はてなキーワード: ニセ科学とは
ホッテントリにあったhttp://mubou.seesaa.net/s/article/453600893.htmlを読んだ感想です。
正直に言って、私にはこの著者及びブコメの皆さんは、科学万能主義に侵されているように感じました。
反証可能性の下りはまあいいんですが、気持ち悪いのはこの部分です。
一人、あるいは仲間内だけで勝手に「正しい」と言っていることよりも、皆で「正しいかな?正しいかな?」と議論され続けられているものの方が信頼できる。多分当たり前のことですよね?
その辺のことが分かっている人であれば、間違っても「科学は万能である」とか「科学は絶対である」なんてことは言えない筈なんです。逆に、「万能も絶対も存在しないから、その時点でなるべく妥当だといえることを「正しい」と考えようね」というのが科学、という風に言ってもいいかも知れません。まあこれも随分ざっくりした話なんですが。
残念ながら、科学というのは「何かが正しい」と結論付けるものではないし、ましてや判断基準に「仲間内での正しさ」のような曖昧模糊とした概念が入る余地はありません。
科学的な手続きというのは、全て統計に基づいたものであるべきです。すなわち、ある命題Aが真である確率を統計的に与えるのが科学です。実際には、95%信頼区間や、nσで議論されることも多いですが。(もちろん数学や論理学は違いますけど、観測に基づく科学、という意味です。)
おそらく、普通の人が「科学的事実」といって想像するのは、原子や分子があることだったり、あるいはバファリンを飲むと頭痛に効くことだったりするかもしれません。それらのstatementが極めて真であるように思われるのは、様々な測定により、統計的に非常に高い確率(おそらく、少なくとも前者に関しては99.999…9%と、9が10の1000乗個以上続くような確率よりも下手したら大きいと思います)が保証されているからです。
しかし、新しい学説に関してはこのような確率は保障されません。例えば太陽系外惑星が存在するかとかタミフルを飲んで異常行動するか、というようなstatementに対する真偽の確率は、もっとずっと低くなります。
で、だからこそニセ科学がはびこるわけです。彼らの正しくなさは、科学的にはそんなに高いわけではないのです。(99%以上の精度を持ったことを人体に対して言うには、誤差のコントロールがかなり大変だと思います。門外漢なので詳しくないですが…)まともな科学者は、ニセ科学を間違っているとは断言できないわけです。
(まあ正直いえば、ニセ科学とはされていませんが、「納豆が体にいい!」みたいなのもわりかし同じようなレベルの話だとは思います。)
ということで、私の感想をまとめると、
・そもそも、「科学的に正しい」という概念はない。それは科学万能主義です。
・観測事実に対し、何かが絶対に正しいと断言できるのはニセ科学者だけ。
です。
(この手の、「科学の解釈」みたいな記事を見るにつけ、◯◯界隈で、『絶対に✕✕である』と断言している先生方の影響で、間違った科学観が広まっているのを危惧しています。)
なんだか、投稿しても途中で切れてしまうので、追記部分だけをトラックバックでつなぐことにした。
すごい伸びていてびっくり。読んでいただいてありがとうございます。
はてブなどの反応を読ませてもらって、補足したいところとか言い訳したいところとかたくさんあるけれど、元々長いしキリがないので文章が飛躍してるところやタイポを中心にちょこちょこ直せるとこだけ直した。いらんとこだけ書き直したわりに、あんまり直ってないかもしれない。それ以外では、
御用wikiについてもいっぱい指摘があったので追記したかったけど、本題とずれるわりにくっそ長くなったのでやめた。3.11以後の動き、の項の一段落目にアエラ表紙とか青プリン先生とかとあわせて含まれていると察してください。
きくまこ先生否定ありきで見てる、みたいな意味合いの感想もちょこちょこ見たのだけど、確かにたまたま何回も名前を出すことになってしまったけど、別にそんなわけではない。他のおかしなニセ科学批判派含めた、ワンオブゼムとして批判の対象になるべきだと思っている。個人的な好き嫌いでいうのならば、きくまこ先生には同情するところも少しはあるし、感情レベルでむしろ一番不愉快なのは多層な批判層の(3)にあたるような人たちである。ただこの人たちは(2)と区別がつけにくかったり((2)だって大嫌いだが、不愉快度だと「通じるとこのある」分(3)のが高い)、ニセ科学批判者としても論客としてもいまいちなサイズの人が多かったりで、名前を挙げにくかったので特に具体名は挙げなかったのだ。「また人文系か」タグを振り回すのが好きだった某はてなブックマーカーあたりはここの例としてに限れば最適だったんだけど、ニセ科学批判とは関係ないし、ツイッターではさして存在感がないし。かといって、最近頭角()を現してきた大貫剛氏あたりを出すのも、さすがにかわいそうな気がするし。
追記も長くてごめんなさい。
ツイッター経由で、元記事について伊藤氏がこんなツイートをしているのを知った。
それですね。元増田のひとが、いわゆる左派をもう信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象を必要としたという見立ては可能でしょう。
「それ」というのは埋め込みツイートされている別の人のツイートのことだがそれはともかく、いやマジで何を言ってるの。
俺がニセ科学批判者を批判するのは俺がもう左派が信じられなくなっているせい?どういうロジックよ。「ニセ科学批判への批判はサヨクのせい」ですか。
こんなん、10年くらい前なら「伊藤剛検証blog」とかブログが立った時に酷すぎる支離滅裂発言の例として取り上げられるレベル、20年くらい前なら山本弘に著書の中で太字で突っ込まれた上に小見出しのネタにされるレベルのおかしな物言いじゃないか(伊藤氏にはトンデモ本シリーズで取り上げるべき著書がない、とかそういう話はここでは関係ない)。
言葉を単純に置き換えればいいというものではないのかもしれないが、例えば、エア御用とか言ってた人が、「エア御用で放射脳批判をしている人は、実際はもう放射能安全派を信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象を必要としているだけなのだ」とか言い出したら、それこそ伊藤氏含めたネット言論で袋叩きにされるんじゃないかね。
俺が左派論客を全面的に信じるなんてことは今も昔もあったことはない。そういう世代じゃないし。でもそんなのは左派相手に限らず当たり前の態度であるわけで、左派を「もう信じられなくなった?」と言われたらいやそんなことはありませんよ、と答えると思う。俺は別に家柄も収入もたいしたことない人間なので、左派不信になってトクする理由があんまりないし。それと左派のおかしな発言をする人について批判的なことを言ったり考えたりするのは別に矛盾しない。ニセ科学批判クラスタを批判してるからといって、ニセ科学批判の内容なんてもう信じられない、放射能のせいで鼻血が出る福島の子供やホメオパシーの治療効果や虐殺された江戸しぐさの伝道者も実在したんじゃないか、と主張したいわけではないのと同じである。
それは別に元の記事から読み取れることではないと思うので別に当てられなくてもいいんだけど、だからといって伊藤氏がどうやって上の推測にたどりついたのかはやっぱり謎である。どこかパラレルワールドには左派不信な「俺」がいて、伊藤氏と親しかったりするのだろうか。
あと、そういう「推測」が成り立つのなら、伊藤氏が「みんな左派が信用できないんだ」と思い込み、イデオロギーにとりつかれているのを勝手に俺に投影している、その傍証じゃないかという見方も出来るのではないか?と思えるのだが。少なくとも伊藤氏よりはロジックもアクロバティックじゃないと思うけど、どうなんだろうね。
もうこれ以上の追記はしないつもりだったが…… 被曝方面のニセ科学批判で目にする林智裕氏がこんな反応をしていたらしいという話を見た。
元増田では名前を出さなかったとはいえ、放射能デマ関係のニセ科学批判に熱心な人、こんなんばっか目立つの本当悲しくなるな、と思って見ていたアカウントの一つだ。
そして、一読してやっぱり悲しくなった。
左派のことばかり批判するな、と言われても、じゃあまずはこの件から謝ってみせて下さい、としか。左派政党の代表達が、放射能デマゴーグとべったり。総括も反省もしない。謝罪も無い。
俺はどっかの政党の党員じゃないので、左派政党の代表がだれと仲良くしてたとかについて謝ったり総括してみる義務も責任もないはずなのだが…… この人もどこかの平行世界ではそういう政党に所属している「俺」と知り合いだったりするのかな?謎だ。というか、党員であってもあんまり代表の不手際を謝ったり反省したりしないよね、左派政党に限らず。逆ならまだしも。
もっとも、そういう党を支持するだけでもけしからんという見方もあろう。俺は左派政党のそういうところは支持していないので関係ないともいってしまっても良いのかもしれないが、元増田で書いたRT論はそのような属人(党)的で判断する考え方に近いともいえるし。
ただそれならそれで、林氏が普段、どの政党を支持して票を投じているか、知りたいところだ。RTする相手はアカウントの数ほどあるが、政党はそんなにたくさんない。今の日本で非左派政党とみなされる政党というのは、ニセ科学やデマゴーグにまみれた主張や政策を推し進めているか、そういう政党の衛星政党としてしか機能していないか、その両方か、のいずれかしか心当たりがないのだが。あやまって、やくめでしょ。って言ってやりたくならないのだろうか。そうじゃない、あくまで無党派なんだ、というのかもしれないが、その割には随分左側のニセ科学だけが許せなさそうな様子のツイートだ。
特に、いま一番議席を持っている右派政党、代表から末端の組織までニセ科学やデマゴーグがあちこちに観測されるんですが…… その人たちやその支持者にこういう総括や反省や謝罪を求めたことがこの人にはどれほどあるのでしょうか。右派メディアで有名な産経新聞や「WILL」「正論」、それにあまたあるアフィブログやネットメディアもしかり。いや、総括や反省や謝罪を求めなくてもいいっちゃいいんだけど、そういう人にこんなこと言われたところで知るかとしかいいようがない。
あるいは(これはあまり想像したくないことなのだが)、放射能デマがらみ、あとたまに反医療デマがらみ?以外なら、デマでもニセ科学でも大歓迎!ということなのだろうか。
元増田でも触れたけど、ニセ科学の文脈であれそれ以外であれ、ニセ科学批判者には右派を(あるいは「も」)批判する人は(「ニセ科学批判批判クラスタ」が時に大げさに言うよりは)意外にいる。というか俺もリアルアカウントでニセ科学批判をするときはそういう人として見られていたはずだ。なのだが、「左派のことばかり批判するな、と言われても」というからには、この人は自分の属する「ニセ科学批判集団」が右派の批判をロクにしていないという自覚があるのだろうと思われるわけで、そのへんどう思っているのかというのも気にかかる。あいつらは頭のおかしいことをやっている、とでも思ってこちらの陣営を見ていたのかな。そんなニセ科学批判者、「放射脳」並みに御免である。
まあなんていうか…… この論法好きじゃないのだが、伊藤氏にしろ林氏にしろ、自分がゴリゴリの党派性を韜晦したつもりで普段「イデオロギーフリーなニセ科学批判」をしてるからこそのこういう反発じゃないのかな、とか言ってみたくなるんですがどうなんですか。アリバイ的に左派的な口ぶりをするだけなら、ダダでも出来るんだよね。
若い人は知らんのかもだがニセ科学批判の母体である「と学会」がもともとネトウヨの巣窟なのよ
http://d.hatena.ne.jp/toroop/20090601/p3
https://togetter.com/li/248884
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20131123/p1
南京大虐殺完全肯定派っていうのはと学会の中でも会長くらいで少数派
http://www.tobunken.com/diary/diary20031116000000.html
あと菊池誠の放射線医学関係のブレーンになってるbuveryも有名なネトウヨ。
http://twilog.org/buvery/search?word=%E5%8D%97%E4%BA%AC&ao=a
菊池誠周辺のニセ科学批判がネトウヨ化するのは彼らのご都合主義と権威主義の妥当な結末だと思う
現にこの増田も陥っているが、放射能関係ですら菊池誠のデマはひどい水準だよ
列挙してみるが、
・β 線はからだに当たっても皮膚で止まるから心配しなくてもいい→ウソ。数ミリは進んで熱傷他の障害を起こす
・広島・長崎で被爆した 9 万 4 千人と被爆しなかった 2 万 7 千人を追跡調査している→ウソ。被爆しなかった 2 万 7 千人は LSS 解析対象から除外されている
・妊娠中に 100 ミリシーベルト以上被ばくしなければリスクは上がらない→ウソ。オックスフォード調査で上がることが確認されている
・閾値なしモデルは予防的なもの→ウソ。データから最も科学的に妥当なモデル
・排気塔の倒壊リスクはデマ→ウソ。東電や規制委員会もリスクを認める
etcetc...
タイトルが
なのに
「相手が科学と言っていなくても、装っていなくとも「それは(ニセ)科学だ」と難癖をつけ放題な状況」
とか訳がわからない。
「またこの定義がはっきりしていないために「何故科学を装うといけないか」にも論理的な根拠が存在しない」
の部分もおかしい。例えば
「またこの定義がはっきりしていないために「何故詐欺はいけないか」にも論理的な根拠が存在しない」
といっているようなもの。論理的な根拠がなくても倫理的いけないこと、法律的にいけないこと、はあるでしょう。
「これを定義すると「宗教」などニセ科学批判者たちが都合よくスルーしているものもまず間違いなくその範疇に含まれてしまい、」
https://anond.hatelabo.jp/20170726215433
これに関してなんだけど、
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/orcagy/status/888355304450215937
およそアメリカで偽科学を批判する人が歴史修正主義に親和的であるのは考え難いが本邦はそうでもない。
その理由を、この偽科学批判と歴史修正主義批判は違うと言う意見がアメリカではおよそあてはまらないのかなって感じた。
「実害性や人が死ぬかどうかで、違う」
これに関してはアメリカの偽科学批判者がまず批判する「創造論」や「ID論」にも当てはまってしまう。
キリスト教原理主義と親和性が高く、それらの中にはテロリズムに走るものもいるが、そんなものはごく一部で大部分の創造論者やID論者には当てはまらない。
それに危険性を言うならある集団への差別や憎悪、偏見を助長することの多い歴史修正主義の方がさらに危険とも言える。
なんというかアメリカの偽科学批判者なら進化論に関する議論で何度も聞いてそうである。
進化自体は追試できないし、方法論や手法は違うが現在ある証拠から過去を再現する点では古生物学や歴史は共通しており、原理的に歴史を偽科学から除外することにはならない。
さらに言えば、アポロ計画陰謀論もアポロ11号が月面に着陸したこと自体は歴史的事実であり、厳密には追試できないが、アメリカの偽科学批判者はアポロ陰謀論も否定する。
「専門分野の違いだ」
著名な懐疑論者でThe Skeptics Society の創始者マイケル・シャーマーは反ホロコースト否定論でもしられる。
こうして見ていくと、偽科学批判者が歴史修正主義者たりうる理由が良くわからないが注目する点で
そう、実は偽科学批判をしている人も歴史修正主義を批判している例はある。
では何で、南京事件や慰安婦問題など、日本でもっとも議論になる歴史修正主義はスルーするのか。
これで気づいたのは、それらの南京や慰安婦に関する議論は日本では、政治的、イデオロギー的、感情的な反応が引き起こさる。
ある意味「虎の尾」と言える。
そう考えると、アメリカで政治的、イデオロギー的に議論となる創造論を主要なテーマとしている偽科学批判者は「虎の尾を敢えて踏む」どころか「虎が倒れるまでボコボコにして、再度起き上がってくるならまたボコボコにする」くらいの覚悟が最初からあった感じなのでは。
実際、創造論やID論はアメリカで公教育から排除はされているが、何度も復活を試みようとされている。
虎の尾を踏んだ山本弘氏あたりはネット黎明期から今にいたるまでさんざん難癖をつけられている。
そうやって考えると偽科学批判者の中に感じられる「我々は政治やイデオロギーから自由である」と言う勘違いが生じやすかったり「自分の政治的、イデオロギー的立場に反しない限り歴史修正主義を認識できるが、政治的、イデオロギー立場に合致する物は歴史修正主義と認識できない」こともなんとなく分かってきたかな。
いわゆるニセ科学批判はその選択性を批判してるんだが、本人は「普通の日本人」として選択したつもりもないから何を批判されてるか分からないところとか
>元増田読み返してみろ「科学を装ってはいけない」はニセ科学批判が用いる主張だぞ
最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。
先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界は科学だろう、という思いは変らない。
余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分が積極的にフォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体が不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。
あらかじめ書いておくと、自分の見解は、「ニセ科学批判とネトウヨは本来、つながらない」である。しかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。
なお、あくまで自分の観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンスや統計的な根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。
ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。
3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリの左派な左巻健男が石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたかは想像に難くない。
元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なからず割合がただのウヨアカウントであり、人権問題に危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。
ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベースに意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的にニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。
こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報の割合的にはごくわずかということになる。
俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分である。デマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨとニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。
この層、とひとくちにいっても、いくつかある。
まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲の唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。
言っちゃあ何だが、科学は正義である。しかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。
正義の暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。
一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑や偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。
ところが、ネットは理系の研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタやアニメ談義が話が合うという理由で高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。
これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである。
しかし、本来の意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想に親和性を持つのはまあ時間の問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分の観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。
そうすると、本来は関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。
(この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。
後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要なカテゴリーかもしれない。
ネトウヨの定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近の人間が大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベルの定義みたいなものだ。物語シリーズはラノベかとか三毛猫ホームズはラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。
しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由でネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供でももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間は京大生でなければ狂人である。京大生でも狂人かもしれない。
菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。
ジャンルは違うけれど、所謂「キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。
ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。
RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。
ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイートの文章そのものであるかツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言を属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意を判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。
さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイートを自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うから、ニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。
ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうのアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合は問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい。
でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。
「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。
それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。
2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。
ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン、水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分が左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。
このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来の意味も、日本で独自に派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団は原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合は放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。
よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学の問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題や法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。
「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である。状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタだけが受けるものではなく、左派がいちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。
こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。
先日ツイッターで問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーがリフレとニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨの定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。
経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。
ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。
なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字を勘定してイメージしやすい「ロジカル」なものだからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。
これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレで経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業は給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済が大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。
昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。
それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。
ここ10年くらいのインターネットの歴史は、ノンポリが政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。
1970年ごろの学生運動家だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。
俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。
ニセ科学批判は、科学を不適切に利用して儲けている業者への怒りや、騙されて買っている人や時には命を落とす人への哀れみから来るのだと思っているが、ニセ科学批判者批判は何が目的なんだ?
自分が批判したい物をニセ科学批判者は批判してくれない!という怒りか?
それとも自分が支持している物をニセ科学批判者に批判された!という逆恨みか?
ただ単に気に食わないだけか
>またこの定義がはっきりしていないために「何故科学を装うといけないか」にも論理的な根拠が存在しない
24日夜〜深夜
25日 id:kayouvivi
26日 id:suiyb
以下随時追加
27日 id:mokybb
増田も書いていた(26日)
https://anond.hatelabo.jp/20170726201519
同じとこに同じ内容の罵倒idコールを何度も投げるという奇行種だが、
なにやらユニークなお考えをお持ちのようなので、