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はてなキーワード: バックスとは

2024-11-15

anond:20241115092531

意図の反映」についても、需要デカいのでどうせ早晩技術的に解決されると思うがそれはそれとして、

仕事がなくなるのは「意図がなくていい」「細かい小物(バックストーリーなどを想起させるものがない)立ち絵」とかを描く仕事だ。

そもそも世の中のイラストレーション需要の9割がこのレベルってこと。

あと圧倒的に安いとなれば「意図の反映」は妥協してもいいかって意思決定にもなってくる。

anond:20241115011736

いや、AI意図は込められないので、一枚絵でも普通にイラストレーター仕事は行くよ。

ただのキャラクター立ち絵とかでも小物が増えるとAI理解と指示だしが厳しくなる。手書き修正を考えた方がいい。

仕事がなくなるのは「意図がなくていい」「細かい小物(バックストーリーなどを想起させるものがない)立ち絵」とかを描く仕事だ。この辺はAIポン出しレベルでも用足りてしまう。

2024-10-31

anond:20241030190740

仕事始めた当初はIBM KB-454を使っていました。

バックスプリングは長時間タイプしていると小指で押すShiftキーだんだん辛くなってしまったので

それからRealForceの偏荷重モデル20年以上使ってる

anond:20241030190740

仕事始めた当初はIBM KB-454を使っていました。

バックスプリングは長時間タイプしていると小指で押すShiftキーだんだん辛くなってしまったので

それからRealForceの偏荷重モデル20年以上使ってる

anond:20241030190740

仕事始めた当初はIBM KB-454を使っていました。

バックスプリングは長時間タイプしていると小指で押すShiftキーだんだん辛くなってしまったので

それからRealForceの偏荷重モデル20年以上使ってる

2024-10-20

バックプレスビハインドネックプレスとも呼ばれる。一般肩に負担がかかるので無理に下ろし過ぎてはいけないと言われている。増田体感では手幅は少し狭めが良い。スーパースミスで行うとストレッチ感が強く、通常のスミスでは収縮感が強い。ここら辺はマシンにもよると思われる。肩の関節に対する安全性観点から最近フロントプレスが推奨されがちではあるが、増田個人的フィーリングでは肩に良く効くのでお気に入りエクササイズである

スクワットに関して、フロントスクワットに対して通常のスクワットバックスクワットと言う事もあるが、ビハインドネックスクワットという言い方があるのか増田は知らない。フロントスクワットは上体を立てた状態を保たないといけないので技術的に難しく、(通常の)スクワットよりも重量は下がるが、それ故に腰の負担が少なく、大腿四頭筋によく効く。足首の柔軟性に乏しい人はプレートを引くなどして踵を上げた状態で行うとやりやすい。

ライイングエクステンションスカルクラッシャーは元々同じエクササイズを指していたが、最近では下ろす位置の違いで区別する人もいる。区別される場合スカルクラッシャーは額の上にバーベルを下ろすエクササイズを指し、ライイングエクステンションは頭上を越えて(バーベルを)プルオーバー気味に下ろすエクササイズを指す。スカルクラッシャーは内側頭と外側頭に効くが、肘の位置を固定するので肘の負担が非常に大きい。ライイングエクステンションは肩関節も動かすので長頭も動員される。こちらの方が肘の負担が少ないので推奨されがちである増田現在、肘に問題があるのでどちらも行なっていないが、肘関節が強くデカい三頭を持つ人の中にはスカルクラッシャーを好む人もいるらしい。個人的に肘に問題があるトレーニーには、ジム環境が許せばという条件つきではあるが、特製のロングロープを用いたケーブルキックバックオススメである

おまんおまんこ(挨拶としての「おまんらのおまんこ力は53まんこでおま」に飽きてきたので、これからは「おまんおまんこ」も活用していきたい。)

2024-09-14

弱者男性擬人化ソシャゲ「ウィーク・ガールズ」リリース

初回限定キャラは「ゴキエナ」!

お待たせしました!いよいよリリースされた話題ソーシャルゲーム「ウィーク・ガールズ」!このゲームでは、弱者男性たちが美少女擬人化され、様々な困難や課題を乗り越える物語体験できるんだ!各キャラには、個性的バックストーリーユニークスキルが満載。最初期間限定キャラクターは、なんと「ゴキエナ」!早くも人気急上昇中だぜ!

期間限定キャラ「ゴキエナ」登場!

ゴキエナは、ゴキブリハイエナ特性ミックスした驚異的なキャラクターだ!見た目はちょっと無愛想で影のある美少女だけど、内に秘めたサバイバル本能ピカイチ。常に生き抜くために最適な選択をし、チームの最後の砦として活躍する。その生存力は、他のキャラクターたちをも救う力となり、仲間から信頼される存在だ。

ゴキエナの背景

ゴキエナの幼少期は過酷のもの彼女は常に社会底辺で苦しんでいた「弱者男性」を擬人化した存在だ。誰にも頼れず、ただ自分だけを信じて生きてきた彼女は、人々からまれ、時には踏みにじられることもあった。だが、その逆境こそが彼女を強くした。ゴキブリのようにしぶとく、ハイエナのように冷徹に状況を見極め、生き延びることに特化した能力を身につけたのだ。

幼い頃から孤独生活を送っていた彼女だが、ある日、偶然出会った仲間たちと行動を共にすることに。彼女たちもまた、「弱さ」を抱えているキャラたちだった。しかし、その「弱さ」を逆に強みに変えることができるのが「ウィーク・ガールズ」たちの最大の特徴だ。ゴキエナは、自分過去と向き合いながら、仲間と共に成長し、時に葛藤しながらも絆を深めていく。

ゴキエナの特技とバトルスタイル

ゴキエナの戦闘スタイルは、一言で言えば「耐久と逆襲」!彼女は耐久力が抜群で、敵の攻撃をしのぎながら反撃の機会を伺う。スキルエナジーレイン」は、敵の体力を吸収し、仲間のHP回復させる効果を持つ。さらに、彼女パッシブスキル「しぶとい生存本能」は、HPが少なくなった時に攻撃力が大幅にアップするという粘り強さが魅力だ!

このスキルセットを活かして、長期戦やボス戦では無類の強さを発揮するぞ!「一度倒されても簡単には終わらない!」これがゴキエナの信念だ。

ゲームの特徴

キャラ育成:キャラクターを育てて、スキルを強化していこう。ゴキエナのように特殊スキルを持ったキャラたちをバトルで使いこなすのが鍵だ!

ストーリー:各キャラクターごとに描かれる、弱者男性の苦悩や成長がテーマ彼女たちを通して、深い人間ドラマを楽しめる。

期間限定イベント:ゴキエナがメインのストーリーイベントサバイバルオブザフィッテスト」も開催中。彼女と一緒に、過酷ダンジョン突破しよう!

初回限定ガチャで手に入れろ!

リリース記念で、今だけ「ゴキエナ」がピックアップされてるガチャが登場!期間限定から、今しか手に入らないぞ。彼女を手に入れて、最強のサバイバルチームを編成しよう!

さあ、君も「ウィーク・ガールズ」の世界に飛び込んで、弱さを武器にした少女たちと一緒に新たな冒険を始めよう!

2024-08-21

anond:20240821125909

まず利き手の拳を握りしめ、それからバックスイングして、えぐり込むように打つべ

それが強弁である

2024-08-13

フラフラした人たちの思い出

オフィス街信号待ちをしていると、救急車右手から来た。信号は青に変わったが、歩道に立つ会社勤めらしい人々は誰も動かないし、私も動かない。対岸にいた一人のサラリーマンが、救急車に気付かず道路に降りようとした。一歩踏み出したところで隣に誰も歩み出してこないことを不思議に思い、左右を見回し、救急車が来ていることをここで初めて認識し、バックステップで歩道に戻った。救急車は速度を緩めながらも止まることなく通過できた。私は(差別的かもしれないが)不注意なのはだいたい女性だと思っていたので、この日男性が不注意をしたことに少し驚いた。

こんなこともあった。車の往来の少ない真っ直ぐな道を、一人の若い女性が横断しようとしている。ところが左手の、いわば対向車線しか確認していない。女性右手から乗用車が一台、だんだん近づいてきている。あの女性が右に振り向けば、車に気付いて横断しないだろうと思いつつ、心配になって眺めていると、女性はとうとう右を向くことなく横断を開始した。乗用車もまた女性に警戒していたのか徐行しており、横断を始めた女性の手前で停止することで事故は起こらなかった。しかしあれが下手をすると事故に繋がるんだろうなという発見と、その場面を安全に目撃したことについての一種の感慨深さがあった。

こんなこともあった。ある日突如として雪が降り、昼の気温に溶け、夜の気温にまた凍った。一日にして道はスケートリンクのようになり、昼に自転車を使った人は乗って帰れないだろうという状態だった。しかし果敢にも乗る人はいるのである大学生らしい男性が一人、乗っては転び、乗っては転びしていた。そういうおもちゃのように何度も立ち上がっては滑って転ぶので、傍目にも諦めた方がいいのではないかと思っていたものの、彼は諦めなかった。その横を歩いて通りながら、彼がこちら側に倒れていませんように、と祈った。彼はいつも車道側に倒れ込んでいて、危なっかしいなと思った。

免許を初めて取った時、教室のような部屋に教官らしい人が入ってきて、事故を起こさないようにという話を始めた。そして事故が頻発する状況を教えてくれた。夜間に横断歩道以外のところを渡る高齢歩行者との接触が最も多いということだった。それを聞いて、どう気を付ければいいのだろうかと疑問に思っていると、教官特にいい言い回しを思い付かなかったようで、少し口淀んだ後に「とにかく気を付けてください」と締めた。野生動物みたいなものかと思った。

道行く人には様々な事情がある。事情とは糸のようなもので、糸が多いほど人はがんじがらめになり、判断の柔軟性を欠く。歩行者と車、歩行者自転車自転車と車、いずれの組み合わせでもがんじがらめ同士が偶然重なり合うと事故になるんだろうと、これらの件から思いを馳せた。交通事故が起きる現場は滑稽なようでいて、本人たちはきっと心から真剣に行き来しているのだと思う。しかし移動に真剣になるということが、既に社会に対して真摯ではない対応であることを常に念じておきたい。

2024-08-11

文章を書くことは苦しい営為

中学生の頃からはてな、なろう、Twitter個人ブログnote、某ゲームファンサイトなどを渡り歩いて、エッセイからファンタジー小説に至るまで思いつく限りほとんどのジャンル文章を書いてきた。主戦場匿名はてなとXにして、小説を紡ぐことよりも自分の考えを言語化することのほうが増えたという違いはあるが、今でもこうして文章を書いている。

このような過去から察せられる通り、自分文章を書くことが好きだ。ただ、好きかどうかと得意かどうかは別だというのは世の常で、好きではあるのだがいつも途中で投げ出してしまう。長編小説には幾度となくトライしてきたが、結局一本も書ききることはできなかった。短編小説はてなダイアリーなどの比較的短い文章であっても、さらに言えば140文字制限があって小学生の作文用紙の半分以下しか書けないXの投稿であっても、ブラウザの戻るボタンを押して、途中まで書いた文章を、途中まで書いたという事実ごと消し飛ばしたことが多々ある。

最後まで書ききれないということに自分はある種のコンプレックスを感じる。「あいつ途中で辞めたな」とか思われたくないからやめるときサービスアカウントごと消すこともあるし、リアルでの知り合いにははじめから絶対に見せない。

このコンプレックスを解消するのはとても簡単で、ただ単にとりあえず最後まで書けばいいのである。こんな性分であっても、繰り返すようだが自分文章を書くのが好きなので小説家になるための本みたいなのを読んで自分の本が八重洲ブックセンターの目立つ棚に置いてあるイメージを膨らませたりもしていた。その本を執筆したプロ小説先生も「はじめはとにかく一作品書いてみよう」と仰っているのである。その本によれば、最後まで書くというのはストーリー矛盾やほころびには完全に目を瞑り、書きたかったラストまでを勢いで書き通して「めでたしめでたし」で締めくくるということだった。文章を書いている中で一番迷い、投げ出したくなるポイントストーリー構成がしっかりしていて、論理的妥当であるかどうかを黙考するところであるのでそれを無視していいのなら時間と道具さえあれば誰だってできる。

しかし、この誰にでもできそうなことが思ったようにできないのである。「難しいことはいったん無視していいよ」とどんなに高名な先生が仰ったところで、ほかならぬ自分自身がそれを許さないのである。とりあえず最後まで書く、ということが三日坊主自己嫌悪を解く鍵であって、その上で作品主観的客観的分析する初めの一歩であることは理解しているが、それよりも今目の前にあるプロットに悩むのである

このような事実について考えてみたが、結局文章を書くということは必然的に苦しみを伴うのだと思う。小説を書く場合でも、自分意見を表明する場合でも、脳内にある自分アイデアパソコンディスプレイ上に映っているときにはすでに元の形を残していない。言語化ができなくて自分脳内と外の世界の間にある壁を越えられないアイデアがあるし、脳内からうまく取り出した言葉の塊を読むに堪える文章にするためにつなぎが必要になる。要するに、自分脳内にあるもの自分が書いたものの間には共通項もあるが、脳内しかないもの、書いたものしかないもの無視できない量存在するのだ。しかも、文章化には自分が現時点でもっているありあわせの知識しか使えない。ところで『もしもピアノが弾けたなら』という西田敏行名曲があるが、この曲の中では「もしもピアノが弾けたなら思いのすべてを歌にしてきみに伝えることだろう」から「だけどぼくにはピアノがない きみと夢みることもない」と続く。文章を書くのも同様で伝えたい思いがあっても、それを媒介する道具がなければ伝えることができない。それは当然の事実ではあるがとても辛いことである。ありあわせの知識、というのは青を表すのに群青、藍、瑠璃色スカイブルーなどがあるみたいな表現するための単語としての知識だけでなく、物語に転機が訪れるのを天気の移り変わりに描写する、賛否両論あることについて自分意見を述べるときにはたしかに~と言われているが私は~と思うという議論の流れにする、みたいな文章の書き方の知識も含まれる。

そうすると言いたいことを言語化するとその瞬間、自分がもともと言いたかたことと一般常識が混濁するのだ。言語化するまでは、よしこれを文章にしてみんなに教えてあげよう、と思っていることが明確な仕切りをもって脳内にあるが、文章にする段階でありあわせの知識という不純物が入り、ボーダーラインが薄れていく。これは辛いことであるだけでなく、不気味なことでもある。自分の言いたいことを言っていたはずが、自分普段そんなこと考えないけど、知ってはいるような言葉が混ざっている。自分の書いた文章を読むと離人症のような恐怖に襲われる。この恐怖を避ける方法は3つしかない。1つ目は自分が書いたもの100%他人のものである断じてしまうことである中学生の頃の日記が掘り起こされたときに、「あれは黒歴史だ。」と言うのは暗に今の自分はそんなこと考えないし、そんなこと言わないと表明しているのであり、過去自分現在自分の間を壁で分断することで自己防衛を試みている。2つ目は繰り返し考えていた自分文章をまるごと消すという方法である。つい最近書いたものを見て、あれを書いたころの自分と今の自分は違う、と断言するのは無理があるので怖いものを見えなくするのは当然の反応だ。文章を途中で投げ出さないためには一番手っ取り早い恐怖の取り除き方を乗り越えて恐怖と向き合う必要がある。そのうえで自分自身と目の前の文章の間に壁を作らない方法で折り合う必要がある。つまり、3つ目の方法文章100%自分のものにすることである。もちろん、自分が書いた文章にらめっこするだけでは、ただ嫌気がさしてさらなる自己嫌悪に陥るだけであるし、バックスペースを押してすべてを無に帰すまでの時間を延ばすに過ぎない。まず自分が書いた文章を読んだときに感じる恥ずかしさやもどかしさを我慢する必要がある。そのうえで文章を丁寧に精査して、自分意見と異なるものに関して、別のありあわせの知識と置き換えるか、反芻することによって自分意見の中に吸収する。それを繰り返していくことでいつか自分脳内文章が一致する。

根本的に言葉というのは他者と、お互いの内面を交換するためのメディアであるから自分意見が初めから脳内に整然とした文章存在していることはあり得ない。そう考えると文章化というのはなにか義務のような行いで、自分意見言語化せずに完全な状態のまま保っておくのが良いように感じるが、恐怖に向き合って自分の考えを文章にすることに意義はあると思う。先ほど文章100%自分のものにする方法最後で、自分意見と異なるものを反芻して吸収すると言った。これによって自分意見言語化するあいだに自分意見をより大きくすることができるのだ。だから文章を書くことは苦しいが、何度失敗してもやめられないのだろう。

2024-08-08

anond:20240731052415

バックスペースとNumLockキーが小さくてしかも隣接しているDynaBookはホンマキレそう

2024-08-02

いまさっき仕入れホットネタ

なんと今の若者は、キーボードを打つことを「タップ」って言うみたいだ。

さっき中途入社若いやつとの会話で「バックスペースをタップした」って。ジェネレーションギャップを感じちまったよ。

時代遅れって言われたくないなら、お前らも「タップ」って言うようにしとけよな!

2024-07-21

anond:20240721083733

ワイのパソコン確認したらバックスペースの右に電源あったけど上には空気しかなかったやで😟

職場ノートPCキー配置アホすぎて笑った

電源ボタンバックスペースキーの真上に配置するなよ馬鹿なのか?

2024-07-19

すきなスト6モーション

キャミィバックステップでクルって回るとき

ジュリが後ろ投げで両足でげしげしするとき

すきすきだいすき~

2024-05-29

anond:20240529162626

バックスになればスクラムに参加せんでええようになるで

anond:20240529080249

ATOK

ATOKだけの挙動かはわからんけど、何か変換した後でバックスペースで消してもう一度同じ言葉を変換させると、最初の奴が誤変換だったのかな?と大きなお世話を発動して通常出てこない漢字を出してくることがある。

2024-05-03

私が初めて創作らしいことに手を付けたのは、物語を作ることではなく何かしらのテーマキャラを当てはめることだった。

【文アル】文豪タロット

https://note.com/euphoniumg59/n/n8cb90fceb072

これはタロットで当てはめたもの。ノリとしてはこんな感じ。

元々お酒好きと言うこともあって、それぞれのキャラカクテルを選ぶという遊びは今メインとしているジャンル……文アル以前からやっていた。文アルで選んだ時の画像のまとめを出そうとして、主にTwitterに上げていたせいで凍結した今では見られないという事実にたった今気づいたので、今度どこかでまとめなおそうと思う。

文豪混酒紹介譚

https://www.pixiv.net/novel/series/1067167

こちらはそれを元にして書いてる対話形式二次創作小説

そんな遊びを始めたのは2017年。始めた頃はほぼ壁打ちで、一人で細々とあげ続けていた。そんなある日、重治に選んだカクテルについて、とあるフォロワーさんがこんなことを教えてくれた。

ミモザの花は、もともと女性労働者を象徴する花。女性の同志にも寄り添っていた彼によく合う」

選んだカクテルは「バックス・フィズ」、イギリス発祥シャンパンオレンジジュース割りで、タンブラーグラスに氷を入れてその中で混ぜて作る。これを氷無しでシャンパングラスで作ると「ミモザ」というカクテルになるのと合わせて、プロレタリア文学の3人の共通テーマとして挙げていた「簡単に作れるもの」に「花でいることもできるのにその道を選ばなかった」辺りからイメージして選んだのだけれど、当時はミモザ自体にそんな意味があったのかと驚いたのを覚えている。その後も新作を上げるたびに反応をくださって、好きと言ってくださって、特に啄木で選んだ「ブラッドアンドサンド」では一節のショートショートを頂いた。あれから私も小説を、物語を書くようになって、微々たるものではあるが作品も積みあがってきた。見せられればと思っていた矢先に、その人はいつのまにか、何も言わずに、いなくなってしまわれた。

Twitterしか繋がりが無い以上、あの人が今どうしているのかは分からない。何の前触れもなくつぶやかなくなってしまわれたので、元気にしていればそれでいいけれどもしかしたらそうじゃない可能だってある。人との別れは突然でいくつになったって慣れることは無い。私も小説を書くようになったんですよと伝えたくても、伝える術が無いことに棘が刺さるような思いがする。今の私にできるのは、気が向いたときにでも世界に向けて作品を上げ続けることぐらいだ。万が一でも、目に止まればいいのにと願いながら。

ミモザの日が来ると思い出す。

私が作ったものに初めて感想をくれて、初めて好きだと言ってくれた人。

どうか、この青い空の下で、好きなものとあの黄色い可愛らしい花に囲まれて、生きていて欲しいなぁと切に思う。

2024-04-16

コンピュータ得意な人間あるある

高速で長時間キータイプしているような音が出ているとき、半分くらいの時間バックスペースで間違えた文字を超高速で消しているだけだ。

2024-03-25

昔の日本ではハート形を何と呼んでいたのだろう

気になるねえ

何故気になったのか

昨晩の鉄腕DASH自然薯を掘っているのを見たか

自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

調べましょうね

とりあえず「ハート 昔 日本」でぐぐってみるか……

なるほど、西洋からいわゆる「ハート概念が伝来する以前から土器織物ハート形の文様存在する、と

神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と

なるほどねえ

じゃあ昔の日本自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~

……とはならない

西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様存在した」イコール自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない

芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語日常的に使用するか?という点を疑う

農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?

勘だけど逆なんだろうな

すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

の問いの答えは「自然薯山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる

農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?

さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか

とりあえず昔の植物図鑑記述を探してみるか?

いろいろぐぐってみるか

……「大和いも」のwikipediaのページの記述

大和いも - Wikipedia

1911年明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理菓子蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。

20世紀初頭時点で「心臓形」という表現が使われている

キリスト教伝来から300年以上経過しているかハート形という概念が浸透していても不思議じゃない

キリスト教伝来以前の記述を探したいところだが……

いや、リンネ分類学著作日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?

西洋植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……

『日葡辞書』になんか自然薯記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線記述から意味いか……

江戸時代アサガオ流行したようだ

園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ

この呼称江戸時代からあったかどうか?

もし当時からそう呼ばれていたとすれば傍証にはなるか……?

時間切れ、また夜に調べるか……

しかハート形の葉っぱなんて芋に限った話じゃない

例えば徳川家三つ葉葵紋とかもハートの形しているし

三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……

いも限定で探すのは筋が悪いかもしれない、再考すること

これは日記です

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追加で調べたメモ書きを追記しましょうね

葉身 - Wikipedia

Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い

自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている

その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている

へえ……カタバミの方が逆位置扱いなんだ?

きっと西洋メジャーハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう

ヨーロッパメジャーハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ

知らんけど~

おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている

色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆

葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある

ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉不要だった……とか

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」

となる

本当に?ちょっと怪しい理屈な気がする

そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)

市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか

それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか

検証できるかどうか

うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか

本草学」という昔の日本学問ジャンルがある

博物学医学薬学中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい

そういう文献にはきっとハート形の葉の説明文章があるはず

ただなぁ~、学者先生が使う言葉認識と、市井の人々の使う言葉認識って別だろうからな……

自分が欲しい情報じゃないかもな

とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう

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ああそうだ、江戸時代には和算というものがあった

面積を求める和算問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな

もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも

一応調べること

→軽く調べてみたが無さそう……こち方面調査頓挫

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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

調べがいがありそうなテーマだし、焦らずゆっくり調べていこう

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メモ

こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある

インターネット上で閲覧できる古辞書を調べる事

また、現代語訳された古辞書書籍として売ってあるなら購入も検討すること

辞書で「猪目」をひいて何と書かれてあるかを確認したい

辞書辞典であるならば形の説明文章でしている可能性がある

また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない

ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる

神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別

例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか

似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ

トランプハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説

それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか

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■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる

直接的な物証発見できず

しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた

(余談だがアサガオヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ階層分類体系は偉大っすなあ)

であれば別の植物の葉の形で例えるのがまあ自然か……

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

→これは猪目、家紋で描かれるカタバミや葵あたりが該当

芋って家紋モチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)

♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念存在しない……か?

猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)

からこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html

トラバ言及いたここに詳しい(情報提供感謝

調査がひと段落したのでクローズ

2024-03-19

よくあるなろう設定でも厨二設定でも別にぜんぜん楽しめるということに気付いた

厨二設定の中でも比較的上質な方かつ、たくさんの信者を抱えるに至る魅力的な作品を発表している型月をdisたことをここにお詫び申し上げます🙇

 

あと、ザマァは基本的に嫌いだけど、物によっては大丈夫だと言うことに気付いたのでご報告しま

ザマァのためにあからさまに頭の悪い悪役が出てきたり、ザマァのために胸糞の展開が続くのは変わらず無理だけど、

最強悪役が毎回サクッと死んだり(ワンパンマン様式)、そこそこストーリーや絡みがある敵対キャラ、なんらかのバックストーリーがありそうな敵対キャラも、

最強悪役と同じく "平等に" 毎回サクッと死んだりするのは、量産タイプでもフツーに楽しめるみたいです

 

ほんでアレいったい何が楽しいの?って思ってたが、

 

たぶん、現代における、暴れん坊将軍的な、遠山の金さん的な、三匹が斬る!的な、水戸黄門的な、スカッ時代劇じゃないですかね

ただ、ナーロッパ は、時代劇時空の江戸よりも色んなものがこぼれ落ちてるし、単純に時代劇時空の作品の方がどんな媒体でも作成コスト掛かるので、

なろう作品だらけになった現代を憂いる気持ちは分からないでもない

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