はてなキーワード: 富岡とは
基本的に自己責任の国だぞ、生活保護と医療保険があるからなんとかなるだろうの精神だ
にも関わらず、生活保護と医療保険を無くそう・縮小しようというバカがいる
現場猫コラはセンス抜群ですきだが、医療保険のクソキャンペーンにイラストを提供していた オリジナルのくまみね氏の方はブロックしている。お前はすべて自己責任でいけ
[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る
https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK
富岡、浪江、飯舘の3町村の住民は原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。
つまり、被災者たちは強制的に避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである。
今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」
Sさんたちの住む東雲の国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。
完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html
宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。
震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。
地震が起きたとき、男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波で生活に必要なものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。
「市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなたの場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、
『あなたの場合、自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者の男性)
国は災害救助法の運用基準で、仮設住宅に入居できる対象を原則として次のように定義している。
「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府の告示)
70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。
「うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性)
[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子店 Tさんの9年
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html
岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケートの自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。
Tさんは東日本大震災の津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います。
Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族で住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。
しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅で不自由な生活を送りながら仮設店舗で営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料だけが増えていく日々が続きました。
▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージの言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志と希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています。
当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジにお金を入れたこともあった」と語りました。
それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。
工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。
震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。
Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政の方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。
ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅が高台に移転し商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。
Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています。
[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る
https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK
富岡、浪江、飯舘の3町村の住民は原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。
つまり、被災者たちは強制的に避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである。
今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」
Sさんたちの住む東雲の国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。
完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html
宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。
震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。
地震が起きたとき、男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波で生活に必要なものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。
「市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなたの場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、
『あなたの場合、自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者の男性)
国は災害救助法の運用基準で、仮設住宅に入居できる対象を原則として次のように定義している。
「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府の告示)
70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。
「うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性)
[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子店 Tさんの9年
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html
岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケートの自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。
Tさんは東日本大震災の津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います。
Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族で住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。
しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅で不自由な生活を送りながら仮設店舗で営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料だけが増えていく日々が続きました。
▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージの言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志と希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています。
当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジにお金を入れたこともあった」と語りました。
それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。
工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。
震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。
Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政の方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。
ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅が高台に移転し商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。
Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています。
近畿の無尽:銀行変遷史データベース https://www.zenginkyo.or.jp/library/hensen/
扇港無尽━━━┳━━━東亜無尽━╋━兵庫無尽━兵庫相互銀行━┳━兵庫銀行━みどり銀行━┓
寿殖産興業━寿殖産無尽━━━━━━━━━━━━高松相互銀行━┛ ┃
七福相互無尽━━━━━━━━━━七福相互銀行━阪神相互銀行━━━阪神銀行━━━━━━━┻━みなと銀行━┳━━━━━━━みなと銀行
北但信用組合━━北兵庫信用組合━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
三和信用組合━神戸商業信用組合━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
京都産業無尽┻┳昭和産業無尽━昭和産業相互銀行━京都相互銀行━京都共栄銀行┓
広済無尽━━━┛ ┃
幸福無尽━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━幸福相互銀行━━━幸福銀行━┻関西さわやか銀行┓
山城無尽━━━━━━━━━━━━━━━━━━━関西相互銀行━━━関西銀行━━━━━━━━━━┻関西アーバン銀行┳━┓
華実無尽━┳━━━━━滋賀無尽━━━━━━━━滋賀相互銀行━━━びわこ銀行━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃
大阪不動無尽━━━━━━━━╋━近畿無尽━┳━近畿相互銀行━┳━近畿銀行━┳━┓ ┃
朝日無尽━大阪中央無尽━┳━┫ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣関西みらい銀行
大一無尽━━━━━━━━┛ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
日本殖産無尽━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃
高田無尽━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃
三笠無尽━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃
大阪共栄無尽━┓ ┃ ┃ ┃ ┣━━近畿大阪銀行━━┳━━━━━━┛
摂津無尽━━━╋━━━国華無尽━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃
日本共立無尽━┳━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃ ┃ ┃
第三無尽━━━┛ ┃ ┃ ┃ ┃
堺産業無尽━┳━大阪無尽━┳━━━━━━━━━大阪相互銀行━━━なにわ銀行━┓ ┃
大阪勧業無尽━━━━━━━┛ ┃ ┗━大和銀行━━━りそな銀行
福徳殖産━━━福徳殖産無尽━━━━━━━━━━福徳相互銀行━━━福徳銀行━━┛
関西住宅組合━関西住宅無尽━━━━━━━━━━大正相互銀行━┳━大正銀行━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
富岡無尽━━━━徳島無尽━━━━━━━━━━━徳島相互銀行━━━徳島銀行━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
新宮無尽━┛ ┣━興紀無尽━━━━━━━━━━興紀相互銀行━━━阪和銀行━×(副頭取が何者かに射殺される)
紀陽貯蓄銀行━━┳━紀陽銀行━━┳━┳━┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━━━━━━━━━━━━紀陽銀行
丸栖銀行━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃ ┃ ┃
自然や歴史のある場所で、そこで半日過ごせる施設、そこを起点に周囲の散策ができたりする場所を選んでみた。全都道府県でやりたかったが、東北、四国、九州はちょっと見当がつかなかった。
茨城……アクアワールド大洗
栃木……足尾銅山
群馬……富岡製糸工場
千葉……マザー牧場
埼玉……鉄道博物館
東京……上野動物園、キッザニア、国会議事堂、高尾山、東京タワー
神奈川…新江ノ島水族館
長野……松本城
富山……恐竜博物館
静岡……登呂遺跡
愛知……明治村
三重……鳥羽水族館
滋賀……比叡山
京都……大文字山
大阪……海遊館
兵庫……姫路城
奈良……奈良公園
鳥取……鳥取砂丘
島根……石見銀山
広島……平和記念公園
山口……秋吉台
主 文
事 実
一、債権者ら
(1) 債権者aに対する前橋営林局事業部土木課根利林道事業所に配置換する旨
の意思表示
(2) 債権者bに対する浪江営林署事業課椚平製品事業所に配置換する旨の意思
表示
(3) 債権者cに対する沼田営林署経営課に配置換する旨の意思表示
は、本案判決確定に至るまでいずれもその効力を停止する。
二、債務者
主文同旨
第二、申請の理由
一、(当事者)
債権者らはいずれも農林省林野庁農林技官として、債権者aは林野庁前橋営林局
福島営林署に、債権者b・cは同営林局白河営林署に勤務していた。
(一) 債務者(林野庁前橋営林局長n)は、昭和四二年四月一日付をもつて、債
権者aを前橋営林局事業部土木課根利林道事業所に、債権者bを浪江営林署事業課
椚平製品事業所に、債権者cを沼田営林署経営課に、それぞれ配置換する旨発令し
(二) しかしながら、本件配置換の意思表示は、債務者の不当労働行為であり、
すなわち債務者は債権者らが組合活動に積極的に従事している者であることの故
をもつて、債権者らに対して本件配置換を命じ、債権者らに対して不利益な取扱を
し(労働組合法第七条第一号違反)、本件配置換によつて債権者らがその中核とな
っている組合の青年婦人部、後記学習協議会、同音楽協議会の組織を破壊し、労働
者が組合を運営することを支配し、これに介入(同法第七条第三号違反)したもの
である。
詳言するに、債権者らはいずれも全林野労働組合(以下組合という。)の組合員
で
(1) 債権者aは昭和三八年組合前橋地方本部福島営林署分会青年婦人部事務局
長、昭和三九年同分会執行委員、昭和四〇年同分会執行委員教宣部長、全林野福島
県連絡会議常任委員、青年婦人部長、昭和四一年同分会青年婦人部長に任じ現在に
至り、他方昭和三八年一一月以来労働団体の集合体にして組合前橋地方本部福島筥
林署分会がその一員たる福島県労働者学習協議会(以下学習協議会という。)福島
支部全林野班代表者として、組合における学習活動の中心となり、分会教宣部発行
の日刊紙の担当責任者であるとともにその間昭和三九年一〇月から学習協議会福島
支部常任理事となり昭和四一年二月から同協議会福島支部事務局長として現在に至
り、
(2) 債権者bは昭和三八年二月組合全林野前橋地方本部白河営林署分会青年婦
人部書記長、昭和四一年四月から六月まで同分会執行委員、昭和四一年七月から現
在まで同分会青年婦人部書記長兼組合前橋地方本部中通りブロツク青年婦人部常任
委員に任ずる他方昭和四〇年から昭和四一年五月まで組合前橋地方本部白河営林署
分会がサークルの一員となつている白河勤労者音楽協議会(以下音楽協議会とい
う。)の企画部委員・事業部副部長・運営委員・事務局長を歴任し、組合の文化活
(3) 債権者cは昭和四〇年三月組合前橋地方本部白河営林署分会青年婦人部副
部長、昭和四一年七月同分会青年婦人部長に任じて現在に至り、他方昭和四〇年四
月から現在まで白河勤労者音楽協議会における組合のサークル代表者であるととも
に、同音楽協議会の企画部副部長として組合の文化活動に従事してきたものである
が、右組合青年婦人部、学習協議会、音楽協議会は、組合活動の中核的存在であ
り、また、組合組織の強化建設維持、文化活動にとつて不可欠の存在である。すな
わち、
(イ) 労働組合にとつて一般にその青年婦人部が組合活動の中心であることは周
知の事実であるがとりわけ、全林野労働組合にあつては青年婦人部が中核的存在で
あり、債権者aの所属する組合福島分会においては、組合員総数二八四名のうち
ち、青年婦人部員は八二名を占め、債権者b・cの所属する組合白河分会において
(ロ) 学習協議会は労働組合員の意識を高め、自覚にもとづく規律によつて労働
組合の組織を強化し、民主的組織としての労働組合を建設維持するため不可欠の組
織であり、組合においても組合活動の重要な一環としてこれを組織し運営してい
る。
(ハ) 音楽協議会は地方都市における労働組合にとつて重要な文化活動であり、
組合員の文化的要求の充足、文化水準の維持向上のため不可欠の組織である。
従つて、債権者らを配置換することは組合組織の基盤をゆるがし、組合員が組合
を運営することを人事移動に藉口して支配し、介入することとなるものである。し
かも、債権者aと同居しているその両親は病弱であり、同じく同居している弟は未
だ中学校三学年に在学中であり、東京へ就職したばかりの弟(当一九年)の収入は
全く債権者aの家計に入らないため長男である債権者aが一家の支柱で、同人には
現在結婚の予定もあり現任地を離れ遠く群馬県内である前橋管内の山深い僻地への
配置換は一家の家族生活経済生活にとつて耐え難い打撃を与えるし、債権者aは、
昭和三五年福島営林署に現地採用されて以来今日まで同営林署に勤務しているもの
であり、また債権者bは、現在地を離れることができない家族事情のため、高等学
校卒業後白河営林署に採用されたものであり、本件配置換により現任地を離れると
同人を小学校三学年以来成人に達するまで養育してくれた病弱の伯母の身辺の面倒
をみることができなくなるばかりでなく、同人には結婚の予定もあるので、本件配
置換は債権者bの一家にとつて、家族生活経済生活両面にわたり堪え難い打撃を与
えるのである。
(三) 本件配置換については、次の事実により債務者に不当労働行為意思の存す
ることが明白である。すなわち、
(1) 債務者は次のとおり組合の特定部門の役員に対し集中して毎年配置換をく
りかえしている。
(イ) 昭和三九年四月一日付をもつて組合福島分会執行委員であつた福島営林署
(ロ) 昭和四〇年四月一日付をもつて、組合福島分会生月年婦人部事務局長であ
つた福島営林署経理課勤務の農林技官eを群馬県大間々営林署経理課に配置換
(ハ) 右同日付をもつて、組合福島分会執行委員であつた福島営林署経営課勤務
・帰還困難区域 放射線が年間50mSv以上。5年以上帰還は困難。立入禁止
・居住制限区域 放射線が年間20~50mSv。立ち入りのみ可。
・避難指示解除準備区域 放射線が年間20mSv以下。立入、事業の再開等可。宿泊不可。
さて、現在、浪江、双葉、大熊、富岡の4町が、「仮の町を作る」とか、「5年間は帰還しない」とか言ってゐる。
理由は主に、「賠償の額に差が生じる」からださうだ。
さて、町民の方には申し訳ないが、敢へて言ふ。
5年も帰還しないなら、いっそ閉町して、町を政府の直轄地にしてしまふ方が良い。
そして解除準備区域だが、今年の8月に小高へと行った。
一応国道6号線は応急処置は施してをり、電気も復旧してゐた。瓦礫も一応片付いてゐた。
然れど、活気がない。人は住んでゐないのだが、どうもそれだけでは無ささうだ。
おそらく解除準備区域とは名ばかりで、しばらくは解除されないのであらう。
・帰還困難区域 放射線が年間50mSv以上。5年以上帰還は困難。立入禁止
・居住制限区域 放射線が年間20~50mSv。立ち入りのみ可。
・避難指示解除準備区域 放射線が年間20mSv以下。立入、事業の再開等可。宿泊不可。
さて、現在、浪江、双葉、大熊、富岡の4町が、「仮の町を作る」とか、「5年間は帰還しない」とか言ってゐる。
理由は主に、「賠償の額に差が生じる」からださうだ。
さて、町民の方には申し訳ないが、敢へて言ふ。
5年も帰還しないなら、いっそ閉町して、町を政府の直轄地にしてしまふ方が良い。
そして解除準備区域だが、今年の8月に小高へと行った。
一応国道6号線は応急処置は施してをり、電気も復旧してゐた。瓦礫も一応片付いてゐた。
然れど、活気がない。人は住んでゐないのだが、どうもそれだけでは無ささうだ。
おそらく解除準備区域とは名ばかりで、しばらくは解除されないのであらう。
稲中~グリーンヒルまで続いたギャグ路線を捨て、こうも一貫して
「幸せな日常は薄皮一枚、表裏一体で理不尽な不幸に落とされる」
を描き続けている理由を考えてみた
答えは分かりやすい所に書いてあった
それは、わにとかげぎすの最後のセリフ「富岡さんのような、寂しい時は寂しいと言える人間になりたい」から読み取れる
『自分に正直な人間は幸せになれるし、他人を幸せにもできる』というメッセージ
ひいては『だから、他人との違っていてもひねくれず、正直に生きろ』って事かなあ、と思った
一番わかりやすいのは、2ちゃんでもかなりネタにされている「冴えない主人公に、突然巨乳ロン毛の美人惚れる」設定だが、実わかりやすい幸せの形と言える
実はこの設定、主人公だけではなく大概の主要登場人物にもこの法則は当てはまっている
(例でいえばグリーンヒルのリーダー、ヒメノア~ルの安藤とか)
上記人物の共通項として、社会からズレていたり劣っていたりで、滑稽に見えるが、自分自信を隠そうとせず、常にさらけ出し、真っ当に生きている人物、という点が当てはまる
対して、妙にひねた目線で世を見下していたり、暴走して犯罪まで手を染める人物は、結果的に不幸な結末を迎えるケースが多い
この作者、ヒミズ以降の評判は正直良いとは言えず、ギャグ路線に戻って欲しいという声は多い
他の感想を見ても、何が描きたいかよくわからず奇をてらっているだけ的な意見もよくみられる
たしかに、単なる打ち切りによる尺足らずなのか、敢えて説明していないかどうかは不明だが、複線未回収だったり、唐突に終わる事はよくある
しかし、あの独特なダーティ-さは他の作品ではあまり見られず、これはこれで非常におもしろいので、個人的に次回作も期待している
(というか、個人的にはヒミズ以降の方が好きだ)
とりあえず、次回も取っつきにくい内容になるかもしれないが、古谷作品というカテゴリで一貫している共通項を見つけられれば、感想もだいぶ変わってくるんじゃないかと思った
全自動否定製造機のはてな民が何を言おうと、『もしドラ』を270万部本を売って、4億3200万円稼いだハックルさんこと岩崎夏海先生は超絶空前絶後の勝ち組です。
でも、この世の中には、4億円を稼いでも満たされないものがあります。それが承認欲求です。
本当ならば、売れないアイドルのパトロンにでもなって、岩崎さんの怒張したドラッカーでハックルハックルしていればいいのです。
けれども、彼ははてダに書き続ける。はてなに何を書いても否定されるのは目に見えています。そんなところでブログを書くのは、3歳児に関節駆動式のガンプラを渡すようなものです。いずれ自尊心はひちゃめちゃのばらばらになってしまうでしょう。
以下の7のアクションをやってみましょう。僕も死にたくなった時がありますが、この17アクションをこなしたことで、宝くじがあたり、今では誰にも気付かれずに身長が20センチアップ、金玉袋が3倍の大きさになり、前田敦子を2で割ったような容姿の美しい恋人まで出来たのです!やってみる価値はあります。
この世にある93%の悩みは「いい女を抱く」or「ぶんなぐる」で解決するものです。北方先生だってそういっています。承認欲求だとか、髪が薄いとか、イノベーションだとか、そういうものは、高級ソープにいってとびきりの女を抱けば消えて失せるものです。
悩みのほとんどは取るに足らないものです。人生に意味なんてなく、意義だってありません。なのに、「こうあるべき」という理想像にとりつかれるから、悩むのです。そんな高尚な悩みを解決するには、とびきり低俗なことをするべきです。鏡の前で全裸となり、上等なちくわを尻にむんずとはさみあげ、目をひんむきながら、両の腕を天に振り上げ、「ハックル!ハックル!」と叫びましょう。ほとんどの悩みは意味のないものだとわかります。
はてダに自分の思いを投稿するのは、上等なほうれん草を肥溜めにつけこむようなもの。自尊心は否定ブコメにぐにゃぐにゃにされます。さらに、ハックルさんのブコメ欄は「どれだけ面白くハックルをDisるか」という壮大な大喜利コーナーになっています。おちょくり、否定、罵倒がぐららがあとぐららがあと押し寄せます。解決する方法?簡単です。今すぐパソコンを窓から投げ捨てること。
回復したら、Amebaでもはじめてください。
悪い点ばかりに気が向く人はいるものです。たとえどれだけの成功者でも薄毛は克服できません。悪い点ばかりに目を向ければ、どれだけうまくいっていてもネガティブな気持ちになります。
だから、良い点、今日良かったことを毎日ノートに書き綴りましょう。毎日です。「4億稼げた」「本が売れた」・・・良かったことを書き綴るのは心理学の実験でカウンセリング以上の効果があることがわかっています。 あなたは誰がどう客観的に見ても凄い。それを自分で認めましょう。
自分を理解してくれる友人、恋人よりも価値のある財産なんてこの世にありません。僕も一時はひどい状態でしたが、富岡さん(amazon 1980円)を購入し、毎日話しかけるようになってから、大分状態が改善しました。
医学的実験により、毎日のジョギングはうつ病薬と同じような効果があるとわかっています。しかも、副作用もなく、走り続ける限り効果は持続します。毎日走れば、こんな増田でひねくれた糞文章をひりだしている匿名野郎なんてどうでもよくなるものです。
これが最後のアクションです。復讐のために人生を生きるべきではありません。どれだけ憎んでも、あなたにドヤ顔で「お前さぁ、そんなんじゃ成功できないよ」と言ったできるビジネスパースン(笑)にダメージを与えることはできません。でも、自分を馬鹿にした相手にひりつくような一撃を与える方法があります。それは幸福に生きること、自分が頑張って成果を出し、成功すること、これ以上に自分を卑下した人間を叩きのめす方法はありません。だれがどう言おうと270万部は270万部なのですから。
http://anond.hatelabo.jp/20110923092610
こんなこと書くのは心苦しいけど、敢えて書く。
東京人が電気で世話になってるってたって、一方で労働力も増えてたし交付金も貰ってたんでしょ?
福島産の風評被害を回避するために、放射線計測器で詳しく計測するとか
あるいは、各スーパーに計測器を置く。
(やましいこと沢山あってごまかしたくて仕方がない連中だから無理か...)
消費者庁の連中よ、おまえらの本分わかってるのか?例の議員とかまけて、こんにゃくゼリーで売名してる場合じゃねえだろ。
もしくは東北ってところでは
福島という共同体からのぬけがけを許さないという因習が未だに残ってるのかな?と感じる。
って、そりゃ嫌だよ。
ましてや子供らに放射能の危険(があるかもしれない⇒計測してないから)にさらせなんてな。
原発停止で税44億円見込めず、福島県が苦慮
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110420-OYT1T00024.htm
東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故に伴い、第一、第二原発の原子炉全10基が停止していることで、福島県が2011年度当初予算に計上した44億7000万円の核燃料税の収入が全く見込めない状況になっている。
核燃料税は定期検査の際、燃料を原子炉に装てんした時点で課税され、事業者の東電が納税する。事故で燃料の出し入れができないため、税収はゼロとなるのが確実で、県は「原発事故の対応で出費がかさみ、核燃料税が入らなければダブルパンチだ」と苦慮している。
核燃料税は、主に原発周辺地域の安全・防災対策を目的としており、2010年度の当初予算では44億3000万円を計上、7割にあたる31億円は県が放射線測定や防災ヘリコプターの維持、避難用の道路整備、被曝医療を担う県立医大病院の運営などの費用に充てている。残る3割の13億3000万円は地元の楢葉、富岡、大熊、双葉の各町と周辺の6市町村に交付金として配分されている。
(2011年4月20日03時03分 読売新聞)
金以外で苦慮してることねぇのかよ。
(事故)
わぁわぁわぁ
出費がかさむよぉ
税金も入ってこないよぉ
大変だぁ
19 :名無しさん@涙目です。(東京都) : 2011/03/20(日) 11:22:16.46 ID:zUWPcm4i0
原発マネーで散々おいしい思いをしてきたくせに、こういうときだけ他人のせいか、生意気な田舎者め!
29 :名無しさん@涙目です。(東京都) : 2011/03/20(日) 11:24:09.62 ID:pFG+d4QVP
>>19
543 :名無しさん@涙目です。(福島県) : 2011/03/20(日) 13:18:06.39 ID:RJfCoNVe0
本当に恩恵受けてたのはその周辺だけ
知事や県議会のようなお上では無く、「県民」の感覚では「東京の妻」ではないだろうね。。。
実際、恩恵受けていない地域?も、屋内退避への苛立ちや、それによる捜索活動の遅れといった、非被災民からは想像できないストレスがありそうですしね。。。
ただ、県民の見えないところで、間接的にでも
>補助金として行っているということはあると思う
けどね。
気がつけば朝晩涼しい風が吹くようになり、日が暮れる時間も少しずつ早まってきました。
秋です。秋といえば読書です。一年中読書、という方もいらっしゃるかと思いますが、それはさておき。
先日開催をお知らせいたしました、MYSDOKU4について、詳細が決定しましたのでお知らせいたします!
※ http://myscon.net/archives/2010/10/20101015_2310_274.html からの転載です。いわゆるひとつの宣伝です。
それ結構古い情報だったはず。最新はこっちかと。
http://www.hatatomoko.org/SCN_00016.pdf
【呼びかけ人】五十音順127名
阿知波吉信
網屋信介
井戸まさえ
石井登志郎
今井雅人
糸数慶子
打越あかし
大久保勉
奥野総一郎
加藤学
加賀谷健
柿沼正明
神本美恵子
工藤仁美
工藤堅太郎
櫛渕万里
黒岩宇洋
小室寿明
近藤正道
今野東
齋藤つよし
齋藤やすのり
阪口直人
櫻井充
白石洋一
杉本かずみ
瑞慶覧長敏
高野守
高橋昭一
高邑勉
武内則男
橘秀徳
玉置公良
玉城デニー
中後淳
外山斎
中川治
中根康浩
中島隆利
中島正純
中島政希
中野譲
那谷屋正義
野田国義
橋本博明
橋本べん
初鹿明博
浜本宏
平山泰朗
広田一
藤田一枝
前川清成
松崎哲久
松野信夫
皆吉稲生
宮崎岳志
向山好一
森山浩行
森本哲生
山口和之
山田良司
山下八洲夫
湯原俊二
吉泉秀男
吉川政重
【賛同人】五十音順53名
石森久嗣
大西孝典
岡本英子
大泉博子
金森正
黄川田徹
京野きみこ
桑原功
後藤英友
空本誠喜
高井崇志
玉木朝子
永江孝子
中野渡詔子
仁木博文
野木実
畑浩治
平野達男
福嶋健一郎
藤田憲彦
藤谷光信
村上史好
森本和義
矢崎公二
山本剛正
山崎摩耶
柳田和己
柚木道義
若泉征三
鳩山にハシゴを外されたFushi-ana-eyesのバーゲンセール。
こいつらどうするんだろ。特に社民党、連立離脱はするけど選挙協力はしますとかいう巫山戯た事言ってるけど。
15年ほど前の話。
首都圏に住んでいてセンター試験過去問とか模試の成績は理系科目を中心に良かったけど、父親がお前の粗忽さではいずれ実験で事故を起こすといわれ文転。当時西田裕一とか富岡勝とかの仕事のせいで(もちろん当時そういう仕掛人たちのことなど知りもしなかったが)思想だとか哲学だとかが面白そうに見えた。香山リカの「自転車旅行主義」はイマーゴの連載で読んでいた。
ワープロは使っていたが、パソコンはたまにひとんちで触らせてもらう程度。
そういう狭い世界の偏りすぎたアンテナが拾い上げた情報によれば、千葉大に土屋俊先生という人がいて、なんかアメリカのCSLIとかそういうとこに行くような研究とかしているらしかった。他にも慶応の文学部でも面白いことができるらしいとか。
あげくわけあってずいぶん西の方の大学へ行って、パソ通(そしてすぐにインターネット)にはまって時間を浪費するいっぽう(聖トマス・アクィナスが「チャットルームに入り浸るな」と仰っていたことを当時知っていたら!)みすずだの勁草だの法政だのNTT出版だのUPだのから出る高価な訳書ばかりを買って読んで勉強した気になって、ちょっとだけ英語でRortyを読ませてもらい、そして哲学へ行くにはドイツ語もできず喰いっぱぐれる覚悟もないので駄目だと判明して、社会学を選び苦し紛れに名ばかりの卒論を書いて、書いたので力尽きた。学歴ロンダリングのために日本の最も古い都のそばにある大学院にでも行って計算機科学で修士号をとろうかとも考えたが齧るスネにも限りがあった。そのままフランス語の単位を一コマ残して一年留年し、価値のない学士号をもらった。GiddensもDurkheimも1ページたりとも読んだこともなく社会学士を名乗るのはおぞましすぎる現実。だれかさんの挑発的なタグを借りれば「足手纏いな大卒就職組」の典型。
もちろんそんな奴が偽社会学を流布して世の中を騙すことはできない。その程度にはこの世はよくできている。
このとき齧りすぎたスネはその後折れてしまった。NYCに旅客機が特攻爆撃をやらかして数年後、家族は崩壊。経済破綻からではないが、教育投資のリターンが期待はずれだったことによる影響は否定しがたい。退職金を手に出奔した父はぼけてろくに介護も受けられず孤独死でもすればいいと思うが、自殺した母にはどう詫びたものか言葉もない。
今の人生には満足しているが、およそ学校というところで何も学問をしなかったことは今も悔いている。机の上には開いたこともないシカゴマニュアルの14/eが未練がましく置いてあるのだ。そして年一回は『職業としての学問』を読んでウェーバー先生、私はだめな奴です、とつぶやくのだ。
わにとかげぎすの3巻が出た。
知らない人の為に説明すると、わにとかげぎすは32歳で夜間警備員をしている主人公富岡が、深夜、ビルの屋上で流れ星に「友達を……友達を下さい」と希うところから始まるマンガである。作者は稲中の古谷実。
この紹介で分かるとおり、富岡はコミュニケーション能力の低い、世間から隔絶された人間として描かれている。富岡自身もそう言う認識を持っている。
「コミュニケーション能力は高いけれども、それを使いこなせていない人間」
に見えるのだ。
それを一番感じたのが3巻の斎藤との出会いのエピソードだった。
諸々の理由により失業した富岡は、再就職先の同僚として斎藤と言う男に出会う。
この時富岡は始めは敬語なのだが、あるタイミングを境にタメ語に変わる。
説明が難しいのでその会話の一部を抜粋する。
斎「……あいつ浮気してんだぜ」
富「え?」
斎「こないだ酔っぱらって『生まれて初めて顔射した』って浮かれてたよ……黒田さんとつきあってるのみんなにバレてないと思ってるんだ」
富「あの~…」
富「ガンシャって………何ですか?」
(中略)
富「いえ…持ってません…」
斎「もしかしてさ……今時ケーータイですら持ってない人?」
富「うん……持ってない人……まずい?」
(続く)
僕は始め読んだ時、あまりにも自然だった為この変化に気がつかなかった。
っていうか確かめてみたところ、1巻でも同じようなシーンがあった。
富岡さんはいとも簡単に敬語 → タメ語へと転換しているが、僕にとってはそれがとても難しい。
僕は基本的にほとんどの人と敬語である。この前親戚の子供の相手をするときにも敬語を使ってしまい、親御さんに笑われたくらいである。
僕が何故敬語かというと、それは敬語が最大公約数的にコミュニケーションを取る事ができる会話の作法だからだ。
ぶっちゃけていえば、最も失敗がないからだ。
だがそれは、同時に友好関係にある一線を明確に引く行為でもある。
だから普通の人はどこかのタイミングで敬語からタメ語に変わる。
たぶん、ほとんどの人はこんな敬語からタメ語の転換なんて意識せず、無意識的に出来ているだろう。
今のところ僕は、敬語からタメ語に変わると言うのは一種の意思表示だと考えている。
「私はあなたとならタメ語で話したいです。って言うかできたら気軽に冗談を言い合えるような仲に発展したいです」
っていう感じの。
僕はとにかく意思表示が苦手だから、これである程度納得はできる。
でも、どうもそれだけとも思えない。
なんで自分はこんな当たり前の事が上手くできないんだろうか?