はてなキーワード: フェイズとは
A:B君に相談がある。お金ないけどコーヒー飲みたいんでお金くれない?
B:おけ、1,000円上げる。ただし、①近場の自販機とかスーパーで②通常のもの買うんだぞ。③余ったら余った分の金返せよ。
A:おけ。 ※ここで契約成立
(後日)
A:近場になかったから①電車で一駅の所で買ってきたから交通費かかったわ。①移動は行き電車で行って400円かかったけど帰りはダルいんでタクシー使って800円かかったわ。んで、行ったスーパーに②800円のコーヒーしか無かったからそれ買って飲んだわ。
③合計2000円かかって持ち出し1000円あるから返金いらんよな。ゴチ。
B ……
(状況の確認)
①②について、当初とAの言い分を比較する
①近場 → 一駅離れ
(状況の判断)
①-1 一駅に近場に含まれるか
①-2 移動手段でタクシーはありか。電車ならOKか。徒歩、チャリのみか
②通常に考えられるのは何処までか。200円?明示されてないなら費用の1000円まで?
(最終決定)
1)Aの全てを認める
→ 1500円で1000円超えてるので問題なし
2)Aの一部を認める【再調査結果がこれ】
タクシーはやり過ぎだからダメー。電車と800円コーヒーはしょうが無いね。
→ 電車400+コーヒー800=1200円>1000円なので返金なし
3)は?全部駄目に決まってんだろ【暇主張(と思われる)】
近場でもねえし、交通費なんて必要じゃないし、コーヒーも通常の範疇から出て契約履行できてないやん😡当然全額返金だわ。
最終決定に納得できないやつからすると、持ち出しあろうがやることやってなくてお金貰ってるから万引きとかの評価になるわけよ。
んで、今は最終決定おかしない?Colaboはやることやってなくて都の判定がばいから住民訴訟で司法に判断させるんやーってフェイズ
可笑しいのは、いろんなポジションの人がみんなそれぞれ勝どきを上げていることだ。
そうなるべくがんばってこねた政治的しんこ細工なんだろう。
まず、オールドスクール系左翼やポリコレ蛮族的な「疑うこと自体が攻撃」「女性を叩きたいだけだろう」と言ってきた「無謬派」には少しはがっかりして欲しいところだが、なぜか大喜びである。まあこいつらは仕方ない。
「コラボ極悪派」にとっては最小限の勝利であった。こんなもんじゃないはずだ、僕らの戦いはこれからだという感じだが、できることはあまりないだろう。
「コラボは悪というよりは雑派」にとっては嫌な意味で予想通りの結果だった。行政のふてぶてしさを見せつけられるという意味で。
「雑」の原因には独善・慢心があるとして批判寄りの人、まあ仕方ないとは言わないが悪意というより能力不足で説明つくだろうと同情寄りの人と、「雑派」の中にも温度差はあるが、都に対するうんざり感は同じなのではないだろうか。
しんこ細工の中身を詳しく吟味する熱意は正直、ない。
そのまんまを真に受けたとして、190万だかは言い逃れようもない「万引きバレた分」でしょ。
2600万だかの経費の中身のいちいちの妥当性は調べもせず丸呑み、と。
なんとなれば活動に対する監査じゃなくて帳簿上の不正の調査だから。
それで「足が出てるから諸々不問で」と言ったところで、元が言い値なわけだから。水割り一杯五十万のところを温情で九割負けてやるから五万払え、と同じでどうにでもなる数字。ぼったくっているに違いないという意味ではなく、ぼったくりかどうかの調査はなされていないという意味。
さて、コラボの「会計不正疑惑」はこれで終わった。帳簿自体の調査でできることは終わったという意味で。その先はあるのか。コラボの支援事業の質について、会計だけでなく活動の中身もずさんなのではないかという疑惑は糾明されるのか。
「これが本当だったら絶対ダメだろう」という話がポロポロ出てはおり例の川崎市議などが告発の声を上げているが、不法行為の如何については司直の手に任せるしかない話で、周りで見ている我々にできることはこれといってない。暇空氏の「手に触れた石全部投げるスタイル」は、そのフェイズにおいてはノイズにしかならない。今後の彼は単なるネットトロルの親玉でしかない。なので追う価値が無い。お疲れっした。
不法行為というよりは質的な評価、公金投入の妥当性についての調査はなされていくのか。
いかないんだなあ。コラボのダメなところを洗い出すということは都の放漫な補助金支出を洗い出すということ。それはやりませんよ、コラボによくないことがあったとしても全部都が飲み込んで無かったことにしますよという強い意志が再調査結果には示されている。
まあ、行政が既にやっちゃったことについて事後的に自らアセスして間違いを認めるなんて光景、誰も見たことないもんな。減反政策が始まる前から計画してたから干拓やりまぁすとか、その先に漁村は無くなったけど橋は完成させますとかの巨大な愚行に誰かが責任を取ったか?
民間有志による往々にして自己満足的な質の低い支援活動の実態、そして手軽に「やってる感」出すためのアリバイとして放漫な補助金支出する行政、そうした残念な実態がめくれていくきっかけにコラボ問題がなるかもしれないという期待は、正直なところ幻想であったと言わざるを得ない。
そういう活動のこと何も知らずにふんいきで誉め讃えたり全否定したりするのでなく、実際のところはどういうもんなんだろうと能動的に知ろう・考えようとする人は増えたのではないか。
適材適所なのだ。ボランティアだから非営利団体だからこそできる、向いてることはある。但しこれと決まったミッションが予め自明に用意されているわけではない。誰でもできるようなしょーもない単純作業は、感謝されたがりの暇人にやらせとけばいいということではないのだ。
何ができるか現場で考えなければならないし、その知見は社会に共有していかなければならない。秘密主義・囲い込み主義の正義の活動家はいらない。
それから行政との連携について。行政とはいつも残念なものなのだろう。行政とは使うものである。残念だ残念だと言っていても何も起きない。どう使えばいいかを考えるべきなのだろう。
思うにリベラルであるとはそうやっていろんなチャンネルで主体的に社会を動かして行こうと試す姿勢なのではないか。分断のあるところで「正義の側に立つ」ことではなくて。
最近、俺が見てるYoutuberが相次いで謝罪配信するんだけど、
なぜか必ず「今回の件で僕を叩いてる人は動画をちゃんと見てないんだと思う」みたいなことを言うのね。
「今回の件に関しての誹謗中傷に関しては法的措置も検討しております」
とか書いちゃうのね。
あのさぁ。
お前がすべきことは他人を責めることじゃなくて、自分の非を認めて守備を固めることなの。
ちゃんとお前の謝罪が通じて空気が変わればお前の攻撃フェイズは必ず来るから。
確かにお前がやったことに対して苛烈に攻撃しすぎてる奴がいるのはわかるよ。
わかるけど、今お前は「こいつ悪い奴だ」っていうデバフがかかってるわけ。
で、デバフが解けたときにはじめて「こいつら叩きすぎじゃね?」ってターンが来る。
その時に「自分が悪かったので我慢しておりましたが」って攻撃に転じるんだよ。
攻めるターン、守るターン。
学べ。
https://www.sankei.com/article/20230220-PQDZSMO6ORMX5GHJ5BHHAZOCGM/
同性婚法制化は和式リベラルが「ウリ」や「棍棒」にできるイシューではもはやない。
なんで自民支持の若者は同性婚法制化に賛成なのか。悪い大人に騙されてふだんうっかりウケーカしてしまってるだけで本当は政治的に正しい、よい子なのか。
とりあえず思いつく理由は以下の三つ。
周りに疎まれても法の許す範囲で己を貫こうよというのではなく、後ろ指さされるリスクを取ってまで他人に干渉したくないよという、空気の個人主義。
マイノリティ当事者が社会に権利上の訴えをしていく上でそれはむしろ壁になる。自分のことで他人を巻き込んで騒ぐのはどうかと思いまーす。でも天王山的なポイントを越えると追い風になるんだな。鈍重で無責任な羊の群れ。
同性婚の法制化は既存制度に「同性でも可」と機械的に付け加えるだけで済む話ではない。法体系の中でいろいろ軋みというかハレーションを起こす。そのいちいちにパッチしていかなければならない。
外付け拡張でとりあえずどうにかするだけじゃなくて、根本のところにも手を入れる必要がある。
「じゃあそうすればいいじゃん」というのが若い世代の感覚だろう。憲法にだけは触れずにという宗教上の理由による謎ルールを共有していないので。
若い世代ほどドメスティックなものや伝統的習俗を疎んじる傾向というのは普遍的なものではない。大きな波がある。ざっくり言って80年代末くらいからは「伝統、むしろカッコイイ」フェイズだろう。
その流れになんとなく乗って、二人の契りをお国が裏書きしてくれる制度にイニシエーションとしての価値を置いている。個人の選択として生涯未婚だとしても「結婚に何の意味があるかわからない、興味がない」のではなく、いろいろ事情があった上での決断としてそうするに過ぎない。
同性婚の法制化推進は、国が認める正式な婚姻という枠組みを重視する点では「保守」的センスにむしろ沿っているのだ。
婚姻の制度的枠組みをいじるということは「そもそも結婚ってなんだっけ」という原理的問いを前景化させることだ。「同性カップルだけ婚姻届出せなくてかわいそうだよね」「そうだね、じゃあ同性もOKにしよう」だけで話は終わらない。じゃあポリガミーは? そもそも必要なもの?と続くことになる。
そもそも婚姻は法律より前からある。当たり前のことだが、結婚とは原始時代からの土俗的慣習と現代法のアマルガムなのである。
生活者は忙しい。制度なんてうっかり変えてみればいいんだよ。それで人生狂う人も出るかもしれないけど、法律ってそういうものだから。実社会で対照実験はできない。
本件、「文系」と「理系」の根本的な思考様式の違いに起因するディスコミュニケーションなので、知識の多寡や党派性の問題よりも多分根が深い
雑に言うと、何か物事が上手くいかなかったときに、文系は「責任」を追及したがり、理系は「原因」を追及したがる
責任を追及するには何より「失敗」であることが大前提なので、文系はまず最初に失敗か否かの白黒が付いていないと気持ち悪い。これはなにも悪意の思考ではなく、責任追及主義で物事を捉える場合、先々の改善のためにまず失敗を認める必要があるとする江川氏の見解は正しい
一方、理系は逆に白黒が付いている方が気持ち悪く、「大成功と大失敗の間のグラデーションのどこか」と言われると落ち着く。原因を追及する上で成功か失敗かはどうでも良く、むしろどちらかに決め付けることで追及の視野が狭まる事が怖い(別の言い方をすると、原因追及フェイズから責任追及フェイズに移ってしまう事が怖い)
なので、理系が「失敗」論に反対するときの気持ちは「失敗と決め付けると問題解決の妨げになるからニュートラルな言葉を使ってくれ」という感じなのだけど、これを文系が傍から見ると「あいつら失敗も認めないなんて問題解決する気あんのか?」となり、お互いに相手が問題に正面から向き合ってないように見えてる
責任追及論者と原因追及論者のディスコミュニケーションは本件だけでなく社会に散在してる。解決は難しいけど、お互いに「違う文化圏の住人なんだな」と認識することで無闇に憤りを感じることは減ると思うよ
https://anond.hatelabo.jp/20230209200124
昔の俺は多分元増田みたいな感じだった。
うちの会社は1年目はそれはもう詰められ、怒られ、怒鳴られ、「お前の親はどういう教育をしてきたんだ」とかなら優しい方で、
生まれた地域、祖母、祖父、通っていた学校、教師、あらゆる生まれ、人格を否定され、見た目が太っていればデブ、痩せていればガリがあだ名になる。大体見た目で弄るよね。
それでいて女の子や派遣の方には優しいという、どこにでもある昭和的体質の企業だ。(ちなみに業績はクソいいのでやりたい放題である)
入社時の恒例行事は「親や祖母に買ってもらった就職祝いや入学祝いを会社の近くの川に投げ捨てさせる」というもの。
俺も、今は死んだ祖父ちゃんに買ってもらった10万くらいの時計を不法投棄させられたものだ。懐かしい。
あとは当然上司のケツに入れたプ●ッツを「ポッ●ー」にして食ったこともあるし、なんなら俺は普通の童貞オタクだったのだが、ファーストキスは会社の汚らしいおじさんである。悲しいね。
他にも上司に陰毛を燃やされた時は、人間の毛って燃やすとこんなに臭いんだな、ってのがよくわかったなーとか、そういうエピソードは倫理的にここに書けないようなやつが山ほどある。
(ちなみに、陰毛を三人くらいで燃やしながら『チューチュートレイン』をするのがうちの部署の接待の必殺技の一つである)
そんな会社に入社し、俺は普通に好きな声優は「車の人」とかのエロゲオタクだったので、一発で頭がおかしくなった。
所謂2ちゃんねらーとかの「飲み会なんてだっせーよな」みたいな価値観だったからね。
仕事もそりゃミスりまくりよ。ていうか、自分が何をやってるのかわからなかったし、ほとんど記憶がない。
家に帰ったら炊事も洗濯も出来なくて、部屋は荒れ放題、1週間風呂にも入らず選択もせず顔も洗わずで出社するなんてしょっちゅうだった。
気分によっては、赤信号の道路とか、普通に突っ込んでたから良く死ななかったなーってレベルだった。本当。
それで、「いやお前のパワハラ体質企業の話と俺の話は全然違うよ」って思うかもしれんけど、実はそうでもなくて、
●仕事する時
・最初の上司→とにかく『書類や案件を持って良くタイミングが重要』。機嫌が悪い時に持って行くと書類をぶん投げられたり、持っていたペンで身体を刺されたリ、目の前で書類を破り捨てられる。
機嫌が良ければ、話を聞いて貰える。
・次の上司→書類を破かない。人を刺さない。基本的に仕事は案件の内容で判断してくれる。
●ミス
・最初の上司→みんなの前で人格、育ち、親や生まれを否定。飲みの席で暴力。(柔道有段者なので折らない程度だったが)
●質問
・最初の上司→『質問をするタイミングが重要』。機嫌がよければ「普通このくらい聞かなくてもわかる。センスねえな」くらいで済む。
・次の上司→「お前何年目だよ」とか「どこ大卒だよ」くらいの笑い話で答えてくれる
みたいな感じでね。いや、この会社頭おかしいな改めて。それはそれとして、最初の上司に比べて次の上司はめちゃくちゃ優しかったという話。
で、今は実は俺が上司なんだけれども。
元増田みたいなルートを踏んでるやつがいるから、『最初の上司』の社歴が肯定されることに何故気づかないんだろうって。
トラバにもあったけど、元増田の『クソ上司にあたったけど上の人が変わったから活躍できた』というストーリーは
『最初にクソ上司にあたったけど我慢したから今がある』という話に容易に変換できるよね?
すると
『最初に根性を鍛えたおかげで今活躍できてるんだな』って話にすり替わるのも当然、想像がつくと思う。
会社ってのは、基本的に役員や上役の玩具だ。俺達の最初の上司も、当然その玩具を使うサイドの人間なのはわかるよな?
上に立った人は理解しやすいと思うけど、本当に個人個人の働き方とか、幸せとか、どうでもよくなるよね。出世すると。視座が変わって来る。
数字を出せば個人なんてどうでもよくなるフェイズ、その次は数字すらどうでもよくて権威が重要になるフェイズだ。
儲かっていて、結果を出している会社ほど数字なんか割とどうでもよくなってくるのは、マネタイズ出来てる会社の人ならわかると思う。
だから、みんなが思い描くような『部下を上手く使える上司が出世する!』なんてのは夢物語中の夢物語だ。
上役からしたら元増田の暗黒時代は今を支える屋台骨だし、その屋台骨を作った最初の上司は偉い!って認識にしかならないよね。
俺は嫌いだよ。今すぐ潰れればいいと思っている。
「あの時の苦労があったから今があるんだろ」なんて死んでも言って欲しくないね。元増田はどうなんだろう。
実際、元増田が成果をあげればあげるほど最初の上司の業績が間接的に認められるのは日本企業の力学を考えると当然だと思うけど。
何が言いたいのかというと。
過去はいつまでもまとわりつくし、同じ会社の中で環境が変わったから成功した!みんなも耐えてればいいことあるよ!
やられて嫌だったことは、やらないようにしよう!なんて話は問題の本質から目を逸らす行為だよ。
じゃあどうしたらいいかなんて簡単だよね。辞めるか、会社に損害を与え続けるか、とにかく間違っているということを証明し続けるしかない。
(自殺ってのも、まあいい手だとは思うけど、結局電通さんとかの自殺も話題になったけどほとんど改善されてないし、難しいよね)
なんかウダウダ書いちまって申し訳ないけど、
・話を必ず最後まで聞いてくれる。
・怒鳴らない
「これが出来るようになったのって、最初の上司に逆のことをやられて、嫌だと思った。その経験があったからだよね????」と言われたくないよね?ってだけの単純な話。
最初に怒鳴られたリ、ミスをこすられたリしたからこそ、今、改善「してしまっている」のが元増田の文章の問題点なんだよ。
パワハラ上司は、のうのうと生き続ける。元増田が稼いだ金で、ボーナスをもらい続ける。役員たちは「最初の上司に増田君をつけたのは正解だったなあ」なんて思いながら引退していく。
誰が悪いか?
パワハラ上司のケツを拭いてしまった、「次の上司」と「今の元増田」だよ。
パワハラがあったからこそ、今、業績があがっている。パワハラがあったからこそ、人に優しくできている。そういう話にしかなってないんだよね。
辛かった日々に、意味があったと思いたいのが人間の心理なんだろうが。
断言するけど、無意味だ。そんな経験はしなくていいもので、なんら業績とは関係ないものだよ。
俺も最初の方に、滔々とうちのブラックっぷりを書いたじゃん?そのブラック行為に意味があると思うか?あったと思うか?
一切ないね。
そういう経験をしたから、強くなれたとか、部下には優しくしようと思ったとか、一ミリもないよ。
じゃあどうしたらいいか?
簡単だよね。
改善しないことだよ。
クビにならない程度の短期的成績は出しつつ、長期的に会社に損害を与え続け、信用を失わせつづけ、部下や上司にダメージを与え続け、いつか会社を崩壊に導くことだけが正解だよ。
だからこそ、同じ傷を持つ人間たちが大量に必要なのもわかるよね?同志を増やすためにはどうしたらいいか。自分も、企業体質改善に寄与しないことだよ。
元増田はなんでいい上司になってしまっているの?そんなことしたら会社が改善されてしまうよ?
会社が改善されるというのは、過去元増田が受けた痛みが、正しい工程であったことの証明だよ?
だから、君は部下に『自分がやられて嫌だったこと』をしていくべきなんだよ。あるいは、自分以外の上司にそれをさせるべきなんだよ。
会社への恨みを持つ人間を、どんどん増やすことだよ。そうして、爆弾を抱え込ませつづけ、いつか大爆発を引き起こさないと、君の受けた人生の痛みは正しかったものになってしまうよ?
囲碁の十段戦挑戦者決定戦が稀にみるすさまじい戦いだったので語りたい。
許家元十段(25)への挑戦者を決める十段戦挑戦者決定戦は囲碁界の覇者・本因坊文裕(井山裕太)(33)と静かに燃える若獅子・芝野虎丸名人(23)の戦いとなった。
(許家元十段と虎丸名人は令和三羽烏と呼ばれる三強のうちの一人である。もう一人は一力遼棋聖(25)(河北新報の御曹司であり記者))
この碁がすさまじかったので碁がわからない人にもこの碁の凄まじさを伝えたい。
棋譜:https://igo-kifu.com/kifu/97893
通常自分が劣勢と思っている側は相手の地へ深く踏み込むのだが、黒番の文裕は踏み込まず、この手で足りてますよという、ヨセ勝負の淡々とした手を打った。(ヨセとは陣地の境界を定める終盤のフェイズのことである。)
これは普段、全面戦争を辞さない最強手を打ち続ける文裕の棋風らしくない手で、形勢判断を間違えているのか、文裕らしくないという事がチャットで囁かれていた。
しかし、その後形勢が接近、逆転し細かいヨセ勝負となり文裕の形勢判断にぬかりはなかったと手のひらが返った。
見どころは上辺の黒地へ白がハネ出しと呼ばれる、相手の地を削減するために相手の地のラインを少しはみ出す手を打ったところからの応酬だ。
この手には伏線があり、右上で白がハサミツケを打ったところから戦いは始まっていた。
https://youtu.be/zzJ-8YiNCl8?t=24444
ハサミツケとは相手の石を挟むように、相手の陣地側へ踏み込んで打つ手のことである。
この手はこの近くに、なにかこの手と連携した手段がある時に打たれる手で、何もなければ黒に遮られると相手の陣地へ持ち込みになって損してしまうだけの手になるリスクのある手だ。
黒は白に手段があると読めば損しないために相手を味方の地点へ繋がらせてあげるのだが、形勢が接近している時にはそういう手は相手に一方的に得をさせてしまうため、打ちたくない。
この時点でAI上での形勢は0.5目差、つまり半目勝負であり、一切の妥協もできる状況ではなかった。黒は最強に頑張って下がった。(相手の味方への連絡を遮った)
つまり黒は上辺に白からの手はない、上辺に何かイチャモンをつけてこられてもギリギリ耐えていると読んだのだ。
素人目には逆に黒だらけの上辺は白から手になるような筋はないと見えて、ラッキーと即下がるが
相手は虎丸名人であり、相当な読みの上で打たれたハサミツケを妨害する下がりの手は相当慎重に先の先まで読んだ上でないと打てない手だ。
そして、いよいよ決戦の時間、前述した上辺のハネ出しが来た。
https://youtu.be/zzJ-8YiNCl8?t=24869
白はここではハネ出さずに、あるいはハネ出した後にすぐ繋いでお互い温厚に行くルートでも勝てる見込みがあった。
しかし、ハネ出した後に下がり、もしこれで手にならなければそのまま相手へ石をプレゼントしてしまう状態になる妥協なしのハイリスクハイリターンな手を選んだ。
先程の右上のハサミツケからのコンビネーションで、相手の腹中に味方の白石が居る"味"を見てこのハネ出しを手にしようという狙いだ。
黒も白の言い分を通して相手と自分がお互いに接続するという安全な手を選べるが、形勢が悪いので黒も、白を分断するという危険な賭けを断行するしかない。
こうしてお互いに手になれば勝てる、ならなければつぶれて即負けるかもしれないという超ハイリスクなルートへ突入した。
ここから長手順のお互い一歩間違えたら即負けというギリギリの綱渡りの攻防が始まった。
素人目には白が手にする手段はないと思われたが、白は難解な手順を尽くしてなんとかお互いの石の生死をかけた二段コウと呼ばれる形に持ち込むことに成功する。
上辺のハネ出しから二段コウになるまで実に40手ほども一手間違えれば攻め合い負けて即ツブレというギリギリの応酬が行われた。
この二段コウまで見越して右上のハサミツケから上辺のハネ出しを打ったのならとてつもなく恐ろしい読み筋だ。
https://youtu.be/zzJ-8YiNCl8?t=26984
白に二段コウにはされたが、並の打ち手ならここまでの白の応酬でとっくに黒地が崩壊していた。
黒番・本因坊文裕はなんとか持ちこたえて自分側の有利な二段コウで耐えしのいだとも言える。
この時点で黒の評価値は90%以上となっていた。AIはこの二段コウを黒有利と判断していた。
コウというのはお互いの石を永遠に取り合える形で、千日手にならないように石を取られた側が一度別の場所へ打たなければならない。
そして相手が受けてくれて自分の手番になればコウを取り返せる。
これをコウダテと言うが、このコウダテの手は自分がコウに勝つために相手が受けざるを得ない場所へ打つ必要がある。
受けざるを得ない地点というのは、相手がコウダテを無視してコウを連打で解消した場合に、自分がコウダテの地点を連打したほうが地が大きくなる地点だ。(お互いに連打部分で得た陣地の差し引き計算)
このコウダテとなりうる地点のことをコウ材と呼び、このコウの材料の数によってコウの勝敗が決まる。(コウ材の単位は1コウ、2コウ)
コウは、コウに負けた側はコウダテの地点を二手連打することになるので、お互い2手連打し「振り替わり」と呼ばれる壮大な地形の変化が起こる。
このフリカワリの妙、ダイナミックさも囲碁の面白さであり魅力だ。
そしてこのコウが二つ連なっていて1回のコウの解消では解消しきれないのが二段コウだ。
この碁は二段コウの見本となるようなものすごい駆け引きを見せてくれた。
この碁は碁形的に黒にコウ材が多く、黒が勝つものと思われていた。
(黒には相手の白石を抜いた部分があり、石を抜くと相手からの利きが少なくコウに強い形となる)
しかし二段コウの複雑さが状況を覆した。
さきほどの説明の通り、通常のコウならコウに勝つためにはコウダテを打つし、コウダテは2手連打した場合を想定した時に相手より上回る地点へ打てばいい。
二段コウでは二段目のコウを取っている側は、相手にコウを取られてももう一段分コウで踏ん張る猶予があるので、
「あえて」コウの1つは譲って、「あえて」コウダテを打たずに、相手からのコウ材となる部分に先着して手厚くガードしてコウ材の数を減らすという手が打たれたのだ。
また通常2手連打分を想定するコウダテも、二段コウなら3手まで連打できる場所もコウ材となった。(右下270手目)
通常は打たれない緊急手段である、損なコウダテとなる損コウと呼ばれる手も、コウ部分に勝つことが大きいために打たれた。
この複雑な攻防の読みを頭の中だけで行うのはどうやらトッププロでも難しいらしく、この駆け引きによって白は黒番・本因坊文裕のミスを誘い逆転した。
文裕は右辺のコウダテで下側から放り込んでいれば2つのコウ材になった部分を、右側から放り込んでしまったためにコウ材を1つ減らし、コウ材の数が逆転し、形勢も逆転となった。
白の虎丸名人が自ら作った二段コウを見事に活用した形となった。
https://youtu.be/zzJ-8YiNCl8?t=28776
このコウ争いの真っ最中にコウ材の数を変化させる攻防は普通のコウ争いでは中々見られず、二段コウならではの難解で非常に見応えのある戦いだった。
囲碁歴20年で囲碁の奥深さを十分知っているつもりだったが、ここに来て囲碁のさらなる奥深い一面を知ることとなった。
正直、囲碁がわからない人に図説もなしの文章だけですべて伝えられたとは思っていない。この駄文だけでわかったら天才だ
しかしながらこの千変万化の攻防、千変万化の駆け引きの尋常ならざる面白さはもっと多くの人にぜひ知ってもらいたい。
囲碁の変化の奥深さ、神秘性、面白さを改めて知った一戦だった。
いま囲碁を始めるならここらへんがオススメだ。囲碁をある程度覚えたあとに改めて今回紹介した一戦をぜひハイライトから見てほしい
https://anond.hatelabo.jp/20230121112445
■新聞の末路
https://anond.hatelabo.jp/20230107053458
■知的水準で階層分断すればものすごく快適なインターネット空間ができる。
もちろんそんな階層分けは全然現実的じゃない。でもそういう露骨な形でない、それとわからないような垣根はいずれできていくだろう。
新聞がオワろうとしてるのはあとから見れば分断進行の一里塚だろう。
識字率向上が国民を統合し、マスコミが公共空間(あるいは共同幻想)を作った。
■かつてPCという新しものに飛びつくにはそれなりの敷居の高さがあった。
それをクリアできる人だけのコミュニティは、一瞬だけユートピアだった。でもすぐに一般化してスラム化した。
今後はそういう一瞬のユートピアや永遠のスラムが固定化して行くのではないか、その需要に応える機が熟したのではないか
いま、ネットって「通信手段」というより生活空間になってきてる。「空間」という言い方は100%比喩だったのが100%じゃなくなって来ている。
つまり物理的な住み分けに加えて、サイバー住み分けが可能になってきている。
一歩先行ってるアメリカの分断を見よ。
居住地と紐づいた分断だけでなく、ふだんどういう情報に触れてるかで見えてる世界が完全に違っちゃって、議論の接点すら持ちようがなくなってる
■ネットに限らずいろんな社会インフラが人を繋げる方向性、均質化させる方向性を強化維持してきた。
TVの全国放送ができてみんなが紅白を見る時代が来た。でもその流れが進むと多チャンネル化して、みんなが観てる番組はなくなった。
ネットも同様だと思う。ある時点までは人を繋げていく方向、ある時点からはみんなが常識として共有するものを砕いていく方向に作用する
■メディアは政治的だがネットワークは透明な媒質だというのはすごくレトロなネット観。
いま陰謀論が流行だが、彼らとはもう繋がりたくないし繋がれない。でもアノンはアノンで「一部のトンデモさん」と切り捨てるには大きすぎる世界を既に作っている。
デリングって娘ラブだけど、基本コミュニケーションの仕方がアレだよね。
ノートレットが生きていたから家庭がうまく回っていたんだろうな。
娘に「あんた王様のつもり?」って聞かれて普通「そうだ」とかどや顔で返さないよ。
で、気がついた。
審問会はデリングとプロスペラの茶番、って主張してる人がいるけど、あれは茶番じゃない。
ガチのマジでデリングとプロスペラがクワイエット・ゼロの主導権を巡って争っているんだと。
デリングは、たぶんプロスペラの手で学園にガンダムを持ち込ませるつもりでスレッタの編入推薦に手を貸した。
パーメットスコアを上げるためにスレッタは決闘に出てくる、というか引きずり出される。そこで「あれはガンダムだ」と主張して、エアリアルを接収する気だったんだ。
プロスペラとの争いに、状況を理解してないミオリネが乱入してきたら、そら即座に外へミオリネを放り出すためにも端的に「そうだ」とか言って会話を打ち切ろうとするよ。
一方、ゆりかごの星で「扉が開いた」とプロスペラは語り、スレッタ&エアリアルを学園に送り込んだ。決闘という決して死ぬことのないリングの上でエアリアルに経験を積ませ、パーメットスコアを上げるために。さらには、ホルダー制度を使ってミオリネの側にスレッタを置かせ、「お前の娘の命は私の手の中だ」とデリングにプレッシャーをかけるために。
二人にとって誤算だったのは、ミオリネがスレッタに本気で恋をしてしまったこと、そして株式会社ガンダムを作ったこと。
特にデリングはいくら娘の願いでもスレッタだけはちょっと……と思ってる。何しろプロスペラの娘だし。
だからこそミオリネに「逃げるなよ、ガンダムの呪いは~」とか言ってミオリネ自身にスレッタを監視するよう仕向けた。78億の金を突っ込んでまで。
だから、17の誕生日がやってきてミオリネが「スレッタと結婚する」なんて言い出したら、デリングとしてはすごく困る。
いくら娘の好みでも頼みでも、パイロット能力以外何にも持たない田舎娘なんてお断り! って考えてると思う。
そもそもホルダー制度が御三家を争わせて一番強い奴にミオリネを嫁がせて守らせるためのシステムだから。
そのために持参金としてベネリットグループまでつけますとか娘ラブが極まりすぎてるよ。
プロスペラからすれば、暗殺の件で脅したのに大して援護の役に立たなかったヴィム・ジェタークより、審問会に乱入し結果としてエアリアル接収阻止のきっかけを作ったミオリネは、スレッタへの愛情をうまくコントロールできれば自分の役に立つ、と考えてる。パーティーの席上でミオリネを煽ったのも、結果として株式会社ガンダム設立の一助となってるし、しかも株式会社の動向そのものがクワイエット・ゼロ計画を都合よく隠せるカモフラージュとして使えてるという、ラッキー展開。
この事態を解決するには、スレッタはデリングと、ミオリネはプロスペラと必ず対峙せざるをえない。
元増田は九電関電が原発再稼働のために投下したコストも人手も無視してるからね。
九電が再稼働に向けたスペシャルチーム組んだこと、関電は対規制委専従部隊組んだことをまるっと無視して、クソ雑魚雑な偽文書で規制やり過ごせると思いこんでたフシがある。
正攻法をとらない政治力でなんとかしようとするのが通用するフェイズじゃないのがわかってない。
北電もそうだな。
再稼働したいんなら規制委のお眼鏡に適う書類・運転体制の整備から進めろよ、と裁判で一方的にぶっ殺される始末。
東電も北電も「本来負担すべきコスト」を回避して果実だけ得ようとしてるフリーライダー。
そのコスト、再稼働にあたって他の電力が支払ったコストを頭に入れなければ、そりゃ原発は安いに決まってるわな。
「電力は頑張ってる〜」みたいなしょうもない一体視する前に、規制委に出す前のすべての書類のクロスチェックする態勢を取ってた九電と雑に出せばそれでいいと思ってた東電一緒にするの止めてほしい。
原発運転する連中には、九電くらいの意識の高さが求められるのは自然だし、そこで基準を弛いほう、低能の方に合わせるのは亡国。
私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんを食べ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲食店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日本屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。
私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。
私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いていた。ふと父が「父さんは今日こっちの道に行きたいんだ」と言って、普段は入らない芝生の中へ私を連れて行った。杉の木立の中には、小さな茶色の碑があった。父はその石碑の前で足を止め、静かに手を合わせた。「これは何なの?」と尋ねると、父はこの石碑が、阪神淡路大震災で命を落とした学生たちを追悼するための慰霊碑だと教えてくれた。銘板に刻まれた名前の中には、地元で教員をしていた父の教え子がいるという。父は何十年も教員として勤務していたが、彼が家庭内で教え子の話をすることはほとんどなかったので、少し驚いた。
小学校にあがると、音楽の授業で「しあわせはこべるように」という歌を習った。この曲は阪神淡路大震災のことを歌っており、神戸市内の小学校では震災学習の一貫として習うのだ。たぶん、1995年以降に神戸市で勉強した人間なら、誰もが諳んじて歌える一曲だろう。小学校でも中学校でも、毎年1月17日には黙とうを捧げ、校長先生のお話を聞いた。ある年の学校新聞の1月号に、同級生とその妹のことが書かれていたことも覚えている。2学年下に在籍していた彼の妹は、まさに阪神淡路大震災の混乱の中、1月17日、被災直後に生まれたという話だった。
高校生にもなると、「しあわせはこべるように」を合唱する授業はなくなった。進学校だったので受験勉強は忙しく、みんな志望校に入るため必死だった。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。先輩は部活でも目立っていて、関西の超有名大学への現役合格を果たしたことはすぐに後輩の私たちにも知れ渡った。卒業式の日に卒業生代表挨拶を担当したその先輩は、両親を阪神淡路大震災によって亡くしたことをみんなの前で話してくれた。10年以上が経った今でも、あのスピーチを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。
高校を卒業すると、私は自分の実家から一番近い大学に進学した。それは、子どもの頃から家族と散歩していたあの学校だった。私の学部はかつて父と散歩したキャンパスからは少し離れていたのだが、それでも時々あの慰霊碑を見に行くことがあった。いつのまにか、私は父の教え子だったという誰かより1歳年上になり、成人を迎えた。成人式の会場に向かう途中のタクシーでふと「私たち、本当はもっといたかもしれないな」と思った。
大学を卒業して上京すると、色々な地域出身のさまざまな年齢の人と関わりあうようになった。地元は神戸なんです、と言うと、ほとんどの人が「おしゃれなところだね」なんて言ってくれるので鼻が高かった。しかし時々、50代くらいの人と話すと「震災の時、もう生まれてた?」と聞かれることがあった。生まれてたけど2歳になりたてで記憶はないんです、と返すとだいたいそこで話は終わるのだが、ごく稀に「実は僕は当時大阪に住んでいて…」と、当時の記憶を話してくれる人もいた。
ある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東京出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。乗っていた電車が止まったこと。復帰のめどが立たず、線路を歩いて帰ったこと。その時、自分の前を歩いていたお姉さんが泣いていたこと。
その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は関西だから、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。私も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。阪神淡路の時に2歳だったよ、と告げると彼は気まずそうに「そっか、そっちか」と呟いた。
彼は私より少し年下だったから、もしかしたら阪神淡路大震災のことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。小学校の社会の教科書にはきっと地震のことも載っていたはずだけど、自分が高校生の時に体験した東日本大震災の方が記憶としてはハッキリしているに違いない。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。
私は今、違う場所で暮らしているけれど、今でも自分が育った神戸はとてもいい場所だと信じている。街の中心部である三宮駅前には、かつて「神戸阪急ビル」という名のビルがあった。この辺りは震災で大きな被害を受けてめちゃくちゃになったという。街のランドマークだったというビルは取り壊され、それからずっと低層のビルが駅舎に繋がっていた。このビルは2021年に高層ビルとして生まれ変わり、震災前の姿を模した外観でリニューアルオープンした。私より年上の世代は新しいビルを見て「元の神戸の姿だ」と喜んでいたが、私には正直良く分からなかった。私が毎日のように遊んだ三宮は「仮の姿」だったのか!それでも、西洋風のモダンな茶色のファサードは、「私の好きな神戸」の姿に近いような気がしていいなと思った。
私は今日、30歳になった。平成初期に生まれた私たちは、阪神淡路大震災の記憶とともに生きる「最後の世代」だと言われている。確かに、地震は私にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生、別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まだ2歳になりたてだったから当日の記憶もまばらだ。でも、成人式の時にふと過ったあの感情を、誕生日のたびに思い出すのだ。阪神淡路大震災がなければ、私たち、本当はもっといたかもしれない。地元の同級生は、実はもっと多かったのかもしれない。自分の人生のどこかのフェイズで、あの時いなくなった誰かが私の大切な人になっていたかもしれない。
記憶も年をとる。誤解を恐れずに言うと、阪神淡路大震災のことは、これからどんどん忘れられていくだろう。神戸と縁のない人たちにとっては、もうすでに阪神淡路大震災のことは別の災害の記憶に塗り替えられているかもしれない。はっきり言って、これはどうしようもない、誰が悪いわけでもない、日本に住んでいる限りは、大きな地震が定期的に起きることは避けられないのだから。でも、少なくとも私は― 傷ついた神戸の街に育ち、ゆっくりとその傷が治っていく中で青春を過ごした私は、これからも阪神淡路大震災を忘れることはない。「最後の世代」という言葉は、「私たちは本当はもっといたのかもしれない」とリアルに思える「最後の世代」だということなのだろう、と今は思っている。30歳になった今日も、またふと考えた。私と一緒に年をとってくれる誰かが、本当はもっといたのかもしれない。
『咲-Saki-』と『雀魂』のコラボ広告の件、立憲民主党の元議員が枝野幸男の威を借りて規制論主張してるのヤバすぎるだろ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/otsujikanako/status/1607397300082724865
民間で「議論を呼んでいる」だけなら、「え~オタクくんって表現の自由がどうこう言うくせに表現に異論を言う自由は認めないんですか~?」みたいな反論が普通に有効だったかもしれないけど、もうそういうフェイズじゃないでしょ。
「警察とのコラボは行政に関わることだから議員が口出ししてもいい」はわかるし、「地域おこしプロジェクトは公共のものだから議員が(ry」みたいなのも「そうかな……そうかも……」と思う余地はあるけど、『月曜日のたわわ』バッシングで全部吹き飛んだよね。すげえよ。公金が一銭も投入されてないのは明らかな純然たる民間の広告に対して国連だぜ国連。
だいたいこれらのコラボや広告が「公共のものだから抑制的に」と言われるなら、現職地方議員やら国連機関の日本支部やら元国会議員やらはどう考えても公人じゃねーか。綸言汗の如しって言うだろ、公人ならもっと抑制した言動を心がけろよ。あいちトリエンナーレに対して「感想を言った」自民やら維新やらの連中とどこが違うんだ? 慰安婦問題が書かれた歴史教科書に「けしからん!」って憤る歴史修正主義おじさんとやってること同じじゃん。
元国会議員といっても、タレントが1期だけ参院議員やったけど辞めました、今は芸能業に集中してます、という人なら、まあ民間人として自由にモノを言ってもいいかもしんないけど、尾辻かな子って選挙で負けて議席を失っただけで、今も返り咲く気満々の人なんだよね。もっと権力者としての自覚持つべきじゃない?
いや、この尾辻かな子の発言、「私は感想言っただけです。感想言うのも駄目なんですか?」って言われてたら結構オタク側は苦しかったと思うのよ。最初のツイートだけなら純然たる感想と言える余地はあったし。でも「枝野さんも公共の場にはふさわしくないって言ってました」だと普通に権力使って表現規制しに来てるじゃん!? って話になるよな。
文句言いたいのはわかったけど、せめて建前だけでも糊塗しようとしないのは本当にまずいと思う。権力による表現の弾圧には抗っていかないといけない。
2023年1月1日(日)に改訂されるリミットレギュレーションの変更点
「エンシェント・フェアリー・ドラゴン」はルール改訂に伴い2023年1月1日から下記の新しいテキストになるぞ!
このカード名の①②の効果はそれぞれ1ターンに1度しか使用できない。
①:自分メインフェイズに発動できる。手札からレベル4以下のモンスター1体を特殊召喚する。この効果を発動するターン、自分はバトルフェイズを行えない。
②:自分メインフェイズに発動できる。フィールドゾーンのカードを全て破壊し、自分は1000LP回復する。その後、破壊したカードとはカード名が異なるフィールド魔法カード1枚をデッキから手札に加える事ができる。
※新しいテキストが記載されたカードは2月18日発売の『RARITY COLLECTION -QUARTER CENTURY EDITION-』に収録されます。
※過去に発売されたカードも全て新しいテキストに読み替えて使用します。
※「心変わり」は2月18日発売の『RARITY COLLECTION -QUARTER CENTURY EDITION-』に収録されます。
趣旨は
このたび、「Colaboと仁藤夢乃さんを支える会」より、森牧師の逮捕報道を受けて、公表済みの賛同メッセージを削除した旨の連絡をいただきましたので、ColaboのHPで公表しているものも差し替えてあります。
Colaboでは、「私たちは『買われた』展」を、パネル貸し出しという形で全国で行っています。各地で開催者として手をあげて下さった個人・団体にパネルを貸し出し、そこで開催して頂くという形です。
(略)
バネルを貸し出しているだけであとは知らない、という意味に取れますが、それでよろしいですか?
「私たちは『買われた』展」について、そこらの有象無象から開催希望があっても、パネルを貸し出しているのでしょうか?主催者の活動や理念に共感してるから貸し出してるのではないでしょうか。
このように、対外的にはかなり密接な団体ととらえられていたと思います。
代表理事の仁藤が森牧師と知り合ったのは、2018年に神戸を訪問する機会があった際、知人から、現地で虐待を受けた子どもを保護するNPO法人を運営しているとしてNPO法人ホザナハウスを紹介されたのがきっかけです。
(現在削除済み)
神戸周辺の女の子たちの近くに頼れるところがないかなと思っていたときに教えてもらい、お会いしたいと思っていた森牧師の記事。ホザナハウス hozana-house.com
元々の文章ではたまたま知人から紹介されたことを「きっかけ」としていますが、ツイートを見る限り仁藤さんの側から会うことを希望していたように読めます。
これは「きっかけ」ではないのでしょうか?
「Colaboとつながった」という文言の定義でなんとでも読める文章です。例えば、
「Colaboには接点がないが、仁藤さんに直接相談した人」
このような人に対して、森さんの団体を紹介したことは一切無かったのでしょうか。
また、仁藤さんが講演等を行った際、森さんの団体を好意的に紹介したことはなかったのでしょうか。これを聞いて森さんの団体を頼ってしまった人がいるかもしれません。
もちろん、その当時は知り得なかった情報ですし、それが悪いと言っているわけではありません。
ただ、どのような繋がりがあるのか、と説明する文章の書き方としていささか相応しくないのではないのかと思います。
これだと、「私たちは『買われた』展」での交流も無かったように思えますが、「その他の」イベントの誤植でしょうか。
せっかく弁護団がいる中で公表する文章なのですから、誤解を生まないように書いていただけたらと思います。
⇒
なお下記のtweetは、2017年時点で森牧師についての記事を読んだという事実と、当時の心境を述べたのみであり、仁藤氏が実際に森牧師と知り合ったのは前述のとおり2018年であることを改めて申し上げます。
いや、誰も「知り合った年」なんて問題にしていませんよ?
2018年に神戸を訪問する機会があった際、知人から、現地で虐待を受けた子どもを保護するNPO法人を運営しているとしてNPO法人ホザナハウスを紹介されたのがきっかけ
これだと、たまたま神戸を訪問した仁藤さんが、たまたまホザナハウス(森さん)を紹介されたのがきっかけで知り合ったように読めるじゃないですか。
でも、仁藤さんのツイートによると、それ以前から会うことをかなり強く希望されてますよね?
仁藤さんの希望を知っているからこそ、2018年に紹介されたのかもしれませんよね?違うんですか?という疑義ですね。
神戸での「私たちは『買われた』展」に参加された方がアップしているチケットによると、同展の中で仁藤さんの講演会も行われていたようです。(https://twitter.com/katteni_ouen4/status/1042742154857144326)
少なくとも、「パネルを貸して開催していただいている」だけの繋がりとは思えませんが、いかがでしょうか?
ブコメ拾いです。
流石に失礼すぎませんか?
と感じたけど書いておきますね。
○こいつら、もう何を書いても言っても叩くフェイズに入ってるよな。その前は「なんでコラボは見解を表明しないんだ!」って言ってて。エコーチェンバーキマってきてるから注意しろよ。
○誤解を受けないように書いてるのに更に曲解して難癖つけようとするの、もうColaboが何言っても叩いてやろうって精神が先行してるじゃん。いい加減ミソジニーで叩いてますって白状しなよ
何を書いても叩きたいとは思っていませんよ。
「誤解を受けないように書いている」のではなく、「誤解を生むような文章」に読めるので指摘しているだけです。
私の読解力が未熟なので恐縮ですが、元の発言では、
「仁藤さんが」
「神戸周辺の女の子たちの近くに頼れるところがないかなと思っていたときに教えてもらい」
「Colaboと繋がった女性」
と微妙に主体も客体も変えている理由をお教えいただいてよろしいでしょうか。
これで誤解を生まないと感じておられるのでしょうか。
ここ数年の課題として、自分の毒が蓄積されている感覚があります。
おそらくその原因は「自分が他の人と比較して欲望を犠牲にして実績をつけてきた」という自負だと思っています。
これは半分事実で半分は嘘、というか運が良いだけだと思ってます。
そこで私はエンジニアの管理・調整などを行いつつプロジェクトを進めていく役割になりました。
なんだかんだで実績を出せて利益に繋がり徐々にメンバーも増えていったのですが
控え目に言っても3年は私がいなかったら存続しなかったのではないかと思っています。
これは驕りと思われるかもしれませんし、一方で会社なんて誰が辞めても存続はするように仕組みを整えるものだと思いますが
そうは言っても当時は私がコアメンバーだったとは思いますし、私が抜けなかったことで成立した側面は結構大きかったのではと思っています。
幸いなことにきちんと上司には評価され、平均年収を軽く超える収入を得ました。
労働時間もベンチャー企業と言いつつもある程度は管理され、規格外の残業時間になるようなケースはなかったです。
こう聞くと恵まれているように見えます。それは事実である一方で失われつつある感覚もあります。それは感性です。
仕事のせい、と言い切る訳ではないのですが、大きな要因ではあるのかなと思ってます。
コアメンバーになってしまったのである種必然的ではありますが、案件の難易度は高く、かつ会社的に重要なものが多かったのです。
そういう状況を繰り返す中で「難しくてもなんとか解決して乗り越える」実績はそれなりにつきました。
もちろん人間関係にも恵まれていた方だと思いますし、メンタルも結構強い方だったみたいです。
ただやっぱり、サービス残業や休日出勤はしないにせよ、勤務時間後や休日に仕事のことをモヤモヤ考えたり、仕事の分野を少し勉強したりはありました。
コロナ禍でリモートワーク主体になることもあって、余計に仕事とプライベートの分割の難しさを感じました。
とは言うものの、仕事がアイデンティティの中に入らないようにはコントロールしました。
というか、私の感覚としてどんな案件であれアイデンティティにそもそも入らないみたいでした。
「お客さんを助けたい」とか「社会問題を解決したい」とかそういう強い意思はなくて、ただ目の前の案件をクリアする。
ゲーム感覚でしかないのです。ただ性格・能力的にあった仕事で楽にお金を稼いで、それなりに快適に暮らせたらそれでいい。
ついでに周りの人から重宝されたり感謝されたら少し嬉しい。その程度でしかないのです。
もともと上昇志向なんてそんなにありません。プロジェクトをうまいことコントロールしつつ
トラブルなくスムーズに進められたらそれでいいという感覚でしかないのです。
適度に妥協しつつ、それでも要件は満たすように良い感じの着地点を設定して進める。
そういう感覚がベースとしてあるにもかかわらず仕事の難易度はそれなりに高かったので
「ちゃんとしないといけない」という感覚が自分の中で強まり、プライベートが徐々に侵食されていきました。
シンプルに頭が疲れるので、休日は結構寝ないと回復した気がしません。
残業は少ないにせよ、新しい娯楽を楽しむ気力がなかなか持てず、睡眠を優先してしまう。
仕事の方で頭をフル回転させないといけない。そういう感覚に徐々になっていくのです。
じゃあ休んでリフレッシュすればいいじゃんってなります。それはそうです。
もちろんストレスに負けたら有給は取得しますが、普段はなかなか押せないんですよね。
これは環境ではなく私が原因の側面が大きいのですが、替えが効きにくいポジションになってしまうことが多い以上
有給を取ったとしても自分の仕事を他の誰かがやってくれるわけではないからです。
なので、ある程度プロジェクトがうまくいってる時か、プロジェクトの切れ目とかではないと
なかなか有給は心理的に取りにくいと感じてしまいます。うっかり仕事中心の生活にしてしまうし、うっかりクリアしてしまう。
だから評価されるし、次の案件の難易度は必然的に高くなる。そうして見えない神輿に乗せられて、徐々に降りられなくなっていく構造を感じます。
このサイクルを繰り返すことで、私は徐々に感性を失っていくような気がしてきました。
とは言いつつ完全に無趣味になってしまうかというとそういうことはなく
友人とゲームをやったり、たまにライブに行ったり、映画や漫画などの娯楽は適宜摂取しています。
でも、昔と比べて全部上滑りしている感覚を拭えないのです。
学生時代に何かに夢中になって徹夜したとか、ストーリーや登場人物に没入してめちゃくちゃ泣くとか
授業中にもそのことを考えて空想してしまうとか考察サイトを全部追って自分の解釈と比較するとか、そういう感覚になるほど夢中になれたりしないのです。
ストーリーものなら疲れたとか眠いとか思いつつ、時には仮眠をとりつつ完走するとか
競走系なら友人とDiscordで繋いでゲームするとかそんな感じでしかないのです。
感想も「なんとなく良い感じ」とか「中だるみもあったけどなんだかんだで割と面白かったな」で終了。
常に40-70点の感覚です。上振れも下振れもありません。ただ通過するだけ。
単純に年齢によるものかもしれません。あるいは体力もおそらく関係するのかもしれません。
そもそも、インドア趣味に飽きつつあるフェイズなのかもしれません。
あるいは、夢中になれるほど時間を費やしていないのかもしれません。
これまでの経験上、感性を培うにはそれ相応の時間が必要だと考えています。
現状では、その時間が不足している気がしてならないのです。
趣味は自分の感性を培うのではなく、ライトなコミュニケーションツールでしかない。
多くの人はそもそもそのくらいの温度感でしか趣味をしていないのかもしれませんが
どれもフワッとした楽しみ方しかできない自分の空虚感をすごく持ってしまいます。
今後仕事で更に求められる水準が高くなり続けるであろう状況を鑑みて
一人で心身をコントロールしながら乗り越えていくのは厳しいし
でも、現段階で一人で生きると決断できるくらい肝が座っているわけでもない。
そこでお互い現代社会を乗り越えて、色んな楽しみを共有できるようなパートナーが欲しいと思い、婚活を始めてみました。
1, 2年マッチングアプリをやってみて10人前後に会いました。
曲がりなりにもスペックだけ見ればそれなりに高いので、そこそこの人数と会えてしまいました。
でも、私の中での感性が減っており「ピンときた!」感覚になかなかなりません。そうして無意識にコミュニケーションの中で相手の地雷を踏んだり
アプローチの決め手に欠けて及び腰になったり、なんとなくで交際を申し出て
とりあえずOKをもらっても上手くいかなくて数ヶ月で破局したりというケースになりました。
こうした中で、私の致命的な欠点を感じました。それは「他の人を見下してしまう」というものです。
例えば仕事の愚痴を相手から聞くことがあったとして、うんうんと聞いてる裏で「どうしてこの程度で愚痴を言うんだろう?」
と思ってしまう自分が少なからずいるのです。そもそも自分の環境がある程度恵まれていることや、マネージャ的な視点が強いからという点もあるのですが
多くの人にとって仕事は「降って湧いたもので、理不尽を強いられるもの」という感覚だとか
自動的に仕事とアイデンティティを結びつけてしまうから、仕事の否定を自己の否定と直結させてしまうとか、そんな傾向を感じてしまいます。
そして、こういう類の愚痴を聞くと「それはあなたの認識の問題じゃない?」ってすぐに考えてしまうのです。
ある程度信頼関係があるなら直接言っても問題ないのかもしれませんが、そうでない関係だと言うのはさすがに良くないでしょう。
「それは本当つらいよね」とか「あなたはよく頑張ってる」とかで共感を示せたらいいのはわかっています。
というか言います。でも、心の中でそんなことを思ってない自分がいる。相手に好きになってもらうことを考えたら
それが最適解になるのはわかっています。でも、本心は全然共感していないのです。
私たちはそれぞれ地獄があるとは良く言われますが、オアシスを地獄だと思う癖があるのではないかとか
悲劇のヒロインぶる癖があるのではないかとか、メリットとデメリットを客観的に見ることができず
デメリットを過大評価してしまっているのではないかとか、そういう見方をしてしまうのです。
そういう考えが根底にあるのでコミュニケーションのどこかで「この人は危険だ」というセンサーをどこかで作動させてしまっている気がしてならないのです。
というか事実そうなのでしょう。自分の中で「真っ当ではない」心があるのを感じます。寛容になれない心があるのを感じます。
そう考えると、私の中でモラハラ気質はめちゃくちゃあると実感してしまいます。
幸い職場ではまだ発露していないですが、家庭を持つとなると何がきっかけで発露してしまうかわかりません。
ただこれは仕事ができてしまった、たまたま評価されてしまった報酬と引き換えに持ってしまった性質としか言いようがないのかなと思っています。
こうして見ると、分不相応な難易度の案件を仕事に過剰にリソースを割くことでクリアしてしまい、結果性格を拗らせてしまったという状態なのでしょう。
自分の中に蓄積された毒を認識し、それを発露させないように取り除くのは極めて難しいと思っています。
私の場合、仕事の報酬や実績と引き換えに持ってしまったので尚更です。
おそらく男性は自分の価値観や性格が変わりつつあることを意識しない人が多いと思います。
また内面を話して受け入れてもらったり、フィードバックをもらう機会はそう多くないと感じます。
ただ、そうやって定期的に毒や棘を取り除いていくことで表面的には穏やかな性格に見られるのかと思います。
しかし、そうした機会が少ないと棘の上から武装することになる。するとふとした瞬間に相手に毒や棘を見せて危険だと思われてしまい、結果的に拒否される。
そういうケースは非常に起こっているのではないかと感じます。現代社会を生き抜くためには精神の武装を強いられますが
鎧の耐久値を上げることに躍起になって解毒や棘を除くことを怠るのも、それはそれで歪みを生じてしまいます。
必要なのはパートナーという形でないにせよ、信頼できる人に内面を話して理解してもらうだとか、楽しいことにフォーカスするとか
仕事の役割を変えてもらうよう交渉するとか、そもそも転職や引っ越しをして環境をガラッと変えるとか、そういったことなのかなと思います。
とはいえ、私も体力がある方ではないですし、すぐに解決することは難しいので、できる範囲で少しずつ試していくしかない。
そうやって世の中とチューニングしていくしかないかなと思っています。
今回は解毒の手段の一つとして自分の状況を言語化し、可視化できる状態にしてみました。
そしてあわよくば全世界の人からフィードバックを得ようという算段で増田に投稿してみます。
みなさんの毒はどういう種類のものですか?
そしてそれをどのように取り除いていますか?
物理レンズの充実具合と撮像素子の充実具合を脇に置いておくと、デジカメに必要な構成要素は全てスマホに備わっているし、デジカメの構成要素だけだとスマホに必要な通信の要素が欠けてしまう
スマホがデジ1眼になるために足りない要素は
でも
といった要素が見えているので、もうデジカメは長期的には消える
Q: 「虚無魔人」がモンスターゾーンに存在する場合、「妨げられた壊獣の眠り」を発動できますか?
A: 「虚無魔人」がモンスターゾーンに存在し、そのモンスター効果が適用されている場合には、「妨げられた壊獣の眠り」を発動する事自体ができません。
https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/faq_search.action?ope=5&fid=6411&keyword=&tag=-1
①:フィールドのモンスターを全て破壊する。その後、デッキからカード名が異なる「壊獣」モンスターを自分・相手のフィールドに1体ずつ攻撃表示で特殊召喚する。この効果で特殊召喚したモンスターは表示形式を変更できず、攻撃可能な場合は攻撃しなければならない。
Aがフィールドのモンスターの全破壊でBがデッキからの特殊召喚に該当する。
虚無魔神が存在すると特殊召喚が行えないため、Bの処理はできない。しかし前提となるAの処理には干渉しないにも関わらず、この場合はカードの発動自体ができないことを意味する。
似た例としてスターライト・ロードがあるが、これは虚無魔神があっても発動でき、前半の無効化だけは処理できる。
「虚無魔人」の『①』のモンスター効果が適用され、モンスターを特殊召喚する事ができない場合でも、「スターライト・ロード」を発動する事ができます。
(エクストラデッキに「スターダスト・ドラゴン」が存在するかどうかによって処理に違いはありません。)
なお、この場合、「スターライト・ロード」の『その効果を無効にし破壊する』処理は通常通り適用されますが、『その後、「スターダスト・ドラゴン」1体をエクストラデッキから特殊召喚できる』処理を適用する事はできません。
また、RR-アルティメット・ファルコンは相手フィールドにモンスターがいなくとも(2)の起動効果を発動できる
相手のモンスターゾーンにモンスターが1体も存在しない場合でも、自分のメインフェイズに「RR-アルティメット・ファルコン」のモンスター効果を発動する事はできます。
その場合、『相手フィールドのモンスターの攻撃力は1000ダウンし』の効果が適用されるモンスターは存在していませんが、『相手はカードの効果を発動できない』効果は適用される事になります。
https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/faq_search.action?ope=5&fid=18169&keyword=&tag=-1
こういったものを的確に説明できるほどには今の遊戯王はルール整備が整っていないと考えるのが自然
スターライト・ロードは、後半の特殊召喚がマクロコスモス同様に任意であるがために前半の効果を使える、というのはまだわかる
だけどアルティメット・フェルコンが相手モンスターのいない時に効果を発動できることが空撃ちに該当するかどうかを即座に判断するのは難しいだろうな
遊戯王が「読めばわかるルール」ならばカードだけで全てが完結してよいはずなんだ
だけど多種多様な裁定や裁定変更は多く、調整中の箇所も無数にある
灰流うららは読めば問題ない、というのは、実はwikiの項目が非常によく整備されており、かつ使用頻度が高く多くの人が解説をしているからに過ぎない
トリケライナーが大会で使われるまで多くの人がそのカードの使い方を知らなかったのは有名な話
マクロコスモスやスターライト・ロードに関しても、特殊召喚が任意だからデッキに出せるモンスターがいなくとも発動できる、というのは初心者が初見で理解するのは無理がある
もちろん、基本的なルールに則っているのは事実だろうけど、ルールってどこに書いてある?
総合ルールというものがなく、非公式wikiや公式のデータベース、あるいはパーフェクトルールブックに載っているか、スターターについている薄い冊子だけ
つまり「Aを処理できるならBを処理できなくとも発動できる」というルール自体は、実際は裁定をみるかwikiを読むか、事務局に質問することで判明する
それ自体も反証が多いため、実際に本当のルールがなんなのかを読むのは厳しいところ