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はてなキーワード: 鉄拳制裁とは

2024-11-05

anond:20241104134937

男なんて鉄拳制裁がないと怒られてると認識しないだろ。

2024-10-27

母の弁当(キャットファイトエンド)

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。

友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当ゴミ箱へ捨てていた。

ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。

私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。

すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とても食べられなかった。

家に帰ると母は私に「今日弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。

私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので

「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。

その刹那、母が私の頭にゲンコツ振り落としてきた。

そういえば、母は食べ物関係ジョークを一切許さないのだった。

私は涙目になっておとなしく部屋へ戻った。

それ以来、母は相も変わらず質素で見映えの悪い弁当を作り続けたが、私はそれを捨てずに、食堂で食べるようになった。もしそれが見つかったら、殺されるかもしれないから。

母のゲンコツは体が弱い人から繰り出されたとは思えないほどのパワーだった。後から知ったが、母は私が知らない病気を患っていたらしい。

そして、私が知らなかった母の病気とやらは、私が高校に入った辺りで寛解してしまった。

母はまだ弁当を作ってくれたが、見栄えは相当によくなり、キャラ弁なんかも登場し始めた。友達には結構好評だった。

高校卒業間近のある朝、母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。

その刹那中学生の頃の周りを気にしてやらかした愚行と、反抗期特有の親への反抗、そして視界が揺らぐほどガツンと響いた母の鉄拳制裁と、いろんな記憶脳みそを駆け巡ってきた。

私は、クッションに顔を埋めて、手足をバタバタさせてのた打ち回って、ようやく「あの時はごめん」と声を絞り出した。

母は涙を浮かべて「良いんだよ」と言ってくれた。

教室ウキウキしながら弁当箱を開ける。

入っていた海老は、あの時と同じ殻剥きがめちゃくちゃで、彩りも最悪の腐りかけた海老だった。

帰ってから、私と母は、近所の婆さんに警察を呼ばれるまで殴り合った。

今は2人仲良く留置所で父を待ってます刑事から出してもらったのは、もちろん海老天丼…(完)

2024-07-31

anond:20240731011709

819 学生さん名前がない:2008/05/01(木) 16:40:48 O

増田で聞くのも恐縮なんですが、国内線ってどういう怒り方システムなんですかお?( ^ω^)

JRみたいに鉄拳制裁なんですかお?( ^ω^)

怒りくらべしてみたいんだお( ^ω^)

 

821 学生さん名前がない:2008/05/01(木) 16:44:15 0

>>819

相手のサイフは抜き放題だお( ^ω^)

勝手に取って5万円抜くといいお( ^ω^)

 

885 学生さん名前がない:2008/05/01(木) 20:48:15 0

>>821

てめえ、一生恨んでやる

あやうく 警察沙汰

2024-05-27

anond:20240527101340

おぢという氷河期世代かわいそす

鉄拳制裁教育で損

就職難で損

バブル崩壊で損

やっと年功序列で威張れると思ったらエイジズム最盛期

わらう

2024-03-19

anond:20240319142018

お察しの通りうちはそこそこの放任主義ではあった。

金だけはあったから、読みたい本は何でも読めたし

やりたいことを何でもやらせてもらえたけど。


ただ平成前期の頃でまだ社会が、子ども教育する意志を持っていたことが大きかった。

手帳持ち寸前の超ド級ADHDだが、学校でも、習い事でも、親戚にも鉄拳制裁教育してもらえた。

イチ社会人として人様に迷惑を掛けることな生活出来ているのは、どう考えてもそのおかげ。


そういう意味で、今の子どもたちは本当にかわいそう。

物心いたころにはお前は障がい者だ、やれ薬を飲め、やれ特別学級に行けって。

本人たちの努力は?少し頑張ればきちんと世間様とコミュニケーションを取れるようになれるのに。


ま、確かにあとは本人がきちんと現実社会勉強して適宜修正していくしかないのよね。

いちいちネットなんかの情報に惑わされる必要もない

anond:20240319134741

"まともなコミュニティ"ってのは関わることがない人間からしたら

評する評さない以前に、死ぬまで存在認知する権利のないコミュニティなんだよね。

そもそも、今回のように世に出回らない。


うーん…いちいち個別具体的な事例を教えているとでも…?

何だかいまいちピントのずれた回答をしてくれるなあ。


仮に自転車歩行者ベルを鳴らしまくる人間がいたとして

今の社会放置する方向なのよ。知的障がい者として。触らぬ神に祟りなし。


今回の話なぞ、もっと本質的ものじゃん。

お前は世の中からズレてるぞ、と教育するのは親じゃなくて

その時々の社会なわけ。


今回で言えば、50皿食べることが許されないのなら

それを明記しておくのが筋、と言っている基地外どもがおかしいことは

まともな社会暮らしてきたのなら分かる当たり前のこと。


今の社会鉄拳制裁で教えてあげることもできない。

昔はそういう人間はぶん殴られて「お前はズレてるぞ」と教えてもらえた。

今は、教えてあげたのに恩を仇で返すモンスターだらけになって

社会で生きていく必要最低限の躾さえ、全て親に任せる風潮に。

そもそも知的障がい者知的障がい者を育てられるわけがない。

知的障がい者再生産になってしまうわけ。

一昔前なら山に捨てられていたかYの鉄砲玉になっていたが

それすら許されない社会になった。

で、いっちょ前のツラして俺にも生きる権利がある、と。


そういう世の中になってお金持ちはどう考えたかと言えば、

単に放置していると面倒だから、誰彼構わず手帳を授けてシャブ漬けにして

ひまわり学級のアパルトヘイト解決しようという世の中になったわけ。


さらに言えば、親世代はそのズレを感知できない。

そもそも世の流れについていけなくなるし、その速度はさらに速くなっているし

最近のしらけ世代以下の老害どもは新しいことを取り入れようともしないわけ。


からそんな、親だけで教育ができると思い込んでいる傲慢人間

教育されてしまったとすれば本当に不幸なこと。

知的障がい者再生産を止めるために、

親は無くとも子は育つ、そういうことを理解して欲しい。

人間環境動物なのだから

親の教育次第かな、などというそれこそ昭和会社のような属人的解決方法通用しない時代だぞ、ってこと。

2023-10-13

の子どもはこんなうるさくなかった!って言うけどさ

絶対懐古補正入ってるよそれ。


実家を整理してたら30年ほど前の幼稚園参観日のビデオが出てきたんで家族で見てみたんだけど、



まーーーうるせえうるせえ。



一応それなりにお育ちのいいエリアで当時も小学校受験する子がそこそこいたし、

後にお受験幼稚園なんて呼ばれるくらいには民度いい幼稚園なんだけど。


何より親がみんな下の子(赤ちゃん)連れてきてるから余計うるせえ。クソデカ大声で説明する先生本当に大変そう。

流石にお話中に立ち歩いたりするような子はいなかったけどね。



それでもなんかの工作?が終わったあとに園庭で遊ぶ頃にはみんなの嫌いなキエエエエーーーー!!!の大合唱だった。



これを見て思ったのは昔の子どもは静かだったとかだいたい嘘。絶対懐古補正入ってる。

子どもは今も昔もキーキーうるさいしテンション上がったら騒ぐし腹立ったら泣く。個体差はあったとしても全体的な傾向として。


じゃあなんで急に子どもの声が騒音扱いされるようになったかというと、全体的に静かになったからじゃないかと思う。



昔は公園でキャーキャー騒ぎながらボール遊びしてた。近所のおじさんちにボールが飛んでってガラス割れるシーンは子ども向けアニメでは定番だった。コラーッ!で済ませてくれる神成さん優しすぎる。現実ではどうだったんだろうね?


なんなら全国で夜中に暴走族ブンブンかっ飛ばしてたし、工事現場騒音配慮とかもなかった(と思う、多分)。

あと吠える犬多くなかった?もう野良犬はそんないなかったけど庭に繋がれた外飼い犬がしょっちゅうわんわん吠えてた思い出。



なんていうかうるさくて当たり前だった。よく言えばおおらかな時代だけど民度が低かったとも言える。

相対的子どもの声が響くようになったのかなと。データも何もない個人の感想ですが。

あとはあまりにもうるさい子ども鉄拳制裁が飛んできたのもある。時には知らんおっさんからも。今なら余裕で暴行罪



子どもはうるさいし騒ぐもんだから常に許容しろとまでは思わない。あまりにもうるさかったら言っていいと思う。

自分店員にチクることもあるし直接言うときもある。はしゃいだキッズにおもくそ足踏まれた時とかね。親に慌てて平謝りされるだけでトラブったことはない。

当たり前だけど激昂したりクソガキとか躾がどうこうとか余計な言葉を添えると絶対に揉めるしこっちが悪くなるので、あくまで落ち着いた口調で簡潔に丁寧に言うのがポイント。ネチネチやり込めるのもだめ。

内心クレーマーキチガイ扱いされてるかもしれない、というか多分されてるけど謝られて静かになればこちらの希望は達成されてるし別にいい。



自分と同世代と思わしきアカウントが「今の子どもはうるさい!自分たちの頃はもっと静かだった!」とか言ってるとうわー老害だー!ってなる。

だって絶対の子ももうるさかったからね。なんなら公園Switch持ち寄って遊んでる今の子のほうが静かかもね。

2023-08-11

外でゲンコ食らってたガキかわいそう

今日おでかけしたら父親に言うこと聞かないからって

鉄拳制裁食らってしょんぼりしてるガキいた

かわいそう 

せっかくお出かけしたのにそっからずっと父親不機嫌でかわいそう

しょうもないことでガキ殴れる人も結婚できるんだなぁ

これがモテるオスの暴力性ってことなんすか?

2023-07-07

anond:20230706231142

鉄拳制裁したくなるよな

いちいち意見を全部聞いて、まぁ色々あれば一つくらいは考慮に足らなくもない意見が必ず混じったりはするが、一つでも採用ちゃうとまた図にのって全部に文句つけ始めるし上下関係を分らせておくのってそこそこ重要 上司無能なケースもあるから全部が全部どうだとは言えんけど、大体の場合において仕事で年長者に無策に突っかかる新人の方がまともだった例は少ない

自分新人だった頃に上司に不満持ってた記憶はあるし、色々思うところはあったけど何年も色々指摘を受けてようやく言われてたことの意味が分かるんだよな 何事も不慣れだと対象への解像度が低すぎて自分のやり方が1番だと感じてしまいがち

アホでもなんでも話聞いてやろうっていう時代になって、平均以下のアホであるほど身の程が分から増長するようになってしまった

それこそまさに最初パラグラフで書いた「全部が全部ダメなわけじゃないし俺の考えた最強の方法を聞け」みたいなこと本気で思ってそうなんだよな むしろ新人の目で見た新しい発想の方が優れてると思ってそうまである 俺の職場でも、プロは見落としがちなナントカみたいな夢物語を聞いて小学生以下のアホなコメントドヤ顔披露する専門性ゼロのアホにずっと苦しめられてる。どんだけ非効率にお前の意見を聞かないといかんのやアホかって話で、まともな知能を持った人間ならそのあたり察してまずは郷に入っては郷に従う姿勢を見せながらちょっとずつ気を伺うものだけど、アホには力で分からせる以外無いんだよな

2023-06-22

昭和初期の学校事件の本読んでると

体罰教師鉄拳制裁小学生脳障害負わせても

転任くらいで済んでて怖すぎる

親が告訴しようとするも周りに「お子さんも自業自得」みたいな感じで止められて裁判断念したりして

さすがに野蛮な時代やな……

これが許される時代に生まれなくてよかったわ

2023-06-20

愛のムチっていうけど

反撃してこないであろう相手を的確にかぎ分けてマウンティングにいそしんでるだけだろ

球児に銃やナイフを持たせた状態で同様の説教鉄拳制裁ができるんなら

それは愛のムチと認めてやるが

2023-06-05

男の俺がどうしてもミソジニー世界観迎合できない理由

昨今の行きすぎたフェミが発信する男性蔑視や、「女性はこんな苦労してる!」感に食傷気味である。多分他の人々もそうであろう。なので世論クールダウンさせるという意味で、ミソジニー価値観高まるのはある種当然と言える。

しかし、俺はミソジニー懐古主義と相性がよいため、性別わず理不尽時代が再来することが何より恐怖だ。

平成初期、中期に青少年時代を過ごしたが、あの時代、正直男からしても生きづらかった。先輩先生から理不尽鉄拳制裁もギリ許されてた時代だったし。

あの理不尽を再体験するくらいなら、ちょっとくらい頭おかしくてもそれに逆行するフェミを支持せざるをえないのだ。

2023-03-13

やっぱ体罰って絶対必要だわ

3.11震災被災者侮辱する動画SNSに出してしまったガキを見てそう思う。

誰も本気で怒らないから、今のガキどもって、越えちゃいけない一線をガキの間に学んでないんだろうな。

迷惑行為非常識なことをしたら、近所の雷親父にぶん殴られるくらいのことがないし

学校クラスメイト揶揄ったら、担任が飛んできて殴られることもない。

優しく諭される程度の叱責では学べないアホの躾って、痛い思いをさせる事でしか為せないのに

誰も何も言ってくれないから、バカのまま育って致命的なミスやって社会全体から袋叩きに合ったり

人生のものを終わらせてしまう。


必要体罰鉄拳制裁ってあると思うが、今の一部の子供って、甘やかされて育った犬みたいにどうしようもなくなってる様に思えるわ。

可愛い可愛い」って撫でまわしてるだけなのは、犬にとって最悪の虐待だと思うが、それと同じやね。

まともに躾けとけば、良い番犬になったはずの柴犬が、飼い主がアホすぎて手の付けられん問題児になってる様に

ちゃん教育が入ってれば、問題を起こす前に気付けたかもしれない、ごく普通少年に見える子供が下らない問題を起こして、世の中を騒がせる。

つの時代犯罪者は生まれるけど、今の時代はまともに教育されてないだけの普通の子供がやらかす事も多い。

ある意味じゃ、世相の被害者ではあるわな。

2023-02-25

anond:20230225092311

オタク趣味齧ってるタイプフェミニスト曰く

そういう時代セクハラシーンは仕返しがあったから良かったらしい

しか現実問題、今セクハラとかガチでやってる中年辺りはそういう仕返しアリのセクハラシーンを楽しんでたのだから

ハンマーでぶん殴ったり、鉄拳制裁してたからってのは何の言い訳にもならない

2023-01-08

anond:20230108144250

同じ家族構成の姉だけど

弟の分の家事だけやらないってことできない?家事ロボットしか思われてないよ多分

弟のバイト制服食器洗ってやるとかマジで意味わからん

 

「あれやって」を聞いてくれないなら「出てけ」でいいと思う、優しく言うんじゃなくて激昂しよう

ゴミ出しを威張られたら「ゴミ出し程度でデカい顔してんじゃねえよ馬鹿じゃねえのか」と罵倒

非協力的な奴が同居家族でいる意味ないし

これはお父さんにもちゃん相談と根回しして同調してくれるようにしておこう

あとお父さんの方も自分食器自分で洗うように躾けよう

 

そこまでの状況なのに弟に鉄拳制裁しない親父がクソなのでお父さんに説教したい

いい姉いい娘やめた方がいいよ

2022-12-17

親にぶん殴られて育った俺は自分の息子を今のところ殴ったことがない

生家は漁師生業としており、親父は一般的イメージされるガハハと笑うような快活明朗なタイプで、根性論が大好きだし息子娘問わず鉄拳制裁なんて日常茶飯事だった。
ただ一応は男女の線引きがあったような気はしていて、女兄弟納屋に閉じ込められる程度の折檻は受けていたものの、男の俺のように木へ吊るされるとか海へぶん投げられるみたいな折檻を受けていたようなことは無かったように記憶している。

親父は子供ハチャメチャに殴り倒すみたいなことは無く、鬼の形相で強力な一撃を食らわし「反省せい!」とか「何やっとるか!」みたいに檄を一言放って作業場や寝室に籠もるというような人だった。
その後にお袋や祖父母が何が悪かったのか説明をしはじめて「お父さんに謝りに行こうね」と説得されて謝りに行くのが常だった。

まぁ冷静に考えると幼児の頃から高校生になるまで常に「強力な一撃」と感じたということは、おそらく年齢や体格に合わせて力加減をしていたのだろうと今なら想像付くが、当時はそんなこと気付かないので、ただただ親父が激怒するほどの大変なことをしてしまったのだなと思っていた。

俺の妻が妊娠したとなったとき、親父は気分が良くなったのか酒の進みが早く酔いが回って口が軽くなったのか「あのイタズラ坊主が」と言っていたのが実に印象深い。
そして「男らしく振るまえ、力の使いどころは考えなきゃいけない」と続いて、最後は「男の暴力は凄く大事ものだ、大切なものなんだ、宝物なんだ、その意味を考えろ」と言った。

はてなで過ごすと暴力なんてもの絶対禁忌で、どんなことがあろうと、例えそれが正義であれ悪であれ行使すべきものではない、何なら暴力絶対悪と思いたくなるが、俺の親父は「暴力は宝物」と言う。
その価値観の違いに混乱するけれど、親父が亡くなって子供がある程度大きくなった今ならば親父が何を言いたかったのか何となくわかる。

男にとって暴力とは最後の手段なのだ
大切な人々を最後、極限的に守らなければならないとき行使するのが暴力自然先祖が神が人間の男に与えた大事にとっておかなければならないのが暴力なんだ。
からこそ、暴力をみだりに行使することは非難されるべきであり、だからこそ宝物なんだと俺は思う。

親父が強力な一撃を放ったあと作業場や寝室に籠もってしまったのも今ならわかる。
息子をぶん殴るなんて何と心苦しく、そして愚かな行為なのか。それ以外の選択肢を取れなかった自分が何と情けないことか。

酔った勢いではじめて親父が理想と考えていた男親の姿を知ることが出来た。
親父は折檻を適切な教育とは思ってなかったんだ。ただそれしか方法が思い付かなかったか咄嗟にやっていただけだった。

俺はもしものとき暴力行使できるのか。
そうならないようにすることが本当に大事だけれど、暴力によって息子を静止し、そして暴力によって息子や妻を脅威から逃がすことができるんだろうか。
たぶん俺の親父は躊躇せずやれるだろうけど、息子である俺はどこか躊躇してしまうだろうと思う。

幼少期に親父が俺へ対して「俺からは力の強さを、お母さんからは優しさを継いだ」と評価してくれたけれど、俺は親父よりも肝っ玉が小さいので優しさというのはオブラートに包んだ表現だったんだろう。
暴力を考えること、暴力行使とは実に難しい、俺は度々そう感じる。

2022-10-25

anond:20221024205916

ちゃんと、というか子育ては明らかに昭和時代の方が色々適当だった。

それこそ生意気な子はブン殴って言うこと聞かせてりゃOK、何なら親が学校教師に我が子は殴って躾けてくれと頼むくらい。

というか多動っぽい子は木とか柱に縛り付けられてた。今じゃ考えられん

食事栄養バランスガタガタ、なんか知らんけど卵食ってりゃOK

教育にも全然金も手間も掛けないの。育つように育てて、他人様の迷惑になりそうな予兆鉄拳制裁ストップ。

今は全部だめでしょ。それこそ蝶よ花よと手間暇かけて育て上げて当たり前。

ちょっとでも手を出したら全部虐待。都会なら小学生から塾漬け。

そんな子育てしてる先輩方を見れば、そりゃあ面倒くさいと思っちゃうよね。

2022-10-11

anond:20221011023110

ええええ〜

性的消費具合のレヴューサイト

ポストアポカリプスっぽいぞ、ソレ。

しろガキの時から心を鍛えて、MPの上限を上げた方がよくねーか?

義務教育セクハラ付きのフィクション強制投入して、創作で傷ついちゃいけない、と学ばせる。

かに最初は傷つくかもしれんが、充分鍛錬を積んで慣れさせれば、週刊誌を読めるころにはカップ表記程度の性的消費では小揺るぎもしない鉄のハートを得られるだろ。女児でも。

表現の自由価値が軽視されてると感じるね。

創作人生に広がりを与える掛け替えのない栄養素。

実り豊かなジャングルのように生い茂った創作を湛える世界を目指すなら、住人はタフでなければならねぇ。

近頃はアンパンマンでも辛くて観れない軟弱なガキが多いと聞く。

・・・勘違いすんなよ? それ、優しさじゃないからな?

他人を悪と断じて殴るとき、手前の拳には血が滲んでる。

それでも殴る覚悟を持てよ。正義を名乗るなら。

アンパンマンは、独善鉄拳制裁するときに、自分が何をしてるか?から、目を逸らさな勇気を教えてくれる。

2022-08-04

アンパンチの暴力による制裁は仕方ない、について

民主的に定められたデュープロセスに従わず市民抗議文書に端を発する署名活動を経ることなどもない、アンパンチの力による一方的現状変更は決して許されるべきではない、はずだった。抑圧された誰かの憎しみを、責任も罪も、救済業務の一切を引き受けたアンパンチは、しかし、放たれてしまった。市民への相談も事前予告もなしに、怒りの拳は振り下ろされた。

ならば、バイバイキーンを見送った後での、アンパンチの鉄拳制裁を許さない、とは何を意味するのか。何もしないままではバイキンマンが再び戻ってきたときに、同じ事態が繰り返されるだろう。

パン工場と手を切るのは決定的な解決にはならない。アンパン成功の後には、アンパンマンに憧れて正義標榜する市民が続出する怖れがあるから理不尽鉄拳制裁効能に屈した市民たちが、その機会に乗っかって決起し、大きなうねりとなったなら。そのとき初めて本当の意味で、アンパンチは成功したと言えるだろう。第2第3のアンパンチがランダムに、同時多発的に発生しうる。とても制御できるものではない。

アンパンチは到底許されるべきではない」とプロパガンダのように定型文を連呼することも、意味がないどころか、暴力への感受性をマヒさせる逆効果があるかもしれない。

覚悟勇気は同じ。違いはない。

許されるべきではない、という言説は新顔のアンパンマンにとってはむしろ覚悟を決めろ、という啓示に聞こえるだろう。自分自身正義と信じる誰かの心で、勇気の鈴が鳴る。アンパンマンの気力を削ぐように、「アンパンチなんて意味ない」と思わせるように町の人たちが動かなければ、いつかはカバパンチが生まれると思う。

市民積極的暴力行使の依頼をしてなかったとしても、正義の鉄槌が必ず振るわれるだろうと事前に分かっていて見て見ぬ振りをするならば、町の人たちとアンパンマンはもはや共生関係にあると言える。アンパンチは事実上、町の秩序を護るためにビルトインされた治安維持システムの一部だ。自然発生するのだから「仕方ない」は思考停止だ。

追記

このタイプの考えについても言及しておく。町の人たちはバイキンマンの魂胆をすぐに見抜くはずだ。アンパンチをしてしまった時点で動機は洗いざらいされるのだから、隠し通して欺かれる可能性を考慮する必要はないと思う。

2022-07-05

不登校 バイト 大学進学 うつ病

 今現在不登校に悩んでいる中学高校生の中にも死んでしまいたいと思って日々の時間が過ぎていくのをただ待っているだけの生活を送っている人がいるかもしれないけれど。地獄のような生活から逃げ出したい一心自殺を考えている人には、少しだけでも楽しいと思えることができる日が来るのを待っていてほしい。どうか自殺へと行動を移さずに、今も流れ続ける時間を忘れられる方法で一日を過ごしてほしい。

そんな思いで書いています

 成人して数年、久しぶりに一本の煙草を吸ったらいろいろな記憶が蘇った。あの頃までは元気になんでもできるような気がしていたのに、ある時をきっかけに学校へも通えなくなった。

 時を遡ると、高校入学した15歳のころ。ある程度の学力がある人々が集まっていた高校なのに、私のクラスはいじめがあった。被害者はNくんとしておこう。Nくんは比較的活発なグループからまずいじめられはじめ、もともと彼が仲良くしていたおとなしめのグループからいじめられるようになった。彼がいじめられる姿を見て、情けない姿を皆が嘲笑うようになった。私はそこに存在するただの傍観者だった。

 時々、私は彼と帰った。Nくんは太鼓の達人が大好きで、放課後ゲームセンターで上手なプレイを見せてくれた。彼は確かに挙動不審なことが多かったが、それでもいじめられる理由にはならないはずだった。私はその中で、彼がいじめられ続け精神的に追い込まれ部活も行けなくなったこと。勉強も手につかなくなったことを知った。それでも私は彼とたまに帰宅する程度の仲を保っていた。

 このころ、母が国指定難病罹患してしまった。そして私は最低の行為をしてしまった。うつ病の薬のこともあり記憶にもやがかかっているが、自分が最低のことを母にしてしまたことは覚えている。

 体調を崩し脱衣所で四つん這いになったままの母に、私は「何してるの? 大丈夫?」という声をかけながら、心の中では私だって忙しいしつらいのになんで家事をしてくれないんだろうと母を責めた。もちろんそれは口に出さなかったが、それと同じくらい非道言葉を母に投げかけた。

「体調が悪いふり?」なんて、今考えるとどうしてそんなことを言ってしまったのかわからないほどの言葉を投げかけたのだ。当時私は母が何に苦しんでいるのかつゆ知らず、難病のことも知らされておらず気を許せる友達もいない戦場のような高校必死に通っていた。

 母はまもなく入院となり、それが信じられなかったのかもしれない父は私には何も教えなかった。家庭から笑顔は消え、父は仕事、私は学校へ通い夜は二人で家事をするという無機質な日々だけが続いた。

母が数か月後家に帰ってきたとき彼女は骨と皮だけのような姿になっており、帰ってきて階段を上がりきった途端にリストカットするような素振りで「死にたい」と何度もつぶやいていた。私は綺麗だった母が幽霊のようになってしまたこと、悲壮感に溢れた声にもならない声で言ったことに大きなショックを受けたことは覚えている。

数か月後、母は元気になった。朝に起きられるようになり、私の朝ごはんを作ってくれるようになるまで元気になった。抜け落ちていた髪も、青々と茂る夏の木々のように生えそろった。

 朝ごはんを食べ終わり、自室に鞄を取りに戻って登校しようとしたある日、私は階段下りながら涙を流してしまった。すすり泣く私を母が見つけ、その日は学校を休んだ。思えば、この日が私の不登校と出不精のはじまりになってしまった。今思うと、知らぬ間に心にダメージを負っていたのだと思う。

 この数か月前から、授業を聴いていても何も頭に入らず、自分がひどく落ちこぼれたような気がして意気消沈していたのを覚えている。数学テストでは一桁の点数を取り、頭の良い生徒ばかりの高校ではあり得ないほどの点数を取った私は、周囲から馬鹿にされた。盗み見られたその点数を見て。Nくんをいじめていた悪魔から「あたまわっるいね馬鹿なっちゃった?」と言われたことを、今日煙草を吸いながら思い出した。

 体調が悪いと言って登校しなかったその日から、私は完全に学校に行きたくなくなった。もうすぐ高校二年生になるころだったのに、私は自宅でうつろに日々を過ごすのみだった。このあたりの記憶防衛反応によるものなのかほとんど残っていない。覚えているのは、今でも大好きな昔の映画を観たり、小さいころに観ていたポケモンアニメを見ながら昔は良かったなと思いを馳せていたことくらいだ。まるで老人のようなその生活を見た母は、私を精神科へと連れて行った。そこでひとまず一種類の薬を飲むようになり、だんだんと種類が増えていったあたりから私は昼過ぎまで起き上がれなくなった。

 こうして”立派”な不登校になった私は、デ・ニーロのグッドフェローズダニー・ボイルの(ユアン・マクレガー名前を出したほうが分かる人が多いかもしれない)トレインスポッティングを観たり、破滅的な思考をなんとか創作の中で味わい続け、自殺を耐えていた。

 結局、高校2年生の1年間はほとんど学校に行けなかった。

 詳しいことは知らないが、3年生に上がるころ担任から「3年生になると2年生のころのように不登校のままだと卒業ができなくなってしまう」ことを告げられ、私は仕方なく登校を再開した。

 正直2年生のころも同じようなことを言われて、もうどうせ進級もできなくて中卒不登校ひきこもりになってしま未来しか見えていなかった私は、4月から懸命に学校に通った。死にたいことを何度もほのめかす私を。父と母は応援してくれた。父は通勤用の車を私のために家に残し、毎日40分近く自転車を漕いで通勤していた。母は私を学校と自宅まで送迎してくれた。毎日だ。

 途中、休むときもあったが基本的には登校ができていた。Nくんへのいじめ常態化していたクラスいたことで脳にダメージがいっていたのか、相変わらず記憶が思うようにいか勉強はさっぱりできなくなってしまっていた。1学期、定期テストではひどい点数を取り、受験どころか卒業が危ぶまれた。担任から何とかならないかと言われたけれど、何とかなんてならないことは私が一番分かっていた。

 あのころどうしていたのかは分からないけれど、2学期からは死に物狂いで勉強をし、数学では及第点、1学期で0点に近かった世界史テストでは90数点を取った。とりあえず3学期もまた90点ほど取れれば卒業はできるだろうと考えて、3学期も同じくらいの点数を取った。記憶がうまくできなかったので、本当に反復の反復、さらに反復のような状態だった。(今では治った)

 大学ももともと目指していた高偏差値のところなんて行けるはずもなく、必死に受けたセンター試験を利用してそこそこの大学に入った。幸い、高校入学するまでに相当勉強していたのでほとんど勉強しなくても9割近く3教科は取れたのだ。それでも自分にとってはショックで、大学に入っても落ちこぼれた印象はずっとついて回った。

 心を入れ替え大学に通い始めたけれど、不登校の癖がついてしまっていて社会的生活に恐怖を感じていた私は、数か月で電車通学が苦しすぎて中途退学してしまった。

 今、その大学に入りなおしてそろそろ卒業を迎える。内定も得て、自分のやりたかった職業チャレンジできる未来が見えている。

 それでも、いじめを見て疑心暗鬼になっていたことの私の時間は帰ってこない。電車に乗って高校生を見ると、あのころ違う高校に通っていればあんな思いもせずに記憶障害のようなものに悩まされることもなかったのかもしれない、と思ってしまって稀に目に涙が浮かんでしまう。

 それでも時は流れ、日々は続いていく。あの頃は帰ってこないし、私もも20台中盤だ。物事に折り合いをつけられるようになり、バイトまでできるようになった。他人と話すのが怖かったくらいだったのに、今ではコミュニケーション能力も高いよね、と年齢が上の方々からも言っていただけるようになった。(バイトを通して苦手だったコミュニケーションを何度も何度も練習するつもりで磨いた)

 

 今、どうしようもなく不安になってこの日記を書いてしまったが、最近うつ病のような症状も収まりひきこもる頻度も減った。それでも時折、元気がなくなると数日ひきこもってしまう。大学生活だってストレートはいかなかった。体調を崩しひきこもった瞬間もあった。

 それでも父と母は私を理解してくれ、応援してくれた。父に関しては昭和の男だから鉄拳制裁を喰らって殴り合いのけんかになってしまたこともあるけれど、いつの日かを境にうつ病を抱えている私を理解してくれるようになった。遊びに誘ってくれたり、断っても体調が悪いなら仕方ないと理解してくれるようになった。

 うつ病の薬を断って、大学でのストレスからやせ体形だったはずなのに食にストレスをぶつけてしまって今では30㎏ほど増えてしまったし、今の体形の自分は嫌いだけれどそれでも毎日を楽しくは過ごせている。だからこそ、今不登校に悩んでいたり死んでしまいたいと思っている中、高校生学生の同じくらいの年齢の方々に伝えたい。

 どうか諦めずに、つらい今は好きなことをして時間が経つのを待ってみてほしい。

 男だから泣くんじゃない、女だからはしたないことなんてするななんて声は無視してしまえ。男だって泣いていいし、女だって冒険をしてもいい。

 いつしか心に余裕ができて、何かができるようになるかもしれないから。

2022-04-18

anond:20220417232714

女は無茶苦茶なことをしても社会が許すから

男だったら義務教育部活その他で極端な暴挙をすると鉄拳制裁を食らうと学習してるからしない

男でそこをはねつけて開き直るやつはとても例外的

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