はてなキーワード: お国とは
原子爆弾が怪獣化したよ!どうする? → 脱出装置つけた戦闘機で特攻してぶっ殺します
これで本当に良いのか?
原子爆弾投下が映画になったよ!どうする? → バービーの映画とくっつけて茶化しちゃいます
よりは間違いなくマシなんだけどさ。
でも本当にこれでいいのかよっていう。
あと「日本は命を大事にしなすぎた。命を大事にしましょう」を美談みたいに言ってるけど、それが正しいなもう自衛隊なんて成立しないじゃん。
服務の宣誓で「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える決意であります」って言っちゃってるんだよ?
これつまりは作中に出てきたボロ船掃海みたいな仕事やれって言われても「お国のために死んできます!」と言えってことだからね。
あくまで民間人が作戦の中での目標として言ってるだけだからっていうエクスキューズは確かにしてるけど、実際にアメリカやロシアが本物の原子爆弾持って襲ってきた時に民間人が特別原爆ぶっ殺し隊を結成するのかっていうと無理じゃん?
別にそこに対しての完璧な答を出す映画じゃないんだけど、初代ゴジラの「そもそも兵器なんて全部クソだよ。だから俺は責任を取って一緒に沈むんだ」は命を効率よく奪う装置との向き合い方としてある種のけじめがちゃんとついてた気がするんだよね。
そっからゴジラシリーズはどんどん意味不明な面白兵器を量産しては「これ普通に軍事転用されそうだが???」という疑問にまみれてきてたんだから-今更みんなが投げ出した宿題を-1.0にだけ解けっていうのも理不尽なのかも。
でもその大問に真っ向からぶつからないといけないような物語を自分でやっちゃったわけじゃん。
じゃあちゃんとした答を見せるべきだと思うわけ。
水爆実験由来のゴジラが原子爆弾、ひいては近代兵器のメタファーなのは自明の理なわけで、それはVSシリーズならともかく初代モチーフであれば逃げようがないわけよ。
シン・ゴジラはその辺を「いいえこれは災害のメタファーなのです」で逃げ切るっていう凄いことやってみせたけど、今回の-1.0はそれをやってないよね?
戦争が残したものに対して兵器をぶつけあって相殺させるようにぶっ壊しあおうっていうストーリーラインなのは明白だしさ。
でも「強力な力と戦うには軍事力が必要不可欠だ。そしてそれを行使するためには命を投げ出す覚悟が必要だ」と「誰も死なないことを目指しましょう」を同時にやるのはアクセルとブレーキの同時踏みでしかないよ。
それで本当にいいのか?
ブレーキがない車に乗れと言ってるわけじゃなくて、全力でブレーキ踏みっぱなしにしたままでアクセル踏もうとするのはおかしくねっていう。
それとも「そういう欺瞞のもとに今の日本はある。口では命を大事にしろといい、実際には命を捨てろと命じる。そういう卑怯さを今も日本はずっと続けてる。本当に酷い国だ。サイテー。マジ日本ダッサー」がこの映画のメッセージなの?
ノルウェーのアーティストでModdiって人がいて、彼の「House by the sea」 って曲が好きでMVつきで久々に聞きたくなってyoutube開いたらそのサジェストで出てきて、ファイナリストがファイナルでそれ歌ってた
本人歌唱https://www.youtube.com/watch?v=lX5FpPP4TSA
ザ・ボイスのファイナリストhttps://www.youtube.com/watch?v=h3qbkLh7Kv8
メロウでゆったりして静かな歌っていうか、アコースティック系というかざっくりいうと「北欧っぽい」歌歌っててこれがこの人のスタイルなんだろうとはいえ勇気あるなと思った
歌い上げる感じとかテクニックとかパワーって感じの曲じゃなくてなんか妙に力が抜けてるっていうか、kings of convennienceとかSusanna and the Magical Orchestraとかあの辺の感じを想像するとわかりやすいかな
喉じゃなくて吐息を使う系みたいなささやくような感じの歌い手というか、こういうのにもお国柄が出るというか、好まれる曲のトレンド的なものが違うんだろうかね
https://www.youtube.com/watch?v=ei7rJ1_biTY
よく見るとアバとかコールドプレイとかも歌ってるんだけどその仕上がりがなんかすごい静かで染み入るようで、この感じの選択はアメリカとかスペイン版とかではあまり見ない感じする
オリジナルも作って歌ってる人みたいだからそれを貫くのはわかるしそりゃ国内の歌手の曲はもちろん歌うだろうけど、House by the sea みたいな結構淡々とした曲を大舞台のファイナルで選ぶんだなーみたいな新鮮さがあった
この人は勝たなかったみたいだけどすごいすてきな歌手なので追いかけたくなった
この人はオランダだけどこの人もすごいすてきだhttps://www.youtube.com/watch?v=o9jNlosHsvA
なお国は発展しない模様
お国柄を反映してるのでは?
東京にいわゆるサブカルチャー的な(本屋が多いだのライブが、コンサートが多いだの美術館やギャラリーがうんぬん)リソースの集積があるのは、まぁそう。
でも、東京には歴史があんまりないし、色んなお国から集まってきている人の集まりの街なので「東京のくらし」という共通認識もあんまりない。
増田は東京生まれ・育ちなのだが、東京には割と潤沢にあると言われがちなサブカルチャーやサブカルチャー的な”文化”よりも、人の生活に根差した文化がある地域が素敵だと思うのだ。この間はTVを見ていて、青森には「普段は別の仕事をしている市井のねぷた絵師」がいる、というのを知って、何だよそれめちゃステキじゃないか。と思った。
東京は、色んなお国から人が集まってきていて、そういう暮らしに根差した市井の文化は割と薄まってしまいやすい。まぁ薄まっているところも「東京らしさ」でもあるのだけれど、市井のねぷた絵師のような存在は文化だなーうらやましいな、カッコいいな、と思う。
ところで、サブカルチャー的な文化ではない、市井の文化も、薄まってしまっているとはいえ東京にも残っていたりする。
下町生まれ育ちの増田が感じる、東京の下町の、もうすぐなくなってしまうもしれないな…と思ったりもする、東京の市井の文化を紹介させてください。
そりゃ歴史のある他の街ほど立派なものではないが、東京はいわゆるお祭りが結構かなり多い。
下町は特に、もう数百年のあいだ狭い長屋に人がひしめき合って暮らしてきたところでもあって、人の数だけ「祈り」も必要とされてきたんだろうと思う、街ごとに小さいお社がある。小さいお社は普段は町内会で掃除とかの面倒を見ているが、このお社がお祭りに参加する。大きな祭りの氏子だったり(例えば神田祭だと100個ぐらい神輿が出るらしい)、自分たちだけの祭りがあったり色々である。
下町では、各町内ごとに「自分の町内は〇〇祭の神輿」がある。氏子という言い方なんだろうと思うんだが、かなり割とキッチリと、祭りの割り当て?範囲?みたいなものが決まっていて、町内ごとに神輿を持っている。まぁ他の街でも祭りってそういう感じだと思うので珍しくもないと思うけども。
下町の祭りは基本的には神輿がメイン、山王祭(日枝神社の祭り)は山車がメインのようだが、まぁあの辺は山の手だな。下町は神輿。わっしょい、わっしょい。
隅田川より西側の下町の祭りは、春~初夏ににやるところが多い気がする。そして隅田川より東側の祭りは夏にやるところが多い。夏にやる祭りは「水かけ祭り」といって、町内を練り歩く神輿に、宮入する神輿に近所の人たちが水をわっしゃーわっしゃーとぶっかける。手にバケツを持つおじいさん、ホースを持ち出すお母さん、金だらいにビールを浮かせながらひしゃくで水をかけるお父さんなど。担ぎ手もびしょびしょ、道路もびしょびしょになる。
神輿が出る日は一日中、町内が法被と脚絆、なんならふんどしの人がウロウロする。非日常ですごく楽しい。普段ダラシナイ自分の親父殿が祭りの衣装になると5割増しに格好よく見える。近所の、普段は古いビルの1階のすすけた喫茶店のマスターをやってるおじさんが、祭り半纏をめっちゃ粋に格好よく着こなしたり、新しいマンションの住人の若いお父さんの装束をきゅきゅっと直してあげてたりね。女も神輿担いでも全然オッケー。ただめちゃ肩が痛くなるので私はまぁ、雰囲気だけ味わって担ぎ手はあんまりやらない。子供神輿を持ってる町内もあるし、うちの町内は子どもは山車が出る。
下町の祭りは毎年はやらない、2年に1度とか3年に1度とか。本当のところは知らんけど「江戸っ子は祭りにお金を使いすぎるから毎年だと無理」だかららしい。馬鹿だな江戸っ子ときたら。
増田が子供の頃は近所に「木遣りをうなる爺さん」というのが居た。「木遣り」と書くので、木にまつわる仕事をする人たち、材木関連、とび職さん、火消し(火消し≒鳶)の労働歌がルーツなんだろうと思う。よく知らないのだが笑。Youtubeなどを見るとうなってる爺さんの動画があると思う。
結婚式の時とか葬式の時に「木遣りを歌うじいちゃん」が何人かで来てくれて、家の前にずらっと並んで木遣り歌を歌ってくれるのだ。平成の半ばに亡くなった祖父の出棺の時にずらっと「木遣り爺さん」が並んで歌ってくれたのが良い思い出。ちなみにおじいちゃんはとび職ではなかったので木遣りは歌えなかった。
まぁでも、もうこういうのは無くなっていくんだろうなーと思う。数年前に祖母が亡くなった時は少し離れた町の老人ホームだったので葬式もその町でやったから、それ以来木遣りうちには来てない。マンションも多いしなぁ。
今は、正月とか区の祭りとかに出くわすと「ずらっと並ぶ木遣り爺さん」が見られる。保存会が伝承しなくては、とかそういう感じみたい。
ちなみに祖父母の家には、私が子供の頃(昭和後半)まで、年末になると上記の「木遣りのじいさん」が門松を立てに来てくれていた。その木遣りのじいさんのことを祖父母は「親分さん」と呼んでいた。今思うとあれは銭形平次的な何かの名残なんだろうな。昭和の頃まで、うっすら「江戸」が残っていたんだろうなと思う。バブルで全部洗い流されたけどね…。
東京には寄席がある。上野の鈴本、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場。あといくつかの落語や演芸の団体がある。落語家が多い街、東京。
下町には落語家さんが結構たくさん住んでいたりする。私が初めて一人暮らしをしたマンションにも偶然かなり有名な落語家が住んでいて、すれ違うと気さくに挨拶してくれるおじいさんだった。
落語は、上記の定席小屋で毎日やっているし、〇〇市民会館、○○ホールみたいなところで独演会なんかたくさんやっているが、もっと小さい、近所の落語好きの蕎麦屋のお父さんが自分の店で若手を集めて落語会をする、みたいなことが、結構あちこちで見かける。
覚えている人もいるかもしれないが10数年前のNHKの朝ドラ「ちりとてちん」で(まぁあれは上方落語の話なんだけどさ)、アル中から立ち直った師匠を中心に一門の小さい落語会を近所の居酒屋で開くようになるのだが、その「寝床寄席」みたいなのが、蕎麦屋やら居酒屋やら和菓子屋やら、結構あちこちで見かける。神保町のらくごカフェとか日暮里のひぐらし亭とか、ミニ寄席が最近ブームだったりするが、それよりももっと「地元の落語好きの人が場所を貸す」みたいなのがあるんですよ。
これは良い文化ではないのだが、下町には、下町名物の、何て言うか「飛び地の庭」というか…歩道の植え込みを不法占拠して勝手に花壇を作っちゃう爺さん婆さんが生息している。下町の家は狭い。元々長屋だったところなのでとにかく家が狭いし庭なんてない。玄関を開けると2、3歩で歩道なのが下町建築。
なので、下町の園芸好きは、軒下などに細ーくプランターを並べて園芸を楽しむのだが、それが段々エスカレートし過激になってくると、歩道を飛び越えて飛び地的に、街路樹が植わっている土や植え込みにも鉢植えやらを置きだす。通行の邪魔になりかねないのでなぁ…とは思うが、庭の無い下町生まれなのに園芸を楽しみたいぐらいなので結構、きちんと管理されていてきれいな花が咲いたりする。逆ビッグモーターである。
そういえば下町は庭がないからかもしれないが、結構園芸趣味がある。朝顔祭りなんてのは典型だし、少し大きい神社の境内で植木屋台が出ていたり。庭がない家が多いからね…せめて緑を。でも良くないんですよ。
これは、すべてがそういうわけではないと思うのだが、下町に暮らすために必要なものとして「踏み込みすぎない、ちょうどいい親しさを表す距離」を作るスキルがあると思う。
増田は4代前までさかのぼれる東京者だが、その前の先祖は京都出身、新潟出身。しょせんはよそ者同士。色んな理由で集まってきたよそ者が大きくしてきた街が東京である。
例えば真逆の存在として地方の農業地域なら、農業という生計を近所で共に協力して行っていくという、関係を良くするための必然的な理由があるが、東京にはその理由が希薄である。だからこそ、隣近所とはそれなりに良い関係を継続しておく必要があり、かつお互い踏み込みすぎない適切な距離を保つ必要もある。この辺は、下町育ち同士だとすごく「そう!」となるのだが、下町育ちじゃない人(山の手育ちの人や郊外や地方の人)には、イマイチぴんと来てもらえないことが多い。都会に暮らすって、住み着いて何十年も経っても、少し緊張感のある交友関係が必要になるんだろうなと思ったりしている。
手前味噌で恐縮だが、増田は、ご近所さんや、よく行く店の店員さんとかと、適切な距離を取るのが上手いと思う。近所の人におすそ分けをもらったり、差し上げたり、常連の店でひっそりこっそりオマケをしてもらったり。そういうのを目立たないように、踏み込みすぎないように、負担にならないように。数か月に1回程度なんだけどね。何かがあったら協力できる程度、でもプライバシーを保った距離というか。
これは下町に限らないのだが、東京の文化的な特徴だと思う。墓が広い。というか「古い広い墓」がある。
前の項にも繋がる話だが、やはり東京に暮らす人は少し根無し草なのだ。先祖代々の寺や墓がない。ある人ももちろん結構いるんだけど。
特に明治期以降は、仕事の都合で東京に出てきている人が山ほどいるわけで、そういう人に向けた公園墓地がたくさんある。古くは谷中墓地、現代でも八王子とかちょっと郊外に「誰でも入れるでかい墓」がある。
やたらと広い墓には有名人の墓があったりするから墓趣味の人用の案内があったりするね。
このぐらい。
実際、俺は生活保護受けてるけど、2つの病院(精神科と呼吸器科)の先生に一筆書いてもらうだけでほぼストレートに受給できた。
そして、働かなくてもYotube以外の娯楽を諦めて、酒もタバコもせず、食べ物も腹を満たすことだけを考えた最低限にして、夏は半裸で扇風機に当たってクーラー無しで耐えて、冬は何もせずに布団にくるまってひたすら耐えてれば生きていける程度には金貰えるんだから腐ってるよこの制度。
当事者としてもっと生活保護費は減らしていくべきだと思う。少なくともかなりの無理をしてでも何らかの労働をしないと、衣食住に支障が出る程度には絞り上げるべきだと思ってる。結果として精神が悪化して自殺したり、病気が悪化して病死した方がお国のためなんだからさ。
なんとなく生きていける生活水準では自殺も考えないから駄目なんだよ。生活保護受給者は常に自殺を考えるくらい追い詰められているべき。
https://twitter.com/24newseveryday/status/1681173954784837639
いやどう考えてもこのNews Everydayとかいうバズ狙いの悪質サイトが一番悪いし、このタイトルのせいで5兆円も税金を投入されると勘違いされてたのはかわいそうすぎる。(まだ勘違いしている人もいそう)
ただうまいことやればここまでの誤解の広がりと混乱は防げたよね?誤解された内容が何万RTとかされなかったよね?ということで、増田なりに今回の騒動を考える。
Twitterを眺めていると「Jリーグ側がそんな案件断れよ」という意見をちらほら見たが、これに関しては断ることはできなかったと思う。
一つ目の理由は、Jリーグが公益社団法人であること。公益社団法人だからってなんでも従わなきゃいけないわけはないし、別に子ども家庭庁が審査してるわけでもないんだけど、実際毎年国に「今年も税金免除させてください」って報告書出してる身で、国から「公益」のための協力依頼が来たら、まあ断れないよね。
二つ目の理由(こっちがメイン)は、利害が一致しまくってしまうこと。今回の「こどもまんなかサポーター」みたいなのって」要するに「こちらが提示する要件に従えば『お国からの認定』が受けられますよ」ということであり、企業等が賛同するときっていうのは地位を上げたいとき、宣伝材料を増やしたいときなわけです。(「理念に共感して」が100%の理由であることは、まずない)で、現状Jリーグはあまり余裕がない、というのも2019年まではなんやかんや増えていた動員数が、コロナが明けた今年思うように回復していない。リーグ30年記念みたいな大事な試合でただ券を配る(大きい会場とはいえ、記念試合は本来「稼ぎ場」であるべきはずなのに)。こども家庭庁的には「Jリーグみたいな大きいとこにやってもらって、本来のターゲット層にアピールしよう」という考えだったのだろうけど、実際はJリーグがこういう企画のターゲット層ど真ん中だったというわけ。
30年目のJリーグがもうちょっと人気あればそもそもこの企画自体なかったのだろうけど、じゃあ人気のためのどうすればよかったのかはJリーグ史に詳しいわけではないしここで考えてもしょうがないから省略。とりあえず今のJリーグにこの企画が来た時点で断ることはなかったということだけ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b8e455ea6cba1fdf6ab1e1efe9be40eec674962
>> 小倉将信こども政策担当相は12日、東京・丸の内のサッカーJリーグのオフィスを視察し、子育て支援に向けてJリーグとの連携を強化する方針を確認した。 <<
いや「連携」は「相互に関わりあう」イメージが強すぎて、国が金出してなんかやってもらうんだろうなって思っちゃうよ!増田も小倉Twitter見るまでそう解釈してたよ!
この制度はあくまで「国が示した思想・活動に団体が共感したら、サポーターとして名乗りを上げてもらって各自で活動を行うもの」なんだから(審査とかもない)、ホームページに載せている記述を見せる、以外の国からのアプローチって本来はないはず。それをわざわざ視察してツーショットとってってしてたら、なんか特別なことすんだろうなって思っちゃうよね。
視察をするにしても、「Jリーグさんは今こういう活動をしてらっしゃって、今日はこれからこういう活動をしたいんだという話が聞けて、この団体はこどもまんなかサポーターを名乗るのにふさわしい団体ですね、頑張ってほしいです」みたいな、そういうコメントをすればよかった。しかし実際にしたコメントは、
>> Jリーグに協力してもらうことで、(支援の)輪がほかのプロスポーツやさまざまな団体、企業に広がっていくことを期待したい <<
いや「協力」て。一応Jリーグ側は自分のホームページに「趣旨に共感・賛同し」たからサポーター宣言しますって書いてるんだから、そういうことにしておけば余計な勘ぐりをされずにすんだのに、「協力してもらう」は完全にこども家庭庁からなにか働きかけてることがまるわかりなのよ。じゃあ金も出すのかなって思っちゃうよ。
Jリーグ側が反論できないのはわかる。「いや補助金もらえてないっすよ」とかいえない。小倉Twitter反論はまあ遅いが、大臣だし忙しいのであればしょうがないところはある。
ただ、まるで「5兆円の税金がリーグに流れてる」ともとらえられるTweetがバズりはじめた当初、びっくりするくらい反論が少なかった(もちろんなかったわけではないが)のが気になる。リーグにもファン層は確実に存在しており、普通であれば「リーグを悪く言われたくない」タイプのファンがこういうシチュエーションで当該Tweetにかみつきまくる光景がありそうなのが、思うほど見られなかったのだ。ただただ賛同するリプや引用ばかりがつき、疑問を持たれることもなく拡散されていった。
原因のひとつは主に拡散されていた界隈にそういったリーグファンがいなかったことであろうが、主な理由としては「ファン側」も『これは税金投入されている可能性がある』と思って強く反論できなかったのではないかと思う。この件に限らずJリーグを税金に絡めて批判する流れはずっとあり、良し悪しはともかくJリーグ関連で税金が使われているのは確かだった。今回も「5兆円は大嘘にしても税金自体は入るだろう」と予測して反論に出られなかった人は多くいたと思われる。そしてそれは、ひいき目に見たとしても税金を使わないことが確実にはよみとれない広報方法の問題だったと思われる。まあでもファンが多ければそこら辺を無視して反論しまくる層も増えてただろうし、やっぱり30年目のJリーグが人気ないのが原因では?
いろいろ書いたけど、リーグ側は不幸が重なったと思うしかなく、こども家庭庁、というか小倉はコメントおよび広報について再考したほうがよい。
そして今のところリーグに補助金がでる予定はないらしいので、もし勘違いしたままだった人がいたらそれだけでも覚えて帰ってあげてください。
まだ生き残ってんだよな、マジでさ。
アラフィフがそういう価値観に染まったまま抜け出せないのは幼少期の洗脳もあるからしゃーないと思う。
0~20まで常識としてゴミをコレクションしてしまったらゴミ濃度100%の純粋ゴミ常識が誕生するのはしゃーない。
「俺、結婚したいんだよね―。やっぱ『普通』であることって大事じゃん?」みいなの
それを計算でやってるなら、まあ税制とか社会システムにおいて有利なのはマジョリティになるよね票田的な理由から、ってことで納得できる。
でも『普通』に対しての信仰心の証明として結婚という儀式を行う人間が20代の中にもまだいるんだよ。
これは驚くべきことだよ。
『普通』を証明することによって目に見えない何かが得られると本気で信じているんだ。
高齢者が支配する日本社会における『免許証』みたいなものとして結婚を捉えているんだろうか。
国が出産や結婚を奨励するのは分かるが、それに対して乗っかるかどうかは単に自由意志に過ぎないのにそこに過剰な意味を見出してるっぽいんだよな。
そしてその理由が『普通は結婚するから』に収束してるっぽいのが恐ろしい。
おいおい一億火の玉が『普通はお国のために死ぬから』で玉砕した頃と変わってね―じゃね―かよって話だ。