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はてなキーワード: 桶狭間の戦いとは

2024-08-16

織田信長越前征伐から小谷城平定へのスピード感に震える

最近織田信長関連のYouTube動画ばかり見ているが、天正元年(1573年)のスピード感にうっとりと酔いしれてしまっているので、少し語らせてほしい。

大前提として、信長の天下取りあゆみは、秀吉のそれと比べると結構ぐだぐだしてる。これは、戦国時代時間の過ぎ去り方というのがそういうものであり、また、何事もそうであるが、物事趨勢が決まるまでが大変なのであるということしか意味しないが、単純な年月の経過からいえば比較的ゆったりしているのである

信秀が死去したのが1552年(天文21年)、そこから桶狭間の戦いが1560年(永禄3年)なので、8年が経過している。また桶狭間の戦いのあとの直後のようなイメージのある松平元康との清洲同盟は実は合戦の2年後、美濃平定にはさらに5年を要する。本題の朝倉浅井関連でいえば、コトの起こりにあたる、信長越前出兵から金ヶ崎撤退戦が1570年4月(元亀元年)で、その2ヶ月後に姉川合戦勝利するものの、1573年(天正元年)に至るまで3年以上、朝倉浅井氏とは対立を続けている。繰り返すが、織田信長のんびりしていたわけではなく、それが、俗に言う信長包囲網などの当時の状況における当然の時間の経過である問題はこの後の経過の早さだ。

天正元年8月8日に、浅井配下武将織田方に裏切ったのを契機に小谷城に向けて信長出兵、救援に来た朝倉軍を4日後の8月12日小谷城付近撃破撤退した朝倉軍を越前まで追撃して、その8日後の8月20日朝倉義景を自刃に追い込んだ後、とって返して小谷城攻撃9月1日までには浅井長政も自刃させている。この間、1ヶ月に満たない。本当にすごい。

2024-02-19

もし今川義元桶狭間で死ななかったら

確定事項

起こりそうなこと

よくわからないこと

このシナリオエンディング

2024-02-06

やっぱ桶狭間の戦いがなかったら天下を取ったのは今川義元だったのかな

クソ強いんだが(信長の野望で)

2023-02-08

anond:20230208010001

近年の研究だと「桶狭間の戦い桶狭間度は低い」が定説になりつつあるよね。

さまざまな桶狭間

桶狭間の戦い

桶狭間度:★★★★★

海道一の弓取りと謳われた今川義元大軍を、小勢の織田信長が打ち破った戦い。「桶狭間は谷だった」「いや山だった」「奇襲だった」「いや正面攻撃だった」など、その実態については今なお盛んに議論される。また、勝利した織田信長がこれをきっかけに勢力を拡大し、のちには天下人となっていったこから、「小大名が敵の大軍を破り、その後の飛躍に繋げた戦い」のことを「〇〇の桶狭間」と言うようになった。

奥州桶狭間人取橋の戦い

桶狭間度:★☆☆☆☆

父親を殺された伊達政宗が、その弔い合戦として畠山氏の二本松城を攻めたところ、相手方の救援として駆けつけた佐竹氏・蘆名氏などの連合軍と戦いになった。兵力差四倍以上の相手に正面決戦を強いられることとなった伊達方はほぼ敗勢だったが、勝利目前の佐竹軍が急に撤退したため尻すぼみに合戦終結した。壊滅必至だった伊達軍がそれを免れたという点では「勝ちに等しい引き分け」と見ることもできる。その後、巻き返した伊達政宗二本松城を落とし、蘆名氏を滅ぼして南奥州覇を唱えることとなる。

関東桶狭間河越夜戦

桶狭間度:★★★★☆

泥沼の争いを繰り広げていた古河公方山内上杉・扇谷上杉らの関東勢が、勢力を急伸させた北条氏を恐れて連合し、北条方の要所・河越城大軍で包囲した。それに呼応した今川義元も西から挙兵して挟撃の形となり、家督を継いだばかりの北条氏康は早くも絶体絶命の危機を迎えた。しかし手早く今川と和睦した氏康は、大軍に驕った連合軍に夜襲を仕掛けて撃破した。この戦いで古河公方山内上杉・扇谷上はいずれも滅亡・没落し、関東北条氏を中心として動くようになった。

甲斐桶狭間飯田河原の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

甲斐に侵攻した今川大軍を、武田信玄の父・武田信虎が迎え撃った戦い。荒川沿いの飯田河原戦場に選んだ信虎は、数で上回る今川軍を地の利を活かして撃退、ひと月後に上条河原で再戦したがそれも打ち破り、敵の大将を討ち取った。一連の戦いにより武威を示した武田信虎は、敵対していた穴山氏などを服属させ、甲斐統一を成し遂げた。

近江桶狭間野良田の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

北近江浅井氏は、越前朝倉氏と南近江六角氏という大勢力に挟まれ、当時は六角氏に従属する立場だった。父親隠居させて浅井家の若き当主となった浅井長政は、すぐさま六角からの離反を表明した。それに対し、六角氏は当主六角承禎自らが大軍を率いて攻め寄せたが、浅井長政は半数以下の兵力で迎え撃って勝利した。弱い立場だった浅井氏はこの勝利により戦国大名としての地位を固め、敗れた六角氏はお家騒動などもあり衰退していくことになる。

備前桶狭間」明善寺合戦

桶狭間度:★☆☆☆☆

備前大名浦上氏の家臣として頭角を現しつつあった宇喜多直家は、毛利氏従属しながら備前進出しようとした備中三村氏の当主三村家親を、日本史上初となる火縄銃狙撃により暗殺した。怒れる三村氏は、弔い合戦とばかりに宇喜多方の明善寺城を攻め取ったが、宇喜多直家は素早く奪回し、逆にその救援にやってきた三村氏の大軍を待ち構えて打ち破った。この戦いにより影響力を増した宇喜多直家は、のちに主君反旗を翻し、戦国大名として独立することになる。

西国桶狭間有田中井手の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

かの毛利元就の初陣。源氏の名門・武田氏一族で猛将と謳われた武田元繁と、味方の城の救援に向かった毛利吉川連合軍の戦い。寡兵連合軍は劣勢を強いられたが、初戦で運良く敵方武将を討ち取り、それに激怒して自ら前線へ打って出た武田元繁をも討ち死にさせた。この戦いにより、大内氏から独立して勢力を拡大していた武田氏は一転して衰退し、代わって毛利元就歴史の表舞台に躍り出ることとなった。

「海の桶狭間厳島の戦い

桶狭間度:★★★★☆

毛利元就の戦いとしてはこちらのほうが有名だろう。主君大内義隆に謀反し、大内家内を牛耳った陶晴賢だったが、その隙に離反した毛利元就によって安芸を奪われてしまう。大軍を率いる陶晴賢要衝厳島拠点安芸奪回を狙うが、毛利元就は嵐に乗じた奇襲でそれを打ち破り、陶晴賢自害に追い込んだ。この勝利により、毛利元就は逆に大内氏を滅ぼしてその領土併呑し、中国地方覇者となっていくのである

肥前桶狭間今山の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

肥前勢力を拡大していた龍造寺隆信に対し、脅威を覚えた北九州覇者大友宗麟大軍を率いて侵攻、数ヶ月に渡って佐賀城を包囲した。援軍の見込みもないなかで龍造寺軍はよく持ちこたえたものの、ついに大友宗麟は弟の大友親貞に総攻撃を命じる。大友親貞は総攻撃前夜に士気を高めるため酒宴を開いたが、それを見た龍造寺家臣の鍋島直茂わずかな手勢を率いて夜襲を仕掛けた。油断していた大友軍は総崩れとなり、大友親貞も討ち取られてしまった。その後、和睦に持ちこんだ龍造寺隆信は、大友氏に従属しながら勢力を拡大し、のちに九州三強の一角に名を連ねることになる。

九州桶狭間木崎原の戦い

桶狭間度:★★★★☆

島津当主島津貴久が亡くなった直後、その隙を突いて隣国伊東氏島津領に侵攻した。伊東方が数千の軍であったのに対し、島津軍勢はその十分の一ほどしかなかったという。だがそれを率いていたのは名将・島津義弘だった。島津軍の頑強な抵抗により、伊東はいったん退却して陣を立て直すことになった。しかし、島津義弘から指示を受けていた農民たちが太鼓を鳴らして伏兵を装うと、伊東軍は慌てて陣から飛び出し、そこで待ち伏せていた島津軍に四方から攻められて壊滅、総大将も討ち取られてしまった。窮地を脱した島津氏は、島津兄弟のもと勢力を拡大し、九州を制覇していくのである

2022-07-09

もはや応援演説存在意義が問われている

どこの番組か忘れたが、

選挙勝敗はどれだけ多くの有権者握手たかで決まるといわれます

と当たり前のように言っていて、卒倒しそうになった。

自分知識がないというのもあるが、

「そ、そんな昭和時代みたいなことをしていたのか・・・

というのが率直な意見であった。

ふと思い出したのが田中角栄エピソードである

(注:私は現代政治は詳しくないけど政治史は興味あるおじさんです)

彼は今太閤と呼ばれ、平民から成りあがったということで、

とくに地元新潟から絶大な支持を得ていた。

彼の秘書だった早坂氏の記録が興味深い。

選挙前に農村選挙カーが入るときには、はだしで田んぼに入って、

作業をしている奥さんやおばあさんに、泥だらけになりながら駆け寄って

「おーっ!奥さんよろしく!」握手をしに行くのである

このような平民目線に近い行動は、票集めに絶大な効果があった。

当時はインターネットもなく、すべての情報口コミであった。

「現職総理田んぼに入って握手をしてくれた」

という口コミは、人を介して絶大な効果を生んだろう。

一方対照的なできごとがあった。

今回の安倍氏暗殺事件で、「女子高生2人の状況説明がうますぎる」

と、ツイッターで少しバズったのである。(現在動画は削除されたか

https://twitter.com/search?q=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%80%80%E7%8A%B6%E6%B3%81%E8%AA%AC%E6%98%8E&src=typed_query

彼女たちはデジタルネイティブスマホネイティブであり、

学校の教材も多くがデジタル化されているだろう。

まりデータ処理が生まれつきできている世代である

迅速に的確な情報収集して判断する能力が鍛えられている。

先日も、若い世代議論が怖く、多数決を好む、

という興味深い記事があった。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220707/k10013706251000.html

これも、口頭による議論という不確かで一過性のものより、

データ処理に基づく冷静な判断を求めている証左ではないだろうか?

思えば、「朝まで生テレビ」のような議論番組は、

ショーとしては成り立っているものの、

そこでなんらかの「結論」が導かれることはない。

また、テレワークが普及し2年が経ち、

無駄会議が減った」

「事前に資料を共有したり、時間を決めて会議するようになった」

という企業の声を聴く

こうしたことデータ処理の一環であり、

若者最初からこのような「整然とした」プロセスを好む。

いっぽうで、昭和世代、今の50歳以上については、

「顔を交えて議論しないと進まない」と感じる人も多いようだ。

「胸襟を開いて」「心を通わせて」といった表現を好むのも、

比較高齢者に多いのではないだろうか。

ここにあるのは、老人は決定プロセス感情必須としていることである

もちろん、個々人の行動は感情をもとにしているのが当然で、

モノを買うときは皆、感情に基づいて買っているだろう。

しかし、今回は選挙である

服を買うときのような、ジュースを選ぶときのようなものとは違う。

議論ロジックで、冷静に判断すべきものである

そこに、これまでの日本人投票行動の未熟があったのではないだろうか。

国会議員にはアイドルタレント出身者も非常に多いが、

有名人認知度、という「親しみ」という感情をもとに判断やすく、

票を集めたいからという目的なのだろう。

これは個人意見なのだが、

はたしてこれが民主主義なのだろうか、という疑問である

アイドルタレント政策を持っていて、

それを実現するために提言した結果立候補する、というなら歓迎である

しかし、

権力基盤があって、それの広告塔としてタレント採用されるのであれば、

議員とはなにか?とすら思えてしまう。

理想・構想のない人間国会椅子に座る意味とは?という純粋な疑問である

そして彼らを選んできたのも、国民責任である

昭和テレビ時代であった。

ブラウン管を通じて、感情を動かされた人に、親しみを感じたのである

もちろん、長い戦後歴史のなかでは、

真面目に政策議論をした時代もあったろう。

しかし多くの日本人は、それを判断できなかった、ということもあるのではないか

一言でいうと、政策理解できないバカが多かったのである

から国民生活を守ります!」「所得を増やします!」

という、バカ向けの演説を行わざるをえない。

演説する人も、「バカバカしい公約だ」と思う時もあるだろう。

しかしそうしないと票が取れないのだから仕方ない。

このような蒙昧で前時代的なシステム立脚している選挙に、価値はあるのだろうか。

もはや、すべてオンライン投票でいいのではないか?とすら思う。

票を入れる前に、候補者思想政策を何千文字くらいで詳細に読めるようにする。

動画10分くらいの演説も見られるようにする。

経歴だとかは細かくはいらない。

「どんな業種で、長年従事してきた、〇〇のプロである」が分かればいい。

そこで判断すればいいと思う。

これはデジタル学習に長けた若者にとっても歓迎されるのではないか

断っておきたいが、私は田中角栄氏が嫌いではない。

「おーっ!奥さんよろしく!」握手をしに行ったエピソードが好きである

しかし、それは別に私が感情を揺さぶられたわけではない。

「その時代において」「もっとも適切に・合理的に票を獲得する」方法を、

実践していた、氏の能力評価するからゆえである

人たらしと言われた羽柴秀吉に通じるからである

まりその時代にあった方法を、常に探り続ける、というのが重要なのだ

今の選挙方法は、昭和と何が違うだろうか?

違うところを挙げるほうが難しいのではないだろうか。

そういうことである

ダルマに目を入れたり、赤いバラ当確者の名前に張り付けることが悪いわけではない。

「今、この方法が最適なの?」「街頭で無防備に叫んで、握手することが必要なの?」

問うこと重要なのではないだろうか。

外国によっては、その「問うこと」自体禁止されている国もある。

日本は恵まれた国であり、民主主義恩恵を得ている。

民主主義を最大化する、そのためには、

若者意見積極的に取り入れ、

企業や国の意思決定に関与させることだと思う。

歴史を見ても、老人が意思決定すると、独裁・強圧的な国家生まれる。

戦国時代を終わらせるきっかけとなった桶狭間の戦いとき信長20代であった。

天安門に集まり戦車の前に立ちはだかったのも、若者であった。

つの時代も新しいもの若者からまれるのである

企業生存戦略でも同じ。

新しい技術クラウドだとかセキュリティへの投資を怠ると、

もはや取引から選択対象から外れ、成長が困難な時代になっている。

「今までこうだったから」「現状こうだから

という企業は潰れていく。

逆に、若い社員にまかせて企画したり、SNSを通じて発信するような企業は、伸びている。

デジタル世代が急速に育っていて、ポテンシャルの高い人材が生まれている。

彼らを押しつぶすことのないよう、彼らの才能を最大限活かして、

日本繁栄を推進していくことを強く希望する。

それが安倍首相へのはなむけであるようにも思う。

2022-02-28

anond:20220228115203

楚の荘王(3年間愚かなフリをして周囲を油断させたという中国春秋時代の名君)

斉の威王(9年間愚かなフリをして周囲を油断させたという中国戦国時代の名君)

韓信若い頃は馬鹿にされており仕官しても出世しなかったが漢の大将軍に抜擢されると大活躍した)

陸遜無名のため侮られていたが夷陵の戦い劉備大軍撃破した)

織田信長うつけと言われていたが桶狭間の戦い今川大軍撃破した)

長宗我部元親(姫若子と呼ばれていたが初陣で活躍して鬼若子と呼ばれるようになった)

大石内蔵助平時凡庸昼行燈渾名されていたが赤穂浪士を率いて吉良邸討ち入りを成功させた)

もう思いつかん。

2021-12-13

anond:20211213173846

いや、ほんと意味ないよ。

どっちの兵力が何万で士気が高くて指揮官が優秀だから、とかそういうことを論じても意味がないよ。

すごくわかりやす説明するね。

桶狭間の戦いって寡兵でもって…ってやつじゃない?

最近学説だとどうなのか知らないけど。

でもさ、もしも桶狭間の戦いがなかったとして

今川義元織田信長合戦すればどうなるか?

って分析したらどうなるのさ?

兵力今川が多くて武将も歴戦の武将揃い、

対する織田信長は弟と跡目争いをしているところから

家臣団を上手く掌握できていないことがわかる…

とかなんとか分析できるんだと思うんだよ。

いや適当だよ。もちろん。でもだいたいこんな感じになるんじゃない?

増田流の分析で言えば。

今川義元兵力織田信長が対抗できるわけがない

って分析してしまうんじゃない?桶狭間合戦というものがなければ。

うっすらでもわかってもらえますか?

そんな分析意味がないってことを。

 

話は変わるけど明智はやっぱり滅ぶよ。

彼らがどれだけ優秀な軍団だったとしても

それはそれまでの話なんだよ。

織田政権継承したわけではないんだから

言ってみれば、近畿圏に突如として現れた

ハンニバルみたいな存在なんだよ

 

という感じのもの見方が正しいかどうかは

からないけど、でも歴史っていうのは

そういう風にざっくりと捉えるものじゃないかな?

なんかあんまり意味ないと思うよ。

かい分析しても。

そもそも兵力何万なんて適当に誰かが勝手に決めただけで

本当の実数なんてわかってないんだろうしさ。

そんなもので何かを分析しようとしたところで意味がない。

ましてや合戦のことを。

2021-09-01

もし日本が古くからパワハラを許さな社会だったら

織田信長桶狭間の戦いすら起こせず、未だに戦国時代だったかもしれない

本田宗一郎ホンダ起業してもすぐ潰れていた

パナソニックもなかっただろう

星野仙一監督として結果を出せずに死んでいただろう

2021-02-08

戦国時代物語は何を読めばいいの?

これが三国志だったら「三国志演義」を基とする「吉川英治 三国志」とか「北方謙三 三国志」とか「横山光輝 三国志」とか「蒼天航路」とかを読めばいいわけだけど、日本戦国時代場合、これに相当する物語ってあるの?

とりあえず「桶狭間の戦い」あたりから大坂夏の陣」あたりまでを1つにまとめた物語を読んでみたいのだけれど。

個々の有名な出来事はある程度分かっているのだが、それを通しで読める物語が思いつかない。

2020-06-08

桶狭間の戦い大河ドラマで見たけど今川義元って一番緊張しないといけない時に昼飯食ってたのかよ

しかも雨が降ってきたから雨宿りって・・・・・

こんなのが海道一の弓取り?

これじゃ負けるわ まさに現代枝野幸男 一生安倍晋三さんには勝てないね

立憲民主党は早く枝野を下ろして蓮舫さんをトップにしないと今川家と同じになる

蓮舫さんのツイート以外、ニュースで立憲のこと聞く?

2020-04-10

「青のフラッグ最終章違和感を感じる」を理解できないと言う人の9割は

その1話前を読んでいないだけでしょ


どうせ頭の中では「主人公同性愛に目覚めるまでの過程が丁寧に描かれあの最終回にたどり着くまでの30話ぐらいに及ぶラストスパート」が展開されているんだろうな。

漫画の中には一切ないからね。

突然、ヒロインが振られて、はい最終話ね、はい主人公は女を捨てて男と結婚しました、はいどうですかビックリしたでしょ?

これね。

俺たちが文句言ってるのは、この唐突さと中身の無さね。

たとえばこのラスト2話が主人公視点じゃなくて他の誰かの視点で行われていたら「高校時代の友人達の間でなにかが起きていたことを結婚式を通して知る」みたいなストーリーになるけど、そうじゃないからね。

ずっと主人公目線で進んでいるのに、何かが起きました終わりで終わってることね。

たとえば大河ドラマ信長桶狭間の戦いに勝った直後に「でも信長は殺されて、最後徳川家康が天下を取りました おわり」となったらおいおいその過程を描けよって気分になるでしょ。

それなんだよ。

前回がその桶狭間の戦いが終わる所まで描かれた直後に突然「でもこのあといろいろあって信長暗殺されました つづく」となり、その次の回が「オッス!オラ!家康!今は江戸時でぇっつうんだ!よろしくな!」ってなってんだよ。

俺たちがキレ散らかしてんのはその突然時間が飛んでることなんだっつーの。

マジでよ、そこ理解できたか

理解できてねーだろ?

おう、分かったら次から作品最終回だけを読んで最終回感想にチャチャ入れんなよ。

せめてラスト10話は見ろ。

別に感想言わなかったり、「俺は最終回しか見てないんだが……」と付け加えて感想を言うならいいよ。

でも全編見てきた人間感想に対していきなり的はずれな喧嘩の売方してんじゃねーよそういうのなんていうか知ってるか?

アンチだよ

2019-03-09

anond:20190309053035

当時は戦国時代なんだが。

小さい領主で収まっていたらそれはそれで隣の強国にやられて滅んでしまう。

まあ、「危機管理」というのは、「失敗しそうなことをしない」「現状維持」というのは言えるだろうな。

織田信長現状維持だけを考えていたら、桶狭間の戦いすらもなさずに、そのまま今川に滅ぼされてたな。

徳川だって織田信長の清須同盟あっての事だし。

あと、三方ヶ原の戦いや、本能寺の変で死にそうな目にもあってる。

そう言うと、危機管理に長けていたのは、あの時代でも、戦乱からやばいところから逃げて、堅実に商売をして天寿を全うしたなも無き小商人とは言える。

三傑が取り上げられるのは、リスクをとって成功たから。

2016-03-07

今川義元を主役にした大河ドラマがあってもいいよね。

NHK大河ドラマって大幅に脚色するけど最期絶対脚色しないよね。

もし今川義元が主役かつ雪斎が存命だった場合の話をやって

桶狭間の戦いも看破して逆に信長をやっつけて上洛を果たす展開とかあればやって欲しい。

物凄いロマンを感じるよ

今川義元名誉回復の為にも是非やって欲しいわ

2009-01-16

テレビ東京歴史バラエティー番組

2007-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20071115021837

桶狭間の戦いも全然違うらしいし、徳川家康影武者らしいし、沖縄の変なのとか従軍慰安婦なんか目じゃない嘘を歴史として教えているんだよなあ。

 
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