はてなキーワード: 寄り合いとは
政権交代させて見たら自民党が劣化しまくっている可能性について覚悟する必要があるだろう。
政策の不一致は、まあ自民党が選挙互助会の寄り合い所帯という宿命だから仕方ない。
が、政権が自民党に移ったら、まず最初に起きるだろう政治的懸念事項は、
大臣病患者のセンセイたちに対する論功行賞人事としてのたな卸し的大臣人事だ。
自民党が圧倒多数で政権を奪取できる可能性が低い以上、谷垣総裁が派閥無視の適材適所人事なんぞを組める目はない。
むしろ求心力維持の為に派閥に報いざるを得なくなる。そもそも自民党自体が「民主党の反対」の先にある
成長戦略を描けてないし、野党時代の民主党さながらの政局遊びに興じている。
下手すると、「民主党時代の方がまだマシだった」という言葉が、当の自民党支持者から聞こえてくるかもしれん。
そうはならない事を祈って已まないが、さてどうなることやら。
いろいろと面倒なので増田に書き捨て。
猪瀬がどうしようもないのは確かだが、とはいえ「えー知らなかったよそんなもん」「教えてくんなかったじゃないか」で済まされないのが大人の世界。議員に失礼かどうかは正直どうでもいいが、「自分達の議会」という認識が持てないのは何故なのか、よく考えないといけない。
議会側・行政側に「依らしむべし、知らしむべからず」という精神がないか?
有権者側に「投票までが自分の仕事」「あとはお上のやることだから」という精神がないか?
本来は、気にいらないことがあったら地元選出の議員を呼んで寄り合いみたいの開くといいんだよ。
それが一番効く。
このような事態に際して、周辺住民ができることは、通報、それでも埒があかない場合は騒ぎを起こして、何らかの方法で家を開けることしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20100731000729
しかも、具体的な効果がありそうな行動指針までしめしてくれている。
だけど、このままじゃ。
としか読めないので、すこしだけ言及させてもらいたい。
間違いだった場合の責任も含め、寄り合いがあるような田舎でないかぎり近所の関係が稀薄な都市部でわざわざ一般人がない正義感をふりかざしたところで相当運がよくない限りなにもおこらない。
元の増田もいろいろ考えるところがあるとは思うが私はこう考えていたりする
基本的にあなたができる一番大きなことは、疑わしい現状を所管するところに伝えることです。
それ以上の実力行使をすれば、元の増田曰く、騒ぎが大きくなってまわりの注目をあびることになるんですが
その騒ぎを起こした理由を知らない周りの人にはあなたもDQNに見えます。(DQN同士がなんかやってる、コワイってことになる)
そして、疑わしい人に対して直接接触しない、実力行使しないというのが一番大事です。
直接的な行動や接触は所管する専門の人にまかせましょう。
その人たちはそれが仕事です。
あなたの仕事ではありませんし、あなたがやってもうまくいかないことがほとんどです。
悲しいことですが、気づくのが遅かったのです。
それだけです。
勇気がなくて実力行使できなかったあなたが悪い訳ではありません。
悲しいですが、あなたも含め、まわりや元の増田そして私が気づけず適切な行動をおこせなかっただけなのです。
もしかしたらこれから救えるかもしれません。
元の増田と同じく、面倒なことを避け、誰かがやるだろうという意識を是正されればいいと感じていますがその方法論はすこしだけ穏やかな方法もあるかなと思っています。
今回の口蹄疫が10年前のウィルスと比べて感染力が桁違いなのもわかってるし、農水省がまったく動いてないとか、そんな事は思ってない。宮崎県の対応が万全だったとも思ってない。
政府の対応について問題視するならば、早期に宮崎県からイニシアチブ奪ってガッツリ処理する決断を出来なかった、という点に尽きるな。責任を伴う重大な強権発動の政治決断が出来ないのは寄り合い所帯の悪いところだ。
ここに尽きる訳よ。
予算規模、動かせる人員、制限等の強制力などは、国と県じゃお話にならないぐらい違う。予算なんて動かせる桁が違う。
感染拡大を封じ込めるためには、感染地域が限局していた初期段階にどれだけこういう物をまとめてつっこめるかがカギだったのじゃないかと。
だから知事も自民党の江藤議員も、4月の段階から国に必死に陳情してたんじゃん。国がイニシアチブを取ってくれと。県が動かせる予算や人員や重機なんてたかがしれてる。
もし国がイニシアチブを取ってくれないからと、県が全頭処分の方針を決めて、実行した後国が「補償?知らん、そんな話聞いてない」と言われたら、宮崎県に全頭補償する予算なんてない。だから決断できない。自衛隊に重機持って助けに来て欲しいけど、増員は国じゃないと要請出来ない。ワクチン接種に至っては日本自体が口蹄疫の清浄国からはずれてしまう、それこそ国レベルの話になるから一つの県でそんな決断できない。国がケツ持ってくれないと県じゃ出来ない事がいっぱいあったんだよ。
こういう事態になる前に、せめてみんなが必死に川南に抑え込んでいた間に、国が今回の方針を打ち出してくれていたらもうちょっと拡大が抑えられたかもしれない。ワクチンも使わずに済んだかもしれない。
口蹄疫が公式に発生してすでに1ヶ月。
県が万全だったとは言わないけど、正直たぶんこれが限界だった。
関係者は必死に願ってた、もうちょっと予算を、もうちょっと人員を、もうちょっと重機を、もうちょっと物品を…ってね。川南の人たちは全頭処分を半月前には覚悟してた。
どうせそうなるなら、早く決断して欲しかった。こういうときに、政権与党の決断力が国の大事を左右するんじゃないかと思う、そういう意味で民主党は批判されてもしょうがないと思う。自民党と比較してとかじゃなくて。でも、口蹄疫に対する見方、つまりそれがどのくらい恐ろしい事態で国の一大事かって事に関しては、やっぱり民主党は自民党よりわかってなかったと思うよ。政権与党なのに総理始め大臣がいろんな事にとことん無知で、それなのに専門家とまったくリンクして動けない政党というのは、危機管理の観点から批判されて当然だと思うけどね。国の対策管理室が設置されたのが発覚して約1ヶ月後って。あんまり遅すぎじゃないか?
後、無神経な発言で畜産農家の神経を逆撫でしまくってる赤松大臣は責められてしかるべき。畜産に何の関係もないうちの母でさえ、記者会見でのあの態度に激怒していたぞ。
その「はんこ押しマシーン」が誰も残ってなかったんでしょ。
判子は押されてる。農水省の裁量の範囲ですぐに決定できるような要望もだいたい通ってる。
リジェクトorペンディングされたのは、独断でそれに判子を押す権限が農水大臣にすら無いようなものばかりだろ。
約一ヶ月弱放置されていたことから殺処分の数はどう楽観的に見ても万単位、普通に考えて十万超えは余裕。これを「すぐに」殺処分できる人員と資材と場所がどこにあるんだ。鳥インフルで鶏処分するのとわけが違うぞ。つか鶏でも大仕事だぜ、この数。
赤松農水省をはじめ、政務三役の「放置プレイ批判」に対して、それらの主張はなんの意味もないでしょ。
「結果的に10万頭」だったこと「そのもの」が批判されてる訳じゃないんだから。
その「放置プレイ」とやらは「結果的に10万頭」の原因ではないと認めるの?じゃあ何を批判しているの?
自民党みたいに役にも立たないどころか事態を混乱させるようなことをワーワー騒ぎ立てる政治パフォーマンスをしなかったこと?
逆に考えてどうすれば今よりも被害を減らせたと思う?
みんな分かってただろ。
宮崎県はそれを口にしたら感染拡大の責任を真っ向から問われるから口に出来なかった。「報告時点で既に取り返しが付かない」なんて状況は認められないので「取り返しが付く時の対処法」で進むしかなかった。
政府や農水省は当初より宮崎県の初動が悪いと公然と主張していた。宮崎県が大ナタ振るってくれと言ってくるまで日和っていたのは、枠組み壊してイニシアチブ奪うと大ナタ振るった責任まで付いてくる、ということに尽きるだろう。
自民党は理解してなかったかもしれないな。今でも2000年のケースと比べてるあたり、まだ理解してないかもしれん。選挙向けのパフォーマンスかもしれないが、どちらにしても宮崎県が何かと腹を括る妨げにはなっている。
政府の対応について問題視するならば、早期に宮崎県からイニシアチブ奪ってガッツリ処理する決断を出来なかった、という点に尽きるな。責任を伴う重大な強権発動の政治決断が出来ないのは寄り合い所帯の悪いところだ。
また早期に悪者探しが始まってしまったために宮崎県が「感染拡大は政府への報告以後」という史観から引っ込みつかなくなってしまったのも痛い。自民党がここぞと政局にし始めたからな。
宮崎県の責任を棚上げして最初から全員が「報告時点で既に全力でアウトブレイクしている」という前提で動けていれば即時殺処分を諦めてワクチン使用に踏み切る決断はもっと早かっただろうに。
裏社会。
単純に目に見える表側ではないその反対という意味で、犯罪社会という意味ではないです。
地元の寄り合いで、いわゆる地域の権力者と市会議員から国会議員まで集まった。
自民党の議員は「党大会から駆けつけてきましたー!」とか、民主党の議員は「このあと
まだ3つあるんですよ~」と急がしそうにしていた。ほとんどが50代60代のうるさが
各議員が、昨年の成果報告と今後の見通しを発表したあと、参加者に一言づつ挨拶に回っ
ていたのだが、自分をその場に引き込んだ人のところでは、みんなが一言ではなく10分
以上は話し込んでいった。
10分といえば短いようだが、議員とその人は非常に密度の濃い具体的な話をしていた。
政治、政策というのは、こういう場で具体的になって行くのだと感じた。正直、選挙の結
果で誰が当選したっていうのはそれほど重要ではないんだと思った。
一方、少なくともそういうオフレコレベルでは、市だろうが国だろうが議員も普通の人で
あり、党だの派閥だのに属している以上はサラリーマンと似たような境遇だということが
わかった。
最後に「彼、将来有望なうちの若手なので、よろしく。」と紹介されて、名刺をもらった。
「困ったことがあれば相談してください。」
「そう、困ったことがあれば相談すると良いよ。」
と自分に笑いかけるその人がいた。
「うちの若手」といっても、その人の親戚でもなければ社員でもない、極端に言えばただの
知り合いでしかない。しかしその瞬間から、自分はもう何か見えない"うちの組織"の一員に
なってしまったのだと感じた。
以前、公共事業削減を謳って当選した議員が、後援会に挨拶に行った所、挨拶もそこそこに
後援会役員連中が「お前はいくら(工事を)引っ張ってこれるの? というか、引っ張って
こいよ。ああん?」と、迫って来て噴飯したことがあるが、ここでいう「困ったことがあれ
ば相談する」というのは、そういうのとはちょっと違う。自分もその人も、公共工事とは直
接関係が無いから。
だからこそ、「相談」という言葉になにか末恐ろしいものを感じた。
議員が去ったあと、向こうで「がっはっは!」と大声で笑っているおっさんの一人を目配せし
て、その人は耳打ちした「あの人は外れてもらう。」
その人は少しばかり個人的なことにここの権力を使いすぎてしまったらしい。
要するに調子に乗りすぎた、ということだ。
帰りがけ、その人は、「お疲れ。次は○○だから。くるよね?」
「はい。」
http://anond.hatelabo.jp/20091129092302
続き:
彼らは平気で人を裏切る。自分たちの手に負えなくて放り出したはずなのに、いつの間にやら自分で作った事にして、それで商売始めてたり。
とはいえども手に負えないのは相変わらずなので細かい調整もできず、そのまま売るのが精いっぱい。どっかの大陸の国みたいだ。
田舎の人間の純朴さなんてまやかしだ。いや、純朴は純朴かもしれないが、素朴というよりも精神的に幼稚なのだ。
表面上はやれ寄り合いだなんだで、都会には無い隣近所の連帯感がどうのなんてやってはいるが、結局のところ裏じゃ足の引っ張り合いと悪口雑言の嵐。あげくには潰しあいに発展することもしょっちゅう。地域の連帯なんて聞いてあきれる。
日本社会から早く消え去ってほしいものだが、このまま衰退が続いてもしぶとく生き残るのだろうか。で結局箸にも棒にもひっかからない人間ばかりになってしまい、限界集落とか何とか騒ぎ出してよその人間を引きずりこもうとする。引きずり込んだって自分らよりハイスペックな人しか来ないのだから、しばらくすると放り出すのがオチ。自滅するしかないのにあほかと。
鳥山明の人気少年漫画「ドラゴンボール」に登場する悪役、宇宙の帝王とすら呼ばれているフリーザを頂点とする一派。
彼らの普段の活動について、主人公である孫悟空の兄ラディッツは単行本15巻71ページで以下のように述べる。
われわれ サイヤ人は
戦闘民族だ
環境のよい星を探し
そこに住む者を
絶滅させてから
適当な星を求めている
異星人たちに
高く売るのが仕事だ
当初はサイヤ人という種族そのものがそういう「星間貿易」みたいなやり方で外貨を獲得しているのかと思いきや、74~75ページですぐに否定されてしまう。
サイヤ人は もともと
少数民族だったうえに
巨大隕石の衝突で
爆発してしまったのだ
………
のこったサイヤ人は
おまえを含めても
たったの4人しかいないのだ!
彼らはたった3人で星を売買してるのか?というとそうでもない。
単行本29巻153ページでフリーザ直属のエリート戦士集団「ギニュー特戦隊」が、登場直前まで別の星「ヤードラット」を攻略中だったと明かされている事からも、フリーザ一派とはフリーザを頂点とする様々な星の種族の戦士達の寄り合い所帯のようなものだと推測される。言うなればフリーザは派遣企業の社長で、サイヤ人を初めとする配下の戦士達は派遣社員みたいなものか。まとめると「フリーザ一派」はおおよそ以下のような存在と推測できる。
スカウターという機械の存在もこの説を補強してくれる。スカウターとは主に任意の相手の強さを数値化し表示する装置である(他にも遠方の相手との通信機能などもあるようだ)。フリーザ一派の殆どがこれを装備しているあたり、携帯電話並みにありふれた存在と言える。
星を売る商売をしているとなれば、効率的に対象となる星の原住民を排除する必要がある。そのためには、投入する戦力は常に適性に配分されなければならないのは明白だ。地球のような脆弱な民族しかいない星に、ギニュー特戦隊のようなエリート戦士を大量に投入したり、もしくはエリート戦士でなければ対応出来ない屈強な原住民がいる星に下級戦士を逐次投入して人的損害をいたずらに増やすというのは無駄以外の何物でも無い。よって排除対象の戦力を正確に把握するデバイスがラディッツのような下級戦士にまで広く普及しているのは必然と言えるだろう。
さて、ここで気になる点が出てくる。
一つは、会話の中で触れられながらも「ドラゴンボール」作品中に最後まで登場しなかった存在。前述のラディッツが語った「適当な星を求めている異星人達」である。彼らの存在は非常に厄介である。なぜなら、具体的な姿が想像しにくいからだ。
考えてみると良い。フリーザ一派のトップであるフリーザおよび彼の一族は宇宙一強いと広く認知されている(原作では父親、劇場版アニメでは兄の存在も明らかになっている)。その配下の戦士達も、質、量ともに大軍団と言うべき規模を誇っているはずだ。はっきり言って彼らを止められる存在など宇宙には存在すまい。
であるならば、相手とまともなビジネスを展開する必要があるだろうか。
何せ星を丸ごと滅ぼして商品にしてしまうような戦力・組織力をもった一派である。顧客の星も有無も言わさず収奪してしまえば良いではないか。
二つ目の気になる点は「高く売る」という表現である。「売る」という行為は基本的に、手元の商品や権利などを相手に差し出し、それと同時に相手から対価をもらい受ける事である。では、惑星丸ごと一つと同等な対価というのは存在しうるのだろうか。
仮に「売る」が物々交換を意味しているのならば、対価は少なくとも以下の条件を満たすものである必要がある。
貨幣で売買しているシチュエーションはさらに難しい。フリーザ一派以外の誰がその貨幣の価値を担保しているのか、という問題からして解決不可能。
仕事中の眠気覚まし程度にはなったが、結局結論は出ずじまいだった。誰かスパーンとこの辺を解決出来る説を頼む。
単行本21巻の扉絵特集でフリーザについて「星を集めて支配するのが趣味」と解説が。利益とか度外視の道楽でやってんのか?
もしかしたら、星の売買は副業程度の位置づけなのか?
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51596567.html
>重税国家でサバイブするコツは、貨幣システムが介在しない生産と消費を心がけること
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20091012/p1
を見て「もし日本が250人の村だったら」と考えた。
なんで100人とかキリのいい数にしないかというと、100人ではさすがに親族だけとかそういう風になってしまうので、縁の薄い不特定にならなくなってしまうから。
その小さな村は、何せ他から離れてるもんだから、独立した地域になっており、独自の言葉、独自の寄り合いシステムや、独自の通貨・ソンがある(つまり”国”)。
多くの村民は、村内の他の人と取り引きをして暮らしている。
村外と取り引きをしている人もいる。
小さいながらも、村の何人かは、村の責任者として、橋をかけたり、村を守ったりといった、個人では難しい事をやったり、これからの方針を決めたり、村のおきてを決めたりしている。(政府・公務員)
村内の取り引きは、バーターもあるが、それだけでは不便なので、村政府が刷った「村札」で行われる。
橋をかけたり、港を修繕したり、責任者の収入などは、寄り合い費として村人全員が持ち寄ることになっている。
橋をかけたりするのは、そういう事を生活の糧にしている村人に、通貨ソンと交換に、やってもらうわけである。
あるとき、寄り合い費の総額よりも、橋をかける費用のほうが高くなってしまった。そこで、村の責任者は、村政府として刷った証文、「村債」を村人に買ってもらって、
「これを1枚買ってくれたら、年に○○村札あげるよ、また「村債」はいつ売ってもいいよ」という形で、村民に(正確には村外の人にも)利子のつく借金をする。
・・・と、ここまで考えたけど、通貨量と物価の関係について自分は理解できてないことがわかった。
この後は誰か考えてくれm(_ _)m
村の寄り合いに哲学者が来る。村は腐ったところで、ひとりが科挙にうかるとそれにみんながたかって食っている。俺もそんなひとりだが、村を出たくてなにかを勉強していた。
哲学者は若かった。俺は話を切り出せず、愚劣な連中に囲まれている哲学者に話がしたくてじりじりしていたが、ようやくチャンスが来た。
俺は口火を切った。「あのですね、ベルグソンがわからんのです」
「すげー基本的なことなんですけどね」「ベルグソンの空間てのは同時期のポアンカレとか物理屋、数学者のものと大体同じものについて語ってるんでしょう?」
村の連中は「意気さかんな若者が質問をするのはいいことだ」と内容もわからずに互いに酒なぞを飲んでいる。
今まで、自民党は、55年体制の下、経済政党、現実政党としての側面を示してきた。個別の政策には、賛否両論はあるが、このスタンス自体は非難されるべき点ではない。しかし、自民党にはもう一つの側面がある。それは、保守イデオロギーの体現者としての役割である。
私は、自民党が下野したことで、経済政党、現実政党としての側面が消失し、単なるイデオロギー政党になり下がることを懸念している。
自民党のセンセイ方の中には、勢い余って、単なる右翼と変わらないような主張をするときがある。中山成彬、安倍晋三、森喜朗など。「日教組の組織率が高いところは学力が低い」「美しい国」「日本は天皇を中心とする神の国」、彼らが繰り返してきた発言の背後には、現行憲法に対する苛立ちと、それに連動する、明治以降の近代日本において創造(かつ想像)された、余りにも素朴過ぎる国民国家観(領土、国民、国家が一つになって、国民は単一の存在として把握され、平準化されるべきだという国家像)が垣間見える。中曽根(父)が作成した改憲草案は、近代の産物であり、20世紀前半から中盤にかけて頂点に達した、「国民は一つであり、一つになるべきである」というイデオロギーを露呈している。そういえば、中曽根康弘って、「日本は単一民族である」と発言しているんだよな。書いていて今思い出した。
イデオロギーは、特定の支持者にとっては、ありがたいものである。しかも、一種の洗脳であるので、熱烈な支持を生み出す。妥協が許されない。イデオロギーは、対立する世界を認めない。そのイデオロギーを熱心に支持する者にとって、解は一つしかない以上、複数のイデオロギーの共存は難しい。したがって、論争が集結しない、世界観対立しか生み出さない。これには、なんの生産性もない。
個別政策に賛否はあるかもしれないが、経済政党、現実政党としての自民党は、それなりに評価すべきものがある。
民主党も、今回の選挙のマニュフェストが現実路線へ転換した、と言われているが、政権を担うに当たって、経済政党、現実政党としてのスタンスを取ることにしている様子。個別政策には異論がありうるが、このスタンス自体は、賛成すべき。
しかし、民主党は、参院の勢力構図上やむを得ないとはいえ、社民党と協力する道を選んだ。社民党は、上記の自民党のように、イデオロギー政党である。特定の支持者(絶対平和を愛する人たちなど)しか支持を集めることができない。これは、民主党の政権運営にとって致命的になる可能性がある。
特定のイデオロギーを熱烈に支持する人にとって、妥協は屈辱である。現実に合わせて、政況に合わせて、妥協を選択し続けると、支持が乖離する。これは村山内閣時に起きた、社会党離れである。
あまり知られていないことかもしれないが、成立した法案のほとんどは、自民党と民主党が成立に合意したものである。共産党は「民主党政権の建設的野党となる」とのたまっているが、全く違う。自民党政権の最大の建設的野党は、民主党である。民主党も、自民党の政策のほとんどに最終的には賛成している。政策を遂行する手段、方法には反対する時もあるが、政策の目的自体には賛成している。
はてなで最近人気を集めた「民主党に政権取られてしまいましたが・・・」のエントリ。http://anond.hatelabo.jp/20090906052539
これも法案のほとんどが自民、民主が合意したものであることを忘れている。いわゆるド派手な「対決」法案は、全体のわずか1割以下。年によっては片手で数える程度の時もある。今年の国会は選挙前なので対決ムードを演出したかった様子だが。むしろ、対立が多いのは、「自民党+民主党 vs 社民党+共産党」という構図。法案の成立に最後まで反対する社民、共産の拠り所は、現実ではなく、イデオロギー。
民主党は、思った以上に現実政党、経済政党である。確かに政権を担当していないため、自民党のセンセイ方の現実感覚よりは鈍いかもしれないが、それも程度の問題。今までずっと副委員長や書記の立場だった人が、委員長になる感じ。民主党には閣僚経験者もいるし、現実感覚は、それほど心配していない。2~3年経験を積めば、マシになると思っている。
むしろ、足を引っ張る可能性があるのは、左派イデオロギーの体現者たる社民党である。みずほちゃんが現実に合わせて妥協する態度をとると、社民党信者の支持が離れる。左派イデオロギーを貫徹すると、現実に合わない。民主党300超議席の前には、単なる幼女の我儘にしか映らない。
イデオロギーは単なる世界観対立しか生み出さない。現実の政治の前には優先順位は低い。民主党はそれが寄り合い所帯であるから、イデオロギーを前面に出すと党が瓦解することを知っている。そのため、実は、イデオロギー政党としての側面は、自民党よりも弱い。
下野した自民党は保守イデオロギーにこだわらず、建設的野党として、経済政策などに協力すべき。与党となったみずほちゃんは、現実の前に妥協を許さないイデオロギーを吐くべきではない。それが嫌なら、閣外協力か、共産党と同じ道を歩みなさい。私は、このように思っている。
なお、このエントリを読んで、私が反イデオロギーの立場に立っていると思われるた方へ。私は、多様な世界観が共存することを前提とした上で、政治はできる限り個人の世界観を抑圧も奨励もしない方が良いと思っています。個人が特定のイデオロギーを持つことは否定していません。
私はしょぼい社長業をしているが、どうもまわりの経営者連中を見ていると、苦笑いしたくなる奴が多い。
寄り合いがある時などに、講演者を呼んだりするのだが、人畜無害な人もまあいるんだけど、基本的には反吐が出る奴ばかりである。
中でも、発展途上国の貧困をリアルに伝えるおばさんを呼んだ会はとくにやばかった。まじやばい。
アフリカの子供たちの貧困を救え、とか言われたら、そりゃそうだと普通思ってしまう。反論できない。
しかし、そこには裏のメッセージが込められている。
「お前がうだつが上がらないのは、お前が努力しないからだ。彼らに比べればチャンスは平等だ。」という。
このメッセージは気付きにくいだけに強烈だ。あなたも「自分が駄目なのは努力が足りないからなんだ…」とか、思っていないだろうか。
実は実際のところ、成功において本当の自己選択可能な努力成分は微々たるものだ。一般的に『努力』と呼ばれるものは、自分で変革可能なものでは無い場合が99%だ。『努力』できるのも才能のうち、という奴だ。もっといえば、目標みつけられるのも運だし、見つける前に家庭環境から仕込まれるかどうかも運だ。
成功過程には、良い条件で生まれる運と、何かを担保にしたギャンブルがほぼすべてを占めている。(これに拒絶反応を示すなら、搾取対象として十分洗脳されている)
そして、勝ったらそれを可能な限り守る、それだけの話だ。
この事実を認めることは、成功者自身にとっても恐ろしいことだ。だから成功本の出版によって「自分の成功は人より多くの努力や工夫があったからだ…」という既成事実化と自己洗脳を行う。
しかし成功本などによる自己洗脳よりも効率的なのが、この途上国貧困層支援である。これは、世界レベルの社会貢献という形の懺悔や名誉だけでなく、自分の立場も守れるという、とてもパフォーマンスの良い行為なのだ。
直接的ないわゆる小作農である、国内貧困層に金を蒔いて救ってしまったら、自分の立場がそれだけ危ぶむことを彼らは理解している。
だから、グローバルな視点かつ盲目的に、そうした究極の貧困だけを対象とする。
幸せ観は人生ステージによって変化するだろうが、突き詰めると行き着くところは大体同じで、最大公約数を取るとかなりシンプルだ。
今でも最終的に家族に行き着く人は多い。しかし、かつての名士などになると、さらに地域の幸せまで考えたものだ。家族企業も家族の次に社員の人生を考えた選択をしてきた。国会議員や官僚は地元に利益を持ってくるために働いた。(これは職責からすると問題あるけど)
そうした隣人への貢献が、意識のグローバル化とともに、対象が寄り大きな貧困へとジャンプしてしまったと考えるとわかりやすいかもしれない。
一番貧困なのはどこかを探して、金を投入するのは全く間違い。こういうのは国レベルで行うべきスケールの話なのだ。そんなに気になるなら、JICA等、政府外郭団体はあるのだから、そこで労働力提供したほうがマシである。
そもそも、貧困の度合いをスケールにするのが間違いである。自分の身近さをスケールに貢献対象を絞っていくのがよい。その方が自分も生きやすくなるし、幸せにもなれる。
考えればもっとやることはあるはずだ。
対象を決めて、ただ金を適当に配るこだけでは問題があるだろう。
弱者層はよく『平等』を口にするが、実際は公正を望んでる人たちの方がダントツに多い。どっかの団体が無学を良いことに勝手に便乗しているだけだ。
本当に自由競争が正義だと思うなら、運が無いだけかもしれない人たちの、確率を底上げしてやらないと機能不全を起こすだろう?それを怠るのは欺瞞だよね。
「(グローバル視点で見れば)日本に格差ははない」とか、醜いこと言ってんじゃねーよ。ばーか。
べつにだれに追い抜かれようとどうでも良いだろうが。隣人さえ幸せならさ。そういうのって返ってくるぜ、自分にさ。広く種蒔いてれば、それだけ広く返ってくる。宗教っぽいな。でも人間ってそんなもんだし。結果的に再起不能も防げるし。悪いことなんかどこにも無いだろう。
行政改革による財政再建が、改革を放棄して、足りない銭は増税すれば良い、とりあえず消費税を12%にという話になっているようだ。
骨太の方針も、代を経るごとに骨抜きになり、ついには、羊頭狗肉になってしまった。
企業が従業員を解雇できるようする労働市場の流動化は、公務員を解雇(免職)できるようにするという改革を実現する為に行われた。
しかし、実際には、企業はコストの高い正社員を解雇して派遣にエコ替えしているのに、公務員の免職は、懲戒以外には聞かない。年金未納問題で懲戒免職された人々ですら、看板を付け替えただけの年金機構に採用されている。天下り先は、麻生首相のばら撒きで堂々と復活している。
それもこれも、公務員を使うのに、おだてて高待遇と天下り先を与えるという使い方しかやれない議員ばかりだった為である。民間企業の幹部社員が平従業員に対して行っている、査定によって賃金を上下させ、解雇をちらつかせ、誤解と錯誤を発生させるような言い方で忠誠心を引き出して安価にこき使い、2年11ヶ月たったら解雇というやり方を、公務員に対する統治にも導入するべきなのに、そういった汚れ仕事を実行できる管理職経験者がいないのである。
結局、民間企業で雇用の流動化がおきて賃金水準が低下すれば、当然、税収も減る。減った分だけ、公務員を削減していかなければならないのだが、その路線を、後継者達は進めなかった。それどころか、骨太の方針とさえ名づけておけば、どんな法案・予算案でも衆議院の3分の2が使えるという、悪弊だけが残ってしまっている。
次の選挙の為の公約が、おそらく、骨太の方針の最後となるであろう。小泉氏の政界引退と同時に、自民党の議院における影響力も消え、誰も鼻にもかけない方針となるし、当然、敗北の責任をとって、自民党の総裁選挙が行われるという事になる。誰が下野中の自民党をまとめて引っ張っていくかという点に、興味がある。
この問題は、民主党が政権を担える政党ではなく、民主党単独ではダメ、公明党を始めとするその他の野党との寄り合い所帯にして、空転させて1年くらいで政権を投げ出させるという展開にしなければならないのだが、その仕掛けが上手くいくかどうかにかかっている。
たとえば、宏池会+麻生グループ(81人)が自民党を離党して新党を結成し、野党連合政権に入り込むという展開もありえる。かつての小沢グループが新生党を作り、民主党に野合していったように。野党には政務次官経験者すらいないのだから、与党からの脱藩者がそれなりの人数でまとまっていれば、大臣ポストは象徴的にばら撒かなければならないが、実務は副大臣級でまとめてしまうというやり方で、実質的に政権を維持できるのである。
細川内閣や麻生内閣のように、首相になりたがる軽くて馬鹿な神輿が見つかれば、実現する可能性は高いと思われる。
国民の所得が減少しているのに、歳出が減らないというのは、国民と苦楽を共にするつもりの無い層が、日本国内に発生しているという事である。大臣には人事権者として、公務員の首を切れる権力を与えているのに、それを使わず、軽くて馬鹿な神輿にされている事に気がつかないというのでは、多選規制ですら手ぬるいのかもしれない。
「自信を持ってください」
「友達作りを優先してください」
ここ数年堕ちていく一方だから使える緊急機関を全て遣いこんで事情を話して過ごしていた。得ている収入の三分の一から半分をつぎ込んで、半日だろうが丸一日だろうが潰しても構わない勢いでいけるところはどこまでも行った。発作衝動的に何かするキチガイみたいだから精神系の病院は余すところなく行っただろうし、バイト先で尋常じゃなく手が震えるから検診も欠かさないようにしていた。カルチャー教室も行ったし、寄り合い所にも足繁く通った。それで、俺に言われる事。「キチガイ」でも「病人」でもないじゃん。
ほっとしたのも束の間。気が付くとつまはじきにされて窓際にいる。日向側でぼーとすることで時間も終わる。これじゃまずいからと内輪の集りに混ざるように努力もした。話を聞こうと興味関心を持ったり、合わないやつだと思いつつも必死に刷り合わせた。話が終わる頃、毎度のように自己嫌悪だから反省して言わないようにもした。何言われても放り出さないように歯を食いしばって居続けようともした。
俺自身も「神経質」なだけだと思っている。発作衝動で夜な夜な手の震えが止まらなくなろうが、今突っ立っている場所で何もかもぶち壊したくなろうが、診療やら相談やらを試すだけ試した上でだ。何も俺の主観だけじゃなく、窓口やら診療やらを受けたあとに言われる事でもあった。検査は問題ないし、素行も「酷い」わけじゃない。自分で状況説明出来るんだから、ただ「神経質」になっているだけだよ。
でも、何故かうまくいかない。周りは怖いまんまだし、偉そうとも、話がわかりにくいとも、会話ができていないんじゃないかとも言われる。誰かからは付き纏いとも揶揄された。そのたびに問題点を取り上げて、逐一直そうとも務めた。それとなく聞いてもみた。やはり「普通なんじゃないの?」といわれる。
それでもどこかおかしいのか、俺も周りも終始首を捻っていた。「俺」というキャラで通して毎度毎度面かけるか、そもそも面倒見させるのはお門違いだからやめようとも時には行き着いた。慣れたやつほどキャラで通せるけれど、どこか申し訳なさがあった。やれることはやっておきたいよなと考えを改める事もあった。反面、どこか全員そろって叩いているんじゃないかという「被害妄想」に陥ることもある。
誰にだってあるそうだ。俺もまた誰にでもあると思う。
だけれど、な。俺はどうしたらいいんだ? もちろん、誰も答えてなんかくれはしない。誰にも答えなんかわからないだろうし、どうにかできるものならもうとっくにやっていただろう。自分で考えろなのかもしれないし、すぐに出るのなら悩みもしないんだろう。……とか書くと俺とお前は同じじゃないとか返って来るんだろうけどな。
叶うなら一からやり直せればいいんだろうが、俺が一からやり直したら今より酷くしそうだ。こういうやつは他にもいるんだろうか?
http://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200904200014a.nwc
創造力にあふれ、発想も大変ユニーク。民主党の安全保障論議を取材していると、しばしばこんな皮肉を言いたい衝動に駆られる。
北朝鮮によるミサイル発射を受けて開かれた民主党の外務防衛部門会議。防衛省から、発射の誤探知の経緯や秋田、岩手両県に配備された地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の説明を受けると、リベラル系のある議員はこんな意見を真顔で言ったのだという。
「種子島から発射するロケットも、日本の島の上を通るのだろうから、これにもPAC3を配備すべきだ」
出席者の一人は、「あきれるというか…。『世界観』が違い過ぎてとても議論にはならない。でも、これが民主党の実態だ」とため息をついていた。
保守系から旧社会党左派までを抱え、「寄り合い所帯」「混ぜご飯」と揶揄(やゆ)されることが多い民主党にとって、安全保障問題はアキレス腱(けん)だ。
そういえばソマリア沖の海賊対策をめぐって飛び出した意見にも首をかしげたことがあった。2月初旬の部門会議では、自衛隊の派遣に極めて後ろ向きの議員が「イラクで日本人3人が人質になったとき盛んに『自己責任』といわれたように、ソマリアを航行するのは海運会社の自己責任ではないのか」と主張したのだった。それを伝え聞いた官邸関係者が「自衛隊を派遣させないための議論で、国民の生命、財産をどう守るのかの視点が欠落しているのではないか」と訝(いぶか)ったのも無理はない。
しかし、ソマリア沖では3月22日、商船三井の船が高速艇2隻から銃撃を受けた。海上自衛隊の護衛艦が、外国船から救援要請を受け、不審船に対処した事案も3月30日以降、すでに2件あった。求められているのは実態に即した現実的な対応だ。
政府の海賊対処法案に対し、民主党は15日、自衛隊派遣に国会の事前承認を義務付けた修正案の骨子を「次の内閣」で了承した。今後、法案作成と与党との修正協議を同時並行に進めていく考えだ。
最終的には政権政党たりうる海賊対策をまとめてくれると、民主党には期待したいが、もしいまだに党内で「海賊というのは漫画で見たことはあるが、イメージがわかない」(平田健二参院幹事長、1月20日の記者会見)といった認識があるのならば、望み薄だ。
http://anond.hatelabo.jp/20090408135620
横増田だが。
糖尿病患者には隠れて肉などを食べたり酒を飲んで、あげく逆切れする人が多い、というのは親戚の医者と看護士に聞いた愚痴だから訂正は無理。
そういった「愚痴」を他人に話をするときの根拠にするべきではないと思う。でないと以下の二点で人格を疑われる。
愚痴とは、議論をするときと違って、自分の気持ちを吐露し、相手に共感してもらうということでストレスを解消しようという行動だ。その場合、自分に不利になりそうな話は出さない。そうだね、それはひどい、と言った風に共感してもらうためのものだ。少なくとも、聞いている側が「これは愚痴だ」と認識できるほど明確であるならば、これは事実である。さらには、自分は悪くないとか、自分がいかに大変か、と言うことを誇張する傾向がある。それはそうだ。より共感してもらうためにあるのだから。
そういった話であるのだから、話す方も誰にでも言うわけではない。あ、この人ならば大丈夫だな、と言うのを無意識にかぎ分ける。そこには必ず信頼があるわけだ。ましてや看護師や医師といった、法的にも秘密を守るための義務がある事を承知している人々である。いくら特定の人を出さないとはいえ、そういった配慮は無意識にしていると考えるのが自然だ。
これは全く悪いことではない。むしろ、こういった仕組みを持っているからこそ人間というのは正常でいられる。潤滑油のようなものだ。また、自己肯定するためには必要不可欠なものだ。少なくとも何もかも自分が悪いとふさぎ込んでしまうよりはよほど健全である。だから聞く方は、これが愚痴であることをきちっと認識しているのならば、その場だけの話にしておくべきなのだ。
しかしながら、こうしたある意味生理的な、精神のバランスを取る上で出てくるような性質の話を根拠として言いふらす。はたしてこれがいいことなのだろうか。少なくとも、元増田にその愚痴を話した医師、看護師はこのように自らが無意識の上でも誇張した愚痴の話を、言いふらすことは本意なのだろうか。極端なたとえをするならば、あなただから見せるというセックスの場の性癖を、公に話しているようなものだ。
そして、話の出所が万が一割れてしまえば、その話をした人との信頼関係どころか、その人間にも被害を及ぼすことにもなりかねない。
そのような性質の話をほいほいとしてしまう。私はそれが信じられない。ましてや、今回のことはそれを言いふらすことで他人に被害が及ぶ話である。そういった話は、もう少し慎重にすべきである。せめて、愚痴であることと、言われたシチュエーション、そのニュアンス等々を明記すべきだ。それは読んだ人がその情報の価値を見極める上で非常に重要な資料となる。
極端なことを言えば、これだけでは
の区別がつかない。しかもどの段階の話かによって全く確度が違うのがわかるだろう。
インターネットは誰でも誰からでも見ることができる。そのことを自覚していただきたい。
小沢さんのとこがごたどたしていますが、いずれにせよ民主党なんか、なんの思想もない反自民の寄り合い集団に政権わたしていいことになるわけがないです。
とはいえ、安部、福田、麻生と、どうしようもない小粒をつぎつぎと繰り出す自民党に将来はありません。
どうでしょう。この際、野球やJリーグのように、我が国の内閣にも外国人枠を設けて、海外の有能な政治家をレンタルしてきてはどうでしょうか。
もう人種とか民族とか関係ないです、とにかくちゃんと政治をしてくれれば誰でもいいわけです。
トニー・ブレアとかビル・クリントンとかコンドリーザ・ライスとか、自国では一線を引いても、まだばりばりやれるでしょう。
定額給付金とか、タクシン・チナワットあたりを連れてくれば、速攻で実現しそうです。
年棒プラス出来高払いで、公約を実現できれば給料アップということにすれば、連中も本気で取り組むでしょう。
どうですか、この案。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000605-san-pol
民主党は3日、外交防衛部門会議を開き、アフリカ・ソマリア沖の海賊被害の実態について外務、防衛両省、海上保安庁からのヒアリングを行った。自衛隊法の海上警備行動で海上自衛隊の護衛艦を派遣するとした政府の方針に社民、国民新両党などが反対する中、民主党は依然態度を明確にできないままだが、会議では、いまさらのように「海賊の定義」を問う質問が飛び出すありさま。同党の海賊問題への対応の遅れが一層浮き彫りになった。
民主党は昨年12月に2回、部門会議で海賊問題について議論したが、年明けから政府・与党内でソマリア沖への自衛隊派遣論議が熱を帯び始めてからは初めての会議となった。与党が海賊対策プロジェクトチームを8日から13日の日程で現地視察のためにジブチやバーレーンに派遣するほか、自衛艦派遣の根拠となる海賊対策新法の整備に向けた作業も進めているのに、民主党はようやく対応の検討に入ったわけだ。
しかし、この日の部門会議では、足踏み状態から脱出したとはいえる議論はなかったようだ。藤田幸久参院議員が「海賊の定義は何か。犯罪なのか。テロなのか。組織性はあるのか」と外務省に問いただせば、谷岡郁子参院議員も「まず民間船舶会社の自己責任と国の責任の区別をきちっとすべきだ」と主張するなど、「そもそも論」が噴出したのだ。
同党は政府が新法を提出することを見据え、3月中にはスタンスを固めたい考えだが、寄り合い所帯ゆえに党内でも見解は真っ二つに分かれており、意見集約は容易ではない。自民党からは「民主党はいまごろ『海賊って何だ』という議論をしていて、大丈夫なのか」とあきれる声が上がっている。
どちらかといえば、かつては「二院制とか、意味ねえ」と思っていた。
しかし郵政選挙で衆議院の2/3を取った自民党が、その数だけで無茶苦茶な法案を提出し始めるわ、政権はたらい回しにするわ、まともに議会で話し合うこともせず強行採決を連発するわ、その上結局郵政反対派も粛々と自民出戻ってくるわ、と、ひどい有様だったところに、ちょうど参議院選挙が来て心から思った。
「ああ、チェック機能というのは、こういう非常の際に、はじめてそのありがたさが分かるものなのだ」、と。
私はかつての己の不明を恥じた。どちらかというとそんな非常時を招来させてしまったことを一人の大人として恥じる方が先かもしれないが、とりあえず胸をなで下ろした。
なんでこんなエントリを書くかというと、「参議院が害悪である理由:http://d.hatena.ne.jp/iteau/20081225/p1」を読んだから。ハッキリ言って一般論にぼかして書いているが、自民に優越していて欲しいというごくごくポリティカルな意識を背景に書いているとしか読めない。そういう語り方を、確かご本人は批判していたと記憶するのだが。
とりあえず、一般論としても批判しておくと、参議院と衆議院の大きな差は「解散」の有無にある。すなわち立法府と行政府の間に「ズレ」が生じていると感じるなら、速やかに解散して現時点での民意を問うことができるしそうするべきだ。それこそが衆議院の機能であって優越性の根拠でもある。
「ねじれ国会」をさんざん揶揄していたマスコミは基本的に馬鹿であって、国会がねじれて膠着状態になったときそれを解決する手段が「解散」なのであり、その手法を「党利党略から否定し続ける」内閣及びその所属政党こそが、国会の膠着状態に関する最大の責任者だ。衆議院とは「解散して民意を問うことができるから参議院に優越」しているのであって、「解散して民意を問わない衆議院」には存在価値がない。もちろん、国会議員たるもの始終解散に追いまくられては仕事ができない。だから解散の無い議員、という存在は必要で、それが参議院だ。すなわち「ずれを認識しながら解散しない衆議院は参議院に優越しない」。エントリ作者は「解散しない衆議院は害悪だ」と主張するべきであると思う。作者は
現状のように、両院で多数党が食い違っている時、日本のシステムでは、政府と議会が統一しているという議院内閣制のせっかくのメリットも生じず、かといって大統領制ではないので行政府は議会から独立しておらず、政権の無秩序化が生じる。
それをシステム上の欠陥と称しているが、こういう状況になれば速やかに解散するというのが本来の「システム」ではないか。従って論旨に従えば、欠陥とはこの状況でも政権に居座り続けることが許されるという方向について言うべきだと思うがどうなのか。
ついでに言うが、とりあえず自民は一度4年でも5年でも、政権を放棄するべきだ。ポリシーの異なる党の余勢にすがってみじめに政権に居座り続ける姿に、知り合いの元自民支持者は泣いているぞ。なんのかんの言って戦後50年日本を運営してきたそのポリシーには敬意を表するが、いずれにせよそれだけの長期にわたって政権に止まり続けることからくる弊害は、今やどうしようもないレベルに達している。
二世議員を廃せ、利権主義者をたたき出せ、そして保守中道の左派右派が現実主義的に対立するまともな政党として出直せ。
どうせ民主の寄り合い所帯は4年も持たないことだろう。多分、本当のところ今の国民が求めているのは、とてつもない新党とかではなく、まともになった「新(真)自民党」なのだと思うぞ。
まあそんなオレは共産党支持者なわけだが、「確かな野党」の向かい側には「確かな与党」があるべきだ。その意味で応援している(笑)。
ウチの場合も、いろいろあった。というか、ある。
それぞれの親同士で、近くに家を建てて住んでもらい、いざというとき面倒も見て欲しい、みたいなところがある。
ウチの場合、やっぱり分家として近くにウチをたてて欲しい、と思っているフシがある。
ヨメのほうも、同じようで、、家でなくてもマンションでもいいからやっぱり近いところに、というフシがある。
近所まわりのつきあいとかも、たいへんですよね。
村の寄り合いとか、葬式とか、ヨメがちゃんと出て行って手伝わないといけなかったり(やって当たり前、
やらんけら村八分)、行事なんかも参加するのはヨメだったりする。
主は仕事だとかで平日は遅いし、休日は仕事優先だったりして子育てもあまりできないだろうし、鬱だ氏のう、、
ってな感じになることは必至だな。
それ考えると、独身は気ままでいいよね。