はてなキーワード: 芸能界とは
(※社会的にクロが確定しているわけでもないのに「謝る」ってなんだよって問題もあるけど、そこは置いておく)
じゃあ本当に謝ったとして、それで「よーし、じゃあしっかり禊したらまた芸能界で頑張りな!」っていう人がどれだけいるかって話だわ。
ぜってー大半の人はそのまま叩き続けるでしょ。
そもそも現在のコンプライアンス基準で言えば、告発女性の言っていたことが百パーセント正しいなら謝ってもまず復帰は無理。
だからといって、「ここまでは事実です、ごめんなさい。でもここからは本当にやってません」って言ってもどうせ「被害女性の言うことに嘘があるというのか!? 酷い!」ってなるんだから、結局、真実を争うことには変わらない。
ならもう、松本が本気で自分の立場を守ろうと思ったら罪は犯してないとツッパる一択だよ。
負けた時により酷く晩節を汚すというリスクはあるが、実利面で言えば否認する方が絶対に合理的。
コンプライアンスが厳しくして、手打ちという落とし所を作ることを社会が拒絶したんだから、事実の有無に関わらず、認めたらそれはもう白旗と同義なんだよ。
謝ればと言っている人達はただ松本に負けてほしいってだけだろうに、それを本人のためにも~みたいに言ってるのマジでキッショイ。
松本人志は弁護士をもっとまともな人用意出来なかったのかって思う
スポーツ紙が敏腕凄腕弁護士とか書いてたけどちゃんと取材したのかよって
あとお笑い芸人の地位向上みたいな動きは俺もしょうもないなと思う
河原乞食とか公然と揶揄されてた時代なら兎も角スポーツ選手みたいに持て囃す演出はもう滑ってるだろあれ
今時あんなのイキリYoutuberですら恥ずかしがってやらんだろ
まぁ芸人じゃなくてそれを取り巻くテレビの体質が悪いのかもしれんがジャニーズ宝塚そして今回の件と芸能界の問題がこうも続くのはもうこいつらが時代についていけなくなってる感ある
なかなか理解できる面が多いと思ったが、いろんな視点が欠けているとも感じた。
松本人志が今日週刊文春に5億5千万の損害賠償訴訟を起こした。
裁判そのものは弁護士に手続きを任せるのだから、芸能活動をしながらでも大きな支障はないはずなのだが、休業宣言をした。
あえて休業を選んだ理由は、芸能界に最短で復帰するためなのではないかと思っている。
仮に休業しなかった場合、一部のレギュラー番組以外出演は叶わなくなるだろう。
活動を制限された状態に置かれ、下手したら実質休業状態になる恐れがある。
休業理由は「視聴者からのNo」ではなく「裁判に専念するため」に理由をすりかえることができる。
恐らく松本氏は最初から挨拶をするつもりだったのではないかと思う。
「高圧的にくるかと思ったら意外と自然体じゃん」
という視聴者からの好印象を稼ぎたい思惑があったのではないかと思う。
小賢しいと思うかも知れないが、テレビ視聴者はこういう小話やストーリーが大好物なので、
まぁ、世間からのNoが大きすぎて、小細工すら封じられてしまったのだが。
和解条件は非開示といういつもの煮え切らないオチになることはほぼ確定していて、
その後謝罪と謹慎がスタートする。が、謹慎もなにもすでに休業中なのである。
世間的には「裁判に専念なんて建前」という暗黙の決めつけがあるので、
期間のショートカットは軽く見積もって1、2年は稼げるんじゃなかろうか。
ワイドナショーに出演できていれば印象操作で更に1年くらいは乗ったかもしれない。
合わせ技で裁判終了即復帰ムードくらいは作れたんじゃないだろうか。
松本氏が一番恐れるのは芸能界から離れることでの影響力の低下で、
金銭的損失はさほど影響がないと考えているので、
昔、ほんと15年くらい前の2ch、たぶん狼板だったと思うんだけど、
"児童ポルノの完全復活を!!"ってすげータイトルのスレがあって、
昭和のロリコン雑誌とか、いわゆる商業的な児童ポルノの話題を語り合ってて
「◯◯ちゃんのヌードは親世代の間でも評判良かった」とか、ほんとかよ?みたいな話で盛り上がってたのね。
そんでつい魔が刺して、「俺が親だったら娘が児童ポルノにされたら嫌だろうなぁ」みたいなことを書いたらさ、
「女の子が芸能界に入るチャンスを潰しているのはお前ら規制派なんだよ」とか、
「でも裸を見せたい女の子もいるんじゃないかな? っていうかいると思う」とか
まーえらい剣幕で叩かれてね。
自分も表現規制とかは興味ない人間だけど、あのスレは2chで見てきた中でもワーストのスレだったなぁと、そんなことを思い出しました。
新年早々すでに今年(いやもはや人生?)いちばんの衝撃的な発表からしばらく経ちましたが、そろそろ自分の気持ちを整理して生活していきたいので思ったことを全て書き記していたのですが、せっかくなので情報の海に流して偶然受け取られた方に読んで頂ければなと思い、公開します。
「30歳になる節目と共に、新しい道を選ぶことを決めましたが、」
30歳でこの先の自分をどうしたいかと、考えること、これは本当にごく自然なことではないだろうか、一昨年マリウスが22歳という多くの人が就活して勉強に熱量を注いで世界の役に立ちたいと決断して飛び立ったように。それが私の1番初めに感じたことでした。
人間生きていれば時期や粒度は人によって異なるとはいえ、これを生きていきたい、あれをやりたいと立ち止まって考えたことは一度はあるはずで、それを年齢で区切る人もいれば、人生の出来事軸で区切る、はたまた全く別の軸で区切る(場合によっては自分の意思と反して区切らざるを得ない場合もある、例えば直近で起きたような天災などもそれに含まれるかもしれません)人もいる、その中で彼は30歳という年齢を区切りに人生を考えたまで、そういうことなのだろうと。ケンティーしかケンティーの人生の責任は取れない=つまり全ての最終決断はケンティーしか下すことは出来ないので、今回の決断を受け止めることが私たちにできる唯一のことなのだと(受け入れるとはニュアンスが違うこと強調させてください)
Sexy Zoneのことを本格的に好きになる前から、彼はグループの広告塔として常にいちばん前を歩き続けてくれることで時には傷ついてしまうような茨の道をグループで歩いていけるような花道に変えていたし、他の事務所やグループには出来るのになぜ出来ない?の世界の不思議をいつも彼なりのアイデアで解決してきたし(それでも出来ない/私たちがやらせてあげられないことは沢山あったけれど)、やりたいことを口に出しながら自身を磨き続けて実際に夢を掴み取ってきた人であることは誰がどう見ても明らかなので、そんな人の一世一代とも言える決断を誰が止められようか、いや誰も止められない(もしかしたらメンバーだけは、、、止められたのかもしれない、どうだろうか、それは彼らのみぞ知る)
ただ、私はSexy Zone、たとえ今後名前が変わったとしても、というアイドルグループの中島健人がとても尊敬していて強く愛してしまったからこそ、その姿がこれからもう見られなくなってしまうのだと思うと、彼らの未来、具体的に言えば4月前後の彼らがそれぞれどう進み変わっていくのか、その新しい形を応援出来ると思えるのかどうか、を考えることよりも、本当にただただ悲しい気持ちだけが頭と心をぐるぐると流れ続けて、ああ本当に悲しい、そしてなぜだか悔しい気持ちが混じってきて胸の中にいっぱいいっぱいに広がり、溺れて息が出来なくなりそうになるような感覚を持ちました、くるしい、くるしい、頑張って続きを書きます
公式として出ている媒体をもとに私個人が読み取った範囲+ケンティー、アイドル、芸能界に限らない人間の普遍的だろうと思われることを材料に書かせて頂くと、この大切な決断はきっかけはともかれ精神的な肉体的なもしくは外部的なものであれ、決してそこまで突発的なものではなく、様々な物事を積み重ねの上で下されたものなんだろうなあ、というのは伝わってきました、きっと前々から考えていたことが、何かしらのきっかけで現実味を帯びてきてそれを現実にするかどうか、たとえ発表のタイミング自体は突発的であったと感じたとしても、たとえ直近で言っていたことと多少文脈が噛み合わない部分があると感じたとしても、たとえどんなに素晴らしいパフォーマンスを直前まで見せてくれていたとしても。逆に全く察させずあんな素晴らしいドーム公演をやり遂げた彼らは本当に最高のアイドルです(皮肉にも)
繰り返しますが真実は彼らのみぞ知るので、これ以上の勝手な憶測とそれらを書き綴ることも控えますが(理由はそれをやって彼らが意思を変える訳ではないので単純に無意味だと思うので)、少なくとも今まで広告塔をやっていたSexy Zoneというアイドルブランドを置いていくことは彼にとっても並大抵の決断ではなかったのは容易に想像が出来て、これまで同じように、グループから離れてソロで活動することを決めた同事務所の方を見れば、それがどれだけ逆にハンデとなりうるかも(ファンの方には失礼に当たってしまうことを事前にお詫びしますが、多くの方がお世辞にも成功しているとは言えないのではないでしょうか?)、厳しい芸能界を長くそれなりに賢く生き抜いてきた彼ならそれを分かっていないはずがなく、ただ彼自身の夢(今まで語ってくれたもののその先を含めて)という観点から天秤にかけた時に重かったのがソロで活動する、だったのかもしれません。
とはいえ、中島健人がいるグループのファンとしては本当に悲しくて、もう少し、もう少しを重ねて一緒に頑張りたかった、頑張らせてほしかった頑張ってほしかった、Sexy Zoneというアイドルグループのエースである中島健人と共に。
そして、1オタクとしては純粋に今回の1件でケンティーが30歳という自分に課した期限のようなものを飛び越えてでもこのままグループを続けたいなと思えるほどの喜び(それはシンプルな私たちのメンタル的な愛が足りなかったのかもしれないし、数字やそれからもたさられるお仕事なのかもしれない)をファンである私たちが与えられなかったのかもしれないと本当に申し訳ない気持ちで、彼を含むSexy Zoneからもらってばかりだったのだなと思わされてしまったし、今のグループ活動状況でソロになった場合に何がどう変わるのかが私たちからはあまり見えてこないゆえ、グループでも良いのではと、どうしても思ってしまって、どうにか腹落ちしたい、これからじゃなくて今納得したい、足掻かせてほしいと、わがままになってしまっています(まだ公に出来ない大きなお仕事があるのかもしれない)(やっぱり3人にはしがみついてでも止めてほしかったでも必死に止めたかもしれない)(本当に彼は卒業するの?という現実味がいまだにない、夢みたい、信じたくないからかもしれないのですが)
それゆえ、彼らの未来に対する前向きな決断に、かもしれないかもしれないを並べてまくってこんなこと、って何だか後ろめたいような気持ちにもなってしまうし、彼らにいろいろな意味で甘えさせてもらっていた⇔私たちも甘やかしてしまっていたのかもしれないのかなあ、アイドル⇔ファンのギブアンドテイクのバランスが歪になっていたのかもしれない、ということにも気付かされて、また悲しいやら切ないやら、、、こんな複雑な感情得たことがないのでいかに彼らの存在が自分の中で大きかったのか、大きくなっていたのかをこんな形で知るなんて、、、
我ながら本当に話の枝葉分かれがすごいなと思いつつ、数字の話が出てきたのでここで少し触れると、
※この段落に関しては筆者である私の原体験が強く結びついている+他界隈について言及しますのでご興味のある方だけお読みいただき、適宜、次の段落まで飛ばしてください※
私は幼い頃からいわゆるオタクで、この数十年間その生き方を全うしてきました。
その中で何度か心が折れたことがあり、その原因は全て「数字」でした。
今や社会人としてビジネスにおける数字の重要性は嫌でもいうほど理解しているつもりではあります(かつ私もエンタメの世界の端くれです)が、1人のオタクとして「数字」はその人生の中で大きな苦しみでした。特に学生時代、大好きなアイドルがいたのですが(過去形になっていますが今でも大好きです!)、ファンであれば売られているCDやグッズを全て買わないといけないような売られ方とそれを当然のように受け入れるファンの雰囲気に圧倒され「全てを買うことが愛の証明なのか?」と苦しくなり一時離脱した時期があったり、また別の音楽コンテンツを好きになった時には封入されているイベントの先行チケットのためにCDやDVD/Blu-rayを積みたくても生活のために積むことが出来ず無力さを感じる一方で周りのファンダム内で何十何百枚積む人が数多くいる状態に(本当に申し訳ないのですが)気持ち悪さを感じてしまい担降りをしたりしてきました(このコンテンツについてはもう怖くて戻れません)今となっては、学生だったこともあり使えるお金が限られていたというのと好きなものに良い意味でも悪い意味でも一直線だったので本当に青かったなと思っています、推し活は出来る範囲で、でも最大限が大事!ですよね!
Sexy Zoneが正直数字面で苦しい思いをしてきたことはファンであれば痛いほどに理解していることかと思いますが、私は、数字以上に、彼らが出演したテレビ番組で他の出演者から愛されたりパフォーマンスや立ち振る舞いを見た他のオタクの皆さんが褒めてくださったり、何よりライブで魅せてもらえるコンセプトセットリスト舞台美術、そしてパフォーマンス、MCで綴られる言葉、それらが合算されて総合芸術として得られる唯一無二のエネルギー、自分でも意味がわからないけれど、彼らを見ていると元気になれるんです。他にもっともっと沢山沢山あるのですが、そんな数字だけでは測れないエンタメの素晴らしさを私に教えてくれたのは間違いなく彼らSexy Zoneで、それを突き詰めれば、もしかしたら国民的の例に挙げられているSMAPと嵐のように皆が触れている媒体(テレビ)が絞られていた平成の時代から、この好きがかなり多様化しすぎたゆえにそもそも国民的になりづらい令和の今の時代でもこのSexy Zoneは本当の意味で国民的になれるのではないか、そんなことを勝手に夢見てしまっていましたし、昨年のドーム公演を受けて勝手な確信のようなものを持ってしまっていたのでした、
最後の公演になるとは思っていませんでしたが、ここまで思わされたということはきっと4人の気迫のようなものがあの公演には宿っていて本当に素晴らしかったということで、私はそれをいいように自分の中で捻じ曲げて受け取っていただけでした、
一昨年のマリの卒業はその過程(発表〜カウコンの卒業…その後の彼と現Sexy Zoneの関わり方までも含めてもいいと思います)のていねいな描かれ方のおかげで本当に悲しくて寂しいことであったけど、多くの人が理解はせずとも受け留める状態まで引き上げた上で送り出すことが出来たし、オタクである贔屓目なしに本当に美しい巣立ちで、そして新しいグループのあり方をあの短くでも尊い時間で証明してくれたのではないかと思っています。
だからこそ結論は同じであったとしても、今回既に発表された方法とまた別の違った形でこちらに伝えてもらえたかもしれない、これも甘えだとわかりつつ、どうして、、、とまた別の悲しさに押しつぶされそうになりますが、これも私たちには見えない理由や意図が彼らの中には確実にあると、これまでの彼らの歩みを踏まえてそう思います。
また今回の件について、オタクであるかに関わらず一般の方も含めて多くの方が「アイドルを辞める?!」と勘違いされていました(本人曰く、一人でもアイドル、咳をしても一人、ごめんなさい、後者は言ってません尾崎放哉)
本人は発表翌日ドラマの宣伝のため、終日テレビ出演があり、その都度自身の言葉で一人でもアイドルであることを強調していましたが、これは中島ケンティー健人=Sexy Zone =アイドルの方程式が驚くほど人々の認知に刷り込まれていた、ということの証明であり、つまり合間のSexy Zoneが卒業すること=アイドルも辞める?!となってしまったということです。
一つだけ彼に問えるのであれば、この方程式を成り立たせてしまうくらいにはあなたはSexyのアイデンティティを構築し、確立した張本人であり、多くの人があなたのことをそのように認識していたんだよ、このことを分かった上でその決断に至ったのですか?と(こんなことは聞けたらいいですよね、聞けないんですけどね)
前半で彼が広告塔としてグループを率いてくれていたかを話しましたが、今回の卒業報告を受けて、端的にいうとグループの温度差を指摘する声が見受けられました。その時で思い出したことがあります。
※この段落に関しても筆者である私の原体験が強く結びついているので以降はご興味のある方だけお読みいただき、次の段落まで飛ばしてください※
私は中学高校と体育会系の部活に入っていたのですが、ハッキリ言って学年の仲はそこまで仲良くありませんでした。部活を使って青春をシンプルに楽しみたいから、部活を使って内申点を上げたいから、競技が好きだから、など目的やモチベーションもかなりバラバラだったと思います、ただ部活の始まりの集合から終わりの挨拶までの間だけは不思議と全員が同じ方向を向いて部活に取り組み、大きな揉め事もなく(何ならどちらというと問題が起きそうになったら阻止していました、それは揉めた方が面倒だからでした)、最後まで全うすることが出来ました。
部活と仕事(人生)なので根底が全然違うかもしれないのですが、この経験から私はグループが必ずしもずっと仲が良くて同じくらい意欲的で同じ目的で進まなければならない、とは思っておらず、逆にそんな状態存在しないな!と社会人になりますます実感したので、各々の得意分野で活躍しながら、グループとして集まった時にぎゅっとなり最大火力のパワーを出せるSexy Zoneの形がとても心地よく見えていました(だからこそ好きになったのかもしれませんね)
もちろん告知や発信はするに越したことはないです!が、グループの中で彼が一番それに長けていて楽しめる人物だったから、先陣を切ってやっていただけであり、他のメンバーも彼には出来ない部分でそれぞれの好きや得意を発揮していた認識だったので、もちろん、メディアの取り上げや世間的な認知に差異は大きく出てしまったのですが、誰も何もやっていない、誰が良くて誰が良くない、なんてことは全くなかったと思うのです。彼らは外側から格差をつけられたことはあっても、内側ではずっと対等な人たちでした。
表に見えるようにやらないとダメなんですか?表で見えることをやれば偉いんですか?
一つ疑問なのは、グループを去りソロ活動を決めた彼は事務所に残る、という選択をしました。
私は逆に意外でした、本当に海外志向なのであれば現在の事務所は昨年の一連の騒動を踏まえて世界的に見れば大きく傷がついた事務所と言えるからです。
実際に一連の騒動に不安を感じた(これを明言している方もいればいない方もいますが)方は事務所を去ることを決め、新しい道を進み始め、その選択はもはやされてもおかしくない選択の一つとして存在するようになりました。
彼のいう、1人のアイドル、俳優として成功したいの中に海外というフィールドは確実に含まれている中で、あえて事務所には残る選択を取ったのか、
と書きながら、最近インタビューや映画にまつわる番組、海外ドラマへの出演などで海外志向なのでは?と思っていただけで、発表の中には「国内外」とあり、あくまで国内と海外いずれも守備範囲としてどちらかへの偏りはないのだろう、と思います、その中で事務所に残る決断を取ったことのリスクは今までの積み重ねがあったとしてもまだまだ残っている状態でのこの決断をしたこと、この重みを事務所よ、心の底からわかってあげてほしい、本当に大切にしてあげてほしい、彼を彼らを全てから守ってほしい、
さて、この簡単に言葉にまとめられない思いに蓋をして、彼らの決断に対して今すぐに背中を押すと決める必要もなければ今持っている気持ちにすぐ整理がつける必要もないはずなので、彼らがまず掲げている3月末まで、少しずつ大丈夫だと思えるようになってきたら、その大好きなアイドルたちの姿を最後までしっかり目に焼き付けておこうしかないのが現状できる精一杯で、やっぱりどうやってもSexy Zoneがだいすきで、このままだいすきでいたいからこそ、今はまだ新曲すら聞くことも出来ていない心の状態ではありますが受け止められるよう、時に身を任せたいと思います。
こんな長々と書き綴りましたが、
最後に、やっぱり、誰かに怒られてしまうかもしれませんが、1オタクの本音のひとつをもう一つだけ書いてしまうと、
「やっぱりSexy Zoneがいい!」
「やっぱりSexy Zoneにいてほしい!」
ってお互い言ってもいいんだよ!
まだ許す!許せる!間に合う!
最後の最後で、こんなこと言ってごめんなさい、でもそれでも現段階の5人の姿が少なくとも私にとって最強で無敵のアイドルに見えていることは強調したいです。
でも私は一介のファンであり、彼らの人生に直接的に触れることが出来ません。その中で1番は5人が、それぞれが、少しでもしあわせになれること!だからこそ、そんな未来が来てほしいと、だからまず目の前の区切りまで、一旦祈り続けます。
書き癖で、()や、が多く読みづらい部分もあったかと思いますが、ここまで読んでくださった方がもしいれば、私の話を聞いてくださってありがとうございました。
https://twitter.com/s96shiho/status/1746494283274916040
>私が芸能界に居た時、主演の俳優さんから食事に誘われたら断わってました。翌日の撮影や数年後にスタジオで会うと無視されました。主演の俳優さんが無視するならと他の演者やスタッフさんからも無視される…という連鎖が起こるのは確かにある。
これについて、
「どこのどいつだ!特定して業界にいられないようにしてやれ!」「もし今でもドラマ出演しているなら降板させるべき!」「過去作も見られないようにするべき!」
「これだから俳優は!」「俳優なんてしょせん河原乞食」「俳優は薬物使用などの騒動を起こす人が多く不快なのでドラマは見なくなりました」
「そもそもドラマなんてくだらないもの放送しなくてもいい!」「俳優なんてこんなものだ、他の俳優だって同じことをやっているに違いない」
とはならずに
「わあっ!子どもの頃に好きだった女優さんだ!Twitterをやっていらっしゃったんですね!こんにちは!(キラキラ絵文字)」「俳優じゃなくてもこういったことはあります!」といった反応ばかりで
松本人志なんてちゃんと募集すれば、ひと晩お願いしますなんて女の子山程おるやろうに、なんで騙し討ちしたりしたんや。
後腐れなく遊べて、本人が嫌がっているらしいプロでなく、全て織り込み済みの容姿端麗な若い娘を探せばええねん。「芸能界のVIPと飲みたいか」でなく、「松本人志とやりたいか」という意思を先に確認せえや。そこで手を抜くから、騙し討ちせなあかんのやないか。
別に気を使ってるとかそういうのがメインではなく、自分自身が週刊誌にある事ない事書かれた経験があって週刊誌への信用がゼロに近い人も多いからだろうなと思う。
たぶんそこそこの年齢の女性(飛影好きって言ってるからもしかしたら4、50代?)が子どもの頃にスカートをめくられて嫌な思いをした、というのを語っていて
それに便乗して「いまだに少年誌や国民的アニメでスカートめくりをやっている、だから影響されて犯罪男が量産されるんだ」というような投稿が散見されていて
「そんな描写いまどき言うほどある?脳が昭和や平成で止まっているのでは?」「完全になくなったわけではないけどだいぶ減ったし作中ではいけないこととして描かれているからよくない?」「現実ではやっちゃ駄目なことだと教育すればいいだけ」とツッコミが相次いだ
これはバラエティ番組にも言えることで
「子どもの頃(30年前)に見たお笑いウルトラクイズで芸人が死にかけていた回がトラウマで~」「(20年前に)めちゃイケのゲームコーナーの罰ゲームを真似て集団で殴る蹴るの暴行を受けて~」「司会者が若手芸人の胸倉を掴み恫喝するところを見てしまい恐怖と不快感でいっぱいになって~(15年前に島田紳助が起こした騒動)」とか
火薬量が規制されて西部警察みたいな爆破シーンが撮れなくなったように安全基準が変わってろくな装備を持たない人間の入ったバスを水に沈めるようなバラエティはなくなったし
めちゃイケの罰ゲームも当時ですら抗議が来て何度もルールが変わったしそもそもめちゃイケはもうとっくに放送されていないし
暴力モラハラ司会者の島田紳助は10年以上前に芸能界からいなくなっているのに
今でもそういったことが横行しているに違いないと決めつけて叩いたり
2、30年前の撮影に何の関与もしていない今の世代まで同罪かのように言うのはおかしいし
いじめがトラウマでそうなったなら悪いのはいじめっ子であり何の関係もない今の漫画やテレビを規制したって何も変わらないんじゃないか
漫画やテレビが規制されていっときは気が晴れるかもしれないけど
そうしたら今度はVTuberのコラボ動画でたとえ親しい間柄でもタメ口で喋るのは不快だからやめてほしいとか
大谷がチームメイトと楽しく笑い合っている姿を見ると子どもの頃野球部に嘲笑されたトラウマが蘇るからやめてほしいとか言い出しそう
なんでこんな何も楽しめないし楽しむ気のない人たちのために娯楽がなくならないといけないんだろう
本人が事実無根と主張して文春側も明確な証拠を何一つ提示していない状況なのに
文春側も分かっててやってるだろうからそれなりの証拠があるのかと思ったら証言だけでしょ
何ハラスメントって言うのかわからんけど相当ヤバイ話だと思うんだけど
これが仮にデビューしたばかりのアイドルだとしても同じだと思うか?
「相当エグいやり方で脅してる」
とか適当に書いてやれば本人がいくら否定してもテレビに出られなくなるんでしょ
これってつまり、芸能界が相当ヤバイ状況に置かれてると思うんだけどな
週刊文春の記者が合コン開いてセクハラパーティーするかもしれないよね
爆笑問題の太田の裏口入学も結局はガセで裁判でも決着してるけど
あれのせいで太田がテレビから消えてたら大問題じゃない?松本も同じでしょ
嫉妬では無く、自分の女性として、人間としての価値が否定された(と勝手に思い込んでいる)から
堂本剛と言えば一世を風靡したと言っても良い大人気アイドルであり俳優でありアーティスト、現在も大量の固定ファンを抱え根強い人気がある。
芸能界隈で言えば上澄みにいる人なんだよね。
で、そんな芸能界一流のメンズに釣り合うのが、同様に一時は一世を風靡した大人気アイドルのメンバー(年下の美人)である。
ハッキリ言ってそこらのアラサーやアラフォーはお呼びじゃない訳。
一流芸能人に提供出来るメリット、貴方にありますか?まさか「私は”女性”だからただそれだけで選ばれる価値がある!」などと思っていませんか?
堂本剛さんと縁があれば結婚出来る程度の価値はある、と思い込んでいるアラサー~アラフォーの勘違いした女性達が
実際には29歳のアイドル界隈の中でも上澄みにいる一流アイドルを選んだ、という現実に発狂・逆ギレして叩いていると思われる。