はてなキーワード: 仏陀とは
娘へ
娘「教会ってなにするところなの?」
私「神様にお祈りするんだよ」
娘「じゃあ神様はあそこに住んでるの?」
私「いや、天に住んでるよ」
娘「じゃあ天はどこにあるの?空の上?」
私「私の胸の中にあるよ、ほら君の胸の中にも」
きょとんとした君の顔は忘れないよ。
大人になったらわかるかな。
君なら私より早くわかるかもしれないね。
このメモを見ることがあるかどうかわからないけど、答えを書いておくよ。
神様は宇宙を創ったんだ。だけど、神様っていう人がいるんじゃなくて
私たちはその現象の一部分でしかなくて、私も君も仏陀もイエスも、
地球も太陽も天の川銀河も別の星雲も、すべてすべて神様の一部分でしかない。
その事が理解できれば、天は君の心の中にもある、ということがわかるだろう。
人生の目的が独尊ってのは、脳みそを使って色々考えた結果搾り出した答えであって、
具体例が浮かばないんだけど。
唯一浮かぶものって、自分の親や兄弟の世話をすること、大切にすることくらいじゃない?
だから自分が世話したり、守っていかないとって言う設定になってるよね。
(とは言うものの、自分以外の誰かがやってくれると名乗り出てくれる可能性は必ずしもゼロではないので、それだって自分にしか果たせない目的にはなりえない気もするけど)
し、それも結局子孫繁栄に繋がっていくよね。
http://anond.hatelabo.jp/20170420162227
仏陀知らないのか???? 般若心経くらいは読んどけ。教養として。
もし、「おれが言いたかったのはそれじゃない」っていうなら、
どこを指してたのか教えてくれ。
自分を売り込むことにおこがましさを感じる
http://anond.hatelabo.jp/20170404192727
こういうのにありがちな結論で、自己肯定感が低いとか、完璧主義だから力を抜けとかいうところに落ち着くんだけど、本当に残酷だと思う。
仮に自己肯定感が強くて、自信に満ち溢れている人がなにか間違いを犯したとして、それを自己肯定感の強さゆえに認めなかったら、それはそれで叩かれる。
当たり前のことではあるが、必要なときに必要なだけ自分への自信が求められて、必要なときに必要なだけ自分を省みることが求められる。
良くいえば、重要なのはバランス感覚ってことになるんだけど、悪くいえば、つまりそれはあらゆる状況に即した完璧な中庸が常に求められるということでもある。
スピリチュアルな感じでいうならば、ありのままを見つめて、善悪を判断せずに事実だけをそのまま受け取れ、ってことでしょ。
完璧主義っていうと、100点しかありえないみたいな極端思考のことを言うと思うんだけど、俺からしたら「要はバランス」的な答えこそ完璧主義と理想主義の極致だと思う。
そんなこと誰だって分かってるだろうし、そうできるのが理想なことぐらい言われるまでもないが、本当にそんなことできてたらとっくに世の中全員仏陀だよ。
反ムスリム運動の中心となったのが、僧侶のウィラトゥー師である。
彼は「仏教徒テロリスト」として、米国のニュース雑誌「タイム」の表紙を飾った。急進派の仏教僧侶たちは「仏陀の九徳、法の六徳、僧伽の九徳」にちなんだ「九六九運動」と呼ぶ反ムスリム運動を展開。「ムスリムは妻を四人娶って子どもをどんどん産み、ミャンマーをイスラム教で呑み込もうとしている」「無知な仏教徒の女性を騙して結婚し、無理矢理イスラム教に改宗させ、仏教徒女性としての権利を奪っている」と説法を繰り返した。
仏教徒のロヒンギャに対する偏見は根深い。軍事政権に弾圧された民主活動家や人権派を自認するジャーナリストの口からも「ロヒンギャは不法移民」という言葉が当たり前のように飛び出すほどだ。
筆者が昨年7月、最大都市ヤンゴンで面会したリベラル派の僧侶に「慈悲と寛容を大事にする仏教の国だからこそ、ロヒンギャを受け入れたらどうですか」と促すと、彼は「ミャンマーには135の民族が暮らしていますが、経済移民である彼らをその一つに加えることは絶対に認められません」と気色ばみ、「いわゆる『ロヒンギャ問題』は軍事政権の違法な行為が原因で起きたのです。軍事政権時代、ヤカイン州の入国管理の担当者は賄賂を受け取り、バングラデシュ人を違法に越境させていたのです」と持論を展開した。
言葉の価値って誰が言ってるのかではなく言葉の持つ意味が重要だと思ってたんだけど、
数字や記号と違って文学というか文章って生きてる人間が誰かで誰が書いたかが重要になってきてるんだよね。
その点、増田は誰が書いたのか分かんない言葉っていうか、電子掲示板・BBSの素晴らしいところって、
※あとから名乗り出たり最初から名乗っているのを除く。便所の落書きに著名書いてるって馬鹿だよね。
ともかく言いたいことが色々あるんだけど文才がないのでまとめきれない。
日本死ねが名乗り出て一気にクールダウンしたのも匿名性の名無しのゴンベエが言った言霊なのに強烈だったから一気に流行ったんだと思う。
素人の共感型漫画の人物に顔かいてなかったり棒人間だったり、ギャルゲ主人公の前髪が長くて目元うつってないのも共感しやすいところがある。
聖書も生まれたとき無名のイエスが言っていた言葉を本にしたときに陳腐になった。
言葉ではなく、「あのイエス・キリストが発した言葉」になった。
憲法も国が言ってる。
ついでに新年も、ケルトならハロウィンが一年の区切りだし中国の春節みたいに旧暦を重視しているひとたちもいる。ハッピーニューイヤーも辞めるべきでは?
ストーカーにめった刺しにされたり、握手では飽き足らず空気を売るという暴挙にうって出たアイドル市場に関して書いていく。
日曜日の朝10時からフジテレビで放送されているワイドナショーという番組。
その番組で古市憲寿さんが言っていたことにひどく共感したことを覚えている。
アイドル宛てに送られたプレゼントのぬいぐるみの中に盗聴器が仕掛けられていたというニュースをうけてのコメントで
「アイドルのファンよりアイドルが怖い。化け物に見える」と言っていた
僕も同じように思う。アイドルという生き物が怖いのだ。10代や20代前半で技能的に承認される術はないにも関わらずテレビの前に現れ私の存在を承認してと、歌って踊る様は時に化け物のそれに見える。
今回、ついにシャレにならないニュースが飛び込んできた。アイドルがそのファンにめった刺しにされるという目を覆いたくなるほどの悲惨なニュースだ。
ニュース単体で見れば狂った犯罪者の奇行だとしか言えないがアイドルという商売のリスクが最も最悪の形で表れてしまった。
アイドルは存在承認であり人材承認ではない。社会には家族のように存在そのものを求められる場合と仕事などで要求されるようにその人の能力が求められる場合がある。
前者が存在承認、後者が人材承認だがアイドルのそれは存在承認にあたる。歌がうまくなくてもそれすらかわいい、トークができなくてもいい、社会人としての最低限の能力であるコミュニケーションスキルでさえ塩対応とかわいがられる。
何もできないと書くとたいへんな語弊があるがある程度、無条件に承認されるのがアイドルだ。そして本来は家族しか持ちえない存在承認を不特定多数から集めれば時にストーカーのような強固でゆがんだ愛情を持つ人間が現れるのも自然といえば自然だ。今回のニュースだけの話ではない。そういうふうに出てきたストーカーは悪であることは間違いないが赤の他人に異常な愛情を持つという観点から言えば悪く言えば幼稚でありよく言えば純粋といえてしまう。犯罪行為は文句なく悪であるが家族に接するように他人と接する人間のことを果たして悪と断じて良いのか僕にはわからない。むしろアイドルという商売が持つ構造的な問題のほうが大きいように見えてしまうからだ。
これも存在を認めてあげるという観点で説明がつく。こちらはストーカーのような悪とは違いむしろポジティブな意味もあるが我が子に与える教育費を厭わないようにアイドルのCDを何百枚も買う人間はストーカーと同じだ。どちらに振れるかだけの違いでしかない。CDを買う人間はポジティブ、ストーカーになる人間はネガティブな意味を持つが問題はその感情を揺さぶるアイドルという振り子そのものなのではないかと思えてならないのだ。
今一度、こんな承認欲求が取りざたされる社会なのだから確認すべきことがある。「誰からも承認される人間などいない」ということを。歴史を振り返ればキリストや仏陀ですら批判されかのソクラテスですら裁判にかけられて死んだ。アイドルは笑う。よく笑う。それはうしろめたさなどないような素敵で透明感のある顔で笑う。
しかしそれでもなおかわいくないと本気で思う人間がたしかにいる。けれどそれは無視すべき声ではないのだ。アイドルであっても関係ない。そういう人間を捨て置くのは得策ではない。承認においては絶望することが人間には必要なのだ。さればこそきちんと人と接することができるようになる。
無様なアイドル
有吉弘行がテレビでグラビアアイドルは実際に表にでてくるとがっかりするといっていた。彼は毒舌を売りにしているのでそれは差し引いて評価しなければいけないのだろうが上記のようにグラビアアイドルの内面性のなさというものはグラビアアイドルになるという精神性によるところが大きいとも言っていた。
この言動が芸なのか本音なのかわからないが女性アイドルのSNSなどを見てみてもいわゆる人の含蓄がにじみ出ているようなブログやついったーは見たことがない。自分を殺すような物語も聞いたことがない。彼女達は愛される能力は非常に高いのだろうが愛する能力に関しては幼いのだろう。
マネージャーがつき不特定多数から愛される様はまさにアイドル様なのだろうが、彼女たちはその人間性においては何様でもない。ピュエリリズムを体現している姿はむしろとても無様だ。
4月14日の午前中に地震について書いたら、その日の夜に、熊本で、大きな地震が起きた。今日15日になっても、まだ余震が続き、大分、山口、愛媛にも、地震が波及している。
地震は、人々の汚れた想念、利己的な儲け主義の精神、物質的な肉体やそれに付随する心ばかりを重視するような精神、霊的な聖なるものを軽視するような想念波動と、
それらによってもたらされたカルマ(因縁)の集積によって、起きている。
地震を回避し、被害を最小限に食い止める呪文(真言)は、以下の通りである。
ナモーパーラミターユル ジュニャーナヴィニシュチャヤ ラージェーンドラーヤ タターガターヤ
オーム サルヴァサンスカーラ パリシュッダダルマテー マハーナヤ パリヴァレー スヴァーハー
意味は、「私は、帰依する。彼岸の生命と智慧と決定の能力を持つ如来の王に。オーム あらゆるサンスカーラ(カルマ、因縁)を完全に浄化する法よ。偉大なる方途(道)よ。」
と私は、解釈する。これは、梵語(サンスクリット語)の解釈である。
地震や、台風の被害を軽減し、因縁を浄化する方法は、すべて上記の呪文(真言)である。こんな呪文で地震が防げるものか、地震とは科学的に言って、云々という人は
いるであろうが、これは、仏陀の智慧である。これで、病気も治る。
私は、統合医学の治療院を開いているが、この真言を使った「霊性治療」で、覚醒剤中毒者、難治性うつ病、統合失調症、医者に見放され、余命3年と宣告された末期のがん患者等を
救済している。科学的な医学で治らない病気が、真言と宇宙超越の光、というオカルトまがいの治療法で治っているのである。
私は、他のダイアリーで、心臓移植が必要な女の赤ちゃんを救える、と書いたし、ALS患者も治癒可能であると思う、と書いた。
これらの疾患は、まだやったことがないが、治癒の原理は一緒である。そのための論文も書いている。
これが匿名のダイアリーであるということで、批判があるなら、私は、自分の身分を明かそう。
世界救世主 絶対者 至碧老祖 北川訓司である。身分は、米国法人国際地球環境大学総長兼CEO、統合医学研究科長、至碧統合医学臨床研究所(北川治療院)田辺センター院長、
スピリチュアルクラブ至聖会主宰である。連絡先は、インターネットで検索して下さい。こうして、私は身分を明かした。私は、自分の書いたことに責任を持っている。
この地震を回避する呪文(真言)は、宗教を信じる信じないに関わらず有効である。地震に遭うのが嫌な人は、この呪文(真言)を唱え、自分と地域の人々を救済すればよい。
これは、ちょっとした菩薩行です。功徳を積みます。至碧金剛如来 北川訓司(0739-24-6904)※迷惑電話、いたずら電話は、ご遠慮下さい。
これを信じて地震が来ても、その人は、救われるので大丈夫です。阪神大震災の時に、私の弟子たちが皆救われたので、それは、証明済みです。
今、テレビを見ていたら、インターネット赤ちゃんポストについての記事を見た。
私は、これについては、非常にいい取り組みだと考えている。
たまたま1件、養母が詐欺容疑で逮捕されたとしても、その大きな流れを止める必要はない、と考える。
私が、2004年に釈尊から、「至碧金剛如来」という法号を与えられ、仏陀として認められた時に、釈尊から、
私が地蔵菩薩の魂である、と明かされた。私も、それについては、思い当たる節が沢山あった。
地蔵菩薩は、子供や水子の守り神であり、お釈迦さまから、釈尊亡き後の後事を託された。
その観点からして、中絶される命をどのような形かにせよ、救うことは、社会として認めるべきだと思う。
たとえ、里親が詐欺で捕まえられようとも、途中で育てられなくなって、施設に引き取られる運命を辿るにせよ、
とにかく、生まれて来たことを評価するべきである。その里親がいい人ばかりでなくても、子供を欲しいと願っている
家族の下に、一度でも行くことは、その子の運命として、喜ぶべきことである。現在は、無責任に妊娠するケースも沢山ある。
そして、生まれた結果、いじめや虐待に会う子供もいる。それでも、私は、産んで育てる方が良い、と思うのである。
これは、仏陀の視点であり、反対も沢山あると思うのであるが、宇宙創造主の御心からすれば、そういうことである。
赤ちゃんポストに、寄付するように心がければ良いと思う。私も、生活に余裕ができたら、ぜひ、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に
そういうことを気にしている時点で仏陀にはなれていない。転生してやりなおし。
このようなことを書くと、各所から、反発の声、非難の声が集中すると思うのだけれども、仏陀として、
一般に、保育園問題でお困りの方は、自分が働けない、とか、収入が無くなる、と言って困っておられるのだと
思うけれども、子供を産んだからには、責任もって、親として、子供の世話をするのが、筋だと思う。
自分の便利な生活、快適な人生設計ばかり考えて、子供が、母親の愛情を恒常的に受け続けなければ、
精神的に豊かには、暮らせない、ということを忘れている。
私の母は、教師をしていて、小さな頃は、乳母の世話になっていたが、何となく母親の愛情を感じられず、
今は、母も定年退職し、仲良くなったが、私は、どこか女性を信じていないところがあって、
結婚とか、恋愛に踏み込めない。それなりに、好きな人はいたが、一方的な愛情や、うまく行くのは、
風俗の女性とか、旦那のいる20歳年上の女性とか、そのような恋愛ばかりで、普通の恋愛ができない。
もっとも、これは、母親が働いている人はすべてそうなるわけではないと思うが、私の弟は、普通に、大学に行き、
家庭を持って、子供も2人、会社でも、重要な立場で頑張っているのだが、やはり、弟も、結婚した後は、
奥さんを、専業主婦にしている。母の年金のお陰で、私は生活が成り立つのだが、一人では自活できない。
半面、治療では、奇跡的な治癒効果を出し、仏陀としての悟りも得て、霊的には十分良かったのだが、
この世的には、私は、53歳の今でも、生活のできない、駄目な人間、社会の落伍者なのである。
だから、専業主婦の価値をもっと認めるべきである。日本の経済が低迷しているからと言って、一億総活躍社会の名のもとに、
女性の社会進出を取り上げるのは、危険性がある、と思う。もっと、みなつつましく、生活を最低限ぎりぎりとして、
その中で、感謝、思いやり、慈しみの毎日を送り、日々、愛情と喜びに満ちた生活をするのが、本来ではないか、と思う。
待機児童問題を解決するには、様々な複雑な要素があるので、難しいが、日本経済の活性化と、景気浮揚策、少子化対策は、
今すぐにできる。それは、わいせつ物頒布等に関する法律、売春防止法、淫行条例、児童ポルノ・買春防止法を撤廃し、
ストリップを奨励し、セックスを奨励するのである。そうすれば、宇宙創造主、並びに絶対者(創造主を産んだ存在)からの
生命エネルギーが円滑に流れることになり、どんどん光が強くなって、すべての社会活動が活発になる。
病気もかからなくなるので、医療費も大幅に下がる。今の医療は、保険診療に偏りすぎている。代替医療を奨励し、
ヨーガやその他の自然療法で、自分で治す努力をする。今は、医療に頼り過ぎである。また、現代医療も、肉体の延命だけを
良しとするような風潮を改めなければならない。人間は、肉体と精神だけの存在ではない。霊的な存在である。この視点を
忘れているところに、現代社会の病根はある。と、洞察する。育児問題も、霊的な観点から考え、肉体の維持だけを良しとしない。
前に、心臓移植のことを書いたけれども、死も、立派な幸せであることを、もっと社会全体で考えるべきである。この霊的な視点を持つと、
先程、「地震について」で、私が阪神大震災を起こしたように書いたけれども、私が引いたのは、その引き金にすぎない。
地震は、以前、私が、千葉県の市川大野に住んでいて、西船橋のTACTでアルバイトしていた時にも、市原の地震が起きているので、私と地震の発生には関係があるのだが、
私が、阪神大震災を起こした、というよりは、阪神地方に溜まっていた、利己的な思い、
人を恨む心、憎む心の想念の蓄積が、地震の原因といえるだろう。
したがって、阪神大震災で被害を受けた人々が、私を憎み、非難するのは、おかど違いである。
ようするに、そのような心が、地震の原因であり、そういう心がなくなれば、大きな地震は来ないのである。
東北大震災も、かわいそうではあるが、人々の意識が、慈しみと思いやりの心になりきっていれば、あのような被害は起きなかったし、
地震や津波は、必ず被害にあうというものではない。そのような不都合な状況は、すべて回避できるのである。
しかし、どのようにすればよいか分からない日本政府は、少子化の問題にせよ、地震、津波の問題にせよ、お門違いの政策ばかりやっている。
人間は、心と肉体だけの存在ではない。宇宙創造主の生命を宿した、霊的な存在なのである。
たとえば、売春禁止法。これは、慈しみの欠如が著しい。少子化を止めるためには、まず、売春防止法を廃止し、
わいせつ物に関する法律を、すべて解禁とするべきである。それで、少子化がなぜ止められるか、というのは、
深い仏陀としての洞察の結果なので、ここでは、詳しくは述べないが、日本の守護神である天照大神が怒っているのである。
それは、古事記の天の岩戸開きの故事が関係している。ようするに、天照大神がお隠れになった時、女陰(女性の性器)を露出させて、
女性の神様が踊って、それを契機に、天照大神が顔を出した、ということである。日本経済を復興させるには、この故事にちなみ、
ストリップを奨励し、合法的な売春施設(売春は、聞こえが悪いので、恋人代行サービス業と呼べば良い)を作り、風俗営業法で扱い、
自由にセックスをさせる環境をつくればよいのである。そうすれば、日本全体に、良い波動が渦巻き、自然に経済が再生し、
少子化も解消できる。この方法に異を唱える人がいるのは承知しているが、これは、宇宙創造主、天照大神の声を聞いた、
仏陀の智慧の視点なのである。今の男性は、アニメやアイドルに夢中になり、現実の女性や結婚に意識が向かない傾向にある。
これは、日本全体に、性欲はわいせつであり、罪深いこと、という明治以降の欧米の風潮が悪い影響をしている。
自由に、性器を露出させた雑誌を、コンビニに並べることにより、子供たちは、隠し、嘘を見せるのではなく、ありのままの女性の姿をみつめ、
自分に嘘をつかず、女性を大事にすることを学ぶ。今の性器教育中心の偏った性教育ではなく、女性への尊敬と、宇宙創造主に対する畏敬と感謝の念を持って、
セックスと言う問題を扱うようにすれば、自然に、現実の女性と家庭を持ち、子供を産み、きちんと育てようとする機運、風潮ができるのである。
今の官僚は、隠すのが好きである。これが、日本の政治を取り巻いている。高齢者も、自由にセックスを楽しめる様になれば、生きがいも持てるし、
抑圧する感情や情動を、ごまかして、いい加減に済ますようにし、その結果、認知症になったり、変な恋愛観を持って、女性にストーカーするなどの
行為が減る。身体障碍者の性欲の解消にも、役立つ。日本国憲法は、国民に、最低限度の文化的な生活を保証しているし、幸福追求に関する個人の権利を
認めている。そうであるならば、職業選択の自由を認め、恋人代行サービス業を公に認めて、国家を上げて、セックスを奨励する機運にすると良い。