はてなキーワード: ハイキングとは
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これは、男性の方が不安や心配事が少なく、お節介な干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから、自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
しばしば指摘される中高年男性の自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分の苦痛や不安を認識する能力を社会に破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。
他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキングや海釣りや森林浴を想定してください)
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。
この論法は「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性のセルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズムと弱者男性論は真っ向から対立しています。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
今までも男性差別については、男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨なセクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、男性差別の根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係や恋愛や経済やジェンダーロール面の困難や、弱者男性の存在自体が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性も女性くらいに保護する方向と、女性も男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。
細かな調整が必要な問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。
あくまで私の主観的な意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任、安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています。
人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性もケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります。
本エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!
【追記】
母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。
『男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります(anond:20220909191646)』
32歳女でポロシャツコーデに興味があるけど
ポロシャツ単体でおしゃれに見せるのが難しいと思う
夏は暑いので単体で使いたい
ポロシャツってネックレスは合わないからできないし、ピアスとかも不釣り合いでなんだかアクセサリーと相性悪いよな
やっぱりポロシャツイコール作業着だからカジュアルアイテムなんよな
おなじカジュアルアイテムの半袖Tシャツはアクセサリーにもあうし、かわいくもきれいめにもできる。なんなんだ
ポロシャツは畑仕事とかハイキングとか外でアクティブに動くときに使うにはいい服かもしれんけど
いざ、ポロシャツを使っておしゃれしてみよう!と思うと途端に難易度がぎゅいんとあがるんだが
おしゃれ好きの人が「ポロシャツ着たい!」と言ってるのを見るとなんでや!ブラウスのほうが簡単だろ!って思う
でも夏は単体で着たいんよね
ポロシャツのおしゃれな着方ってどうすればいいんですか
近所の山間でとても良い感じの、しかし変わったハイキングコースを見つけた。
一般車両侵入禁止なのに何故か道は広くて、コース中に大きな駐車場がある。そこには周辺のマップ看板が置いてあった。
見ると、駐車場が完備されてて子供が遊べそうな広場とか水遊び場とかが他にある事がわかる。
しかし実際は各所ロープや柵で閉鎖されてて、使えなくなっている。そもそも現在は車はここに入ってこれない。
周りを見るとこうなった理由はわかる。
異様な数の火気厳禁の看板、不法投棄の山、落書き、破壊された設備の数々。
かつては賑わっていたであろうこの場所を台無しにしたくそ野郎がいたのだ。
閉鎖されたのは10年20年も前だろうが、このあたりの治安はさほど変わってないのだろう。公園にゴミはすぐに散乱するし、木製ベンチはすぐに炎上する。
かつての姿を想像するといてもたってもいられず、ダメ元で行政にはこの場所を復活してほしい、警備もしっかりな、と意見書を出しておいた。
女の人でもそういう人いるけど粘着はしないしマウント取る人もごく稀というか数年間で二人しかいなかった
おっさんはマジで「一人で大丈夫?」「これ知ってる?」「それできるの?」みたいなののオンパレード
できない前提で話かけてくるのなんなん〜〜〜知ってるしできるから一人で来てるんだわ〜〜〜
もうやんわり断る時期は過ぎて結構直球で必要ないって言うんだけど「せっかく声をかけて"あげた"のに」って態度だったり言葉で言われたり
いやさー、そんな子供がハイキングで登れるような山とかスタッフ常駐なキャンプ場でよ??
タイトルのまま。
今年で20歳。中途半端に経験を積み、価値観を築き、自我を持つお子様の戯言につきあってほしい。
***
コロナ禍になって2年が経とうとしている、いや、もう経ったのかもしれない。
ワクチン接種も進み、新規感染者も減りつつあり、いわゆる「罹りそうな人種」もあらかた感染し終えただろう。
そろそろ収束するのではないだろうか。もちろん、まだ気を緩めてはいけないのは分かっているが。
急速に生活が変化したが、僕は全くと言っていいほど苦労しなかった。むしろ "快適" なくらいだ。本当に、全く苦ではなかったのだ。
苦労した方々には本当に申し訳ないのだが、謝罪よりも感謝のほうがいいだろうからここで強く「ありがとう」と言っておく。
あなたたちの苦労・努力のおかげで私は日々しあわせです。ありがとうございます。
さて、この2年で「非対面・非接触」が当たり前になった。
マスク着用はもちろんのこと、あらゆる場所にカーテンやアクリル板が設置され、なんというか、とても衛生的になった気がする。
多くの人間が様々な策を講じてきたが、中でも、バイキング形式の飲食店ではマスクと手袋の着用を促されるというのはとても素晴らしい試みだなと思った。
昔から親には「お金を触ったら手を洗え。誰が触ったかわからないから」と教えられてきた。
当時の僕は「神経質になりすぎだ」と思っていた。でもあるとき、僕はハイキングが魅力的ではなくなった。
大して食えるわけでもないのに食べ放題やサラダバーのある店に行きたいと駄々をこねていたのに。
――このサラダバー、知らないどこかの誰かがしゃべりまくった唾が飛びまくってるんだよな。しかも生で食べるのか。
――このトング、誰かが床とか触ったままの手で掴んだのかもしれないんだよな。
当時の僕にはわからなかった。でもとにかく急に怖くなってしまった。
父に「やっぱ食べ放題行くのもったいないかも、僕そんな食べられないし」と言うと、「そうだな」とだけ返してくれた。
まさか「他人の唾が飛んでるかもしれない食べ物を食べたくない」なんて言えなかった。精一杯背伸びした建前だった。
店員さんはアクリル板越しに注文を聞いてくれるし、案内される座席は消毒されている。
過剰だろうか、でも過剰でよくないか? 「ちょっと高くても国産のものを買おう!」と何が違うんだ?
きっと、コロナが明けたらこれらのサービスは「費用削減」として廃止されるだろう。
だって消毒作業は面倒だし、店頭に置く除菌用アルコールだって手袋だってタダじゃない。もちろんマスクもだ。
分かるよ、分かるけど、いまの値段より数十円、数百円か高くなってもいいから、いまのサービスを続けてもらえないだろうか。
サービスの理由も「コロナ対策のため」じゃなくて普通に「衛生面重視」でよくないか?
コロナが明けたら、僕はきっと社会不適合者なのだとはっきりするだろう。
あとついでに。おつりの小銭をトレーに乗せて受け取らせるやつ、手袋付けていようが直接小銭に触れてる時点で手渡しと変わらないと思うからやめたら?
すごく細かく書いてるけど、環境や個人差によってお勧めは異なる。
うちは子供3人いて、1人目が2~3歳の頃は、後輩パパにアドバイスしたりしたけど、その後の2人で考えが変わった。
でも、人がいいって言うものはお金があるなら試してみる価値はある。
ダメだったらやめるだけ。特に新しいものに関しては、ものすごく便利な物もある。
1人目から2人目までに6年あいてるけど、それでも便利な道具は増えてる。まして20~30年前の常識はまったく役に立たない。
金は出して貰っても口は出させるな。その代わりあまり頼れなくなるけど。
例えば、子供を運ぶのに、抱っこひも、ベビーカー、ベビーキャリア(背中に背負うタイプ)があるけど、どれも一長一短。
体力があるなら抱っこひもが一番いい。事故が最も少ないし、他人への迷惑も少ない。都会の電車移動はこれがいいと思う。
ベビーカーは車+郊外のショッピングモールなどに。どうしても階段や人混みに弱い。屋外はちょっとした坂道で動き出したり、転倒したりする。事故は圧倒的に多い。
最後にベビーキャリア。地面に置けるし、荷物も載る。ただし、思った以上に後ろに長い。加えて結構重い。ただ、一番子供の機嫌がいい。大人より高い目線になるから楽しいらしい。野外の行動にお勧め。公園やハイキング、動物園等での満足度は非常に高い。
出羽守の発言力は在住国によって左右される。まあ例えばだけど出羽守のオッサンが「今日ザンベジ川のほとりをハイキング中にザンビア人から『なぜ日本は…』と言われた。世界が日本を見る目は厳しい。」とかつぶやいたところで、誰も何も気にしなかったであろう。出羽守のオッサンがドイツからつぶやいたからこそ物議をかもした。良し悪しはともかく、この発言力の大きさで出羽守ヒエラルキーが決定されるとして、どの国が出羽守ヒエラルキー上位なんだろうか。
自分としては
英米仏独≧北欧>イタリアスペインポルトガル>中韓>東欧≧東南アジア>その他
という感じかなと感じている。
アメリカ出羽守はアメリカの空気に毒されて『おれ!世界の中心に!いる!』と思っている節があるけれど、欧州出羽守からすると遠くにある大陸にいるだけの日本人って感じだし、ぶっちゃけ西欧の方がアメリカよりマシじゃない?と思っている。後、アメリカ在住組はリベラル出羽守が多いイメージ。母数が多いから右も左も多いけれど割合的に一番左翼が多いのがアメリカな気がする。(州によっても違うんかな。アメリカ住んでないから知らん)欧州は現地がゴリゴリにリベラルな国(ドイツ、オランダ、イギリス、北欧などのプロテスタント国家)に意外と右翼系出羽守が多い。フランスとかイタリアとかおしゃれっぽい国は出羽守とか右左とか関係なくキラキラ海外在住アカみたいなのが多い気がする。
中国韓国は当然だけどリベラル(?)が多い。中国はすごい、韓国は進んでる、それに比べて日本はぁぁぁぁぁ。自分は多少デジタル化が遅れていようと、トイレに紙流せて水道水飲める国の方が住みやすいと思うが……まあ好みは人それぞれですからね。ちなみに欧米出羽守と中韓出羽守はお互いにほぼ関わらない。恐らく欧米勢からすると遠いアジアの国&母国ですらないに住んでいる日本人は視界に入らないから。中韓勢が欧米勢スルーな理由は知らない。
書いてて思ったけど、リアルの生活が楽しそうな国ほど出羽守少ないなぁ。イタリアとか出羽守やってるのプロオリーブオイラーくらいしか知らん。
わいは、会社社長。といっても従業員はおらん。わいの一人法人や。
さぁ数カ月ぶりに休みができた。やっほーーーー。それも二日。
まぁ、今日の夕方にお客さんが書類取りにくるから、その時間だけは自宅兼事務所にいないといけないので、泊まり旅行は無理やけど。
■ ほしいもの
・ダンベル
自宅トレーニングメニューを増やそうかな。チューブは買ってよかったし
わいは紙派や。
■ 少し欲しいもの
・iPad
動画見るだけやから、手持ちのFire HD 10でいいといえばいいんやけど。
Miスマートバンド気に入った。睡眠ログは、Miスマートバンドでいいけど、お出かけように時計っぽいのもほしいな。
いらんちゃいらんけど。
・冬用のアウター
ちょっと機能的に若干不満があるので、新しいのほしいけど、まぁ今のでいいっちゃいいんだよ。
■ ほしかったけどやっぱいらん
・フルサイズ一眼 (α7)
大学の時は、こしかけ写真部で写真展に出したりしてたな。だから、カメラこだわってたんや。中判使ったり、暗室使ったりしてたな。そこまで真剣じゃなかったけど。
少し前は、フルサイズほしかったな。でも、いま写真撮るっていったら、メモ替わりだけや。Redmiのカメラで充分や。
クロス乗っているとロード欲しくなるのが定番だが、あんま長距離お出かけする時間なくて、買い物で乗るのがメインやからクロスでいいか。わい車なし。
・PS5
ほしかったけど、買えないうちに物欲なくなってきた。買ったらゲームばっかしてそうやから、まぁないほうがいいかもしれん。
物欲おわた。
■ したいこと
・うどん屋
■ そこそこ
・美術館
でも、今、見たい展示がなーい。
・ラーメン
ラーオタばかにしてたけど、今なんかわかる。休みの日に、1000円+αでなんかやった気になれる。
・本屋
コロナになってからデカイ本屋ブラブラ一回しか行ってないな。今までは、スポーツ見に行くか、友達と飲みに行く前に行ってたけど、なくなったしな。
まぁ、今読みたい本ないんだよな。だから、むしろ行くべきなんかもしれんけどけど。
■ ほぼあき
一時期はまってた。だいたいいった。もう飽きた。
・岩盤浴
疲れをとりにでも。数ヶ月で1回でいいか。
■ あきた
・スポーツ観戦(生)
コロナになってからいってない。中継でいいっかって感じになった。中継されないような小さな大会は、今も無観客やし。
・旅行
数年前に何個か行きたいなぁってメモしてたところに、去年夏・秋・冬で行ったら、もう行きたいとこなし。
旅行中、スマホばっかしているから、SNSでどうでもいい情報知って、むしろ疲れる。旅行はいいかなと思った。
前から同業者でやっている人がいて興味本位で、去年のGoToの時に少しやったけど、二日で飽きた。
・登山
北ア、中ア、南ア、八ヶ岳の登りたい山リスト制覇したら、あきた。本当はまだあるけど、わいの実力だと無理ポやし。
近所のハイキングはしているけど。
途中でSTOP。
今は他に好きなことは見つけられたのかな。本でも食べ物でもハイキングとかでも、なんでもいいんだけど。楽しく過ごせてたらいいなって思う。
自分はハイキング人が住んでる某国で大学出て現地就職した口だけど、「海外に逃げよう」みたいな人見るたびに
「そもそも日本って先進国の中でもかなり『良い国』だけどどこに逃げるの?」「現地人を押しのけて就職できるだけのスキルがあるの?」「ビザ取ってもらえるような専門があるの?」「そもそも移住先の言語または英語はできるの?」などなど疑問符で頭が埋め尽くされる。少なくとも自分が住んでる国と日本とどっちがいいか聞かれたら間違いなく日本と答える。唯一バカンスの取りやすさと欧州旅行の手軽さはこっちに軍配が上がるけれど、それ以外の部分――清潔、安全、食事、所得税、日常生活のほとんどの面で日本の方が暮らしやすい。
日本から脱出して海外に逃げようと思ってる人は、当然移住先は日本より『良い国』を選ぶんだろうけれど、どこの国へ行くのだろうか。その国でどうやって暮らすのだろうか。
よくある「体育のせいでスポーツ嫌いになる」の一種かなと思うんだけど、まず私はスポーツってものが嫌いだ!と思って生きていた。
結論を言うと、おそらく「決まったコースを歩くのが嫌い」「パスなど大きな声を出す必要のある競技が軒並み嫌い」なんだと思う。
運動部の連中陽キャじゃんこわぁ、と思ってたし体育祭とか球技大会とか嫌いだったし、サークルでスポーツ会しようよ!とか言われたら不参加だったし。
でも、1人で時間内にゴールすればいいからマラソン大会は好きだった。おしゃべりしながら、ってのはやったことがない。
バドミントンが好きだ。クラブに入ってた。バレーボールもちょっとだけやった。
水泳教室は嫌いだけど、1人で25メートルを何往復もするのは好きだ。
知り合いに付き合ってソフトボールもやったし、縄跳びとかは体力が続く限りやってられる。それ自体が苦ではない。
スポッチャはお遊び程度なんだけど、1人でボウリングとかには行く。コツの動画見たり、隣のレーンの激ウマおじいちゃん見たりしながら3時間1人で玉を投げ続けている。
ウォーキングって感じじゃないけど、1日10キロの散歩程度ならケロッとしてる。
学校の団体行動がそもそも死ぬほど苦手だったのもあり、ただただ誰かと何がするのがしんどいだけで、それをスポーツがしんどいと思ってただけだった。
なので、たとえ1人でもスタンプラリーとかのハイキングコース歩くのはあんまり好きじゃない。道が決まってるところを歩くと、同じような人を必ず見かけてしまうので。
なーんだ、私がおひとり様好きで協調性ないだけでスポーツに罪はないじゃーん!やったー!みたいな気持ちになったので書き散らしておく。