2018-03-17

食への幸福感が無い

新高1で春休み中の学生だが、最近は深夜2時〜4時ごろに就寝して、午前11時〜午後3時ごろに起床する生活が続いている。親も受験後で疲労しているということや、県内トップ志望校合格したことから容認しているようだ。

当然ながら、そんな時間帯に起床するということは、私は午後8時ごろに夕食を食べるだけで夜食は基本行なわないので、その日に昼(朝)食を食べるまでは何も口にしていない。無論水もだ。

人間適応面白いものである最初のうちは目が覚めると空腹感とともに、食欲によってすぐに顔を洗い、トイレに行き、歯を磨き、1階に降りて何らかの食事サランラップに被せられた昼食など)を摂っていたものの、ニ三日もしない間にその食欲はほとんど無くなった。ただ、起床後にしばらくダラダラとネットを見ていると、食欲は湧いてくる。しかし、食べようという気にさせるほどのものではない。

タイトルから脱線しまくったが、ここでようやく本題である。なぜ空腹感に襲われ、食欲が湧いてくるというのに食べようとは思わないのか。考える間もなく、「食べることの喜び」が薄いかであるという結論が出た。以前からヒトの「食事」という活動のものに対する楽しみはもちろん本能的な幸福感をも感じることは殆ど無かった。しかしながら最近では、いつも同じ場所に座り、見ても驚くことのない見飽きたものを、殆ど決まった時間に食べる、といった理由から前述の「ヒトの活動」としての食事も含め、なんというのかよくわからないけども、人間の「幸福追求」の一種であるといえる食事本能的に食物を食べるということではなく、好きな物や食べたい物を選んで食べるということ)に対する幸福感をも薄れていったのである。ただし、理由が上述のようなものであるだけに、外食に行く際は多くの場合において大いに幸福感がもたらされていたと言ってもよいと思う。

このことから何が言いたいのかというと、

①今後このことは大きな問題になるとは言い難いが、特に若者の間では私のような人が増えていくだろう

②ヒトという生物必要な食物の量が減っていくのではないか

③また、食糧問題解決に利用できる可能性がある

といったこである

そもそも私が食への幸福感が薄れた原因は「終わりがない」という理由から依存性の高いインターネット生活支配されたかである。このことを考えると、①〜③のような可能性が頭の中で過ぎったのである

あーマジで何書いてんのか…。本来言いたかったのは全然こんなことじゃないし寝起きボケのせいで意味不明なことを書きまくってしまったし書き直すのも修正するのもだるいので、とりあえず私のような食への捉え方を持っている人が世の中にはいるのだとわかってもらえればそれでいい

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