はてなキーワード: 日時計とは
40万ぐらい。
割と憧れていたこともあってつけてるだけでテンション上がりまくり。
購入して一週間後に友人とコメダにいった。時計を外して時計を自慢したりして限定シロノワールを食べて
帰宅。
家にいても時計をつけたり外したりしてニヤニヤしているとふと気づいたことが。
「さっき行ってきたばっかりだしまあ服に匂いもつくことあるわな」
そう思いつつ就寝し、次の日時計をつけるとまたコメダのにおいがする。
え??と思い時計のにおいをかぐと時計からシロノワールのにおいが。
服についていたと思っていたがどうも時計についていたらしい。それから二週間、最初は「あまいにおいがしていいじゃん」と
思っていたのに徐々にストレスになってきた。一日つけて外すとちょっと酸っぱいシロノワールのにおいが時計からする。
これはだめだと洗ってみたりするがそれでもにおいはとれない。しょうがないからシャネルの香水をかける。
閉じた世界でよろしくやってるのに外からの指摘はやめて欲しい、外部から指導内容を監査されても困るって気持ちは良く分かる。けど、保護者も当然児童の学習と成長に関わる当事者なので、教科指導・生活指導と関係ない迷惑ないちゃもんなのか、正当な関心・懸念・指摘なのかをきちんと区別できるようであるべきで、正当な指摘には耳を傾けなきゃダメよね
良く聞く話としては、基準がブレブレだから「これは保護者の意見として真摯に向き合う課題なのでは」「いや、これは単なる異常者だから無視もしくは実害あるようならエスカレしましょう」みたいな不毛な話になる認識
例えば、以下みたいな指導に対する「間違っているのでは」って指摘は、訂正を指示されて当然の明確な間違いに対する指摘であって、もしこういう指摘が保護者からあったら是正すべきと思うよね。そういう善良な保護者からの当たり前の指摘と、異常者からのクソとを区別できないのは、その学校の機能に問題があると思う
結婚式(というか披露宴になるのかな)に使いたい!と思ってる曲がある
・日時計の丘(たしかフリー音源)、こども讃美歌の「小鳥たちは」とかを開始まで流してたい
・A Thousand Years(この曲で薄暗いところから入場したい)
・RADWIMPSのいいんですか、セプテンバーさん、ラストバージン、マニフェスト(ドンピシャの世代だから特にラストバージンは親子のシーンとかで流してほしい)
・米津玄師のアイネクライネ、アンビリーバーズ、サンタマリア、メランコリーキッチン(単に好き)
終わり方とか繋ぎ方とかは提案してもらえるのかな。後音源の用意が物理的にCD用意しないといけない感じだと大変そう。
実際のところは彼氏もおらず結婚の気配もなく、万が一結婚することになっても人前で晒し者になりたくないからしかも披露宴もしないと思う
自分で言ってて謎だけどそれとは別の次元で式や披露宴に対するこだわりがある。ケーキカットはみんなで食べられる平たくて大きいサイズが良いとか、肉も魚も両方コースで出てきてほしいとか、ウェディングドレスはかっちり系の胸から肩を覆う布が回ってるデザインが良いしリボンのモチーフが嫌いだからレースとかは草花デザインが良いし、装花はラナンキュラスが1番好きなので白とそれにあうグリーン系メインで置いて欲しい
場所は親戚が各地にあるから羽田空港集合でバスチャーターで近場の式場集合が現実的かなとか、そういう、理想の結婚式の妄想は捗るんだけど現実としてこれをやりたいかと言われるとちょっとお断りしたい…が…
腕に付ける日時計はあったはず
今年のお盆は浮世絵ばかり見ていた気がする。一週間ほどの休みのうち、三日間浮世絵を見に行ったのだから、美術エンジョイ勢の私にしてはかなりの頻度だと思うし、そのすべてが浮世絵というのも、今までになかった行動パターンだ。楽しかったので、ちょっと振り返ってみる。
最初に行ったのが六本木の「おいしい浮世絵展」だ。友人に誘われて行くことになったのだけれども、食をテーマにしていたため、浮世絵の細かい歴史を知らない自分でもかなり楽しめた。加えて、江戸の町や東海道沿いの名所は今でも残っていることが多く、そこに残る名店の様子を紹介する映像も流されていたため、食欲をそそられた。美術館ではあまり味わえない気分だ。江戸時代の食事のレシピが載っている本や、当時醤油を詰めて輸出した磁器も展示してあった。
鑑賞後はお腹が空いたのと、美術館の意図したとおりに和風のものが食べたくなったので、私たちはそばの和菓子屋でわらび餅をいただいた。そこには和風のパフェもあって、抹茶好きの私としてはそれにも心惹かれたのだけれど、結局はわらび餅に落ち着いた。パフェはどう見ても夕食前に食べられる量でもなかったからだ。私たちはそこで友人の姪っ子の話だとか、仕事の苦労とかについて話した。もちろん、見たばかりの絵でどれが良かったかについてもたくさん語った。
私にとって面白かったのは、歌舞伎座を舞台にした浮世絵だ。お客さんが桟敷で弁当を食べたり酒盛りをしたり好き勝手に楽しんでいる。中には花道を横切って弁当を届ける姿もあり、なんともおおらかな世界だったらしい。それと、そこにいたのが美男美女とモブ顔の男性だけだったのが興味深かった。北斎なんかだと、いわゆる美人ではないけれども愛敬のあるおばちゃんが出てくる。なんでだろう。というか、北斎漫画、今でも普通に笑えるので好き。
次に行ったのが上野の「The UKIYO-E 2020 -日本三大浮世絵コレクション」だ。たっぷり二百点近くあるので、あっさり見ても三時間くらいかかってしまった。「おいしい浮世絵展」もそのくらいかかった気がするが、友人と一緒だったので多少は疲れが紛れた。だが、今回は一人だったので、より疲れた。私はジョギングが好きだし、友人と富士山に登ったこともあるので、体力はそこそこあるのだけれど、立ち止まっては進み、立ち止まっては進み、を繰り返す美術館では、結構ぐったりしてしまう。
とはいえ、疲れた以上に収穫があった。おおよそ年代順に並んでいたので、浮世絵がどのようにして技法を精緻にしていったのかがよくわかったし、歌舞伎俳優のグラビアみたいな雰囲気から、市井の人々も描くようになっていく様子も楽しめた。
でも、私はやっぱり北斎や広重が一番好きみたいだ。この二人はどちらかといえば風景画家で、だから他の人に比べると人物が画面に占める大きさは小さい。当たり前といえば当たり前なのだけれど、私が北斎を見たときにそれっぽいと感じる理由の一つが言語化できたので、何となく気持ちが良くなった。
浮世絵には詳しくなくても、どういうわけか心に残る作品はあるもので、以前に世田谷かどこかで見た広重の「亀戸梅屋舗」と再会できたのはうれしかった。もちろん、浮世絵だから一枚ごとに刷り具合が違うのだけれど、私が好きな雰囲気のものと出会えたので、なんだかうれしかった。企画展でよその美術館にあった作品と思いがけなく再会できると、やっぱりうれしい。
あと、驚いたのが歌麿の「娘日時計」という、女性の様子を時刻ごとに描いた作品集だ。やっていることが美人時計と全く同じではないか。
あと、思わず笑ってしまったのがこんな事件。寛政五年に幕府がモデルとなった実在の人物名を浮世絵に書くことを禁じたときに、浮世絵師が対抗して、人物名を簡単に解読できる判じ絵で表記したらしい。たとえば、歯と手と菜っ葉の絵を描いて、「はてな」と読ませるみたいな感じだ。誰がモデルにした作品なのか簡単に読めるのだけれど、幕府としては人名を書いていないのでそれで良しとしたらしい。お役所と出版社の腹の探り合いみたいだ。それか、ちょっとエッチなたとえだけれど、成人向け漫画の修正しているんだかしていないんだかわからないアソコの黒線みたい。
ところで、何の関係もないけど、上野駅の公園改札の場所が変わって、信号を渡らずとも済むようになった。あそこは人が溜まっていて危なかったし、いい変化だ。そうそう、横浜駅にも中央南改札と南改札をつなぐ通路ができて、階段を上り下りしてホームを経由しなくても移動できるようになったし、新しいエキナカのお店ができた。今度行ってみよう。
最後に行ったのが表参道の「月岡芳年 血と妖艶」。とてもよかった。女性図は、ちょっとしたしぐさからこの人はどんな性格なのかが伝わってくる。細かい動作どれ一つとして見逃せない。血みどろの絵もただ凄惨なだけではなく、今にも動き出しそうだ。たぶん、動き出す直前の瞬間をとらえているから、次にどうなるかが私に見えるのかもしれない。日本の歴史や歌舞伎に取材した作品もよかった。歌舞伎は詳しくないけれど、太田記念美術館は概して解説が細やかなので、どの話のどんな場面かがよくわかる。歌舞伎は三回くらいしか見に行ったことがないけれど、またちょっと行きたくなった。それとも、著名な歌舞伎のあらすじを勉強するのが先かな。
ここでは作品一覧の紙がもらえたのはよかった。新型コロナウイルスのせいか、以前は配っていたのに前の二つの美術館は置いていなかったので、作品の名前をメモするのが大変だった。
なお、ここは前編と後編に別れていて、今月の終わりに展示替えをするらしい。時間があったらまた行ってみたい。上野のほうも展示替えがあるけれど、また三時間じっくり見るのはちょっと大変かな。
最後に、自分でも意外だったこと。はじめのうちは、美術館はふらりと行くのがいいのであって、予約するのは面倒だな、って考えていたんだけれども、慣れたらそうでもなかった。そういう意味では、三回連続して美術館に行ったのは正解だった。それに、浮世絵のことが前よりも好きになれたので、そういう意味でもよかった。
気が向いたら九月も浮世絵見に行くかもしれない。
ふわっとした大部分の印象では → 生育環境やそれぞれの事情もあるだろうし、同じ背景、状況だったら俺も同様のことをしたかもしらん、更生して幸せになってくれよな、みたいなことを思ってる。
ただ、じゃあこれが元受刑者が隣家に越してきた、さらには仮に俺に小さい子供がいたとして(いないが)、新しい隣人は幼児を暴行したことのある元性犯罪者でした、みたいなことになると相当緊張する。正直いて欲しくない。
あと高橋洋一。何言ってても、時計泥棒が生意気だな、お前は全国の日時計を盗む旅にでも出とけ、とか思ってしまう。
俺は都合のいい二枚舌野郎なんだろうか。少しだけだが、この調整のつかない感じが割と本当に苦しい。
誰もいない実家に帰ると、ねこはいつかと同じところで同じポーズで寝ていた。いや、こないだとは少しだけ場所がズレているか。障子の隙間から差す日が少し傾いて照らされる場所が変わって、ねこのお気に入りの場所も日時計の差す時刻のように移動している。和室の一角は日焼けして藁のような色だ。なんとなく私もねこの隣に横になってみる。なるほど、畳が温い。ここがいいとちゃんとわかっているのだ。
い草の匂いはとうの昔に褪せて、湿気の匂いがした。隣に横になった拍子で、ねこはその振動に反応して半眼になって、二ヶ月ぶりに会った私を見て、ああ、お前かと安心したように黄色い目を閉じた。ゴロゴロと喉を鳴らす。ギブアンドテイクが当たり前のこの社会に揉まれて命からがら帰ってきた私は、何もしてやっていないのにただ横に来ただけでそんなに幸せそうにしてくれるねこを見て感傷的になってしまうのだ。どうしてそんなに私に懐くのか。お前を拾ったのは私じゃなくて妹だろう。餌は小さい頃から母がやっていたろう。まともにトイレなんか綺麗にしてやったことはなかったろう。実家にいた高校を卒業するまでの私は、家に帰った時にせっかく出迎えに来たお前を置いて部屋に閉じこもっていただろう。
それなのに。お前は私の気持ちがわかったみたいに、でも人のいい友人のように同情した風でもなく、純粋に私のことを好いてくれる。
なんだか切なくなって、罪滅ぼしの気持ちで頭をわしゃわしゃ撫でてやる。ゴロゴロが大きくなって、ねこはぎゅっと目を閉じた。だから、私も同じように目を閉じてみる。ここが耳で、ここが鼻。寝ているから鼻がカラカラに乾いていた。幾度となくこいつを撫でてきたから、触れるだけで良かった。
私は、手の感触でねこのシルエットを想像しながら色んなことを考えるのだ。
なぁ、ねこ。ここ最近、私は初めてお前のように生きてみたいと思ったよ。私はねこがすきだけど、もともとはねこになりたいなんて無責任なことを言うやつが嫌いだったんだよ。
お前はお寺の近くで、拾ってくださいという札を首にかけられて彷徨っていたね。いつお母さんと離れ離れになったんだよ、かわいそうに。そこから、得体の知らない私たちに拾われたね。運の悪いことに、うちは住宅地だし車が多く通るから外には離してあげられない家だった。いつも窓から外を見て、小鳥を見るとちょっとだけ切ない声を出す度、私も切なくなるんだよ。
そんなことを考えたこともないのかな。
毎日同じ餌ばかりだけど、お前はいつも美味しそうに食べて。何もない休日も、同じところを初めて歩くみたいにして歩いて、またよっこらしょと横になって。みんなが夢中になっているテレビというものはわからないだろうし、本に向かっている人間の気持ちはもっとわからないからとりあえず読んでいる最中の本の上に乗ってみたりして。
いつも喧嘩が絶えない家だったけど、頑張って一緒に乗り越えてきたよね。お前はどんな風に見てた? 大きい声が聞こえると、お前は自分が怒られたと勘違いしていつも部屋の隅に隠れて大人しくしていたね。八つ当たりされたこともあったか。めちゃくちゃになった家族をなんとか落ち着けて、皆が寝静まった午前1時、突然虚しくなって悲しくて一人で泣いていたこと、親や兄弟とかの人間たちには隠したけど、たまたま隣にいたお前だけには隠せなかった。お前は私の気持ちを知って膝の上に乗ってきたのかい? どっちにしても、上から降ってくる涙が冷たくてごめん。
家族がバラバラになった今、一番家にいるのは間違い無くお前だけど、私に気づかなくてお前が気づいていることってある? みんなをどうやったらもっと幸せにできると思う?
他にもいっぱい聞きたいことはあるけどさ、どうやったらお前みたいに強く生きられる?
お前ほど辛くはないけど、私も結構似てるところがあるんだよ。僕も物心ついた頃、お母さんが病気になったせいで両親から離れ離れになってあまり話したことのなかった祖父母の家で育てられてさ。祖父母は仕事とテレビと新聞ばかりでちっとも取り合ってくれなかったよ。理不尽な叱られ方もした。少し大きくなると親も少し元気になって、ようやく両親の元へ帰れて、その頃お前と出会ったんだよ。でも知っての通りずっと喧嘩が絶えなくて、その怒鳴り声を聞いて、また家族が離れ離れにならないか怯えてた。時々酔った母が暴れて殴られたこともあった。今思えば、なんにも悪いことしていないのに生きてるだけで罪悪感に押しつぶされそうで、部屋の隅で耳を塞いで泣いてたよ。実際家族はバラバラになって、そのまま私は出来るだけ親に迷惑をかけないようにそつなく生きたよ。勉強もそこそこ頑張ったつもりだよ。そのまま実家を旅立って、今は一人暮らしになって、単調な日々を過ごしてる。同じ時間に起きて同じところを歩いて、キャットフードよりはバリエーションがあるけどぶっちゃけ毎日毎日同じようなものを食べてる。お酒っていうマタタビみたいなものに溺れる日々で、少し頑張ってみてもすぐ疲れてしまうし、人一倍寝るのが好きだよ。なんだか、色々とお前と一緒だね。
というか、お前を可哀想ということで自分が可哀想と思いたいだけなんだろうね。わかってる。
でも、お前とは違うんだよ。お前と違って私は、時々過去を思い出して、心の傷とか変われない自分とかに悩んだりして、虚しくて泣いてしまうんだよ。今までは生きるのに必死だったけど、突然に単調な日々に取り残された今、全てに取り残された気分だよ。毎日がつまらなくて、生きるために生きていた頃と違って、なんのために生きているのか本当にわからなくなって、笑ってもこころがスカスカで、何故だか生きるのが辛いよ。まだまだ到底、お前のようには生きられないんだよ。今だって閉じたまぶたの端の方から涙が漏れ出してしまいそうで、必死に目を閉じて蓋をしているんだよ。
私も捨て猫みたい?
ねこになりたいって言うやつが嫌いなのはそういう理由だよ。ねこの拾われる前の壮絶な人生と、その後の退屈で虚しい人生を想像できないやつは嫌いだよ。
ねことか私のことを見て、のうのうと生きてていいなと思うだろうから。
私はお前の気持ちがそこらの人間よりはわかってると思う。でもだからこそ、純粋なお前に純粋に憧れるんだよ。お前を見ているとお前のようでありたいと思う。ただ、お前のような強くて優しいこころが欲しい。お前は、変えられない過去なんか振り返らないし、おそらく変わることのない未来を嘆いたりしない。ちょっとずつ変わり続けるだけの今を黄色くて丸い目でじーっと見つめて、いつも全力で飛びかかる。だから、ちょっとした季節の変化で寝るところを変えてその温かさに目を細めたり、食卓から盗んだお刺身一切れを幸せそうに食べたり——そんな儚いだった一瞬の幸せを絶対に絶対に逃さない。
だからお前は、美しい。ただ生きているだけで、見るものを幸せにするんだね。
お前と比べて、私はダメダメだね。
あ。ねこはそんなことも思わないのかな。きっとお前はほかのやつと幸せを比べたりもしないよね。外にいる野良猫を見て毛を逆立てて、フーッと威嚇して怒ることはあっても、あいつは自由でいいなと羨むことはない。
この先どうなるんだろう、とか。
生きるって何、とか。
認められたい、とか。
そんなことより、日で温もった畳って温かくていいな、なんて思っているのかな。
私がこんなことを考えているうちにも、ねこはずっとゴロゴロと喉を鳴らし続けているのか。なるほど。つまりはそういうことなのかな。
ねこでありたい。
真ん中のひとつ後ろ
窓際の左端が多分にとりしゅういち
その右隣が自分
授業中に手紙を回している
手紙の内容はみてない
2回くらいまわした後、ふと気づいた
「まほちゃん経由するならまほちゃん宛の手紙も一緒に渡せばいいのにね」
と割と大きな声で言ったら、まほちゃんが「あったしかにそうだ くそー瀬谷の野郎ー」と言って、ドッと笑いが起きた
やったぜ、と思った
なんか書き込まれてるページが多い
でも一つのページ内には♪がひとつ書き込まれてるだけだったりして、無駄に使ってる
「お前は昔日時計をしてよく回ってたからページの消費量が多かったんだよ。そんでよく泣いてたよな」
日時計の前でもおなじこと言えんの?