はてなキーワード: めんどくせぇとは
仕事と子育ての両立とか、ママ友と小学校ハックの共有とか、化粧崩れの話とか、ガードルつけると体のラインが綺麗とか、そういう時に、「そもそもなぜ」は常に持っておきたい。「何故それを女だけが?」と。
当たり前を疑わないで、むしろそこに乗っかっていくのが賢い女だと「自主的に弁える」から男になめられんだと思う。(もっと酷いともう何も考えてないで周りがやってるからやる。定型女の究極体)
疑って声をあげたって馬鹿にされるけど、どうせ馬鹿にされるなら「めんどくせえ方」を選ばねえと何も変わらない。
馬鹿にされてる事を認めたくなくて「おしゃれとかあ!じぶんでえらんでますけどぉ!」って強がる女さえいる。じゃあ明日金髪のベリーショート舌ピアスにして来てみろや。できねえだろ。お前のオシャレなんか所詮他人に「世の中(特に男)に合わせます」というだけのものだよ。まったくロックじゃねえ。
女の話してるけど男も同じだから。めんどくさくなれない奴に明日はねえよ。めんどくせぇと人から思われる奴は実はすごい奴だよ。ストしてる奴とか。
世の中に合わせるのが賢い時代なんかもう終わったんだわ。生活のひとつひとつ、それこそ化粧のような細かい事、周りと同じレベルにしようとしてたら、チューチュー金と時間吸われて気がついたら人生終わり。
最近LGBTだのなんだのと話題になってるけど、個人的にどうでもいいじゃんってなるんだよな。
推進派は非科学的なイデオロギーを撒き散らすだけだし、反対派は身体面での医療面しか見てねーし、目くそ鼻くそ。
くだらねーな。
しかもレスバをやってる奴らの年齢層を見てみたらだいたい、推進派が30〜40代、反対派が40後半から50、60代ばっかだぜ?
こんなんばかりが意見を出して法整備ダー、人権ガー、子供ガーとか言ってんの……もう日本は終わりだわ。
その中にLGBT当事者とか居るワケだけど、だいたいデカい声出してるの男ばっかじゃん。
ときたま女居るけど、どっち側にしろそのコミュニティに属してる名誉男だろ、くだんね。
どちらにも溢れている俺にはどちら側に付いてもメリット無いんだわ。
だってアイツらが掲げる【ホントーに困っている当事者】はガン無視なんだもんよ。
LGBT推進派は、各々の性自認が最優先って言って身体面でのリスクを度外視するよな?
何言ってんだって、ホルモン剤の使用や性別移行手術が身体に良いワケないし、簡単に戻れるワケねーだろ。つか戻れねぇよ。
じゃあLGBT反対派の意見は正しいか?っつったらそうでもねぇよ。
アイツらはホルモン剤や手術の前にカウンセリングとか勧めるけど、現実的じゃない。
カウンセリング料って保険きかねぇんだから、高くてとてもじゃねーが継続的に通えねーよ。
性自認が揺らいでいる時期はずっと通うのか?
無理だろ。特にガキはよ。
推進派はメンタルしか見てない、反対派は身体面のリスクしか考えてない。
もうこれ議論にならねぇよ、アホくさ。
視点違いすぎ。
推進派の言う通りにしていたら問題解決するのか?って言われたらそうでもないし、絶対に将来的に健康面で影響ある。
反対派の言う通りにしていたら問題にはならねぇの?それも無理筋だろ。だってアイツら身体の健康面しか見てねぇもん、それだとメンタル拗らせて最終的には社会不適合者まっしぐらだろ。
そう言う奴良く見るしな。
どっちも極端なんだよ。
いかに自分達の資材を確保するかがLGBT論争の影に隠れてる感じする。
この資材ってのは言い方悪いが女子供の事な。
推進派は女子供にLGBTは多様性だ、認めない奴は差別主義者だ!
反対派は男を女スペースに入れるな!女スペースを守れ、子供にホルモン剤?とんでもない!
ただし性転換手術済は女スペースOK。
一般女「……え?」
…………もうなにも言えねぇ。
聞いたとしても、どっちも名誉男の女ばかりのだろ。
バカらし。
例えば推進派はGにも子供を持つ権利がある!だから代理母認めるべきとか言うじゃん?
ガキ欲しいならLGBTコミュニティの身体女に頼めば良いだろ、なんで一般人まで巻き込む?
なら反対派はって言うと産めない奴がなんでか、少子化が〜、子供産まないと日本滅びる〜とか言うんだよ。
これを30代からもうほとんどガキ産む機会が無い60代の奴や元々産めない性別の奴らが日々レスバしてんの。
現在を生きる20代とかの一般女の意見なんか聞かねぇの、不毛すぎだろ。
政府がやってる少子化対策とかもそうだけど、どいつも産む女の事考えてねーわ。
資材くらいにしか思ってないし、女の意見も鬱陶しい!なんだよな。
黙って子供産め。
これで資材じゃないならなんなん?
ちと話が逸れたが、LGBTとそれに絡んで来る話ってとにかく他人の女や子供の意見を空気化するんだよ。
無い事にしたあげく、双方の発言のケツをふかされるのは他人の女子供じゃん。
意味ねーよ。
この論争に参加するメリットってなんだ?
推進派にしろ反対派にしろ自分に都合良い事しか話さねぇんだからメリットなんてねぇよ。
推進派は身体に害がある事しかしねぇし、反対派は精神的に害がある事しか言わねぇ。
互いの主張から溢れていく人間達のアフターケアを一切考えてないんだよ。
良く見る話だと子供にジェンダー肯定医療はやるべきじゃないって意見あるけど、じゃあ性違和で苦しむ子供どーすんの?
思春期はジェンダーなんて決まらないものって放置するけど、それを拗らせたのが今のLGBT推進派だろ。
利権でやってる奴だけとか言うが、たまにガチもんな奴居るじゃん?
子供が抱く不安とか反抗期とかキチンと解消してやらねーとあぁなるじゃん。
スクールカウンセリングを受けさせろって言うが、この間、スクールカウンセラー足りませんってどっかの団体が声明出してなかったっけ?
じゃあ反対派の意見を通すか?それって女が大嫌いな家父長制だろ……ますます今の女が議論に参加なんかしないし、参加してるのは家父長制の中で生きて来た名誉男の女だけだろ。
……うん、くだらねー、参加する価値無し。
双方から大ブーイングを喰らったキ〇シーの方がまだ中立に見えるぞ。
俺はこれからどれだけ犠牲が出ようとLGBT関連は見てるだけにする。
特に意見とか言わないし、推進派反対派共に距離を置く。めんどくせぇもんアイツら。
ごちゃっとしたが、10代20代の女子供はこの先の身の振り方考えた方が良いぞ。
LGBTがどちらの方向に進むにしても、ソイツらのやらかしのケツを拭くのはまったく関係無いお前らになる。
これだけは確実に言える。
これだけ残して、俺はログアウトするわ。
俺は、爺さんと親父と2人の車いすを押してきた人間として、映画館の対応で炎上している今の騒動を複雑な気持ちで見ている。
単純な話として、もし自分の働いているところにああいう車いすユーザーが来たら、表面的な対応は別としても内心では腹が立つ。これはもうしょうがない。
クソみたいなクレーマーは多いし、ちょっとこっちが仏心を出すとそこにつけこむクソ客も多い。
とりあえず言ってみて通ればめっけもん、一度通ればそっからはソコを最低ラインとしてさらに言う、対応できなきゃ文句を言う。対応する側としてはクソ客以外の何物でもない。
ただ、そういう対応する側からすると速やかにおかえり願えないかなと思うようなゴリゴリ押してくる車いすユーザーが先陣を切ってくれなければ、変わらなかっただろうな、とも思う自分が居る。
爺さんの時は、俺も車いすを押したが、主に調べたのは親父やおふくろだった。
何を調べたか?外出する際のすべてだ。
移動手段から、途中の休憩所、行く店や行きたがりそうな店、レストランや喫茶店、経路上にある公園のトイレに至るまで全部だ。
そんなん普通にしてれば良いじゃんって思うかもしれないけどそうじゃない。
車いすを押す側としては、車いすユーザーって言うのは、おおむね3つのパターンがある。
爺さんは、2番目の支えられながらなら乗り換えできる、だった。いわゆる介助が入ればベットから車いすへ、車いすから椅子へ行けるってやつだ。
それでも、爺さんのころは相当面倒だった。
今回の件で多少は周知されたようで何よりだが、車いすにとって段差は割と致命的だ。
出張で使うようなキャリーケース、無理したら行けるような段差があると思う。アレが致命的なレベル。
想像してほしいのは、女性だと両手で押して限界って感じの巨大なスーツケースだ。アレに近い。段差即詰んだって感じ。
それでも、先人のおかげで都内ならかなり自由がきいた。事前に連絡しておけばバスもJRも問題ないし、問題がある場合(エレベーターが無いとか乗り換えが面倒とか)でも教えてもらえた。
店もまあまああったし、爺さんが好きな美術品なんかも、まあ結構柔軟に対応してもらえるところは多かった。やはり大手に限られるけど、飛行機もなんとかなった。
とはいえ、気苦労は多かった。昔の人に比べたら事前準備さえすればできることは格段に多いとはいえ、家族としてはやはり一大イベントにならざるを得なかった。
これが、まあ平成後期や令和になってからの親父の時は、相当に楽になった。
例えば行きたい美術館が車いすOKって書いてあったら、特に調べず一発行ってみっかで行って詰むことはほぼ無くなった。
流石にバスやタクシーの時は事前に確認の連絡を入れたが、親父の時は車のトランクに入る折り畳みの車いすを使っていたこともあり、何だったら普通のタクシーでも捕まえれば乗れたりした。
JRなんか事前連絡なしで行っても対応してくれることが多かったように思う。爺さんの時には考えられないスムーズさで対応してもらえた。
チェーン店のレストランなんかだと、よっぽどのことが無い限り車いすでも特に問題無く食事できるようになった。ホテルのレストランだと親父の時に断られた記憶は一度もない。
店からすりゃ面倒が増えたんだろうけど、こっちが事前連絡なしでいきなりいっても対応してくれる場所や店は相当多かった。
親父は最終的には3番の、車いすからはプロに頼まないと(家族であっても)乗り換えできないようになった。
なんかゲーミングチェアーに自転車の小径車タイヤが付いた装甲車みたいなゴツイ車いすに、酸素ボンベと薬を積んで、きつかったらボタン押して薬が自動で入る、みたいな状態でも出かけた。
これは、相当に制限がかかる。移動はほぼ専門の介護タクシーを呼んでなんか自動エレベーターで後ろに積み込まれるみたいな状態でないと難しかった。
それでも、だ。
そんな折り畳み車いすの何倍もでかい状態であっても、結構な場所には行けたし、なんだったらレストランで食事もできた。
まあ流石に予約するときに車いすで結構デカめなんすけど、みたいな話はするが、サイズを伝えて問題になることはほぼなかった。
驚くなかれ、博物館や美術館だと、事前に確認さえとっときゃ普通に行けることもあった(さすがに特別展とかにはいかなかったが、常設展だと普通に行けることが多い。ただ流石にこれは個別調べてくれ)
で、こっからが本題だが。
くだんの映画館の件は、まああり得ないだろう。善意にフル乗っかりした上で、責任取れないんでムリっすって言われて逆ギレしてるようにしか見えない。
ただ、だ。
ああいう、もークソ客きたよめんどくせぇなーと俺が思うようなユーザーがいないと、商業施設なんか一ミリたりともお金出して改善する気が無いのも確かだ。
いま、都内の大手の映画館で、車いす席がないシアターは無いと思う。これは俺からすれば画期的だ。正直な話親父とも何度か映画は観に行った。普通に行けたし苦労もなかった。
(まあ、さすがに初回は調べて問い合わせは入れるし、パンフを買う時に親父にはちょっと待っててもらって俺が並んで買ってくる、みたいなのはあったけど)
そしてたぶんだけど、ああいう(もし俺が対応するとしたら内心思う)しちめんどくさい客がいないと、車いすの客が使えるようなプレミアムシートとかアップグレードシートっては、未来永劫設置されない。
ギリギリまで車いすで移動して、あとは家族が介助してなんとか歩けて椅子に座れるって状態なら、飛行機のビジネスにだって乗れるこのご時世に、映画館のプレミアムシートはやたら階段を昇った先にしかない、とかは普通にある。
(ちなみに、探すと車いすでギリギリまで移動して家族が介助すると座れるプレミアムなシートがある映画館も存在はする。主にゆったりできるって理由で階段で移動しなくて良い場所にたまたま設置されているからだが)
この辺は、車いすユーザーを通常より優遇すると悪さする奴も出てくるんで、多少難しいところはあると思う。
海外なんかだと、車いすユーザー+介助者1名だけは別ルートで入れてくれるけど、それ以外の家族は別に並べ、みたいなところは結構あった。まあこの経験は爺さんの時なんで今は違うかもしれんが。
そういう意味で、爺さんは海外では車いす特権じゃないがプレミアムな体験を親父としてたりした(なんなら家族の俺もその恩恵にあずかることもあった)が、国内では優遇されてやっと普通と同じ、という感じではある。
複雑な気持ちなんでまとめようもないんだが、まあそういうことだ。
労働者としての俺は、ああいう客が来たらほんっと勘弁してほしいと思うし、心底はよ帰ってくれんかなーと思う。
また、将来的に車いすユーザーになる可能性が高いだろう俺は、車いすに余計なヘイトをかってくれるなよ、とも思う。
ただ、わがまま放題で主張しまくりで、いわゆる健常者が出来てるプレミアムな体験を俺にも寄越せ!と叫ぶ先駆者がいてくれないと、変わんねえだろうな、とも思ってる。
まあそういう意味ではね、プレミアムな車いす置き場と介助者シートを作って、倍の値段で予約してくれれば良い体験で映画見れまっせってのは、都内ならたぶん予約途切れないと思うんスよ、どうスか?
くらいが関の山ではあるんだよね。実際、マジでめんどい客がいてくんないと世の中変わんないからなー
俺が今回の件で、自分の目の前に来たら正直クソ客帰れよと思ってしまうのと同じ心が、あんまり叩いてくれるなと強く思うのは、これって尊厳死が消極的安楽死から一歩踏み出す時にすごく怖いからなんだよな。
いるじゃん。医療の補助なしで命が繋がらないならそりゃもう寿命なんだって言うヤツ。アレ嫌いなんだよね。爺さんも親父も医療の補助無しならもっと早くに何もできずに死んでた。
間違いなく爺さんも親父も、五体満足で生きてる人に比べれば、社会のリソースに余分な負荷をかけていってみりゃ娯楽だの余生の楽しみだの、別に本人が望みさえしなきゃかけなくて良い負担を社会に強いてたわけだよ。
でもよ、いやじゃん車いすになったとたんに、趣味だった美術館巡りがさ、常設展のこの区画ならお楽しみいただけますが、車いすの方はこちらの別館はちょっと……みたいな状態はさ。
そういう時にさ、なんだよ健常者様ならプレミアムなシートで映画見られんのに我々車いすのユーザーは端っこで見ろってのか!って激昂する人が一定数いてくれるとさ、声上げてくれる人がいるとさ、助かるわけよ。
繰り返しになるけど、俺ですら目の前に来られたら嫌だよそんな客。でもさ、そういう人がいてくれるからこその、今、とも思うんだよね。複雑な気持ちよ。
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X(旧Twitter)上で、車いすユーザーの問題じゃない、いや障害者問題ですらない、彼女自身の問題だ、みたいなポストを見ちゃって流石にちょっとそれはと思ったんで記録がてら追記しに来た。
まず想像してほしいんだけど、彼女が五体満足で「プレミアムなシートで映画見まーす。イエーイ」みたいな投稿するクソ陽キャだった場合なんだけど、炎上はしないと思うんだよね。
毎回プレミアムで映画鑑賞かよクソが、と、俺は思うかもしれないけど、それぐらいなんだよね。
だからこれはまごうことなき車いすユーザーの問題なわけよ。車いすのクソビッチはプレミアムなシートで映画を見ることが出来ないという問題。車いす専用スペースはあるけどプレミアムじゃない。
ほんで、あんま主張するのが得意じゃない車いすユーザーだった俺の親父とかは、映画がスムーズに見られるだけで感動して、席次(?)に文句を言うようなことは無かったわけよ。実際ありがたかったし。
でもさあ、もしプレミアムなシートでも映画観られますよっていわれたら、そっち選んでたと思うわけよ。やっぱいい席で見て欲しいじゃん。
まあわかるのよ、まったく同じにはならんだろうってことは。俺だって普段は労働者側じゃん。身内にいて苦労した経験があったとしても俺が対応するとしたらゲェって思うわけよ。
でもこれもさ、過去「映画観るのは遊興なんだから、車いすユーザーはそこまで求めるの贅沢じゃね?」みたいなのを乗り越えてきてくれた人がいたからこそ、スムーズに親父は映画を観られたわけよ。
だってさ、不要不急かつ生存に必要なわけじゃないじゃん。代替手段として例えばいまならストリーミングサービスとかもあるわけだし。
でも、車いすユーザーが映画館で映画が見られる。どっかで引かれてたラインが、良い方に移動したわけよ。
で、こっからが重要なんだけどさ、わかるよ、正しいルートで正しい手順を踏んで、ちゃんと段階を踏んで法律とか条令とか、企業の努力に訴えかけたりメリットを訴えるって方法があるのは。
でもさ、ほんとは高校デビューしてアタシもビッチとして青春を謳歌してみたかったなみたいな、世間一般で言うところの常識的な車いすユーザーとかさ、その後ろにけっこうな数いるわけよ。いやすんごい良くなってるのよ世の中。
でも、車いすだっていうだけで、できないことがあるのは事実なのよ。正規の手順で正規のルートで訴えていくことが出来る中学生がいたとして、彼ら彼女らの青春が終わる前にプレミアムなシートで映画を体験できるようになりますか?という。
だから、俺個人としては止めて欲しい、もし自分が同じ立場だったら申し訳ないんですが車いす専用スペースで見てくださいプレミアムなシートは席のご用意が無いんですスミマセンスミマセン上に要望は上げるんで、という感じになると思うのよ。
それをぶっ飛ばして、いやプレミアムシートの下の段に自力でスロープで上がるんで、介助者連れてくるんでええやん、みたいな人が居てくれるとさ、いやーそれはどうなんだろちょっと上のものと相談しますね、みたいになると思うのよ。
それがさ、もしかすると、今回の件で、介助者がいて避難誘導時に介助者が誘導補助をするなら、通路に面したシートに普通に座っても良いですよ、となる可能性だってあるわけじゃん。
その結果、車いすユーザーを含む高校生活を楽しむグループが、横一列で映画館で映画を観ることが出来るかもしれない。そういうのがあると良いな、と思うわけよ。
あと見かけたのでは、リソースが有限だからっていう理屈。俺は嫌いだ。
健常者が普通に出来ることが、障碍者なんだから制限受けてん当然、みたいなの、俺は嫌なのよ。
災害時にリソースが足りないのはわかる。避難所では人工透析が出来ないです、インスリン注射も補給できないです、車いすユーザーは車いすを館内に入れないでください。ある程度制限がかかるのはしょうがない。
でもよう、労働者としての俺がさ、いやだってキミ英語も中国語も喋れないじゃん、リソース有限なのよわかる?英語も喋れないようじゃ家は買えないよ常識的に考えてとか不動産屋から急に言われるのとか嫌だよ。
外部環境に左右されるリソースって単語で、日常生活に制限かけられるのは、やっぱ嫌だよ。
車いすユーザーはあんまありがとうとか言わないよな、ありがとうっていうだけでそんな大変?ってのはなー
生まれ育ちや頻度にもよるから何とも言えないんだけど、五体満足である俺ら側が許容してあげる度量は持ちたい。
俺は一回爺さんに言われてやってみたことがあるんだけど、右足と左足を動かすたびに、心の中でいいから右足と左足にありがとう、助かったよみたいに声をかけてあげるの一週間やってみてくれよ。
あ、いま右足で体重支えてくれてありがとう。階段上ってくれてありがとう。止まれて助かったよ。ドア閉めてくれてありがとう、踏ん張ってくれて助かった、立ち上がってくれてありがとう、靴下はくとき位置移動してくれてありがとう、寝返り打てたよありがとう。
俺は3日でギブアップ。確かにこの頻度や感覚でありがとうを言わないといけないんだぜって言われると、それはしんどい。だからしてもらって当然と無感覚になっちゃう人がいてもしょうがないと思う。
あ、見てて気の毒なくらいありがとう、ごめんなさいねっていう人もいるよ。それはいるって。
あと、俺の書き方に配慮が無かったって話(大意)。それは申し訳ないことをしたと思う。
例えば、そもそも配給会社に言うしかないタイプの障害を持ってる人がいるのも知ってはいたけど書かなかった。
その結果、心無い言葉に触れてしまった人がいたのはほんと申し訳なかった。
視覚に障害がある人が映画を観るときに使う音声ガイドがある映画とか、
聴覚に障害がある人が映画を観るときに使う字幕メガネ貸し出しの映画館とか、
そういうのがある。
映画は何も晴眼者で健聴者であるものだけが楽しむ娯楽じゃない。でもそこが十分にフォローされてるかっていうと、たぶんされてない。
そういう意味で、車いすユーザーはある程度わがままを言っても身の危険を感じることが少ないっていうのは、確かにそうかもしれない。
最後になんだけど、俺はそういうクソ客はクソがと思うし、めんどいと思うし、俺の目の前に来たらやっぱ嫌だと思う。
あと、法律はそうなってないとか、車いすの作りがそうなってないとか、そういう対応にコストがかかるとかも、わかる。
ハイ今はそういう意味じゃないしそうなってないでーす、バーカバーカじゃなくてさ、
じゃあそれは良い方に変わったら良いね、という風に思ってはくれないだろうか。
車いすユーザーもプレミアムシートで楽しめると良いね、ただクソビッチはむかつく、という風に分けて考えてくれないだろうか。
でもたぶん分けて考えるの難しいよなあとも思って、複雑な気持ちは今も変わらない。
26女。職場で男性社員と喋っていたところ、表題のようだと同期女子から言われた。
聞いてみると悪意がある意味ではないみたいだが、質問の辿々しさやゆったりした感じ、当たり障りない感じがそれを想起させるみたいだ。
例えばランチ中、
「パンが好きなんですか?」
「好きですよ!これは〇〇のところで買いました!」
「そうなんですね、美味しそうだから買ってみたいです!」
…という当たり障りない感じ。
雑談や世間話、間を埋める会話をすると同性以上にとても緊張してしまう。
タメ口も苦手で常に敬語。あまり20代ぽくはないし、人を寄せ付ける話し方ではないと自分でも思っている。
二人きりでもない上に、男性社員に恋愛的な好意があるわけでもないので全くの誤解なのだが、変な噂が立つのを懸念している。
内向的でフランクに話せるタイプでもないし、変に明るさを意識して失言するのも失礼だし、関わりづらいと思われても今更変わるのもアレだなあ、、、
実在する人間を推しと呼ぶ界隈にいるんだけどオタクが事あるごとに「推しててよかった」とポストしてる。
この言葉にすごく違和感があって、見かけるたびに良し悪し(利害や損得)で推しているのか?「推さなきゃよかった」もあるのか?と思っている。
義務的なものを感じてしまうのが違和感の原因だと思う。これを「推しを好きになってよかった」「推しと出会えてよかった」と置き換えると気持ち悪さを感じないので動詞としての「推す」のせいなんだろうけど、「推しててよかった」は今挙げた置き換えた言葉と同じ意味なんだろうか?
書いてて思ったけど、推しを推してない人へのマウントのようにも捉えられる気がする。推しが誉れ高いことを誇りに思ったり嬉しくなったりする気持ちもあまり分からないので、これとも繋がっているかもしれない。
昨日はクリスマスイブだった。
実はチキンとケーキを食べてお祝いするのは先週末に既に済ませてしまったのだが、父が気を利かせて小さなケーキを買ってきた。
ワクワクしながら食べるのを楽しみにしていると、母が驚いたように声を上げた。
「これ、アレルゲンが入ってるでしょ!なんで買ってきたの!」
弟は食物アレルギーを持っていて、それが含まれている製品だったのだ。
とはいえ、弟のアレルギーとはもう十年以上の付き合いになる。父もそこに気を使わない程馬鹿ではなかった。
「ちゃんと聞いたよ!Aさんに聞いたら、入ってないと言ってた!」
「でもこれ入ってるもの!」
実はそのケーキ屋は母が昔パートで働いていた店で、店長をはじめとした従業員とも知り合いだ。
内部的な事情を知っていたり、従業員とも深い付き合いがある。Aさんというのはベテランの従業員だ。
母は以前Aさんと話し、このケーキにアレルゲンが混入している事を知っていたのだ。
「でもAさんがそう言ってたんだよ?入ってないって。ちゃんと確認したんだよ?」
数分後、母がAさんとの電話を切って戻ってくると、やはりアレルゲンが混入している可能性が明らかになった。
どうも正確な所ではバリバリ使っているのではなく「まあ色々混ぜてるからそれも混ざってるかも」程度のものだそうだ。
「でもAさんに直接聞いて入ってないって言ったんだよ?なんでそんな事になるの?」
空気が悪くなり始める。アレルギー本人の弟は非常にばつの悪そうな顔でうつむいていた。こいつが一番かわいそうだ。
容疑者を整理する。
①母と事前に会話したはずのアレルゲン入りケーキを買ってきた父
②念を押しておかなかった母
③何故か父には入ってないと答え、母には入ってると答えたAさん
……いやどう考えても③だろ、絶対Aさんだろ悪いのは。食品を取り扱う人間としてやっちゃいけないでしょ。
にも関わらず、母はなぜか父に文句を言い続ける。
父は「アレルギーへの姿勢がこんな曖昧な店ってどうなの?危なくね?」という話をしている。淡々としているが口調に怒りが込められている。
だが母だけはなぜか別の話をしているのだ。「私の話を聞いてない!」が論点なのだ。
明らかにAさんが悪いのに、気付いたら夫婦間の喧嘩に発展していた。
っっっっめんどくせぇええええ~~~~~そんな事より今にも泣きそうな顔してる弟の事考えてやれよ!!と思う自分。
クリスマスの気分は最悪だ。
ちなみに最終的にどうしたかというと、飲み物を取りに行くフリをしてキッチンの戸棚の取っ手を破壊してみた。
そんで「たーいへーん!!!壊れちゃったーー!!」と騒いだ所喧嘩などなかったかのように流れていった。簡単なものだ。取っ手もネジ締めれば直るしな。
ケーキは疑わしい所だけ切り落として食べる事にした。弟に症状は出なかった。
上司が出張のたびに、生めんタイプのラーメンをお土産にくれる。九州だと豚骨、北海道だと魚介スープのやつ。
美味しいとは思うんだけど、麵だけじゃ味気ないから色々と具を用意しないければならんのが面倒くさい。
面倒すぎて、たまに麺だけで食うけどすごく悲しい気分になる。フリーズドライでいいから具も同梱してくれ・・・
このタイプのお土産って、料理好きか主婦が自家消費用に買う以外に需要ないんじゃない?他人にあげるようなヤツなのか?
とにかく、お土産を手渡された瞬間に面倒くさい気分になってしまう。ありがたいが、面倒なんだ。
だから、九州行ったときは通りもん、北海道行ったときは白い恋人でいいよボス・・・・
あぁ、そうだ、中部行ったときの赤福も。12個1パックのヤツ。勘弁してくださいボス。皆で分けるのが超面倒です。ゆかりとかにして。
オナラをするたび夫に「も~!汚い!」と言われる。
他人に屁をこかれるのも、他人の前で屁をこくのも嫌だけど、家族なら別によくない?というのが私の考え。自分の家でくらい自由にオナラをしたい。
人前でオナラをすべきではないことは物心ついた頃には理解していたし、両親は私に家の中では好き勝手屁をこかせてくれていた。
あまりにも豪快な屁を5連発くらいすると苦笑いされたが、過剰に反応されたことはなかった。私以外の家族も自由に屁をこいていた。
母はさすがに私ほど好き勝手ブゥブゥ言わせてなかったが、それでもぷすぅ~くらいの控えめな屁をしている姿はよく見かけた。父も兄弟も特に悪びれることなく気持ちよく放屁していた。犬も時々オナラをしてはその音に自分でびっくりしていた。猫はあんまりオナラをしなかった。
今の夫となる人と付き合い始めた頃、当然最初のうちはオナラなどしなかった。
彼も「君の前でオナラするの恥ずかしい…」と初心ぶって屁は控えていた。
まあそれも半年もしないうちに徐々に彼がオナラを解禁していったので、私もいいか~と自由放屁運動の流れに乗じた。
私は夫が目の前でオナラをしても特に反応はしない。とんでもなく臭ければ「臭い~!」と言ったりはするが、夫自身の方が「臭い臭い」と騒ぎ立てて換気したりする。
夫は自分のこく屁にもうるさいが、私がこく屁には毎回「もー!汚い!臭い~!」といちいち反応する。
屁というものはそんなに毎度毎度筆舌に尽くしがたいほど臭いわけではない。無臭の屁もあろう。大して臭くない時でも「汚い!」と騒ぐ。
私の下半身が分厚い布団に入っている状態で屁をこいて、ほとんど匂いは漏れてこないはずなのに、夫はわざっわざ距離を取ってあまつさえ扇風機までまわしはじめる。(夫は同じ布団には入っておらず隣にいるだけなので、布団の中で私の屁と同梱されているわけでもない)
夫も屁をするなと禁止してくるわけでもないし、怒るといってもおふざけ程度の言い方ではあるのだが、こうも毎回反応されると正直面倒くさい。屁だけに。
特大ホームランを放った時だけスクープしてくれればいいのに、バントでもいちいち号外を出されてる気分だ。野球知らんけど。
何故夫はここまで屁に過敏に反応するのかを知るべく、
夫の生家では家族の放屁活動はどのように行われていたのかを聞いた。
父親と夫は自由にオナラをしていたが母親と妹の放屁音は聞いたことがないという。また、父親や夫がオナラをするたび母親に注意されたらしい。
放屁の自由がない家庭で育ったがために夫は屁に不寛容になり過敏に反応するわけだ。
夫自身も母親に注意されるたび、「オナラくらいで」と思っていたのに、いざ自分で家庭を築き、そこに屁を取り締まる人物がいないと不安になってしまっての放屁注意委員会だったと言うわけか。そう言えば私も「鏡は表向きに放置してはいけない!」と実家で母に注意されるたびめんどくせぇ〜と思っていたが、実家を出てからは自主的に鏡は裏向きに置くよう心がけるようになったな。
更には夫の生家では女性で屁をする者はいないため、私に強く当たっているというのもあるのだろう。
だからこそ私は強く、自分の家庭内での男女放屁均衡法を訴えていく決意をした。
皆さんはご家庭でどのように屁をしてお過ごしでしょうか。
コロナ禍になり飲食店、特にビュッフェスタイルの飲食店はビニール手袋着用、マスクをして料理を取りに行くことがマストになった。
唾が飛ぶ?接触感染?知るかそんなもんめんどくせぇ!とは思っていたが流れには逆らえず従うことに。
0.01mmですら嫌なのにマスクや手袋の着用はとにかく面倒くさいし、感覚がおかしくなるしで苦痛だった。
早く終息して欲しいと思っていたのだけど今年に入ってから徐々に飲食店も緩くしていき、
↓
手袋したい人はして
↓
の流れになった。あれは店員さんとしても面倒臭かったのだろう。しかしだ、ここにきてある問題に直面した。