はてなキーワード: 憂鬱とは
僕は自分のことをいわゆる準ひきこもりってやつだと思っていて、学生時代は学校に行くこと以外で外に出かけることはありませんでした。
学生時代(2年前くらい)、就活に対して本当にやる気が起きなくて、周りがやっているからとりあえずよさそうな会社を調べてみるものの、
実際に説明会にいったり、面接を受けたりはほとんどしませんでした。
最近の就活事情はすぐに変化しているので、今はどうだか知りませんが、当時(2、3年前くらい)の就活は大学3年の12月に一斉に募集が始まるルールで、
一般的な意識の持ち主は大学4年の4月には内々定・内定を持っているのが普通で、このときまでに決まってないと焦るくらいの雰囲気でした。
もちろん中には決まらない人もいて、そういう人は内定式までに決めようと夏休み返上でいろいろ頑張ってましたが。
僕は大学3年のときに一生懸命会社をネットで検索して会社概要や面接要項を眺めたりはしたのですが、いざ面接となると気後れしてしまって、
説明会も面接も受けず、ネットや求人票を眺めるばかりで、実際に行動に移すことはしませんでした。
僕は人と話の苦手だし、極度の恥ずかしがり屋(チキンハート)なので、とにかく知らないことをやりたくないし、
一度も入ったことないローカルのお店とか1人で行けないし、銀行・郵便局・市役所みたいな受付のあるところも苦手です。
何かを振り込むときに(学費だったかな…?)銀行に行ったことはあって、そのときは使命があったので行きましたが、
そういう理由がない限りできるだけ未知なるものは避けたいと思ってしまうのです。
そんな僕ですが、大学4年の4月に、みんなが内定をもらっているころに、ようやく教授にとにかく一社は受けてみろと言われて、一社受けました(まぢ褒めて欲しい)。
見事に一次面接で落ちましたが。
割りと高望みだったのと、技術試験がボロボロで自分でもあきれるところがあったので、落ちたことに対してショックは少なかったです。
むしろ、また面接しないと行けないのか、また東京行かないといけないのかというので、だいぶ憂鬱でした。
教授に落ちたことを伝えたら、だいぶ励まされました。
次に受けたのが内定式の過ぎた大学4年の10月ごろでした(半年後…)。
この時点でまわりはみんな内定を持っていました。
教室での友達の内定・会社の話には入れないし、逆に話をしないようにと気を使わせてしまっているのがありありとわかって、
で、この会社は筆記試験、面接4回(最終面接含む)受けて、採用担当から口頭で内々定もらったけど、やっぱゴメンって言われて、また就職活動することに。
並行して面接を受けていなかったのと、この時点で大学生活残り3ヶ月なのに受けた会社はたった2つという、就職に対して低すぎる意識で自業自得ですが、
内々定もらったと両親・教授・親戚に伝えてしまったのが痛かったです。
もうこの頃になるともう卒研やらなんやらで就活から逃げて、来年はプーしたいなと思っていたのですが、
そうは問屋や親が許さず、なんでもいいから来年やることを見つけろと言われました。
(ここでようやく両親登場。まあ僕は春休みに春休みをこじらせて卒業が危ぶまれていたのを持ち直したので、いろいろ多めに見てくれていたのですが…)
で、卒研終わったあとにまた教授に促されて就活を始めたのですが、とある御仁に就職エージェントなるものを教えてもらって、これに登録しました。
就職エージェントは学生の希望する業種の会社を紹介してくれて、学生を採用する会社からの紹介料でお金儲けするビジネスです。
で、この就職エージェントへの登録が功を奏して、大学4年の2月末に登録して、3月中旬には内定をもらえました。
自分の場合の簡単な流れを説明すると、就職エージェントに登録した次の日に「貴様のスペックとどんな会社がいいかを今すぐ教えろ」という電話がかかってきて、
次の日には希望に近い会社を20社くらい紹介してもらい、その中から希望に近い会社を2社選んで、面接をすることに。
紹介された会社は玉石混交で、保守・運用だったり、開発だったり、一部営業だったりとバラバラで、2社しか選べなかったともいえる…。
面接日程等の段取りはほとんどエージェントがやってくれました。
希望したうちの1社に受かって、無事に入社して、今に至っています。
ええと長くなりましたが、何が言いたいかというと、僕のようなものぐさ・恥ずかしがり屋で就活したくないという人は、
お尻をひっぱたかれでもしないと動かない人だと思うので、そういう人はエージェントサイトを使ってみたらいいのではということです。
会社を探して、エントリーシートを送って、面接日程を決めて…。
しかし、エージェントサイトの中の人は、内定による紹介料(結構高額)で自分の給料をもらっています。
金がかかっていて必死ですので、恥ずかしがり屋でメンドーなことが嫌いな僕のお尻をひっぱたいてくれます(電話もかかってきます)。
幸いにも僕は今の会社に満足していますが、自分の希望しない会社を紹介される人もいるでしょう。
せっかくの新卒という切り札をエージェントの金儲けに使わせていいものだろうかと考える人もいるでしょう。
でも僕は何もせずに就職できないよりも、エージェント使ってでも就職してよかったと思っています。
(というかたぶん本当に電話かけてもらって催促でもされない限り気後れして何もできなかったと思う…)
親戚同士の集まりであいつはいま無職なんだみたいな目で見られることもないので、使ってよかったと思っています。
ちなみに自慢ですが、内定をもらったときにエージェントの人に聞いたのですが、3月はじめの時点で登録者が90人くらいいて、
僕が内定をもらった3月中旬までに(つまり2週間で)内定をもらったのが僕を含めて2名のみということで、つまり門はそれほど広くないようです。
(こんなことバラしてよかったのだろうか、エージェントさん…)。
さて、推己してないし、書きっぱなしのまとまりのない文章ですが、最後に。
ここは糞みたいな日記を垂れ流しても構わない場所だと聞いたので思い切り垂れ流す。
1日目。
「俺って、こんなにマトモなのに童貞なのですよ!」と堂々と言えるために。
そのために、まずはだらしない腹を引き締める。
昼前に船橋のららぽーとへ行き、ジョギング用のシューズとウェアを購入した。
三日坊主にならないための戦略だ。モチベーションを保つ秘訣は出費なのだ。
2日目。
昨日のジョギングのせいで体中がバキバキになっていたというのもあるが、折角の連休なのに誰とも会話していないし会話する予定もない、己の現状に嫌気がさしたのだ。
予定していたヒトカラも中止して、家で酒を飲みつつ漫画を読んだり、会社の気になる後輩の名前を検索したりした。
気がつけば夜。バーに行くと出会いがあると聞いたので行ってみたが、そんなことは全くなかった。
壁に面した席で、独り黙々とナッツをかじるだけの時間だった。
10時間位飲みっぱなしであることに気づき、俺はもう駄目なのかもな、と少し泣いた。
ちなみにこの日は二回自慰した。
3日目。
飲み過ぎと自慰のし過ぎと寝不足で目眩がしていたが、ヒトカラに行ってきた。
俺は正直、歌だけは少し自信があるんだ。そして俺は歌うことが物凄く好きだ。
だから独りでも歌う。
一時の快感と高揚感。そして終わった後の虚しさ。
何も残らない感じ。
歌ったあとは酒だ。
ひたすら飲み続ける。
一応、プリン体ゼロを謳うビールやチューハイを選んでいる辺りが、みみっちくて我ながら滑稽だ。
飲みながら自慰をして、更なる虚しさを味わったあと、猛烈な人恋しさに襲われてしまった。
結局、この三連休、誰とも会話をしなかった(店員等は除く)
こんな生活をいつまで続けるのだろうか。
刺激が酒と自慰とカラオケしかないなんて、もうウンザリなんだよ。
10年後もこんな感じで生きているのか?
想像したくない。
私のことが気になっていて、私もちょっと気になっている男性がいます。
このままいったら付き合えそうな可能性は高いです。
だけどひとつ気になることが。
その人、ここ数ヶ月すごいスピードではげていってるんです。
先日会ったら、床屋の腕が悪いんだろうか、河童みたいになってた。
その人はそのことに気づいているんだろうか、気づいているけど認めないようにしているんだろうか、まだギリ大丈夫と思っているんだろうか。
どう思ってるかわからない。
とりあえず、彼から漂う“俺はいけてる”オーラはあんまり変わってない。
私がわかることは、その髪型は似合ってないということだけです。
べつにはげててもいい。
しかも話が合うし。
お付き合いのスタートは切れると思う。
だけど、付き合ってからどういう気持ちになるかと思ったらすごく憂鬱になるな。
ずっと喉の奥に小骨が挟まったような思いでその人と付き合うのかな。
多分彼は自分の変化を受け入れていない。
他人の私が指摘するのはおこがましいし傷つけそうで怖い。
そこを避けておきつつ、関係を深めることってできるんだろうか。
どうして私はこんななんだろうな。
受け入れられないところがあってもいいじゃないか、自分だってそういうことがあるじゃないか。
どうして相手に完璧を求めようとするんだろうか。
これは私のほうが問題で、自分のコンプレックスを彼に押し付けてみているだけなんじゃないか。
ってことをぐるぐる考えてしまって、最近は会っても楽しめない。
あと、「はげ 似合う 髪型」のキーワードをググってばかりいる。
はあ、次に会う時ブルースウイリスみたいな頭にしてきてくれないかな。
そしたらきっと、やったー!って言って彼の胸に飛び込んじゃうな。
個人経営のイタメシ屋。その「個人経営」という甘美な響きから、何となく「可愛がってもらえる」「良くしてもらえる」「融通が利く」と思ってしまっていたが、その希望は見事に崩れ去ることとなる。
初シフト。料理を作る店主と、年下先輩アルバイトと僕の3名が店員だ。狭いながらも居心地の良い店内が特徴だ。
僕の相方となる4歳下の先輩バイト君。テキパキしているながらも、おっとり、静かに話す好青年だ。物腰も柔らかで感じも良い。ただ、飲み物の分量、作業容量など「そんな感じで…」とファジーな指示もあった。でも、個人の飲食店だし、そういうものかと割り切っていたのだ。
しかし、開始2〜3時間でお店が混み始めたところで、異なる様子を見せ始めた。
どうも、連携がうまくいかない。相方君も1から10を語ってくれるわけでなければ、店主も忙しく、対応がつっけんどんになってきた。なるべく店主へ質問しようとしていたのだが、「あいつに聞いて」と回される。それほど、店主はその相方君へ信頼を寄せているらしい。
そして、やはりというか、危惧していた状況へと陥ってしまう。相方君が教えてくれていない、つまり誰からも教わっていないことで店主に叱責されるようになった。
人間というのは(というか、僕が)思った以上に単純なもので、予め聞いていないことで叱責されると、途端に理不尽に感じてしまう。店主曰く「ちょっと常識で考えたら分かること」(コップの飲み口を持たない、料理の提供が何よりも最優先、ドリンク提供のタイミングなど)らしいが、あいにくその常識は持ち合わせていなかった僕である。
もしかしたらここまでは、飲食店にはありがちなことかもしれない。しかし、僕が看過できなかったのは、この店主が想像以上に短気だったことである。
面接時や、アイドルタイムは口調も丁寧だ。一見、良識のある大人に見える。しかし、混雑時にしくじったときにはたまったものではなくて、「おい」だの「馬鹿」だのといった言葉が飛び交う。お客様の目には触れないよう近くに寄ってきて耳元で言われるのはせめてもの救いか否か。
「何のために耳と頭がついてんの」「日本語分かる?」正直、僕がこの世で一番嫌いといっても過言ではない罵倒文句。それを大量に向けられるようになってからは、もう店主への尊敬は無くなっていて、憎悪の感情さえ抱くようになっていた。
個人的決定打は靴蹴りと舌打ちと物に当たること(時計を机に叩きつける)。自分の感情をコントロール出来ない大人は格好悪いとつくづく思った。
では、ほかの従業員はどのように働いているのだろうか。
先述の年下先輩バイト君(入って半年程度)。教えるのはあまり上手ではなかったが卒なく仕事をこなし、信頼を得ているようだ。入った直後はよく怒鳴られていたそうだが、今はそういった面影はなく、店主との信頼関係を構築しているように見られた。
もう一人の女性の年下先輩バイトは最古参(といっても一年程度)で、店が繁盛する前からのアルバイト。こちらも、店主からの信頼は絶大だ。怒鳴られている様子はない。
では、怒鳴られている人間はいないのか。…いた。僕の友人であり、このバイトを紹介してくれた人間でもある。僕より1週間程度しか先輩でない彼であり、僕と同様に店主の叱責を受けているが、なかなか骨太な彼である。バイトをすぐ辞める気はないらしい。
後の人間は…どうやら店に居着かないらしく、多くの人間が短期間で辞めていった、という話を耳にした。僕からしてみれば原因は明らかであるが。
そして、人生で一番憂鬱な1ヶ月間の始まり…というと大袈裟ではあるが、違いは人間の三大欲求に顕著に現れた。食欲は落ちて一日一食になり、睡眠欲に関しては寝付きが悪くなり、目覚めてすぐアルバイトのことを考えるようになった。性欲もまた然りである。頭の中の80%ほどにはいつもこのアルバイトが居座り、ほかの作業が手につかなくなる。普段はしないようなツイートも増えた。仲間にこのバイトの愚痴をこぼす瞬間が良い気晴らしとなっていた。
もちろん、「割と飲食店にはあることだよ」「慣れたら大丈夫になるよ」という声もあった。もちろん、僕から吐き出される言葉はヘイトに塗れていて、もはや客観性を失っていた。「そんなバイト、辞めたら良いよ」その言葉が天使の囁きだった。
呆れられた。「こんなこともできないようじゃ、どこに出てもやっていけない」「決断するのは早すぎじゃないか」「どうしてもっと早く相談しなかった」
「新しい仕事にもかかわらずメモも取れていない、基本的なこともできていない、そんなんで出きっこないのに『できません』は甘え」…などと言われたように思う。正直、あまり覚えていない。もはや、食傷であった。
1ヶ月後、退職する運びとなった。
果たして、完全に店が悪かったのか。僕は全く悪くなかったのか。
もちろん、経営者側と同じく、僕を「根性なし」「甘えている」と見る向きもあるだろう。
確かに、ここ最近はヘイトに任せて行動していたし、正直、勤務中の僕の動きは悪すぎた。「基本的なことができていない」とはまさにその通りで、それについては料理の提供順序が前後してしまったり、ドリンクを提供できなかったりと実際に営業に支障が出ていた。ほかのお店であっても叱られて当たり前のレベルである。
しかし、叱責され方(僕が経験なくびっくりしてしまったということもあるが)に嫌悪感を抱いてしまったこと、「失敗するとあそこまで叱られるんだ」という心持ちでバイトをするということが苦痛であったこと、が辞める決め手になった。
まだ心持ちの整理が付いていない段階であるが、この経験から学んだこと。アルバイトでも正社員でも、「価値観のすり合わせ」が大事なのではないか。
今回のケースのように、「成長のために叱責は必要不可欠」と考えている経営者のもとに「たくさん叱られたくない」と考える労働者が勤めてしまうと、それはそれは悲惨な結果となってしまう。残念ながらこの部分については、タウンワークやanやリクナビの紙面には浮かび上がってこない、「働いた人にしか分からない」部分である。そして、その「価値観」は、叱責の有無に限らず、ほかにもいろんなファクターがあるだろう。
アルバイトの場合は顕著であるが、面接でミスマッチに気づいても遅い場合がある。そのまま採用されて、ズルズル取り込まれてしまうパターンがあるからだ。
じゃあ、どうするのが良いのだろう。僕は今まで馬鹿にしていたが、就職活動であればOB訪問、アルバイトであれば事前にそのお店に偵察にいくことをおすすめしたい。少しでもミスマッチを防げる手助けになるだろう。
「アルバイト 辞め方」などで検索すれば(経験のある方はお分かりだろう)予想をはるかに上回る件数ヒットする。理由は何にせよ、それだけこの国で僕みたいに悲鳴を挙げている人間が居るのだろう。その人たちの幸せを願いたいものである。
中学高校と学校に通うことが苦痛だった。勉強が嫌な訳でもない。友達がいない訳でもない。
大学に入れば、自分の好きな勉強を思い切りできる訳だし、学校を好きになれるのではないかと思っていた。
クラスという概念がそもそも苦手なのかもしれない。専門ごとのゼミがあるのだか、そこの先生がやたらとこのクラスはー
とかこの学年はーみたいな話をする。みんなで高め合っていこうみたいな話を聞く度に気分が沈んでしんどくなる。
ゼミ配属が無く好きな講義を取って、空き時間に自分の好きな調査研究をしていた1年目の頃はとても楽しかったのにどんどん大学が嫌になる。
今は夏休みだけど、あとひと月もしないうちに夏が終わって大学に行かなきゃと思うと憂鬱になってしまった。
今一番楽しいのはアルバイトかもしれない。自分が今まで独学だったり集中講座なりで学んで来たことが全部活かせる。
現場で働く人の指導も受けられる。上司も周りのスタッフもいい人たちだ。
だけど、大学はどんどん嫌いになる。苦しい。このクラスがーこの学年がーって話はもううんざりだ。
けど、バイトでこのプロジェクトチームでーとかこの企画でーって話を聞くのは全然苦じゃ無いんだな。不思議だ。
このままじゃ社会に適応できないんじゃないかと不安になってくる。
残り少ない夏は全力で楽しむけど、この先上手くやっていけるだろうか。
実家に帰省したらしたで爺ちゃん何もしないし逆にしろって煩いからホテル使ってんのに
田舎だからトイレもボットン便所だし、小便は家の外の瓶溜めにしなくちゃいけない。
田舎は農家だから小便も肥料になるとかでいつも畑に小便撒いてるからな。
大便も撒くんだろうなって憂鬱になるからあんまり実家で大はしないようにしてるのに
洗濯機は何世代前か分からんのが未だに現役だし、風呂は今時珍しい五右衛門風呂ときてる。
慣れれば楽しめるかもしれないけど、たまの休みに帰るんなら1泊飯付9800円の宿借りた方がマシだよなぁ・・・。
完全な愚痴。
最初見た時からビックリして、もうこの数ヶ月ずっとその書き方はやめてくれって言ってきた。
このご時世に信じられないけど小さい頃からずっと旧仮名遣いで生きてきて、
学校の試験も卒論も何もかも全部旧仮名遣いで乗り越えてきたらしい。
「これが日本語の由緒ある正式な文字遣いですが、何か。」などと言って押し通してきたとか。
教育機関はそう言われたら黙るしかないかもしれんが、会社は違う。
取引先に「お世話になつております」なんてメール出したらナメてんのかと確実に怒られる。
でもいくらそうやって説得して現代仮名遣いで書かせても、ポツポツと旧仮名遣いが残ってて。
もう、いちいち文面チェックすんの疲れた。何で俺が古典の教師みたいな添削やらないといけないの。
人事は何をやってたんだ。こんな明らかに特徴的な癖、履歴書見りゃ一発で分かっただろうに。
優秀だから採用したんだろうか。実際仕事はかなり出来る。とても新人とは思えん。
だけど休暇明け、また「~のやうに」だの「~と云ふ」だのと闘わなきゃいけないのかと思うとめちゃくちゃ憂鬱。
はあ。すまんね、ここしか吐き出すところがなくて。
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結婚の予定はない。
この年でばかな遊びにつきあってくれるような友達はもういない。
60も半ばの親に、30過ぎたというのにまだ子供扱いされるのは言いようもなく気持ちが悪い。
干渉される。
疲れる。
せっかく帰ってきた我が子に美味しいもの食べさせてくれたいという気持ち。
ありがたい。
そしてなさけない。
飲みたきゃ飲むし、食いたきゃ食うよ。
30過ぎだよわたしゃ。
といっても、対応はかわらない。
どう説明していいか分からない。
ただ言いようもなく気持ち悪くて、邪見にしてしまう。
本当に気持ちが悪い。
東京に帰りたい。
東京は寂しいところだ。
寂しいところだけど、楽なところだ。
働き始めて8年ずっとそうしてる。
親が元気でいてくれる。
ありがたい。
干渉される。
気持ちが悪い。
親はまだなんとか元気だ。
ありがとう、ごちそうさま、をなんとか繰り出したあと、堪え兼ねて「ほっといてくれ」が出てしまう。
親の顔を曇らせる。
この年になって、親に気を遣わせて、親を邪見にして傷つけて、情けない。
また、東京に戻る。
結婚する気はない。
前日もらったスターがid:kiya2015だけだった朝は憂鬱。
俺もちょっと前まで「うつ病」って、憂鬱になったり、やる気が出なかったりするだけかと思ったけど
ちょっと前に「血流量でうつ病が診断できる」事が記事になって考えが変わったわ。
血流量が減少するなら、脳の処理能力落ちて当然だな。って。
ただ前までの俺と同じような認識の人って一杯いると思う。
血流量が減ることで明確に診断できるようになれば詐症も無くなると思うし
今のうつ病の人への風当たりもきっと変わるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20140802014307
うつ病の奴らは脳がダメになっている状態だから、ホワイトカラーブルーカラー問わず、仕事にいられると迷惑だ。その他の病気やケガの奴がきちんとしているように見えるのが、その他の病気やケガによって困難を抱えるのは体力や免疫力、ケガに置いては身体可動や単なる痛みだけだから。基本的な処理能力は低下しないから、知的労働においてそれまでできていたことが全くできないという状態は稀だろう。むろん、病状にもよるだろうが、頭は動く。ただし、うつ病の場合は見た目は元気でも脳がダメになる。甘えとかそういうレベルじゃなくて理解力も処理能力も落ちる。めんどくさい、ダルい、やる気でない、体がつらいという理由でやらないんじゃない。本当にそれまでできていたことが能力として出来なくなるから病気なんだ。『アルジャーノンに花束を』という小説を知っているか?知的障害者の主人公が手術によって誰にも負けない知能を得、またそれが失われていく過程を描いた小説だ。まさにうつ病はその知能を失っていく過程に似ているんだよ。今まで当然できていたことができなくなっていく。やらないんじゃない、やる気がなくてやりはじめることができないんでもない。うつ病になってしまったら、単に能力としてできなくなってしまうんだ。
うつ病は憂鬱になる病気、やる気がなくなる病気という社会認識自体間違っているんじゃないかと思う。その認識が「うつは甘え」という風潮を作り出しているのだと思う。うつ病において確かに憂鬱になったり何かをやり始めるのが困難になる場面は往々にしてあるだろう。だけど、それが真髄ではなく、脳の基礎能力が落ちる病気だという認識の方が正しい。足を骨折している人に体育の授業に積極的に参加しろって言えるのか?うつ病の人に誰にも迷惑かけることなく仕事をそれまでの水準でこなせというのはそれと全くおんなじことだ。そんなこと言われてもできないよ。骨折と違って目に見えない病気だから自分を守るため診断書を自分を守るために使うんだろう。
できない奴に職場にいられても余計迷惑だ。安静にしていれば快復するんだから、さっさと休んでくれ。病気なんだからしょうがないだろ。俺はうつ病なのに職場に固執する奴なんて、インフルエンザなのに仕事しないと迷惑かけるからとか言ってウイルス撒き散らす奴くらい軽蔑するね。迷惑なんだよ。休め。
自分をむやみに責める。そうしたところで現実はいい方向へ行くはずもないのに。
きっと、自分を責めて、苦しい気持ちになったり、虚しい感じになったりするのが、どこか心地いいんだ。
メランコリー親和型だとか、誰かが言ってた。
憂鬱な雰囲気が、落ち込んでる自分が、「苦しくてかわいそうな」自分が、好きなんだ。
うじうじめそめそしている人を見て、よくあるシーンとして、
「なにうじうじしてんだよ!」的なのがある。それはきっと、そういう、憂鬱な雰囲気に耽溺して満足してしまっている様子がその人には透けて見えて、気持ち悪いんだろうと思う。
もしくは、「これ以上傷つかないための予防線」としての自責もあろうと思う。
こういうことを言うことで、本当に傷つきたくない所を隠す。本当にツッコまれたくない所を隠す。
こんな風に、自責している自分をさらにメタに見ることで、さらなる自責の余地が生まれる。
「苦しい自分に酔っちゃってる自分、気持ちわりい」、「つらい・限界、とか言いながら、本当に痛いところを守ってる自分、ださい」等。
でも、本文では何を書こうとしているかというと、自責している自分をさらに自責するとかではなく、
「ああ、俺はそういう、溺れるのをどこか楽しんでるふしがあるんだなあ」と気付いたので、それならそうと、それを肯定して、もっともっと憂鬱になって、もっともっとこじらせてはまり込んで、楽しんでやればいい。ということが書きたかった。
水が低いところへ流れるように、人の欲望も低いところ、もとい、その人にとって楽な方へ流れる。
いつも気づけば憂鬱で虚しく、今ここにいる自分の存在がうらめしくてしょうがなくなるのは、もしかしたら、それが自分にとって最も好ましいからなんじゃないか。
漫画やなんかで、「いつまでもうじうじめそめそしやがって・・・ そんなにうじうじめそめそしたいなら一生そうしとけ!」みたいなのがあったりするが、そういわれた主人公は、奮起するのではなく、もしかしたら、指摘通りにするのがいいのかもしれない。
確かに、憂鬱な状態は、体感として、実際に、「しんどい」。これは間違いない。楽ではない。精神はガス欠で、体も思うように動かない。だけど、それを、「己が本能的に・無意識的に欲しているんだ」ととらえれば、幾分ましになりそうな気がする。受動的だった責苦が、まるでマゾヒストの行いのように、能動的なものになる。それを意識することができれば、「好きでやっているんだ」「体が欲しているんだ」と思うことができれば、楽にはならないが、ましになる。たぶん。
きっとこんなことを書いたところで、来週には忘れていて、ただ単にいつも通りのしんどい感じになっているんだろうなあ。ブラックホールに落ちたのならば、とことん落ちて、ホワイトホールから異世界へ出るくらいにとことん落ちてやろう。今はそう思ってます。
先日、電撃大賞の一次結果が発表された。
嬉しいことに、その中に名前があった。いつもなら憂鬱な週末も今週ばかりは鼻歌交じりだ。こうやって危険な文章だって書いてしまう。
年に一作小説を書き、それを電撃大賞に応募する。これは私の趣味だ。1年かけて1作を書く。職業作家ではこうはいかないだろう、と思う。始めて応募したときは院試の最中に逃げるように書いた小説だった。当時ある電撃文庫の一冊に影響されて、あこがれだけが動機だった。せっかくなので応募し、院試の結果よりも気になったのを覚えている。それから数年、十数年。毎年毎年ひとつかいては応募する、を繰り返している。不思議なことに、複数完成させ、その中から選ぶ、ということはない。書き上げられるのはひとつだけだ。
数年来使っているペンネームと、愛着のあるタイトルが並んで表記された結果が誇らしい。私はまずタイトルありきだ。書きたい場面を思いつき、そこからタイトルを考える。タイトルがきまった手ごたえがあると、ソリティアが終わったかのように最初から最後まですべて決まる。この瞬間はいつだった身震いする。あとは梗概を完成させ、必要な資料をそろえて、読み込み、最終原稿を書くだけだ。これは6年間(というか最後の半年)で培った論文でっち上げの技術だと思う。先生、あの時の経験は今に生きています。
5000を超える応募作が半年もたたずに1割になる。そのからさらに減らされていき、受賞作が決まる。どこまで行けるかわからない。この楽しみは別格だ。今、日本でこれを感じているのは600人たらずだと思うと、全員と酒を飲みたい気持ちが湧いてくる。
増田と言えば。先日「猫の地球儀」を引用したそれがあった。前述の電撃文庫の一冊は「EGコンバット」だ。不思議な縁を感じる。
高校時代に自殺未遂やらかして鬱病の診断を受け中退しつつも同じ年度に大検取ってそのまま近所の短大に進学。そして無職の出来上がり。
「履歴書に空白期間を作ってはいけない」と言うハウツー本の記述を信じて治療をほっぽり出して無理やり進学して、案の定シューカツでその辺に突っ込まれて心を折られ発狂してそのまま卒業。
「選ばなければ仕事はある」と仕事を探そうとしたものの、求人誌を読めば発狂するしハロワは行こうにも足が震えて入れないしでもう本当にどうすればいいのかわからない感じ。
在学中、憂鬱になったら甘えるなと自傷行為に走ってたせいで悪化しただけなのかもしれないが、一回発症すれば一発で人生詰むって鬱病って本当に恐ろしい病気なんだなって。自我こそ残ってはいるが殆ど廃人状態だし、コレ以上親に迷惑を掛ける前にいっそ自分で......
勝手にのっかって、生理話というか自分にとっての愚痴を書いてみた
・友人宅にお邪魔する際、トイレを借りるときにバッグを持っていくのが不自然で憂鬱
経血が漏れていないかこまめにチェックしたいし、使用した生理用品は持ち帰るわけで臭いが漏れてないかも気になる。
・タンポンを取り替える際に手が汚れる
出先ではまずウェットティッシュをスタンバイさせ、交換後手を拭く→服を調える→ゴミをまとめる、と一手間増える。
また、特に出血が多い日は、交換時に衣服や床を汚さないよう気をつけないといけない。
・夏場は蒸れてかぶれ易くなるし、臭いも気になるので輪をかけて憂鬱
月経痛(腰や下腹部が痛む)、乳房の張り、PMSなどの程度、また期間や出血量など。
一定の目安はあるものの(横になっていないと辛いほど痛む場合は子宮内膜症の疑いがある等)
婉曲に、他の人は耐えているのになぜ我慢できないんだというようなことを言われると腹立たしいやら悲しいやら