はてなキーワード: 勝海舟とは
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浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
世の中のすべてから愛されようといった、
虫のよいことは考えず、異端を恐れずに進む。
マルクスアウレーリウス
十人が十人とも悪く言う奴は善人であろうはずがない。だが、
十人が十人とも良く言う奴も、 善人とは違う。
真の善人とは、
行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。
毀誉(きよ)は人の主張、我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候(そうろう)。
各人へ御示し御座候とも毛頭異存(もうとういぞん)これなく候。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
顧客のすべてのニーズに合致した製品で、なおかつ最高のものを提供しようとするならば、必ず失敗します。そんな戦略では、勝てるわけがありません。
竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日(天保13年3月15日) - 1917年(大正6年)3月31日)[1]は、日本の外交官、漢学者。名は漸、字は光鴻(こうこう、みつあき)、号は井井(せいせい)と称した[2]。 甲申政変時の朝鮮弁理公使であり、後に漢学者として活躍した。日本学士院賞受賞。熊本県近代文化功労者[3]。
目次 [非表示]
1 来歴
2 主な著作
3 栄典
4 脚注
5 参考文献
来歴[編集]
肥後国天草(現・熊本県上天草市大矢野町)生まれ。父である小田順左衛門(竹添筍園)は、肥前国島原出身の医者で、天草大矢野島に移り住み、上八幡宮の宮司二上出雲の娘である美加と結婚した[3]。順左衛門は儒学者広瀬淡窓門下十八傑の一人でもあり、進一郎が幼い頃より儒学を教えた[1]。
1855年(安政2年)15才の時、天草より熊本に出て儒学者木下韡村の門下生となった。学業は極めて優秀で、木下門下では、井上毅、木村弦雄と三才子と称され、さらに古荘嘉門を加えて四天王といわれる[3]。藩校時習館の居寮生となり、木下のはからいで士分に取り立てられ、藩命により京都、江戸、奥州を訪れる。江戸では勝海舟の知遇を得る[1]。
1871年(明治4年)、廃藩置県で失職し熊本市や玉名市で私塾を営んだ後、1875年(明治8年)に上京する[3]。勝海舟の紹介で森有礼全権公使に随行し、清国へ渡った。同郷の津田静一と共に清国を旅し「桟雲峡雨日記」を記した[1]。天津領事、北京公使館書記官などを経て、1882年(明治15年)、花房義質の後任として朝鮮弁理公使となるが、甲申政変に深く関わり辞任した[4]。
1893年(明治26年)、東京帝国大学教授に就任し漢文学を講じた[1]。退官後、小田原に暮らし、76才で没した。1914年(大正3年)、日本学士院賞受賞(第4回)。文学博士。従三位勲三等。熊本県近代文化功労者。次女の須磨子は、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎と結婚した。媒酌人は、木下韡村の次男で後に京都帝国大学の総長となった木下広次が務めている[1]。
さようなら! 福沢諭吉 日本の「近代」と「戦後民主主義」の問い直し : 安川 寿之輔, 雁屋 哲, 杉田 聡 : 本 : Amazon
福沢諭吉が日本の近代化誤らせた? 8日に名古屋で集い:朝日新聞デジタル
【愛知】2015.12.8 不戦のつどい 「福沢諭吉の正体 アジア蔑視と侵略戦争で果たした役割 ~日本の近現代史を問い直そう~」講演・安川寿之輔氏、雁屋哲氏、杉田聡氏(動画)
其業たる最も賤しむ可く最も悪(にく)む可くして、然かも人倫の大義に背きたる人非人の振舞なりと云ふの外なし
「“さようなら、福沢諭吉さん あなたに学ぶものはありません“ 」本誌編集委員・編集者・黒田 貴史 | コラム/深層
福沢諭吉は子供の頃、お札を踏んで便所に棄てても罰があたる様子もなく、今度はお稲荷様の社の中の石を別の石に取り替えても人々は相変わらずありがたそうに拝んでいる。何と馬鹿な者たちだろうと思った。そしてこんな言葉を残した。「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合わせ」片輪は未熟な人間のこと— 無神論・反宗教bot (@AtheismBotJP) 2015, 4月 24
福沢諭吉:独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は、必ず人を恐る、人を恐るる者は、必ず人にへつらうものなり。 | 芸能人や有名人の感動と共感する英語名言・格言集kyoucando
雁屋哲「福沢諭吉自身が、「(一身)独立」とは反対のことをしている!西南戦争で塾生がやめて慶應義塾が経済的困難に陥った!そして勝海舟に金を借りに行った!勝に「まずは全財産を差し出せ」と言われ黙った!」。10;美味しんぼ雁屋哲「アジア・太平洋戦争開戦74年 不戦のつどい」— 中宮崇@童貞の寅さん (@nakamiya893) 2015, 12月 8
村田喜代子の「ゆうじょこう」を途中まで読んだけど、福沢諭吉が女を馬鹿にしてることを盛大にdisっててワロタw 1万円札にもなってんのにこんな糞男だったのか。— にーにー (@00kate22) 2013, 10月 21
福沢諭吉『品行論』「そもそも娼妓の利害に就いては今更これを論ずるもの少なく、所謂道徳家の所望に任ずれば無き方が宜しと云ふは勿論のことなれども、人間世界は道徳のみの世界に非ず。人類の身も之を二様に分かつときは、一方は人にして一方は禽獣に異ならず。・・・」Σ(゚д゚) エッ!?— マサの先生 (@naophon) 2011, 5月 27
112.安川氏「四番目に、福沢は、世の中をおさめていくという観点からみるならば、公娼制度は必要であるという考えの持ち主でした。ただ、こう言いながら、娼婦たちを差別して『賎業婦人』とも呼んでいるのです」— 岩上安身 (@iwakamiyasumi) 2014, 9月 18
雁屋哲「朝鮮のクーデター甲申事変では、福沢諭吉がぜーんぶ金を送ってやらせた!」。10;美味しんぼ雁屋哲「アジア・太平洋戦争開戦74年 不戦のつどい」— 中宮崇@童貞の寅さん (@nakamiya893) 2015, 12月 8
雁屋哲「甲申の政変というのは、日本の大陸浪人がやった。使われたのは、福沢諭吉が与えた刀。彼は朝鮮を支配したいがためにクーデターを起こさせた!なぜか日本では尊敬されている!」。10;美味しんぼ雁屋哲「アジア・太平洋戦争開戦74年 不戦のつどい」— 中宮崇@童貞の寅さん (@nakamiya893) 2015, 12月 8
福沢諭吉について 5 | 雁屋哲の美味しんぼ日記 http://kariyatetsu.com/nikki/1136.php ほっほう。面白い。そういう人だったんかねぇ。10;『人に圧制を加えることが人生最大の愉快、などと言うのは、嗜虐趣味、サディストではないか』— Kin-ya Oda (@odakin) 2009, 7月 26
「圧制を憎むは人の性なりと言うといえども、人の己れを圧制するを憎むのみ。己れ自ら圧制を行うは、人間最上の愉快と言いて可なり(中略)」。 福沢は、圧制は最上の愉快、と言い切っている。 http://t.co/K0Nlyn4Ewg … …— 早雲 (@souun_udoku) 2014, 1月 6
続き。福沢諭吉は、洋行中に目撃した、英国人が中国人に対して、「幕吏」の如く、威張り散らしている様子にふれ、なんと「英国人民の圧制を羨むのほかなし」と書く。羨ましい、というのだ。そして、いつの日かその英国人民すら奴隷のように扱いたい、と続ける。— 岩上安身 (@iwakamiyasumi) 2014, 1月 1
28.岩上「1881年10月の『時事小言』を読み上げてみます。『支那人…数千年来陰陽五行の妄説に惑溺し…』『無遠慮に其地面(アジア諸国)を押領して、我手を以て新築するも可なり』。すごいですね」。安川氏「植民地支配を盛んに主張しているわけです」— 岩上安身 (@iwakamiyasumi) 2014, 9月 18
40.岩上「『朝鮮の交際を論ず』には『我輩が斯く朝鮮の事を憂てその国の文明ならんことを冀望し、遂に武力を用いてもその進歩を助けんとまでに切論するもの』とありますね。まさに、他国の『文明』化のために、武力侵略を正当化するものですね」— 岩上安身 (@iwakamiyasumi) 2014, 9月 18
11.安川氏「福沢は1889年3月の『貧富智愚の説』の中で、『最も恐るべきは貧にして智あるものなり』『貧人に教育を与ふるの利害、思はざる可らざるなり』と書いています。貧乏人が高等教育を受けると恐ろしいことになる、ということを言っているのです」— 岩上安身 (@iwakamiyasumi) 2014, 9月 18
13.安川氏「さらに福沢は、『福翁百話』の中で、人間を平等にしたら世の中はうまくいかない、ということを言っています。『人間世界に強弱智愚相匹敵して相親愛するの例は殆ど絶無と云う可し』。人間が平等だったら、親愛が成り立たない、と言っているのです」— 岩上安身 (@iwakamiyasumi) 2014, 9月 18
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16.安川氏「これは『学問のすすめ』第3編の言葉なのですが、その中身は、個人の自由や独立などというものではなく、『国のためには財を失うのみならず、一命をもなげうちて惜しむに足らず。是即ち報告の大義なり』というもの。太平洋戦争中の日本と同じ考え方です」— 岩上安身 (@iwakamiyasumi) 2014, 9月 18
以前、話題に取り上げて貰った海運系船乗り。
主に6種類の方法が想定できる。
漁師とならずとも遊覧船や釣り船などで必ず要る資格であり、趣味で取得する人も多い。
区分は「1級」「2級」「特殊」に現在は別れており、業界人は「新1級」などと頭に「新」を付けることがよくある。
これは法改正で区分が変わったからであり、旧区分と混同しないためだ。
新区分ではいわゆる「水上バイク」が独立区分の「特殊」となった。これは水上バイクに関する海難 (海で発生する事故のことを指す業界用語)が頻発したからだ。
区分は新2級よりも新1級の方が大きな船に乗れるという認識で間違いないが、詳しく知りたいのならググると良いだろう。
ちなみに「コレもはやクルーザーだろ」とツッコミたくなるような高級プレジャーボートで無い限りは、たいてい新2級で事足りる。
ただし、新1級と新2級では水上バイクを運転することができないので、水上バイクを運転したいのなら「特殊」を取得しよう。
社会人であっても1ヶ月あれば取得できる。
ちなみにだが船舶系の運転免許資格は有資格者が同伴しているのならば無資格者が船舶を運転しても良い事になっている。
つまりお父さんが有資格者で同伴しているのならば子供に船を運転させても良いということだ。
子供にカッコイイ姿を見せたいお父さんは取得を検討してみたらどうか。
高卒の資格も得ようとする場合は「水産高校」「海上技術学校」「商船高等専門学校」へ進学しなければならない。
ただし実は各校とも得られる船舶系資格に微妙な差異があるので注意が必要だ。
基本的に漁業系の技術を習得するための文部科学省管轄の高校だ。
海運系に特化しているわけではないが、大まかな知識技術は「船舶」という枠組みにあるため共通点もあり就職先には海運系企業もある。
その水産高校によって取得できる海技士免状の等級に差異があるんだ。
当然、等級が低ければ法に定められた権限も違い、4級海技士より5級海技士は権限が限定的である。
4級海技士を取得できる水産高校の方が良いのか?という疑問もあるだろうが、4級海技士を取得できる水産高校は航海もしくは機関のどちらかしか取得できない。
5級海技士を取得できる水産高校の場合は航海も機関も双方を取得できるんだ。
個人的には4級海技士を取得できる水産高校の方が良いと感じる。
理由はより高い授業レベルが期待できるし、そもそも就職したら甲板部もしくは機関部のどちらかへ配属されるからである。
そして社会人になると昇級試験のために真面目に勉強する奴は少ないので早めに高い等級を取得しておくべきだ。
2年生になると遠洋へ出てマグロ漁を実際に行うことでも知られている。
マグロと共に小型のサメもかかるらしく、そのサメの頭を大ハンマーで殴って気絶させるそうだ。
筆者の友人にも水産高校の出の者が居り、彼の話では「女子が返り血を浴びながらサメの頭をハンマーで殴ってる光景は壮絶だ」とのこと。
詳しくは多分、水産高校を卒業した増田かTwitter民が語ってくれることだろう。
小型船舶操縦士と海技士の最も大きな違いは、小型船舶操縦士は航海も機関もカバーするが、海技士免状は航海士用の「海技士(航海)」と機関士用の「海技士(機関)」で別区分となっている。
これは海技士免状が必要なほど大規模化した大型船に対応するための区分だ。
危険物取扱者にも様々な種類があるが、それと同様に航海資格では機関士となれないし逆もまた然りだ。
海技士免状を取得するには「乗船履歴」「筆記試験合格」「口述試験合格」の3要素が必要だ。
先程から俺は「水産高校で海技士免状を取得できる」と言っているが、正確に言うと水産高校で取得できるのは「乗船履歴の特別短縮」「筆記試験の免除」のみである。
これは後述する海上技術学校や商船高等専門学校、海上技術短期大学校、海洋大学校を卒業しても同じである。
国も馬鹿ではないので、たかだか学校を出たくらいではポンッと海技士免状をくれたりはしないのだ。
学校を出ただけのそんなヒヨッコを広大な海原へ放ったりはしない。危険すぎるから。
海技士免状を取得しようとする者は、総じて口述試験の際に物凄く緊張する。
口述試験とはつまり面接による試験であり、学習した内容を試験官の出題に合わせソラで回答をしたり、時としてホワイトボードなどへ図解する試験だ。
それはおそらくこの日本で取得できる資格の中で唯一、試験官が受験生に対して、ブチ切れ、怒鳴り、叱る試験だからである。
受験生があまりにも回答へ窮したり、回答すら出来なかったりすると試験官はキレる。
それもそのはず、試験官の多くは引退した船乗りで構成されており、ヒヨッコの出来があまりにも悪いと現役の頃の感情が蘇って鬼と化すのだ。
試験時間丸々説教に当てられた事例も多数あり、受験生はそうはなるまいと必死になって受けるのだ。
当然、そうなると落とされるのは言うまでもないw
水産高校とは違い、国土交通省管轄の海運系へ特化した高校である。筆者の母校。
水産高校と比べて取得できる資格の差異は4級海技士(航海)と4級海技士(機関)の双方とも取得できる点。
海運系へ特化しているだけあり当然ながら漁法とかそういうのは一切学ばず、全て航海術や機関知識へ当てられる。
俺の経験では校舎の外壁を消防用ホースで洗ったり、屋上から「ジャコブスラダー」という空中ブランコで降りて校舎のペンキ塗りをしたり、やんちゃで破壊した校舎の板壁を修繕したり、グラウンドのフェンスを補修したり、ドアノブ直したり、電灯直したり、学園祭の野外ステージを作ったり、その他色々やらされた。
地域貢献ボランティアにも積極的であり、ごみ拾いに月一で参加させたり、近隣のジジババの家の植木の枝刈り草むしりさせたり、保育園児の相手をさせられたり、老人ホームの模様替えに派遣したりしている。
これらは「協調性」を育み、故郷を大切にする心を育むための教育らしい。
声を大にしては言えないが、海上技術学校の最初期である海員養成所は戦中からある組織なので、旧日本海軍の思想を今でも色濃く受け継いでおり「お国のため精神」が根強い。
何故、そんな旧体制的な思想が現代にも受け継がれるかと言えば、そもそも保護者が海上自衛官だったり海上保安官だったりするためだ。
教官((海上技術学校では先生ではなく教官と呼ぶ))から生徒、保護者に至るまで完全なる右巻きであり、そこへ通う非海洋系家庭の生徒も右巻きになる。
歴史の授業では勝海舟や日露戦争、大東亜・太平洋戦争の部分となると異様な盛り上がりを見せる。
件の中国監視船衝突問題では問答無用で一色氏を支持するといった雰囲気である。
卒業者に海上自衛隊士官候補生を多数輩出している(現在、尉官以上の卒業者がかなり多い)。
純粋培養でネトウヨが育つ環境なのでハテサの皆さんは気に食わない学校かも知れない。
文部科学省管轄の高校では無いためPTAとの関わりが非常に薄く、保護者も船乗りが多いため教官は普通に生徒へ体罰を下す。
俺自身、高校3年間で何度教官から殴られ、グラウンドを走らされ、罰作業を受けたかわからない。
「ウチのボウズがバカやったらブン殴って曲がった根性直してやってくれ」と親が言うので全く問題にならない。
むしろ体罰が「問題があるもの」という評価を学校に関わる者全てがしていない感じだ。体罰は必須であると。
生徒自身も「殴られて当たり前の行為をした」という認識があるため不満を持たない(殴られてマジムカつくという感情はもちろんあるが)。
一面から見ると厳しい校風であるため脱落者、つまり自主退学する者も少なくはなく入学者の1割程度は1年生の内に辞める。
これは海上技術学校自体が奨めていることで「合わないと思ったら早めに辞めて1年遅れで普通校に行った方が将来にも良い」という意見だ(俺の世代にも普通校へ1年遅れで行った者が居る)。
先輩は後輩の精神的フォローをしているが辞めてしまう者は結局辞めてしまう。
中学時代に軟弱な者が続けられないか?と言えばそうでもなく、3年勤め上げることで肉体的にも精神的にも成長していることが結構ある。
逆に番格をはっていた様な剛の者が直ぐに辞めてしまうこともあり、本当に適正はフィーリングでしかない。
水産高校のマグロ漁にあたる航海実習は日本全国を帆船などで周回する。
海があれば増田の地方にも帆船の日本丸や海王丸が入港してきたことがあると思うが、帆船に乗ってる一部の人間は海上技術学校の生徒だ。
そのためまともな修学旅行というものが存在せず、修学旅行先の定番である京都や奈良、北海道に学生時代に行ったという思い出の無い者が結構居る(どうせ就職したら行くけれども)。
こちらも海上技術学校と同様に海運系特化であるが、やはり微妙な差異がある。
管轄は文部科学省、5年制のいわゆる高専であり学歴としては海上技術学校より1段上である。
海上技術学校との違いは、海上技術学校が満遍なく海運のことを学べるのに対し、商船高等専門学校は「航海」もしくは「機関」のどちらかをより専門的に学べるようになっている。
取得できる資格も3級海技士(航海)、もしくは3級海技士(機関)のどちらかであり、資格としても海上技術学校より1段上だ。
入学するにも海上技術学校は良い言葉を使えば「来るもの拒まず」であるが、商船高等専門学校は一定以上の偏差値が必要である(進学校並ではない)。
海上技術学校は実践主義的なので「進学するまで何をしてきたか?」よりも「進学してから何をしたか?」が重視される。
文部科学省管轄である商船高等専門学校は前提としての偏差値があり、それ故に安心して一定以上のレベルの学習は保障されているという利点がある。
比較的新しい海洋系の学校なので海上技術学校のような右巻き偏重ということもなく結構自由な校風のようだ。
海上技術学校もそうではあるが、入寮している生徒が多く、その寮生活に不満を持つ生徒が少なくないらしい。
近年、海洋系以外の学部を創設し、より広い入学者を募集しているようだ。
当然ながら高校を卒業してからだって船乗りになるための道は用意されている。
高校の要素を持つ海上技術学校とは違い、基本5教科などは学ばず海運のことを集中して学ぶ2年制短大。
一般高校卒業から最短で船乗りになろうと思うのならこの選択となる。
海上技術学校では3年かけて取得する4級海技士を海上技術短期大学校では2年で取得できる。
ただやはり海上技術学校卒業と比べると1年間の周回遅れが発生するので、そのまま就職すると1つ年下の1年先輩が居る可能性があるので、そこを割り切る必要がある。
校風としては海上技術学校の生徒よりも意識が高いと言わざるを得ない。
普通高校から普通は選択しないだろう海運という道を選び、明確な目標を抱いて海上技術短期大学校へ来ているので資格の取得率が異様に高い。
海上技術学校や海上技術短期大学校ではボイラー技士資格や危険物取扱者資格なども取得できるのだが、海上技術学校と海上技術短期大学校を比べると海上技術短期大学校の方が取得しようとする者が多いのだ。
就職に対しての熱意もスゴイので、本気で学ぼうとしない人間が就職率だけ見て来ると単位が取れなくなり自主退学するそうだ。
しかも周囲は本気で学ぼうとしているので本気じゃない人間は邪魔者扱いされるらしい。
海洋系大学が統廃合された結果生まれたのが海洋大学である。筆者の母校。
海上技術学校や商船高等専門学校からの進学者も多く、入学時は一般高校出身者と海洋系学校出身者の知識量の差や海への適応力の差が激しい。
具体的にはロープやワイヤーを結んだりする実技(ロープワークという)の際に海洋系学校出身者は一瞬で終えるが、一般高校出身者はモタモタとしてしまい数十分かかってしまったりする。
更には実習船での海へ出ると海洋系学校出身者は活き活きとするのに対し、一般高校出身者は船酔いで実習どころじゃなくなるなどである。
半年間我慢して一般高校出身者でも真面目に学んでいれば海洋系学校出身者とのスキル差はそんなに開かなくなるのだが、それでもやはり実技で職人芸とも言える精度で物を完成させるのは海洋系学校出身者が一日の長もあり多い。
ただ必ずしも海洋系学校出身者が全てにおいて優っているかと言えばそうではなく、筆者の同期には金属加工で才能を開花させた一般高校出身者が居たりするので真面目にやってさえいれば問題はない。
資格は3級海技士(航海)または3級海技士(機関)のどちらかが取得可能。
商船高等専門学校と何が違うかといえば、そもそも大学なので例えば「高等学校教諭1種免許状(商船)」なども取得できる。商船の教諭免許なんてレアなのでたまたま何かのきっかけで現役教師と会話することがあると非常に盛り上がるw
学科や専攻の選択肢が幅広いので個人的には海上技術学校時代よりも楽しめたような気がする。大学時代が人生の春とはよく言ったものである。
ちなみにだが海洋大学は偏差値そこまで高くないくせに大学別平均年収ランキングでいつも上位にいる大学である(平均800万くらい)。
理由は簡単だ。船乗りは続けてると年収1,000万を余裕で超えるからだ。
就活は多くの学生に現実を見せてくれる悪夢だが、海洋系学生にとっては実はそこまで大きな問題ではない。
何故かといえば海洋系学生の就職先の8割は教官や教授、現役船乗りである親のコネだからだw
少しだけ経済の話をするのならば日本の経済は海運に依存しており、最も速く経済の動向の煽りを良い意味でも悪い意味でも受けるのが海運業界だ。
ただ好景気だから採用枠が増えるかと言ったらそうでもなく、どちらかと言えば人材の過不足によって増減すると言って良い。
現在はベビーブーム世代引退の最中にあるため人材不足を起こしており採用枠は多めだと言って良い。
その2へ続く
127 ソーゾー君 [] 2012/01/21(土) 03:29:44 ID:M9nICu/IO Be:
「出世払いで良いっすw」と言って武器を提供してただけだアホ…
「外国人から武器を買うときは幕府を通して会なさい」と言うルールを作っていた。
だからそのルールの抜け道を利用した…脱藩者の「坂本竜馬」だ…
で…坂本竜馬は薩長に武器を密輸した…「出世払いで良いっすw」と
グラバーの飼い主は国取りが目的だから支払いなんかどーでも良い…
吉田証印なんか英雄でもなんでもない…小泉や竹中と同じ売国奴だよ…
あいつの弟子の名前を列記してみろ…売国奴オールスターじゃねーか…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
<JIN>視聴率20.3% 秋ドラマ初の大台超え(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091109-00000001-maiall-ent
8日放送された大沢たかおさん主演のドラマ「JIN 仁」(TBS系)第5話の平均視聴率が
20.3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と、今秋放送開始された連続ドラマでは初めて20%を超えた。
「JIN 仁」は、大学病院の脳外科医だった南方仁が、幕末の江戸にタイムスリップし、
満足な医療器具や薬もない状態で人々の命を救う中、坂本龍馬や勝海舟ら志士たちと知り合い、
2009-08-04 / Economics
城繁幸氏のブログに、台湾のメディアに日本の年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列は儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国の科挙は、基本的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日本以上にきびしい年功序列があるらしいが、日本のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。
では日本の年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役の最下級武士だった。このような能力主義を可能にしたのは、徳川吉宗のつくった足高制度だった。本来の石高とは別に足高として加算され、形式上の序列(石高)とは別に、実質的な能力主義による俸給制度になっていた。つまり年功序列は、家柄とは別の経験や功績による序列だったのである。
ところが明治時代に官僚制度ができたとき、高等官/判任官の身分制度や15段階の俸給制度ができ、昇給は年次によるものと(非公式に)定められた。これが戦後も実質的に継承され、Ⅰ種(戦前の高等官)は6級に編入され、「キャリア」と呼ばれる。民間では、長期雇用の定着と年功賃金は、ほぼ並行して広まったと考えられる。特に戦後、労使紛争が激化した1950年代に、安定した賃金を求める労働側の要求に対して定期昇給制度を採用したことが年功賃金につながったとする説が多い。
つまり年功序列は日本の伝統でも儒教の影響でもなく、官僚制度によって原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。これは結果としては若い労働者に「強制貯蓄」させることによって、その忠誠心を高めてモラルハザードを防ぐ役割を果たした。しかし老人に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、企業が成長し、若者が増え続けるときだけである。賃金原資が減り始めると、ノンワーキング・リッチに「配当」を払うことはできなくなる。
これは年金や財政の破綻と同じ構造である。日本の企業組織も財政も、戦後の高度成長を前提にしてつくられ、それに適応して相互補完的なシステムができ上がっているのだ。その結果、老人と若者の利害の対立する問題では、つねに組織内の権力を握っている老人の既得権を守る決定が下される。この構造の前提となっている成長が止まった今は、官民ともにシステムを見直さなければならないのに、問題を先送りしてきたのが「失われた20年」の根本的な原因である。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている
行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずと存(ぞんじ)候(そうろう)。勝海舟
これらのことからは足を遠ざけねばならない。
無知な人々のするこのようなことは、何にせよ無視されねばならない
(このようなことは無知な人でなければすることは出来ない)。
そして
大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。
われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。
そうしなければ、われわれは軽蔑への恐怖または嫌悪のために、多くの必要なことを止めることになろう。
また、何か気に染まぬことを聞くのではないかという女のような心配がわれわれを締め付ける限り、
公的にせよ私的にせよ、もろもろの義務をあえて遂行しようとはしないであろう
また、時にはわれわれは有力者に憤慨して、自分の感情を勝手自由にむき出す。
われわれは誤っている。
心の喜びが流れ出る唯一の源たらしめ、
それは結局は、
なぜというに、
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
あるとき、ある男が、人に挨拶をしたら、挨拶を返さなかったというので
腹を立てていると、彼は言った、
「笑うべきことだよ、君は身体の悪い人間に出逢っても別に腹を立てないのに、
心が粗野にできている人間に出合ったというので、憤慨するというのは。」
君は犬や羊に足を踏まれたからといって、逆上し気が違ったように激怒するのかね?
堅い岩が風に揺るがないように、
賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。
おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。
BUDDHA
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないもの。アウレリウス
あの人たちの行為のために、どうして私がわずらわしい思いをするのだ
http://anond.hatelabo.jp/20131005185221
[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。
大丈夫、当に雄飛すべし。中国の故事
良薬は口に苦くして病に利あり。忠言は耳に逆らいて行いに利あり。孔子
聴くことを多くして、語ることを少なくし、行なうことに力を注ぐべし。成瀬仁蔵
昨日が曇りなく公明であったら、今日は力づよく自由に働け、明日にも希望がもてる。明日も同様に幸福であれと。ゲーテ
天高うして鳥の飛ぶに任せ、海闊うにして魚の躍るに従う。大丈夫この度量なかるべからず。
衣を千仞の岡に振い、足を万里の流れに躍らす。大丈夫この気節なかるべからず。石川丈山
志なき人は聖人これを如何ともすることなし。荻生徂徠
よろしく身を困窮に投じて、実才を死生の間に磨くべし。勝海舟
臨終の夕までの修行と知るべし。上島鬼貫
危ぶむこと淵に臨むが如く、慎むこと氷を履むが如し。孝謙天皇
多くの事をするのは易いが、一事を永続きするのはむずかしい。B・ジョンソン
善を見ては渇する如くし、悪を見ては聾するが如くす。太公望
心は非常に楽しむべし苦しむべからず。身は常に労すべしやすめ過ごすべからず。貝原益軒
服従は人間の普遍的義務である。屈曲しない者は挫折するより外はないであろう。カーライル
我日々に三度わが身を省みる。曰く午前中何ほど世界に善を為したりやと。さらに夕と夜に。ブース
完全なある物を創作しようとする努力ほど、心霊を純潔ならしめるものはない。ミケランジェロ
労働は適時にはじめること。享楽は適時に切り上げること。ガイベル
人間が自分の仕事において幸福であろうとするならば、その人間はその仕事を好きでなくてはならぬ。その人間はその仕事をやりすぎてはならぬ。その人間はその仕事を成功するという感じを抱いていなければならぬ。ラスキン
真の閑暇とは、われわれの好きなことをする自由であって、何もしないことではない。ショウ
ひとびとは閑暇を犠牲にして富裕をうる。だが、富裕をはじめて望ましいものにする唯一のものである自由な閑暇が、富裕のために犠牲にせねばならないならば、私にとって富裕が何になろう。ショウペンハウエル
学問は、ただ年月長く、倦まず怠らずして、励み力むるぞ肝要にして、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみは拘はるまじき事なり。本居宣長
ランプがまだ燃えているうちに、人生を楽しみ給え。しぼまないうちに、ばらの花を摘み給え。ウステリ
最も純粋で最も考えぶかい人は色彩を最も愛する人々である。ラスキン
「熱望」することはこの上もなく容易なのに、「志す」ことはなぜ、そんなに難しいのか。熱望のさい、口を利くのは弱さであり、志すさいには強さだからである。リントネル
人間が、自分で自分の内から才能をつくらずに、これを他人から貰い受けることができると考えるのは、無理な話であって、あたかも招かれた先で、医者とたびたび晩餐を共にするだけで、健康を養うことができると考えるようなものであろう。プルースト
日に新たに、日に日に新たにして、又日新たなり。大学
機会を待て。だがけっして時を待つな。W・ミュラー
人生の幸福とは何であるかを知ったら、お前は人の持っている物など羨ましがる必要はない。プルターク
およそ事業をするのに必要なのは、する力ではなく、それをやりとげるという決心である。リットン
私は想像する。私はそう思う。私はそう信ずる。私はそのとおりになる。ヨガのことば
人事を尽して天命を待つ。古諺
艱難汝を玉にす。日本のことわざ
問題を正しく掴めば、なかば解決したも同然である。C・ケタリング
今日立てたプランは、その日に最高なのであって、次の日には、すでに最高とはかぎらない。周囲の状況は、生きかつ動いているから、毎日毎日、計画を検討すべきだ。加藤升三
真実とは苦い薬である。人はそれをのもうと決心するよりも、むしろ病気のままでいる。コッツェブー
あることを真剣に三時間考えて自分の結論が正しいと思ったら、三年間かかって考えてみたところでその結論は変わらない。ルーズヴェルト
あるのは目標だけだ。道はない。われわれが道とよんでいるものは、ためらいにほかならない。カフカ
われわれが悩めるひとにあたえることができるいちばん正しい助力は、そのひとの重荷を除去してやることではなく、そのひとがそれに堪えうるように、その人の最上のエネルギーを喚び出してやることである。ヒルティ
天才とは自ら法則を作るものである。カント
人間の強い習慣や嗜好を変えるものはいっそう強い欲望のみである。マンデヴィル
読書は人間を豊かにし、会議は人間を役に立つようにし、ものを書くことは、人間を正確にする。ベーコン
平凡なことを、毎日平凡な気持で実行することが非凡なのだ。A・ジード
やってみなわからしまへんで、やってみなはれ。鳥井信治郎
何でも見てやろう。小田実
わたしの前には道はない。わたしのうしろに道ができる。高村光太郎
一度に一つずつ行なえ。あたかも自分の生死がそれにかかっているような気持で。U・グレース
一日に少なくとも一つは自分の力のあまることをなしとげようとしない限り、どんな人間でも大した成功は期待できない。E・ハーバート
相談するときは過去を、享楽するときには現在を、何かをするときには未来を思うがよい。ジューベール
人間とは一つの総合――無限と有限、時間的なものと永遠なもの、自由と必然――である。キェルケゴール
大事な事は数字を使って話すことではなく、数字に裏うちされた行動を起こすことである。中村輝夫
己が欲を遂げんとて義を失ふは、小人と申すべし、されば、義を目的として欲を制し申すべきことと存じ候。広瀬久兵衛
学問ありて、しかるのち先見あり。先見ありて、しかるのち力行あり。カント
死ぬよりも、生きている方がよっぽど辛い時が何度もある。それでもなお生きていかねばならないし、また生きる以上は努力しなくてはならない。榎本健一
若者の遊山を好むは、然るべからず候。御奉公の道油断なく候えば、遊山がましき事存ぜず候。又徒然なる事もこれなく候。藤堂高虎
天才?そんなものは決していない。ただ勉強だ。方法だ。不断に計画しているということである。ロダン
桃李もの言わざれど、下おのずから蹊をなす。史記
今日を捕えよ。他日ありと信ずることなかれ。ホレース
「いったいどれだけ努力すればよいか」と言う人があるが「キミは人生をなんだと思うか」と反問したい。努力し創造していく間こそ人生なのである。御木徳近
日々を神とともに始め、神とともに終われ。ウェスリー
学生よ勤勉なれ。この語の中には学生の有すべき一切の美徳が含まれている。カーライル
美しいバラは刺の上に開く。悲しみのあとに必ず喜びがある。W・スミス
善いものは常に美しく、美しいものは常に善い。ホイットニー
ものを観るのに目をあいただけでは足りない。心の働きがなくてはならない。ミレー
ささいな出費を警戒せよ。小さな穴が大きな船を沈めるであろうから。フランクリン
悦びは人生の要素であり、人生の欲求であり、人生の力であり、人生の価値である。人間は誰でも、悦びへの欲求する権利を有している。ケップラー
汝の敵には嫌うべき敵を選び、軽蔑すべき敵をけっして選ぶな。汝は汝の敵について誇りを感じなければならない。ニーチェ
価値は名声より尊い。F・ベーコン
偉大なる精神は、偉大なる精神によって形成される。ただしそれは同化によるよりも、むしろ多くの軋轢による。ダイヤモンドがダイヤモンドを研磨するのだ。ハイネ
光はわが世に来りつつあり。人は闇を厭い光を愛す。カーライル
花のかおりは風に逆らえば匂わず。されど、善き人のかおりは風に逆らいても匂う。法句経
愛は精神を与える。そして精神によってみずからをささえる。パスカル
春に百花あり秋に月あり。夏に涼風あり。冬に雪あり。すなわちこれ人間の好時節。松尾芭蕉
修身斉家治国平天下。大学
勤めても、また勤めても勤め足らぬは勤めなりけり。道歌
非理法権天。楠木正成
私はつねに、二年先のことを考えて生きている。ナポレオン
人生においては、チェス競技のように用心が勝利を収める。バックストン
いかに快くとも未来を信頼するな。死んだ過去はその死んだものを葬るがよい。生きた現在に行動せよ。意気を心に、神を頭上に。ロングフェロー
現在は過去と未来との間に劃した一線である。此の線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。森鴎外
さらばここにまた一日、青空の朝は明けた。考えよ。汝はそれを無用に過ぎ去らしめようとするか。カーライル
簡素で高ぶらない生活の仕方は、だれにとっても最上のものである。肉体のためにも精神のためにも最上のものである、と私は信じている。アインシュタイン
労働なしにひとり休息に達することもなく、戦闘なしに勝利に達することもない。T・A・ケムピス
世を長閑に思ひて打ち怠りつつ、先さしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごとなす事なくして、身は老いぬ。吉田兼好
冬来たりなば春遠からじ。シェリー