はてなキーワード: トトロとは
多分に漏れず大学生の頃に量産型バックパッカーとして世界一周をしていた際、
インド北部を1ヶ月旅していたのでその時のことを振り返ってみた。
・詐欺師に偽物パシミーナのスカーフを売られた云々という日本人女性に絡まれる
・宝飾店に連れて行かれる
・トトロの木を見に連れて行ってくれるというインド人のバイクに乗る
・ウォッカを煽られる
・ガートで手を揉まれて金をせびられる
・頭も揉まれて金をせびられる
・観光に連れて行ってくれるという男にまんまとついていく
・男友人の家で朝ごはんをいただく
・翌日の帰り際、弟が病気だからという理由で3万円くれないかと打診される
・駅までトゥクトゥクに乗るものの、FIXした金額の数倍を請求される
・支払いを渋った結果、「日本人は金払いがいい。お前はケチだから本当は韓国人だろ!」と言われ、すぐ近くにいた韓国人が激怒する
・トゥクトゥクドライバーとの値段交渉の結果、道中で怪しいお土産屋に3件連れて行かれる
・ホテルの場所を尋ねると、そんなホテルはない。うちに来い。と。
・遠くまで行きたくてトゥクトゥクドライバーを1日チャーターした結果、実家に寄ったり息子のお迎えに付き合ったりする
・バイクに轢かれる
・明らかに封を開けた川の水を汲んできたであろう水を売られる
・道に迷っていたら、弟が結婚式でハッピーなんだ。お前も一緒にお祝いしてくれないか云々…と話しかけられる
・風雲たけし城の話をきっかけに、怪しいお茶屋さんに連れて行かれる
いま振り返ると完全にアウトな件がいくつもある。
前の週にランダムに決まった映画を私が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという、友人やゲストであっても忖度しない型映画評論コーナー。それでは、今夜評論する映画はこちら!
『未来のミライ』!
はい。山下達郎さんのこの主題歌、やっぱり沁みますねー。かの名作、アニメ版『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』などを手掛けた、言わずと知れたヒットメイカー細田守監督が原作、脚本、監督を務めたアニメーション映画。
これは後ほどの僕の評で触れますけどね、どうも細田監督は脚本を外注するタームに一旦戻した方がよいんじゃないかと僭越ながら思います。というのも、フィルモグラフィを踏まえると、細田さんが脚本に絡めば絡むほど逆にダメさが際立っているのが歴然となるという(笑)。
さて、『未来のミライ』、どんな話かと申しますと、甘えん坊の4歳の男の子くんちゃんは生まれたばかりの妹・ミライちゃんと仲良くできず、両親を困らせてばかり。そんなくんちゃんの前にある日、少女が現れる。声の出演は上白石萌歌さん。『君の名は。』のヒロイン、三葉を演じた上白石萌音さんの妹さんだそうで。これなんかは、僕、勉強不足で申し訳ない。存じ上げませんでした。それと、黒木華さん、麻生久美子さん。スーパースケベタイムこと星野源さんなんかもね、声を当てております。
ということで、この『未来のミライ』、見ましたよ~というリスナーの方から監視報告結果をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は・・・多め。まあ、そんなもんですかね。注目度は高いでしょうからね。ただ、賛否の比率が今回、賛のメールが3割、否定的なメールが4割、そして普通が3割といった感じで。あらそうですか。まあ賛否両論というか、まあ世間的にも今回は否がちょっと多めな感じですよね。
多かった否定的な意見としては、これなんか僕笑っちゃったんですけど、「未就学児にアナルプラグってどうなんですか(笑)」「クソガキにひたすらむかついた」「リアリティラインがずっと迷子。演出が全て茶番」とかですね。みなさん手厳しいですね。一方褒める意見としては「まさに子育て中の自分にとってはくんちゃんの言動が“子育てあるある”でつい笑ってしまった」、「あの東京駅の造形は素晴らしい」、「全く予定調和ではない、ほとんどカルト映画のような展開に細田守のすごみを感じた」--最後のこれ褒めてるのかな(笑)--といったところがございました。
ということで『未来のミライ』、私もTOHOシネマズ日劇とバルト9で計2回、見てまいりました。正直日劇の方はちょっと寂しい、イマイチの入りだったんですけどね、バルト9の方は、休日ということもあったのか、子供連れのお客さんが多い雰囲気でしたね。おちゃらけたシーンでは子供の笑い声があったりしてね。これ僕意外だったんですけどね。
それで、細田守さんの細かい説明、はもういいかな。もういいですよね?
ニッポンの夏と言えばもう細田作品、となりましたね。春はドラえもん・しんちゃん・コナンくん、そして夏は細田作品というね。改めて振り返るとですね、あの押しも押されぬ名作『時をかける少女』以来、なんとキッチリ3年ごとに細田監督の劇場用新作長編アニメが天下の日テレをバックにつけて全国のシネコンでがんがん流れされるという。この光景は果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!・・・といった風情でございますが、“ポスト宮崎駿”という形容が正しいかどうかはひとまず置いておいて、現在の日本アニメーションを代表する監督のお一人であることは間違いございません!一方ですね、これだけ大メジャーになっても、細田さんの作品は、毎回変なんですよ、はい。
日テレがバックにいます、山手線にも全面広告出してます、たくさんの有名どころの芸能人が声あててます、主題歌は山下達郎です、で、騙されちゃいけませんよみなさん(笑)!“変”なんです。これも後で触れますけど、残念ながら悪い意味で、ですけれども。
細田さんなりの意識としてはね、今回はこれを描こう、これがテーマだというものがあると思うんです。そして大出世作『時をかける少女』を除けば、特に細田さんのオリジナル作品には、ドーンと太い幹のテーマとして、「家族」たるもの、そのあり方、に明らかにオブセッションがありますよね。ジャンルも角度も全く違いますが、大枠のテーマ設定自体は是枝裕和監督と共通してる、ともいえます。両者とも相手の作品のことは苦手そうですが(笑)。
そして今回は最もそのテーマがわかりやすく出ているからこそ、これまで周辺の諸々で覆い隠せていたダメさが際立ってしまってるという。
これねえ、細田さんのホント悪い癖だと思うんですけどねえ。実生活を作品に反映させすぎてるんですよ。
もちろんですね、ここは誤解しないでいただきたいんですけど、私も含めてですが、まずリアルの生活があって、日々作品をクリエイトしているわけでございますからそのことを安直かつ一概に悪いというつもりは毛頭ございません!我々の業界でも、それはそれはまあ古今東西のあちこちで「リアル」か「非・リアル」か、ということが作品、ひいてはクリエイターとしての評価軸として語られてきた闘争の歴史があるわけでございます。まあここらへんの話はし出すと切りがないからやめときますが、また別の機会に特集でやれたらなと考えています。
ただね、これ、我々とも共通しているんですけど、決して間違えちゃいけないのは、「リアル」だから偉いんじゃないんですよ。そして「非・リアル」イコールダメじゃないんです。“リアルの生活があってのクリエイト”の裏っ返しとして、作品がウンコなら、いくら本人的にリアルなものであってもダメはダメなんです。まあ当然の話ですけどね。言い換えると、てめえ創作をなめてんじゃねえぞ(笑)!というね。どういうことかというとですね、僕が常日頃から大変尊敬しております、故・藤子・F・不二雄先生のですね、こちらも大傑作『エスパー魔美』にですね、こんなエピソードがあります。大変有名なエピソードなのでご存じの方やこの流れでピンと来た方も多いとは思いますが改めてここで引用させていただきます。
主人公魔美に対し、画家である魔美のパパの絵を酷評した評論家がこう言い放ちます。曰く「芸術は結果だけが問題なのだ。たとえ、飲んだくれて鼻唄まじりにかいた絵でも、傑作は傑作。どんなに心血をそそいでかいても駄作は駄作。」と。さらに、魔美公の「父の絵が駄作だと・・・!?」という問いに対しても、件の評論家曰く「残念だが・・・・・・」と。
「くたばれ評論家」というタイトルの話ですけれども、前後も含めて気になる方は是非全編読んでみてください。文庫版第1巻収録でございます。これ、我々クリエイターにとっては誠におっそろしい、喉元に切っ先をつきつける真実の言葉ですよ。作品内の一エピソードとはいえ、これを自作で評論家に言わせるF先生のすごみってのが改めて感じられますけども。
これを今回のリアル/非リアルの問題に引き直しますとね、こうなります。はいドーン!!
「結局、創作においては作品が全てなのだ。たとえ、童貞くんや処女ちゃんが作るAVでも傑作は傑作。ヤリチン、ビッチがその経験を総動員して作るAVでも駄作は駄作。」
はい、そういうことでね(笑)、まず『未来のミライ』、何が一番ダメか、というと、これ、あちこちのインタビューで細田監督自身がね・・・これホントダサいよなー・・・言い訳がましく語っているところでもありますが、4歳の男の子が主人公なんですね。で、彼の視点で基本話が進んでいくんですけども、監督曰く、同じ4歳でも、女の子じゃなくて男の子がいいという。そんで、監督が女の子と男の子の二児をもった経験をそのまま持ってきているという。
これねえ、頼んでもいないのにてめえで勝手に4歳男児を主人公にしといてね、4歳男児だからね!彼の目線だから!そういう体で!大目に見てよね!って言い訳にしてもクソダサいにもほどがありますよ!細田さん、昔はそんな人じゃなかったでしょ!?
なんでてめえんちの、オチもかわいげもないクソガキのホームビデオを延々と見せてんだ!っていう(笑)。一億万歩譲ってですね、ホームビデオだとしてもいくらでも演出のしようがあるだろ、と。こっちは先週ガチャが当たったおかげでクソガキのホームビデオ鑑賞に1800円の2回、合計3600円自腹で払ってんだぞ(笑)!っていう(笑)。まあ、最後のは僕だけの事情ですけど(笑)。
別にね、幼児を主役にすんな、ホームビデオを劇場で流すな、ってそんな単純な話じゃないんです。北野武監督の『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』『アキレスと亀』のいわゆる芸術3部作ね。僕なんかは敬愛を込めて“偉大なる失敗作群”と呼んでますけど、あれらだってフェリーニの『8 1/2』方式といえばよいんでしょうか、意地悪な言い方すると豪勢なホームビデオっちゃあホームビデオですよね。それでもK.U.F.Uややり方次第で、いくらでも幼児ならでは、ホームビデオならではの特性を生かすことはできるんですよ。
これ、他の幼児キャラと比べるとはっきりわかると思うんですけど、みなさんご存じ“嵐を呼ぶ園児”野原しんのすけ!これはまあちょっと特殊な例ですけど、もう少しリアルよりのちょっぴりわがまま幼児といえば『トトロ』のメイちゃんなんかもそうですね。あと、変化球としては、F先生のオバQだってその言動だけ捉えたら幼児的な異物といえます。
どういうことかと申しますと、もう名前も言いたくないな(笑)、今回のこのクソガキ様の挙動がビタイチ、ホンットビタイチおもしろくもない、かわいらしくもない、ムカツクだけ。“好きくない”?はやんねーしはやらせねーぞ。
要するにですね、このガキ、いや、おガキ様、ほぼ全編に渡って、人間のむき出しの感情や欲望を、アクセル踏みっぱなしで発散しまくる、という非常に独特かつ個性的なキャラクターであらせられ、たてまつられ候なわけなんですね。で、ここを「面白い!かわいい!」と思える大変奇特な方も世の中には一定数いらっしゃると思います、あるいは、残念ながら僕のように「このクソガキ!」っていう風にやっぱり、拒否反応を感じてしまう方もいらっしゃると。これはねえ・・・もうしょうがない!
いや、実はしょうがなくはないんですけど。僕なんかはね、僕は自分の子供もおらず、あと僕自身末っ子なんで弟感、妹感ってのがイマイチわからないですけど。でもね、その人の実生活上の“あるある”なんぞに頼らざるをえない時点で作品としてはその時点で“負け”なわけなんですよ。
どういうことが言いたいかというとですね、先ほどの例であげた『トトロ』のメイちゃんね。これ、宮崎監督さすがだなあと思うんですけど、ダダをこねるシーン、グズるシーン、いずれもひじょーにロジカルに「何故彼女がそういう行動に至ったか」というのが、お父さん、さつきちゃんとの関係性も含めてストンと腑に落ちる作りになっている。しかも説明的なセリフもほとんどなく。
さらに悪いのはですね、クソガキのダダこねに対してお父さん、お母さん--こちら星野源さん・麻生久美子さん自体は好演だったと思いますけど--が突如ですね。表現が過激で申し訳ありませんね。白痴になられる(笑)。要はキャラクターとしての一貫性がないんですよ。
どういうことか。産休明け出勤時のお母さんは目の前に居る4歳児の甘え要請をガン無視(笑)。いやいやいや・・・(笑)。第二子が生まれたときの第一子のフォローって別に特別な知識や経験がなくたって、“人として”ちゃんとやってやんないとヤバいのは直感でわかるでしょう?
そんで、自宅で仕事をしているとはいえ、4歳の幼児と新生児をかかえてワンオペ育児父ちゃんの、千と千尋の父ちゃん母ちゃんにも匹敵するレベルの無慈悲な既読スルー(笑)。『風立ちぬ』の堀越二郎だってもう少し周り見えてたぞ(笑)。マジでこいつらサイコパス夫婦なの?何か目に見えない妖怪的なものに取り憑かれているとかそういうこわい系の話なの、これ?というね(笑)。他の作品でこんなの見たことあります?っていう感じですよね。僕、見たことないです。
あとねえ、僕個人的に一番許せないのがね、劇中、クソガキがミライちゃんにとあるひどいことをします。この“ひどいこと”自体も、「ためにする」展開の脚本でしかないんで、ただただ単に不快なだけなんだけど、その現場を見ていないはずのサイコ母ちゃんが「何で仲良くできないの!仲良くするって言ったでしょ?!」と頭ごなしに怒るんですよね。僕、子供いなくたってわかりますよ、一番やっちゃいけないっしょこれ。これもねえ、怒る前に母ちゃんの些細なイライラエピソードを入れるとか、クソガキが所在ない感じを示唆するとか、怒ってしまった後の後悔の瞬間をちらっといれるとかだけでも相当違うと思うんですよ。もちろん説明セリフじゃなくてですよ?少なくとも映画における省略技法ってこういうことじゃあないと思うんだけどなあ(笑)。
(続く)
この分だと事前に予約してコンビニでチケット買わないとジブリ入れないの知ってるかどうか不安。
羽田からか東京駅からかも分からんので助言しようがないが、どっちかだとすると
・羽田→モノレールで湾岸見ながら日の出→船で東京湾見ながら両国→江戸東京博物館行ってタクってツカイツリー→おもしろ半分に大江戸線で御徒町行って上野散策→バスで神田行ってJRで三鷹
とか、
・東京→地下鉄で銀座→地下鉄で浅草→東武でスカイツリー→後は時間次第で羽田ルート参照
とかって案はある。
調べ過ぎるとそれだけで疲れて頭回らなくなるからこれだけは注意しとくが、三鷹からの終電は18時くらい。三鷹をナメない方がいい。
ジブリの森が陽を遮るから17時過ぎたら真っ暗だし、猪も鹿も猿も出る。
玉川上水沿いには木霊が増えてるから太宰の霊と一緒に入水自殺を促してくるし、東京方面から来るのとは違って管理区域だから出るのに手続きがいる。
新聞検索しても出てこないが、去年は乙事主の子供にヤラれて13人が祟り神になった。
うわーありがと 逆トトロだ
多分みなさん思ってることですけど、我慢できなかったので。
100歩譲ってそれを報道するなら「銃などで人を殺すゲームをやっていた。性的表現の強いアニメを見ていた。」だったらまだわかるんですけどね。
ゲームならマリオやカービィのような全年齢対象のゲーム。アニメならトトロや千と千尋・他では日常系のジャンルだった場合、犯罪と結びつくのでしょうか?
仮にテレビやネットでグロテスクの表現の強いものを見ていても報道されませんよね。AVもそうです。(自分がそういった報道に気づいてないだけか、実際に見ていた犯罪者がいないだけかもしれませんが)
何が言いたいかというと、犯罪を犯した理由が明確になっていないにもかかわらず、憶測で犯罪と結びつける。
影響を受けたと思わせる報道をするのはナンセンスだと思うのです。特に専門家の意見もないままに。
最初はQiitaに書こうかと思った。Qiitaと言うのは技術者専用のポエム投稿サイトだ。
しかし書いてるうちにトイレの落書き感が強くなってしまったので、よりふさわしいこちらに投稿させてもらう。
後の駄文は暇な奴だけ読んでくれれば良い。
俺はトトロが出てきそうな緑あふれる田舎で育ち、今は東京でSEをしている。
地元に住んでいるのは皆、カンタのばあちゃんを具現化したような御老人方である。
彼らはガラケー、ビデオデッキ、固定電話といった最新機器は当然使えない。ぱそこん?何かそういう難しい機械あるよね?
テレビは選局をNHKに固定し、電源ボタンと音量ボタンだけどうにか使う。
"SE"として働いている俺のことを、たぶん半田ごてか何かを使う技師だと思っているだろう
(TVは内部でOSが動いているが、もちろんそれは知らない)。
彼らにとっては、一つの機器は一つの仕事だけをし、そのための操作は決まり切った1,2回で終わるのが理想なのだ。
そして一台で何でもできる機器、設定により操作をカスタマイズできる機器などは想像の埒外なのだ。
そんな彼らに仮にスマホやタブレットを与えたところで、もちろん使いこなせるはずがない。
3操作以上は苦痛である。それでは電源を入れ認証を外した時点で終わってしまう。
そんな彼らがITに触れるには、もう消去法でスマートスピーカーしかない。
とはいえ、彼らがスマートスピーカーを使う際に立ちふさがるものがある。一つはウェイクワード、もう一つは方言だ。
彼らは「アレクサ」「シリ」はもちろん「グーグル」を知らない。「コンピュータ」でかろうじてだろうか。
スマートスピーカーを使うために必要となる、これら起動時の言葉は彼らにとって呪文であり、そこに慣れ親しんでもらえるかという問題がある。
Youtubeで「津軽弁」で検索すると最初に出てくる動画を見ていただきたい。
ジジババを相手にする以上、スマートスピーカーはこれを認識しなければならないのだ。
あらかじめ、単語に切り分けゆっくり話してもらうことである程度は対処はできるだろうが、
ウェイクワードのカスタマイズ、独自の辞書を使った認識などは、
現在でもスマートスピーカーをごりごりハック&カスタマイズすれば一応は可能だ。
そこまで手間暇をかけ、スマートスピーカーを使ってもらう舞台を整えたとしよう。
彼らはスマートスピーカーを使うだろうか。たぶん、使わないと思う。せいぜい、明日の天気を訪ねるくらいじゃないか。
それでは手間をかける意味がないのかといえば、これが大いにある。
彼らにとって、「なんでも知ってる相手からいつでも答えが得られる」というのは未知の経験である。
例えば、明日の天気というのは彼らにとって「TVで天気予報が放送されるか、明日の朝刊が来るまで待つ」ものなのだ。
それをいつでも教えてくれるものに会う、という意義は大きいと思う。wikipediaで字引きができればそれは新時代の扉だ。
スマートスピーカーをきっかけに、タブレットなどを使う免疫がつく可能性もないわけではない。意味は大いにある。