はてなキーワード: あやふやとは
はあちゅう氏が童貞いじりを特に反省していなさそうな件に関して。
彼女に限らず、人間どうしても考え方をすぐに変えることが難しい事柄が一つ二つくらいはあると思う。
あと、どんだけ説得を試みても、変わらない人は一生変わらない。
強制的に反省させる必要はないのでは。謝罪文を出しても形だけになるのは必然だし。
炎上したことで童貞いじりが少しでも減って、弄ってきた輩を多少なりとも反省させるきっかけになればいいと思う。
童貞いじりの件はそんな感じの収束しか思いつかない。問題は、はあちゅう氏がはじめにバズった要因のセクハラ告発の件である。
童貞いじりもセクハラのうちに入り、はあちゅう氏が告発した問題と同等の重要性があるなら、これも多数の業界でmetooされればいい。
セクハラはどんな形であれ、批判されるべきなのは当然として、一番はじめにはあちゅう氏が注目された理由があやふやにされて埋もれないことを願う。
最近、カタカナ語を使っている人を「意識が高い(笑)」と皮肉る人がいる。
例えば、
「エビデンスを固めてからアジェンダを作って、アジャイルな開発を進行するべき」
(=根拠を固めてから、進行予定表を作って、迅速な開発を進行するべき)
とか
要は、英語をカタカナにした言葉を好んで多用しているのである。
・単に格好をつけるため
こんなもんだろうか?
上の3つ
日本語では伝わらないニュアンス(表現の機微)を伝えたい。もしくは、めんどくさい議論を避ける目的がはっきりしている。
問題は下の2つ
・単に格好をつけるため
この場合、 日本語でわかっていないのに、あやふやな概念のまま平気で会話に使っていることになる。
馬鹿にされるのもうなずける。
意図があって使っているのか、
病気のためにある薬を飲み始めてから、すっかり記憶が飛ぶようになった
本当につらい
だが該当する話を思い出そうとしても全く記憶がない
全てのtodoを毎日意識してリマインダーさせて通知は1日前1時間前にかけるようにしても記憶があやふやだ
あの書類はすでに送ったのか?そういう細かいことも思い出せない
辛い
本当に勘弁してほしい
なんというか、合わせるの疲れた
好きだから心配してもめんどくさそうにするし、今忙しい時期なのと彼氏が姉と同居してる関係で連絡も飛び飛び。予定も仕事と姉の都合で急にダメになったりする。
姉との同居やめて私と同棲するって話も半年以上伸ばされてるし、楽しみにしてた遠出の前の日に飲み会でオールしたりして本人は「大丈夫」って言うけど明らかに大丈夫じゃないから行き先変えたり…
クリスマスに好きなレストラン予約するって話も仕事が忙しくて出来ないって
11月にディズニーランド、12月にディズニーシー行ったり、コラボカフェ行きたかったりする約束全部ナシになっちゃった
忙しくて大変で疲れてるのはわかってるし、わがまま言えば無理して行ってくれる優しい人だってわかってるけど、行っても体調悪いアピールしたり疲れたアピールするだけで自分から言ってくれないからこっちが察して気をつかったりしなきゃいけない
なんか疲れた
わがままなんだろうけどさ、楽しみにしてた予定潰されるのはつらいよ
クリスマス一緒に過ごしてくれないのつらいよ
予定があやふやで遊べるのか遊べないのかわかんないのもこっちから確認しないと言ってくれないからめんどい
あとダメになった予定の埋め合わせしてほしい
いい彼女ならこういう時にきちんと支えてあげられるんだろうな
大好きだから一応頑張ってみたけど無理っぽい
好きだから許せるところもあるけど、好きだからわがまま言いたいこともある
ゴメンね
オフラインゲームの中で、2ちゃん(5ちゃんと呼ぶにはまだ違和感がある)やらツイッターやらのSNSを模したものがあるじゃないですか。実際に現実の人間が書いてるんじゃなくて、製作サイドが作ったある決まった時間にある決まった文章が見れるタイプのやつ。
ああいうのを見たあとに本物のSNSを見ると、これは本当にある個人が書いた生の文章なのだろうかと疑ってしまう。
同じ画面を通して見るものだからか、脳が似た処理の仕方をしてバグッてるのかもしれない。
きっと精巧な食品サンプルを見た後に料理を食べようとするときは、こんな感覚になるのだろう。
そんなわけで仕事前に自宅でSNSを見ることもできるゲーム、「VA-11 Hall-A」をよろしくお願いします。今3章に入ったところですが、けっこう面白いです。キャラクター作りの大切さってやつがよくわかります。皮肉じゃなくて。
小さい頃はすごくこの番組が好きだった。
なのに、今日久々にテレビでやっていたのを観たら、あまり楽しめなかった。理由は以下。
あるバッターが頭部にかなりの危険球を食らいそうになって激高した VTR に対して、みのもんたが「あらら、怒っちゃったよ。イケメンだからね。大事な顔に危険球とかそりゃ怒るよ。うわー!」みたいなコメントをつけていた。
イケメンとか本当関係ないでしょ、これ。頭部への危険球を食らいそうになって怒るのは普通でしょ?なんで人の顔のことをネタにして笑うの。
大谷翔平の話が出たときに、番組では若い女性タレントとおばさんぐらいの女性タレントに話をふって、「どうなの?アピールしにいかないの?結婚したいならチャンスだよ」みたいな感じの話をしていた。(話の流れがあやふやだから不正確かも)
その人の目指すところや女性全員の幸せが結婚だと決めてつけているのってすごい失礼じゃない??
すごい人がいたからって、別にその人と付き合いたとか結婚したいとか思うのって当然じゃないでしょ。
しかも、その後おばさんの方に話がふられたとき、「お前は出番じゃないよ、ははは」みたいな反応だった。
まだ僕はファーストキスも済ましていないDT高校生。17歳だった。
当時、階段なんかで、女子高生のパンツは見放題。若者の特権だ。
教室で机に突っ伏して、昨夜の情事の疲れを癒している(ここは妄想)M村さんのパンツが、ひょんな拍子で、臀部あたりが全面的に見えたのだ。
別にここまでは珍しいことではない。膝上からのスカートの短さを競っていた当時、よくある日常のはずだった。
そう、はずだったんだ。
だけどその日は違った。
それもそう珍しいことではない。ブラウスから透けるピンクのブラジャーも我々の日常の一部だ。
その日は、臀部が丸見えだった。
そうさ。今では慣れ親しんだが、当時は初見(当然アクションカメラやデラべっぴんではお馴染み)のTバックだったのだ。
その日は、帰宅して、日課の右腕の鍛練が終わるまでの記憶はあやふやだ。おそらくいつもよりかなり短い上に、参考文書も不要だった。
20年以上昔の思い出でした。
私は35の主婦で、平均よりやや下くらいのIQで、平均的に老いていると思う。学生時代はド文系で数学と理科はとことん苦手で、一応最後までネバって勉強はしたがダメで私大に逃げたレベル。
最近、時間ができたのでパートタイムで塾の先生をすることになった。それで、なんとなく数学の青チャートを見ているときに、異変が起こった。なぜかはわからないが、私にはそこに載っている問題が新聞に載っているクロスワードパズル(常識で解けるやつ)のようにおもえた。数学はとてもじゃないが各種定理、定石、その他モロもろなんてあやふやでちっとも頭に入ってなかったくせに、なぜか私はそういったものをすでに完璧に知っていて、本当に惰性でクロスワードパズルをとくように、簡単に問題を解き導くことができた。たまたま易しい問題だったのかと思い、他にも十文くらい、章末問題を中心に見てみたが、やはり簡単に解けた。おかしい。青チャートなんて手が出なかったはずだ。たまたま易しい問題ばかり選んだか、青チャートが編集されてレベルが下がったのか?そう思い、私は塾の本棚から東大の赤本を取り出し見てみた。さすがに青チャートのようにはいかず、やはりなと思いながら、問題文からどういったことが起こっているのかを、こうなっているのか、と確認していくと(確認できていること自体前の私ではありえないことだった)いつの間にか私は時間も忘れて没頭していて、本当に信じられないのだが、運良く解答を導くことができた。
それからいろいろ自分を実験してみて、なぜか数学の能力が桁違いにアップしていることに気づいた。高校数学程度はなぜか生まれる前から知っているような気がするし、大学数学も解説を聴けば理解できる。明らかな異変だ。
夫の趣味に影響されて模型趣味をはじめたとき、空間を捕える作業がからきし苦手だったのに、何故かすごく得意になったなあとは思っていたが、何か夢でも見ているようで怖い。怖くなって脳腫瘍でもできていないかと心配になって診断予約を入れた。18歳当時から今まで頭を打ったことはない。転機といえば出産くらいだ。大げさすぎるのかもしれないが、本当に怯えている
仕事帰り、まっすぐ帰宅する気分になれずに寄り道して、ショッピングモールで化粧品を見てた。
このアイシャドウ可愛いな、あれ新作出てる、とかぼんやり考えながら見てるとき、聞き覚えのある甲高くてでかい声が聞こえて
ふと店舗の入り口に目を向けたら職場の嫌いな女の人が入ってくるところだった。
その人の姿が視界に入った瞬間に私は背を向けて逃げ出した。脊髄反射と言っても過言ではない。
多分、向こうもこっちに気付いてたと思う。目が合うことはなかったけど。
上司に対する態度があんまりにも横柄で、公私の分別があやふやで、機嫌の悪いときはそれを振りまきながら仕事するような女性。
私語もお茶を入れに給湯室にいく小休憩もめちゃくちゃ多い。
(あと何故かお茶を入れに行くのは絶対にその女の人の隣の席の女性と行く。ツレ給湯室。それは隣の席の女性も悪いとは思う)
でも勤務歴だけは長くて、あと会社の規模が小さいからボスになってる。
どこかで「良いお局と悪いお局」って表現を見たことがあって、その「悪いお局」にめちゃくちゃ当てはまるようなひと。
仕事でなければ絶対に関わりたくない、という思いが強すぎて逃げたけどやっぱり後ろめたさもある。
もしかしてあの人も少しは傷ついてるのかな?
向こうも私のこと嫌いなんだろうし何も言ってこないと思うけど、仕事でキツく当たられたらどうしよう。
なんか私もその人と同じステージに降りちゃった感ある?
そんなことぐるぐる考えてしまう。
細かく音量調整できるようにしてほしい
sideM、デフォルトの音声が爆音すぎてPCでやってる時も常にミュートにしてる
音声オフにしてもオリピのハイタッチとパフォーマンスアイドル設定の時に問答無用で台詞再生されるから
ながら作業で動画見ながらやってる時はいったん動画を止めて、パソコン全体のスピーカー設定をミュートにして
ハイタッチ選択して次のパフォーマンスアイドル選択して数秒待って台詞喋り終わったであろうタイミングでミュートを解除してまた動画を再生して……ってやってるのでめんどくさい
ボナタイ終わるまでパフォーマンスアイドル変更するのを無視することもあるけどその間ゲージがたまらないからちょっともったいない
周りに誰もいなくて音漏れしてもいい時はミュートにしないけど新人声優のふにゃふにゃした演技を大音量で聴かされてイラついてしまう
現在ではタイトルしか知らない(あるいはタイトルすらあやふやにしか言えない)人でも犯人は知っているみたいな風潮の「ポートピア連続殺人事件」だけれど、そもそも表題の人ってどれだけいるのだろう?
マイコンで一世を風靡している「アドベンチャーゲーム」なるものがファミコンでも遊べる!みたいな感じで鳴り物入りでファミコン版登場したのが1985年。
その当時自分は小学生だったのだけれど、それでも発売されたばかりの時点で誰が犯人なのかは小学生内のクチコミで犯人は誰だかみんな知っていた。ネットなんて一切無い時代なのにだ。
ゲーム内の小ネタ「こめいちご」の暗号解きなんかはクラスの友達と一緒に悩んで盛り上がっていたけど、それでも大オチの犯人は誰だかみんな知っていたよ…。
PCやマイコンに縁の無い子供ですらそういう状況だったのだけれど、当時ファミコン版を犯人知らずにクリアした幸せな人ってどれだけいるのだろう。あの衝撃的なラストを実際の本当の体験として熱く語れる人って超絶希少人種のような気がするのだけれど、そういう人いる?
面と向かっては誰にも言えないような、自分たちの世界の話。馬鹿げた三文小説のような、稚拙で安っぽいものかもしれない。けれど自分たちにとっては本当にあった事だ。
幼い頃から自分の中にはたくさんの人間(今思えば別の人格とも言えるような、あやふやだけど確かに存在すると思っているもの)が居る。遊ぶのが大好きな明るくちょっとやんちゃな人。本を読むのが好きなおとなしい人。気が弱く、ちょっとしたことで泣いてしまう人。ごっこ遊びが好きで、いろんな物語が好きな人。音楽が好きで、特に歌うことが大好きな人。怒りやすいけど言いたいことははっきりと言う人。大人のような知的で冷静な行動をとる人。日々をぼんやりと、俯瞰するように見つめている人。心優しく、他人を大事にする人等。とにかくいろんな人いた。
そんな人たちが、自分の身体を通して物事を見たり、感じたり、表現したりしていた。主に行動していたのは優しい人と物事をはっきりと言う人だった。
そうして日々を過ごし、普通の日々を幸せに感じながら成長していくはずだった。
そんな中、ある出来事をきっかけに優しい人が殺されてしまい、自分という世界からいなくなってしまった。たくさんの人たちが驚き、嘆いて悲しんだ。その中でも物事をはっきりと言う人が一番取り乱した。優しい人と物事をはっきり言う人は双子のように特別仲が良かったからだ。殺される原因となった出来事を憎み、その出来事を起こした人物や、それを見ていて放置した人々を殺したいほどの衝動に駆られた。それを見た他の人はどうにかその怒りを外に出さないように、変わるがわる表に出て、怒りを誤魔化すように他人と会話をしたり、怒りを鎮める行動をとったりしてどうにかしようとした。
しかしそれが、自分という人の行動そのものをしっちゃかめっちゃかにして、次第に他人から倦厭されるようになった。頭のおかしい人だと思われていった。
それを目の当たりにしたはっきりと物事を言う人が、ついに耐えきれなくなって、周りに当たり散らした。当時はそのおかしさ故にそこそこいじめられていたため、それに報復するような形で怒鳴ったり物を投げつけたりと、今思えばなかなかに酷い行動をとった。猜疑心に駆られていて誰も信じず、また誰にも頼ることもなくなった。
ある日、急に糸が切れたかのように、朝起きれなくなっていた。何もする気が起きず、ずっと携帯をいじっていたり、ぼうっと天井を眺めていたりした。
そうしていくうちに、睡眠障害になり、うつ病になった。自分の世界の人たちも疲れきっていて、ただ黙っていた。主に活動していたのは周りを俯瞰するように眺めている人と、はっきりと物事を言う人だった。しかしはっきりと物事を言う人は、優しい人を失くしたショックで絶望していた。全てが色を失ったかのように、無気力に過ごした。
次第に自分の世界に居た人々は少なくなっていき、今は両手で数えるほどになった。
今はそこそこ回復しつつあるものの、自分の世界の人間はやはり安定しないままで、話し方も雰囲気もころころと変わってしまう。おそらく他人から見たら相当に奇妙な人だと思われているだろう。
このままではどこにもいけないし、生きることすら難しい。
主に行動していた優しい人の残した傷痕が深く、何をするにもその出来事を思い出してしまい、まともに息すら出来なくなる。
色々調べていたが、イマジナリーフレンドや解離性同一性障害という言葉に行き当たったものの、自分たちはそういうものではなさそうだった。
じゃあ何だと言われれば何も言えなくなってしまう。
果たして、自分たちは何者なのか。そればかりを考えて、今日も答えが出ないままだ。
確実に言えるのは、これから先は生きていけそうもないことだけ。毎日湧き出てくるような希死念慮とそれを誤魔化すためのネットサーフィンをして、生ける粗大ごみの如く、駄目人間として息を潜めている。
支離滅裂な上に長く読みづらい文章だけど、どこかに自分たちのことを書きたくてたまらなかった。創作でもなく、実際に感じたことだけが頼りで、記さなければ形すら得られないからだ。
こんな駄文を残すことをどうか許して欲しい。
エスカレーターとエレベーターがどっちがどっちだったか覚えられないままおっさんになってしまった。
必死に覚えようとしなかったのも悪いのだけど、べつに覚えてなくてもいいかという思いもあった。
しかし最近、ふとした会話の中で、「エレベーター」と言われて自分が「エスカレーター」のことだと思い込んでいて恥をかくという場面を経験した。
そこで覚え方を考えてみたのだけど、たったひとつのアイディアで完璧に覚えることができた。なんでこの歳になるまで思いつかなかったのだろうか。ほんとに簡単なことだった。たったこれだけのことでエスカレーターとエレベーターを混同しなくて済むようになる。いまさら人にはいえないが自分もどっちがどっちだかあやふやなまま生きてきたって人のためにここでその必殺のアイディアを共有したいと思う。
この問題はたったひとつの方法で解決するが、それはこの問題がエスカレーターとエレベーターの区別というその一点にあるからだ。つまり一方を確定できれば問題は解決する。エレベーターがどちらかわからなくても、エスカレーターがどちらかわかればそれでよいのだ。
魔法みたいな話なのでびっくりするかもしれないが、本題に入ろう。難しい論述はいらない。ただ次のように念じればいいのだ。
あの子のスカートの中の何物かが見えそうになるのがエ「スカ」レーター
どうだい?
読んで欲しいわけじゃないので支離滅裂です
誰かに言いたいのに楽しみを前にしてる人達の前で言うととてもじゃないけど、担当のオタクのイメージ下げられそうで言えないので誰かは見るかもしれないここでぶちまけます。
またこんなこと書いたら越境のときみたいにアニメはじまる前にネガキャンとか言われるのかな
ネガキャンとかじゃなくて運営に物申すことと同じことを言っておきたい
ひとりよがりの僻みと思われても実際そういうとこもあるけどやっぱりなんか言わなきゃやってられん
この怒りが少しでも冷めたりしたらすぐ消します
最初からいるみんなも途中から出たところもみんな大好きなんだけど、
担当として応援してるのは最初からいるよに後から声がついただけで露出が少ないユニット。
後から付いた組は個性強いから最初は馴染みやすいところから売ったみたいな意見も見た。ゲームの顔のクセがすごいからそこ強調したかったのかなあ。でもファンにはそんなの関係ねえ〜〜平等にしろ、機会を減らすな
露出少ないのを嘆いたらなぜかいつも同じユニットの人に格差があるなんてしょうがないでしょって言われる。うるせえこっちを排除すんな。自分の担当がそうじゃないからそう思えるんだ。当たり前だけどこんな苦しい思いをするために担当にであったわけじゃない。
ソロは全員出た(出る)し、今まででたものは全部聞いたけどソロなのかキャラソンなのかあやふやな歌詞の曲がたまにあったり言葉がおかしいのあってつもりつもって爆発しちゃいそうだわ。降ろせとは言わないけどなんでこれを通したんだ
数曲のせいでこのシリーズはソロではないのかなと思うようになってしまった
きいてない人にこのシリーズは全部ソロだってすごい言われたけどよく聞いてみて、ソロだったらこんな歌詞歌わねえからっていうのあったから。間違い探しかよ。曲はいいのにな。
そういえばシャッフルもなんでこっちいないのにこっちの大事な曲歌われないといけないんだって意見見た。わかる。でもなんかこのユニットじゃないと歌えないみたいなの多いから(それがいいか悪いかはまた別。)こっちからは選ばれないだろ。と思ってたのが中間では出てたりして。
もうつかれた。
なんか作品の顔のユニットに負けねえみたいなことを言ってた気がしたんだけどでも露出多いから言えたんだろうな……
正直元々あるところと作品の顔的なユニットはアイコンとしてわかりやすいからどんどん露出増やして知ってもらう機会もダントツにあっていいと思うしそれはあるべき格差とも思う
けど、そことだけでなく、そこの次に声がついただけの最初から平等なはずのユニットと、後から付いただけしか違いのないユニットの露出の差もそれによる曲数の差がどんどん増えていって悲しい。
少ないところの声の人たちが引け目に思ってるだろうとは思ってないし全くもって声の人たちの力不足だなんて思わないからこうやって言えるんだけど、現状、よくわからないけど驚くほどの格差によって土俵が違うみたいになってしまっているから辛いし辛いしただただ辛い
誰の力不足でもなく見込み不足じゃない?
ゲームの顔からアニメのスタメンで顔を増やしてこっちもいずれ対等になれるのかな。なれたらうれしい。なれるはずなんだけど。
ここまで読んでもし万が一同じ思いをしてる人がいたらみんなで運営に言いましょうね。みんな大好きだけどだから余計こんな格差があってはならないと思えて辛い。別事務所も、そういうのたくさんあったとも言われるけど。初めて便乗だけじゃない真っ向から好きになったところだからやっぱりこんなのおかしいよーと思えてしまう。
体にいいこと何かないかなー、なんて探してたら「ジョギングしながら映画のエキストラ出演」っての見つけてしまって。アラフォーに差し掛かった独身のオッサンが健康面を気にしてやることとしてはちょっと張り切りすぎかなとも一瞬考えたものの、好奇心が勝った。
で、応募したら当選して、約一か月後ですよーとか書いてあって。集合日時とか注意事項とか意外とちゃんとしてて、しっかり読んで対応。
それで当日、集合場所の隣県の河川敷に向かったのね。到着して、土手から河川敷を見下ろしたら現場を見つけたんだけど想像よりは人が少なくて、スタッフ5人くらいかな?っていう。で、到着して挨拶して色々見たり聞いたりしてたら、女優さんが3人、エキストラ側も自分含めて3人といった感じで。
スタッフから出た自分への指示も「カメラが遠くから狙うんで、遠くで笛が鳴ったら走り始めて、前を走る女優さんをこの場所で追い抜いて下さい」っていう結構しっかりしたディレクションを頂きまして。
そしてその一緒のシーンを走る女優さん、名前分からんけど超美人でかわいい女優さんで。なんか舞い上がっちゃって。いざ笛が鳴ったら、最初なんかニヤニヤしてしまい、俺のせいでNG。
その後何回か取り直すんだけど、意外と女優さんの走りが早くて、追い抜くタイミングで追い抜けず何度もNG。何度もやってたらバテてNG。さすがに女優さんも若干バテて、休憩。
スタッフがこっちまで来て、おまえ素人かとメッチャ怒られ、凹まされる。他のエキストラと交代したら、その人は一発OKで、俺さらに凹まされる。
気まずくなって小さくしてたらその後ほとんど出番なく。終了。
撮影は一応終わって解散になったのだが、一緒になった女優さんと一部のスタッフさん達と帰り道が一緒で「ほんと自分のせいでご迷惑かけてすみません」なんて低頭にしてたら「仕方ないっすよ、折角なんでメシ行きません?」ってなり飲みに行くことに。
店に付いたら、居酒屋ってよりはバーっぽい雰囲気で、座席の関係で「スタッフと役者で別れて座ろか」ってことになり。その結果「かわいい女優さんとサシ飲みするオッサンの俺」という空間が生まれた。
ここからの記憶があやふやだが楽しかったはず。もう俺デレッデレだったと思う。そんで、トイレに立って戻ってきたら、誰もいない。いい時間だからみんな会計かなと思い、自分も帰り支度してると、店員「お会計ですねー」と16万円の伝票。
は? なんで? 全部俺がもつの? って聞いたら「お支払いまだなんで」って。んなアホなと思い店員と少々モメるも、「とりあえずカードでもいいんでお支払いだけして頂けませんか、後日お仲間さん達に請求してもらえませんか」と言われ、しぶしぶ支払って店を出て。
http://b.hatena.ne.jp/entry/mubou.seesaa.net/article/453600893.html
麻雀のルールを知らない、難しくて一人では理解できない人が周りでリーチだなんだと言っているところに牌を集めて並べてみてそりゃ役になってねえよ、何がしたいんだ、帰れ、と言われたら「麻雀ルール万能主義者に攻撃された」とかいう言葉が出てくるのもおかしくはないと思う。だからといって初心者が作ったでたらめな麻雀牌の並びがルールに従っていることにはならないけど。似非科学に人がハマるのは、科学という方法論を学校が身につけさせることに失敗した人の理解のあやふやさに合っているからで、それを解消するのは寄り添いと教育なんじゃないかな。