「春休み」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 春休みとは

2018-03-22

時間を巻き戻したい

大学卒論を提出し、人生最後春休みに入って一ヶ月半と少し。およそ二ヶ月。

なにもしていない。

何もする気が起きずに引きこもっていた。

やらなきゃいけないこと、やりたいことはたくさんあった。

卒業旅行かいろいろ。

一番は自動車免許取得だ。

だけど何もやる気が起きず家でずっとぼーっとしていたらもうこんな時期になった。 

免許を取るためには18日かかるらしい。

入社日の4/2まであと10しか無い。

しかも3/26〜29まで家庭の用事実家に帰らなければいけないので、俺の春休みはあと4日しか無い。

もう無理だ。


体力が無いか会社行きながら教習所に行くのはキツいだろうと思う。

なんでこの二ヶ月で行かなかったのか自分でもわからない。

ただただ何もやる気が起きずにぼーっとしていた。

二ヶ月を本当に無駄にした。

もうこれで俺は彼女ができてもドライブとか行けない。

辛い。

二ヶ月でいいか時間を巻き戻してくれ。

俺の二ヶ月を返してくれ。

2018-03-20

休学して気づいたこ

略歴

小学校中学校田舎で育ち、高校はその地方トップ校へ進学した。

大学受験では東大に落ち、そのまま早慶のある文系学部へ。

海外で22歳の誕生日をそろそろ迎える。

休学をしたか就活来年

海外生活のいいところは仕事をしつつ、現地に駐在する社会人や志を高く持った学生と容易に会え、自分時間も多く持てることだ。

休学をしなかったらどうなっていたんだろう、とよく考える。

日本大学文系学部賛否両論あるし、人それぞれだろうが、基本的に居心地が良い場所だと思っている。

サークルゼミバイトインターンボランティアテスト前に勉強

そんな環境から抜け出してみようと思ったのは3年生になる前の春休みだった。

就活そして休学

インターン選考就活が迫ってくると大体の学生上記のことを考えざるを得ない。自分もその1人だった。

大学受験までは受験勉強学校での生活以外に外に出ることなんて殆どなく、大学に入ってからは新しい環境や刺激のオンパレードだった。

新しく買ったiPhoneFacebookTwitterを開くとあふれんばかりの情報流れる

僕はその波に飲まれていた。

手元のスケジュール帳にはびっしりと詰まったサークルバイトと授業、そして遊びの予定。

スマホを開くと魅力的に見える情報起業家ビジネスマンといった輝いて見える人たちによる指南

そうして情報摂取し、目の前のことをやり続け、僕たちは意味もなく、価値もなく、満足していく。

満腹中枢を刺激され続けるそんな大学生活を送っていたら、あっという間に就活と言われる時期に突入する直前になっていた。

就活のための準備を3年生の前期から活動の合間を縫って少しずつ進めていた。

からない。

フィールドは広がったもの高校の延長線上で生きていた大学生活毎日それなりの充実感もあり、就活で自信を持ってアピールをできるような部分もあった。

だけど自分欲望がわからない。

目の前のキラキラしたものを追い求めていただけだったんじゃないのか?

いやでもそれが欲望だったんじゃないのか?

でもそれはただ誰かに作られた欲望だったんじゃないのか?

ここで自分の甘さに気づいた。

僕は泡の中に生きていた。自分で作った何重もの泡に囲まれて、泡に反射した社会や人々を見ていた。そんな風に感じるようになった。

僕はストレート卒業することをやめた。逃げなのかもしれないけれど、逃げた。自分欲望がわからないまま生きていくのが嫌だったから。

そして休学届けを出した。

割れ出した泡

休学をして海外に出た僕は小さい組織でインターンをし始めた。

当時自分が一番やりたいと感じていた分野でのインターンだった。

仕事の内容はそんなに楽しくなかった。やる気をなんども失うこともあって、そんな時はノート自分のことを書いたり、日記を書いたりしていた。

環境時間配分も変わった。自分を包んでいた泡はこんなにも屈折した解釈自分にさせていたのかと自身メタ認知するようになった。

そしたら泡が少しずつ割れ出した。

そして虚無に陥った。

画面の向こうにいるあの起業家成功の裏にある日常は全く異なる。

世界は思ったより広い。優秀さの軸は更新されていくばかりだ。

そんな情報に惑わされ影響される。人間意思は移ろい易く、弱い。

仕事はそんなに大きいインパクトを与えられるものばかりではない。

これから

泡はバイアスとも言い換えられるのではないだろうか。

バイアスなく物事を見ることができる人間はいないと思う。

そして誰しもがそのバイアス認識している/していないにせよ、それらを通して解釈をしている。

そのバイアス気づき、虚無感を覚えたこと。

そして大学という物語仮想現実を疑い始めた。そんな海外生活7ヶ月目。

良くも悪くも地に足がついた。とても遅かったと思う。

受験秀才だったかもしれないけれどスマートではない自分

そんなことを考えながら、今日も虚無の中を前向きに突き進む。

生活って楽しい

昨日から生活をやり直してる

まず部屋を綺麗にした

あとたまった洗濯をあらかた片付けた(まだ一回ぶんくらい残ってる。今日昼にやる。)

油分がこびりついているためかフローリングが裸足で歩くたびにペタペタいうのでアルコール含ませた布で拭いた、ペタペタいわなくなった

溜まってた食器も洗ってついでにご飯も作った

朝までゲームせずにさっさと寝て(といっても3時ごろだけど)、今日は8時から起きて活動してる

顔をぬるま湯で洗って、歯を磨いたらさっぱりした

さっぱりした服装に着替えたので、今からWi-Fi更新手続き新年度時間割学校に取りに行って、ついでに買い出しに行く

春休みで自堕落な日々を送っていたので、こういう当たり前の生活ひとつひとつが新鮮に感じられて楽しい

2018-03-19

バイト面接つらすぎわろた

人手不足じゃねーのか。

から大学生で今絶賛春休み、といっても旅行とか行く気にならないので定期代だけでも稼ごうかと思って応募してんのに受からねぇ。

もう3つも落ちてる。レンタルカラオケ居酒屋

居酒屋に関しては面接の途中でキレて帰ったものの、ほか二つは「受かるやろう」って気でいたのに電話かかってこない。

友達に話したら「面接で落とされるとかあんの?(半笑)」って言われるしもうつらみ。

工場しか向いてないのかなー...でもあと1ヶ月で学校も始まるし...。はぁ...。

田舎の人たちが東京に吸い寄せられるのもわかる。ろくな仕事ない。

2018-03-18

anond:20180317223206

こんな10年前でも手垢がつきまくってるネタに釣られるのが大勢いる春休み

2018-03-17

食への幸福感が無い

新高1で春休み中の学生だが、最近は深夜2時〜4時ごろに就寝して、午前11時〜午後3時ごろに起床する生活が続いている。親も受験後で疲労しているということや、県内トップ志望校合格したことから容認しているようだ。

当然ながら、そんな時間帯に起床するということは、私は午後8時ごろに夕食を食べるだけで夜食は基本行なわないので、その日に昼(朝)食を食べるまでは何も口にしていない。無論水もだ。

人間適応面白いものである最初のうちは目が覚めると空腹感とともに、食欲によってすぐに顔を洗い、トイレに行き、歯を磨き、1階に降りて何らかの食事サランラップに被せられた昼食など)を摂っていたものの、ニ三日もしない間にその食欲はほとんど無くなった。ただ、起床後にしばらくダラダラとネットを見ていると、食欲は湧いてくる。しかし、食べようという気にさせるほどのものではない。

タイトルから脱線しまくったが、ここでようやく本題である。なぜ空腹感に襲われ、食欲が湧いてくるというのに食べようとは思わないのか。考える間もなく、「食べることの喜び」が薄いかであるという結論が出た。以前からヒトの「食事」という活動のものに対する楽しみはもちろん本能的な幸福感をも感じることは殆ど無かった。しかしながら最近では、いつも同じ場所に座り、見ても驚くことのない見飽きたものを、殆ど決まった時間に食べる、といった理由から前述の「ヒトの活動」としての食事も含め、なんというのかよくわからないけども、人間の「幸福追求」の一種であるといえる食事本能的に食物を食べるということではなく、好きな物や食べたい物を選んで食べるということ)に対する幸福感をも薄れていったのである。ただし、理由が上述のようなものであるだけに、外食に行く際は多くの場合において大いに幸福感がもたらされていたと言ってもよいと思う。

このことから何が言いたいのかというと、

①今後このことは大きな問題になるとは言い難いが、特に若者の間では私のような人が増えていくだろう

②ヒトという生物必要な食物の量が減っていくのではないか

③また、食糧問題解決に利用できる可能性がある

といったこである

そもそも私が食への幸福感が薄れた原因は「終わりがない」という理由から依存性の高いインターネット生活支配されたかである。このことを考えると、①〜③のような可能性が頭の中で過ぎったのである

あーマジで何書いてんのか…。本来言いたかったのは全然こんなことじゃないし寝起きボケのせいで意味不明なことを書きまくってしまったし書き直すのも修正するのもだるいので、とりあえず私のような食への捉え方を持っている人が世の中にはいるのだとわかってもらえればそれでいい

2018-03-10

将来どーしよーう

今年の春から大学三年生

親が公務員っていうのと、ほっぽり出されてるだけって感じの林を何とかしてみたいと何となく思ってるから林野庁に就きたいって思ってたけど

本当にそれで良いんだろうかって最近悩んでる

公務員試験勉強の1年間くらいだけしんどくて、その先はこれまで通りのぬるま湯みたいな人生がずっと続いていきそうと思いかすかに絶望している



そして、春休みはやりたいこといっぱいやろーって思ってたのに、やりたいことはなくなり(やりたいと思ってた感情が消えた)、代わりになぜかバイト漬けの日々を送っている

思っていた以上に人生がつまらなくて、自分空っぽでむなしい

2018-03-07

春休みなんでこんなバイトばっかしてんだ

8連勤とか

馬鹿だわ

2018-03-03

12/23にマクドナルドひめゆり通り店で計算ドリルをしてた若者

12/23にマクドナルドひめゆり通り店で計算ドリルをしてた若者に伝えたい。

読んでくれるといいんだけどなー。春休み前までに書こうと思ってた。

結論を先に言っておくと、「計算ドリルやってる場合じゃねぇ!!もっと先に進めて、そんで大学進学を目指せ!沖縄の将来は君にかかっている!!」

ってことを言いたかった。

沖縄しかった

10年ぶり??くらいに沖縄行ったんだけどね。

飲み屋がよかった。。地元の人たちが「一緒に飲もうよ~」なんて手招きしてくるのね。

なにより安い!人参シリシリおいしゅうございました。。

帰ってきてから泡盛にハマってしまった(笑)。いまの時季お湯割りがいいねぇ。。

正直僕は南国とかリゾートとかあんまり興味なくて、青い海ウエーイみたいのには無縁なんだけど、

からこそなのか気になったのだけど、、、沖縄新聞めちゃくちゃ偏ってるね(笑)。驚いた。

ひょっと旅で行った他所の人(僕ね)が感じることだから間違いないかなと。地元のひとはあれが普通になってるのかもしれんけど。

掲示板もよく見るんだけど、沖縄マスコミ叩きがもはや沖縄叩きになってないか

あれは一体誰がやってるんだ??暖かい沖縄にいて、妙な違和感を感じたわ。

そして、いろいろ見て思ったんだけど沖縄はたぶん仕事探すの大変だろーなーと感じた。

もしも日々の生活にいっぱいいっぱいになったら、バランスのとれたモノの考え方はできないと思うのね。

今回の旅でがんばってる業界も見れたけどね。

りうぼう?の社長インタビュー記事よかったな。

あと、やちむん通り?はすげー賑わってたな。焼き物職人で食ってこうってのはなかなかにステキだ。

結構買ってしまった。(笑)


沖縄仕事探す

旅先で求人誌とかフリーペーパーを読むんだけどさ、

まり仕事の数はなさそうだね。。(そもそもフリーペーパーにはそんなにいい仕事載ってないかもだけど。)

今回見たので多く目についたのは、オンラインゲームやらブログ監視

ゲームブログ暴言吐いてるやつがいねーか監視する仕事だねきっと。

最低賃金が安い地域拠点を置いて、安く済ませようってことだろうね。

仕事少ない地域雇用が生まれるのはいいことだけど、将来より高い給与は望めないよねきっと。

東京から搾取!なんてのは見当違いな見方だけど、

安く済ませようってのは経営判断としては当然だよね。

でもこれって結果的には、沖縄はいいように使われてないか東京で雇うより安価労働力として。

その一方で、スーパーコンビニ物価なんかは東京と変わらないのな。離島ってのもあるかもだけど。

安い賃金に、都会と変わらない物価、、となれば生活は厳しくなるよな。。

昔来た時にはたぶんなかった、外国人観光客向け高級ブランド物屋が死ぬほど入ったハコモノなんかができてたけど、

アレも沖縄雇用の創出にはそこまで貢献してねーだろーなー。店員さん中国人だったしな。

でも、経営する側は地域利益より会社利益を優先するからこれも当然だよね。自分たちでなんとかするしかない。

新聞就職セミナー記事なんかも見たけど、

人気の就職先は、公務員、電力、銀行、、あとはホテル産業も強いみたいだね。

他の人たちはどうしているのだろう??

自分神の手で「来週から沖縄移住!!」ってなったら何しようって考えたけど、いまの給与を維持するのは多分無理だ。

僕の給料が高いんだぞって意味じゃなくて、たぶん、仕事がない。さくっと行って見つけられる気がしない。

そのくらい厳しいってことね。先輩や友達仕事を探すのに苦労してたりしないか?どうだろう。

自分政治家だったらどう雇用を創出しよう??なんて考えてみたけど、これはなかなかに難題だと思うわ。

国が見捨ててるとかじゃなくて、そのくらい難しいんだと思うわ。たぶん。

IT企業の誘致ってのもあるそうだが、補助金なくなるあたりで沖縄から撤退するんだってね。笑

ここでもいいように使われてるよなー。。

そもそも沖縄IT人材いねーーんだよ!!てのが経営者に言わせるとそうらしいんだけど。

特定の種類の人材がいない、(から企業がこない、(その結果)産業が少なくなるって流れだよね。

いずれにせよ沖縄仕事探すの大変だと思うわ。

から働く意思あっても、、失業者増、賃金ダウンにつながるのかと。

この状況を抜け出すには、高い教育を受けるのがイイんだ。

親御さんや先生、周りの大人で「そうだぞ」って言ってくれる人がいるといいのだけど。

ヒルビリーエレジーって本を読んでみてくれ。アマゾン中古で売ってると思うたぶん。

都会の金持ちにいいように使われるようになってはイカン。君自身市場価値を高めるんだ。

遠まわしになってしまったが、、

それで表題に戻るんだけど、計算ドリルしてる場合じゃねぇ!!早く終わらせて、次の課題に君はどんどん進んでいくべきだ!

「将来はー、センパイの店手伝って、、ヨメはオンゲの監視パートさー。」

では経済的余裕は生まれ可能性が高い。都会の金持ちの思惑に乗ってはイカン

幸せならいいじゃない論はここでは議論しない)

そして可能なら、沖縄から出て進学して、しばらく県外で働くのもいいかもしれん。

仕事レベルを上げて独立して沖縄で働いたらいい。沖縄の外の空気を吸うんだ。キッタネーけど!

経済的に余裕がないことには、他のことを考える余裕はなくなると思うわ。基地問題とかな!

政治家のみなさまへ

ワケのワカランIT業者補助金出すくらいなら、彼のような勉強する意思のある若者が「県外」の大学で高い教育を受けられるようサポートしてあげてほしい。

沖縄東京の間に溝、わだかまりがあるような事態はヨロシクナイ。沖縄日本から分断させようとする意志がある者がいるようだ。

経済的に余裕がなく他のことを考える余裕がない人たちに、一方的論調マスコミの力が働けば、ものの考え方は一方向になる恐れがある。

安室ちゃんが生きてる内は大丈夫だろーけどさ。

恋愛市場において私はオケラだった

 平成の世に青森山村で生を受け、田舎者としてのアイデンティティを育みながら高校卒業。現役で都内大学文系学部入学し、初めて覚えたお酒タバコ麻雀に塗れて遊び呆けること4年、かつて純朴たる津軽っ子だった私は3度目の留年危機に晒され、平穏無事に3度目の留年が確定したのが、つい先月のことだった。

 

 入学時、私が胸に抱いていた”憧れの大学生活”とは、椎名誠作品に見られる”酒に振り回される共同生活”や、森見登美彦作品のような、”汚い豚小屋みたいな下宿”に住まうことであって、このように退廃的な大学生活を希求して一人暮らしを始めてしまったが故に、大学単位はことごとく落とし続け、すべからく留年を3度、他人から見たら紛れもない奇行に突っ走る人間となってしまった。しか自分でさえこ行為を”そろそろヤバイな”と感じ始めたのは、精神的な成長の一歩と数えて片付けるよりは、むしろ目の前にある現実的な要因を検討するべきであり、その要因とは単純明快自分と同期の女の子、つまり今年卒業する女の子に愛の告白を断られたかであるしかも2人。

 

 恋の終わりの始まりは1ヶ月前に遡る。春休みに入ってから、いよいよ卒業する同期の友人たちの事を考えていたら、お互いが学生であるというまたとない機会に一度飲むべきとの結論にたどり着き、この4年間何がしかの付き合いがあった友人たちに”酒を飲もう”と、DM配達員ばりに無差別メールを送りつけた。多様な返事、または声無き返事が返ってきた中で、”暇なお前を相手にする時間は無いよ”と、事実暇な私に対する軽蔑を露わにする内容もあれば、”暇だけどいいや”と、私への嫌悪を隠そうともしない内容までもあった。そんな辛辣電子のやり取りにおいて、慈善事業の一環なのか、この私と酒を酌み交わしたいと申し出る者も数名いた。ありがとうありがとう。君らだけが友人だ。では飲もうじゃないかと、ここ1ヶ月間、相手を代わる代わる酒宴を開いていた中で――20代前半の青っちい我らである若い男女が杯を重ねれば当然のように――情事は常に避けられない。この1ヶ月、何度かの姦通があり――これもまた必然――、男女が淡い恋の色を見出すこともあった。一度ならず、二度。つまり、私はこの1ヶ月の間で二度の恋を経たのだった。そして、既に明かしているが、二度フラれた。

 

 恋の遍歴に関しては誰も興味無いだろうし、思い出すだけで地獄業火のような苦しみに焼かれるので、端折って私が敗北を喫した台詞まで飛ぼう。それは、二人とも――まるで示し合わせたかのように――、全く同じ文言で――ホントに示し合わせたんじゃないだろうかと疑うほど――、「増田君、卒業するの3年後でしょ?私そんなに待てないから、ごめん」と。なんという悲劇!私が自ら求めて送った退廃的な学生生活の終着点は、モテないという事実だったのか!一人目まではよかった。仕方あるまい、次に進もうと、滑稽なまでに楽観的な自分を保つことが出来た。しかし二人目まで同様の言葉を吐いた時にはもう、私の精神は切り刻まれバラバラになり、じっくりコトコト煮込まれて、三留陰気クソ野郎シチューが完成した。こんなドロッドロで塩っ辛いシチューを食べたがるバカ舌の妖女は今後現れるのだろうか。私は二人から留年理由にフラれたことによって、自分恋愛市場における価値の低さをようやく認識するに至ったのだった。

 

 ”留年たからフラれた”というのは本質的には”将来性が無いからフラれた”という事実に直結している。確かに私は”将来性”なんてなんの根拠も無い信仰みたいなものしか無いと考え、”俺は今なんだよ”とツッパリ続け、この4年間、それを育む行為を一切放逐した生活を送ってきた。この事実は自認しているのだが、まさかこんなにも早く、”将来性”のビハインドが影響する年齢に達するとは想像もしていなかった。三留って世間的に見てかなりヤバイんだなと自認するには二度の恋の敗北が無ければあり得なかったというのも、またヤバイのだが。

 

 恋愛市場非情な一面とは、同年代の男女の需給が年齢によって一致しないところである。男はいつまでも恋を求めるが、女性はそうではない。どこだかの著名な先生が言っていたが、女性大学卒業するタイミングで、男を評価する視点を”恋愛から婚活”へとスライドするらしい。すなわち男に求める要素が変化する。それも驚異的に。私がここまで絶望しているのは、奔放な大学生活において比較モテる立場にあったのが、加齢に伴う恋愛市場の変容によって、唐突オケラ級にモテない立場にすり替わったかである。未だに自分モテると信じたいのが本音だが、実際に同期の女の子からしたら、私はオケラだ。彼女からしたら、将来性なんて一ミリも感じないだろう。私も感じていないのだから

 

 私は高をくくった羽ばたく鳥であったが、恋愛市場の神の見えざる手は飛ぶ鳥をはたき落として、地面にめり込んだ私は三留オケラ野郎として慎ましく穴でも掘って生きていくことを余儀なくされている。人生つら。

2018-03-02

初めて日本に来た時にできた友人が消えた

過去に戻れるなら絶対にしないことや言わないこと、誰かにもう一度会えるならその人に言いたいことや聞きたいこと、許しが貰えなくても知りたいこと。この世の中、後悔が多い。

だって、いくつもある。

2014年2月。まだ大学生の私は留学東京にいた。日本語が下手くそで、ギリギリ会話ができるレベルだった。友達ほとんどいないせいで、どこに行っても大体一人だった。あの日もそうだった。

好きなアニメは大きなイベント東京にあったので、本を買いに行った。緊張で誰にも声を掛けられなかったが、楽しい一日だった。本がたくさん買えて、それを読むのを楽しみながら、帰りの準備も始めたが、せっかくだから、もう少し歩き回ろうと思った。最後の一巡りだったから、もう何も買わないと思ったが、あるスペースでとても興味深い同人誌を見つけた。

普通なら、作者さんに声を掛けないのに、表紙の絵が素敵で、ぱらぱらと見た内容も面白そうだったので、ちょっと勇気を出してテーブルの後ろの2人の女性に話しかけた。

怖かった。人見知りだし、自分日本語ダメだったし、伝えたいことさえ知らなかった。しかし、その2人の女性はとても優しくて、私が外国からたことを知ったら様々な質問も聞いてくれた。片言の日本語で何とか会話できて、泣くほど嬉しかった。つまらない私とこんなに丁寧に話してくれるとは、信じられなかった。

名前”は「かん」と「くもこ」と教えてくれて、また話したいと言ったら、メールの連絡先も教えてくれた。LINEツイッターがないから、ここにメールを送ってくださいと。

帰ったら、一生懸命日本語メールを書いて、送った。礼儀上「いつでもメールしてね」と言ってくれたと思ったので、本当に返事が来るとは期待してなかった。でも翌日、返信が来た。

まさか、と思いながら読んで、ずっとニヤニヤして、笑いが止まらなかった。

なんと優しいメールだったことか。丁寧に書いてくれた言葉があまりにも素敵で、嬉しかった。

そのメールから、かんさんとくもこさんと話がたくさんできた。大阪に住んでいるのに、その日はわざわざ東京まで来て、イベントに参加した。実は大阪もその日、同じようなイベントがあったが、それを知らなかったせいで東京に来てしまった。しかし、それは多分運命だった。知っていたら、東京にも来なくて、私達は会わなかっただろう。

私より8歳年上の彼女達は私にとって、もう2人の姉のようだった。

2月出会いからずっとやり取りをして、私がアメリカに帰ってしま8月の前にはたくさん遊んだ旅行も一緒に行って、私も何回も大阪を訪ねることをした。

偶然会った人とこんなに大切で親しい友人になれるなんて、今まで期待したこともなくて、本当に幸せだった。

私の文句や弱音を聞いたり、落ち込んでいる時は優しく応援したり、困っている時はできる限り手伝ったりしてくれた。出会たこからずっと、そしてアメリカに帰った後でもそうだった。ずっとそのままでいられると信じていた。

お別れは切なくて、辛かった。私がいつかまた日本に戻りたいと分かったかんさんとくもこさんは「これは最後じゃないから、また日本に会える日まで頑張ってね」と言ってくれた。

うん。分かった。頑張るから、待っててください。

2014年8月上旬に、アメリカに戻った。

2016年9月

大学から卒業した1年間後。色々な事があったが、奇跡的に日本仕事ができた。今回は大学生の頃とは違って、東京ではないけれど自分の夢を叶えた。また日本に戻れた。

離れても応援しながら待っていてくれたかんさんとくもこさんとは10月にまた会えた。良かった…。2年が経っていたが、何も変わらなかった。3人で気軽に話したり、笑ったり、泣いたりできた。

短い一日だったが、また会えて幸せだった。

そしてほぼ一年前のこと。2017年3月

九州旅行に行きたいとかんさんとくもこさんに伝え、私のわがまま春休みに2泊3日で行った。でもその時は私達3人だけではなくて、くもこさんの同僚とその同僚の友人も一緒に5人で行った。私はその2人を知らなかったので、彼女達と上手くやっていけるか心配していたが、かんさんは「私とくもこさんもいるから、大丈夫ですよ!」と安心させてくれた。

大丈夫だと思った。かんさんとくもこさんがいれば、何とかなると。でもそうはならなかった。

知らない2人と性格が合わなかったし、四六時中日本しか使えなくて言いたいことも上手く伝えられなかったし、4人の会話にもほとんど参加できなかったし、ストレスが溜まった。時間が経てば経つほど、イライラしてきた。私は機嫌が明らかに悪くて、本当に子供のようにわがままだった。

楽しい旅行のはずだったのに、最後の日、私はほとんど何も話さなかった。誰にも声を掛けこなかった。私をほっといた方がいいと思ってくれたのかもしれない。かんさんとくもこさんに「大丈夫ですか?」と聞かれた時に、「大丈夫です」としか答えられなかった。あの時、嘘をつくことしかできなかった。だって、くもこさんの友人が好きじゃないなんて言えなかった…。

帰りの新幹線の中で、4人の向こう側で一人で座りながら、寝るふりをした。私の態度はひどくて、わがままで、バカみたいだって、誰よりも分かっていたのに、気持ちが切り替えられなかった。その時、その気持ちを全部解き放てばよかったのに…。

皆さんと別れた後、かんさんとくもこさんに謝りたかった。東京に戻る前に、もう一度会って、面と向かって謝りたかった。しかし、「ごめん、今週末は忙しいかちょっと難しいです。○○さんがまた大阪に来るときにご飯を食べに行こうね?」と断られて、会えなかった。

あの時は知らなかったけど、それはかんさんとくもこさんから最後の連絡だった。

春休みが終わり、仕事に戻った。罪悪感で4月下旬までかんさんとくもこさんに連絡していなかったが、その時彼女達はちょうど引っ越し中だと分かった。何もなかったふりして、気軽なメールを送ったが、返事がなかった。もしかしたら忙しいせいでメールを書く時間がないのだろうと思ったので、気にしなかった。

でもまたメールしても連絡が来くて、違和感を感じた。やっぱり。その時のことを怒っているだろう。

いても立ってもいられなくて、謝りのメールちゃんと書いて送ったが、返信がなかった。

4月は一回。5月は一回。6月は一回。7月は二回。

何回も、何回も送ってみたが無駄だった。

なぜ?それを知りたい。いつも優しくて、親切なかんさんとくもこさんはなぜいきなり消えてしまったのか?私はあの時、そんなにひどいことをしてしまったのか?何をしてしまったのか?私達の3年間の友情が壊れた罪は何だったのか?ねぇ…。一度だけでもいいから、また連絡してその理由を教えてくれませんか?

本当に大阪にかんさんとくもこさんを探しに行きたかったが、新しい住所も知らなくて、メールの連絡先しかしらなかったせいで、何もできなかった。

2017年12月新年の前。

今回こそ、最後メールを送ろうと思った。そうしたら、やっと解き放てるだろうと信じていた。送ったら、諦める。

その嘘は誰のためについたのだろう?

1月下旬、ふと思い付いた。手紙は前の住所に送っても、郵便局は新しい住所に転送してくれるはずだ。私のバカ!なんで今まで思い付かなかったの!早く思い付いたらよかったのに!

転送してくれる時期は一年間だけだからギリギリ間に合った。

一生懸命手紙を書いた。一年間の気持ちをできるだけ込めて、謝りの手紙だった。ちゃんとかんさんとくもこさんのところまで届くのか、返却されてしまうか、不安でいっぱいで手紙を送った。

一ヵ月が経ち、その手紙は戻ってこなかったが、返事もない。

結局、その手紙はどこの誰に届いたかからない。

このお話は、幸せな終わりにしたかった。

実は何かトラブルがあって、かんさんとくもこさんが私のメールを貰わなかったとか、ずっと私のことを待っていてくれたとか、そう言いたい。でも私がそれをどのように信じたくても嘘なので、言えない。

1月下旬に他に思い付いたことが一つ。かんさんとくもこさんの電話番号を知っている。しかし、それを知っても役に立てないだろう?

本当に私のことが嫌いにならば、こんなにしつこく連絡したら、迷惑だし困らせてしまう。そもそも電話を掛ける自信がない。

あぁ、もしかしてひどい事故に巻き込まられたら、それを言い訳にしてかんさんとくもこさんに連絡できるなんてひどい考えも何度もした。

私は本当に、本当に情けない。かんさんとくもこさんが恋しくて、会いたくてしかたがない。

また会いたい。ちゃんと謝りたい。許しなんて請わないから、せめて私が何をしてしまたか、教えてください。

それを知ったら、私は、多分、やっとあなた達のことを忘れられるから

2018-03-01

一人で韓国に行って整形してきた

大学1年生女、韓国で目頭切開とエラ削りをしてきました。

韓国に行ったことも整形したことも誰にも話せず、一人暮らしの家で寂しくダウンタイムを過ごしているので色々吐かせてください。

さなから顔がコンプレックスでした。厚ぼったい一重の目に、エラ張り顔というメイクでは誤魔化しの効かないブスの典型です。

絶対に整形しようと、高校生の頃からTwitterで「整形垢」を作って情報収集、様々な手段割愛)での資金集めをしてきました。

大学生になり、親元をはなれ一人暮らしを始めたのでやっと整形できる!とまず埋没手術(ふたえ手術)をしました。

それだけで印象がグッと変わり、アイメイクは楽しくなるし男性に今までされたことのない優しい態度を取られ、

「顔が標準以上の子は、こんな思いを毎日していたのか・・・」と新しい世界を見ることができました。

彼氏もできて、初エッチしました。ブスの頃は一生処女なんだろうなと思ってたのに。

埋没手術は5万。5万円でこんなに世界が変わるなんて、なんてコスパがいいんだろう。

二重になって目はある程度ぱっちりしましたが、次は蒙古襞のせいで垢抜けないことに気づき始めました。

それから、ずっとコンプレックスだったエラの悩みに終止符を打ちたいと、次は目頭切開とエラ削りをすることに。

Twitterには整形垢界隈というものがあり、整形の情報症例、経過写真情報を容易く得ることができます

調べていると、韓国は料金が日本より安い(相場日本の1/3くらい!)上に技術も良く、日本語対応している病院も多かったので

不安はありましたが春休み韓国に行くことを決めました。2月中旬に行ってきて、いまはやっと腫れが落ち着いてきたくらいです。

整形までにやったことは

1)病院選び

2)予約

3)渡韓準備

です。

まず病院選びは、Twitter症例病院HPが載せている情報をみて、自分希望を叶えてくれそうな病院を探しました。

整形垢界隈には韓国病院トレンドがあり、その時評判が良かった病院を全て調べまくって「とにかくナチュラルに垢抜けたい」希望にあっているところを探しました。

ちなみに目頭切開は高須クリニックだと25万。韓国だと3-5万です。技術個人の感じ方によりますが、韓国しか採用していない高度な技術施術方法があることを考えると韓国の方が上かなと思います

予約はカカオトークLINE@で。私は日本語対応していない病院を選んだので、予約はカカオトークGoogle翻訳を片手に韓国語で行いました。

また、日本語が十分にできる先生がいない病院を選んだため、渡韓期間は通訳さんを同行させる必要がありました。現地でついてきてくれる通訳さんの予約も。

渡韓準備として、きちんと希望の目の形が伝わるようにオーダーシートを自作しました。

この目にはなりたくない、この目に近づきたい・・というイメージを紙に印刷してカウンセリングの時に見せる用です。

友達家族には「韓国高校友達旅行行ってくる!」と伝えアリバイ工作

ダウンタイム中に人に会いたくなかったので、旅行の後はすぐリゾートバイト軽井沢住み込みしてくる設定にしました。

そして渡航し、施術し、帰国

滞在期間中は街で会った韓国人のお兄さんに「君が行こうとしている病院韓国では評判悪いからこっちの病院行きなよ!」と話しかけられ結局悪質な回し者だった・・という事件があったり色々大変でしたが、なんとか目と顔を腫らしながら帰国できました。

ちなみに高須では100万円以上するエラ削り、韓国では安いところだと15万くらいでできます。繰り返しますが品質が悪いわけじゃないです。

誰にも相談できず一人でここまでやったの、結構誇りです。

就活も結局顔見られるし、今やって良かった。

娯楽にお金を落とさない&ネット一般化で顔写真一枚の影響力が強くなったこ時代

整形の需要って高くなっていくと思うんで整形おすすめです。

親にもらった体にメスを〜みたいなお説教はいらないです。

2018-02-22

あーーーーたのし!!!

試験期間終わって春休み入ってやっと楽しくなって来た!!!

けど不安もあるね!ヒィ

2018-02-10

どーもー

春休みキッズども

増田好き Sick な俺とも

増田風にフリースタイルバトルしない?

anond:20180210165332

春休みでガキが沸いてるってコトだよ!

anond:20180210162536

なんなんだ、お前は、

さっきから無差別に絡みまくって

春休み大学生か?

いいこと教えてやる!

韓国で整形すると安いぞ!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん