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2021-04-11

anond:20210411195759

古来よりMind over matterといって

心は身体凌駕するし、心は身体自由アンタップできるという考え方がある

2021-04-03

やっぱり「Among us」は「アマングアス」だろ。

「アモングアス」は納得がいかない。

公式が言ってるから」って公式勝手に言ってるだけだろ。

古来より日本では発音「ʌ」をカタカナ語で表す時はあ段で表すと決まっているだろが。(例:Mondayマンデイ or マンデー)

もちろん「ʌ」をお段で表すよう定着した単語monkey=モンキー、front=フロント)もあるが、それは例外

これらの例外は広く定着しているため今更変えようがなく、慣例に従ってお段で表すのは納得ができる。

でもamongは「アモング」として定着してないだろが。

amongはカタカナ語としては新語に近く、ならば基本的規則である発音『ʌ』をカタカナ語で表す時はあ段で表す」に従うべきだ。

なお、一部のアホは「そもそも正しい発音カタカナでは表せないからどっちでもいい」とか訳分からんことを言ってるが、それなら「ウンコブリブリ」でもいいことになるだろ。アホか。

また、一部のアホは「"among"という一般的単語議論しているのではなく、あくまで"Among us"という固有名詞について議論しているのであって、一般的単語適用されるカタカナ化の法則が"Among us"にも適用されるわけではない。」みたいなことをほざくが、なら明日からMcDonald's公式が「我々のことは『ウンチブリブリ』と呼んでください。」と言ったら従うのかよお前は。

McDonald's公式が「我々のことは『ウンチブリブリ』と呼んでください。」といっても俺は「マクドナルド」と呼ぶし、

Among us公式が「我々のことは『アモングアス』と呼んでください。」といっても俺は「アマングアス」と呼ぶ。

譲らねえからな。

2021-03-18

anond:20210317234842

非常に古くから議論されているテーマだね

リベラル理想の実現のために、(漸進的改革ではなくて)政権交代革命必要だとして、世界同時革命を目指すべきなのか、各国の活動家が一国の革命成就を目指すべきなのか、という論争では、後者現在支配であると思う(前者をトロツキー主義と呼んで非難する人たちも多い)

宗教においても、たとえば仏教であれば、大乗仏教小乗仏教のような路線対立古来よりある(前者は信仰や罪悪にかかわらず人は救われるとする立場後者は篤い信仰心をもって良き行いをするもののみ救われるとする立場

増田ゆえ、きわめて雑駁な議論であることはご容赦いただきたい

2021-02-23

anond:20210222173846

男性と比べて女性の方が平均的なIQが高めとされている時点で

男女間の知性の差はどうしようもなく存在する事実である

知的障害者犯罪者割合は男女比9:1で男性が多く逆に女性は少ないのは有名な話だけど

一般的男性女性と比べると低い知能で生まれ攻撃的な人間として育ってしま

この事はパートナー子供兄弟など家族男性が居る女性なら皆何となく分かっていると思う

男性の強い攻撃性は「人間」という種族を他の動物から守る必要があった太古の時代には必須の物であったのかもしれない

しかし「人間」を脅かす外敵が居ない現代では、男性攻撃性は同じ人間を害する物でしかないのが現実なのだ

元増田は「フェミニスト男性について不理解である」と主張しているが、一般的女性の方が男性と比べると異性に対する理解力が深いとされている

これまでの人類歴史において子育ては常に母親が行ってきた事もあり、男性がどのように育つか女性は親の立場から見てきた事が大きいと思われる

男性女性に対する理解が著しく低い事は、女性が外出する際に当然の身嗜みとして行う事を強要されてきた化粧への男性認識を見ても分かるだろう

フェミニズムとは、古来より女性というだけで馬鹿にされてきた性が「女性だって男性と同じように知性もあれば感情もある、同じ人間として扱って欲しい」と馬鹿にしてきた性に訴える叫びである

その逆のケースがこれまで殆ど見られなかったのは、男性は「女は自分達男の事を全て理解していて当然である。故に説明する必要もない」という傲慢な「無理解からであった事は、言うまでもないだろう

2021-01-22

神様信仰することのアホらしさ

タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人神様信仰していない。私は神様ではなく自分幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人信仰している。

私の家系日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家仏壇を拝むときだけだ。クリスマス初詣もするし、お守りを持つこともある。

このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如である批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。

しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。

日本人宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教儒家思想キリスト教などが入ってきても変わらなかった。

このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系災害の多さに求めた。日本人古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国植物動物の息吹があまねく見受けられるのである

こうした環境日本人精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米中東のような一神教的な絶対神日本征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教神の国の一部として取り込まれるのだから

遠藤周作小説沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本根付かず改変されていることを元宣教師フェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなである

一方でキリスト教イスラム教などの一神教誕生したのは、砂漠の国中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。

それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパ民族合理的従順だったかであるヨーロッパ生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャローマ代表される科学合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。

ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本一神教が人々を統べる欧米中東差異が分かる。そして、これが日本無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。

一神教宗教観は日本無宗教非難するが、それは無宗教神様信仰しないからだ。一神教の神は世界創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教非人間的な態度であり、シリアルキラー同類存在なのだ。先の私の小学校先生無宗教人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由無宗教に求めたのだ。

その上で私は一神教宗教家の方々の私の宗教観への批判反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。

先ほど私は日本宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである

私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。

沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしま申し訳なさで死んでしまいそうだ。

何か危機に陥ったときにかつては祭祀加持祈祷に頼っていたであろうが、科学時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。

今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。

では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなとき世界沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。

だが、それは私が世界とのコンタクト放棄しているかである世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである

私は長々とここまで語ったが、私は他人宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。

私の記事は以上だ。

独り身の寂しさってドンドン減ってるよな

テレビ見てるだけだとインタラクティブじゃないからどうしても虚しくなるんだが、最近は生配信なんかがかなり強くなってきてて、コメント投げたり他の視聴者の生のコメントを読んだりできたりで、かなり優秀な感じになってきてる

SNSもすごい

彼女と一緒にいるとき、二人で一緒に寝そべってお互い無言でTwitterとか見てる時間結構ある べつに喧嘩してるとか雰囲気悪いとかではなく、ただ楽しいからTwitterを見ている いい感じの動画とかがあったら見せあったりもするけど、基本的にはお互いの世界

何かしらのコンテンツを見て、その感想を共有したくなったとき、行き先はマジで無数にある

「何をみたところで誰とも語り合えない」なんてことはない

5ch、TwitterReddit、その他特化型のサイトも大量にあり、大抵のことに関してはだれかと語り合える 語り合えなくとも、自分意見を書き散らしたり人の意見を読み散らしたりできる

文字での交流しかできないのが寂しい、って問題もわりとなんとかなりつつある

VRchat、やったことないけどすごいらしいしな

性欲もなんとかなる 古来よりある風俗に行くもよし、最先端アダルトグッズに頼るもよし 実際オナホは実物より良いって聞くし、エロコンテンツは氾濫してるし、すごい時代

恋愛結婚への幻想みたいなものも打ち砕かれつつある 恋愛感情は長持ちしないし、結婚生活はけっしてバラ色ではない、っていうのは昔から言われ続けてることだけど、最近個人生の声を見放題だから身に迫る度合いが違う

結婚しないと50代になってから寂しくなるかもしれないが、結婚したらしたで50代くらいで夫婦仲が冷え切ってムチャクチャキツくなるかもしれない そういうリアル感覚が万人に備わりつつある

独り身でもあったかもの食い放題、コミュニケーション取り放題になって、いよいよ結婚する意味が薄れてるよな 

そうすると社会的な圧も弱まる 半数が結婚しないんならべつにやんなくて良いや感が強くなる

いまはまだ婚活がどうとか言ってるけど、たぶん婚活ブームも長くはもたないと見ている

全部どうでもいーや、って世代が出てきて出生数が壊滅する景色絶対にみたいですね

2021-01-21

anond:20210121114601

たいへん良く出来たレポート拝見いたしました。

知能は大変高いようですが、問題解決能力情緒面が不足しているようです。

古来より夫婦喧嘩は犬も食わない」と申します。

しかし「子はかすがい」とも申します。犬には難しいのですが、子供には解決能力があるのです。

父、母、喧嘩しちゃイヤーっと泣き叫び、仲直りしたら大好き!って二人に思いっきニコニコしてあげましょう。

2021-01-20

そもそもお前らは「スケジュール」がなにか分かってるの?

Sexal Urge Kinetic Energy Joule

「性衝動運動エネルギージュール通称SUKE・J(スケジュール

21世紀、人類は抑圧された性欲により生み出される破壊力を数値化することに成功する。

昂ぶるリビドーによって齎されるとされた非科学的なエネルギーは、数値化され既知の存在となった。

それは性欲の軍事利用を意味するものであった。

英雄、色を好む。

古来より語り継がれるその逸話真実人類は辿り着く。

己の癖(へき)を力に換え、性(さが)の猛りで敵を討つ。

色を好むもの、紛れもなく、英雄資質なり。

2021-01-18

anond:20210118013242

古来より『鴨の味』というてな、フォッフォッフォッ

2021-01-08

ウシ柄ビキニは何故あんなに扇情的なのか

2021年が始まって早1週間が経過した。エッチイラストクリエイター自撮りグラビアアイドルたちによるエッチ作品が日夜生み出される昨今のSNS界隈において、この1週間は眼福そのものであったと言えるであろう。

それは今年の干支が丑であり、巷にウシ柄ビキニ作品が多数アップロードされたからだ。

通常、干支動物ビキニの柄にはなりづらい。トラなどの柄から元の動物が想起できるものもいれば、ネズミウサギイノシシなどと言った単色かつ色遣いも地味でビキニ化してしまうとそれだけだと何が何だかからない動物もいるが、どれもビキニとして製品化されることは稀有である。つまり干支エッチクリエティティの相性はあまり良くない。

しかし、12年に一度だけエッチ土俵に無敵の横綱が現れる。そう、丑年だ。しかおめでたムードと暇が重なる年始にのみ、大量のウシ柄ビキニを拝むことができるのだ。

なんなら通常のビキニよりもエッチさが一段上になる上、着用者自身豊満なボディである必要すらない。太かろうが細かろうがウシ柄ビキニを着用するだけで何故かエッチ雰囲気がでてしまう。

では何故ウシ柄がそんなにエッチ扇情的であるのか、改めてここで考えていきたいと思う。

動物としての牛

牛として最初に想起されるものはおそらくホルスタイン種であり、ウシ柄のビキニもこのホルスタイン種の柄をモチーフとしている。4つの胃袋を持っており、飲み込んでは口の中に戻し、飲み込んでは口の中に戻すといった反芻を繰り返してエサを消化していく。そして乳牛として飼育されるため乳や乳首が大きいというイメージがある。ウシそのもの四足歩行哺乳類で、それ自体エッチイメージは全く無い。つまりウシ単体ではエロにはならない。

水着としてのビキニ

「小さな本体で大きな威力を発揮」したビキニ岩礁原爆実験に因んで命名された、ブラジャーパンツの2つのパーツから構成されている女性用の水着である。元来から肌の露出が大きく、パンツサイドの紐化、ブラカップの縮小といった工夫がなされ、水着というよりもただのエロアイテムとなる場合もある。ただし装着されていない場合はくちゃくちゃの布であり、どこが足を通すところでどこが首を通すところなのか判然としないので、間違えて着用してしま声優なども枚挙にいとまがない。よってこれも単体ではエロものではないと言えるだろう。

女体

古来より女体には神秘のパワーがあると信じられている。多くの文献に女体にまつわる様々な儀式が取り上げられ、絵画が隆盛を極めれば裸婦は必ず登場する題材となった。皮下脂肪が多く曲線的で柔らかく人間原初ですらあり、権力者の衰勢にすら関わってくる。それが女体だ。ストレートのオスは絶対に女体に逆らえないように作られている。セックスは女体がないとできないから。つまりエロスの根源はここであると言えよう。

まとめ

エロくないホルスタイン種の柄」の「エロくないビキニ型の水着」を「エロスの根源である女体」が着用するとエロくなる。

これは女体がエロいだけなのでは?

2020-12-26

鬼滅の刃と三島由紀夫

 はっきり言ってこの文脈において鬼滅の刃はそこまで重要じゃないんだけど、要は生まれ変わりの話である

 鬼滅の刃は最終巻を除いて全て読んでいるし、一年上前からジャンプ本誌を購読していて大体の展開は知っている。三島に関してはこれまで十冊くらい読んだ。仮面の告白金閣寺豊饒の海。そういうやつだ。

 要するに生まれ変わりの話である三島由紀夫は東大卒業して官僚になった後で小説家に転身した。諸々の経緯を省くと最終的に自衛隊基地で生涯を終えることになる。この事件には様々な思惑が見られるのだけれど、それはそれとして三島由紀夫は生前まれ変わりというものへの執着を小説において大いに語っていた。勿論、それはポーズだったのかもしれない。荒唐無稽ナイーヴ小説家としてのポーズを取ることで、あるいは自分目的を推測されまいとしたのかもしれない。

 いずれにしても、豊饒の海シリーズを読んでいる限りで彼はかなり真剣に生まれ変わりというものを信望していたように思われる。三島事件だってそうだ。彼が事件を起こしたのは彼の誕生日である一月十四日の四十九日前だった。つまり事件から数えること四十九日後に、彼は改めてこの世に生を享けようとしたのである。少なくとも三島由紀夫の研究においてはそれが定説だ。


 鬼滅の話どこ行ったねんというツッコミが聞こえてきそうなので言及しておくと、鬼滅は正直面白いと思っている。下弦連中の粛清とか柱合会議あたりから特に面白くなったよね。俺はかなり好きだ。上限の六の兄妹鬼のエピソードラスト辺りとかも特に好きだ。

 鬼滅の刃においては、人と人との因縁因果、あるいは、極言すれば生まれ変わりについて表現散見される。生まれ変わり、そんなものが本当に存在するのかどうかは確かめようがない。だから、この議論は率直に言ってナンセンスだ。そんなものは分からないのだ。このテの命題そもそも述語を接続しようとすること自体間違っているのだ。そんなことは我々には分からないし、発言余地はない。生まれ変わりについてはそれで話が即座に終わる。オーヴァ。本来なら。

 とは言え三島由紀夫は明晰な頭脳を持ちながらに生まれ変わりをラディカルな部分で信じていたように思われる。少なくとも、自分小説でそのようにアピールしている。生まれ変わりを自分は信じているのだと。どうやら、彼は周囲に口にしなかった個人的体験によって生まれ変わりを信じるようになったのではないかと思われる。彼の遺作である豊饒の海』の最終巻『天人五衰』が脱稿されたのは三島事件の二日前で、つまり、彼は事件の後で『天人五衰』が出版されるように計らったのであり、『豊饒の海シリーズにおいて「生まれ変わり」が大体的なテーマとして描かれていたこからも、彼が自身存在を「生まれ変わり」の信望者として印象付けようとしたことは明らかであった。遺作のテーマは生まれ変わり――そして事件を起こしたのは誕生日四十九日前であり、これまた生まれ変わりを示唆しているのだ。当然この二つの事象リンクしている。

 『豊饒の海シリーズにおいて、主人公は松枝清顕と本多繁邦であり、本多は松枝と死別するが、生前松枝の身体に刻まれていた脇の下の三つの黒子を巡って彼は様々な生まれ変わりの事実に直面する。三巻『暁の寺』において登場する東南アジア某国の姫君ジン・ジャンは、本来知り得ようもはずもない前世の詳細な記憶本多に向かって詳細に語ることで、少なくとも作中において生まれ変わりの事実が明確にされることとなる。

 脇の下にある三つの黒子、というのがキーになっているこの連綿とした転生は、恐らくは三島本人の人生においても見られたのではなかろうか。三つの黒子とまでは言わずとも、身体的特徴の極度なまでの類似、そして死者と当事者しか知らぬはずの記憶が語られること。それらによって三島は生まれ変わりの事実を、自身人生においても確認したのではないか――? 無論こんなことを考えるのはナンセンスだ。そんなことは三島当人しか知る由はないし、重ねて、生まれ変わりに何らかの述語を接続してはならないのだから

 でもあったら面白いよね、生まれ変わり。


 因みに、彼の遺作のタイトルである豊饒の海』はミスリードを誘うもので、本来このタイトルは、ヨーロッパにおける月のクレータの異称を指している。

 古来よりヨーロッパにおいては月に存在する巨大なクレーターのことを「豊饒の海」と呼ばうのだ。

 それは、月に存在する一滴の水も存在しない茫漠とした荒野のことである。「豊穣」という言葉とは裏腹な、無益と徒労を象徴する荒野存在が、彼の作品には浮かび上がっている。

2020-12-25

anond:20201225131033

この件で悪いのネット古来より蔓延特定厨だろ?Twitter見てるとオタクフェミ戦争してるようにしか見えないんだが、なんでオタクフェミ戦争してんの?

イデオロギー戦争すんのはバカらしい

特定かいう本当にバカらしいカス程も面白くないネット文化を断てよ

2020-11-28

anond:20201128003912

それは違うな。

古来より東京のあたりは「東国」といって日本の果てなのだよ。流刑地またはバーバリアンの住む地。

日本の果てに流された流人や土着の東夷がごくまれ気分転換で他の地方に行けるから、「○○まで(やっと)行けた!」って言ってるんだよ。

2020-11-14

anond:20201113135554

日本語好きとしてはこの考えは理解できない。

そりゃ仕事なんや英語が便利なのは確かだろう。が、日本語には日本語しかないものがある。と、思っている。

日本人思考性質に、おそらく日本語は大きく関係している。

例えば、虫の声。

虫の出す音を「声」と感じるのは、日本人ポリネシア人だったかな、だけらしい。

日本人ポリネシア人は、虫の鳴き声を言語を司る左脳で聴き、西欧人は右脳で聴いているのだとか。

このため日本人は、虫の出す音を「声」と感じ、そこに様々な情緒を感じとる。しか西欧人にとっては虫の出す音は「音」であり、うるさいと感じたりもする、と。

他にも、雨音や、川を流れる水の音。風の音なんかも同じだとか。

で、こういう違いがあらわれる原因はなにかというと、どうやら日本語にあるらしい。

日本語ポリネシア語を母語とし、幼少の頃から触れているかどうか。それによって、こういう違いがあらわれるのだとか。

日本人じゃなくても、日本語母語として育てば、同じく「声」と感じるようになるらしいです。

こういう様々なもの情緒を感じる力と、制約が少なく柔軟な日本語の特徴とが相まって、日本語には擬音・オノマトペが多く、多彩です。曖昧もの曖昧なまま伝え、共有する力に長けています。これは日本人「和」という言葉象徴される、共感能力協調性の高さへも影響しているでしょう。

他にも、日本語は制約が少なく柔軟という特徴をもっています。そういった特徴は、新しい言葉を作り出す能力の高さに繋がっています

ノーベル賞を受賞した益川教授は、英語が苦手で、ノーベル賞受賞のスピーチにのぞんだ折り、日本語スピーチしました。

これに世界は大変驚いたらしいです。何に驚いたかというと、英語が出来ないということではありません。もちろんそれもあるでしょうけれど、もっと驚きだったのは、英語が苦手なのに、ノーベル賞を取れるほどの学を積めたことに対して驚いていたのです。

大学レベル学問まで、ほぼ単一単語で学ぶことができるのは、英語日本語くらいじゃないでしょうか。(他にもあった場合すみません)

これはなぜかというと、日本人が、全て日本語にしてきたからです。言い換えると、新しい単語を作りまくったからです。

そういうことができた理由は、日本語がとても柔軟な言語だったからに他ありません。

柔軟で、情緒溢れる言語創作を生み、独特の感性を形作ります。それらが日本人の「日本人らしさ」に与えてる影響はとても大きいでしょう。

母語英語にする。そりゃそれの方が楽なこともあるでしょう。けれど、古来より紡がれてきた「日本人らしさ」を、徐々に薄めてしまうかもしれない可能性を考えたら、いらないなと思うし、なによりこんなに素敵な言語を捨ててしまおうと思える気がしれないなぁと。

わたしはそう思うなぁ。

2020-10-13

anond:20201013173011

京都民『・・・知らんのどすか?古来より、都ゆうもんは一つしかあらしまへんのどすえ』

奈良県『・・・』

2020-10-06

anond:20201006152356

古来より、魚心あれば水心、というてな。。。

anond:20201006102700

気持ち押し付けだよね、今風にいうと

(・・・でも古来より結婚式に来る者は拒めるが葬儀には拒めないからなぁ)

2020-09-24

モノには適正な値段があると信じるアンチ転売

アンチ転売派は無知だと気づいた。

マスクなどの生活必需品転売は悪だが(そもそも法律規制されているが)、

娯楽品の転売世界中企業普通に行っていることである転売は悪では無い。

それでもなぜ転売がここまで毛嫌いされるのかというと、

彼らはモノには適正で不変の値段があると信じている ことに気づいた。

ほとんどの人は理解しているが、モノの値段は需給バランスによって決まる。

例えばPS5の供給が多ければ安くなるし、少なければ高くなる。これがモノの値段が決まる基本だ。

需給バランスから導かれる価格販売価格の差額から利益を出そうとするのは

人間古来より行ってきた基本的行為である

これを理解できず、モノの値段はメーカーや誰かが決めて、それを逸脱してはならないという

勝手自分ルールを決め、転売して利益を出す行為を悪とする人は無知のものではないか

もしくは共産主義思想家ではないか

転売ヤーがいたぞ!叩け!」などの発言をしている人は

自分資本主義の仕組みに対して全くの無知である」と表明しているに等しい。

転売ヤーから買うな!」と言っている人も全くの無知であり、

買い手がいるから売り手がその値段をつけるのである

自分正義を信じ込んで資本主義に逆行するような行為を行うアンチ転売派は無知である

2020-09-12

anond:20200912113850

 日本神道において大麻古来より、お祓いや清めの道具として使われてきました。

ご家庭に神棚をお持ちの方はご存知だと思いますがこの神棚に祀る「天照皇大神宮

のお札は伊勢神宮天照大神のお札ですが、このお札の正式名称は「神宮大麻

といいます。この時の読み方は「じんぐうたいま」です。この神宮大麻大麻という言

葉は伊勢神宮でお祓い用に用いる神具の事を指しています

2020-08-23

苦手

琉球古来より伝わる手(デイ)の一種ゴーヤに漬け込んだ手で掌底で打ち込むことによって相手の苦々しい記憶を思いださせる。相手戦意喪失して失禁、体中の皮膚がゴーヤのようになって三日後ウミガメの産卵場で死ぬ

2020-08-09

第二章「Vtuberに"現実"はあるのか」

それは架空からまれもの

人形芝居に過ぎない彼ら・彼女らは、仮初の姿と人生を纏って我々の眼前に現れた

彼らは真実足り得るのか、彼らが我々を惹いて止まないのは何故なのか


古来より、借り物を人は愛してきた

演劇に、神楽に、落語に、舞踊に、宗教に、神話に、童話に、小説に、風俗

盆栽や箱庭が見立て遊びの系譜であるように、人はそこにない筈のものを「あたかもそこに在るかのように」仮定し、偽物であることを仮借した

何故なのか

逆説的ではあるが、偽物であればあるほど、そこに描かれたものが、描こうとしたもの真実になるから

人が信じて作り上げたその「意思」こそが真実足り得るから

真実Vtuberの彼ら・彼女らが生きる現実が偽物であればあるほど

彼らの感情は、すなわち偽物の世界ですら成り立たせんとする輝かしい意思こそが本物なのである

彼らは我らの魂の代理人である

切り株にすら登れず、生きることの現実感すら剥奪されたカオナシのような生き様の我々にとって

仮想世界ですらドラマを作り上げられる鮮烈さを、きっと何者にもなれない「ドラマツルギー」な我々は、やはり憧れるのである


もっと逆説的なことに

我々の憧れが、その次のVtuberを生み出すのである

「本物が欲しい」と願い、現実感のない世界に喘ぎ苦しんだ者達の中から、澆季溷濁の俗界を霊台方寸のカメラに収めようと辛苦した果てに、一人のVtuberが生まれ

なぁに、すぐだ

膨大な我々の過去を糧に、膨大な我々の未来がやってくる

第三章に続く

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