はてなキーワード: フランス料理とは
気の合う仲間と飲み会に行くのはいいが、職場の飲み会は滅ぼしてほしい。
いない人間の悪口ばかりをいい続けて、それで5000円とか信じられない金額を取られるのだ。
手取り16万の新卒が、なんで週に2回も3回も飲み会に行かなくちゃいけないんだ。
2次会、3次会まで新卒は付き合え、なんて無理に決まってるでしょ。
居酒屋の食事って、定食なら700円? 800円ぐらいだろう。
そんな食事になんで、4000円、5000円も支払って、飲みたくもない烏龍茶を飲み続けるのは嫌になるのだ。
しかも、ずっと偉い人や上司の愚痴や説教を聞いて相槌を打ってる。
うっせえわって曲がある。
居酒屋に支払った金返せ。
本当に金が無い。
しかしそれでも、飲み会したがり人間はたくさんいる。だから飲み会クラスターが発生する。
もう、飲み会は嫌なんじゃよ。
飲み会はやめて。
そのねちょっとなったやつをスチームオーブンの2枚天板にどばっとひろげてならべいれて30分スチームしたらカリカリになるよマジで。スーパーのしんなり天ぷらもかりかりになるくらいだからね。
・なべはでかくしないと油が少ないと温度がものをいれるたびに下がってどうしようもない
・今のコンロにはほぼすべてついてる天ぷらセンサーをつかって180度にキープ
・衣はまず卵と氷水をよ~くまぜておく。粉をいれたあとはあまり混ぜない。ダマになってるくらいがサクサクにあがる。これはグルテンがとけだしてびよ~んねちょねちょになるのをふせぐため。あと水のかわりにあまったビールや炭酸水、小麦粉のかわりに片栗粉をすこし足したり市販の天ぷら粉をつかうという手も。
・あげたものはすぐペーパータオルの上にひろげておく。ものとものをかさねない、接触させない。(水蒸気を逃がすため。)網でもいいけどペーパータオルがおすすめ。
・プカプカういたら火がとおってる(具材の内部で水蒸気が発生して気球みたいな状態になって浮かぶ)
・中まで火がとおりにくい根菜は薄く切るか下ごしらえで電子レンジ加熱しておく。衣に火が通ったら食べれる刺身用エビとか青じそ(大葉)で熱いうちに食卓にそろって座って食べる練習するといい。
そのねちょっとなったやつをスチームオーブンの2枚天板にどばっとひろげてならべいれて30分スチームしたらカリカリになるよマジで。スーパーのしんなり天ぷらもかりかりになるくらいだからね。
・なべはでかくしないと油が少ないと温度がものをいれるたびに下がってどうしようもない
・今のコンロにはほぼすべてついてる天ぷらセンサーをつかって180度にキープ
・衣はまず卵と氷水をよ~くまぜておく。粉をいれたあとはあまり混ぜない。ダマになってるくらいがサクサクにあがる。これはグルテンがとけだしてびよ~んねちょねちょになるのをふせぐため。あと水のかわりにあまったビールや炭酸水、小麦粉のかわりに片栗粉をすこし足したり市販の天ぷら粉をつかうという手も。
・あげたものはすぐペーパータオルの上にひろげておく。ものとものをかさねない、接触させない。(水蒸気を逃がすため。)網でもいいけどペーパータオルがおすすめ。
・プカプカういたら火がとおってる(具材の内部で水蒸気が発生して気球みたいな状態になって浮かぶ)
・中まで火がとおりにくい根菜は薄く切るか下ごしらえで電子レンジ加熱しておく。衣に火が通ったら食べれる刺身用エビとか青じそ(大葉)で熱いうちに食卓にそろって座って食べる練習するといい。
ネットで無料かつ良質なレシピが山程見られる時代に料理の本なんか要らない
本棚に立てて作る時に見るか?見ない。スマホより重いものは持ちたくない。ムック本はページが勝手に閉じるのも不愉快だ。スマホでレシピを見ながら作った方がいい。
最近の料理の本は写真いっぱいのカラー印刷で高い。一種の写真集なんだろう。中古でもたいして値下がりしない。
dancyuをコンビニで立ち読みするたびに欲しくなるが、如何考えても要らない。金の無駄。あんなもの出るたびに買ってたら邪魔になる。
この部屋にいつまでも住むつもりはない。引っ越しの荷物は少なくしたい。身軽に生きたい。要らないものは置きたくない。料理の本は邪魔だ。要らない。
家庭の味は無料レシピが山ほど見られるが、ちょっと本格的なものになると途端にレシピは減る。知りたい。見たい。欲しい。でもどう考えてもフランス料理ソース100のレシピ、とか作らない。作れない。前菜のアイディア50、ワクワクする。だが不要だ。そんなの作るわけがない。エシャロットからしてうちにはない。だいたい前菜なんか家で作らない。1時間かけて作った前菜より、20分で作った野菜炒めだ。でも、欲しい。
しかし、要らない。
要らない。趣味に金をかけられない。辛い。
※タイトルと表紙だけ見て判断したので悪しからず。モノによってはキーワードだけ
私を食い止めて
水ってなんじゃ
かんどうかんくろう
僕僕先生
ニャン氏の事件簿
独りでできるもん
描かれた歯痛
前野ひろみち
あやかし算法帳
空き家課
あるかしら書店
海の百階建ての家
アルデラミン
闇と暮らす
365まいにちペンギン
オラクルブック
マツリカ・マハリタ
フェイブルの海
時間整理術
近松よろず始末処
包丁部
静おばあちゃんにおまかせ
陰陽課
ぴんとこなーす
べてるな人々
三人にせ金作り
怪盗レッド
ピカソになりきった男
ヤクーバとライオン
愛しき駄文具
一日昔話
動くな、死ね、よみがえれ!
おばけのパン屋さん
やだ!!(絵本)
グレッグの駄目日記
ドバラダ門
まどかは神かもしれない
押し絵と旅する男
明和義人
うそうそ(畠中)
ガタスタ屋の矜持
小道モコ
精霊の王
特上添乗員
ウチら特権
ボクらの消えた学校
焼き上がり五分前
いみちぇん!
変形菌図鑑
あやかし課
陰陽課
どこいったん(絵本)
岡本順
毛深い闇
薬売りの独り言
猫とエトワレ
元気に�なるシカ!
地図に無い駅
%(このはなさくら)
悪ガキ7(セブン)
一日なぞの生き物
入れ子の水
サノマリナ
みやたけ外骨
かわなべきょうさい
キルリスト
コンピューターのふしぎ
唯識の読み方
怪盗レッド
チームガリレオ
雑草ルデラル
幻都廻楼
ドルポ
聖なる怠け者
ひだごはん
ヒラマツオ
投書狂
ゴリラのけいこく
ヘッテルとフェーテル
ピカソになりきった男
こしょう息子
つ村きく子
リンカーンとさまよえる亡霊
江戸奇品解題
ヘンテコノミクス
ぽよぽよザウルス
のら犬とりで
十才までに平家物語
1年1組(DVD)
南河物語
築地の門出
ちび竜と魔法の家
うみの100かいだてのいえ
かまどねこ
就活の神さま
空から森が降ってくる
ファミアンドリー※1
夢もまた青し
でしょ115%
マガーク探偵団
ウナノハテノガタ
手話で生きたい
南の島※2
チオベン※3
絵でわかる感染症
やさしくわかるアサーション
ふしぎな出前
宇宙に期待しない
早朝始発の殺風景
くどうなおこ 「いる」じゃん
夏のうた
オシャレ泥棒
言葉のぷれぜんと
なんでも見てやろう
三枚のカード
戦う姫、働く少女
鬼の跫音
~~~~~~~~~~~~~~~
※1詳細不明
※2島田紳助?
現時点で、国際語となっている英語には、すでに多数のバリエーション(つまり方言)が存在しているのだ。イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語が違うことはよくネタにもされるので普通に知っているだろうが、英語を母語とする話者が一定いる地域が誕生すればそこには必ず方言が誕生するのだ。仮に日本が公用語を英語と定め、数世代あとに日本人が英語を母語とするようになっても、気候、歴史、文化等々が他とことなるこの地で話される英語は必ず「日本的英語」、ジャパニーズイングリッシュ、英語の日本弁になってしまうのだ。つまり「統一」など最初からできないのだ。(そして、極めてリアルに想像すれば、方言である「日本的英語」は、英語話者の中では、おそらく社会的に差別される方言になるのだ。日本でも、方言話者がどのように扱われるかを見れば、それは簡単に理解できるのだ。)
なぜなら、言うまでも無く、日本という地や文化、歴史等々についてこれまで書かれた文献はそのほとんどが「日本語」で記されているのだ。日本に住む者にとって極めて重要な情報源のほとんどが「日本語」なのだ。にも関わらず、それらの文化的リソースを、数世代後の我々の子孫はそれを母語レベルで理解することができなくなってしまうのだ。これはものすごいロスなのだ。もちろん、「その代わりに膨大な英語圏に関する文化的リソースを手に入れられる」じゃない?と反論したいのだろうが、それは怪しいのだ。なぜならば、言葉と文化はセットだからなのだ。文化的な背景、自然、文物に対する理解がない中で言葉だけを習得しても、それは月面で育つ地球人のようなもので、言語的文化的資産の十全な継承などおぼつかない、それは単に「全く新しい文化を一から作る」のとほとんど同じことなのだ。それは「古文・漢文」がかなりの割合で読めなくなってきている現代の日本が抱える問題でもあるのだ。
移行期間といっても、切り替えるだけなら実はそれほど時間はかからず、おそらく数世代で完了するのだ。上で触れた「文語→口語」の切り替えなど、一世代もかからなかったのだ。つまりそういうことは大した問題ではないのだ。ただ、その先に誕生するのは、上で述べたように「日本語的英語を使い、英語文化のバックボーンはなく、かつ過去の自分たち自身のリソースへのアクセス力までも失った、新しい文化を一から創出しなくてはならない1億人」なのだ。人口1,000人の小さな島で起きたことなら、その悲劇を理解する人すらやがていなくなるだけで終わるだろうが、世界に大きな影響を与えるそれなりの規模の国家で行ったらどうなるか、想像するだに悲惨なのだ。まあ、日本が没落することで喜ぶ国があるとすれば、その国にとっては喜ばしいことなのだ。
英語が公用化された第一世代は、日本語が入り交じった、たどたどしい英語を使うのだ(これを「ピジン」という。)一部の人は、留学などを通して「正しい英語」を身に付け特権階級化するが、だいたいの人はピジンの方を使うのだ。そうして次の世代になると、最初からピジンを母語として使いこなし始めるのだ(これを「クレオール」という。)上の方で、日本の公用語を英語にしても、使用されるのは「日本語的英語」になる、というのは、つまりこの「クレオール」のことを指しているのだ。
たとえば「洋食」。カツ。カレーライス。いずれも食のクレオールなのだ。仮に「正しいカツレツとは○○である」とか「カリアー&ライスは一バリエーションであってそもそも英国式はカリアースパイスドシチューだ」みたいな蘊蓄を並べて啓蒙しようとする人がいても、残念ながら世間では「かつ丼」やら「カレー」が登場し、オリジナルの「カツレツ」や「カリアー&ライス」とは全く別の料理が定着し文化になってしまうのだ。かつ丼もカレーもうまいから仕方ないのだ。言語でも、それと全く同じ事が起こるのだ。仮に最初に一所懸命カツレツを作るフランス料理人を招いて教えてもらったところで、最終的に定着するのは「かつ丼」なのだ。従って、「日本語を廃して英語を公用語化しよう」なんて主張しても、「日本の食を全て『フランス料理』にするために和食を廃止する」ことにはならなくて、単に「日本の食を全て『かつ丼』にするために、和食を廃止する」みたいな訳分からないことにしかならないのだ。そもそもかつ丼がうまいのは、和食がうまいからなのだ。つまり本末が七転八倒なのだ。
ここまで書いて何だが、元ネタの話に戻るなら、結局「言語は滅ぶもの」なのだ。これは避けられないことなのだ。日本語だって、10年前と現在ではかなり違うのだ。むしろ、言語は日々滅びており、そして日々滅びることをやめたとき、言語は「死ぬ」のだ。方言が生まれるのも、見方を変えれば「標準語の滅び」だし、方言が消えるのも、見方を変えれば「標準語(という新たな方言)の誕生」なのだ。そこに貴賤はないのだ。だから、言語学者は「言語が滅びてはいけない」というような価値判断をもって言語に向き合うべきではないのだ。もちろん、自分が研究対象としていた言語の話者が絶滅したら途方にくれるのは理解するが、それは文化史論的な見地から言うと、一つの現象に過ぎないのだ。たとえば、関西では最近TV等の影響もあり、日常的にかなり関東風のイントネーションで話す姿を多く見かけるようになってきているのだ。これは、一種の「滅び」でもあるし「誕生」でもあるのだ。なのに、「滅び行く関西弁を守れ」とか言い出したら、それは愚かなのだ。そういうのは、たとえば生物多様性が失われる……といった話とは全く違ってただの懐古厨なのだ。そのあたりを勘違いすると、元ネタの言語学者のように妙なエッセイを書き散らすことになるのだ。
日本語廃止論への反論は、上に書いたように政策的にマイナスであり、そして現実的にも不可能だという話に尽きるのであって、「滅び行く言語を守れ」みたいな感情論に落とし込んではいけないのだ。感情論は現実の利の前には極めて無力なのだ。
くらいかな。それっぽいのでやってるの。蕎麦は興味がないな。労力に対して得られる美味さの幅が小さそうじゃない?あれ。あと燻製もやらないな。興味はあるけど匂いがどうしても厳しそう。
あとおっさんが料理するっていうと脊髄反射で「どうせ片付けは人任せなんだろ」って言ってくるアホがいるのが不愉快だ。理想は料理完成と同時に片付けが終わってることだし、ガスレンジは毎回掃除するくらいの勢い。
手首に線を刻むより、フランス料理を食べていく - トイアンナのぐだぐだ https://toianna.hatenablog.com/entry/2020/10/04/141916 という記事が話題になっている。
要は、「生きてて辛くなるときもあるけど、美味い飯を食えば生きてる実感を得られるので、これからも生きていきたい」みたいな話だ。
これを読んで、猛烈に羨ましくなった。
自分は難治製の病気持ち持ちで、最近は食べられる物がすごく制限されている。具体的には脂質をある程度以上含む食品が全て駄目だ。肉・魚・卵・菓子類、ぜーんぶ食べることができない。毎日修行僧みたいなベジ飯食ってる。しかも 1 日 1 食程度しか食べられない。
闘病生活が辛すぎて本当に死にたくなる時もあるけど、「辛いときに美味しいものを食べて自分を慰める」という手段が自分はロックされている。
ブコメで「食べることは、生きることと同義。美味しいものを食べることは、何よりも素晴らしい」https://b.hatena.ne.jp/entry/4692315352789808546/comment/shields-pikes というのがあるけど、本当に同意だし、その意味では自分はもはや生きていないのと同義だ。( ※ shields-pikesさん、勝手に引用してすみません…)
羨ましい。美味しい物を食べることのできる、美味しい食事に逃避できる全ての人たちが死ぬほど妬ましい。
つらい。
写真が好きなので、ぼっちでも結構制覇してますが何か?実際に撮れるかどうかは置いといて、そこそこ立派なカメラを買って首からぶら下げて行けば「この人は写真を撮りたくて来たんだな」と思われて多少居心地が良くなる。逆に写真に興味のない人と一緒に行くと、全然見るペースが違うので、お互い不幸になる。
でも、フランス料理のフルコースとテーマパークのお一人さまはやりたくないな。料理と料理の間の待ち時間とか、アトラクションの待ち時間とか想像するだけで怯える。
でも大事なのは、一人でも堂々と楽しそうにしていることで、「一人で来てるのなんて自分だけだ、イヤだなぁ…」などとオドオドしてはいけないと思う。