はてなキーワード: 学級委員とは
http://anond.hatelabo.jp/20111027120538
を読んで考えた。
俺の場合は、子供の頃から兎に角もてた。イケメンだったわけじゃないと思う。小学校では、成績が良くて、性格も積極的で(運動は中の上ぐらい)、毎年学級委員に選ばれるクラスのリーダータイプ。同学年だけじゃなくて、上級生や下級生の女子からも人気があった。
そのままずっともて続け、社会人になってもやっぱりそう。でも、元増田と同じく、やっぱり面倒くさいことはいくつかある。
まず、同僚や友人として女性と親しくなってくると、アプローチがかかってくる。で、告白されたら負けだ。付き合う気はないので、断らなきゃいけなくなり、そうしたら同僚や友人としての関係すら壊してしまう。結果的に、女性になるべく近づかないよう振る舞うことになり、お前ひょっとしてアッー!なの?と勘ぐられるぐらい女性を避けている。一応言っとくと、女は好きだし、やることもやっているんだが。それに、もてることはやっぱり気分が悪いものじゃない。ただ、女性と普通に仲良くできる男が羨ましい。
次に、男からの嫉妬がある。特に上司や先輩。嫉妬を避けるために、わざと野暮ったく振舞ったりして、とにかく爽やか二枚目キャラではないように振る舞っている。女性を意識して避けてるのは、嫉妬対策でもあるかもしれない。
でも、こんなことは小さな事かもしれなくて、一番面倒臭いのは、自分自身を変える勇気が出ないこと。社会人になった今ももてるのは、背が高く、大学は日本最高レベルの所を卒業し、就職先も普通に羨ましがられる所だからかもしれない。昔はやった言葉で言うなら、三高っていうのかな? でも、俺自身では、小学校の時から変わらない俺の性格やキャラのおかげでもててるんだと感じている。学歴や仕事はまわりにいる奴も大体同じ。俺よりもイケメンは大勢いる。その中でも特に俺がもてるのは、やっぱり性格やキャラ(この文章を読んでも感じられないとは思うが)なんだろう。そんな俺でも、仕事で壁にぶち当たったりして、これからさらに難しい仕事やっていくためには、今までの性格変えなきゃと思うことが多い。でも、やっぱり踏み切れない。何か、今まで性格で得してきたような気がするから。
まあ、あれだ。もてる男に悩みがあるんだから、もてる女にも悩みがあるっていうことは、よくわかるつもり。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110106とhttp://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080203を読んで思った。
自分とこのブログに書くと容易に身元バレするんでこっちに書く。
僕はろくでもない中学校にいた。県下で有名な、警察もうちの中学の名前を出すとしかめ面するような学校。
そして、僕はそこの現実をとても興味深いと思い、世の中をわたるすべも覚えた。
定期試験の最中に後ろの席のヤンキーに答えを見せるのくらいは当たり前。
放課後の教室でセクースしていたヤンキーアベックを学級委員として見過ごさせていただくとか。
ヤンキー男に絡まれてたかられたらその男と肉体関係のあるヤンキー女子に頼み込んで許してもらうとか。
そういうのをたくさん覚えた。ついでにそのヤンキー女子に筆おろしをしてもらったのは秘密だ。
美形でおっぱいの形もよかった。
でも僕はそういうのが嫌で、ちょっと離れた私立男子校に入学した。
入学したはいいものの、中学校で勉強しない癖、馴れ合う癖を覚えていた僕には、
受験少年院と言われていたその男子校の生活になじむのに1年くらいかかって、
もちろんその間の成績は最底辺だった。
今思えば東大に10人も入れないごくごく中堅レベルの進学校だったんだけどね。
最終的にはその高校を首席で卒業して、たぶんちきりんさんの通った大学に後輩として入学した。
そこからが大きな違いだと思うんだけど、僕はその大学での生活をとても楽しんだ。
“選ばれた人達だけで構成される集団の嘘くささ”はひしひしと感じたものの、
その嘘くささそのものを、僕はずっと追っかけて勉強してきたんだと素直に思えた。
その嘘くささが楽しかった。
中学や高校では得られない知的な刺激が多い友人たちとの会話に、自分がこれまで知らなかった世界を見た気がした。
アルバイトもたくさんした。もちろん時給3000円の家庭教師もした。
お父さんもお母さんも僕に頭を下げたけど、当たり前だと思った。何しろ僕は頭がいいんだ。
だからKDDのオペレーターやセブンイレブンや居酒屋で働こうなんて思わなかった。
効率よく家庭教師をやり、ついでに家庭教師の派遣業みたいな会社の立ち上げに関与し、
儲けたお金はぜーんぶ青短のFカップと立教のCカップ(処女)と上智のAカップ(処女)と昭和女子のビッチと東京海上の一般職OLとJALのスチュワーデスに使っちゃったけどね。
就職活動は、法学部だったから、当然のように国家公務員試験を受けた。
だって、うちの大学にきて、国家公務員試験でないと意味ないでしょ。
民間の就職活動もしたよ。都銀が人気だったから都銀の内定ももらった。
就職活動を本格的に始める前にはBCGからもお手紙もらったよ。
僕はそれが何か知っていたので遊び半分で試験を受けに行って、準備万端のICUの女子と上智の小賢しそうな男に負けて面接で落選した。
そしてそれから10年くらい経って、今はたんなる平凡な・・・だ。特筆すべきことは僕の人生に何もなかった。
みんなが好きで、みんなが目指す道を歩いてきたのに。
やはり人生は、迷った時にはマイノリティに身を委ねるべきだ。もちろん、それにふさわしい能力を身につけていることが前提だけど。
俺の通っていた小中学校(公立)は
特出したレベルの虐めっこの親は全員ヤクザで(朝鮮人多い)半殺しとかしてて
次の虐めっこは学級委員とかするタイプで、ネチネチ悪口言ってトイレで水かけて逃げる(男も女も)ような奴らで
嫌われ度は断然虐められっ子>>>>>>>>>虐めっ子だった。
どっちの虐めっ子も、楯突いたら損、擦り寄っていないと損をする世界だったからな。
どこでも虐めは存在したけど
苛めっ子>>>>>>>>>苛められっ子
これは残念ながら一度もお目にした事がない。
大概虐めるのは権力があって狡猾な奴で
虐められるのはドンくさくて後ろ盾がない。
妻と昔話をしていたとき、自分がよく学級委員をしていたという話をした。(not自慢話)
すると、学級委員なんかになるなんて信じられない。人に押し付けられて、断れないから
そうなんでしょ。それがいまだに続いてるからあんたは駄目なんだ。とか、
学級委員なんかになる人は、自分の満足のためにやってるだけで、なんにもえらくない。
等々いろいろ言われました。
それ以来、その話題はタブーにしてます。基本的に人の嫌がることをすすんでやる(いい方の
そういえば、何か手伝ったとして100%こなせなければ、99%Okでも文句を言われるのが常です。
それが大したことでなくても。奥さんではありながら、価値観の違いに驚かされます。
なんか怨みでもあるんですかね?
まずはじめに私のスペックを書きます。都内で四本の指には入る私大卒(ミスコン経験、でも落ちました!)、20代半ば、普通のOLです。趣味はホットヨガ、ネイルアート、あとスポーツ観戦とか? 食べ歩きもします、あと読書や映画はめっちゃ好きで、卒論はラテンアメリカ文学でした。
さてここで嫌気が差した方々、おめでとうございます、あなたは非リア充センターポジションです。
そしてさらに煽るようなことを。
今までの彼氏の数は3人(今も続いてます)告白されてきた数は多分20ぐらい。合コンは行ったあとはメールがいっぱい来ます。肉便器と言いたくなった非リア充さん、いままでに付き合ったことのある人数を教えてください! ヨロシク!
いわゆるモテる・スイーツ・でも付き合いたい、よく言われます。かわいい、賢いね、機転が利くね、よく言われます。付き合って、よく言われます。男友達、女友達ともにたっくさん、それが私です、ごめんね~! リア充でぇー。(甲高い後輩の声で)
さて、世の中にリア充しねば、という人々が蔓延っていますが、その人の言葉はどうしようもなくねたみやうらみ、そねみでみちあふれていますことね? 私もそんな中の一人でした。少なくとも、中学校までは、フツーにいじめられてました。いや、嘘じゃなく。しょうじきにいえば、中学の卒業アルバムに、先生しかコメントかいてくれてないです。(捨てたよ!)
さてこっからいじめられた経験についてお話しましょう! 私、小学校から中学校まで、友達、いませんでした。そんでもって、普通に男子にきめぇきめぇ言われてました。いじめられた経験がある人ならわかると思いますが、いじめをしてくる異性というのはただならぬ恐怖心を植え付けます。
私はXX菌ならぬ、「XX皮膚(当時、私はニキビひどかったので)」という理由でいじめられました。
ちょっと男の子に自分の持ち物が触れただけでも「まじやべぇ、けがれた」とか言われたし(どんな穢れだよ!)、無理やり学級委員を同じようないじめられっこ男子と組まされてやらされたり、あとは席替えで、隣の席になった男子が、本当に嫌そうな顔で私のほうをむいて、机を10センチぐらいわざとらしくずらすのが懐かしいです! 死ねばいいのにとおもいました! 席替えは本当に怖かったなー。
でも学校に行き続けました。私、死んだら負けだと思ってました。死ぬやつはクズだなあと思ってました。テレビでいじめを苦に自殺する女の子や男の子たちのニュースが流れるたび、バーカ! 負けてやがる! とひねた風に思いました。でも毎日辛くって毎日泣いてた。学校は正直行きたくなかったけど、保健室にいるあの子やあの子やあの子やあの子のように、弱くはなりたくはなかったんです。
そうして私、おべんきょうして、ちょっと離れた進学校に通いだしました。そこは共学でした。
私はとりあえずちょっとでも自分を変えようと思ったんです。まず外見。それが全部今に繋がってる。
最初に春休み、皮膚科に通うことに決めて、にきびを治しました。すぐに完治ではないですが、汚いけどそこそこ見える顔、に治りました。眉毛を切って、縮毛強制をました。(当時、今も? さらさらロングはやりだったんです)。
まず外見から。これが功を奏した。
高校スタートでは無事、浮きませんでした。なんていうか、みんなフツーに接してくれた。でも最初、人付き合いというのは本当に難しかった。ほぼ親とぐらいしか話したことのない私は、同性も、異性も、話しかけ方なんてわからなかった。
そこで失敗しながらも学んだこと、それは、聞き役を頑張ること。はじめは喋り方がわかんなくて、同じグループになった女の子たちにもオタオタと喋りかけたり、その会話が長すぎたり、または変な主張のようになってしまって、よくえ? って顔をされました。でもそれが、逆によかった。
人がえ? っていう顔をしたときは、それが、あなたおかしい事言ってますよ、という合図なんだと、15歳にしてようやくわかったんだもの(そしてそれをわからない成人男女もいかに多いことか)。
多分、会話に慣れていない人は、同性や異性のリア充っぽい人に、え? ってされるのがとてつもなく怖いんだと思います。自分を拒絶してる! 敵だ! って思うんじゃないんでしょうか。
でもそれは、自分がトンチンカンなことをただ教えてくれているにすぎないんです。
全部が全部、あなたをつつみこんでくれる、家にいるかーちゃんばっかじゃないんだ、と私はそこでようやく気付きました。人付き合いって言うのは、相手を不快にさせないようにするものなんだって。だから、私は言葉を区切ることを覚えました。人の話を聞くことを覚えました。上から目線で(私それしってるけど~)っていわれるのは、私も言われるのが嫌だと思ったから、いわなくなりました。
若かったのでしょう、会話の方法もつかめたし、男の子の肩も気軽にたたけるようになったし(それまで異性に触るって言うのは、本当にすごいことだと思ってた)、コミュ力と最低限の外見は身につきました。
あと、最後に学んだのは、これはさっきも言ったんだけど、リア充は全部「敵」じゃないってことだった。むしろ、人間だった。いじめっこは許せない(もうどうでもいいけど)、でも、目の前にいるイケメンやかわいいリア充ちゃんたちは、いじめっこじゃなかった。普通の、ただの人間だった。
私はずっとリア充を仮想敵にしていたんだけど、敵じゃないとわかって、普通に付き合っていく方法を覚えた。これで人生が、生活がスムーズに行ったんです。
バカにされない人生はたのしいということを、私は高校生になって知りました。
最後にまとめ
さて、ホットヨガをしている、ネイルアートが好き、などというと、あなた方は世論に惑わされたスイーツだとお思いになりましょう、でも、あなた方はそれをどのぐらい知っていますか?
脳みそからっぽな女がやってる馬鹿なことだ、さて、その脳みそからっぽなことをやっている人間がいるのは日本だけで何人いるでしょうか。そしてそれは日本だけですか?
あなたが好きなアニメやマンガ(私もアニメは普通に好きです、Vガンとか)、ネットで流行る音楽にはまること、それとホットヨガやネイルアートや食べ歩きに精を出すこと、それってどう違うの?(クリエイティブにならず、双方ともに消費するという場所に立っているだけでお考えください)
http://anond.hatelabo.jp/20101023212121
元増田です。
一人で抱える限度を超えてるんです。
20過ぎた学生とは言えなんで担任の仕事をしてるんだろうってことも有ります。
ちゃんと自分のことを並べるとこうなるのです。
20歳過ぎの定時制高校に通う高校生。(現在3年生・4年制高校)
私生児・母親に遺棄された経歴を持つ天涯孤独人。(育ての親の祖母は鬼籍の人)
小学・中学の苛めによるPTSDと性犯罪被害のPTSDを主に症状として持つメンヘラ。手帳持ち。
田舎は色々(私生児やら母の素行不良やら叔母が統合だの私の性犯罪被害など)で村八分されてたので田舎を16で捨て18ぐらいで上京。
高校での役割と言うか状態。
①何故か担任補佐時々担任代行。
②んでもって1~2年は学級委員、今でも何故かまとめ役を押し付けられ気味。
③文芸部副部長、体育委員会副委員長。(※全員どこかの委員会に所属義務がある)
④一応クラス半分ぐらいのグループをまとめていた過去もあったりしたわけですが今は孤立状態。
⑤と言うわけで上級生・先生方にはには3年うるさいのゴミ箱はけ口役、クラスではめんどくさいもの引き受け役
⑥一部には先生に相談できない人生相談と言うかいのちの電話のカウンセラー役をやる羽目になったり、一緒にファミレス入って財布忘れた!をかまされお金を貸す役割とか…
何でこんなことやってるんだろ。疲れた。→投げ出したい。今ココ
で、無職で家ももちろん一人暮らし、保障関係で家追い出されそう。
でも前職・前々職解雇理由が「高校生って残業できないから」(前々職は解雇数ヵ月後、会社が破産しました)
そういうことも有り、基金訓練で乗り切ろうという感じなのと、手に職資格を取ろうと躍起になってる最中。
年齢は昭和生まれってことで勘弁して欲しい。
疲れちゃったんだ。学校生活が特に。
自分自身は1~2年は学級委員、現在3年では体育委員として色々やってきたつもり。
学年全体がまとまっていなくて必要書類、学年の取りまとめ役は自分が中心に行っていた。
学年の日本人の中では一番上で、担任からの依頼も有り1~2年は体育委員が機能しないことも有ったから体育委員の役割(体育祭・球技大会のメンバー決め)もしていた。
でも自分の力が足りないからなんだろうな、他の学年(特に4年生)からは「3年の体育委員が仕事ができない・無能だ」と陰でいわれてるのも文芸部の部長経由で知ってる。
クラス内からは責任の無い人といわれ、他の教員からも3年はまとまりが無いと叱責だってされている。
ま、しょうがないよね。大人だもん。
それが現実だから、先生に状況を吐き出しても「大人だから我慢しなさい」で終わっちゃう。
後、あるクラスメートの自殺相談なども担任に投げても援助が無いため私が1年半やってました。
大人としての責務ですし、何とか関係機関につなげようとしましたが失敗、そしてPSWの判断等も有り接触をかかわるのをやめました。
実は、学年の取りまとめ、担任補佐をしてたためのバーンアウト(燃え尽き症候群)は自分の通う病院のPSWから指摘される。
1~2年の先生はそれ以外にみんなの出席状況など1人1人まとめたりしてみんなが学校に来やすいようにしてた。
自分もクラスの一員としてできることとか言うとさ、先生の補佐とかしかない。
ホント居心地のいいクラスにできなくてごめんなさい。
他の学年の皆さん3年生、うるさくてごめんなさい。
昨年、このバーンアウト他ストレスPTSDのフラッシュバックなどごっちゃの引き金で解離健忘を起こしその間に学校行事中に私が自殺未遂を行うと言う状況も発生しました。
ま、これは全部私が悪いのですが。
あとね、全日のみんなには本当に申し訳ないなーって思ってる。
だってさ、全日のみんなも大変じゃん?先輩には東大・早稲田・お茶水が居るような学校。
むしろそれが売りの県立校だから、受験勉強だって大変だと思う。
なのに午後5時ぐらいから定時性が教室を使うから教室を明け渡さなくちゃいけない。それ苦痛だと思います。
何とかする力は流石に私一生徒なので有りません、ごめんなさい。
放課後、教室で語り合う時間を奪っちゃってるよね。本当にごめんなさい。
それに、うちらの学年って教室使い方汚くて朝着たら嫌な思いしてないか不安。
最近私も疲れていて帰宅前の教室清掃まで時間が回ってません、ごめんなさい>全日の2年生へ
でも今、投げたらまずいからね。何とか生きていかなくちゃって思うのだけれども学校に行けない。
行こうとすると吐いてしまう。其の関係で免疫力下がって風邪ひいて治りづらくなっている。
とりあえず文芸部の先輩が卒業する・職業訓練が終わる来年の3月までは死んだらまずいなって思ってる。
だから死なない、死ぬ前に学校を退学してそして一応就職して訓練校の人たちも安心させないとね。
彼氏は一応居る、だから分かれるときにはもう二度と好きになれないぐらいに嫌いに案ってもらおうって思ってる。
大切だけれども死んだ後後悔して欲しくないのもあるから。
そういうことで、まだやるべき「さよならに向けた後処理」があるから
すぐ死ぬわけには行かないけれども何故自殺を考え覚悟にいたったのかは書いておこうと思ったので書いた。
でもまぁ気が変わって実行予定過ぎても生きてるとは思うんだけど、でも今もう限界だって言う吐き出し。
∩_∩ 人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
/ \ /\ < すごい役割とか任務を感じる。今までにない何か熱い役割とか任務を。 >
| (゚)=(゚) | < ツイッターやブログを・・・なんだろう読者の人が多くなる確実に、着実に、この場を楽しくするのも、つまらなくするのも私次第。 >
| ●_● | < 中途半端はやめよう、とにかくどの発言をとりあげて、私がどの発言にのっかっていくか次第で、この場が楽しくもつまらなくもなる。 >
/ ヽ < ネットの画面の向こうにはたくさんのどこかの本屋さんがいる。決して一人じゃない。学級委員ってやったことないけど、こんな気分なの?. >
| 〃 ------ ヾ | < 人助けをしよう。そして私のリプにください。 >
\__二__ノ < 飼ってた猫ちゃんがいなくなっちゃった、とか。私が、ツイートしますよ。. >
YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
早く起きすぎた(4時起き)。潰しきれないので日ごろの疑問とかを時間つぶしに書きます。
以下本題。
どんな状態でも常に自分の体に違和感を感じる。私鼻が低いからコンプレックスぅ~~とかそんなレベルじゃない。こんなレベルなら気にしてないけど出っ歯を治したい。あとO脚。
他人からすれば気にしすぎ、整体通えばってなるんだろうがそれらが原因で自分を嫌いになった。
最初は小学生の時、アキレス腱あたりに違和感を感じて足を引きずったりしてた。
とはいっても毎歩ではない。不自然なのは分かってたから我慢した。
でもまったくやらずにいたらなんか頭の中でストレスだか何かが爆発しそうになる。多分ベッドの上でバタバタする程度だろうけど。
次は首だった。表現しづらいがもう違和感感じまくりだった。ここ5年くらいはひどく、切り落としたい、折りたいと感じる。
でも痛いのは嫌だし死にたいわけじゃない。ただ首がいらない。でもマフラーは好きだよ。ラブ。だがタートルネック、お前はダメだ。
次は肩(これのみはスポーツでの負傷が原因でかばってて発症した)これも今はもういらない。
ただ座ってるだけ、寝てるだけでも苦痛、要は生きてる限り常に違和感を感じる。
それ以外に目周辺も、背中(背骨?)も何かが違うと感じる。整形じゃない、とりかえたい。
これら全てを分かりやすく例えると魂が入るべき体を間違ったかのような感覚(多分)。
ちなみに整体体験したしストレッチもやったが意味なし。気持ちよかったけどね。
まぁ、なんだ。その結果生きるのが苦痛になった。だって例え金無限にあろうとこの違和感からくる苦痛とストレスに耐えられないんだよ。お金あったらそりゃ楽しんでやるけど。。。
鬱じゃないけど考え方は鬱と診断されるやつと同じになった。(楽しいと感じないとか、素直に感動しないとかetc)
死にたくはない。でもこの先この違和感が増えてくと思うと怖い。どうしよイライラして首折ったり目を取りだして洗おうとしちゃったら。。。
高速道路を運転中にサイドブレーキに手を置いてもし、くしゃみの勢いで引いたらどうしようって言う無意味で起こり得ない心配レベルだけど怖い。
アダムスファミリーの首なし兄貴みたいな動きになるのもやだしな。。。
所でIQが高い事が後々分かったのだが確か250~500人に一人程度らしい。ここまでくると一問感で当てただけで100人単位変わりそうだよ。
IQ高いと頭おかしいっていうし体の違和感電々はこれが原因かもと思ったがこんなん日本だけで何人いると思ってるんだ。レア度で言えば生徒会長以上。。。悪くないかも。
MENSA(学校の1クラスにつき一人入れるレベル。学級委員ね)も入ったが海外行くことになったので最初の参加だけ。
賢いと思える人はたくさんいた(IQ関係なくそりゃたくさんいますよ)けど私みたい人はいなかった。そりゃそうだ。
ちなみにルービックキューブは全然とけなかった。IQにも向き不向きがあるということか。
私はIQ高いと言われておいて出来ないのが悔しかったので結局色々考えてパターン化することで3分きれるようになった。
でもパターンで覚えてるから久しぶりにやると見ながらやるよりパターンにハマったら目を瞑ってパターンをただ思い出してやる方が楽。
だから目を開けて実は間違ってたり落としたりしたら絶望的。(これは最速狙うわけでも、ベストな解き方だと思ってるわけじゃなく、ただ私に合ってる解き方)
IQが高くても別にいいことはない。今思えば、少なくとも私はIQを無駄遣いしてたようなきがする。
英語は周りと比べるとろくにしゃべれないし文法は本当にまったく知らないのでTOEICは実力は750くらいが妥当だろうに
なんとなく出題者の意図とか聞き取れないところを補完して感覚で800後半はコンスタントにとれる。
文法問題は雰囲気でしっくりくるのに決めてる。これで8割以上。SVOとか修飾とかよくわかんない。主語はすぐわかるよ、最初に書かれてる。一文字で始まってたら確実。
ボキャブラリーは日本の出来る高校生並程度なので単語覚えるだけで900点は行くと思うが、これじゃ見かけ倒しだ。自信もって履歴書に書けない。
他のテストでもこれで助かってきた面は多いと思う。
他にもIQが高いから故か楽してきた。
それに左利きから右に直され、ペンを持つのが苦痛(↑の違和感もあり)だから読む事メインで対応できるようになり、相対的に字は汚くなった。
余計ペンを持たなくなった。これじゃ自信もって履歴書"が"書けない。
格闘技してた時も別の事情で半年で辞めざるをえなかったけど1Rなら相手が経験が段違いでも一緒に練習してた人なら性格と練習量からどう考えてるか分かるから完全にリードもできる。(少し嘘)
2R以降は体力の問題できびしくなるしパワーで負けてたけどね。
とあるスポーツでも超経験者よりもいい案を出すことも結構あった。これが助け船になったこともあるので力になれて嬉しかった。
他には日常生活で便利というか回転が早い故の効率がいい行動とか行為を発見するのが早いくらいしかない。
そろそろ準備する時間だ。無意味な上に中途半端だが気にしない。でも体に違和感電々は本当に悩みであり苦痛です。
読んでくれた人いたならありがとう。
先日成人式以来の8年ぶりに同窓会があったので、せっかくなので参加してきた。
マーチクラスの大学からうまいこと有名企業に就職できて、手取りで40万~60万が安定してもらえる生活に染まっていたんだが地方の格差を実感することになった。
学級委員をやっていて中学から勉強もスポーツもできたやつは旧帝大から東大大学院に進んでバリバリに働いていた。あとはせいぜい地銀のやつが2人ぐらいで、軒並み不景気のあおりをくらって無職か手取り15万みたいなやつら。結婚しているやつはもちろん共働き。当時可愛かった女子は見事に売れ残りビッチか、子持ちでお金がないと嘆く。クラスのDQNは工場勤務みたいな感じで態度はでかかったがまったく当時の威圧感はなくなんか見てて悲しくなった。結果女子からは当時クラスで2番手グループの3番手みたいな俺がチヤホヤされる事態。
まあ田舎なのでホテルなんか1軒しかないし、お持ち帰りなんかしたら一瞬で広がるのでなにもしなかった。
自分の中学生活は暗黒ではなかったし、それなりに楽しかったけどやっぱりスポーツができてバスケ部だとか野球、サッカー部で活躍してて中学生なのにヘアワックスとかに手を出してちょっとツンツンさせながら、セックスとかを体験してる同級生がうらやましくて仕方がなかった。そんな奴らは地元の工場とか印刷所でヒーヒー言っている。会社名出せば向こうは驚き、時計やカバンでも圧倒的差が生まれている状況だ。
もちろん俺がこれからどうなるかわかんないけど現在進行形で中学が暗黒の奴なんてたった3年努力すれば人生どうにでも変化するって事実はもっと広く知らしめるべきじゃないのか。今は狭いコミュニティの中で絶望することもできるけど、10年後の希望に夢を馳せられるのも中学生の特権なんだと思う。
■追記
なんかいろいろ言われてるけど、俺が言いたいのは中学生活なんて大した問題じゃなくなるって教育をもっと知らしめようってことなんだけど。青春は青春で貴重だけど一生の中で死ぬほど貴重な時間って煽っちゃうと残念な現状に絶望してしまう子供が多いんじゃないかって思うんだよ。中学時代を充実させて大して勉強せずに田舎から飛び出せなかった人と簡単に生活レベルというか満たされているとう充実感では逆転できると思うんです。
という、まさに「青春の一ページ」的な話に花を咲かせていたわけだが、しかし事態は一変する。
それは、クラスではさほど社交的ではなかったとある男子生徒(同窓会には欠席)が、幼稚園時代からピアノの英才教育を受けて現在はプロとして海外で活躍中だということが、海外赴任から一時帰国したクラスメートによって報告されたことに端を発する。高校卒業直後にどこかのコンクールに参加し、そのままやたらと長い名前の欧州の楽団にスカウトされたとか何とか。彼女が持ってきたパンフレットや現地の雑誌には、彼の来歴は確かにそう記載されてあった。
しかし彼がピアノに力を入れていた事を把握している者は(担任も含めて)当時誰一人としておらず、また当人は当時某有名私立大学を受験、合格し、その前の進路相談でも当然のように進学の意思を示していたので、その場にいた我々は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
その「出世」ぶりに驚く人もいれば、やはり激怒する人もいた。担任は前者だったが、しかしその心中はいかばかりか・・・。
立候補者が現れないまま時間だけが過ぎ行く重苦しいホームルームの空気と、学級委員や文化祭準備委員の苦悩に満ちた表情が思い出される。あの時あいつはあの場でいったい何を思っていたのだろうか。当時あの高校の敷地内が全てだった俺達の価値観を、なんだか最悪のタイミングで彼に否定されたようで、俺はその夜まんじりともしなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20080913153317
http://anond.hatelabo.jp/20081201015818
http://anond.hatelabo.jp/20081226042010
の続き。
知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。
小学校の同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。
なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミングで学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。
これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。
いいな、と思った。
わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。
子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。
声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。
そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。
実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。
例の、本当の意味でクラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。
そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。
いいな。いいな。
そしてほらまた。
スキーも一緒だったんだって。
絵に描いたような優等生だった。
なんでもできる子だった。
わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。
海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。
なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。
かなり緊張していた。
彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。
知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。
当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。
意外と集まるものなんだ、とびっくりした。
なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。
なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コン+あいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。
久しぶりだから、一応
「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」
「今どこに住んでるのー!?」
みたいな盛り上がりはあった。よかった。
やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。
顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。
それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名・女の子です)と隣どうしで座ることになった。
仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。
さとしは医学部に進学したそうだ。
浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。
彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。
「さとし、きれいになったね」
と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。
本当にそうだった。
もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。
薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。
さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。
感じのいい笑顔だった。
さとしについてはいろいろな記憶がある。
5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。
先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。
別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。
6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめは自然となくなった。
野良の子猫を見つけて、近くのスーパーで惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。
さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。
何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。
卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。
当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。
「ごめん、知らない」
としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。
結局見つからなかったのだけど、わたしが
と捜索打ち切りを宣言しても
「いや、あそこにあるかもしれない」
とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。
今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。
すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。
いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。
むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。
一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。
いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。
かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。
相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。
ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。
「今まで何回ぐらい集まったの?」
「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」
「そうなんだ」
「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」
「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」
「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」
「それにしてもみんな、変わったね」
「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」
「同窓会も出たことなかったし」
「そうだな。いなかったな」
「でも、いいものだね」
と言うと、こっちを見てにやっとした。
「そう?」
「うん」
するとどこかあさっての方向を向いて
「それならよかった。」
と低くつぶやくように言った。
自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。
なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。
2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。
それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。
「すごいよね。
婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」
「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。
それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、
プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」
連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。
「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って
送り出してくれたんだって。」
わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りのケーキのことを
思い出した。
高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。
行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。
カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りのケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。
彼は、この金物屋の若夫婦とも
「商工会の集まりでときどき会う」
と言っていた。
自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。
その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。
つながってるなあ。
同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。
わたしには、わからない世界だと思った。
幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。
わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。
「うん」
「幸せ者だね」
「何、突然w」
「そうかな?」
「そうだよ」
「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」
「え?」
「なんか、そういう話の流れじゃない?」
「ああ、いやそうじゃないけどw
でもうらやましいよ、何となく」
「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」
「そうだっけ?」
「覚えてないのかよw」
「あんまり」
「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。
それがいきなり号泣だからな。
「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」
「わははw」
「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。
なんでだろう。」
「あー。実は俺も。」
「薄情者w」
「お前もだろw」
軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。
距離が一気に縮まった気がした。
わたしも、一応まだ仲間なんだよね?
そうだよ。だから心配すんな。
みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。
「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」
「元気にしてるんだろうか?」
「相変わらず熱血なのかな」
「ハゲてそうだよな」
「それ当時から言ってたよねw」
「言うとムキになるから面白くてw」
「剛毛はハゲやすいらしいよ」
「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」
当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。
クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。
もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。
「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」
というようなことを言われた。
子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。
今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。
芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。
なんだか、せつなくなる。
ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。
長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。
にこっと笑ったときの口元も似ている。
このところ、妻夫木聡をテレビで見ると「どきっ」とするようになった。
とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。
当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。
今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。
「妻夫木ここにいたんだ」
「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」
「覚えてる、久しぶりだね」
「やーミッチョンきれいになったなー」
「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」
「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」
「まだメタボじゃねぇw」
笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。
もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。
茶髪で日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。
実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。
子どものころは大田も平野も運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。
あの
「誰か好きな人いる?」
に、よく出て来ていた二人だった。
でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。
彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。
その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。
平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。
その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。
しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。
なんという芋づる。
「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」
と妻夫木が言い、立ち上がりながら
「ミッチョンも行く?」
とわたしに声をかけてくれた。
「あ、うん」
と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。
「じゃ、またあとでな」
「おー」
「またね!」
すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。
妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。
背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。
妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。
このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。
「ああ、平野こういうの好きそうだね」
とわたしが言うと
「半分は女目的らしいけどw」
と笑いながら言っていた。
「さっきもナンパしてたね」
「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」
「仕掛けるってw」
「あいつそういうの得意だもんw」
と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。
わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。
だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。
加えて、隣が妻夫木だ。
楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。
よほど返事が上の空だったのだろう、
「どうした?」
と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。
「なんでもないよ」
と笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。
「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」
「いや、本当にどうした…あっ!」
妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。
「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」
「いや、あの…はい…」
「わははははw」
「ちょっと笑わないで!揺れる!」
「ほーらほーら」
「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」
「わはははは…」
もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。
すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに
「もしかして、本気でいやだった?」
と聞いてきた。
「怖いです…やめてください…」
と言うと、妻夫木はしょんぼりした。
「ごめん」
「ううん、わたしもごめんね」
「いや、ほんとにごめん」
気まずい。
でもやっぱりリフトは怖い。
なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。
「…なんで上向いてるの」
「下見ると怖いもん」
「…ククッ」
「笑わないで!」
「いや、だってお前の格好、おかしいってw」
「おかしくない!」
「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」
「あんたに言われたくないよ!」
あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。
夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。
女子部屋からの移動中に
「りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」
とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。
「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」
するとさとしが
「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」
と話に入ってきた。
「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」
「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元のデパート)で売ってほしい」
「何言ってんのw無理でしょw」
さとしがわたしのほうを見て
「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」
と言った。
とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。
「ああ、やっぱり!」
「なんでわかるの?ミッチョン」
「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」
「ああ」
りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。
何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。
りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。
「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。
ちょっと違うのだ。
積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。
まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。
男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが
「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」
と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。
あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。
部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンとストーブでぽかぽかと暖かかった。
と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。
「はいはい始まったw」
と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。
さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。
「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」
「ああ!あの医学部の!」
「よろしくお願いしますw」
「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」
「ひろし、うるさいよ」
旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。
「で、こちらは…」
「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」
「ああ、あの英語が上手だったっていう」
「いえwよろしくお願いします」
「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」
「ひろしには負けるけどね」
「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」
「もういいからw」
というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。
さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると
「楽しんでますか?」
と、妻夫木が横に座ってきた。
「ひろしさんがムードメーカーだから」
「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」
「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」
「そうなんだ」
「平野がね」
「さとしと会いたがってて」
「どうして?」
「さあ…。いろいろあるんじゃない?」
「男同士でそういう話したりしないの?」
「しない」
「そういうもんかなあ」
「うん」
大田が乱入してきた。
「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」
「大田お前大丈夫?w」
と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。
「あ、ちょっと!大田!」
妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。
わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて
「ありがとう。いただきまーす」
と明るく宣言して口をつけてみた。
あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。
そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。
妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。
それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。
「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」
と本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。
「ミッチョンって、お酒強いの?」
と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。
「まあ、それなりにw」
と答えると、ふたりは顔を見合わせて
「それなりに、どころじゃないよなあ…」
「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」
と大田が半笑いでつぶやいた。
どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。
一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。
「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」
「え?なんで?」
「大田、引いてたし」
「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」
「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」
「ああ、俺?」
「うん」
「いや、俺は…」
「何?やっぱりよくない!?」
「いやいや、そうじゃなくてw」
「何?」
やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。
「いや、だからね」
「なんだよー」
「いや、うれしいな、って」
あっ、と思った。
このお酒は妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。
「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。
やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」
そして
「あー。失敗した…」
とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。
妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。
それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。
「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。
でもそんなの、おもしろくないじゃない。
黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」
そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。
でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。
妻夫木はうれしかったのだ。
事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。
わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。
妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。
妻夫木は、すごい。
「妻夫木、かっこいいよ」
と、背中をばしばしと叩いた。
「は?」
「なにそれw」
「うん、かっこいいよ」
「わけわかんねぇw」
自慢の友達だよ。
もうたまんないよ。すごいよ」
と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。
妻夫木は目を細めて
「おう。サンキュ」
と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。
それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。
妻夫木はすごいやつだ、と思った。
そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。
妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。
我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。
さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?
さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。
こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。
さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。
そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。
妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。
次はいつ会えるのかな。
休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。
自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。
学級委員会という形を取って生徒達に制裁させるのはどーかっつーのは、話しを広げすぎちまうか。
就活の自己分析をするには自分史を書く、っていうのがまあ普通らしい。
でも、中学時代が全然思い出せない!!
なぜ?記憶喪失?
先輩に相談したら「通知表見てみれば?」と。 (°∀°)なるほど!
で、母に探してもらうと・・・・
でるわでるわ。
え?学級委員とかやってたっけ?
え?放送委員も?
覚えてねー!
かろうじて覚えているのは、文化祭と部活の部長をやっていたことくらい。
昔からマイペースな子だったんだね。
その代わり責任感や達成度は二重丸かー。
なんか必死に一つのこと突き詰めてた気がする。
そうそう、この時期からゆとり教育が始まったから、総合の科目がある!