーナーしてる店じゃん…気まず…)
こんなんが多くてさ、地雷が多すぎて自分からは天気の話とか当たり障りない話題しかふれないし、相槌も曖昧になりがち。
みんなどういう気持ちで多人数で会話してるの?
どんな話題を振れば盛り上げられる?
]]>小学校に上がる前から親戚どころか会う人全員の中で変わった子(気狂い)というレッテルを貼られていた
公文のババアなんか知遅れだと思っていやがった
IQ上位0.1%なんだが
小学校の高学年では全員毒殺してやろうとおもって実際毒も作った
大学生でもうにでもなれウェーイになって今に至る
引きこもって生きてられるんだから好きな事やればいいんじゃね?
]]>SUV乗って、子供の習い事はせいぜいYAMAHAのピアノと公文と地元の野球かサッカーチーム程度。
一方都内の富裕な地域では、高収入の美男美女夫婦から生まれた子供が物心がつく前からプロの音楽家からリトミック教育を受け、元体操選手とかが主催する人間科学を取り入れた幼児スポーツ教育を受け、幼児認知科学を取り入れた教室で小学校受験や中学受験の土台となる知能に磨きをかける。
俺は非自発的なものだったとしても、何かの間違いが起こって婚活に成功して子供を持つようなことが起きなくて本当に正解だったと思うわ。
]]>いとこでワイだけFじゃない大学入れました。
ピアノ(3歳から18歳まで)
→マンションだったので安物電子ピアノでやってた。
頭が良くなるからやれと言われた。なんだかんだ一回小さな大会で優勝したり学校で伴奏したり役立った。
日記(年中年長)
→文章力をつけるために寝る前に書かされてた。小学校に入ってからは3行日記が宿題で出てたため解放された。
言い回しとかは毎日添削入ってた。これにより小説書くのが好きになって今のささやかな趣味になってる。
読み聞かせ
→中古で集めてきた本や絵本が大量に家にあった。
物心毎晩読み聞かせしてもらってて、年少からは自分で絵本とか読んでた。親が10代の頃読んでたちょっとエロい漫画とかも読んでた。ルビ振ってくれてた。
カードゲーム
→トランプオセロかるた。家族で園児の頃からめっちゃやった。祖父祖母ともやった。オセロは今でもめちゃくちゃ弱い。
こどもちゃれんじ
→進研ゼミのやつ。2歳くらいから小3くらいまでやってた。サボってたけど課題添削は出してたかなぁ。
ドイツ語
→謎に2年くらい習ってた。何にも覚えていない。
土いじり
→親の実家が農家だったんで、田植えや稲刈りやじゃがいもの収穫とか物心ついた時から色々
やっとけばよかった
公文
→英語と数学の先取りを全くやらずに中学に行ったのでキツかった。
運動
→小学校の頃何か一つチームスポーツをやっとくべきだった。メンタル面での成長が欲しかった。
あとは園児の頃からイベント作る系の遊びが好きだった。ごっこ遊びと称してちょっとしたお遊戯会みたいなのを友達と開催したり(演目の練習とかプログラムとかも作ってた)紙芝居を友達と合作したり、お手紙交換も園児の頃からやってた。
]]>塾は公文に週一いかされてた。算数だけ。先生が厳しくて泣きながらやってた
おかげで小6で二次方程式や因数分解まで解いてた
進研ゼミもやったけど1,2回送って飽きたりを繰り返してた
小学校の成績表(あゆみだっけ)はAが基本でBだと親に詰められた。Cは見たことない。
ちなみに武道の習い事のおかげ友達はそこそこいて満足してた
夏休みの宿題はギリギリでまでやらず、なんとかごまかしてた
英語が特に嫌いだった。覚える気がなかった。でも英語以外は何もしなくていいくらいだったからやれた
中学卒業まで勉強なんてラクだと思ってた。受験勉強はそんなにしなかった
高校はそこそこいいところにいけた
一転、高校時代に遊びすぎたので大学は低~中のとこだった
サボり癖がついていた
宿題は直接的に学力に結び付く一番の時間の有効活用かどうか、は判断できないけど、
ノルマに対する耐性はつく、と振り返って思う
常々なにかを積み上げるいう習慣は大事だな、と拙いプログラミングをしながら思う
]]>しかも論拠の補強が「Colabo側の弁護士が文書を提出している」(なお詳細もソースも一切なしw)
係争中の案件を当事者でもない人間がなぜここまで自信満々に語れるのか不思議だったけど、それだけ疑うことを知らないなら納得だね笑
]]>もしかして暇空さんのnoteは公文になるんすか?笑
公文の意味分かってる?引用の意味分かってる?
というわけでソースよろしくね
]]>月曜 公文 英会話
火曜 サッカー
水曜 なし(家族で過ごす)
木曜 プール
金曜 英会話 公文
土曜 サッカー
日曜 なし
みたいな感じ。
これを子ども3人分…(プールだったりダンスだったり子供によって違うらしい)
手間もお金もすごいよね〜
]]>なるほど
人や環境に恵まれた面もあったのかな?
いずれにせよ、公文にしろ中学受験にしろ、学校行けなかった日の教育テレビにせよ、先取りが大事なんだろうなぁ〜
]]>親が自分をハッタショと呼んでるなんて子どもが知ったら、マジでこの世に絶望するぞ。
鬱になるか、ならなくともお前は老後に仕返しされることを覚悟しとけ。
親なら子どもに寄り添えや!
さて、オレはまさにこの子どもと同じパターンだった。
数学はめちゃくちゃ得意で幼稚園から公文を楽しんでやっていて、小学校に入学する頃には中学校の範囲をやってたわ。
高校も地域の進学校進学クラスで数学で一位を取る一方で、国語はまともに作文すら書けないという感じだった。
ただ、勉強で一つでも強みがあれば他にも活かせる。オレはロジックが得意ということが分かったので、理詰めで国語問題を解けるようにしたら国語も得意になった。公文は数学だけでなく国語もやると良い。
あと体育は何も教えられないとただ不得意になって鬱になるだけなので、すっぱり諦めて良いと言ってやるか、運動神経悪い事を受け入れて寄り添って教えてくれる専門プライベートコーチを雇え。
]]>読めることは読めるのだが、例えば骨という感じの四角いところを左右逆に書いてしまう。
あと球技が極端に苦手で、ボール投げができないことから発達障害ではないかと思っている。
しかし数学がどうやら得意らしく、学年でも上から数えたほうが早いと担任が言っていた。
うーむ。どういう方向に育てるべきだろうか。
追記
おまいら㌧クス。ディスガイアっていうのな。
とりあえず漢字ドリルと公文やらせるわ。ボール投げは動きを分解して教えようと思う。
追記2
長渕剛「オラッショ!セイ!」
]]>そういうのやらないとみんな中学校入学で退会しちゃうんかね
]]>義父(夫の父)は東大を出て大手企業に入り、取締役まで勤め上げて定年退職した。
いわゆる勝ち組である。
夫が小さい時は忙しくて子育てに関与できず、中学受験も大学受験も義父の思い通りにはいかなかったらしい。
なので、孫は絶対に東大に行かせる!俺が関与すれば間違いない!そのためには幼少期が大事!と生まれた時から鼻息が荒かった。
金はいくらでも出すから!と、赤ちゃんの頃から小学校受験をさせなさい、公立なんて動物園だ!と言い放ち、夫もどうすることもできず、3歳からお受験塾や公文に通わせることになった。
お金も送迎も義父がやる、というのだから私もどうしようもなかった。
義父の都合が悪い日があり、お受験塾の様子を見る機会があった。子供は明らかについていくのが精一杯で、これは厳しいのではと思った。
公文も、同じ単元を延々と繰り返す(次に進めない)ようになり、そのうち公文の日になると頭が痛い、お腹が痛いというようになり、義父も子供の体調不良をおしてまでやらせることはできず、辞めざるを得なくなった。
それだけやっても小学校受験のご縁がなく、公立に通わせることになったが、義父は中受で挽回だ!SAPIXに入れろ!金は出す、送迎もする!とさらに意気軒高となり、夫も私も止められなかった。
止めようものなら「お前たちは子供に愛情がないのか!後で苦労するんだったら今のうちに頑張らせるのが親心だろう!お前たちは何にもわかってないのだ!」と猛烈に叱責された。
義母は小学校受験に懐疑的で、夫(私立小出身)の時にいろいろと嫌な目にもあったらしく、最初から私に対しては「受験にこだわらなくてもいいんじゃないかな」と言っていたが、昭和の亭主関白家庭であり義父に逆らうことができないため、何の抑止にもならなかった。
そして何が起こったか。
子供がバグってしまった。
小2の春、突然学校にも塾にも行けなくなってしまったのだ。
保育園はご機嫌で通っていたのに、小学校はわずか1年しか適応できなかった。
専門機関で検査したら、学習障害のグレーゾーンだった。
つまり、能力的に学習が難しい特性の子に、ハードな学習を幼少期から強いていたわけだ。
そりゃバグる。
私は本当に子供に対して申し訳ない気持ちになった。
いくら義父に叱責されても、過去の経験からこの方がいいのだと言われても、自分の直感を信じるべきだった。
今子供は小6になる。勉強は一切しようとしない。
学校にも行けないままだ。
子供の学習障害が分かった時点で、夫と私は義父に子供の教育に関らせないよう、連絡を絶った。
こちらから連絡はしないものの、義父からは不登校やギフテッドについての訳のわからないYouTubeのリンクをメールで頻繁に送ってくるし、中受の本や教材を勝手に送りつけてくる。公立に行かせたからこうなったのだ、と本気で思っている。まだ諦めていないらしい。
見もしないで即削除しているが気が滅入る。
夫はもっといろいろ言われているらしい。
増田に言いたいのは、この手の孫に干渉してくるジジババとはできるだけ早いうちに没交渉にすべきだ。百害あって一利なしだ。
とても難しいと思うが、縁を切る勢いでNOと言わないとどんどん立ち入ってくる。実親は子に対して厚かましいし、子育ての先輩面してくるからたちが悪い。
増田の場合は増田の妻のケアも充分してあげてほしい。
]]>子供は公文から午後7時には帰ってくるが30分くらい遅れることもある、旦那は夜勤で午後8時には家を出るので、あんま時間にゆとりがないなと思い子供に「早く帰ってきてね遅れたら先にすき焼き食べるね」と言うと「絶対食べるな!!」と公文に行った。
しかし7時半になっても子供は全然帰ってこない。
仕方ないから先に食べ始めたが、何かあったか、電話して探しに行かないとダメかな…と思い始めた八時頃に子供が号泣しながら帰ってきた。
「お直し終わらないと帰れなくて、焦ったらますます終わらなくて、すき焼き無くなるって…」と繰り返して泣いている、残さないわけ無いだろ。早く食べろといっても号泣し続けでなかなか食べなくて困った。
公文でも号泣しながらやっていたらしい。
何ですき焼きごときでそこまでなる、どんな家だと思われたろうな。
]]>努力した経験のある人は、新しく何かに取り組む時も「頑張り方」を知っていたり、多少嫌な事でも「耐え方」を心得ていたりする。
私は二十余年生きてきてその経験が全く無い。
学業や習い事、部活や仕事など全てにおいて、だ。
一番最初に始めた習い事は公文だった。
なんだかんだ幼稚園の頃に始めて中学の頃までやっていたが、特別頑張ってやっていたわけでは無い。最初の頃こそ好きでやっていたもののあとは完全に惰性だった。
中学に上がる頃にはもう月に1、2回、数枚の宿題を提出してはまた数枚持って帰る、みたいな取り組み方で意味なんて無いようなものだった。
公文式は学校の授業の進行に関係なくどんどん自分で先の単元を学習していけるので、中学半ばくらいまではいわゆる勉強の「貯金」があったおかげで国、数に関しては苦労することがなかった。
それもあって中学は地元の中高一貫校に合格。(なお後で知ったが定員割れしてたので落ちる心配はほぼなかった)
そして勉強の貯金が尽きてくるとガクンと成績を落とし、それとほぼ同時に学校そのものが面倒臭くなりサボりがちになる。本格的に逃げ癖がつき始めたのもこの辺りじゃないかと振り返って感じた。
幸か不幸かエスカレーターだったので中3〜高校卒業までずっと出席日数をギリギリ下回るくらいで、先生方のお情けの課題をこなして進級してそのまま卒業した。
部活は中学の最初はラグビー部に入っていたものの、全く楽しく無いし運動音痴である事を自覚したので1年そこらで辞めて、以降高校卒業まで帰宅部だった。
小学校の頃もサッカーとラグビーを習い事としてやっていたがどちらも長続きしなかったし、今となっては別に強制でもない部活に、それも明らかにきつそうなラグビー部に何故入ったのか自分でも謎だ。
大半の人が人生で一番努力すると言っても過言では無い大学受験ですら私は努力しなかった。
最初の方はMARCHを第一志望にしていたが、高校に半分も通っておらず成績も最底辺の人間にはどだい無理な話だと気付くのに時間は掛からなかったので、滑り止めとして日東駒専の夜間を受ける事にした。
日東駒専といえば聞こえは悪く無いかもしれないが夜間は滅茶苦茶敷居が低い上に受験科目が現代文と数学のみで、公文の勉強貯金だけでもなんとかなるレベルだった。
MARCHの受験も辞めればよかったのに言い出せず「とりあえず受けてみよう」なんて親の言葉に乗せられ、前日にホテルまで取ってもらって受験会場では殆どの時間船を漕いでいた。本当に申し訳なさで一杯だった。
そんな苦労せずに入った大学で当然学業を頑張れる訳もなく、初めての一人暮らしという名の自由に浮かれて遊び呆けるようになる。
朝から昼過ぎまでバイトして、サークルに麻雀打ちに行くか、帰ってゲームするか。そんな日々だった。
幸いバイトは人間関係も良く、仕事も楽かつ楽しいというこの上ない大当たりを引いたので続けられた。
最も、そんな当たりでも最後の方はサボりがちになったのだが。
大学1年、2年とそれぞれ取得単位は一桁。
卒業出来る見込みも限りなく低く流石に3年で挽回の兆しが見られなければ大学を辞めて実家に戻れと親に言われる。当然である。
結局3年になっても大して出席率は変わらず、更にバイト先が潰れる。
新しいバイトを始めるも周りが十個以上年上の人だらけだし仕事はクソつまらないしで1週間程度でバックれ。
ただでさえバイトの収入だけじゃ足らずに毎月のように家族に泣きついていたのに生活できるわけもなく、とうとう消費者金融に手を出す。
累計で100万いかないくらいを借り入れ、返済は全部ガン無視。
大学3年中頃、賃貸の契約更新のタイミングで大学に行ってない事も働いてない事も多重債務者になっている事もバレ、退学し実家に送還。
実家に帰ってからはコンビニ夜勤、コンビニ夕勤、コンビニ夜勤でそれぞれ2ヶ月、半年、2年働いた。田舎すぎて働くところがコンビニくらいしかなかった。しかも後ろ2つはバックれているのでもうその店に行けない。一番近いコンビニだけはバイト先の候補から除外したのは賢明だった。
実家に戻って2年ちょっとの間で消費者金融から借りた分は債務整理という形で全額返済した。
で、今絶賛無職なのでバイト探しの合間にこれを書いている。
とりあえず携帯代と奨学金の返済が滞ってるから次のバイトはもうちょっと長続きしたらいいな。
途中から自分の屑っぷりをひたすら披露している様になったが
・自分の今の能力で出来ないことはやらない
・いくら楽しくても、いくら楽でも飽きが来たときに辞めてしまう
という「なる様になる」の精神で生きてきたので、努力と忍耐を身に付ける術を知りたい。
歯を食いしばって耐え忍ばないと死ぬくらいの環境に身を置くのが一番早いのだろうがそれすら怖くて出来ないし、最悪死ぬ方が楽ならそっちを選ぶだろうという無敵の人状態になってしまっている。
嫌だ嫌だと言いながらなんだかんだ頑張れる人は素晴らしいしかっこいい。恐らくどこかで努力してきた下地があるんだろう。
自分にはそれが無い。
]]>