はてなキーワード: にしんとは
が正しいのでは?
2023-02-26
嫌いなものランキングTOP3に入るくらい、食器洗いが苦手だ。
独身時代はシンクに皿が溜まりまくってめちゃくちゃカビが生えてしまい、そこそこ良い食器だったのに全部袋に突っ込んで捨てたことが何度かあるくらいには食器が洗えない。
紙皿紙コップ割り箸を導入したものの、なまじ料理は好きだったので料理のための食器洗いだけは避けられずにしんどい思いをしてきた。
そして極力洗う回数を減らすため、独り身とは思えない数の鍋を持っていた。(数日放置された油汚れフライパンがシンクに溜まって何度も地獄を見ていた)
結婚後は全食器洗いを配偶者に任せることで衛生的なシンクを手に入れたが、自分一人が牛乳を飲んだだけのコップ1つやゼリーを食べただけの小さいスプーン1つをシンクに放置して、何も飲み食いしていない相手に洗わせる度、罪悪感で胸がギュッと潰されるような思いだった。
「食洗機の導入」これは一人暮らしを始めた11年前からの悲願だった。
早速使ってみた。
食洗機に食器を並べる行為は「食器洗い」というより「片付け」に近い感覚だった。
我が家は、私が料理・洗濯・水回りの掃除担当、配偶者が食器洗い・ゴミ出し・重労働担当と決まっているが「片付け・清掃担当」がいない。
夫婦揃って片付けがめちゃくちゃ苦手なので、物を出したら出しっぱなし。昨日届いたばかりの書類すらどこにやったか分からないような汚い家に住んでいる。
私は「食器洗い」も「片付け」もできない。
我々は早々に食洗機を使うことを諦め、今まで通り手洗いで済ませることとなった。
おしまい。
嫌いなものランキングTOP3に入るくらい、食器洗いが苦手だ。
独身時代はシンクに皿が溜まりまくってめちゃくちゃカビが生えてしまい、そこそこ良い食器だったのに全部袋に突っ込んで捨てたことが何度かあるくらいには食器が洗えない。
紙皿紙コップ割り箸を導入したものの、なまじ料理は好きだったので料理のための食器洗いだけは避けられずにしんどい思いをしてきた。
そして極力洗う回数を減らすため、独り身とは思えない数の鍋を持っていた。(数日放置された油汚れフライパンがシンクに溜まって何度も地獄を見ていた)
結婚後は全食器洗いを配偶者に任せることで衛生的なシンクを手に入れたが、自分一人が牛乳を飲んだだけのコップ1つやゼリーを食べただけの小さいスプーン1つをシンクに放置して、何も飲み食いしていない相手に洗わせる度、罪悪感で胸がギュッと潰されるような思いだった。
「食洗機の導入」これは一人暮らしを始めた11年前からの悲願だった。
早速使ってみた。
食洗機に食器を並べる行為は「食器洗い」というより「片付け」に近い感覚だった。
我が家は、私が料理・洗濯・水回りの掃除担当、配偶者が食器洗い・ゴミ出し・重労働担当と決まっているが「片付け・清掃担当」がいない。
夫婦揃って片付けがめちゃくちゃ苦手なので、物を出したら出しっぱなし。昨日届いたばかりの書類すらどこにやったか分からないような汚い家に住んでいる。
私は「食器洗い」も「片付け」もできない。
我々は早々に食洗機を使うことを諦め、今まで通り手洗いで済ませることとなった。
おしまい。
最近、「働きたくないから生活保護を受けてみた。毎日が豊かになった。」というタイトルのnoteを読んだ。「働きたくない」という理由で生活保護を受給し始めた人の体験談で、労働に追われることのない悠々自適な暮らしを手にいれ、現在は読書を通じて勉強したいことを自由に勉強する日々を送っているという。「現代の高等遊民」ともいうべき生活をしている様子が窺える内容だった。
しかし、ふと疑問に思った。
「どれだけ知識を身につけたところでそれを使って世の中に影響を与えないなら無意味で、いわば"百科事典の下位互換を目指すだけの人生"なのでは?」と。
確かに読書や勉強は世界の見方を変えるとは思う。例えば英語が分からない人生よりは英語が分かる人生の方が読書も映画鑑賞も幅が広がるし、翻訳や吹き替えでしか作品に触れることができない人よりも深い理解や感動が得られるだろう。だから働くつもりがなくても知識を身につけ続けること自体は悪いことではない。
しかし、それでもやっぱり"百科事典の下位互換"を目指しているようにしか思えないのだ。
学んだ知識で(良くか悪くか)世の中に影響を与え、賞賛や批判というフィードバックを受けることが現代人の「生きる実感」なんじゃないだろうか?
noteを読む限りまだ若い人のようなので、この人自身は読書の日々で得られたものが将来何かの仕事に繋がることもあるかもしれないし、仕事ではなくてもSNSで多数のフォロワーに影響を与えるのも「世の中に影響を与える」に当てはまるかもしれない。
ただ、このnoteを見て「ワーキングプアになるくらいなら生活保護」と言っている人が一定数いるのは事実で、その人たちの多くはSNSで多数のフォロワーを抱えるわけでもない、「なんでもないただの無職」になる確率が高いのではないだろうか?いくら労働から解放されて自由に学べたとして、それを発揮する機会のない人生に虚しさを1ミリも感じないほど達観できる人はそれほど多くないと思う。
最近はひろゆきブームもあってカジュアルに語られることが増えた生活保護だが、「働きたくないから生活保護」の人生にはそれなりの苦労があると思う。「耳をすませば」のセリフじゃないけど、「人と違う人生は、それなりにしんどい」というのが現実なんじゃないかな?
今日、35歳になった。
予定より5年も長生きしている。
27ぐらいになったらニートになって、そのあと創作活動に打ち込み、失敗したらそこで死ぬ予定だった。
27にニートになる所までは予定通りだったが、創作活動は3ヶ月ぐらいで行き詰まって気付いたらずっとゲームをしていた。
どうせならゲームやりまくって死ぬかと思っていたが、更に3ヶ月ぐらいでゲーム三昧にも飽きた。
年齢的にまだまだ準第二新卒ぐらいの立ち位置で就活が出来たので就活をし、結局ニート半年・就活生半年で社会人に戻っていた。
そこからダラダラ生きながらどこかで「でも予定だと死んでたし、また金溜まったらニートに戻って死ぬか」と思って暮らしていた。
そこから7年働いて、まあ2年ぐらいならまたニート出来るぐらいの金は溜まっている。
どうでもいい。
消費活動への熱意もない。
生きるのも死ぬのもどうでもいい。
あれほどあった「とにかく必死に生きていることに意味を見出したい。無理なら死のう」という気持ちは、生きることの苦しみに対価を求めての事だったんだろう。
正直今いる会社もそこまで良いものでもなく、昭和パワハラオヤジに育てられた4年目ぐらいの若造が昭和パワハラの真似事を後輩にしているのを見るたびに「このサル山に付き合っていくのは本当にしんどい」とげんなりしてしまう。
でも死ぬほど辛いわけでもない。
風俗・酒・ラーメン・パチンコぐらいしか楽しみがないと言う昭和オヤジたちの価値観も何となく分かってくる。
ああいった快楽装置(快楽主義に対してのツッコミに出てくる直接ドーパミンをドーパドーパさせる謎のマシーン)じみたものに脳と人生を委ねてしまうのは想像性がない代わりにある種の確実性と楽ちんさがあるんだろうね。
でもそういったものに頼り切ろうと割り切れるほどは人生が終わってないからSEKIROとかやったりして俺はまだ大丈夫だって言い聞かせているが実際には五十歩百歩な自覚はある。
こんな状態でも生きられるし別に社会人やっているのも最近は特に苦痛もない。
仕事で怒られが発生してもどうせお互いに社会人演じてるだけだと分かってきているから「(コイツの演技つまんねーな……和ドラかよ……)」と心の奥で突っ込んでればいいだけだと理解ってしまっているわけで。
あとはクソみたいな人生をダラダラ過ごして40~90のどっかで癌が見つかって死ぬだけだ。
どうせこんな人生を絞り出しても人を魅せるような物語やデザインが垂れてくる見込みはないんだし、本当にもうただただダラダラグダグダすりゃいいだけなんだなあ。
ふぇ~~~~~つまんね~~~~~~~気持ち的にはクッソらくちんだけど~~~~悟り開いちまったか~~~~~。
もう
人を好きにならないというか、「この人のためならなんでもできる」みたいなことを本当に感じないんだよね……。
推し活はしてるけど、それはなんていうか「私が気が向いたときだけ会いに行けば良いから」好きなので、四六時中一緒にいたらめんどくさすぎて無理だし推せるわけない。邪魔だし。
確かに年老いてから「もっと若いうちに死にたかった、40歳くらいで」みたいなことはずっと考えるとは思うよ。
でも、そこで「誰かと一緒にいたかった」って、感じるものなんだろうか?
正直他人といると一挙一動何かが迷惑じゃないかと思って気が張ってとても疲れるから、それが嫌で家を出たのもあるし、友達も今の時点でほとんどいないから寂しさもないというか…。
の状態で、年老いてから後悔するって本当にあるんだろうか?とかなり半信半疑。歳とると他人が鬱陶しくなくなるんだろうか?
人の目がある場所がとにかく嫌いなので、家に人さえいなければ結婚できそうなんだけどな。結婚して早い目にしんでくれればなんとかなると思うんだけど…。
氷河期世代。東京近郊の県に生まれ東京の文化圏の風が吹くところで育った。都心まで電車で1時間の距離だ。
学生時代は東京近郊の県育ちにありがちな東京コンプレックスを抱いていた。
電車まで一時間の距離の壁は大きかった。音楽が好きだったのでライブによく行った。しかしライブに行ったとしてもその余韻を抱いたままは帰れない。
遅い時間帯の酒臭い電車で、疲れたサラリーマンに囲まれて現実に引き戻されながら、一時間の距離を揺られて帰らなければならなかった。
周りも似たようなものだった。皆東京に憧れ、東京をを目指していた。
大学で無事都内の大学に進み、憧れの一人暮らしと東京在住のステータスを手に入れた。
ライブに行っても下手したら歩いて帰れる距離。夜道は明るく、お店は星のように数限りなく、おしゃれな人々は目をひき、どこに行ってもまばゆいばかり。
安下宿でぎりぎりいっぱいの生活をした。お金がなくても行けるイベントのチケットにつぎ込んだ。
私は今やもう東京人だ、と思った。憧れの、東京ならではの文化に塗れた生活。
でも学生だった自分は、ポストに投げ入れられるチラシのマンションの価格や近くに建設されているタワーマンションの豪華さを見て、どういう人たちがこんな高額なマンションを買えるのか不思議で仕方なかった。
どういう職業についたらそんなにお金を稼げるんだろう。きらびやかなマンションの中でどういう生活を送っているのだろう。自分は安い賃貸物件でぎりぎりいっぱいの生活をしているのに。全く想像がつかない。
しかし時はフリーターが人権を得ていた時代でもあったので、ぼーっと世間知らずでろくな就活もしないままフリーターになり、そのままバイトや派遣社員などでつなぎながら音楽とサブカルに浸った生活を続けていた。
結婚したらもれなく転勤がついてきた。夜遊びも体力的にしんどくなってきた頃で、ちゃんとした仕事にもついてなかったのでおとなしく転勤族になった。初めての地方都市。初めての方言。初めての車社会。初めての海と山のある生活。
初めてだらけの生活の中でやがて子どもも生まれ、専業主婦になった。
転勤も数回を経た後にこれ以上異動しなくてよくなったので、その時に住んでいた見も知らぬ土地のあたりに家を構えることにした。
家を探す条件は本州の地方都市であること、治安が悪くないこと、自然災害がひどくないこと、大都市まで電車で1時間以内で行けること、車に乗れなくなってもなんとかなるぐらい電車とバスが発展していること、気候が厳しくないこと、自然が豊かであること。
そこそこの値段の建売住宅を買うことにした。土地も家も安いので頭金を多めに出して、賃貸を借りていたぐらいの家賃を毎月払うぐらいの金額に設定しローンは15年で組んだ。
そんなわけで今のところに住み始めて5年が過ぎた。
生活はほとんど車で移動するようになった。自治会は思ってたより全然負担が少なかった。人々はフレンドリーで穏やか。海も山も近く。家が安かったので車を2台持って使い分けている。
食材は豊富すぎるしおいしいし安い。教育はそこそこ。近くに大きな産業があるので工場も多く、仕事もそういう関係が多い様子。
中小企業、個人事業主も多いのでいい車がいっぱい走ってる。大都市に電車で行けるのでライブとか行こうかなと思って一度行ったけど、もう音がうるさすぎて自分には無理だった。おしゃれで洗練されたショップやレストラン、美術館や博物館、何かのイベントも電車に乗れば手は届かなくないけど、自分の中でもうそんなに熱量を注げなくなっていた。
今住んでいる都市はそこまですごくいいものは少ない。だから誰も何もわざわざ主張しない。する必要もない。高いバッグも洋服もいらない。着ていくところがないから。話題になるスィーツとかレストランもない。
でも普通のご飯がめちゃくちゃ美味しい。休みの日はだいたい車で家族でちょっと遠出する。歴史が古い地域なのでいろいろ見るところがある。何気ない散歩が楽しい。海が見れる。山に登れる。どこに行ってもそんなに混んでない。キャンプ場もたくさんあるし、アウトドアアクティビティも充実している。何より東京に住んでいた頃に比べ、ストレスが桁違いに少ない。
学生に卒研発表のスライドを作らせるけど、まともなものはできてこない
これは当然そういうもんだし、別にいいんだけど、この実験条件を書き足してね、とか、この製品の正式名称をカタログ調べて訂正してね、とか、
そういう指摘すらまともに直してくれることはない
カタログぐぐれば一発で出るから、調べて書いて、ってのを半年以上言い続けてるけど、そういうのですら直してくれた学生が半分くらいしかいない
学生からすれば指摘するんじゃなくて先生が書き換えればいいやろくらいに思っているのだろう
そういう感じなんで、指摘して修正させてやりとりしながらいいものにしていく、みたいなのは今年は無理で、彼らが作ったひどいスライドをベースに、ほとんどいちから俺が作っている状態
でも彼ら自身、卒研発表のスライドがいいものになることを別に望んでいないし、いいものになったことすら気付かないかもしれない
当然、そんなかんじなので、立派なスライドができたとしても、それが彼らの学びにつながることはない
今年の卒研発表、自分がやったことを理解し、まとめ、わかりやすく発表して人に伝える、みたいな練習になることはなさそうだ
でも、一応発表会があるから、無駄だとは思いながらも、それなりの形になるように作っている
8人分も作っている
これ何の意味があるんだろう
さすがにしんどいわ
これ、今年の四年生がコロナ世代のど真ん中ってのもあるだろうけど、一番の原因はコロナよりも少子化
子供が減ってるからどんどん大学の入学偏差値は下がってて、それに応じて年々学生の質は下がっている
レベル下がってるから、このくらいはケアしてやらないとな、ってこちらの想定を毎年超えてくる
去年ですらあれだったのに、今年は去年以上のサポートをしてもそれじゃきかないの!?ってのをもう5年くらいやってる気がする
頭が悪い人は昔も今も変わらず存在していて、うちの大学が彼らを入学させるようになっただけだ
彼らの能力が低かろうと、どんな人であれ大学で学ぼうとすることは立派だし、その気持ちさえあるなら手助けはしてあげたいとは思っている
でも彼らの学習意欲を感じることはなかなかないし、どうすれば彼らに適切なサポートをしてあげれるのかもよくわからない
なんか、しんどいな
力が足りてなくてごめんよ
学生があほだわーで馬鹿にして終わりでいいなら何も考える必要もないんだけど、どんな阿呆でも、数十人に1人でも、本当に学びたい気持ちがあるのなら、その気持ちに答えてあげたいと思っている
かつては俺も田舎の専門学校で教鞭をとっていたこともあり、経済的に大学進学ができない中で、本当は大学に行きたいと言いながらも手に職をつけて就職していく子を何人も見てきた
学びって本当に尊いんだよ
ゆたぼんが大学行こうかなと言っただけで馬鹿にする人が湧いたり、何かあればすぐにFランは廃止しろとか言ったりするこの世の中では、シンプルに能力の低い人が生きづらくなってて、それは可哀そうだなと思っている
でも、今の職場を見ると、能力の低い子は、意欲も低い子多いなってちょっと思ってしまう
だからどうってことはない
彼らを導けない俺の能力も低いだけだ
15年来の友人が亡くなった。
初めて知り合ったのはTwitter上だった。同じらき☆すた好き同士で相互フォローになった我々は、時々タイムライン上で絡むようになった。
お互いにTwitter廃人だったし、当時のTwitterは今よりも活発(体感)で、息をするようにツイートしていたからほとんど毎日雑談してたようなものだった。
リアルで初めて会ったのもらき☆すたのオフイベントで、鷲宮町卒業式とかいう本来らき☆すたのオフイベントでもなんでもないんだけれど、配布される記念コインの絵柄はらき☆すたのキャラだったし当日はグッズも販売されるし、挙げ句ケロロ軍曹まで来るときたもんで(マジでなんで?)、当時の周囲のらき☆すた関係フォロワーはほとんどみんなこのイベントに参加していたんじゃないかと思う。
そんなこんなで当時18歳の自分と、当時29歳の彼は初めて対面した。若かった自分は彼のことをこの頃からすでにおじさんだと認識していたんだが、あなたこの時まだギリ20代だったんですね。すみません。
それからはまぁ相変わらずTwitter上で謎の絡みは続き、時々調子に乗った自分が彼を怒らせてフォロー外されたりもしたけれど、なんだかんだライブだのコミケだのイベントだのでリアルでも会うことは増え、歳が離れててもいい感じの友人関係が出来上がっていったのであった。
彼は最初から歯に衣着せぬというか、時々棘のある言い方もするタイプだったが、10代の自分に対しても対等に接してくれてとてもありがたかったのを覚えている。
そのスタンスはずっと変わらず、変に大人として上から目線で話したり説教臭くもならず、会うといつも本当にくだらない話やボヤきや愚痴を言い合ったり、たまに悩みを聞いてもらったり将来の夢の話をしたりアニメに関係ない他の趣味の話とかもしていた。
Twitterで絡むようになってから10年ほど経った頃、当時の仕事があまりにしんどくてTwitterで愚痴っていた自分に彼がなにげなく声をかけてきた。
「うちの会社中途採用やってるけど興味ある?(意訳)」だ。ちなみに実際は「はよ。」の3文字だったが。
元々彼の会社は知っていて、新卒のときに受けようかと考えたこともあった。めちゃめちゃホワイトな優良企業だ。
別に失うものもないしやってやらぁ!というわけで面談→面接×3→内定まで2,3ヶ月で決まった。
今で言うリファーラル採用というやつで、あっという間に彼との関係性はTwitter友達から同僚に変化した。
内定祝という名の飲み会で、もう40代手前なんですねwwwwなどと煽った気がする。気付けば彼と初めて会った時とほぼ同じ年齢に自分がなっていた。こうなればもう立派なおじさん同士だ。
入社後、彼はエンジニアだが自分はディレクターとしての採用だったので基本的に仕事は別々だ。
が、業務上絡むことは多々あったし、その点すでに関係性が構築できているから、職種は違っても業務上のやりとりは非常にスムーズだった。
相変わらず厳しいこともはっきり言ってくるタイプだったが、そこはもうすでに10年の付き合いでそのありがたみもよくわかっていたから、とても仕事しやすかったし学びもたくさんあった。
彼の顔に泥を塗るわけにもいかないので頑張って仕事に臨んだ結果、何度か社内表彰のノミネート(受賞はなし)もされたりしたので、ツテを頼らせてもらった恩には多少報いられたんじゃないかと思う。
それからは仕事終わりにはよく二人で飲みに行ったし、いくらホワイトといえど生じる会社の愚痴を互いに言い合ったりもしていた。
彼を含め、何人かの同僚とスキーに行ったりもした。
関係性がTwitter友達から会社の同僚になってからもTwitter上でのやりとりは続いていたので、シンプルに以前より深く関わるようになった形だ。
3年経った頃に自分が結婚式を挙げることになり、大変な中だったが彼も参列してくれた。
この3年は会う機会や飲む機会はめっきり減っていた。
休職期間中に一度食事をして近況を聞き、復職後にも一度一緒にランチに行った。
そこでここ最近の話や今後どうしたいかとかいつものようにあれこれ話し、こりゃ酒でも入れなきゃやってられねーな、となって忘年会か新年会をやろうという話になった。
それが昨年2022年12月だ。結局自分がコロナに罹ったりもして忘年会ではなく新年会にしようということになり、年が明けたのでそろそろ声をかけるかと思っていた。
そしたら先日彼が亡くなったことが社長の口から告げられた。享年44歳。
少し調べたら、誰にでも起こりうるし突然亡くなることもある病気だそうだ。
彼の死そのものについての感情はどんなに考えてもうまく言葉にできない。
ウェブ上でのやり取りが長かったとはいえ、15年間途切れずにいた関係性なんて他にはなかった。
悲しいし、正直まだ受け止めきれていないと思う。
あまり本気で死に向き合うと本当につらくなってしまうからあれこれ気晴らしをしてみたが、やっぱりふとした時に思い出して悲しい気持ちになる。
いつかと思っていた飲み会はもう今生では叶わぬことになってしまった。
改めて会いたい人には会える時に会うべきだし、伝えたい感謝は伝えられる時に伝えるべきだと思った。
今の会社に入らなければあらゆる面で生活に安定はなかっただろうし、本当に人生が変わるきっかけをくれた恩人だった。
何度も感謝は伝えたけれど、改めて伝えたいと思う。
あなたのおかげで今の僕があります。本当にありがとうございました。
またいつか酒を飲みながらあれこれボヤきましょう。
わかるよおおおおお。うちもマーガリンの塗る方向で喧嘩したし、いまだに「マーガリンを縦からすくおうとするなんて人間のやることじゃない」って言われる。マジで。どうでもいいのに。
うちも一緒に暮らし始めて半年だけど、もう疲れた。心底一人暮らしに戻りたい。涙が出てくる。もういやだ。本当に一人暮らししたい。
お風呂のお湯を洗濯に使う手順とか、スイカの食べる方向とか、スタッキングできない家具はおしゃれでも買いたくないとか、引っ越ししたときの片付ける順番とか、もう、高圧的にあれこれ言われることが、本当に本当にしんどい。
なんでそんなやつと結婚したんだって言われそうだけど、好きは好きなんだよね。話してると楽しいし、性格は気が合うし。でも一緒に暮らしたいかっていうと別だった。たぶん相手からしてもそうだろうけど。
偶に聞く本当か嘘かもわからない海外話に「海外で差別や侮辱と取れる発言をすると撃ち殺される/殴られるし文句は言えない(からそれらの発言があっても流されることが多い日本は平和(ボケ)している)」ってのがあるけど、同じ国に暮らしており文化や倫理観が近いはずの日本ですらビンタした女が男に殴り返されて倒れる動画で賛否両論出てるんだから人によってこのあたりのラインは相当に違うんだよな
フィクションの復讐モノや勧善懲悪モノですら過剰報復じゃない?みたいな議論がされているのはよく見る(リトルマーメイドのアースラはただ取引を行っただけで殺されるほどのことをしていないのでは?という議論を見たことがある)し、ちょっとまでに話題になったウィルスミスが妻を侮辱されて殴った件なんかも印象的だ。
個人的にはどういう人が報復についてどういう感覚を持ちやすいのかとか、どこのラインが大衆における「やりすぎ」のラインになるのかは気になるし今ははてなでもTwitterでもビンタ動画について議論が交わされてるのをよく見るが、こういう感覚の話って人に説得されて変わるもんじゃないのでマジで無意味だとも思うんだよな
自分が命が危ないゆえの抵抗を除いて何をされたとて暴力はよくないですよ!って言ってる人が「そうですね!ビンタされたんだから殴り飛ばしていいですよね!」とやられたんだからやり返していい派の人が「やっぱり暴力に訴えるのはよくないですよね、相手の人は倒れてますし…」ってなるわけがない。
こういう感覚って今まで生きてきた中で培われてきたものでインターネット越しの顔も名前も知らん他人の一言で変わるものじゃないわけで。法律で裁くなら両者何らかの罪に問われることにはなりそうだが、ニュースになってない以上はどちらも訴えたりはしなかったのだろうし。案外インターネットに自分たちの争いが残されて話題の種になっていることにしんどくなって、双方あんなことしなきゃよかったなとなってたりするんだろうか
親に、◯◯(私)は大して就活してなかったじゃん、って言われてすごいショックだった
21卒で公務員就活をした 試験自体2ヶ月くらい延期になり、就活のスケジュールは全部崩れ、家に缶詰になって勉強して、説明会は全部オンラインになった
家から出られず閉じこもってただけで、実際そこまで勉強してなかったのも事実 オンライン説明会で暑い中出歩く手間が省けたのも事実 そもそも民間の就活にやる気がなくて公務員に流れて、しかもソロプレイで仲間もいなくて情弱就活だったのも事実
大して就活頑張らなかったのも事実だし、その結果公務員にはならずに民間企業のOLになったのも事実
そうなんだけど就活がつらかったのも事実で、夏過ぎまで試験やら面接やら進路が決まらずにしんどかったのも事実で、就活なんかしてなかったじゃんみたいに言われてものすごいショックだった
毎日暑い中スーツ着て出かけていれば就活頑張ってるように見えたのか?もっといい民間企業に入っていればよかったのか?親にくらい認めて欲しかった